このすば*Elona 作:hasebe
虫の鳴き声も聞こえてこない静かな夜、あなたは時計を見やった。
そろそろ日記が更新される頃合だろうか。
今日の当番はウィズなので間違いなく店や新商品の話になるだろう。
自身も店の手伝いに励んだ数時間前の慌しさを思い返しつつ、あなたはどんな返信をしようかと手に取ったペンを回しながら思索に耽る。
誰かが明確に「そうしよう」と言い始めたわけではないが、書かれた日記に全員が何かしらの感想や反応を返すのはいつの間にかこの交換日記の決まり事となっていた。
これは他者の書き込みが即時に自身の日記にも反映されるこの魔道具ならではの醍醐味だ。
思いの丈(主に罵詈雑言)を翌日以降に引き摺らずその場で直接やりとり出来る以上、かつて友人達と行った交換日記にも同様の機能があれば、あのような大惨事対戦は起きなかったのではないだろうか。
そんな事を考えていると、あなたの部屋のドアが乱暴に叩かれた。
「た、大変です! ゆんゆんさんが! きっとライターの同情するならお金が欲しいゆんゆんさんが宿無き子で小火騒ぎに野宿の下のせいで大変な事に!」
大慌てで駆け込んできたウィズが支離滅裂な言動と共に交換日記を広げ、とあるページを見せ付ける。
どうしてこんな事になってしまったのか、とゆんゆんの
自作火炎瓶とでも言おうか。アルコールに
大体にして、わざわざ日記を使って返信待ちするような回りくどい真似をせずとも、実家から手紙が届いた時のように直接こちらの家に来て助けを求めてくればいいものを。
あなたやウィズは勿論の事、ベルディアも彼女を無碍にはしないだろう。彼は終末中だが。
「私が日記に返信しても反応が無いんです。きっと困っているでしょうし早く見つけてあげないと……」
少し落ち着いて欲しいとあなたは娘のピンチに今にも飛び出して行きそうな過保護なウィズお母さんを諌めた。
ゆんゆんはああ見えて一人前の冒険者で高レベルのアークウィザードだ。まさか無一文で宿を出たわけではないだろうし、焼け出された後はどこか別の宿に泊まっていると考える方が自然だ。あなたは自分であればそうすると思っている。
「確かにそうかもしれません。でもそれなら私の書き込みに反応が無いっていうのはおかしいと思いませんか? 読む前に宿に泊まって眠ってしまったのだとしても、ゆんゆんさんは日記を持ち歩いているみたいですし、宿に泊まったのならその事をちゃんと書いて私達に知らせると思うんです。私の考えすぎであればいいのですが……」
なるほど、悪い事は重なるものだといつだって相場が決まっているし、万が一もある。
少し気になったあなたは、夜の散歩がてら軽く外を見回ってみようと壁にかけてあった上着を羽織った。
当然ウィズはあなたに同行を申し出たが、もしかしたら探しに出かけている間にゆんゆんが自宅に来て入れ違いになってしまうかもしれない。
ゆんゆんはどうにも運というか間が悪い子なので普通にありえそうなのが困る。
そういうわけなので、ウィズには自宅で待機していてもらう事になった。
何か分かったり状況に動きがあった場合は適宜日記を通じて情報を交換すればいいだろう。
■
市街地から離れたアクセル外縁部、北門のすぐ傍にそれはある。
恐らくはアクセルの冒険者がギルドの次にお世話になっている、貴族などの裕福層以外は冒険者であれば誰もが一度はお世話になった経験を持つ宿泊施設の名は馬小屋。
そういう名前の宿ではなく、文字通りの馬小屋である。
主に宿に泊まるような金が無かったり節約中の冒険者に大人気の馬小屋は臭い、寒い、狭いと三拍子揃った
この施設の利点らしい利点は屋根の下で眠れる事と宿賃が非常に安い事。屋根は無いが金はかからない野宿とどちらがマシかは人それぞれだろう。
アクセル全域を覆うように造られている外壁の内側にこそあれ、殆ど野原と呼んで差し支えない程度には周囲に建物が無く道も整備されていない場所に建っている馬小屋にあなたが足を運んでみると、建物のすぐ傍で誰かが焚き火をしているのを発見した。
