このすば*Elona   作:hasebe

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第91話 潜入! アレクセイ屋敷

 アクセルの領主であるアルダープ、フルネームをアレクセイ・バーネス・アルダープ。

 かつて、女神エリスは、あなたとの話の中で彼の屋敷をこう評した。

 

 ――なんかあそこは嫌な予感がするんだよね。できるだけ近付きたくないっていうか。

 

 女神エリスの友人であるダクネスを狙っていることもあって、アルダープは彼女から快く思われていないわけだが、それを差し引いても彼には何か秘密があるようだ。

 今回あなた達が侵入するのはアクセルにある本宅ではなく別荘。しかし女神エリスは本宅と同様に嫌なモノを感じているのだという。いやがうえにもあなたの期待は高まろうというものである。

 

 

 

 

 

 

「……誰もいないね」

 

 現在時刻は午前二時を回ろうかというところ。

 一階にあるキッチンのがたついた窓を外し、あっけなく侵入を果たしたあなた達だったが、女神エリスの声が示すとおり、アルダープの別荘は、申し訳程度に立っている夜警の門番以外には屋敷内の巡回をしている見張りすらいなかった。

 王都の貴族の間では悪徳貴族を狙う義賊が結構な噂になっているというのに、である。

 あなた達は今まで何度か貴族の宅邸に侵入してきたが、ここまで隙だらけな家は初めてだった。

 最初から盗まれてもいい物しか置いていないからこその無防備っぷりなのか、あるいは侵入されても問題無いと高を括っているのか。

 

「警備もそうだけど、罠発見スキルも何回使っても何も引っかからないんだよね。あたしの考えすぎだったのかなあ……」

 

 いくらアルダープとて、まさか自分が義賊に狙われないような善良な貴族だと考えているわけではないだろう。

 市井で噂になる程度には悪徳領主だと認識されている彼は、実際何度も王都の査察を受けている。

 しかしどれだけ査察団がアルダープやその周囲を調べても、不正や悪事の証拠は一切出てこず、限りなく黒に近い灰色として今もアクセルの領主の椅子に座っている。

 王家の信頼の厚いダスティネス家がアルダープを見張る為にアクセルに居を構えていると説明すれば、彼の黒さがどれほどのものかはおのずと分かるというものだ。腐ったドブ川級だね、とは女神エリスの言葉である。

 

 そんな彼の屋敷を宝感知スキルとあなたの暗視能力を頼りに探索するあなた達は、やがて一つの部屋の前に辿り着いた。

 

「スキルの反応はこの中だね。うん、罠は無し。しかしひっどい扉だね。持ち主の人間性が透けて見えるみたい。……え、辛辣すぎないかって? むしろ人として当然の感想じゃないかな」

 

 部屋の扉にはダクネスによく似た女性の絵が彫られており、更に金銀宝石でゴテゴテとした飾り付けがされている。

 彼のダクネスへの妄執が感じられる上に非常に悪趣味だが、扉を外して持って帰るだけでちょっとした財産にはなりそうだ。

 しかし三階建てである屋敷の二階、その中央に位置するここは宝物庫と呼ぶにはあまりにもおおっぴらな場所にある。ここは何の部屋なのだろう。

 

「入ってからのお楽しみってね。鍵は……オッケー、開いたよ。共犯者クン。準備と覚悟はいい?」

 

 女神エリスが扉に手をかける。その瞬間――

 

 

 

 ――ヒューヒュー! ヒュー、ヒュヒュー!

 

 

 

 どこからか、風の音のような何かが聞こえた。

 窓でも開いているのだろうかと近くの窓ガラスに目を向けるも、近くの窓は全てしっかりと締め切られている。隙間風にカーテンが揺れたりもしていない。

 

「……うーん、()()()()()()()()かあ。ごめんね共犯者クン。あたしの勘違いだったみたい」

 

 扉から手を放し、小さな声で謝罪してくる女神エリス。

 あなたは眉根を顰めて盗賊少女を叱咤した。

 

「だ、だからごめんってば。もう、そんなに怒らないでよ。凄腕盗賊のクリスさんだってたまには調子が悪い日くらいあるってなもんさ」

 

 気まずそうに口を尖らせる女神エリスだが、あなたの言っているのはそういう事ではなかった。

 彼女は寝ぼけているのだろうか。あるいはからかわれているのか。

 女神エリスの意図がさっぱり読めないが、今は口論をしている場面ではない。

 あなたはさっさと部屋の中に入ろうと少女を急かす。

 

「うん? やだなあ、共犯者クン。何を言ってるの? あれだけ念入りに調べてもこの部屋には()()()()()()()()()()()()()でしょ?」

 

 あっけらかんと言い放ったその言葉に、今度こそあなたは目を見開き凍りついた。

 

 背筋に虫が這うような怖気が走り、急速に違和感が膨れ上がっていく。

 あなたにからかわれたと思っているのだろう。目の前で苦笑いする女神エリスは冗談で言っているようには見えず、だからこそ気持ち悪いとあなたは感じた。

 

 おかしいのは自分なのか、女神エリスなのか。

 

 宝感知スキルに反応があったのはこの部屋の中だ。他ならぬ彼女本人がそう言った。何も無いわけがない。

 そしてあなた達はまだこの部屋に入っていない。少なくとも、あなたの認識ではそうなっている。

 入っていないのに、女神エリスの中ではいつの間にか入って、探索し終えた事になってしまっている。

 互いの認識と会話が噛み合っていない。

 

