雪原の希望   作:矢神敏一

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「伊留真駅構内で事故」
 北樺太鉄道によると、伊留真駅構内で貨車が暴走し普通列車と接触。数名の重軽症者を出した。
 樺太地方での鉄道事故は大小合わせて今年五例目。
 安全意識の向上が必要だ。
(樺太報知 5月23日朝刊 第3版)


18.~第一仕業~1レ:突放

 久留米千佳子、と言う人物は、非常に形容しがたい精神性を持つ人間であった。

 

 例えば、治安の悪い西口地域における治安維持活動に際して、久留米は警護対象である現地女性従業員と大喧嘩を繰り広げたりしている。

 

 この間だって、あんまりにも彼女が暴れすぎるものだから公安から苦情が来たところだ。

 

 海軍情報局において直属の上司である鵜沢は、この久留米の取り扱いに非常に手をこまねいていた。

 

「久留米君、一応部外のことに関しては、我々は不干渉を貫かなくてはならないのでねえ……」

 

 憲兵組織的な性格を持つ海情は、“民”の騒動に首を突っ込んではいけない。なし崩し的に崩れつつある秩序を取り戻さんと、鵜沢はきつく久留米に釘を刺しているところである。

 

 そもそもとして、海情には公安的な捜査・執行権は存在しない。あるのは軍内部の調査権と軍に関係する事件の調査権、又は公安などのその他諜報機関並びにそれに準ずる機関による要請があった場合における執行のみである。

 

 つまり、ここ最近の久留米の行動は、完全な越権行為であった。

 

「いいかい、君は別に捜査をしなくて良い。要請があったときにだけ動けばいい。わかるね?」

 

 ああ、はい。と、ナマ返事が返ってくる。

 

「いいかい。君はね、少し暴れすぎなんだ。セクションとは必ず厳密に守るべきものであるから、これからは公安や私などから別命があるまで、必ず待機を行うこと。しばらくは、鉄道会社の人員としてよく働きなさい。いいね?」

 

 ああ、はい。このようなことには基本的にナマ返事しかしない久留米であったが、顔を見ると少しは反省をしているようだ。

 

「まったく……。頼んだよ」

 

 頭を下げる久留米。だが、その表情は飄々としていた。

 

 部屋を出ると、外で待っていた日田井がやってくる。

 

「じゃあ、しばらくはお暇ですね」

 

「何言ってるの。今から私は貨物駅へ行ってくるわ」

 

「はあ? 何を言ってるんです?」

 

 まったく反省をしていない久留米の言葉に、日田井は目を丸くする。

 

「ねえ、日田井君。私は捜査をするな、とは言われたけれども、犯行現場を見学するな、とは言われていないわ」

 

「いえ、見学も捜査の内に入ると思いますが……」

 

「だからね、今から犯行の現場を見学しに行くの。じゃあね」

 

 何も聞いていない久留米を止める手段を、日田井は有していなかった。

 

「あーあ、知らないよもう……」

 

 

 

 

 

 貨車が縦横無尽に走っている。数本の線路の間を、まるで暴走しているがごとく走り去る。

 

 いや、正確に言えば暴走していると言えなくもないのだ。なぜなら、貨車は機関車に突き飛ばされて無人で走っているからだ。

 

 係員がその“暴走貨車”に飛び乗り、ペダルを踏みこむ。ペダルに連結されたブレーキてこによってそれは制動力となり、“暴走貨車”は所定の位置で停止する。

 

 暴走は暴走でも、これは制御された暴走なのだ……。鉄道員は、今日もそう強弁する。

 

 この一連の活動を、人は「突放」と呼んだ。

 

 突放は命がけである。毎度死者が出る。残された未亡人の為に設立されたのがコーサイカイという組織で、そこが運営するキヨスクは未亡人の雇用確保という側面を持つ。

 

 その危険な突放は、当然のように尾羽でも行われていた。

 

 久留米は、その無人貨車の激走の合間を縫って走り回っていた。

 

「おおい、嬢ちゃん。そんなところでうろつかないでくれよ!」

 

 強面の男が怒鳴りつけてくる。きっと、久留米の事を心配しての事だろうから、B面久留米も怒鳴り返したりはしない。

 

「ごめんなさいねエ。なるべく気を付けるけど、私が死んだら塩でも撒いておいてね」

 