パチパチと乾いた音を立てる焚き火に当たっている人物は夜風と朝露を凌ぐ為か厚手のローブを羽織っており、深くフードを被って俯いている事もあって顔が分からない。火の周囲に肉や魚が刺さっていない事から食事をとっているわけではないようだ。こんな時間に一人で馬小屋の外に出て何をやっているのだろう。
あなたが近づいていくと足音に気付いたのか、フードの人物が顔を上げてあなたに視線を飛ばす。
フードの奥から微かに覗く双眸は、揺らめく炎の反射を差し引いてもなお赤かった。
「……えっ?」
果たして、顔を上げたのはあなたの友人の少女だった。
あなたとしては一応念の為という事で足を運んでみただけだったのだが、まさか本当にいるとは思わなかった。
しかもよく見てみれば荷袋が彼女の傍らに転がっている始末。完全に野宿スタイルだ。
ウィズの愛弟子にしてレベル40に届こうかという、間違いなくアクセルでトップクラスの実力を持つ冒険者、そして次期紅魔族族長のアークウィザードが街の中でまさかの野宿である。
「こ、こんばんは。奇遇、ですね……? えっ、どうしてここに?」
まさかの人間の来訪に困惑を隠せていない様子のゆんゆんだが、それはあなたの台詞だった。焼け出された後、他の宿に泊まれなかったのだろうか。
呆れ半分のあなたの言葉に、自身の日記の書き込みを読んだ友人が心配して探しに来たと察したゆんゆんは決まりが悪そうに謝罪の言葉を口にした。
「宿屋はあちこち探してみたんですけど、私が今日まで泊まっていた所を含めてどこもいっぱいだったり時間が遅くて閉まってたりで……馬小屋には空きがあったので泊まったんですが、その……」
満室となった後に駆け出しパーティーがやってきてしまい、彼女は野宿をするにしても一日だけだからと自分の部屋を譲ってしまったのだという。貧乏くじを引きがちな上にお人よしのゆんゆんらしい顛末だ。
無事にゆんゆんを発見したあなたは日記を通じてウィズに通知する。すぐに文字の向こう側からウィズの安堵の表情が透けて見える書き込みが返ってきた。
しかし何故ゆんゆんはわざわざ日記に書いたのか。
父親から手紙が届いた時のように、普通に家に来て助けを求めればいいものを。
「だ、だって、あの時は私のせいでお二人に大変なご迷惑をかけてしまいましたし……。それに私、見なかった事にしてくださいってちゃんと日記に書いたと思うんですけど……きゃあっ!?」
馬鹿な事を言っているめんどくさいゆんゆんの頭をあなたはフードの上から掴み、そのまま
目を白黒させてなすがままにされるゆんゆんはウィズへの認識が甘いのか、あるいは自己評価が低すぎるのか。どちらにせよあんな内容の書き込みを見て友人のピンチを知ったウィズが放っておくわけがない。
ましてや火災の原因となった道具は恐らくウィズの店の商品で、トドメに書き込み以降は無反応を貫いたのだから、幾らアクセルの治安がいいといっても心配するなと言う方が無理というものだ。せめてウィズの書き込みに何かしらの反応を示して今日は野宿するので大丈夫です、とでも言ってくれれば、十四歳の子供とはいえ一端の冒険者である
あうあうあうと鳴き声をあげるゆんゆんを無視してあなたは焚き火を壊し、砂と土をかけて鎮火を行う。
「わわわっ! どうして消しちゃうんですか!?」
これからゆんゆんを自宅に連れて行くというのに、このまま焚き火を点けっぱなしにしておくのは火事の原因になるに決まっている。
あなたがそう言うと、ゆんゆんは言葉を咀嚼するかのように何度か目を瞬かせた後、上目遣いであなたを見やった。
「い、いいんですか……? 本当に? お邪魔になりませんか?」
最初に助けを求めてきたのはゆんゆんだ。
あなたは自身に助けを求める友人を袖にするほど狭量でもない。仮に彼女が自宅に来ていた場合は普通に泊めていただろう。
一方でゆんゆんが野宿をしていようが馬小屋に泊まっていようが、安否と所在が確認できていれば所詮は一日の辛抱だろうと放置していた自信があるが、わざわざ探しに来ておいて見つけたのではいさようなら野宿頑張って、と別れを告げる気は無い。
