このすば*Elona   作:hasebe

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第76話 特別ではない、たった一人の友人

 めぐみんの名乗りと宣戦布告に数百人の紅魔族は一同揃って沈黙に包まれた。

 あなたが星落としの犯人だと自白した時とは違い、互いの顔を見合わせる彼らの顔に浮かぶものは興奮よりもむしろ困惑の色が濃い。

 

「……爆裂魔法? あの威力だけが無駄に高いネタ魔法?」

「ひょいざぶろーのところの娘さんが?」

「紅魔族随一の天才が、爆裂魔法使い?」

 

 再度繰り返すが、朝を告げる鶏の鳴き声の代わりに星は降らず、昼食後の運動の為の終末は起きず、核の炎が夜の闇をほうらあかるくなったろうと焼き尽くしたりしない。そんな平和で、しかし命が重いこの世界において無駄に強力すぎる爆裂魔法はネタ扱いされている。

 なのでゆんゆん曰くめぐみんは里の者達に自分が爆裂魔法使いである事を内緒にしていたそうだが、自分から盛大に暴露してしまった。喧嘩っぱやくて沸点の低い彼女はきっと何も考えず、その場のノリと勢いに任せてヤケクソになったに違いない。

 全てはあなたが放ったメテオの威力にめぐみんが対抗意識を燃やしてしまった結果である。

 めぐみんは知力が高いにもかかわらず割と頻繁にそういう後先考えない行動をとる少女だとあなたも知っている。幼少期にめぐみんが見て憧れた爆裂魔法が彼女の人格形成に多大な影響を及ぼしている事は誰の目にも明らかだ。女神ウォルバクにあなたの知る限りのめぐみんの素行の悪さを教えようものなら、今度こそ本当に泣いてしまうかもしれない。

 

「めぐみん、スキルポイントはどうした? 上級魔法と言わず、卒業してから中級魔法を覚えるくらいのスキルポイントは貯まってただろ?」

「……先生ですか。生憎爆裂魔法以外何も覚えていません。私のスキルポイントはその全てを爆裂魔法を強化するものに振っていますから」

 

 そう言ってめぐみんは聴衆に自身の冒険者カードを見せつけた。

 そしてその言葉に違わず、確かにめぐみんはポイントの全てを爆裂魔法の強化に注ぎ込んでいた。ポイントの残高はゼロ。

 つい最近再会する事ができた、幼い頃のめぐみんに道を指し示した恩人にして全ての元凶である怠惰と暴虐の女神にして魔王軍幹部が与えた悪魔の囁きともいえるアドバイスはめぐみんの中で確かに息づいている。

 

 

 ――止めて! お願いだから止めて! 仕方ないじゃない! だって仕方ないじゃない!! あんなキラキラした目で見られた挙句子供の頃からずっと貴女の爆裂魔法に憧れてました、人生の殆どを捧げていますなんて言われたらそれは凄く使いにくい魔法だから今からでも他の魔法覚えたら? なんて血も涙も無い事言えるわけないでしょ!? それともあなたは私にあの子のあの瞳と笑顔を曇らせろって言うの!? そんなの悪魔の所業以外の何物でもないわ!! このバニル!!

 

 

 どこからか誰かの泣き言が聞こえた気がした。あとバニルは悪口ではない。

 

 だが隠し事が無くなっためぐみんの顔はどこかスッキリしているように見える。

 例え同族から微妙な目を向けられていたとしてもそれは変わらない。

 

 あなたもウィズに異邦人である自身の素性を明かした時はスッキリした気分になったので、めぐみんの心情を全く理解できないわけではない。

 できないわけでないが。

 

「うわぁ……」

「なんですかその可哀想な人を見る目は! 里の中でぶっ飛ばしてほしいんですか!? 紅魔族は同族が相手だろうと売られた喧嘩は全力で買いますよ!!」

 

 げきおこぷんぷん丸と化しためぐみんをカズマ少年達が必死に取り押さえる。

 

「めぐみん! 今からでも遅くないわ! 素直にごめんなさいした方がいいと思うの! 幾ら私の蘇生魔法でも星落としでプチってなったりミンチになったり消し炭になったり塵一つ残さず消滅しためぐみんを蘇生はできないんだからね!?」

「俺は見てないけど星落としって名前の響きからしてもう百パーセントヤバイ魔法なのが確定してるじゃねーか! 大体喧嘩売る相手は選べっていっつも言ってるだろこの馬鹿! ほら、俺も一緒に謝ってやるから!」