 事ここに至り、あなたは自身が何かしらの影響下にある事すら念頭に置き始めていた。

 片や廃人とはいえ定命の只人。片や人並に弱体化しているとはいえ女神の化身。

 自身の正気を疑う理由としては十分に過ぎる。

 

 あなたは右手を女神エリスに見えないように背中に回し、妹に合図を送った。

 もし妹もこの部屋の中に入ったと認識しているのであれば包丁を一本。

 そうでなければ二本、自分の右手に握らせろと。

 

 直接口頭で言わせなかったのは、女神エリスが妹の声を聞けてしまうからだ。

 

 あなたの意図を正しく読み取った妹は、黙したままあなたの指示通りに行動する。

 ……果たして、あなたの手の中に包丁は二本あった。

 妹はあなたと同様に、この部屋には入っていないと自覚しているようだ。あなたはほんの少しだけ、覆面の下で表情を和らげた。

 完全に確定したわけではないが、多少なりとも天秤は女神エリスが何かしらの影響を受けた方に傾いた。

 

 先ほどの女神エリスが言っていたとおり、ここには確かに何かがあるのだろう。

 足早に立ち去ろうとする女神エリスの肩を掴み、あなたはでまかせの提案をした。

 部屋の中から違和感を感じた。部屋を出る寸前におかしなものを見た気がする。もう一度入ってみよう、と。

 

「えー……何も無かったんだし別にいいでしょ?」

 

 硬質な声で不機嫌さを顕にする女神エリス。常の彼女であれば考えられない反応だ。

 それでも、とあなたが頼み込むと、女神エリスは渋々ながらもそれを受け入れた。

 

「仕方ないなあ……」

 

 先ほどと同じように扉に手をかける。

 

 ――ヒューヒュー! ヒュー、ヒュヒュー!

 

 異音、再び。

 やはりというべきか、これは偶然や幻聴ではないのだろう。

 

「ほら、だから言ったでしょ? ここには何も無いんだって」

 

 そして相変わらず、扉を開けることなく立ち去ろうとする女神エリス。

 言うまでもないが、あなたに部屋に入ったという記憶は無い。

 

「さ、次の部屋に行こう」

 

 まるで少しでも早くここから離れようとするかのようにあなたを急かす相方を追いながら、この場は一旦引いて彼女に付いていくか、踵を返して扉の向こうに戻るか思案する。

 後者を選んだ場合、女神エリスは今度こそ極めて強い反発を示すと推測される。

 彼女をみねうちでぶっとばして意識を奪い、無理矢理連れて行くのは簡単だ。

 しかし今の彼女を連れて行った場合、何が起きるのか予想がつかない。

 

 魔道具か、神器か、はたまたスキルなのか。

 いずれにせよ、あなたの見立てでは今の彼女は何かに記憶を改竄されている。

 直接的な原因は扉に触れると聞こえてくる謎の音が有力であるが、肝心の攻撃の正体が掴めない。

 女神エリスが本来の姿と力のままであれば術中に嵌ることもなく、話は簡単に終わったのだろうが、今の彼女はあくまでも盗賊のクリスだ。

 正体を隠して人間の冒険者として振舞う為に力を削ぎ落としているのが完璧にあだになってしまっている。

 かといって、あなたがここで女神エリスの正体を知っていると明かして記憶の改竄を防ぐ為に本気を出してくれ、と頼んではい分かりました、などと簡単にいくはずも無い。

 クリスとしての活動が女神エリスとして人間側にできる最大限の譲歩であり助けだというのは何となくわかる。

 神が人界に関わる場合、多大な制約をかけられるというのは魔王軍との戦いだけを見ても明らかだ。

 何をやってもいいのであれば、それこそ化身ではなく女神エリス本体が降臨して本気を出し、さっさと魔王軍を消し飛ばせばいいだけなのだから。

 

 根本的に、命の危機に陥ったならまだしも、名高い女神を相手に、たかが記憶の捏造を食らった程度で正体を現して本気を出してくれと頼むのもどうなのか、という考えもある。

 

 結局、あなたは扉の前から立ち去り、女神エリスについていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 宝感知スキルを使いながら屋敷の中を探索する女神エリスだったが、彼女はやがて一階、キッチンの近くにまで戻ってきていた。

 

「ふむふむ、こっちの方だね。近い、近いよ……」

 

 暗視スキルを持っていないが故に手探りで闇の中を進む女神エリスだが、この先にあるキッチンは一階の隅に配置されており、いわゆる袋小路となっている。

 いくらキャベツが空を飛び、サンマが畑で収穫できる異世界とはいえ、そもそも人が多く集まるキッチンやその周辺にお宝を置く貴族は存在するのだろうか。

 そしてこの道は行きに一度通り過ぎている事に違和感を覚えていないあたり、やはり宝感知スキル以外の何かに誘導されているとしか思えない。

 あなたはこのままだとキッチンに辿り着くと説明したのだが、女神エリスはこんな事を言った。

 

「キッチン? なら食べ物が沢山あるし、お宝がありそうだね……あたしの先輩がお菓子の箱の中にすっごく大事な宝物を入れた後にどこに仕舞ったか忘れちゃったことがあって、あたしも先輩に泣き付かれて捜索に駆り出されたもんだよ。懐かしいなあ」