あなたのスタンスを聞いたゆんゆんは困惑しながらも素直に立ち上がり、荷物を持った。
「えっと、ありがとうございます……じゃあ、お世話になります」
恭しく頭を下げ、フードを脱いだゆんゆんがぽつりと呟く。
「ところで、ややこしいとかめんどくさいって言われた事ありませんか?」
それは誰もがお前が言うなと口を揃えるであろう、ゆんゆんだけには言われたくない台詞だった。
■
そんなこんなでゆんゆんがあなた達の家に泊まって一夜明けた日の朝。
ゆんゆんは蘇生明けで風呂上りのベルディアに自分がここにいる説明を行っていた。
「……というわけで、昨日の夜からお世話になってました」
「なるほどな、理解した。火の不始末、それも予想されていた子供じゃなくて頭の足りてない冒険者のせいで焼け出されるとかとんだ災難だったな」
ドンマイドンマイとベルディアがゆんゆんを慰める。
失火こそしなかったが、
大丈夫だとは思うのだが、同じ酒好きである彼が冒険者と同じ真似をやりかねないと不安になるのは何故なのか。
「…………」
ゆんゆんの話を聞きながら林檎の皮を剥いていたウィズが口を開いた。
「ゆんゆんさん、家を買いませんか?」
「……い、家ですか?」
「はい、家です」
真面目な口調からして思いつきを適当に口にしたようには見えない。
昨日、あるいはもっと前から考えていたのかもしれない。
「ゆんゆんさんが他の街に行く事を考えればアクセルの家を買おうとは言えませんが、いつまでも宿住まいっていうのは気楽ですが同時に不便でもあると思うんですよね」
「そりゃまあな。安い買い物じゃないが、自由にできる拠点は無いよりあった方がいいだろう」
「それはそうですけど……でも、自分の家だなんて一度も考えた事無かったです。私はいつか紅魔の里に帰って族長を継ぐつもりですし。何より私まだ十四歳なんですけど……」
「私もまだ二十歳ですけど家を持ってますよ?」
「ウィズ、今そういうのいいから。いらないから」
突然の提案という事もあってゆんゆんはイマイチ気乗りしないようだ。子供の彼女には自分の家を持つという実感が抱けないのかもしれない。
だが冒険者登録をして身元が明らかになっていれば家を持つのに年齢は関係ないし、家は里に帰る時に引き払ってしまえばいい。
家があれば置いておける荷物が格段に増えるし、何よりゆんゆんのライバルにして親友のめぐみんは自分の家を持っている。
「……あっ!!」
カズマ少年達との同居とはいえ、めぐみんはゆんゆんのように宿暮らしではなく、立派な屋敷に住んでいるのだ。
以前めぐみんがカズマ少年と喧嘩……というか彼に
ゆんゆんが家を持っていればそうはなっていなかっただろう。
「い、言われてみれば確かに……! 自分の家も持たずにめぐみんのライバルを名乗ろうだなんて、私自分で自分が恥ずかしい! それに自分の家があれば暇を持て余しためぐみんがもっと頻繁に遊びに来てくれ……じゃなくって、勝負が出来るかもしれませんよね!」
変なスイッチが入ってしまった。
めぐみんを引き合いに出すのはまずかっただろうか。
そして分かってはいたが、ゆんゆんはめぐみんが住んでいるアクセル以外に居を構える気は無いようだ。あなたもウィズが住んでいるアクセル以外に居を構える気は無いのでおあいこだが。
不便といえば不便だがゆんゆんはあなたやウィズと同じくテレポートが使える。あなたのようにアクセルを拠点にして王都など他の街で活動するスタイルは十分に可能だ。
「分かりました皆さん、私家を買います! めぐみんに負けないくらいの立派なお屋敷を買ってめぐみんをギャフンと言わせてみせます!」
「流石にあれくらいの屋敷はゆんゆんさん一人で住むには広すぎるかと……お金もかかるでしょうし、私は一軒家くらいが丁度いいと思いますよ?」
「おいご主人、幾らなんでもこいつちょろすぎだろ。一人暮らしなんかさせたら変な勧誘や押し売りにホイホイ引っかかるんじゃないのか」
あなたもちょっとだけ早まった気がしないでもなかったが、本人が乗り気であればいいのではないだろうか。