「なんで私が負ける事前提で話を進めるんですか!? そんなに私の爆裂魔法が信用できませんか!? デストロイヤーに続いて魔王軍幹部を消し飛ばしてきたパーティーのメイン火力をもっと信じてくれてもいいじゃないですか!!」

「勿論私は信じているぞ! だからこそこういう生きるか死ぬかの耐久実験みたいなのは私がやるべきだと思う!! 以前爆裂魔法を食らったから星落としとどっちが気持ちい……痛かったか私が食らって判断するというのはどうだろうか!?」

 

 精力旺盛なオーク達を駆逐するのに核爆弾では威力に不安があったので手っ取り早く、かつ試験的にメテオを使ったが、まさかこんな事になってしまうとは。

 魔道具扱いになりそうな核を使うべきだっただろうか。しかし核は核で凄まじい爆発を引き起こすので、爆裂狂なめぐみんの琴線、あるいは逆鱗に触れそうである。

 どちらにせよ既に賽は投げられた。そして人生にやり直し(セーブ&ロード)など存在しない。

 

 あなたとしては賽ではなく匙を投げたかったが、少なくともめぐみんは本気だ。本気であなたに魔法勝負を挑んでいる。

 伊達だろうが酔狂だろうが、本気でやるというのであればあなたは彼女を迎え撃つだけだ。

 例え今更引っ込みが付かなくなってしまっているのだとしても、妹分が構ってほしがっていると思えば可愛いものである。全力で構い倒さねばなるまい。

 

「ふん、どうやらそちらもやる気満々みたいですね。まあ当然ですが」

「いいなあ……いいなあめぐみん……」

 

 正々堂々と勝負を受けるというあなたの意を受けカズマ少年と女神アクアは絶望したように頭を抱え、めぐみんは満足げに頷いた。指を咥えて物欲しげにこちらを見つめてくるダクネスは無視しておく。

 

「私が皆に内緒にしていた秘密を暴露させておいて自分だけとんずら決めるなんて許しませんよ?」

 

 一人で勝手にヒートアップして一人で勝手に暴露しておいてそれを理由に逃げ道を塞いでくるめぐみんにはお前は何を言ってるんだと言わざるを得ない。流石は頭のおかしい爆裂娘だ。あなたとしては彼女のそういう所も嫌いではないが。

 

「本音を言えば今すぐこの場で決着をつけたいところですが、生憎私は今日の分の爆裂魔法は使ってしまったので魔力が足りません。そちらもオークと戦い、更にあんな魔法を使った後で消耗しているでしょう。勝負は明日以降に預けておきます」

 

 めぐみんはあなたが魔力を回復させて疲労を癒す為に眠っていたと思っている。

 しかしあなたが寝ていたのはあまりにも暇を持て余していたからであって、全く疲労していない。

 そもそもメテオ程度の魔法なら百発連続で撃った所であなたの魔力は枯渇しなかったりする。

 

 便利すぎるこの世界の魔法のように回数を気にせず使えるわけではないが、あまり使わない上に無駄に溜め込んでいるメテオのストックは核と合わせて使いどころさえ見極めればこの国は勿論、あるいは星の文明を石器時代以前に戻す事すら可能かもしれない程度には残っている。

 そんなわけで枯渇しないどころか実際は大盤振る舞いが可能なのだが、これ以上の迂闊で残念な発言は火に油どころではなくなりそうだと悟ったあなたは彼女の提案を受け入れるに留まった。

 

「……ん? いや、ちょっと待って」

 

 そのままなし崩しで解散しそうな空気になりかけた瞬間、紅魔族の中の一人が呟いた。

 

「もしかして、これってもう一回星落としの魔法が見れるって事?」

 

 一斉にハッとした表情になった紅魔族の空気が変わった。

 困惑と呆れの代わりに、紅魔族の間に期待と興奮が広まっていく。

 

「うわっ、また目が光った」

「信号機みたいにピカピカ光ってて……なんかもう、アレだな。アクシズ教徒といい、どいつもこいつも変態ばっかりかよ……」

「か、カズマ? どうして私を見るんだ?」

「ってちょっと待って、アクシズ教徒はロボットみたいに目が光ったりしないんですけど!?」

「そうだな、アクシズ教徒は目が光るくらい可愛いレベルで変態だったな」

 