 久留米はそれだけ言い残してズンズン進む。言われた方の男は呆然としている。が、お構いなしだ。

 

 

 

 このように貨車が大量に並んでいる線路の事を、貨物側線と言う場合がある。

 

 これは、まさしく貨物側線であった。

 

 貨物側線には、多種多様な貨車が存在する。

 

 有蓋車、無蓋者、タンク車、長物車、ホッパー車、石炭車……。とび色に黒色、青色、緑色……。本当に多彩な貨車が行き交っている。

 

 有蓋車、というのは最も基本的な貨車で、まるで物置に車輪を付けたような形状をしている。しかし、外見は似たようなものでも、その用途や仕様は多岐にわたる。

 

 例えば、今久留米の目の前にある貨車は軍用の貨車である。濃緑に塗られたそれは、迷彩なのであろうか、色彩のない駅構内では悪目立ちしていた。

 

 軍の荷物は多岐にわたる。それを輸送するために軍は多数の貨車を配備しているが、しかしそれでは到底足りない。

 

 その足りない分は、国鉄などの貨車を間借りして用を足すこととなる。そういった貨車を、「軍需代用」と呼んだ。

 

 これは昭和30・40年代以降に生まれた比較的新しい用語で、アフリカ戦争に際して貨車が足りなくなったがために生まれた概念でもある。

 

 ゆえに、未だに統一された様式などが定まっていないのではあるが、現状においては、この「代用」は国鉄その他の貨車に対して、「ミ」という表記を貨車か荷票に対して行わなければならない。

 

 久留米の目の前の貨車の横には、古びた鉄道省由来の貨車がある。そこには、有蓋車を表す「ワム」の隣にそっと「ミ」の文字が書かれていた。

 

 軍用貨車は、基本的に検査は行われない。これは、文民に機密の文書やその他物資を検められることを、軍が嫌ったためである。

 

 久留米は荷票を確認する。行き先は、基地のある知取となっている。久留米はそれだけ確認してその場を離れた。軍用の貨車は今回は関係のないはずである。あまり、関係のない貨車にかけている時間はない。

 

 ひとつひとつ貨車を見ていくと、とび色の貨車があった。一般貨車だ。

 

 すると、人影がやってきて、その貨車のまわりでなにやら作業を始めた。

 

 作業員―――この場合は操車掛という―――であろうか? 久留米はそちらへ向かう。

 

 貨車の隙間からその人影を見つけた。よく見ると、女性のようだった。発鉄の制服を着た、若い女性である。

 

 操車掛には、屈強な男しかいない。軍隊もびっくりな力仕事であり、いつも死と隣り合わせの職だからである。

 

 ではなぜ、こんなところに若い女が?

 

 久留米は貨車がいきなり動き出さないか注意しながら、その若い女の動向を注視していた。

 

 若い女は、きょろきょろと周りを見回しながら、貨車に差さっていた荷票を抜き取り、懐から出した新しい紙をそこに入れた。

 

 ……久留米はハッとした。荷票の差し替え。この間の密輸事件の手口そのものだ。そして、この若い女こそが、久留米が探していた“裏切り者”である。

 

「ねえ、君」

 

 久留米は女に声を掛けた。女はビクリと身体を震わせると、いきなり走って逃げだした。

 

「待っ!?」

 

 追いかけようとした久留米の耳元を、銃声と銃弾が駆け抜けた。

 

 身をかがめて振り向くと、黒服を着込んだ男が拳銃を構えていた。

 

 男は久留米と目が合うと、貨車の陰にスッと隠れた。銃撃戦の構えだ。

 

「まどろっこしい。かくれんぼは嫌いよ」

 

 久留米は拳銃ではなく、懐の短刀を手に取り、そして猛然と駆けだす。

 

 驚いたのは男の方だ。走りくる久留米に向けて拳銃弾を放つ。弾のひとつが久留米の頬をかすめる。が、久留米は止まらない。

 

 しかし、足場は具合の悪い玉砂利である。久留米は足を滑らせて前のめりに倒れこむ。

 

 男は好機とばかりに久留米に襲い掛かる。が、それは久留米の罠だ。

 

 久留米は華麗に受け身を取ると、そのままはじけるように飛び上がり、短刀を男の喉元にまで切り込んだ。

 

 男は仰け反る。久留米は更に切りつけようと手を出すが、今度は反対に男に身体をはっしと掴まれ、そのまま揉み合いの体勢になってしまった。

 