 

 この国の一部で崇められている高名な女神と推測されるその先輩の例は全く参考にならないと思われる。

 やはり人間とは違う世界に生きる女神なだけあって人間とは常識のズレがあるのか、微妙に天然の気がある女神エリスを生暖かい目で見ていたあなた(異世界人)だったが、廊下の半ばまで差し掛かったところで、何者かがこちらに接近してきていることに気が付いた。

 記憶を改竄された女神エリスに接触しようとする術者かもしれないと判断したあなたは、隠密スキルで気配を断つ。

 

「…………」

 

 そうして忍び足でやってきた人物に、あなたは軽く目を見開くことになる。

 なんとパジャマ姿で現れたのはあなたもよく知る人物、カズマ少年だったのだ。

 

 彼は先週の王城での晩餐会であなたがレインと話し込んでいる最中、いきなり噂の義賊を捕まえてみせると名乗りをあげた。無論正義感に駆られてではなく、王城に居座る口実として。

 平和な街に大きな屋敷を持ち、三人の美少女達と共に住み、ハンスの討伐と商品開発で莫大な富を得た。

 あなたのように蒐集癖のある人間でもなさそうだし、ウィズのように貯蓄を一瞬で溶かしつくす特殊技能を有しているわけでもない。

 普通に生きていく分には十分だろう。むしろ若い身空で既に人生がボーナスステージに突入しかけている状況なのだが、まだ足りないらしい。

 

 まあ結局はクレアによって彼は王城を追い出され、義賊を捕まえた暁には王城の滞在を検討してやらんでもない……という事になったわけだが。

 その後、めぐみん達と共にあなたと別れ、王都の貴族の屋敷のどこかに泊り込むというのは知っていたが、まさかアルダープの屋敷に滞在していたとは。他の三人もここにいるのだろう。

 悪い噂が絶えないアルダープは客観的に見れば悪徳貴族を狙う義賊の恰好の獲物だ。

 しかしアルダープがダクネスに執着しているという話は彼女とパーティーを組んでいるカズマ少年も聞いている筈だ。故にここだけは選ばないと思っていたのだが。

 

「……?」

 

 カズマ少年が近づいてきた際に何かが引っかかったのか、少しだけ周囲を警戒するも、あなたが反応しない事もあってすぐに気のせいだったと判断し、そのまま探索に戻る女神エリス。

 壁に張り付いてやりすごし、後方から近づいてくるカズマ少年は何かのスキルでも使っているのか、いつもより存在感が薄い。そんな彼に女神エリスは気付いていないようだ。

 隠密スキルはあなたの存在を既に意識している女神エリスには効果が無いが、スキルの効果が発揮される時にあなたを認識していなかったカズマ少年は、彼に気付いていない女神エリスと同様に、女神エリスの傍にいるあなたに気付いていない。

 傍から見るとシュールな光景なのだろうな、とあなたは思った。

 

 しかし、この場に来たということはカズマ少年が件の術者なのだろうか。

 考えにくい話ではあるが、彼は全てのスキルを習得可能な冒険者だ。ありえないとは言い切れない。

 あなたにとって非常に思い出深いスキルであるドレインタッチのように、あなたの知らないところで意識誘導や洗脳系のスキルを覚えている可能性は十分にある。

 

 ……と、そこまで考えた所でありえないとあなたは自身の懸念を一笑に伏した。

 仮に精神操作系のスキルなどという便利なものを所持しているのなら、カズマ少年は今頃アルダープの別荘にいないと気付いてしまったのだ。わざわざスキルを駆使して義賊を捕まえるなどというまどろっこしい真似をせずとも、直接クレアあたりの認識を操作して王城に戻ればいい。自分であればそうする。

 

 カズマ少年は謎の声とは無関係だと判断したあなたは、女神エリスに後方の壁際に追跡者がいると声に出さずに合図を送った。

 ビクリと反応しながらも、女神エリスは声を発することも後ろを振り返ることもしない。

 

『……言われてみれば、確かに誰かいるね。でも集中しないと分からないくらい気配が薄い。あたしみたいな盗賊職かな。ここまで共犯者クンとあたしに気付かれないなんて、相当の腕利きと見たよ』

 

 ノリノリなところ申し訳ないが、盗賊ではない。

 それどころか相手は女神エリスも知っている人間で……というかカズマ少年である。

 

「え? カズマ君? あの冒険者の?」

「っ!?」

 

 思わず、といった表情で声を出してしまった女神エリスに、あなたはじっとりとした視線を送った。

 土壇場で大ポカをやらかす様は彼女の先輩(女神アクア)を髣髴とさせる。あるいはこれも認識操作のせいなのか。うっかりをやらかす呪いだった場合は一刻も早く解呪すべきだ。うっかりやの盗賊の相棒など断じてごめんである。

 

「あ、あはは……ごめんなさい……」

「んん? その声、もしかして……」

 

 あちらも声の主にピンと来たのだろう。

 いぶかしみながらライターを取り出し、火をつけるカズマ少年。バレたのであれば最早隠れても仕方ないという一種の開き直りすら感じられる。

 そうして彼の姿が闇の中から浮かび上がり、女神エリスの姿と共に、艶のある銀色の髪が微かな明かりに照らされ煌いた。

 

