雪原の希望   作:矢神敏一

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列車は急には走れない。安全はすぐには生まれない。

【関西鉄道 阪神区 尼崎工場 1965年10月度 工場内標語コンテスト入賞作品】


~仕業前~起動

 恐れていたことが起こった。越谷は気取られないように頭を抱える。会議室は11階だったのである。なんてことだ。ふざけるな。設計をしたのは誰だ。断固粛清してやる。

 

「会議室はとても見晴らしがいいんです。管轄の路線はすべて見下ろせるんじゃないでしょうか。もっとも、建物の影に隠れているところもありますが……。なんでも自社管轄路線を俯瞰して考えることができるように、という設計者の意匠だそうです。高いところは苦手でしたか?」

 

「はは、何を言ってるんだ。私は飛行機で欧州へ技術習得派遣をされたことだってあるんだ。高いところが苦手なわけじゃない。ただ、地に足をつけているのが好きなだけだ」

 

「……苦手なんですね?」

 

「地面が好きなんだ」

 

 不毛、とも呼べない掛け合いに、幸谷はおかしくなってしまった。話に聞いていたのとはだいぶ違う、妙な男だと思った。越谷はなおも自己弁護にいそしんでいた。

 

 エレベーターのドアが開いた。待ち受けていたように、ガラス張りの窓が待ち受ける。越谷は全身の毛が逆立つのを感じた。だが、それがなんだ。仮にも中国戦線あがりである。ここで折れようものなら、戦友に笑われる。越谷はなんでもないといったテイで歩き始めた。幸谷にはそれがおかしくて仕方がなかった。

 

 幸い、会議室は全面ガラス張りではなかった。二人は手ごろな椅子を選び、越谷だけはしっかりと窓が見えない位置を選び、話を始めた。

 

「まずは長旅お疲れさまでした。どうでしょう、何かこの街、この鉄道に関してご感想とかは?」

 

「ふむ、まず、北樺太鉄道は見事なものだった。樺太鉄道新法に基づく、掟破りの高速輸送はなかなかに楽しかったし、心強いと思ったね」

 

 越谷は当たり障りのない「感想」を言った。感想と言われたから感想を言ったまでだ。もしかしたらこの私の()()を試そうという心づもりかもしれんが、あいにくそういった読み合いは嫌いだ。越谷は子供じみた抵抗を試みた。

 

「一部ではその高速路線を準新幹線……狭軌新幹線としてとらえる向きもあるようで、法律区分的にも近いものとなっています。なので新幹線と同じく制動距離規則は撤廃。「事業者ガ安全ト認ムル範囲トスル」なんて、国鉄の良識に安全対策を丸投げした特例ですよ」

 

 幸谷は相槌と少々の豆知識を披露した。越谷は会話を続行する。

 

「事故が起こらなければいいんだがなあ。もちろんそれ相応の安全対策はされているようだ。それに、国鉄・北鉄内規則で最高速も毎時160キロまでに制限されている。それよりもその鉄道がこの街に及ぼす良い影響の方が大きいだろう」

 

 先ほどまで、極上の旅を提供してくれた高速新線を思い出しながら、越谷はそう言った。

 

「隣の芝が青い、と言いたくなるほど、あれは素晴らしいものだったね」

 

「つまりは、我々の鉄道は枯草の生い茂る庭だと?」

 

 ここが本題である。幸谷は少々とげのある言い方をするが、本意ではない。当然越谷も理解している。

 

 あの素晴らしかった高速新線、北樺太鉄道北樺太本線。それはお隣()()()()()の線路である。

 

 打って変わってこちらの路線。()()樺太()()()()である。字面こそ似ているが、開発鉄道とある通り地域密着型の地方中小ローカル鉄道だ。

 

「鉄道の特性が違う。比較範囲にないよ。それに、見た限りではなかなかにいい鉄道だと思ったよ」

 

「ではやはりそれ以外の点で何かご不満が?」

 

 厳しい追及ではあるが、越谷は別に不快ではない。その証拠に、お互いの口元は緩んでいる。越谷にしても幸谷にしても、言いたいことは同じだろうからだ。

 

「単刀直入に行こう。君はこの鉄道の何を問題点と考える?」

 

「表面上の数値、見てくれ以外の全てです。砂上の楼閣ならぬ、雪原の楼閣です」

 

 越谷の見解と同じである。だが、あえて先を続けさせる。

 

「具体的には?」

 

「ご自身が一番ご存知かと思いますが……。この開業数日前に緊急的に社長が交代したことがまず第一ですかね」

 

 本日は3月15日。開業は3月22日。こんな至近に社長が決定するなんてことは、通常あり得ない。大体こういうのは、就任は先としても内定ぐらいもっとも前に決まっているのが通例である。

