このすば*Elona   作:hasebe

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第78話 光り輝く銀の銃

 平原が文字通りの熱い死体蹴りを食らう少し前、人っ子一人いなくなった静かな紅魔の里の中をこそこそと移動する一団があった。

 

「本当に誰もいない……あいつら何を考えてるのかしら」

「何も考えてないと思いますよ」

「油断は禁物よ。私達が攻めてきていると知って里中をもぬけの殻にするなんて普通じゃないわ」

 

 敵を侮っているとしか思えない部下を窘めこそしたものの、シルビアはなんとなく自分もそんな気がしていた。

 紅魔族の頭がおかしいというのは魔王軍のみならず人間達の間でも知れ渡っている常識である。

 ()()アクシズ教徒と並ぶ変人扱いなのだから相当なものだ。

 

「それにしてもこの静けさ。不気味すぎるわね」

 

 小声で話していないと、不安でどうにかなってしまいそうなほどの静寂。

 本当に気付いていないのか、あえて泳がされているのか。

 

 あれから死の気配は一度も感じていない。

 更にここ数日間、ずっと紅魔族が浮き足立っているという報告はシルビアにも届いていた。

 だからこそ撤退と潜入を秤にかけ、最終的に潜入を選んだわけだが、シルビアは早くも自身の選択を後悔し始めていた。

 

(神器を回収できただけで満足しておくべきだったかしら……いいえ、今更だわ)

 

 神器……星落としの跡地から回収された紅白の球の逸話はシルビアも知っている。

 それを使っていたのは人間の女だった。

 かの魔道大国ノイズが存在した頃に紅白の球を使って魔王軍に立ちはだかった彼女は、複数体のドラゴンやグリフォンを使役していたという。

 彼女の使役獣はいずれも強力で、更に何度倒してもアンデッドのように復活するという極めて厄介な性質を持っていた為、最後は持ち主を闇討ちして仕留めたらしい。

 

 そんなわけでシルビアは回収した球の中にドラゴンが入っていることを期待していたのだが、球体の中身はオークだった。

 それもただのオークではない。非常に珍しいオスのオークである。

 三毛猫のオスと同じくらい珍しいといえばどれほど珍しいかは伝わるだろう。

 

 しかし極めて希少なオスオークは、戦力としては全く使い物にはならなかった。

 何せ生き物とはこんな状態でも生きていられるのかというほどに精も根も尽き果て、全身は骨と皮だけで構成され目は虚ろ。言葉どころか意思の疎通すら不可能な有様だったのだから。

 生ける屍。神器の力で無理矢理生かされ続けた哀れな犠牲者の姿がそこにあった。

 

 そのあまりに無惨な姿に魔王軍は誰もが目を背けずにはいられなかった。ゾンビやスケルトンの方がよほど生気に満ちている。

 終わりの無い地獄と紅白の牢獄から解放されたオークは慈悲の元に命を絶たれて荼毘に付されたが、彼が今までどんな目に遭ってきたのかなど考えたくもない。

 今際の際に掠れた声で呟かれた「アリ、ガト……」というオスオークの感謝の言葉は今もシルビアの耳にこびりついている。

 

(アタシも魔王軍幹部として死ぬ覚悟くらいはできてるつもりだけど、オークの群れに放り込まれるだなんて最期だけは勘弁願いたいものね……)

 

 人魔問わず全ての男が全力で同意するであろうことを考えながらシルビアは紅魔の里を進む。

 

 部下の報告では現在紅魔族達は平原に集結しているという。

 平原に集った紅魔族が何を始めるのかまるで想像できない。

 奴らは里や森ごと自分達を丸ごと吹き飛ばすつもりなのではないか。そんな悪いイメージばかりが脳裏に過ぎる。あまりに荒唐無稽で突拍子も無い考えだが、アクシズ教徒と紅魔族は本気でそれをやりかねない相手だとシルビアは知っていた。

 先日の天変地異もあってあまり長居はしたくない。

 シルビア達が自然と足を早めて先を進む中、体は強いが頭が少し足りていない鬼族の部下が口を開く。

 

「シルビア様、折角ですし里を焼いていきませんか?」

「ダメよ。時間を無駄にする余裕なんてどこにも無いんだから」

 

 誰もいないのに火の手が上がるなど、自分達がここにいると声高に喧伝しているようなものだ。

 自分達の潜入が相手にバレていない可能性があり、目的が紅魔の里の破壊ではない以上、可能な限り騒ぎを起こすべきではない。シルビアはそう考えていた。

 