 必死に自身の信徒がいかにマトモなのかを訴える女神アクアを笑って流すカズマ少年。

 一方で再度あなたのメテオが見れると理解した紅魔族は先ほどから一転してやんややんやとめぐみんを持て囃し始めた。

 

「頑張れ! めぐみん頑張れ!」

「星落としに負けるなー!!」

「汝星砕きを目指さんとする者! 紅魔族の底力を存分に見せ付けるべし!!」

 

 子供騙しですらないあまりにも露骨すぎる手の平返しだが、それでもめぐみんは満更でもなさそうだ。

 

「ま、まあ見ていてください。この紅魔族随一の天才が爆裂魔法で皆の想像以上の物をお見せする事をお約束しましょう! この紅魔族随一の天才が! 爆裂魔法で!!」

 

 応援と喝采を浴びながら薄い胸を張ってドヤ顔で宣言するめぐみんはニヤケ顔を隠せていない。

 紅魔族の反応を見る限り、彼らにとってはあくまでもメテオが見たいだけであって爆裂魔法はオマケのように思えるのだが、あえて言うまい。

 とりあえずめぐみんはベンチに横になって眠るゆんゆんを笑えないくらいにちょろかった。

 それともちょろいのは紅魔族のデフォルトなのだろうか。

 

 

 

「ああもう……俺はどうなっても知らないからな……あれ? そういえばめぐみんの奴いつ爆裂魔法使ったんだ?」

「え、何言ってんのカズマ。逃げる途中で使ってたじゃない」

「逃げるって何からだよ。魔王軍か? そもそも何で俺ダクネスに背負われてたんだ? 森に入った所までは覚えてるんだけど、気付いたら紅魔族の村に着いてるみたいだし、挙句の果てにこんな事になってるし」

「か、カズマ。お前まさか……」

「シッ、ダクネス。それ以上は駄目よ」

「そうだな……世の中には覚えていない方が幸せに生きていける事があるからな。私が男だったらカズマと代わりたいくらいだったが」

「……俺と代わりたい? ……えっ?」

「大丈夫。大丈夫よカズマ。アンタは木の根っこに躓いて頭を強く打っちゃっただけだから」

「ああ、それ以上の事は何も無かった。何も無かったんだ。それでいいな?」

「これっぽっちもよくねーよ! なんでお前らそんな見た事ないくらい優しい目で俺を見るの!? 逆に滅茶苦茶こえーよ! つーかよく見たら服まで変わってるし! 森で俺に何があったの!?」

 

 

 

 

 

 

 肉体的にはともかく、精神的に若干の疲労をあなたに与えたメテオ騒ぎからようやく解放されたあなたはゆんゆんと共に族長の家に戻ってきた。

 カズマ少年達はめぐみんの実家に行き、族長達は緊急で話し合いを行うそうで、現在族長の家の中にはあなたとゆんゆんの二人きりだ。

 

 意識のない年頃の娘と男の客人が一つ屋根の下で二人きりなのだが、ゆんゆんの両親は特に何かを言ってきたりはしなかった。むしろめぐみんがゆんゆんに何かしたらウィズにチクりますよ、と釘を刺してきたくらいだ。

 勿論あなたがあるえの書いた小説のように弟子に手を出す事など世界が滅んでもあり得ないので、彼女の懸念は杞憂以外の何物でも無い。

 

 さておき、ゆんゆんを自室のベッドに寝かせ、女神アクアの洗濯でびしょ濡れになった服を着替えた後は久々に抜いた愛剣を始めとする装備品の手入れを行っていたあなただったが、やがて日が完全に沈み夜になった頃、ドタバタと慌しい物音が聞こえてきた。

 

「お父さんお母さん! あの人は!? あの人はどこ!?」

 

 ゆんゆんが目を覚ましたらしい。

 今にも泣き出しそうな切羽詰った少女の大声が明かりの消えた家の中に空しく響く。族長夫妻はまだ帰宅していないのだ。

 あなたが腰を上げて居間に向かおうとした瞬間、客室の扉を乱暴に開け放ち、真っ青な顔のゆんゆんが飛び込んできた。

 

「…………っ!!」

 

 怪我一つ無いあなたの姿を視認した瞬間、心配性の紅魔族の少女は大きく目を見開いて息を飲む。

 そして苦笑いと共に何の気なしに発したおはようという極めて時間がズレている挨拶を受け、へなへなと腰を抜かしてしまった。

 