 ゴロゴロと玉砂利の上を転がる体中に石が当たる。

 

 すると、汽笛がなった。そのまま、密輸貨物を載せた列車が動き出した。

 

 久留米は、男がニヤリと笑って気を抜いた一瞬を見逃さなかった。

 

 久留米は胸倉をつかみ、走り出した列車に男の頭をこすりつけた。速度を上げた列車は、男の戦闘力を奪うには十分な凶器になった。

 

 痛みのあまり、男は久留米をきつく抱き上げる。

 

 久留米は絡みついた体勢のまま、まるで切腹するかのように男の背中に刃を突き刺す。男のうめき声には一切の注意もくれず、そのまま男を引きはがした。

 

 列車は速度をゆっくりと上げる。止めなければ。久留米は男の身体を車輪に巻き込んで止めようと、線路に向かって男の身体を蹴り飛ばす。

 

 が、不意に後ろから二人目の男の毛むくじゃらな腕が伸びてきて、久留米を締め上げた。

 

 意識が飛びそうになる中で、久留米の精神は、恐怖より怒りが勝った。

 

 久留米は感情のままに後ろに向けてでたらめに引き金を引いた。

 

 久留米のノールック・ショットは見事男の身体をとらえ、男はそのまま崩れ落ちる。

 

 腕から解放された久留米は、男の()()()()を蹴り上げると、憎しみを込めて頭蓋へ向けて三発の銃弾を叩きこんだ。

 

 パン・パン・パン。

 

 規則的な音が鳴り響く。その音を合図にまたほかの男が飛び込んできた。

 

 久留米のフラストレーションは最高潮に達した。

 

 怒りに任せて、短刀を投擲する。

 

 それは見事に喉元に命中し、そのまま後ろに崩れ落ちた。

 

 久留米はやっと貨車の方を振り返る。もうすでに列車は遠くに行ってしまっている。

 

「止めなきゃ」

 

 久留米はおもむろに拳銃を構えた。

 

 いつもとは違い、しっかりと照星と照尺を合わせて、貨車の連結器を狙う。

 

 短く息を吐いて、引き金を引いた。

 

 銃声の後に、貨車から爆発音にも似た破裂音がした。

 

 ブレーキ管が撃ち抜かれたのだ。

 

 ブレーキ管から空気が漏れ出し、最大ブレーキが強制的に編成全体に掛かる。

 

 ドン、ギィィィィィ!

 

耳をつんざく轟音が鳴り響き、不愉快な金属音がこだまする。列車は煙を上げながら停止した。

 

 なんだなんだと操車掛が駆け寄ってくる。列車を運転していた機関士が、青ざめた顔で機関車から出てくる。

 

 久留米は申し訳ないと思いながらもそれには一瞥もくれず、短刀を回収した。

 

「おい、嬢ちゃん、大丈夫か……なんだこりゃあ!」

 

 久留米のことを心配していた先ほどの操車掛がやってきて、現場の惨状に目を覆った。

 

「ねえ、操車掛さん、若い女、見なかった?」

 

 久留米が何事もなかったかのようにそう問いかけると、操車掛は慄きながら答えた。

 

「お、お前さん以外見ちゃいねえよ……」

 

「そう……。ありがと」

 

 逃がしたか……。密輸は何とか防止したものの、肝心の裏切りものには逃げられてしまった。

 

 久留米は悔しくて臍を噛んだ。

 




バラスト
 レールの下に敷く砂利・砕石
 レールを安定化させ、列車の重量を石同士の摩擦や生じる空間などによって分散・低減させることによって軌道の変形や変化を軽減する
 一説では、船舶用語の「バラスト」と原義は同じで、空荷の船にバラストとして積み込んだ砂利を線路に撒いて軌道強化に使用したことから「バラスト」の名がついたとされる。
 近年ではバラストを必要としない「スラブ軌道」と呼ばれる軌道方式の採用が進んでおり、北樺太では旧線部分を流用している一部線区及び駅構内を除き、すべての線区でスラブ軌道化が完了している。
 北樺太鉄道・国鉄・北部樺太開発鉄道などによれば、樺太では砕石よりもコンクリート材料の方が安価かつ調達が容易なため、1980年度を目途に駅構内を含めた全線スラブ化を目指している。

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