雪原の希望   作:矢神敏一

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「ケンタウロは懸命に走った。向井は懸命に鞭を振るった。隣には、サキノフルタスに乗った山田がいる。二人は目を合わせると、どちらともなくニヤリと笑った」
 走れケンタウロ 林田凛風・著 金沢文庫


19.~第一仕業~1レ:ワキ800

 さて、戦後処理である。久留米は立ち上がった。

 

 この際、ここまで大ごとになってしまえば、久留米は鵜沢に大目玉を食らうことは必至である。から、久留米は怒りを少しでも低減させるための有効な材料を、なんとしてでも見つけたかった。

 

 すなわち、久留米は今しがた停車した貨車に駆け寄り、物色を始める。

 

「あーあ、まただよ……」

 

 うなだれる機関士に声をかける。どうやら、操車場内での事故は今年度2例目らしく、各現場には相当な注意喚起がなされていたらしい。

 

 その若い機関士は、機関助士とともに顔を真っ青にして項垂れていた。

 

「私は海軍情報局の久留米よ。大丈夫、今回の事件はそちら側の責任事故ではないから」

 

 それを聞くと、機関士と側で聞いていた操車掛がほっとした顔を見せた。

 

「いきなりフル制動かかったもんだから、何が起きたのかと……。して、何がありました?」

 

 久留米は詳細をぼかしながらも機関士に状況を説明した。そして、邪魔にならないように当該の列車を使用頻度の低い番線へ押し込んでもらった。

 

 そうこうしているうちに、中央制御室から助役がスッとんできた。息せき切って走ってきた助役に、久留米は淡々と事情を聴く。

 

「この列車はどこ行き?」

 

「はぁ……え? なんですか?」

 

「この列車です。どこ行きですか?」

 

 混乱している様子の助役に代わり、少し落ち着いた様子の機関士が答えた。

 

「急行貨物の急貨522レ、農繰来行です。農繰来からは国鉄線へ継走となり、それぞれ大泊、久春内、真岡へ行く予定です」

 

 大泊は本土・北海道との一番メインの玄関口である。北海道で言うところの函館にあたる。

 真岡は小樽のような、どちらかと言うと裏の玄関口だ。

 久春内は、間宮海峡・日本海沿いの炭鉱街である。

 

「それ以外の荷物はない?」

 

「さぁ、途中で継走扱いになる貨車もありますから、一概にすべての貨車がどこに行くかは、把握しかねます」

 

 列車は直流軽機関車ED65-1504・直流汎用機関車EF65-2511を先頭とした17両編成。換算89.5車。貨車はバラエティに富んでおり、一般的な有蓋車から木材輸送の長物車、鉱物輸送の石炭車、ホッパ車など様々だ。

 

 久留米は、先ほどの貨車を探し当てる。が、とび色の貨車はたくさんあって見分けがつきにくい。が、そこで緑色の貨車が役に立った。

 

「あの奇抜な色から三両目、だったわ」

 

 軍用貨車「ワキ700形800番台」ワキ812。不気味な緑色に輝くその車体は、非常に見つけやすかった。

 

 その貨車から三両目。「ワム75713」と書かれた貨車があった。機関士は叫び声を上げる。

 

「なんで、ここにワムが!?」

 

 その声にびっくりして久留米は飛び上がる。それをみて機関士は軽く謝った後、久留米に訳を聞かせた。

 

「これはワム70000形貨車と呼ばれるもので、この貨車で出せる最高時速は75キロ毎時です。この列車は急行貨物列車なので最高時速は95キロ毎時……。脱線の恐れがありました」

 

 機関士とともに、操車掛がみるみる青ざめる。久留米は、二人の表情で事の重大さを理解した。

 

 貨車の扉に手をかける。鍵がかかっているようで開けられない。久留米は懐中から忍び錠を取り出して解錠し、戸を開けた。

 

 中には、紙で包装された銃器、手榴弾……危険物で一杯だった。停車の衝撃でか荷崩れも起きており、このまま運行を続けていれば危なかったであろうことは想像に難くない。

 

 戸を閉めようとすると、操車掛が待ったをかけた。

 

「おい、この荷票おかしいぞ」

 

 荷票には、軍需代用を示す「ミ」の文字が手書きで付け足されていた。これを見咎めた機関士が久留米に詰め寄る。

 

「ちょっと、勘弁してくださいよ。もし高速走行中に脱線していたらどうなったか……」

 

 軍需代用貨車の管理は軍の管轄である。もし、このミスを引き起こしたのが軍であれば、これは大変なことである。

 