「い、生きてる……良かった……本当に良かった……よかったよぉ……!」

 

 あなたに心底からの安堵の笑みを浮かべる彼女の目尻には大粒の涙が。

 可愛いといえば可愛いのだが、ゆんゆんは昨日から少し泣きすぎではないだろうか。

 

 無論彼女があなたを心配してくれているというのはあなたにも分かっているが、生きているという事をこんなにも喜ばれた経験の無いあなたは気まずさで反応に困るばかりだ。あなた以外のノースティリスの冒険者や死亡回数が早くも三桁に届いたベルディアも同意してくれるだろう。

 決して不愉快というわけではないのだが、やはり互いを高く遠く隔てる死生観のギャップを埋める事は難しい。

 

「ひぐっ、ぐすっ、ふぐぅっ……」

 

 涙を拭うゆんゆんの背中を摩って慰めながら、あなたはふと愛剣の力を借りてみようかと思い至った。

 この世界で死んだ場合どうなるか不明なので死ぬ事はできないが、愛剣に頼んで百回ほどギリギリ死なない程度に血の海に沈む自分の姿を見れば、心配性で友人思いのゆんゆんといえど流石に少しは慣れてくれるのではないだろうかと考えたのだ。実に名案な気がする。

 

 朝の挨拶をしたら全身から流血。

 食事中に腕が爆散。

 運動中に足がもげる。

 散歩中に内臓が内側から破裂。

 遊んでいる最中にミンチ一歩手前。

 

 その他各種行動中に何の前触れも無く唐突に瀕死の重傷を負う自分。

 

 本人(あなた)からしてみれば想像しただけで笑えてくるシュールな光景だが、友人が瀕死になるというシチュエーションに慣れる前にゆんゆんの精神がガンバリマスロボを通り越して完全に崩壊しそうな予感しかしないので止めておく事にした。

 無駄に怪我をするとウィズに心配をかけてしまいそうだし、中々に難しいものだ。

 ゆんゆんといいウィズといい、ノースティリスに連れて行くことができれば一発で全ての問題は解決するだろう。それはそれで新たな問題を生み出しそうだが。

 

 

 

 

 

 

 虫と微かな獣の声だけが聞こえてくる、まるで魔王軍が近くに来ているとは思えないほどに静かで穏やかな夜の中、あなたは里の入り口に配置されている、数時間前に自身が眠りこけていたベンチの前に立っている。

 それなりに長い時間をかけて落ち着きを取り戻したゆんゆんは、何を思ったのかあなたを外に連れ出したのだ。

 

「…………」

 

 月の光に照らされるベンチに残った赤黒い血痕を撫でるゆんゆんの表情と内心は彼女の背後に立つあなたには窺い知る事はできない。

 

「私の夢は、お父さんの跡を継いで、皆に認めてもらえる立派な紅魔族の族長になる事でした……いえ、これは今も変わっていません」

 

 おもむろにゆんゆんは口を開く。

 

「でも今日、私にもう一つやりたい事ができました」

 

 それは彼女が彼女自身に向けた宣誓であり、同時にあなたに向けた懇願でもあった。

 

「……私、強くなります。どれくらい時間がかかるか分からないけど、いつかきっと、あなたやウィズさんの隣に立てるくらい強くなります。背中を守れるくらいに強くなってみせます」

 

 あなたに向けていた背を翻し、当代随一のアークウィザードの愛弟子にして紅魔族族長の一人娘の強い意志を秘めたルビナスにも似た鮮やかな赤い瞳があなたを射抜く。

 

「だから。だから、その時は……私を、ウィズさんみたいな……あなたの『友達(特別)』にしてくれますか?」

 

 

 

 さて、ゆんゆんはあなたにとって何者なのか。

 

 今更言うまでも無く、彼女はあなたの友人である。

 『友人(特別)』ではない、しかし唯一無二の友人だ。

 友人であると同時に師弟であり、保護者のようなものでもある。

 

 なので、硬く両手を握り締め、真っ直ぐと真摯な瞳で見つめてくる彼女にあなたは天を仰ぎ、率直に答えた。

 今この瞬間だけはノースティリスの冒険者としての自分の一切を排し、彼女の友人、師、保護者として。

 

 悪い事は言わないから止めておいた方がいい、と。

 

 

 