「では、あの物干し竿を持っていくっていうのは?」

 

 部下が指差したのは一軒の家の庭先に吊るされている物干し竿。

 月の光を反射するそれは暗がりの中妙に目立っている。

 

「随分と変わった形の物干し竿ね……」

「なんかピカピカしててカッコイイし、きっと高値で売れますよ」

「……どうしてかしら、何かあれからはとてつもなく嫌な予感がするわ。奴らの罠かもしれないし下手に触るのは止めておきなさい」

 

 部下の可愛いオイタを諌めながらシルビアは人気の無い里の中を進んでいく。

 

 そうしてやってきたのは地下格納庫。

 見張りとして部下を数人入り口に残し、シルビアは地下に潜っていく。

 魔王軍の目的はこの格納庫に眠ると伝わっている、世界を滅ぼしかねないという強力な魔道兵器の回収。そして魔法防御に極めて優れたそれを使っての紅魔族の撃滅。

 

「よし、ここにも紅魔族はいないみたいね」

 

 周囲を見渡しながらホッと息を吐き、シルビアは腰にぶら下げた袋の中から赤い宝玉を取り出した。

 この時の為に用意した、結界殺しと呼ばれる魔道具である。

 それも神々の施した封印でさえ解除してしまうという魔族のとっておきだ。

 

「…………ここにかざせばいいのかしら」

 

 多数の古代文字が書かれたそこに結界殺しを当てるも、反応は無い。

 封印も格納庫の扉も沈黙を貫いている。

 

「……何も起きませんね」

「おかしいわね……」

 

 結界殺しを壁や扉に当てたりと暫く試してみたものの、結果は芳しいものではなかった。

 

「魔道具が反応を見せないって事は、まさか魔法的な封印じゃないの!?」

「いっその事ぶっ壊しますか?」

 

 幾ばくかの逡巡の後、シルビアは脳筋全開の提案を受け入れた。

 目的の物は目の前にある。古代兵器を手に入れれば紅魔族であっても容易く蹂躙できる筈だ。最早躊躇する理由は無い。

 

「では私が……」

 

 名乗りを上げたのはシルビアの右腕だ。

 紅魔族ほどではないにせよ上級魔法を操る優秀な魔法使いである。

 

「ライト・オブ・セイバー!!」

 

 しかし、紅魔族の得意技でもある魔法が扉を襲うも、頑健極まりない鋼色の扉は傷一つ付かなかった。

 聞けば件の古代兵器と同じく魔法が無効化されているらしく、ならばと自身も混じって総出で物理で破壊を試みるものの、結果は失敗。無駄に手足を痛めるだけで終わってしまった。

 

「り、理不尽すぎる。何よここ、壁といい扉といい何でできてんの!?」

「紅魔族みたいな場所ですね……」

 

 大型のモンスターを連れてきていれば少しは変わったのかもしれないが、結局手持ちの駒ではどうしようもなく、別の入り口を探す事になった。

 そして一団が地上に出たのと、それが起きたのは全く同じタイミングだった。

 

「……綺麗」

 

 星が降っている。

 森の向こうで星が降っている。

 

 言葉にすればたったそれだけ。

 無数の流星が夜空を彩る様はどうしようもなく美しく、同時に怖気が走るほどに恐ろしい。

 

 先日と同じ場所に星が落ちている以上、最早アレが人為的に引き起こされていることは明らかだ。

 更に流星を撃ち落とすかのように特大の閃光が煌く始末。

 そもそもあれは爆裂魔法ではないのか。まさかあんな物を使うキチガイが永い時を生きる魔族以外に存在したとは。

 持ち前の魔法防御で紅魔族の上級魔法の直撃であっても耐えられるシルビアだが、爆裂魔法、それもあれほどのものを食らって無事でいられるとは思っていなかった。

 

 遠く離れた自分達の場所にまで届く地響きと轟音に、シルビアはこの地域からの撤退を決意する。

 非常に遺憾だが、肝心の結界殺しが機能せず扉も破れなかった以上、作戦は失敗した。

 何よりあれは自分達だけではあまりにも手に余ると判断したのだ。

 あんな超広域への攻撃はどれだけ数を集めても同じだろう。生半可な兵では死ぬだけだ。

 最低でも幹部が複数。更に精鋭を集めて当たる必要がある。その上で、可能であれば魔王の血族だけが持つスキルの恩恵が欲しい。シルビアがそう思うほどの手合いだった。

 

「帰りましょう。帰れば、また来られるから」

 

 反対意見は出なかった。

 

 

 

 

 

 

