雪原の希望   作:矢神敏一

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「飛行制限空域と言うものをですね、樺太においては意味あるものであるのかと言うその、議論をですね、した方がいいんではないかと言う話をですね」
 独特の口調で記者団に話す樺太知事 昭和40年10月2日朝刊 第1版 北方日話


特9.~第一仕業~1レ:雲行き怪しく。前方注意

 その日、越谷は尾羽南港の港湾局に居た。最上階の一つ下の、海が良く見渡せる場所。だんだんと解け始めた氷の大地は、もう少しすればたくさんの船舶が行き来するだろう。

 

 この部屋は港湾局ビルの展望台だ。一般に開放されており、誰でも許可なしで立ち入ることができる。部屋の中央にはここぞとばかりに港湾局の宣伝が掲示板に張り付けられている。が、それを見る観光客はまばらだ。越谷は、逆にまばらほどでも観光客が居ることに驚かされたのだが。

 

 ここは、もう一つ別の意味がある。海と陸の監視塔としての役目だ。

 

 一つ上の最上階では、港湾局の職員が船舶を監視・誘導している。では、ここでは何を監視しているか?

 

 答えは、窓辺であんぱんを咥えながら必死に凍てついた海を凝視している男にあった。男の名は日田井裕司。海軍情報局の構成員である。

 

「こちらイッシ―。流氷上に影がある。海軍管轄区の真東。岸壁から二キロ」

 

『了解。対処する』

 

 日田井が無線に呼びかけるとすぐに返答があり、眼下に見える海軍の詰所からワラワラと人が出ていった。

 

「なるほど、これは反共防衛の最前線だ」

 

 越谷はその姿を後ろから見ながらひとり納得した。

 

「兄貴、つまりあれかい、氷を渡って日本まで来るのかい」

 

 日田井も、そして今しがた「対処」のために出ていった海軍人も、赤軍対処の為に編成された特別部隊「海軍情報局」の面々である。

 

 彼らはつまり、流氷伝いにやってくる赤軍(と思しき者)の調査、保護、対処を行っているのである。

 

「ああそうだ。大昔の樺太・北海道先住民はそうやって交易していたらしい。奴らも、同じ手を使ったという訳だ」

 

 ついてきた宇佐美に、着任前に調べ上げたことを教える。

 

 自分で言ってきながら、越谷は、尾羽は常に脅威にさらされているのだと改めて認識する。

 

 そんな越谷の目線の先を、派手な青い塗装の飛行機が駆け抜ける。越谷はいささかびっくりした。

 

「驚いた。ここまで低空を飛行するのか」

 

 ビルの高さはもちろん制限空域より下である。尋常ならざる飛行に越谷は腰を抜かしそうになった。

 

「今のは何だい?」

 

「空軍の戦闘機だろう。懐かしいな、隼だ」

 

「なんでこんな低空飛行をしてるんだい?」

 

「ああ、それはだなあ」

 

 越谷はその問いに答えようとして口を開く。そして、ぽっかりと口を開けたまま言葉が出てこない。

 

「わからん」

 

「なんだ、兄貴ぃでもわかんないのか」

 

「分からんものは分からんのだ。まあそんなことはどうでもよろしい。問題は、ここが砦だということだよ」

 

 改めて、宇佐美はあたりを見渡してみる。

 

「すごいな。港が開いていない状態なのに、たくさんの貨物が集まっている。何の貨物だい? これは」

 

「それはバラバラだ。物流の動きが本格化するまでここで滞留している貨車もあれば、ここで臨検をしている貨車もある」

 

「臨検?」

 

「違法物資を運んでいないかどうかの検査だよ。日本でも、そんなのを行うのはここだけじゃないかな。正直、面食らったね」

 

 このタワーのもう一つの意義。それは、貨車の監視だ。このやや低めに作られたビルからは、海の様子と共に操車場の様子がよくわかる。ここは、貨車の監視塔も担っていた。

 

「へえ、そんなことしてるんだ」

 

「まあ、尾羽市街へ出る貨車だけらしいがな。市内行きは行わないよ」

 

「しかし、ここからの監視でわかるもんなんですかねえ」

 