 久留米はなんだか申し訳ない気持ちになって縮こまるが、しかしここで違和感を覚えた。

 

「いや待って、この貨車は何者かが工作をしていた貨車……」

 

 もう一度貨車の積み荷を見る。おおよそ軍用には供されないような銃器や、日本では一般に出回らない火器しか見当たらない。

 

「ああ、そうか、例の女は荷票に細工をしていたんだ」

 

 操車掛はそこに思い至り、ポンと手を打った。

 

「どういうことです?」

 

 察しの悪い機関士に、操車掛が説明する。

 

「いいか、このよくわからん貨車を軍用に化けさせるために、犯人は荷票に軍需代用記号の“ミ”を書き足したんだ。そうすれば、俺たち“操車掛(カッポレ)”もお前ら機関士(カマヤ)も、なんなら監査の人間(エライヤ)も、これが軍用だと信じて疑わなくなる」

 

 機関士はそう言われてやっと膝を打った。

 

「そうか。ぼくらも軍需代用と聞けばなるたけ触れないようにしますもんね。こりゃあ巧妙だ」

 

「敵をほめてどうするんだい! おかげで大惨事だ!」

 

 辺りには未だ鉄臭い匂いが漂っている。機関士は再びげんなりとした表情を浮かべる。

 

 その横で、久留米は笑みを浮かべていた。

 

「これは、これは素晴らしい」

 

「おいおい、アンタもかい……」

 

 操車掛が呆れたような声を出すが、次の瞬間に久留米の尋常ではない表情を見てぎょっとする。

 

「軍用貨車が悪用された。これはつまり、軍が被害を受けた、とまでは行かなくとも、軍が関与すべき事態になった、と強弁できる状況になったと言えるでしょう……」

 

 久留米は、腕にぐっと力を込めた。

 

「これは良い手土産ができましたよ」

 

 にっこにこ笑顔でそう語る久留米を、二人は意味が分からず顔を見合わせるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でかした! これで我々も独自に行動できるようになる。これで君の今までのアレコレもチャラだ!」

 

 鉄道電話で海情本部にそう報告した久留米は、直ちに南港の本部に召集され、そして参謀の激励を受けた。

 

「本当に大手柄ですよ、久留米さん。連中の新しい手口も発見して、しかもそれが軍と関係のあることだった。これで私達が行動を起こす口実になります。鵜沢さん、直ちに行動しましょう!」

 

 色めき立つ部下たちをよそに、鵜沢は一人静かだった。

 

「久留米君、とりあえず今回の君の独断専行は不問にしよう。ただ……」

 

 鵜沢は渋面を作る。

 

「まだ、こちらから積極的に動くことは止そうと思う」

 

「それは、なぜですか?」

 

 久留米は手柄をフイにされた気がして不機嫌な表情になる。これには日田井も久留米の肩を持った。

 

「ボス、確かに久留米さんは悪かったと思います。人の話は聞かないし屁理屈で行動するし暴れるし怪人二面相だしどうしようもないです。ですが……」

 

「酷い貶し方ね……」

 

 日田井の罵詈雑言に久留米はしょぼくれる。日田井は無視して続ける。

 

「ですが、今回は大手柄ですよ。密輸を事前に食い止めただけでなく、彼らの新しい手口まで発見したんですから。ご褒美にちょっとぐらい暴れさせたっていいじゃないですか」

 

「だから、久留米君の独断専行は不問に付すと言っているだろう?」

 

 鵜沢は諭すような笑みを浮かべた。

 

「いいかい。確かに今回は軍という“シンボル”が使用された案件だ。だが、“軍が関与した”訳ではない」

 

 そう言われて、日田井も久留米も押し黙る。

 

「我々の役目は、海軍内に“レッド”がいないかどうかの監査、取り締まり、そして処理だ。手当たり次第にアカを殴り飛ばすことが我々の仕事じゃあない」

 

 そんなことは百も承知。久留米は表情でそう語るが、鵜沢は認めない。

 

「もちろん、樺太においてはそんなことを言っていられないのもわかっている。だが、今はまだ早い。いいかい。海情はあくまでもパッスィヴで無ければならないのだよ」

 

 これには日田井もむくれてしまった。だが、当の久留米は受け入れたような顔をしている。

 

「仕方ありません。ここに引き取っていただくときの条件が、それでしたものね」

 

「ああそうだ。あの狂犬久留米がよくもここまで、と思うよ。だが、今の君ではまだ早い。こちらでも対応は練っておくから、君はしばらく待機するんだ。いいね?」

 