「放任主義すぎる。親ならもう少し……別に親じゃなかった」
叔父さんとお母さんが過保護すぎるだけではないのだろうか。
「オジサン言うなや」
「あっ、そういえばアクセルの近くには古いお城が建ってましたよね! あれって長い間誰も住んでないみたいですけど、どれくらいのお金を払えば買えますか!?」
「……ベアさん、そこら辺どうなんですか?」
「あそこってベアさんの持ち物だったんですか?」
「おいおいおい違うぞ全然違うぞ普通に考えてそんなもん俺が知ってるわけないだろつーかウィズはなんで俺に聞くんですかねおかしいだろ常識的に考えてお前ちょっと天然ボケも大概にしろっていやマジで」
昨年古城に住み着いてアクセルの冒険者に多大な迷惑をかけた魔王軍幹部。
人類側ではあなただけが知るその者の名はベルディアという。奇しくも冷や汗を流す目の前の壮年の男の本名と同じである。全くとんだ偶然もあったものだ。
■
「ゆんゆんさん、こことかどうですか? ギルドからも結構近いですし、市場がすぐそこですよ」
「うーん、でも予算がちょっと……」
ウィズ魔法店が開くまでの時間を使ってテーブルの上に積もった不動産屋のパンフレットを眺め、ああでもないこうでもないと話し合うアークウィザードの師弟。
買う物が家という大物にせよショッピングには違いなく、二人は実に楽しそうだ。
時間が経って熱が冷めたのか屋敷を買う! と豪語していたゆんゆんは正気に戻ったが、家を買う事には非常に前向きだった。
そして当然というべきか、ゆんゆんの第一希望はめぐみんの住む屋敷の近くだった。
しかしあそこはかつて貴族の別荘だった経歴からも分かるように市街地から離れた郊外に建っており、その広い敷地も相まって近隣に家屋が殆ど建っていない。近くに共同墓地がある事も相まって静かなのはいいのだが、ギルドや市場からも離れており冒険者が住むには割と不便だったりする。そもそも近隣の家自体が売りに出ていない。
「あなたはどういう家がいいと思いますか?」
突然ウィズが水を向けてきた。
少し考え、あなたはゆんゆんが住むのであれば広い庭があるといいのではないのだろうか、と答えた。
庭が無理ならばせめて家の前の道にゆんゆんが騎乗可能なサイズのドラゴンが離着陸できる程度の広さが欲しいところだ。
「ドラゴン? 飼う予定でもあるんですか?」
ドラゴンは終末で間に合っている。
あなたは騎乗や運搬用の大型ペットは一匹欲しいと思っているが、ドラゴンを従える予定になっているのはゆんゆんだ。
「私が!?」
「ゆんゆんさんが!?」
いつからドラゴン使いに、と驚きを顕にするウィズに私知りません初耳ですと首がもげんばかりの勢いで首を横に振って否定の意を示すゆんゆんだが、騎獣を求めていたりドラゴン使いに憧れていると言っていたのはゆんゆん本人だ。雷竜が好みだとも言っていた。
「た、確かにそんな話はしましたけど! あれは夢というかできたらいいなあ、という子供じみた願望であってですね!? 大体私がドラゴン使いなんて無茶ですよ! 異世界から来たっていうあなたは知らないのかもしれませんけど、ドラゴン使いっていったら殆ど伝説とか幻の職業なんですからね!? ウィズさんも無茶だと思いますよね!?」
顎に手を当てて真面目な顔をするウィズはゆんゆんの目を見てこう言った。
「……考えた事もありませんでしたが、私はアリだと思います。無論、ゆんゆんさんにドラゴン使いとしての素質が備わっていれば、の話ですが」
「ウィズさんまで!?」
やれやれだとあなたは聞き分けの悪い弟子に肩を竦めた。
紅魔の里でメテオを使ったあの夜、
あの日の誓いをまさか忘れたとは言わせない。
「え、えぇええええ……いや、確かにそうなんですけど、それとこれとは話が別というか……というか今その話するんですか? この空気の中で? こういうのってもっと真面目な雰囲気や流れでやるべきなのでは……」
少なくともあなたは至極真面目だった。何も問題は無い。