「試してみますか?」

 

 疑問に思う宇佐美に双眼鏡を差し出したのは、先ほどまで海を凝視していた日田井だった。

 

「発鉄の越谷さんと宇佐美さんですよね。久留米から話を聞いています。どうですか?」

 

「いいんですか?」

 

 宇佐美は困惑している。だが、日田井はなんてことないよと肩をすくめた。

 

「ええどうぞ。空軍の戦闘機が飛んでったので、暫く敵は姿を見せませんから」

 

「はあ、なら……。あ、兄貴の分もあるよ」

 

「おお、これは。ありがとうございます」

 

 礼を言って双眼鏡を受け取ると、貨車の方を覗く。

 

「ほう、意外と見えるものだな。お、見てみろ。車番までしっかり見えるぞ。ワムの37564だ。ミ・ナ・ゴ・ロ・シで覚えると覚えやすいな」

 

「ワム……ですか。なんですか?それ」

 

 聞いたことない、と日田井は額にしわを寄せる。

 

「ああ、有蓋車と呼ばれる貨車です。小さな倉庫のような貨車ですよ」

 

 そう言うと、合点がいったとばかりに日田井は顔をほころばせた。

 

「ああ、あれですか。あれの検査はここではやらないんですよ」

 

「え、そうなんですか?」

 

 今度は越谷が眉をひそめる番だった。初耳の情報だ。

 

「ええ。確か伊留真駅まで回送して検査を行うはずです」

 

「ああ、そうなんですか。じゃあここでは……」

 

「コンテナとその他貨車だけなはずです」

 

 なるほど、と越谷は相槌を打つ。自分の鉄道の事なのに、知らないことばかりだ。越谷は未だつかみきれないこの街と鉄道の全容に眩暈がする思いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥鈴谷で事故ですって」

 

 三日後、越谷が出社するなり電話のマイクを片手で塞いだ幸谷がそう伝えた。越谷はすぐさま机に戻り、国鉄謹製メモセットを引っ張り出す。

 幸谷は、電話の相手に礼を言って受話器を置いた。

 

「奥鈴谷……というと、南樺太の方か。豊原の近くか?」

 

 電話を終えた幸谷に越谷は聞いてみる。どうやら幸谷の電話の相手は、豊原にいる彼の元同僚らしかった。

 

「豊原から出ている豊真線の旧線ですね。えーっと、確か鈴谷線だったかな」

 

「ああ思い出した。旧線を復旧させた鈴谷線か。たしか奥鈴谷から鈴谷の間は線路状態も悪かったな」

 

「ええ。どうやら貨物の事故らしく、現状では軌道破壊による脱線の可能性が高いそうです」

 

 南樺太の南での事故。北の端の小規模鉄道にとってはなんら関係のないことではあるが、しかしそれでも気になるのである。

 

 整備が行き届いていないローカル線での事故。明日は、とまでも行かなくても、数年後には我が身だ。

 

 我らが”発鉄”は、準高速・高密度運転に対応した屈指の高規格路線だ。しかし、それは開業直後の現在だから言えることだ。

 高規格と言うことは、整備維持に費用がかさむということ。今後、もし経営が悪化して整備が行き届かなくなってしまったら……。

 そう遠くない将来、この高規格線を維持できなくなる可能性がある。さすれば、同様の事故が起きてもおかしくない。発鉄としても、他人事ではないのである。

 

 越谷は幸谷に、事故の詳細を求める。幸谷は今しがたの話をメモで整理すると、「暫定情報ですけれど」と前置きしたうえで話し始めた。

 

「発生現場は鈴谷駅北方11キロポスト地点。当該はEF62牽引の普通貨物。有蓋車3両編成で、中一両が脱輪したようです」

 

「二軸の普通貨物か。ちょうど峠を越えて一安心と言った区間だな。気を緩めて速度を出し過ぎたか、それともブレーキが効かなかったか。どちらにせよ速度超過だろうな」

 

 そんな推測をしていると、久留里(くるり)美里記者が顔を出した。

 

「どもっ! 毎度です美里です。どうかされましたか?」

 