 また一段階遠くなった夜空の下で、あなたは冒険者カードを取り出した。

 何匹かクレーターの中に侵入していたモンスターがいたようだが、人間の殺害数は増えていない。とりあえずダクネスは生きているようだ。恐らくはめぐみんも。

 

 最悪の場合は復活の魔法を使えばいいだけだが、カズマ少年に渡した保険(魔道具)は役に立っただろうか。

 あなたがカズマ少年に渡した保険とはウィズの店で購入した、食べると魔法抵抗力が下がる代償として魔法が効かなくなるくらい物理防御が上昇する罠餌こと防御用アイテムである。

 一度食べさせたベルディアによると、イチゴ味で意外と美味しいらしい。

 

 めぐみんとダクネスの無事を思っていると、遥か遠く、仄かに明るい祭の会場の方角から歓声が聞こえてきた。

 数キロ先にいるあなたの元に歓声が聞こえてくる辺り、紅魔族達は相当に盛り上がっているようだ。

 

 会場にテレポートは登録していなかったので駆け足で明かりの方に向かっている途中、あなたはめぐみんとダクネスに追いついた。

 めぐみんは黒の鎧を着込んだままダクネスに背負われているが、これといって大きな怪我をしているようには見えない。意識もハッキリしている様子だし、いつものように魔力不足でぶっ倒れたのだろう。

 

「おっきいのがいっぱいでしゅごいの! しゅごくしゅごかった!!」

 

 あなたが二人の状態をつぶさに観察していると、赤ら顔のダクネスが子供のようにキラキラとした目をあなたに向けてきた。

 鎧が盛大に煤けているがこちらも怪我はしていないので彼女の欲望は満たせなかったと思われる。

 

「ああ、残念ながらめぐみんが上手い具合に迎撃してくれたおかげで直撃は無かった。……だが無数の流星が私に目掛けて押し寄せてくる絶望感と高揚感は今まで生きてきた中で経験したことが無いものだったな! 次は鎧やアイテムの守り無しで直接食らってみたいのだが、どうだろう……もがっ!?」

 

 ダクネスが自分のペット(仲間)になれば彼女はさぞ強くなれただろうに。実に残念だ。あなたはそう思った。

 それはそれとして、趣味に生きるのは大変結構なのだが、こういう時は非常に反応に困る。

 自身の被虐性癖をあなたで満たそうとせんと欲すお嬢様(火炎瓶は投げない)を兜を押さえつける事で黙らせたのはめぐみんだ。

 

「ふ、ふふふふふ……ふははははははは!! どうです見ましたか!? 私の爆裂魔法があなたの星落としを見事に砕きましたよ! この! 紅魔族随一の天才である私の! 爆裂魔法が!! これで爆裂魔法の方が上だと理解できましたか!? これでもうネタ魔法だなんて呼ばせませんよ!!」

 

 背負われながらも大声で笑いながらダクネスの兜をべしべしと叩き、渾身のドヤ顔を見せ付けてくるめぐみんは目が興奮で真っ赤になっている。

 最強魔法の名と紅魔族随一の天才の称号に違わぬ見事な爆裂魔法にあなたは素直に賞賛を送ったのだが、何故かめぐみんはそんなあなたが気に入らなかったようだ。

 

「…………っ」

 

 彼女は少しだけ傷ついた顔をしたかと思うとそっぽを向いて臍を曲げてしまった。

 凄まじいまでのテンションの下がりっぷりだ。一体どうしたのだろう。

 あなたが目線でダクネスに助けを求めると、少し考えた後、彼女はこれは私の勝手な予想なのだがと前置きしてこう言った。

 

「めぐみんは勝負に負けたあなたに悔しがってほしかったのではないのか? めぐみんにとってあなたは目標なのだろう? あなたがあまりにもいつも通りだからめぐみんは自分や爆裂魔法の事などどうでもいいと思われている、眼中にすら無いと感じたのでは?」

「別に、そういうわけでは……」

 

 ダクネスの言葉をきっぱりと否定せず拗ね続ける可愛い妹分に向けてあなたは告げる。

 悔しがるも眼中も何も、自分は最初からめぐみんの爆裂魔法がメテオを砕けないわけがないと思っていたのだから、悔しがる理由がどこにも無い、と。

 

「……へ?」

 