「誰かと思えば、やっぱりクリスだったか」

「あー……うん。久しぶり」

 

 かつてパンツを盗んだ者と盗まれた者は、こうして闇の中、非常に気まずい雰囲気の中で運命的な再会を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 廊下で立ち話というのもなんだということで、あなた達はキッチンにやってきた。

 

「一応聞いておくけど、クリスが噂の義賊なんだよな? 悪徳貴族の屋敷に盗みに入って、孤児院に金をばらまいてるっていう」

「まあ、そうなんだけど……そういうキミはどうしてこんなところに?」

「俺は最近までちょっとした事情で王城にいたんだが、そこで義賊の話を聞いたんだ。幾ら弱者の味方の義賊といっても盗みは盗み。犯罪者が見逃されていいわけがない。義憤に駆られた俺は義賊の捕縛に名乗りをあげたってわけだ。先に言っとくけどダクネスもこの屋敷にいるぞ」

「ダクネスがいるの!? やっばいなあ……。アイアンクローが、アイアンクローが迫ってくる……! 駄目だよダクネス、流石にそれは割れちゃうって……!」

 

 技術はからっきしだが腕力と握力には定評のある友人の折檻が恐ろしいのか、青い顔でガクブルと震える幸運の女神の化身。

 そういえばダクネスとの初対面の際、彼女は容易く女神エリスを沈めていたな、とあなたは懐かしい気分になった。

 

「罪はちゃんと償わないとな。クリスはダクネスの友人だし、素直にごめんなさいってすれば処刑まではされないだろ。それに盗んだ金も、表沙汰になったらむしろ貴族側が困るようなものばっかりなんだろ? そこんとこを上手く突けば示談くらいで済むんじゃないのか」

「ちょ、ちょっと待って。違うから。誤解だから。これには深い訳があるんだよ」

 

 なお、この深い訳の内訳は使命と趣味になっている。

 比率としてはだいたい9:1、あるいは8:2といったところ。この数値をどう受け取るかは人それぞれだ。

 そしてあなたは圧巻の使命0、趣味10。ベルディアあたりは「知ってた」と即答するだろう。物欲に支配された廃人に正義感や使命感なんぞ絶無である。当然の帰結であった。

 

「そうは言うけどな。俺にだってそっちを見逃せない理由があるんだよ」

「ぐぬぅ……ちょっと共犯者クン。いつまでも黙ってないで説得に協力してよ。あたしとキミは一蓮托生なんだから、丸投げはよくないと思うな」

「共犯者? クリスの他に誰かいるのか?」

「えっ」

 

 空気が凍った。あなたはそんな錯覚を覚えた。

 カズマ少年は隠密スキルの効果が生きたままのあなたの存在に気付いていない。なんとなく解除するタイミングを見失ってしまったのだ。

 ギギギ、と引き攣った笑みであなたを見やる女神エリスだが、ちょうど十何分か前、認識を操作された彼女に対してあなたは似たような心境に陥っていたのでおあいこである。アルダープの屋敷は女神エリスの鬼門なのかもしれない。

 

「や、やだなあもう。冗談は止めてよカズマ君。幾ら共犯者クンが全身黒ずくめだからって、そういう冗談はよくないよ。ほら、よく見て。いるでしょ、ここに。あたしの隣に」

「いや、誰も見えないけど……ん? ……うおっ!?」

 

 女神エリスがあなたを認識させたせいで、隠密スキルの効果が解けてしまったようだ。

 あなたの気配を感じ取り、姿が見えた瞬間、カズマ少年は慌ててその場から後ずさった。

 

「マジか。全然気付かなかった。アサシンのジョブとかそっち系の人? 幽霊的な何か?」

「いや、違うんだけど……キミ、どういう隠密能力してんのさ。魔法を使ってないのに目の前にいる相手に気付かれないって凄いを通り越して普通に怖いんだけど」

 

 ドン引きされてしまった。

 あなたの隠密スキルはノースティリスのスキル。つまりれっきとした技術の賜物なので、やろうと思えば誰にでもできる。

 

「……いや、ちょっと待て」

「どうしたの?」

「どうしたもなにも……」

 

 ライターの火に照らされたあなたを上から下まで眺めること、きっかり十秒。

 イルヴァの極東に存在する諜報組織。闇に蠢く彼らの装束(ユニフォーム)を模したあなたを指して、カズマ少年は断言した。

 

「忍者だこれ!?」

「ニンジャ?」

「物凄い隠密能力! 目元以外をすっぽり覆う黒頭巾! 黒い手甲! 袴までバッチリ着こなした上下の黒装束! これが忍者じゃなかったら何なんだよ!」

 

 いきり立つカズマ少年にあなたは大袈裟に肩を竦め、首を横に振って答えた。

 気のせいでござる。拙者は忍者なんてこれっぽっちも知らないでござる……おっと失礼、手裏剣が落ちてしまったでござる。

 

「今ござるって言った! 3回もござるって言ったぞ!! わざとらしく落とした手裏剣といい誤魔化す気が欠片も感じられないんだけど!? お前の中身絶対日本人だろ!!」

「ねえ、いきなりどうしたの!? ほんとどうしたの共犯者クン!? キミそんな愉快なキャラじゃなかったよね!?」

 