 ゆんゆんには才能がある。

 紅魔族随一の天才と謳われるめぐみん(ライバル)にこそ届かずとも、それでも努力を続ければあるいはあなた達にすら届きかねないほどの天稟の才だ。

 

 ……いや、実のところ、強くなる為に才能など必要ない。

 かつてのあなたと同じように、どんな事があってもただひたすらに努力するだけでいいのだから。

 必要な物は強くなりたいという意思だけだ。あるいはそれすらも必要ないかもしれない。例え惰性でも、努力を続ける事ができればいつかは至るだろう。

 

 ベルディアのように力を求めてあなたの仲間になりたいというのであれば、あなたは特別ではない、しかし唯一の友人を失う事を寂しく思いつつもそれを受け入れていただろう。

 しかし彼女はウィズのような、あなたにとっての『友人(特別)』になりたいが為に強くなりたいと言う。

 

 優秀な種族である紅魔族とはいえ、定命のままそれを望むというのであれば、それは極めて長く険しい道のりになるだろう。

 ゆんゆんは今日のような、あるいはそれ以上に辛い思いを何度もする事になるだろう。

 今この瞬間は絶対だった筈の決意が磨耗し、折れて朽ち果てるほどの艱難辛苦に襲われるだろう。

 

 命が軽いイルヴァの民、その中でも一等命に価値が無いと称されるノースティリスの冒険者達が廃人(壊れている)と呼ぶほどにその名が持つ意味は重い。

 

 決して後悔はしていない。

 

 だが至り、成り果てて久しいあなたもまたあまりにも多くのものを失ってきた。

 力を得る代償として()()()()()()を失った。

 手の平から零れ落ちたそれはきっと失くしてはいけなかったもので。

 

 幾ら師弟とはいえ、ゆんゆんまで自分のように逸脱してしまう必要などどこにも無いのだ。

 きっとウィズもあなたと同じ事を言うだろう。

 

 そしてあなたはノースティリスの冒険者だ。今更それ以外の何かになろうとは思わないし思えない。

 故に、この先二度とあなたがこんな事を言う機会は訪れないだろう。

 そんな確信を抱きながら話を終え、異邦人と紅魔族の師弟(あなたとゆんゆん)の視線が交錯する。

 

「…………」

 

 果たして、あなたはゆんゆんの瞳を見て一瞬で匙を投げた。

 今の彼女に口で何を言っても無駄だ。そういう目をしている。

 

 そう、あなたは忘れてしまっていたが、ゆんゆんは紅魔族の里でたった一人、誰かの影響を受けたわけでもなく今の自身を築き上げてきた想像を絶する精神力を持つ少女だ。

 この程度の制止の言葉でどうにかなるなら、彼女はとっくの昔に普通の紅魔族になっていただろう。

 

 できる限りの忠告はした。

 それでも尚、力を求めるというのであれば。自分達に並びたいというのであれば。

 あなたに彼女を止める権利などありはしない。

 

 若さ、あるいは無謀とも言えるゆんゆんの熱意もまたかつてのあなたが持っていたものだ。

 自覚すると共に苦笑いを浮かべ、あなたは溜息交じりに言葉短く返した。

 その時を楽しみに待っている、と。

 

 

「……はいっ!!」

 

 

 ゆんゆんがウィズのような『友人(特別)』になった時はなった時だ。

 彼女の事を思って止めこそしたが、命のやり取りができる相手、自分を終わらせる(埋める)事ができる相手が増えるのはノースティリスの冒険者としてのあなたとしては非常に喜ばしい事である。

 

 なので、ゆんゆんにはどうか最期まで諦めずに研鑽を積んでほしい。

 是非とも鍛錬の果てに高みに至った力で自分達と存分に遊んで(殺し合って)ほしいものだ。

 あなたは心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

「……おかえりなさい」

 

 あるえ辺りが知れば大興奮しそうな会話を終えて族長の家に戻ってきたあなたとゆんゆんだが、なんとつい数時間前に啖呵を切ってあなたに勝負を申し込んできためぐみんが家の前で待ち構えていた。しかもパジャマ姿である。

 あなたを見て会いたくない人間に会ったとばかりに忌々しげに表情を歪めるめぐみんだが、あなたはゆんゆんの実家に宿泊している身なのでここに来れば会うのは当たり前だ。

 

「しゅ、宿泊!? 私はてっきり普通に宿屋に泊まっているものだとばかり……」

 

 ゆんゆんを送る際に言わなかっただろうか。

 