 あなたの言葉が誤魔化しではないと理解したのだろう。めぐみんはぱちくりと目を瞬かせた。

 彼女は何か勘違いしているようだが、そもそもあなたは一度たりともメテオが爆裂魔法を上回っているとか爆裂魔法はネタ魔法だのといった旨の貶める発言をしていない。

 勝負の発端もあなたのメテオが紅魔族の琴線に触れたのをめぐみんが気に入らなかったのが始まりであって、あなたは終始一貫してめぐみんに付き合うというスタンスを崩していない。

 

「そ、そうでしたっけ?」

「確かに言われてみればそうだな」

 

 メテオは効果範囲と燃費だけは爆裂魔法を上回っている。だが、それがどうしたというのか。

 この世界では火炎魔法が強力という事情を差し引いても、範囲内の敵味方全てに降り注ぐ超広域無差別攻撃魔法など使える場面があまりにも限られすぎている。

 それどころか火炎に無敵になるのが難しい以上、気軽に味方を巻き込めないのでノースティリス以上に産廃魔法と化している。

 

 あなたはあらゆる耐性を貫通してダメージを与える爆裂魔法を極めて高く評価しているし、実際に自分で覚えたいと考えている。そうでなければ初対面の際に駆け出しだっためぐみんとパーティーを組んでみてもいいと思わなかった。

 アークウィザードの適性が無い故に爆裂魔法の習得は叶っていないが、この世界でめぐみんを擁するパーティーの次くらいには爆裂魔法の有用性を認めているという自負すらあった。

 爆裂魔法を習得するためだけに冒険者への転職すら考える事もある。

 

「わ、分かりました。もういいです」

 

 一方でメテオが輝くのはあなたがオークを駆逐したように圧倒的多数の敵を相手に単騎で特攻する時や国や世界に喧嘩を売る時くらいであり、効果範囲と燃費以外のあらゆる点において爆裂魔法が圧倒的に上回っているのは自明の理だ。

 そんな魔法を不世出の天才魔法使いが使っているのだから、メテオを砕くのは当たり前ではないか。

 

「もういいです! もういいですって! 私が悪かったですから! すみませんでした!!」

「褒め殺しは私もちょっと苦手だな……あれは恥ずかしいだけで気持ちよくない」

 

 わあわあぎゃあぎゃあ言いながら、めぐみんは耳まで赤くしてダクネスの背中に顔を埋めてしまった。

 

 

 

 微笑ましい気分になりながら熱気漂う焦げ臭いクレーターの中を歩いていると、ダクネスがあなたの背中をじっと見つめてきた。

 いや、彼女は背中というよりあなたの服を観察している。

 

「……ああ、不躾ですまない。私達がこうして魔法を防ぐ鎧を纏っているというのに、あなたは普段着なのだな、と思っていた。見たところ服は土砂で汚れているようだが全く焼けていないからどういう仕組みなのだろうかと。自分すら巻き込んでしまう魔法という話だったのでは?」

 

 勿論嘘ではない。

 あなたは思いっきりメテオの直撃を食らっている。

 服すら燃えていないのはあなたが常時着用している装飾品の力で炎に無敵になっているからだ。

 愛剣で強化していない以上、無効化しなくても実際のダメージは微々たるものなのだが、それについては伏せておいた。

 

「ならばわざわざ炎に強くなるアイテムや魔術師殺しを探したりせず、最初からそれをめぐみんに渡せばよかったのではないのか? ……いや、そうするとあなたの身の守りが危うくなるか」

 

 無論渡すという選択肢も考えていたが、それは最終手段にするつもりだった。

 めぐみんはあなたが装備を渡したとして素直に受け取っただろうか。

 勝負の相手からの施しは受けませんと言って頑なに拒む未来しか見えない。

 

「確かに一理あるな」

「うぐっ……」

 

 あなたの意見にしたり顔で同意するダクネスの頭を抗議するように杖で軽く小突くめぐみんだが、後衛の、それも精根尽き果てた今の彼女では可愛い抵抗でしかない。

 

「しかしあれだな、改めて思うが、あなたは随分とめぐみんに甘いというか、優しいのだな」

「えー……どこがですか?」

 

 ダクネスはめぐみんがメテオに耐えられるようにとあれこれと手助けした事を言っているのだろうか。

 あなたとしてもその自覚はある。

 敵意を抱かれるのとはまた違う、自身を目標にして突っかかってくる者など長らく存在しなかったあなたにとってめぐみんは友人にして弟子であるゆんゆんと同程度に稀有な少女なのだ。ついつい可愛がってしまうのも無理はないといえるだろう。

 

「……兄のようなものか。よかったなめぐみん」

「はぁ!? ダクネス、あなた何を言ってるんですか!? 百歩譲って兄のようなものだと思うのはダクネスの勝手ですが、言うに事欠いてよかったなめぐみんって! どういう意味ですか!?」