「おお美里さん。ちょうど、奥鈴谷で事故があったと聞いたもので。その話を」

 

「ああ今朝の事故ですか。派手にやったそうじゃないですか」

 

 美里記者がもう情報を手に入れていることに幸谷は驚いた。

 

「もう取材してきたんですか?」

 

「いや、本社から事故の一報が入りましてね。もしかしたらこの後取材に行くかもしれません」

 

「なるほど、そういうことですか。しかし、脱線事故とは恐ろしいものだな。今回はまだ軽微な被害で済みましたが、時と場合が違えば、死人が出ていたかもしれない。どうだ、桐谷。我が社で類似の事例が出てくる可能性はあるのか」

 

 幸谷が桐谷に話しかけると、桐谷は至極面倒くさそうに答える。

 

「ああ、同様事例? あるんじゃないの」

 

「あるんじゃないのとはなんだ。やる気がないな。首を飛ばしてやろうか」

 

 売り言葉に買い言葉。一触即発と言った感じで二人はそのまま言い争いに入る。

 

「具体的な資料もクソもねえのに検討できるかってんだ。それに、事故は起こるときは起こる。“起こり得ない”なんて返答を期待してんなら、新人教育からやり直しな」

 

「ほーお。頭まで機械油で詰まってる貴様にはわからんだろうが、こういう場合は想定しうる最も具体的な返答をすべきだ。そんな具体性のかけらもない答えでよくもまあ幹部職が務まるな。貴様こそ、新人からやり直した方がいいんじゃないかな」

 

「あんだぁ! やるかクソ眼鏡!」

 

「上等だ! 貴様の油を精製して、予備発電機の中で腐らせてやろうじゃないか!」

 

「やめんか二人とも!」

 

 つかみかからんばかりの勢いで殺気だった二人を、越谷は慌てて止めた。

 

 このまま二人に会話をさせておくと、また喧嘩を始めそうである。美里記者は無理やり越谷に話を持っていく。

 

「そういえば事故と言えば、越谷社長は武蔵境事件で一躍有名になられましたが、武蔵境事件の立役者であり西東京鉄道管理局長でもあった越谷さんから、何か事故について一言ございますか?」

 

「ん? ああ、武蔵境事件かあ。懐かしいなあ」

 

 越谷は、久しぶりに聞いたその言葉を口の中で転がした。

 

「失礼。私はその言葉を始めて聞きまして。なんですか? それ」

 

 瀬戸が恥ずかしそうに聞いてくる。

 

「そうか、鉄道畑の人間じゃないとなかなか知らないかもな。それに、今から十年以上も前の話だ」

 

「とすると、1960年前後ですか?」

 

「そうだ。中央東線武蔵境駅で起きた重大事故未遂のことだ」

 

「ああ、なら私は丁度満州に居ました。なるほど、道理で知らないわけです。そんなに大きな事故だったのですか?」

 

「いや、事故は防がれましたよ。越谷社長のおかげでね」

 

 宇佐美が、まるでわがことのように自慢げに話す。

 

「今でも思い出すよ。アレは夏の盛りに差し掛かる直前だった……」

 

 

 

 無閉塞運転というのを知っているかな?鉄道において(閉塞)信号が赤の場合に、一旦停止後安全を確認すれば時速15キロ以下で赤信号を無視していいという特例による運転の事だ。

 

 いろいろとルールがあって、例えば駅に入る前等の(絶対)信号は無視してはいけないとかいろいろとあるのだが、ともかくそういうモノがあるのだ。

 

 これは、その特例が引き起こした事故未遂だ。

 

 私は当時、中央東線武蔵境駅で駅員をやっていた。その日は梅雨が引っ張てきた大雨で視界が悪く、更に本線に微妙な遅れが出ていた。

 

 当時武蔵境駅は、調布飛行場行の燃料輸送車や弾薬車、または回送の蒸気機関車やらが停車中だった。これは中央線遅れに伴うもので、普段はこの時間にここまで貨車が滞留するこはない。

 

 そして、下りホームに普通新宿発甲府行2435レが停車中。これが9時36分発のところ、9時41分発車予定で5分遅れ。

 