流石にゆんゆん一人でドラゴンを捕まえてこいとは言わない。あなたは十全にサポートするつもりだったし、珍しくウィズも乗り気なようなので助力が期待できるだろう。
あなたがアイコンタクトを飛ばすとウィズは一緒に頑張りましょうね、と笑顔で頷いた。ご覧の通り師匠は二人ともノリノリである。
「ど、どうかお手柔らかにお願いします……私頑張ります……ガンバリマス……」
「ところでゆんゆんさん、ドラゴン使いはともかく、私達みたいな力が欲しいっていうのは、その……当事者としてはオススメしかねると言いますか、はっきり言って止めておいた方が……」
「大丈夫ですウィズさん、ワタシガンバリマス!」
いつの間にかゆんゆんの目から意思の光が消えている。
ウィズは気付いていないようだ。
「私も強くなる為に頑張るのはいいと思います。でも限度ってありますよね? ほら、御存知の通り私って禁呪でリッチーになったわけじゃないですか。自慢じゃないですけどあの時は本気で死にかけましたよ。それに彼も異世界出身っていう特異な出自なわけで……」
「ガンバリマス!」
「……ゆんゆんさん?」
「ガンバリマス! ガンバリマス!!」
「スリープタッチ!!」
再起動したガンバリマスロボは即座に師の手によって眠りについた。
いつぞやのようにソファーに寝かせた後、あなたとウィズは言葉も無く顔を見合わせて嘆息した。
「やりすぎちゃいましたかね。私はそんなつもりは無かったんですけど……」
レベル一桁の駆け出し冒険者でもあるまいに、ちょっとドラゴンに喧嘩を売りに行くと決まった程度でここまで精神的に疲弊するゆんゆんがおかしいのではないだろうか。
だからこそウィズもこうして乗り気になっていた。
「多分ですけど、この反応を見るにゆんゆんさんはまだ自分の力を正しく把握できていないんだと思います。一気にレベルが上がってしまった事もそうですが、聞けば今も冒険者としての活動はアクセルでしかやっていないみたいですし」
養殖を行う前からソロで活動できてしまっていたのが問題になっているようだ。
紅魔族の里で魔王軍相手に戦わせていれば多少はマシになっていたのかもしれないが、終ぞそのような機会は訪れなかった。里への道中もモンスターはあなたが倒してしまっている。
ちょうど領主の依頼も抱えている事だし、今の自分がどれだけ強くなったのかを実感させる為、修行、あるいは社会見学の一環として一度彼女を王都に連れて行くべきかもしれない。
「そうですね、悪くないと思いますよ。なんたってこの国の中心ですから、テレポートに登録しておくと何かと便利ですし」
ですが、とウィズは表情を少しだけ引き締めた。
「ゆんゆんさんが仲間を見つけるまではできるだけ一緒にいてあげてくださいね。王都はアクセルと比べると安全な場所とは言えないので……この街の治安がずば抜けて良いだけではあるのですが」
言われるまでも無いとあなたは頷いた。
高レベルになってもゆんゆんは相変わらずゲロ甘でチョロQだ。
一人で王都の冒険者ギルドに行こうものならば、性質の悪い冒険者に絡まれる事請け合いである。
とんだ偏見だと言われるかもしれないが、スティールを仕掛けては再起不能に陥った
■
「う、うぅーん……めぐみん、私早まったかも……」
悪夢でも見ているのか、微妙に顔色が悪いゆんゆんの呻き声と時計の音をBGMにあなたは日記を読み返す。
ゆんゆんのプロファイリングというわけではないが、書き込みから何か新しい事が分かるかもしれないと考えたのだ。
ゆんゆんを眠らせた責任を取って開店を遅らせようとしたウィズだったが、それには及ばないと仕事を優先させ、ゆんゆんの看病はあなたが行う事になった。
一応何かあった時はすぐに駆けつけると約束してくれたが、まあ大丈夫だろう。
自宅の外からは今日もざわめきとバニルの客寄せの声が聞こえてくる。
ライターを筆頭に異国の便利アイテムの評判は上々のようで、昨日ほどではないにせよ今日も多くの客がウィズ魔法店に足を運んできているようだ。この調子であれば暫くは繁盛の日々が続くのではないだろうか。バニルも呵呵大笑している事であろう。