「めぐみんの母が言っていたが、子供の頃のめぐみんは両親に兄が欲しいとせがんでいたそうではないか」

「た、確かにそんな事を言っていた覚えがないわけではないですが、どうしてよりにもよってこんな頭のおかしいのが兄になるんですか! 悪い冗談は止め…………」

 

 言葉を途中で止めためぐみんがニヤリと笑い、あなたを見やる。

 あなたはとても嫌な予感がした。

 

 

()()()()()! 今日は私のワガママに付き合ってくれてありがとうございました!」

 

 

 突然の兄呼ばわりにあなたは噴出した。

 苦虫を噛み潰した表情を作るあなたを見てようやく一泡吹かせてやりましたと満足げに鼻を鳴らすめぐみんだったが、それどころではない。

 それはいわゆる核地雷ワードである。

 

 ただの呼称として兄を用いたあるえや年齢的な意味合いで兄と呼んだゆんゆんと違い、これ以上ないくらい完璧な流れとやりとりでめぐみんはあなたをお兄ちゃんと呼んだ。

 おまけに地雷を踏んだのがあなたが妹分だと認識しているめぐみんだというのが尚悪い。

 

 

 

《……すぞ》

 

 

 

 嗚呼、そして、やはりというべきか。

 あるいは遂にというべきか。

 

 ゆらり、と。

 あなた達の背後に蜃気楼のように空間を揺らめかせながら気配が現れた。

 本当に突然、何の前触れもなくそれはこの世界に現出した。

 

 突然足を止めたあなたと、後ろから聞こえてきた足音にダクネスが振り返る。

 

「今の私が外に出ていられるのはたったの三十秒。手早く終わらせるねお兄ちゃん」

 

 それはおもむろに二刀の紅刃を逆手に構え、右手に持った刃をめぐみんに向けた。

 あなたでもダクネスでもなく、めぐみんに。

 

「……女の子? こんな所に?」

「……!?」

 

 訝しげに眉を顰めるダクネスと顔を青くするめぐみん。

 めぐみんはあれの幻影を見た事があるらしいので目の前の存在の正体と目的を察しているのだろう。

 

「まず、まずいですよダクネス! 悪霊です! 悪霊が出ました!!」

 

 そう、悪霊()が自分を殺しに来たのだと。

 

「悪霊? いや待て、確かに怪しいが、どう見てもただの女の子ではないか」

「安楽少女を忘れたんですか!?」

「むっ……確かにあの子も緑髪だ」

 

 妹は安楽少女のように優しい相手ではない。安楽ならぬ残虐少女だ。

 神器を抜いたあなたはダクネスとめぐみんを庇うように前に立ち、遂に外に出てきたか、と憂鬱な気分になった。

 あなたはいつかこんな日が来ると思っていた。

 今までだって四次元の中から包丁を射出していたくらいだ。勝手に出てこられない道理は無い。

 

 だがよく見れば全身にノイズが走っている。やはり実際に本を読まなければ本当の意味で世界に出てくることはできないのだろう。

 あの忌もうと、もとい妹は限りなく実体に近い幻影といったところだろうか。

 

「ところでさあ。ヤっちゃう前に言っておきたいんだけど。ねえ、呼んだよね? 今確かに呼んだよね?」

「な、何をですか? 私は別に何も……」

「…………お前は私のお兄ちゃんを本当のお兄ちゃんっていう意味でお兄ちゃんって呼んだって言ってるの!」

「い、いえ、決して本気で呼んだわけでは……」

「そんなの関係ない! お前は私のお兄ちゃんをお兄ちゃんって呼んだ! だから私はお前を殺す! この場で八つ裂きにしてやるッ!! 他の誰にも渡さない!! そこは私の場所でここがお前の墓場だ!!」

 

 突然興奮したかと思うと殺意に満ち溢れた咆哮と共に速度を全開にして突っ込んでくる新緑の狂気にめぐみんが怯む。

 ダクネスは警戒を最大レベルに引き上げているが、理解が追いついていないのかその瞳には困惑の色が浮かんでいる。

 確かに初見でアレの言動を理解しろというのはあまりにも酷だろう。

 妹も昔はもっとマトモだったと思うのだがいつからこうなったのか。何しろ数十年以上前の話なのでよく覚えていない。

 

「朽ちて滅びろ紅魔族(クソビッチ)ッ!!」

 