 そしてそのすぐ後方、三鷹駅では東京発浅川(現:高尾)行472Hが3分遅れで発車した。

 

 詳しい経過は省略するが、ともかくこの472Hが重大なミスをする。武蔵境駅に2435レが停車中だから、427Hには赤信号が現示される。それなのに427Hはこちらに向かって速いスピードで向かってくる。そう、無閉塞運転だ。

 

 だが、無閉塞運転で定められた時速15キロを大幅に超過しているように見えた。そして、駅の手前で停車しようとしているようには見えなかった。

 

 駅を見ると、まだ2435レは発車しておらず、そしてその周りには、弾薬や燃料を満載した貨車がたくさん居た。

 

 私はまずいと思って、カンテラ(信号灯)を持って427Hの方へ向かって駆け出した。

 

「止まれ!止まれ!」と叫びながら走ったら、427Hの運転士がようやく事態に気が付いて非常ブレーキを掛けた。

 

 427Hが停車した時、目の前の車輛との間隔はたった数センチだったよ。

 

 これが武蔵境事件の顛末さ。

 

 

 

「記録によると当時、確かに武蔵境駅には調布基地への石油列車などが存在していました。もし社長が事故を防いでいなかったら、立川の様に、駅や町が火の海になっていたであろうことは想像に難くありません」

 

「そうだな、当時は“立川の二の舞”を防いだとして、新聞やニュースにも大きく載ったもんだ。いやまあ、とっさの行動がこんなに大きく報道されるとは思わなかったよ」

 

「へえ、そんなことが」

 

 瀬戸は大きく感心して見せた。越谷にとっては慣れたことではあるが、それでもやはり気恥ずかしかった。

 

「ま、大したことではないさ。時期が時期だけに、取り沙汰されただけだ」

 

「立川事故から5年の節目でしたものね。市民は大盛り上がり、国鉄としても、世間が『国鉄は成長した!』と浮かれているうちに対策を練って、批判を避けたかったでしょうし。政治的な浮力があったことは間違いないですが、それを差し引いても、社長のご活躍は立派なものではないでしょうか」

 

「立川事故はこの件と同様の事例で事故に至り、それで街が一つ焼けたからなあ。それを防いだとあっては、国鉄本省は私をないがしろに出来なかったというわけだ。まあ、ないがしろにしてくれてても良かったのだがね。面倒が少なくて済む。ああ、そういえば、陸軍が国鉄に対してあたりを強くし始めたのはこの辺りの時期だったね」

 

 自分の昔話をされるのがこそばゆくなってきた越谷は、これまた強引に話を変えた。

 

「まあ自分の基地を火の海にされたら誰でも怒るとは思いますよ。それにしても陰湿だなあと思いますけれどね」

 

「まったく、もう少し話の分かる連中だと思ったのだがなあ」

 

 陸軍人は頭が固くて仕方がない、とひとしきり陸軍の悪口で盛り上がっているところで、越谷は後ろから肩を叩かれた。

 

「社長、ちょっとよろしいですか?」

 

 越谷が振り向くと、そこには久留米が居た。

 

「おっと、君は確か三軍委経由でウチに来たんだったな。すまん、悪く思わないでくれ」

 

 越谷は、少しバツが悪くなって久留米に謝罪した。すると久留米は、きょとんとした顔をした。

 

「え? ああ、私は海軍の出ですから。そういう方面は陸軍の熱血漢サマのお仕事です。それはさておき、今から早退させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 久留米の反応があまりにも冷めたものだったので、越谷は肩透かしを食らった気分になる。まあいいやと、越谷は久留米の要件を聞くことにした。

 

「なんだ、そんなことか。なにかあったかい?」

 

「先ほどの脱線の件で、海情に呼ばれました」

 

「へえ、そうなのか」

 

 脱線になんで情報組織が関わっているのかよくわからないが、とりあえず越谷はOKを出した。

 

「しかし困りました。こんなことになるとは思っていなかったのでカメラを忘れてしまいました」

 

「あ、それなら、私もご一緒してもよろしいですか?」

 

 困り顔の久留米に、美里が助け舟を出した。

 