そうして一通り日記を読み終えた所で、あなたはおかしな物を発見した。
『:□□□□□□□□』
何の前触れも無く最新のページにおかしなものが浮き上がってきたのだ。
『⌒:■□□□□□□□』
文字、あるいは記号だろうか。
しかしあなた達の日記の裏表紙には名前を記載する欄があり、例えば『ウィズ:』といったように各々の書き込みの頭の部分にはその名前が反映される仕組みとなっている。
ウィズ達は勿論あなたも自身の名前を書いているのでこんな書き込みは本来有り得ない。日記の故障だろうか。
あなたが日記を叩いてもそれらしい反応は返ってこなかった。
『⌒8:■■□□□□□□』
まるで意味が分からない。
あなたの疑問と困惑を置き去りに、書き込みは止まる事無く続いていく。
『⌒8(:■■■□□□□□』
『⌒8( ゚:■■■■□□□□』
『⌒8( ゚ヮ:■■■■■□□□』
『⌒8( ゚ヮ゚:■■■■■■□□』
『⌒8( ゚ヮ゚):■■■■■■■□』
『⌒8( ゚ヮ゚)⌒:■■■■■■■■』
そこまで見て、あなたは勢いよく日記を閉じた。
努めて冷静であろうとしたものの、その内心は地殻変動が連続で発生し、エーテルの風が吹き荒れている。
名状しがたい恐ろしいものを見てしまった気分だ。全力で無かった事にしたい。
遅まきながらもようやく状況を理解したあなたは思わず声にならない呻き声をあげる。なんという事をしてくれたのでしょう。
『⌒8( ゚ヮ゚)⌒:--- -. .. .. -.-. .... .- -. -.』
『⌒8( ゚ヮ゚)⌒:w4745h1 g4nnb4774y0 0n11ch4nn』
恐る恐る日記を開いてみれば、おぞましさすら感じる書き込みは終わっていなかった。
止めてほしい。質量のある幻影といいこれといい、手を変え品を変え、世界がバグった錯覚に陥るような怪奇現象を発生させるのは本当に止めてほしい。
日記という目に見える形で毒電波が侵食してきている様をまざまざと見せつけられたあなたは心の底からそう思った。同じ日記だから何らかの互換性があるとでもいうのか。
あなたが日の光が届かぬ海の底の如き深くて暗くて重いため息を吐きながら背後を振り返ると、愛らしい女の子の形をした半透明の共同幻想はイタズラっぽく笑った。
壁際に立っているソレはまるで絵の中から飛び出てきた、とでも言えばいいのだろうか。
“可愛い妹とはこうあるべきだ”という無数の人間達の妄念によって形作られ、実際本の中から飛び出してくるその存在は、少なくとも見た目だけは魅力的と言っていい。中身はご覧の有様だが。
――ふふっ、どう、お兄ちゃん。ビックリした?
眠っているゆんゆんの手前肉声で喋る気は無いらしい。
その心遣いはありがたいが、こういう事後処理や説明や反応に困る悪戯は止めてもらいたいものだ。
そもそもどこからこんな摩訶不思議な力を手に入れたというのか。
妹とは長い付き合いのあなただが、少なくともノースティリスではこのような力は発揮していなかった。
あなたは妹の全てを理解しているとは口が裂けても言えないし言いたくなかったが、このような能力を持っているのであればもっと早くから片鱗を発揮してもおかしくはなかった筈だ。
――お兄ちゃんが私にくれた
会話にならない。
いつもの戯言だろうと失笑を漏らすあなただったが、はた、と気付いた。気付いてしまった。
たったそれだけで機動要塞デストロイヤーの動力を賄っていたコロナタイト。
そういえば、どさくさに紛れて回収しておいたアレは……後日ウィズとあなたがシェルター内で鎮火を試した結果、鎮火自体は可能だがそれは破壊と同義であると分かったのであなたが勿体無いと言って止めさせ、今も暴走状態のまま四次元ポケットの中に突っ込んだままではなかっただろうか……?
「み、緑……緑色がいっぱい……」
ゆんゆんの寝言など耳に入らない。
恐ろしい事実に辿り着いてしまったあなたの頬を一筋の汗が流れる。
気付けば妹の幻影は微かな笑い声を残して掻き消え、日記の該当箇所は白紙に戻っていた。