 誰もが説得はおろか会話すら不可能だと一瞬で悟る相手をあなたは事も無げに迎撃。

 大太刀と二本の赤い包丁がぶつかり火花が散る。

 

 刃を受け止めながら、弱いな、とあなたは感じた。

 見てから余裕で反応が可能な鈍足っぷりもさることながら、それ以上に振るわれた刃は軽い。

 

 彼女とあなたの実力は本来完全に互角。

 少なくとも魔法や装備を使わない素のスペックは同等だ。

 

 必勝を期すのであれば愛剣を抜く必要がある相手だが、今の彼女は本体から分かたれた欠片の幻影。全開速度も能力もよくて本来の五分の一。数値にして四百もあればいいところだろう。

 得物も自前のものではなく、せいぜい良質止まりのルビナス製の包丁。神器持ちでフルスペックのあなたに勝てる道理は無い。

 

 相手も現状ではあなたを正面から突破できないと悟ったのか、ならばと左腕が投擲の体勢に入った。

 めぐみんを狙っているようなので溜息混じりに斬り飛ばす。細い腕が包丁と共に空を舞うが血は出ない。

 

「どいてお兄ちゃん! お兄ちゃんの妹は私でしょ!?」

 

 今一度四次元の淵に帰れ、招かれざるものよ。

 いい加減面倒になってきたあなたがげっそりしながら再度神器を振るうと、ごとりと妹の首は地面に落ち、あっけなく幻影は霧散した。

 

《……ちぇっ。やっぱり今の私じゃ無理かあ。お兄ちゃんのダメな所は時々優しすぎるところだよね》

 

 やれやれである。ここはノースティリスではないのだから、三時(惨事)のオヤツ感覚で気軽に死体を作るのは止めてもらいたいものだ。復活の魔法だってストックがそうあるわけでもないというのに。

 ぶーたれる毒電波のあまり可愛くないヤンチャを諌めていると、忌もうとに襲われかけためぐみんとダクネスが戦々恐々とあなたを見つめていた。

 襲い掛かってきたとはいえ、少女が問答無用で殺害されるというのは二人にとって中々にショッキングな光景だったらしい。

 

 説明するのは難しいが、先ほどの少女は呪いのようなものと思っておけばいいだろう。腕と首を落としたくらいで滅びたりはしないし今も元気にしている。

 あなたの言葉を証明するようにあなたの肩越しに飛んできた赤い包丁が二本、ダクネスの足元に突き刺さり、消えた。

 

「の、呪いならアークプリーストのアクアに頼んで浄化してもらえばいいのでは?」

 

 便宜上呪いと定義しているだけであって、本当に呪われているわけではないのでどんな強力な魔法でも解呪できない。実体を持った概念や共同幻想という名の呪いだ。

 口にしていなかった自分に非があるのは明白だが、とりあえずこういう事が起きるので、冗談でも自分をお兄ちゃんと呼ばないほうがいい。特に外見年齢が同程度のめぐみんは相当に呪い()からヘイトを稼いでいる。

 あなたの真摯な忠告はちゃんと通じたようで、二人は勢いよく何度も首を縦に振った。

 実際はあなたがめぐみんの事を勝手に妹分だと思っているのがヘイトを稼いでいる原因なのだが、それについてはあなたは口外しなかった。

 

 

 

 

 

 

 祭の会場に戻ったあなた達は案の定無数の紅魔族達に囲まれた。

 闇の中で爛々と輝く無数の赤い瞳は控えめに言ってホラーである。

 心の底から自分を慕ってくれていると分かるので暴力を振るうわけにもいかず、あなたはほとぼりを冷ますためにテレポートで会場から逃げ出した。めぐみんとダクネスに全てを押し付けたとも言う。

 

 テレポートで一足先に里に帰ってきたあなただが、すぐに里の様子がおかしいことに気が付いた。

 里の住人は全員が会場にいる筈なのに、複数の気配と慌しい物音を感じるのだ。

 

 自分を追ってテレポートで転移してきたのだろうかと考えていると、あなたは里の中を警戒しながら駆け足で進む魔王軍と思わしき魔族の一団を発見した。

 里の中に誰もいない以上、魔王軍が大チャンスとばかりに襲ってくるのは当然だろうなと考えるも、里の中から火の手は上がっていない。

 それどころか妙に慌てふためいている彼らは今のところ闇夜に紛れたあなたに気付いていないようだ。

 

「もうやだアタイおうちかえる!」

「シルビア様、お急ぎください!」

「言われなくても分かってるわ、撤退よ撤退! 作戦は失敗! 砦は破棄! ああもう魔法的な封印じゃないだなんて聞いてねーぞクソが! 占い師の奴つっかえねーなマジで!」