「私もこの後行く予定だったんです。どうですか?」

 

「うーん、しかし……」

 

 予想外に渋る久留米に対し、美里は不思議に思いながらも説得にかかった。

 

「お邪魔は致しませんから、ね?」

 

「まあそういうことなら。では、申し訳ありませんが写真撮影をお願いいたします」

 

 その言葉を聞いて、美里は頬を紅潮させながら飛び上がって喜んだ。

 

「しかし、久留米君。一体なんで君が呼ばれたんだ? 民間人一人同行させるのがためらわれる現場なんて、どんな現場だい」

 

 久留米の態度を不思議に思った越谷は、久留米にそう質した。すると久留米は、手を頬に当てながら困ったように漏らした。

 

「詳しくは言えないのですが、実は赤軍関係らしくて」

 

「なんだってえ!」

 

 社内の人間が一斉にこちらに注目する。

 

 ここは対ソ防衛の殿。国内の赤軍情勢はまるで他人事ではないのだ。

 

「え、ちょっと待ってください。脱線って、そういう脱線ですか? これテロですか?」

 

 サーっと血の気が引いてくる美里。ずりずりと後ずさりを始める美里の腕を、久留米はがっしりと掴んだ。

 

「では、よろしくお願いいたしますね」

 

「ヒイイ」

 

 物騒な言葉が飛び交う狂騒の中で、越谷はただ一人考えていた。これから何が起こるのだろうかと、そして、この鉄道の未来はどうなるのであろうかと。

 

「久留米君、何かわかったら連絡してくれ。情報を知りたいし、何か協力できるかもしれん」

 

「ありがとうございます。では」

 

「え、本当に、ほんとにですかぁ!?」

 

 引きずられていく美里を見送りながら、越谷は数十年前の大陸戦線に思いをはせた。

 

「これは、荒れそうだな」

 

 窓から空を見上げる。空からは、雪が降り始めた。

 

 越谷はまるで、音もなく何かが忍び寄ってきているように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか軍事機密の取材をすることになるなんて思っていませんでしたよ」

 

 美里は涙目になりながらシャッターを切る。目の前には惨状が広がっていた。

 

 機関車が脱輪した状態で止まっている。その次の貨車は斜めになっていて、そしてその後ろの貨車が横倒しになっていた。幸いにも被害者は出なかったが、無残にも引き裂かれた車輛たちの断末魔が聞こえてくるような現場だった。

 

 貨車は脱線の衝撃で破壊されていて、荷物が散乱している。そしてその荷物は、黒光りする凶悪な得物。AK-47を含む東側兵器だった。

 

「しかし、これは……」

 

「カラシニコフ、トカレフ、RPG-2、及びその弾薬。舐められたものです」

 

 線路脇に散乱する武器を一瞥して、久留米はそう吐き捨てる。

 

「これ、密輸ですか?」

 

「ええ、大方到着先は大泊港でしょう。大泊港の端は今工事中で、アカの拠点になりやすいんです。ああ美里さん。これの写真、お願いします」

 

 久留米は分析しながら、目に留まったものを美里に撮らせた。

 

「久留米さん、私雑誌記者ですよ。本当にいいんですか?」

 

「ええ構いません。まあ、その代わり、情報の管理は私にさせていただきますけれど、その分お礼は致しますよ」

 

 にっこりと笑う久留米の顔が、今までに見たことないぐらいに恐ろしいものだと美里は身震いした。

 

 その禍々しい微笑に今日何度目かわからない血の気が引く思いを感じつつ、美里は取材を続けた。

 

「ところで久留里さんは、この脱線は赤軍のテロとお考えですか?」

 

「いや、それはないでしょう。テロリストからしたら、この脱線で武器密輸の存在が露見してしまった訳ですしまったくもって不幸な事故だったと言うことができると思いますよ」

 

「はあ、となるとこれは単なる事故……。原因はなんでしょうか」

 

「それはちょっと私は門外漢なので……。ちょっと調べてみましょうか」

 

 そう言って久留米は現場へと近づいた。現場に近づくほどに、何やら揉めている声が聞こえて来た。

 