 

 越谷が社長に決定したことが一方的に通知されたのは、本日からさかのぼること一週間前。なぜそんな直近に決まったのかと言えば、前社長に当たる人物の不祥事が原因だ。

 

「前社長、喜多川康志(きたがわやすし)による、会社設立・運営資金の不正な横領・横流し事件。これが原因で全てが狂っています」

 

 前社長による横領事件。それも、仇敵であるソビエトへの送金である。逮捕で済んだだけマシだと思っていただきたいぐらいだ。

 

「運営資金が足りないと?」

 

「現状は足りています。ですが、将来的な資金難を見越して大規模な人員の見直しを行った結果、一部で大幅な定員割れを起こしています。現場の人員はおろか、管理職まで足りなくなる事態で。なんとか運輸の現業関連は一応充足に足りる分を確保しましたが、庶務に関しては管理職の兼任や管理職が現場を直接指揮することも起こっています」

 

 足りていないじゃないか。それはつまり、人件費を許容限度を超えて削減しなければ立ち行かなくなる状況ということじゃないか。越谷は聞いていたよりひどいとめまいを覚える。

 

「確認だが、運輸の現場は足りているんだな?最悪そこさえ充足していれば、庶務の方は管理職が残業なり徹夜なりすればいい話だろう。良くはないが、何とかやっていける」

 

「あー、ええとですね。充足しています。充足しているということはつまり、ダイヤの見直しや関係各所への人員貸出願いなどで徹底的な人員削減を行った結果、()()()()()()()()()()()()()()()ということでして……」

 

 それはつまり、定員割れを起こしたから定員を少なくした、ということか。

 

「それで回していけるんだろうな」

 

「問題ありません」

 

 無駄だと思いつつも、越谷はつい聞いてしまう。だが、実のある内容が返ってくるはずがないし、返ってきても困るのだ。

 

「幸いながら、この鉄道は関係各所に()()()()いますからね」

 

「この鉄道が設立された事情が事情だから行き倒れられたら数十人単位でエライさんの首が飛ぶから、赤子を愛でるように扱われる、という意味か」

 

「ね?愛されてるでしょう?」

 

 これが愛ならずいぶんと歪んだ愛だ。もはやこの世には真実の愛は存在しないのか。などと、越谷は柄にもなく思う。

 

「ともかく、北樺太鉄道をはじめとした近隣の各関連団体は多少なら融通を利かせてくれますよ」

 

 関係団体とは、三軍調整員会という陸海空軍からなる当鉄道に対する監視組織(という名のお小言組織)である。軍事関連輸送を円滑に行う為に、ダイヤの決定権はほとんどに向こうに握られている。

 

 ここでの「ダイヤの決定権」とは要するに時刻表の決定権である。運行の決定権、つまり実際にどのように列車を動かすかの決定権はこちらにある。なぜかとえいば、安全上の理由などで軍部の要請に応えられない場合などに、鉄道側にそれを制止する権利を与えるためである。

 

 なお、これを悪用されて、例えば「裏ダイヤ」等を使って鉄道側の希望通りのダイヤを設定する――実際、国鉄関西方面部はかつて裏ダイヤを用いた運営をしていたことがあった――などの濫用が起きることのないよう、運行指令室には三軍委の監督官が常に監査をしている。

 

 我々にとっては、目の上のたんこぶ……。

 

 おい、陸海空軍。何でそんな時だけ仲がいいんだ。国防上仲がよろしいことは非常に喜ばしい。第二次世界大戦と対ソビエト戦争を経て、勝ってなお兜の尾を締めようと今までのグダグダ具合を改善してくれたのなら非常に素晴らしい限りなのだが。

 

「三軍委にお願いしたら、快く人員を融通してくれるそうです。いやあ、彼らは優しいですねえ」

 

 そんなうるさいお小言委員会を笑顔で利用してしまう幸谷。越谷はそれが空恐ろしかった。

 

「銀行からの融資は……やはり厳しいか」

 

「景気が戻ったといえども、頼みの八井銀行の鉄道部門はその他の案件でヒイヒイ言っていますし、信用という面から言えば最悪ですからね。それにすでに、横領された資金を補てんするために限度額近くまで借りてしまっています」

 

「金をソビエトに持ち逃げされた会社に、これ以上金を貸してくれるお人よしは居ないか」

 

 当然と言えば当然である。経営基盤も見通しもすべてがガタガタな企業に金は貸したくなかろう。いくらバックに政府や自治体が付いているといえど、金融屋としては一度出直してこいと叫びたい心持だろう。

 

「今、経理部長が融資を受けられるよう調整していますが、どうにも難しそうですね」

 