「落ち着いてくださいシルビア様、出てます、めっちゃ地が出てます!!」

 

 どうやら逃げる途中だったようだ。あなたは彼らを放置しておく事にした。

 破壊行為の最中だったのであれば襲っていたが、引くというのであれば追う理由は無い。

 

「ちょっとアンタ、結局それ盗んできたの!? そんな危ないもの抱えてないで捨てなさいな! ポイしなさい! 逃げるのに邪魔だし、いきなりボンってなったらどうすんのよ!!」

「ああ、俺の物干し竿が……」

 

 シルビアと呼ばれた褐色肌の魔族が一人遅れて走る鬼族が持っていた細長い何かを無理矢理手放させた。ガシャリ、と音を立てて地面に落ちるそれを名残惜しそうに見つめながら去っていく鬼族。

 

 あなたは魔王軍が去った後、彼らが戻ってこないことを確認し、その場に残された物を拾い上げた。

 鬼族が物干し竿と呼んだそれの長さは三メートル強。なるほど、物干し竿として使おうと思えば使うことができるだろう。

 全身は銀色で塗装されており、後部のトリガーの周辺は未知の機構で作られている。

 

 引き金(トリガー)

 そう、これは銃だ。

 それも回転式拳銃(リボルバー)のような、あなたでも仕組みが理解ができる簡単なものではなく、複雑な機械の塊の銃。

 細部こそ違えど、友人が作った凶悪極まりない光子銃(レーザーライフル)を彷彿とさせるそれはあなたが見てきたこの世界の技術で作られたものとは思えない。魔術師殺しやデストロイヤー、カズマ少年と女神アクアがご執心のピコピコと同じように。

 

 ノースティリスの恐怖の代名詞の一つである独特の銃声に思いを馳せながら、あなたは月光を反射して光り輝く銀の銃に鑑定の魔法を使う。

 結果、これこそがあなたの捜し求めていた魔法を圧縮して撃ち出す武器だということが判明した。

 名前はレールガン(仮名)。(仮名)までが名前である。

 手記に書かれていた通り、魔法を吸い込んで銃弾にするそうだが、鑑定の魔法の効果があるのは攻撃魔法ではないからか、あるいは異世界の魔法だからか。

 

 

 ――シルビアだ! シルビアがいるぞー!!

 

 ――今日こそ捕まえて魔法の実験台だああああああ!!

 

 ――まさか墜星の魔導剣士さんはシルビアに気付いてたった一人で戻ったのでは!?

 

 ――おのれ卑劣な魔王軍どもめ! 俺達の留守を狙うだなんて許しちゃおけねえ!!

 

 

 紅魔族が逃げたあなたを追って転移してきたらしい。

 遠くから聞こえてくる複数の紅魔族の声を耳にしながら、あなたは四次元ポケットの魔法を詠唱した。

 

 

 

 その日、魔王軍幹部シルビア率いる魔王軍は紅魔の里の制圧を諦めて一帯から撤退していった。

 服屋に代々伝わる由緒正しい物干し竿を盗んで。

 

 おのれ魔王軍め、正面からでは紅魔族に敵わないからと夜襲を選び、更に夜襲に失敗した腹いせに罪無き服屋の物干し竿を盗んでいくとはなんと卑劣な連中なのか。恥を知るがいい。

 

 あなたは窓から夜空を見上げながらまだ見ぬ強敵に義憤を募らせるのだった。

 それはそれとしてレールガン(仮名)はあと一回使ったら壊れるようなので使わずに大事に保管して友人に改良してもらおう。

 

 

 

 

 

 

「がああああ!!」

 

 後に星の夢と歴史書に刻まれる事になる夜から一日経った朝。

 濁った悲鳴であなたは目が覚めた。

 すわ何事かとリビングに向かってみると、なんとパジャマ姿のゆんゆんがあるえにアームロックを仕掛けていた。

 もう一度言う。パジャマ姿のゆんゆんがあるえにアームロックを仕掛けている。

 ゆんゆんは穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって新たな力に目覚めた状態から更に強い怒りで覚醒したかのように無表情だった。だが目は真紅に光っているので滅茶苦茶怒っている事は分かる。

 

「ノー! ユーダメ! コウマパワーキンジラレタチカラ!」

 

 必死に叫ぶあるえは涙目で錯乱している。レベル差もあって抜け出せないようだ。

 とりあえずそれ以上いけないとやんわりとあなたはゆんゆんを止めた。

 