 覆面によるくぐもった声のおかげで、カズマ少年はあなたの正体に気付いていない。

 しかしまさか彼が忍者を知っているとは思わなかった。ネタを拾ってもらえた嬉しさに、ついノリノリでふざけてしまったあなたを誰も責めることはできない。

 

 ひとしきり遊んで満足したあなたは嘘八百の自己紹介を始めた。顔見知りが相手だが、正体はバレるまで明かさない方向でいくべきだろう。

 自身の格好や言動について、旅の途中で知り合った人物に教えてもらったと説明する。

 こちらは嘘は言っていない。あなたの説明を聞いた彼らが思い描く世界と、実際にあなたが旅をしてきた世界が違うというだけだ。

 

「猫耳神社作った奴といい、どいつもこいつも何考えてるんだ。まともな日本人が俺だけとかモラルハザードが深刻すぎるだろ、常識的に考えて」

「…………」

 

 お気に入りのパンツを剥かれ、家宝にされかけた挙句紛失した経験を持つ女神エリスが、自称まともなニホンジンをなじるように見つめている。

 神器級のパンツを失っただけあって、これは相当に根に持っていると判断した下着紛失の下手人(あなた)は、黙したまま目を伏せた。

 

「でも義賊に協力者がいたとか聞いてないぞ。クソッ、クリスを豚箱にぶち込みにくくなったな……」

「酷くない? ねえカズマ君、ちょっと酷くない? あとあたし達がこうしてるのには理由があるんだからね?」

 

 渋面を作るカズマ少年にとって、あなたの存在はイレギュラー以外のなにものでもないだろう。何せ世間を騒がす噂のイケメン義賊は単独犯と言われているのだから。

 状況は二対一。アルカンレティアで一緒に温泉に入った際、何よりも平穏と安定を求めていたカズマ少年は、使えねーな白スーツの奴、と舌打ちし、尊大な口調で脅しをかけてきた。

 

「おいエセ忍者。自慢じゃないが俺はあのデストロイヤーや魔王軍幹部といったバケモノ達と戦い勝ってきた冒険者だ。王都でも超有名な魔剣の勇者のナントカさんを一撃でノックアウトしたって言えばどれくらいの強さかは分かるな? 俺の仲間には最強魔法を操る紅魔族、あらゆる攻撃に耐える鉄壁のクルセイダー、宴会芸を操るアークプリーストがいる。当然王族との太いパイプだって持ってる。さっきも言ったが、義賊だろうが何だろうが、お前達のやってる事はれっきとした犯罪行為だ。悪いようにはしないと約束するからこの場でお縄に付け」

「カズマ君。これはダクネスの仲間であるキミへの100パーセント善意からの忠告なんだけど、この人隠密能力だけじゃなくてすっごく強い上に容赦が無いからそのつもりでよろしく。王都の冒険者が相手でも普通に蹴散らせるから」

「おいエセ忍者。自慢じゃないが俺の職業はあの器用貧乏の最弱職で有名な冒険者だ。普段は王都じゃなくて駆け出しの街で活動してるって言えばどれくらいの強さかは分かるな? 俺の仲間には魔法一発で行動不能になる紅魔族、攻撃が当たらないドMクルセイダー、宴会芸を操るアークプリーストがいる。当然まともに戦えるわけがないし毎度トラブルを引き起こすから後始末が大変なんだ。そんな不幸な人間をボコボコにしようなんて、お前は人としてあまりにみっともないと思わないのか? 義賊としてのプライドってもんは無いのか?」

 

 大言壮語から一転して、あまりにも堂々とした手の平返しと全力で保身に走る潔さは、いっそ清々しさすら感じられる。

 しかしあなたは自身を義賊だとはこれっぽっちも思っていないので、いざカズマ少年をみねうちでぶちのめす段階になったとしても、何ら痛痒を感じない。

 剥製とカードの為、種族、性別、年齢、身分を問わずにミンチにしてきた実績は伊達ではないのだ。

 

「エセ忍者はともかく、実際クリスは何やってんだよ。さっきも言ったけど窃盗は普通に犯罪だぞ。友達がこんな事やってるって知ったらダクネスだって困るだろうし。分かったらクリスは猛省してエセ忍者を自分と一緒に自首するように説得しろ」

「…………はぁ。しょうがない、か」

 

 このままでは埒が明かないと判断したのか、溜息を吐いた女神エリスは覚悟を決めた顔と声をしている。

 しかしそれは断じて縛に付く事を受け入れたわけではない。カズマ少年もそれを察したようだ。

 

「分かったクリス、落ち着いて話し合おう。そっちがどうしてもっていうなら俺も今夜の事は見なかった事にするのも吝かじゃない」

「何か勘違いしてない? 口封じとかそういうのじゃないから。……君には本当の事を話すよ。ダクネスだって聞けばきっと理解してくれる筈」

 

 カズマ少年を巻き込む方針でいくようだ。彼女は冒険者のパーティーよろしく四人メンバーで活動したいと言っていたので、あなたもカズマ少年とダクネスの加入に異存は無い。

 ダクネスの権力はバックアップ要員として非常に得難いものだし、カズマ少年も女神エリスに気取られずに接近するだけの気配遮断スキルを有している。この分だとアーチャーの暗視スキルも覚えている筈だ。決して悪い選択肢ではない。

 本人にやる気さえあれば、の話だが。

 