 しかたありません。肩をすくめてそのまま納得したように引き下がった。

 

 そんな久留米を、日田井は唖然とした表情で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海情が密輸事件において軍のシステムが悪用された事実を突き止めたらしい」

 

 公安の二野は部下にそう語った。

 

「……なんですって?」

 

「密輸に使われた貨車が、軍用であるかのように偽装されていたそうだ」

 

 部下は、あれまぁと小さく漏らすと、肩をすくめた。

 

「これで、我々公安の出番は終わりですかね」

 

 軍用貨車は海情の管轄でしょう。部下がそう言うと二野は頷いたが、肯定はしなかった。

 

「だが、通常貨車の検査は引き続き我々の管轄であり、そしてこれからも我々は検査を続けるさ」

 

「抑止力として必要なのはわかりますが、しかし成果を上げられますかね」

 

「わからん。だが、やるしかない。今度はただ密輸を防いだ、では駄目だ」

 

 今までは、密輸貨車を見つけ次第摘発し、その貨物をその先に行かせない。所謂水際防衛を迫られていた。

 

 だが、それではだめだと二野は言う。

 

「今までは発見し押収するだけ。これではダメだ……。何か策が欲しい。君、何かないかね」

 

 白羽の矢が立てられた部下は面食らう。が、数瞬の沈黙の後に口を開いた。

 

「公安においては、おとり捜査などの危険な操作も、まま認められることが多いと存じています。では、それを有効に使ってみては……」

 

「足りん。もっと具体的に」

 

 その気障なハンサム(ヅラ)にシワを寄せて、二野は部下に詰め寄る。部下はしどろもどろになりながら答えた。

 

「例えば、次に貨車を発見した際に、武装した隊員を積み荷の代わりに貨車に乗せ、本拠地へ強襲するというのはどうでしょうか」

 

 具体的に、と言われたので、むちゃくちゃな案をとりあえず提示してみた。部下は、こんな提案通るはずがないと思いながらも、とりあえず要求を満たせたことに満足した。

 

「……。なるほど」

 

 二野は、気障な前髪をしきりに触りながら何事かを考える。部下はそれを静かに見守った。二野は何かを考え、その答えにたどり着きそうなときはいつもこうするのだ。

 

「面白い案だ」

 

 その言葉で、樺太庁警察公安課尾羽支所の空気が、一変した。

 

「非常に奇抜で創造性があり、なおかつ効果的な案だと思う。その案でいこう」

 

「ちょっと待ってください。危険です!」

 

 言った本人が慌てて止める。だが、エリート崩れで自分に絶対の自信を持つ二野は聞く耳を持たない。

 

「大丈夫だ。こういう時は、策の確実性より奇抜性の方が大事なんだ」

 

 そんな……。部下の一人がつぶやいた。その後ろで、二野は満足げに宣言した。

 

「これより“鞍上の騎手”作戦を開始する!」

 

 二野が何事かを言い出した。部下はまるっきり意味が分からない。一体どんな勝算があるのかもわからないが、ともかくボスが何かを決めた。部下は、これに従わなくてはならない。

 

「失敗は許されない。次が恐らく、最初で最後のチャンスだ」

 

 なら、確実性のある策じゃなきゃダメなんじゃないですかね。

 

 部下のそんな独り言は、場内の無言の肯定を得ながらも完全に無視された。




ワキ800
 アフリカ戦線に向けて国内の高速軍需輸送の機運が高まったのを受けて設計された、軍用貨車。
 大日本帝国陸軍の所属。
 国鉄の書類上はワキ700の続番であるが、陸軍の資料では新規設計の扱いである。
 ワキ700との違いは、構造材の小変化と台車構造の安定化などである。
 また、大量に製造されたためにインフレナンバーが発生し、それぞれの製造時期によって大きく形態差がある。
 特に20800番台からはクレーンが撤去されるなど、原型のワキ700とは大きく異なる。
 最高速度は95km/h(本州)
 樺太においては樺太鉄道新法に伴う特例措置として110km/hまで許容される。

ワキ700
 航空魚雷や航空爆弾の輸送用に設計された、大日本帝国海軍所有の有蓋貨車。
 有蓋車の私有が認められた数少ない例である。
 魚雷・爆弾輸送に特化した構造になっており、一般荷物等の輸送には供されない。が、貨車に装備されているクレーンが必要な場面では、その限りではない。
 空軍設置に伴い、750番台が新製され大日本帝国空軍所属となった。
 最高速度は全て85km/hであるが、樺太内走行中または有事の際には95km/hまで許容される。

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