「当面の方針は?」

 

「補助金をフル活用するつもりです。それから大手私鉄にも協力を要請。更にはプレアデス重工・飯田系の尾羽に鉄道車両工場を持つ鉄道車両製造会社に路線を試験線として貸し出す旨を持ち出しました。その他、同じく車両工場を持つ帝急系列などにも掛け合っています」

 

「市の東側沿岸中心部には工場群が立ち並んでいるんだったな。その一角か?」

 

「ええ。後で詳細な地図をお渡ししましょうか?」

 

「ああ頼むよ」

 

 要塞地帯にも地図はあるらしい。越谷はありがたく受け取っておくことにした。

 

「では、今後の予定ですが、秘書などは必要ですか?」

 

「そんな予算、涌いてくるのかい?」

 

「涌いてくるなら、その他のところに使いますね」

 

「そうだろう。不要だ。まあ、暇を持て余しているのにクビを切れない厄介者が居たら回してくれ。給料分の働きをさせよう」

 

「了解しました。早速リストアップしておきます」

 

「本当に社長秘書を窓際にするつもりじゃあないだろうね……」

 

 そんなくだらないやりとりも挟みつつ、話は直近の予定に変わっていく。

 

「本来ならば明日からのご予定でしたが、明日はどうされますか?」

 

「明日はとりあえず顔合わせだ。その後、いろいろと視察をしたいと思う」

 

「視察、ですか。具体的にはどこを?」

 

「とりあえずすべての運転区と工場かな。現場と話がしたい」

 

 越谷はもともと現場出身である。採用は未だ鉄道省だった時代の車両整備部、その後は戦争を経て駅員経験を積んだ。その後は運輸指令の最前線にも立った。友人に運転士や車掌も多い。現場のつらさは身に染みているし、様々な現場を渡り歩いたからこそ、現場それぞれに独特な悩みがあることを知っていた。

 

「では、現場のトップを本社へ召喚すればいいのでは?わざわざ出向くこともないでしょう」

 

「トップと話しても仕方がないだろう。一番下と話すから実があるんだ。それと、秘匿性の無い会議には現場の者にも自由に発言させたい」

 

「お言葉ですが、不要と思います」

 

 幸谷の眼鏡の奥が光った気がした。そして、その光が急に険しくなる。

 

「社内秩序の維持、現場に上の事情を知られたくない、上の意思決定に下の意見の影響を入れたくない……理由はそんなとこかな?」

 

「ご明察です。流石ですね、幹部候補組の思考は手に取るようにお分かりだ」

 

 幸谷尚吾。国鉄からの出向組。国鉄本社で幹部組の出世街道を駆け抜けて通り過ぎてしまった人間だ。思考回路は確かに幹部組のそれに見える。

 

「伊達に叩き上げではないよ。きっかけは運だったとしても、運をつかみ取るために費やしたものは本物だ」

 

「流石は『英雄』越谷様だ。東京五輪(オリンピック)の奇跡の立役者は言うことが違う」

 

 幸谷は明らかに敵意をむき出しにする。やっと本性が現れたといった、越谷は面白そうに微笑む。

 

「今日初めて意見が食い違ったな」

 

「我々の意見が合うことの方が珍しいのです。私は、あなたとは真逆の出自なんですから」

 

「それは興味深い。いつかその話を聞かせていただきたいね。だが、今日のところは私に従ってもらおう。君とは仲良くしたいんだ」

 

 幸谷は、余所者が知った口を、とは思わない。なぜなら、越谷という男を知っているからだ。この男は無駄なことはしないし、それはきっと意味のあることなのだ。幸谷は意味のあることだからこそ反発した。

 

「この件に関しては従います。あくまでも、この会社の決定権は貴方にある。そして、私も貴方と敵対するのは本意ではない。『オリンピックの奇跡』のその後の、本当の越谷伝説を私は近くで見させて頂きましたからね」

 

 幸谷は眼鏡をヒクっと上下させた。まだ若いだろうに、その顔には苦労の跡がうかがえる。

 

「だが、鉄道は正しくあるべきだ。そして論理的に感情を排して行われるべきだ。秩序をもってあるべきだ。常に大局的であるべきだ。現場目線はミクロな視点でしかない。近視眼的観測は身を亡ぼすだけです」

 

「道理だね。だが、すべてではない」

 

 越谷は幸谷を肯定しつつ言い切った。幸谷は、越谷の腹の中にあるものを知りたかった。

 

「当面は貴方に従います。しかと、『例外』を見せていただきますよ」

 

「望むところよ。本庁勤務の幹部候補の人間のやり口、期待しているよ」

 

「過大な評価です。私はただの落ちこぼれですよ」

 