 ちなみに盗賊が本来非常に相性がいい筈の暗視系のスキルを習得不可能な件については、あなたはスキル関係の法則を定めた神々によるバランス調整の結果だと考えている。

 開錠、隠密、窃盗スキルを持つ盗賊が暗視まで持っていたら、それこそノースティリスのように夜間の不法侵入だの強盗だのがやりたい放題になってしまう。妥当な落とし所だろう。

 

「実は、あたし達がこんな事をやってるのは、世界の平和――」

「待て止めろ聞きたくない。深い理由があるのはよく分かった。ダクネスにも絶対に言うな。俺も黙っとくから」

 

 厄介事の気配を敏感に察知したのか、無理矢理言葉を打ち切ったカズマ少年の声は非常に硬かった。

 

「えっ、いや、その。もしかして言い方が悪かったのかな。あたしに協力してほしいんだけど。実は二人だけだと大変なんだよね、こう、色々と」

「絶対にノゥ!」

 

 二人が一進一退の攻防を繰り広げていると、遠くから、大勢の人間が走ってくる音が聞こえてきた。

 深夜とはいえ、カズマ少年と女神エリスが騒ぎすぎたせいで勘付かれてしまったようだ。ほどなくここに辿り着くだろう。

 チャンスだ、とばかりにカズマ少年が目を光らせる。

 

「クリスを連れてさっさと逃げろエセ忍者! このままだと捕まるぞ! 好色で有名なアルダープにクリスが捕まったらもう、あれだぞ、薄い本展開待ったなしだぞ! なんたってうちの連中に色目を使うレベルなんだからな!」

「ああもうっ、しょうがないなあ! また明日にでも事情を話しに来るからね!」

「お願いだから来ないでくれ! ついでにエセ忍者、俺を行動不能にしてくれないか! そしたら賊と戦ったけど逃げられたって言い訳できる! エセでも忍者ならなんか適当な忍術を使えるんだろ? パパっと頼む!」

 

 保身に余念が無いカズマ少年を相手に、あなたは忍刀を抜いた。

 本人もこう言っていることだし、可及的速やかにぶっ飛ばすとしよう。

 

 

 この秘伝忍法、半殺しの術(みねうち)で。

 

 

「滅茶苦茶嫌な予感がする。なんで敵感知スキルに全く反応が無いんですかね。っていうか武器じゃなくて忍術を使えって俺言ったよな? ……そっかぁ、忍術が使えないから物理かぁ。……それ以上俺の傍に近寄るなエセ忍者! 何が忍法半殺しの術だ! 良識というものはねぇのかよ!!」

「ここはあたしに任せて! バインドッ!!」

 

 女神エリスが素早くロープを取り出しスキルを発動すると、ロープで全身をグルグル巻きにされたカズマ少年は芋虫のように地面に転がった。

 

「これでオッケー! さ、急いで逃げるよ!」

「サンキュークリス!」

「いいってことよ! 共犯者クンは屋敷の外に出たら例のアレ(テレポート)をよろしく!」

 

 戦って相手を退けたが引き換えに重傷を負った事にすればカズマ少年も面目を保てるだろうし、仲間やクレアから同情が得られる。それに女神アクアが屋敷に詰めているのであればこの後の治療の心配も無用でベストな作戦だと思ったのだが。

 安堵の表情を浮かべるカズマ少年にサムズアップを返す女神エリスを追いながら、あなたは腑に落ちないものを感じざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 コメディ時空に巻き込まれ、うやむやのままに終わったとしか言えないアルダープの屋敷への潜入だが、あなたは女神エリスが記憶の改竄を食らい、おまけにトラブルを引き寄せる体質のカズマ少年と遭遇した時点で早々に見切りを付けて半分ほど遊んでいた。今日はもう事態の究明を探るのは無理だろう、と。

 

 そんなわけで翌日の深夜。

 あなたは再びアルダープの別荘に侵入していた。

 用事があるという女神エリスを伴わず、単身で。

 

 失敗に終わったとはいえ、盗賊が入ったばかりという事もあって屋敷には多少の警備が敷かれていたが、一人になって身軽になったあなたにとってはザルを通り越して枠警備と言わざるを得ない。

 そうして辿り着いたのは問題の部屋の前。先日、女神エリスが記憶を改竄された場所である。

 

 今日の昼に会った彼女の話では別荘から宝の気配は消えてしまったらしい。

 義賊が入ったので奪われる前にどこか別の場所に隠してしまったのだろう。しかしあなたは宝以上にこの中にあるモノが気になっていた。

 

 あなたが懐から妹の日記を取り出し、床に置くのとほぼ同時に妹の幻影が出現。

 昨日の女神エリスのポジションをあなたが担当し、妹が昨日のあなたを担当するという流れだ。

 屋敷に侵入する前に呪いや状態異常、弱体化系統の魔法を弾くホーリーヴェールの魔法を愛剣による強化込みで使っているものの、この世界の呪いや術にどこまで通用するのかは若干疑問である。行きがけに試してもらったベルディアの死の宣告は余裕で防げたが。

 不安を抱きながらあなたは鍵を開け、ドアノブに手をかける。女神エリスのように()()()()()()()()()()()()という記憶を植えつけられるのか、それとも。

 

 

 ……音は、聞こえてこなかった。

 

 