 見てみると、声の主は警備の軍人と作業服に身を包んだ役人だった。

 

 一人は動輪のマークを、もう一人は「運輸省」と書かれた名札を持っていた。

 

 彼らは、彼らの現場入りを阻止せんとする警備の軍人と押し問答を繰り返していた。

 

「事故調査は我々の管轄でしょう。なんでそちらが出張ってくるんだ」

 

「これは単なる脱線事故の領域を超えたんです。もう既に高度な政治性を有する事態に発展しています。以後は、陸軍が事故調査を担当します」

 

「あのねえ。これは国鉄管内の、国鉄車輛の事故なんですよ。実際、国鉄機関士が怪我をしているんだ。この件は国鉄案件です。国鉄に調査をさせなさい」

 

「いやいや、国鉄による調査では中立性が担保できないでしょう。こっちは武蔵境の事故で証拠の保全をそちらが怠ったことを忘れてはいないのですよ。ここはしっかりと事故調が……」

 

 ついに陸軍・国鉄・事故調査委員会が三つ巴の言い争いを繰り広げはじめた。堂々巡りの議論ののちに、ついに陸軍の兵士が口を滑らす。

 

「あのですねえ。先ほどから申し上げている通り、これは既に国防レベルの話に発展しているんです。イチ外局の人間なんて通せるわけが……」

 

「なんだとぉ!」

 

「イチ外局と言ったな!そうかそうか、よく覚えておきたまえよその言葉を!」

 

 まさに電光石火。軍人の失言に、そろそろ堪忍ならんという思いの役人どもは雷に撃たれた花火のように怒り始めた。

 

「運輸省経由できっちり苦情は通させてもらうからな!」

 

「軍用列車なんざ止めてやらぁ!」

 

「おうおうおう上等じゃ! 基地一個街ごと吹き飛ばしたモンらのクセに生意気じゃのう! やれるもんならやってみぃ!」

 

「ちょっと、君!落ち着いて!」

 

 丁度現場に到着した警察官が、その様子を見て止めに入る。青い制服に身を包んだ警察官。きっと所轄の者だろう。

 

 久留米と美里は、これで騒動が収まると思った。

 

「はい、はい! 樺太庁警です! この事故の管轄は我々ですから、どうぞお引き取りください!」

 

 だが現実には、火に油を注ぐ結果にしかならなかったようだ。

 

「なんだとぉ!警察風情に何が解る! だいたいいつもいつも何かあると証拠品をかっさらいやがって! 捜査能力もないくせに威張るな!」

 

「これは既に国防問題だとさっきから申し上げている! 外局風情も警察風情も、通す訳にはいかない!」

 

「事故の捜査権は警察にある! それを捻じ曲げるとは何事か! 偉ぶった奴らの言い分を聞いては司法が歪む! ええいここは、なにがあっても通させていただくぞ!」

 

「コラッ! ピストル野郎が無理をするな! こっちは小銃だぞ!」

 

「貴様ごときにピストルなんぞ使うかいな! 腰抜け一兵卒め、警棒で十分じゃ!」

 

 ついに乱闘騒ぎ一歩手前と言ったところで、鉄道連隊の人間が到着した。軍の制服を見て、騒ぎは鉄道連隊の人間にまで広がった。

 

「オイ貴様あ! 貴様も軍人だなぁ?」

 

「まずはおめえさんからじゃあ!」

 

「オイ、馬鹿、わしらは何もしとらん!」

 

 すったもんだの大騒ぎへと発展したのを見届けて、久留米と美里の二人は静かに事故現場へと向かった。

 

「お疲れ様です、的場さん」

 

「ああ、久留米さんじゃないですか。お疲れ様です」

 

 久留米は、作業をしていた一人に声をかけた。その男は作業の手を止めると、久留米に軽く会釈した。

 

「原因は何ですか?」

 

「速度超過による軌道破壊がもたらした脱線でしょう。まあ、もしくは他に要因がある可能性もありますが、現在のところ作為的なものではないと思われます」

 

「そうですか。詳しく見ても?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 許可を得ると、久留米はぐちゃぐちゃにひしゃげた貨車のそばまで足を進める。