「聞いてません。送るだけだと思ってました。というかこんな時間まで二人きりにさせるとか族長といいおばさんといい正気ですか。いやまあ、確かにカズマと二人きりにするよりは百倍は安全でしょうけど……」

「そ、そこまで言わなくても……。それにこんな時間に出かけてたのだって私が誘ったからだし……」

 

 ちなみに現在時刻は深夜に差し掛かろうかという頃合だ。族長達はまだ帰ってきていないようで、家の中は今も暗い。玄関には鍵をかけて出てきたので勝手に中に入る事もできなかったのだろう。

 常であれば友人の来訪に喜んでいたであろうゆんゆんも、この時間に一人で訪ねてきためぐみんに困惑の色を隠せていない。

 

「……こんな夜更けにどんな話をしていたかは知りませんが、調子は戻ったみたいですね。一時はどうなる事かと思っていましたが」

「え、あ、うん。……もしかして、私のこと心配してくれたの?」

「別にそういうわけではありません。ライバルにみっともない姿を晒されていると私まで調子が出ないだけです。勘違いしないでください」

 

 めぐみんはぷい、と顔を背けながらツンデレのテンプレのような台詞を吐いた。

 まるでキョウヤに対するベルディアのようだ。最近は会っていないが、あれはキョウヤをボコボコにしつつ口は悪くとも真面目に彼を鍛えていた。

 キョウヤの仲間の少女達からゲイのサディストではないかと疑惑を抱かれている可哀想な元魔王軍幹部のデュラハンの事はさておき、めぐみんはこんな夜更けにどうしたのだろう。

 他所ならいざ知らず、ここは彼女の地元だ。自分の実家があるというのにわざわざこうしてゆんゆんの家に来た理由が分からない。しかも仲間も連れず、たった一人で。

 

「カスマ、もといカズマに寝込みを襲われかけたので逃げ出してきました。恥を忍んで頼みますが、朝になったら帰るのでちょっと泊めてください」

「襲われっ……うぇえええええっ!?」

 

 何事かと思えば、仰天の理由だった。とてつもなく仰天の理由だった。

 確かにカズマ少年は自身の欲望に忠実な健全な青少年だが、まさか仲間の寝込みを襲うような人間だったとは。

 オークに襲われた事で何かが吹っ切れてしまったのだろうか。

 サキュバスの風俗店にお世話になろうともそれは所詮夢だ。せめて童貞くらいは可愛い相手で失いたいと。なるほど、そういう事であれば気持ちは分かる。とてもとても良く分かる。

 過去を想起して一人納得するあなただったが、めぐみんの友人にして多感な年頃の少女であるゆんゆんは当然激怒した。

 

「さ、最低っ! 信じられない! カズマさん、あなためぐみんに何をやってるんですか!? ……ってちょっと待って、襲われかけたって、もしかしなくてもめぐみんの実家での話だよね!?」

「いえ、その、私の母がカズマをけしかけたらしく……」

「家族公認!?」

 

 ゆいゆいさん……恐ろしい人! と白目を剥いてショックを受けるゆんゆんの一方、赤い顔でそっぽを向くめぐみんはとても気まずそうだ。

 あれだけの事を言っておきながら、仲間に性的に襲われかけてライバルの実家にして決闘相手が宿泊している家に逃げ込み、その玄関の前で膝を抱える頭のおかしい爆裂娘の何とも言えない哀れな姿に流石のあなたもかける言葉が見つからない。

 思わず半笑いで生暖かい眼差しをプレゼントしてしまったくらいである。

 

「く、屈辱です……! この屈辱は後日の決闘で必ずや……くしゅん!」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! ああもう、まだ肌寒いのに薄着で玄関の前で座るからこんなに身体冷やして! このままだと風邪引くわよ、早く中に入って入って!」

 

 口ではあれこれ言いつつ、めぐみんの世話を焼くゆんゆんはとても生き生きとしている。

 分かってはいたが、ゆんゆんは本当にめぐみんが大好きなのだ。

 

「ちょっ、腕を引っ張らないでください! 頭のおかしいのが滅茶苦茶微笑ましいものを見る目で私達の事見てますから! お願いですから誤解しないでくださいよ? 私がここに来たのはあくまでも一番家が近かったからであって、決してゆんゆんの他に頼れる相手がいなかったとか、闇堕ちしかけてたゆんゆんが心配だったとかではなくてですね……!」

 