 細心の注意を払い、何が起きるかと身構えたものの、あっけなく扉は開いた。

 念のために自身にかけられた呪いを解く魔法も使用。特に何かが変わったようには思わない。妹もあなたの様子を見て異常が無い事を察したのか、二言ほど軽く確認をとって幻影を消した。

 

「ララティーナ……ワシの可愛いララティーナ……グフ、グフフ……」

 

 日記を回収して侵入した問題の部屋の中央。豪奢なベッドに眠っているのはアクセルの嫌われ領主ことアルダープ。

 どうやらここは彼の寝室だったようだ。

 

 欲望に塗れたアルダープの寝言を聞き流しながら、何か手がかりは無いだろうかと壁や床をしらみつぶしに調べること数分。

 あなたは美化されすぎなアルダープの肖像画の裏側の壁に、怪しげな隠し扉があるのを発見した。

 

 扉の向こう、狭い隠し部屋の中には、テレポート用の魔法陣と制御用の宝玉がぽつんと置かれている。

 軽く調べたところ、どうやら魔力が込められた宝玉に触るだけで起動するタイプのようだ。あなたの家に置いてあるのとはわけが違う、超の付く高級品といえるだろう。しかし神器ではない。

 どこに繋がっているかはさておき、隠し方がお粗末極まりない隠し部屋といい、誰でも簡単に起動してしまえる魔法陣といい、あまりにも露骨すぎて自分は誘導されているのだろうかと思わずにはいられない。

 

 だがあなたは罠があったら踏み潰して進んでいくタイプの冒険者だ。

 同格を相手にしない限り危機に陥る場面すら稀なのでその手の感知能力が麻痺しているともいう。

 いざとなったらいつも通り皆殺しにすればいい、と判断して宝玉に触れようとして……

 

 

 ――その瞬間、タイミングを見計らったかのように深夜の王都全域に大音量の警報が鳴り響いた。

 

 

『魔王軍襲撃警報! 魔王軍襲撃警報!』

「何事だっ!?」

 

 案の定、警報に飛び起きるアルダープ。

 できるだけ穏便に済ませておきたかったのだが、姿を見られて騒がれると後で女神エリスがうるさそうだ。あなたはアルダープを背後から強襲した。

 

「ぐべっ!?」

 

 忍刀によるみねうちを食らって呆気なく昏倒するアルダープ。

 

 ……の筈だったのだが、あなたは妙な手ごたえを感じていた。

 高レベルの聖なる盾(防御魔法)で攻撃を軽減された時のような、見えない何かに阻まれる感覚。

 違和感の元を探る間も無く、アルダープは頭を押さえながらむくりと頭を上げた。

 

「ぐっ、な、なんだ……くそっ、頭が痛い……何が、起きた……マクス、マクスッ……!」

 

 十分に手加減はしたが、それでもレベル20程度の冒険者なら余裕で昏倒するあなたのみねうちを彼は耐えてみせた。

 女神エリスがおかしくなった件といい、彼の本性は優れた術者だったりするのだろうか。

 あなたの見立てでは、アルダープは装備無しのあなたが目隠しして手足を雁字搦めに拘束し、魔法やスキルが封じられた状態だろうと余裕で勝利可能な相手である。身も蓋も無い言い方をするとただの一般人だ。

 致し方ないと、今度は確実に意識を飛ばせるように本気でみねうちを放つ。

 

「おのれ、何をやっておる、あの役立たずめガ――!?」

 

 暗い部屋に鈍い音が大きく響き、アルダープはおとなしくなった。

 文字で表現すると*SMAAAASH!!*になる会心の一撃。多彩な異能を使いこなし、棍棒を振り回して敵をぶっ飛ばす赤帽子の少年もニッコリ微笑んでオーケー、と頷いてくれるだろう。

 勢い余ってアルダープの首が「えぇ……人間の首ってこんな風になるんだ……怖っ」みたいな状態になってしまっているが、みねうちなのでただちに命に別状は無い。

 あなたは白目を剥いて痙攣するアルダープの首を耳を塞ぎたくなるような音を鳴らしながら元通りの位置に修正し、ポーションを飲ませてベッドに寝かしつけ、風邪をひかないように毛布をかけた。

 彼個人に恨みはないし嫌いでもないのだが、ひとえに運とタイミングが悪かった。

 今更許してほしいなどと言うつもりは無いしそんな権利も無いが、突然のキューブテロに巻き込まれた挙句エイリアンを孕まされたとでも思って受け入れてほしい。

 

『魔王軍襲撃警報! 魔王軍襲撃警報!』

 

 繰り返されているアナウンスは今も大音量で王都を騒がせている。

 あなたにとっては非常に久しぶりとなる魔王軍の襲撃。

 今回のそれは非常に大規模なようで、騎士団は勿論、王都内の冒険者達にも参戦するように通達がなされている。女神エリスの仕事が増えそうだな、とあなたは思った。

 

 本来であれば冒険者であるあなたも参戦すべきなのだろう。

 しかしあなたはここまで来てノコノコ引き下がる気は毛頭無かった。

 大至急王城前に集合するように、というアナウンスを無視して宝玉に触れる。

 用事が済んだ後も戦闘が終わっていなかったら参戦しよう、と気軽に考えながら。

 

 かくしてあなたは、今まさに騒乱が始まらんとする王都から忽然と姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 テレポートで飛び、あなたが辿り着いた先は、殆ど同じ作りの小部屋だった。