「あ、ありがとうお兄さん。酷い目にあったよ……私は徹夜で書き上げた新作を持ってきただけなのに……」

 

 底冷えするゆんゆんの凍て付いた瞳を受けても全く懲りない、悪びれないあるえには感服の意を示したい。

 

「今回の外伝はお兄さんと紅魔族の裏切り者であるめぐみんが対決する話だよ! めぐみんはゆんゆんのライバルにして力を求めて魔王軍に寝返った悪の魔法使いで……」

 

 あるえは自殺志願者なのだろうか。

 そろそろゆんゆんが師であるウィズの氷の魔女という異名を襲名しそうになっているのだが。

 

「外伝ばっかり書いてないで本編の続きを書いたら?」

「ぐっ……! こ、これは過去編だから。前世代の話は本編に欠かせない話だから……!」

 

 痛いところを突かれた、とでも言うようにあるえはふらつき、震え声で釈明を始める。あなたは何故かとても辛い気持ちになった。

 

「……まあいいけど。あと前から聞きたかったんだけど、あるえの書いてる小説の中であるえはどうなってるの?」

「ふむ、私かい? 私は永き時を孤独に生き続け、世俗に飽いて隠遁した賢者として主人公たちに助言を与えるお助けキャラとして登場する予定だね」

 

 作者特権というやつだろうか。

 あるえが語る自身のキャラはやけに美味しいポジションな気がした。

 ゆんゆんも同意見のようで、じっとりとした目を向けてぽつりと呟いた。

 

「……あるえの紅魔族随一のえっち作家。いやらしさん」

「酷すぎないかい!?」

 

 

 

 

 

 

 あなたはゆんゆんと共にテレポートでアクセルに帰ってきた。

 カズマ少年達はもう少しピコピコで遊んだり観光してから紅魔族の里発アクセル着のテレポートサービスで帰るそうだ。

 

「あの……私の地元は、紅魔の里はどうでしたか?」

 

 あなたが引いている、土産物が満載された引き車を見ながらのゆんゆんの問いかけにあなたは一瞬だけ答えに窮した。

 

 紅魔の里は悪いところではなかったが、そこに住まう紅魔族は誰も彼もがあまりにも好意的すぎた。こうして里中の人間が嬉々として抱えきれないくらいの量の土産物を持たせてくれるくらいに。

 あなたは邪険にされたり敬遠されるのに慣れていても、アイドルの如き扱いには慣れていないのだ。

 彼らのあなたへの下にも置かない歓待っぷりは他に類を見ないほどで、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。

 紅魔の里で暮らすくらいならあなたはアルカンレティアを選ぶだろう。

 

 だがいい所である事は確かなので、ほとぼりが冷めた頃にでもまた遊びに行きたいとあなたが正直に答えるとゆんゆんはとても喜んでいた。

 友人が自分の故郷を好きになってくれて嬉しかったのだろう。例え自分の感性からは離れすぎた場所だったとしても、あそこは彼女が生まれ育った場所なのだから。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなを経てあなたは無事に自宅に戻ってきた。

 色々な事があった旅だったが、おおむね楽しかったと言える。

 時間にしてみれば一週間も経っていないのだが、濃いイベントの数々にあなたはまるで数ヶ月ぶりに帰ってきたかのような錯覚を覚えていた。

 

「ふんふんふーん」

 

 自宅の横のウィズ魔法店の前では箒を持ち、耳に心地よい鼻歌を歌いながら地面を掃いているウィズの姿が。

 看板猫のマシロは丸くなって日向ぼっこをしている。

 あなたが近づきながら声をかけると、魔法店の店主にしてあなたの同居人はパッと勢いよく振り返り、柔和な美貌を綻ばせた。

 

「……おかえりなさいっ!」

 

 ウィズはいつも通りの、誰もが見惚れる素敵な笑顔であなたを出迎える。

 春の陽だまりのようなぽわぽわりっちぃの笑顔に、あなたも自然と笑みを零した。

 同居を始めて早数ヶ月が経過したが、彼女はいつだって心の底から嬉しそうにあなたにおかえりなさいと言ってくれる。

 

 おかえりなさい。

 

 たった七文字の言葉だが、ウィズにとってそれがどれほど重い意味を持つものであるか、今のあなたは熟知していた。

 だからこそ、いつだってあなたは帰宅した際、彼女に最初にこう言うと決めている。

 大切な『友人(特別な人)』に、たった四文字の簡単な言葉にありったけの心を込めて。

 

 

 

 ただいま、と。


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