 レベル差で抵抗する事も叶わず、無理矢理引き摺られながらも必死に弁解するめぐみんの後を追うあなたはふと思った。

 この先ゆんゆんがどんな道を選ぶにせよ、めぐみんという竹馬の友がいる限り、ゆんゆんが道を踏み外すことは無いだろう。

 

 ……あとついでに、自分は何かとても大切な事を忘れていないだろうか、とも。

 

 

 

 その三分後、あなたの懸念はいともあっさりと解消した。

 他ならぬ、めぐみんから自分の友人達(あなたとめぐみん)によるメテオ(星落とし)爆裂魔法(星砕き)の勝負の件を聞かされたゆんゆんの怒号によって。

 

「馬鹿っ! 前から思ってたけどやっぱりめぐみんって馬鹿と天才は紙一重の馬鹿の方でしょ! なんでアレを見て喧嘩を売ろうなんて思えるの!? 紅魔族随一の火力馬鹿! めぐみんの爆裂馬鹿!!」

「馬鹿馬鹿言わないでくださいこの馬鹿! ゲロ甘チョロQの豆腐メンタル! なんですか久々にやりますか!? いいですよ、星砕きの前哨戦といこうじゃないですか!!」

 

 この先ゆんゆんがどんな道を選ぶにせよ、めぐみんという竹馬の友がいる限り、ゆんゆんが道を踏み外すことは無いだろう。

 

 踏み外さないはずだ。

 多分、きっと。

 踏み外しませんように。

 

 あなたは割となげやりな気分で自身が信仰する女神に祈りを捧げるのだった。

 

 

 

 ちなみに二人の本日の勝負はトランプタワー作成。

 高いステータスにものを言わせて先行し、後一歩のところまでいったゆんゆんだが、完成するタイミングでめぐみんがこっそり息を吹きかけるという神をも恐れぬ外道行為に手を染めた為にゆんゆんは今回も敗北した。

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝。

 朝食前に帰宅しためぐみんを見送った後、深夜三時に帰ってきた族長夫妻が一枚の紙を差し出してきた。

 

「あの後里の皆で話し合ってみたんだけど、最終的に君の通り名はこの三つに決まったよ」

 

 

 ――墜星(ついせい)の魔導剣士。

 

 ――血塗られし禁呪の伝承者。

 

 ――星天を操りし者。

 

 

 以上が紅魔族がノリノリで命名してきたあなたの通り名だ。

 日付が変わっても帰ってこないから何を真剣に話し合っていたのかと思えばまさかのこれである。

 こんなものを見せてきて自分にどうしろというのか。まさか自称しろとでも。通り名が決まったと言われても困るし名乗る気も無い。

 彼らのセンスや価値観を否定はしないが肯定もしないあなたにゆんゆんの両親は大仕事を終えたとばかりに清清しい笑みを向ける。

 

「私のオススメは墜星の魔導剣士かな。いや、実はこれは私が考えたものなんだがね? 我ながら中々のものだと自負しているよ。星落としや落星じゃなくて墜星というのがポイントで……」

「あ、それとこんなチラシも作ったの。もう里中に張られてると思うから」

 

 

 ――紅魔族随一の天才vs墜星の魔導剣士!

 

 ――○月×日、二十の刻より両雄相対す!

 

 

 ゴン、ゴン、と。鈍い音が隣から断続的に聞こえてきた。

 大体何が起きているかは察していたが、一応見てみれば、やはりゆんゆんがテーブルに頭を打ちつけている。

 

「は、恥ずかしい……! 私、自分が紅魔族である事が恥ずかしくなってきた……!」

 

 チラシには無駄に上手いあなたとめぐみんの肖像画が描かれていた。

 絵の中のあなたは鍛冶屋から手に入れた聖剣、ただし岩が付いていないそれを両手で天高く掲げながら巨大な灼熱の星を落とし、それをめぐみんが迎え撃っている。

 さながら壁画に描かれた神話の再現の如き神々しさだ。この出来ならば普通に売れるのではないだろうか。才能の無駄遣い過ぎる。

 

 そしてなるほど、どうやら勝負は三日後の夜に決まったらしい。

 勿論あなたは対戦日も対戦時刻も初耳である。めぐみんも昨日何も言ってなかったので知らない筈だ。当事者が完全に置いてけぼりの状態で話が進みすぎていて困る。

 ニコニコと笑う族長夫妻から悪意は感じられないので、彼らは純粋に善意でやっているのだろう。魔王軍は放っておいていいのだろうか。きっといいのだろう。

 