 笑顔で剣を応酬する、フェンシングのような会話が続く。

 

 越谷は思う。その性質上、国鉄とこの鉄道が仲が悪いのは承知の上である。だが、なにもこんな厄介者を送り込んでこなくてもいいだろうにと。越谷はつい先日まで所属していた自分の古巣を深く恨んだ。

 

 

 

 本社を出た越谷の頭上を、最新鋭の三〇式戦闘機が飛び去って行った。

 

 ここは尾羽。日本最北の市にして、三軍が睨みを利かす反共防衛の砦。

 

 そして、様々な想いを胸に、あるいは黒い思いを腹に宿した人間が交錯する、人間のターミナルである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 越谷は夕暮れの商店街のアーケードを歩いていた。威勢のいい声が響き渡り、いい匂いが充満する。

 

 この商店街は不死鳥(ふしちょう)通り商店街というらしい。尾羽駅から歩いて10分ほど。駅前というには少し遠いか。だが、この商店街は全国でも類を見ない珍しいものであると、越谷は気が付いた。

 

 足元を見る。すると、そこにあるのは石畳に覆われた線路であった。

 

 上を見る。そこには直流1500ボルトが流れるトロリ線、つまりは電線があった。

 

 そう、この商店街、路面電車が走るのである。

 

 試運転列車が警笛を鳴らしながらやってきた。真新しい青い車体は街の光を跳ね返している。

 

 5000系軌道線対応直流通勤電車。この鉄道の路面電車線、もとい軌道線の主力であるらしい車両だった。国鉄出身の越谷には、103系と言った方が耳なじみがあったが、形こそ103系なものの、その中身はまるで違った。

 

 103系は、首都圏等に投入された最新通勤型車両だった。越谷の管轄であった東京西鉄道管理局でも扱っている。汎用性が高く、信頼できる車両だった。

 

 この鉄道へと配置されたこの5000系は、そんな103系を元としつつ樺太用に耐寒・耐雪装備が施された改良型という。製造はプレアデス重工で、最近仲の良い武蔵野鉄道所沢車両工場と共同で開発に当たったようだ。

 

 武蔵野鉄道は最近、ブレーキの総合商社こと武鉄101系を登場させたばかりで、この車両はそんな101系の影響を色濃く受けていると越谷は聞いていた。

 

 最新型のその更に最新形態である。豪華なことだと越谷は思う。

 

「こんな大型車が路面電車ねえ……」

 

 路面電車にしては凶悪な巨大車体が、きしみながらカーブを曲がり迫ってくる。人々が気にも留めず避けていく姿を見ると、越谷はまるで台湾を見ているようだったと思った。

 

 運転士は女性だった。やはり樺太、そもそも慢性的に人手が不足しているのではないか。戦争中、男手が足りない時に女性が運転士を務めたという話はよく聞く。もっとも、現在は解消されているがその名残が残っている、ということもあり得る。ともかく、この街のライフスタイルや家族構成の傾向などを調べることは急務だと越谷は感じた。

 

 商店街を抜けると大通りに面する交差点がある。鉄路はここで分岐し、右へ曲がっていくものと直進し大通りを横切るものに分かれる。直進した先には少し大きめの駅があり、その駅には豪勢に作った車両基地が併設されていた。

 

 堂々の鉄筋コンクリート製で完全新造。その内容は国鉄のそこらの車両基地を凌駕するという。越谷としても、自らが所属していた東京西管区中央線・中野(なかの)電車区よりも豪華だと言わざるを得なかった。

 

 ハコと見栄えだけはよく作ったもんだと越谷は感心した。いわゆるハコモノだ。

 

 これは苦労をしそうだった。そんなことを思いながら、越谷は口角が上がっていることに気が付いた。

 

 越谷は楽しかった。なにもかもが楽しくて仕方がなかった。

 

 そんな越谷の後ろを、影がこっそりついていった。

 




武蔵野鉄道
 武蔵野地方に展開する、帝急グループと双璧をなす大鉄道グループ。主な路線は、新宿から東村山を結ぶ「新宿線」、国分寺から本川越へ至る「国分寺線」、池袋から秩父方面を結ぶ「秩父線」と「東上線」、秩父から館林へと至る「秩谷線」、浅草から日光を結ぶ「日光本線」などだ。
 他にも多数の路線を所有し、北関東を席巻する。

武蔵野鉄道101系
 秩父線飯能~秩父直通用に造られた新型通勤車両。当該区間は勾配が連続する難所であるため、ブレーキ装置にこだわった車両の投入が急務だったことから開発・製造された。
 国鉄101系とは関係が無い。

【武蔵野鉄道全集 初版1955年 改訂版1963年 三訂版1968年 北方談談社出版】

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