 

「車番がかろうじて読めるわね。ワム37564……。この貨車のここ数日間の動きを追わないと」

 

 久留米はポケットから電話機のようなものを取り出す。

 

「それ、なんですか?」

 

「携帯電話ですよ。的場さん、電信は生きてますか?」

 

「大丈夫ですよ。3スパン向こうの柱です」

 

「すみませんどうも」

 

 久留米は的場に礼を言うと、現場から三つ離れた架線柱へ向かった。そして『携帯電話』から伸びるコードを、架線柱に突き刺した。

 

「こうすると、電話ができるんですよ」

 

「へえ、鉄道電話ですか。便利ですね。一般にも開放したらよろしいのに」

 

「そうしたら輻輳(ふくそう)しちゃいますよ」

 

 久留米は笑いながら電話を掛けた。

 

「ああもしもし……はい、久留米です。事故の件ですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒電話が鳴き声を上げたのは、定時近くの16時50分だった。越谷が電話を受け取ると、電話の相手は久留米だった。

 

「おお、久留米君か。何かわかったのか?」

 

『はい、とりあえず脱線は事故らしいことと、当該貨車の車番が分かりました。そちらの情報網を通じてこの貨車の足取りを調べていただきたいのです』

 

「分かった。……信頼できる人物の方がいいよな?」

 

『ああいえ、調査自体はこちらでダブルチェックをするので、別に特に配慮の必要性はありません。それに、しばらくすれば情報規制も解除されるはずなので』

 

「そうかわかった。ちょっと待ってくれ」

 

 越谷は国鉄謹製メモセットを用意した。書き留める体制が整ってから、久留米に先を促した。

 

「では、車番を頼む」

 

『えー、事故当該はワム74203・37564・38674で、脱線し密輸兵器があることが確認されたのがワム37564のみです』

 

「えーと、ワムの37564を調べればいいんだな。37564か。ミ・ナ・ゴ・ロ・シで覚えれば覚えやすいな。……あっ」

 

 越谷は思わず声を上げる。その声に、電話口の向こうで久留米が訝しがる。

 

『どうかされましたか?』

 

「めんどくさいことになった。帰って来てから話すよ」

 

 越谷はそれだけ言って電話を切った。

 

「兄貴、それって……」

 

「ああ、不味いことになった」

 

 ワム37564。ミ・ナ・ゴ・ロ・シの語呂合わせで覚えていたそれは、つい数日前に彼らが目撃したそれだった。

 

 

 

「これは、不味い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、分かってるな?」

 

 暗い部屋の中で、男は問いかける。この極寒地であるにも関わらず、隙間風が吹きすさぶようなところで、男は黙り込んだ女に詰め寄る。

 

「……」

 

 無言を貫く女に、男は忌々し気にモノを投げた。

 

「聞いてるんだ!」

 

 女はひるんでその場にへたり込み、祈るように目を閉じる。

 

「良いか。港から密輸兵器(ブツ)が上がったら、貨車に乗せる。お前は“徴用貨車”と書かれた札と、荷票を軍用に偽装したものに変えればいいんだ。できなかったら、わかるよな?」

 

 男は武器など使わない。服も着ていない。だがそれゆえに、女にとっては恐怖でしかなかった。

 

「全ては来る革命の為に」

 

 男は女の頤を上げると、喉元に無理やり口づけをした。

 

「もちろんです、兄さん」

 

 三田恵子は、涙を流しながらそうつぶやいた。

 




鈴谷線
 豊真線の廃止された奥鈴谷~豊原間を、都市型鉄道として復活させた区間。国鉄において廃止区間が復活するのは異例のことで、日本全国を見ても珍しい。
 近隣には樺太全土の面倒を見る国鉄鈴谷工場などが建設され、ベッドタウン輸送とともに鉄道保守も担う。
 しかしながら復活線と言うことで放置されていた期間が長く、また復活から間が開いていないためか線路は荒れ気味である。
 低速貨物列車などの疎開線としての活用もなされているため、整備が急がれる。

 北方日話 昭和44年8月11日 第2版 朝刊

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