 違いとしては、こちら側は普通に木製の扉で出入りするようになっている、といったところだろうか。

 そして、あれだけうるさかった警報がどれだけ耳を澄ませても聞こえないことから、少なくともここが王都ではないということが分かる。あるいは警報すら届かない王都の地下深く。

 どちらにせよ、この小部屋にも魔法陣と宝玉が置かれているので、屋敷とこの場所を行き来できる仕組みになっているのだろう。あなたは帰りはテレポートを使って王都に戻る予定なので必要ないが。

 

 小部屋の扉を開けると、覆面越しに届くかびの匂いがあなたの鼻を突いた。

 周囲を見渡せば、周囲は無機質な灰色で覆われており、更にあちらこちらに魔道具が配置されている。

 あなたがやってきたのとは別の、正規の出入り口と思わしき扉はあるが、窓は一つも無い。息が詰まりそうな閉塞感は牢屋を思い起こさせる。

 

 ろくに掃除もされていないのであろう、かび臭いそこは、しかし異様な気配で満ちていた。

 床や壁のあちこちにこびりついているどす黒い何かは、あなたも非常に見覚えのあるものであり、アルダープがこの部屋で何をしてきたのかを雄弁に物語っている。

 

「ヒュー、ヒュー」

 

 とはいえ、この程度の惨劇の跡は見飽きたものだし、あなた自身、これ以上の地獄を何度も作り上げてきた。命が重い世界でよくやるものだと少しばかりアルダープには呆れたが、所詮はその程度だ。

 よってこれといって義憤を抱く事も無く、あなたは部屋の最奥に目をやった。

 そこは異様な気配が最も濃い場所であり、さきほどから聞こえていた音の発生源でもある。

 

「ヒュー、ヒュー、ヒュー」

 

 昨日、女神エリスがアルダープの寝室に入ろうとした瞬間に聞こえてきたものと全く同じそれは、音ではなく、何者かの声だった。

 ソレは部屋の奥でヒューヒューと掠れた声をあげ、いわゆる三角座りでユラユラと揺れている、ヒトの形をしたモノ。

 

 あなたに気付いていないかのように揺れるソレは、見た目だけなら金髪で色白の貴族の青年といえなくもない。

 バニルが普段着ているものと全く同じ黒いタキシードを着こなし、しかし彼のように仮面をつけていないソレの顔は寒気がするほどに整っている。

 

 これはまたとんでもないのが出てきたな、というのがソレを見たあなたの素直な感想である。

 失ったのか、あるいは最初から無かったのか。ソレは後頭部を綺麗さっぱり無くしているのだが、そんなものはチャームポイントの一つでしかない。

 問題は目の前の青年から感じられる力がバニルと同等だという事。つまり廃人級。正真正銘のバケモノである。

 屋敷の警備が手薄なわけである。確かに彼がいれば他の警備など足手纏いにしかならない。

 

 女神エリスの言っていた嫌な予感、そして声の謎は大体分かったが、アルダープはとんだバケモノを飼っていた。

 とはいえ、本当に飼われているのは果たしてどちらなのか。

 あなたはアルダープが彼を御しきれているとは思えなかった。

 見たところ彼は数多の魔道具でコレを封じているつもりのようだが、こんなオモチャで彼を留めておく事などできる筈もない。

 

 正しい意味での廃人のような青年に、どうしたものかとあなたは考える。

 彼が相手なら勝つにせよ負けるにせよ、きっと楽しく戦える(遊べる)だろう。

 しかし強さといい服装といい、彼はバニルの関係者である可能性が非常に高い。バニルはウィズ(大切な人)の友人だ。手を出すのは一度バニルに話を聞いてからでも遅くはない。

 

 間違いなく自身と伍するモノ、自身を殺し得るモノとの戦いの予感に、あなたは楽しみだと笑う。

 この世界に来て以降、長らく命のやり取りを行っていない。今まで出会ってきた超級の相手はいずれも不戦のままやりすごしてしまった。

 本当に、本当に楽しみだった。

 

 願わくば彼がバニルと無関係の者でありますように。

 そんな事を考えながらあなたがこの場所にテレポートを登録した刹那、それまでずっと何も無い虚空を見つめ続けてブツブツと何かを呟いていたソレは、ぐりん、という音が鳴りそうな勢いであなたの方に振り向いた。

 

 

「ヒューヒュー! ヒューヒュヒューッ! はじめまして眩しいダレカ! だけどそれ以上に暗くて遠いナニカ! 何も覚えていられない僕が今まで見てきた誰よりも暗く遠くてきみはダレ!? きみはナニ!? ああ、きみはまるでどこまでも果ての無い穴のよう!!」

 

 

 青と白のオッドアイを持つ青年が拍手を鳴らす。

 その整った顔を、幼い子供のように無邪気に輝かせながら。

 

 

 

 

 

 

 あなたが王都から消えた数秒後、一つのアナウンスが王都の夜を駆け抜けた。

 

『たった今、情報が入りました! 軍勢の中に魔王軍幹部、シルビアの姿を確認! 繰り返します! 軍勢の中に魔王軍幹部、シルビアの姿を確認! シルビアは極めて強力な魔法防御を誇るといわれています! 魔法使いの皆さんは十分な警戒を――――』

 

 そして、このアナウンスに呼応するかの如く、王都のあちこちで爆発が巻き起こった。


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