「いやあ、実に楽しみだなあ。星落とし対星砕き。あ、対戦会場はどこにします? ここはドーンと派手に魔王城前とかどうです?」

「最近はイベントも無くて皆退屈してましたからね。折角攻めてきた魔王軍も張り合いがなくて暇な人くらいしか参戦しないくらいですし」

「止めて、お願いだから止めて……! ごめんなさい、なんかもう私の両親が本当にごめんなさい……あああああ、恥ずかしいよぉ……大体何、墜星の魔導剣士って……!?」

 

 嬉々として語る族長夫妻に対し、真っ赤な顔で羞恥にぷるぷる震えるゆんゆん。

 確かに通り名は紅魔族のセンスが随所に光っているものの、それでも頭のおかしいエレメンタルナイトよりは遥かにマシなので文句を言う気は無い。名乗る気も無いが。

 

 とりあえず対戦会場はメテオのせいで吹き飛んだ、昨日までは平原だった場所を推薦しておいた。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんの母親が言っていたとおり、昨日の今日で早くも里の各所にあなたとめぐみんの対決を喧伝するチラシが張られていた。

 更に里のあちこちで楽しそうに煌びやかな飾り付けを行う紅魔族の姿が。

 彼らは魔王軍が攻めてきているこの状況下で祭でも開くつもりなのだろうか。むしろ里中が浮かれて隙だらけの今こそ攻め込む絶好のチャンスだと思うのだが、魔王軍が攻めてくる気配は無い。もっと真面目に仕事をすべきだ。

 

「なんか……えらい事になっちゃってますね」

 

 呆然と里を眺めるゆんゆんのその言葉に両手いっぱいにサイン色紙や野菜、貴重な鉱物、魔道具が入った袋をぶら下げながらあなたは無言で頷いた。

 先日に続いてゆんゆんと共に里の観光に赴く前にめぐみんの家に足を運ぼうとしていたあなただったが、道中ですれ違う紅魔族の誰も彼もがあなたの事を名前ではなく彼らが考案した通り名で呼んで声援と共に色々な物を押し付けてきたのだ。ついさっきも星落とし饅頭なるものを貰ったが、とても美味しかった。

 

 どうやら先日の件のせいであなたは紅魔族のカリスマ的存在となってしまったらしい。まるで世界を救った英雄やアイドルのような扱いだ。

 人目のあるところで安易にメテオをぶっぱなしたあなたの自業自得ではあるのだが、ここは無邪気に喜ぶべきか、あるいはゆんゆんのように両手で顔を覆って恥ずかしがるべきなのか。あなたとしては判断がつきかねた。

 

 しかし死んだ目をしたふにふらとどどんこにいきなりハーレムってどう思います? と聞かれた時は流石に彼女達の正気を疑わざるを得なかった。

 ちなみにそれを聞いたゆんゆんはやんわりと二人を諌め、あなたが自分にそんな甲斐性は無いと返し、二人はちくしょうリア充爆裂しろと泣いて逃げ出した。まるで意味が分からない。新手の死の宣告だろうか。

 

 

 

「えっと、ここがめぐみんの家の筈、なんですけど……」

 

 さて、そんなこんなであなたがゆんゆんに案内されて辿り着いたのは里の隅、他住宅から少し離れた場所に建っている、綺麗だがごく普通の一軒家だった。

 表札にはひょいざぶろー、ゆいゆい、めぐみん、こめっこと書かれている。

 

「その……私が知ってるめぐみんの家とちょっと……いえ、かなり違うな、と……すみません、これ以上はちょっと……」

 

 曖昧に言葉を濁すゆんゆんだが、ここがめぐみんの実家なのは疑いようも無い。

 首を傾げるゆんゆんを放置してあなたが玄関のドアをノックすると、中から元気な女の子の声が聞こえてきた。

 

「はーい! いまでまーす!」

 

 玄関を開けて出てきたのはめぐみんに良く似た愛らしい少女だった。

 年齢は七歳か八歳ほどだろうか。どこぞのロリコンでショタコンで子供の肉が大好きな友人が見れば大興奮間違いなしだ。

 

「こめっこちゃん、久しぶり。めぐみんはいる?」

「…………」

「えっと、こめっこちゃん……? 私ゆんゆんだけど、覚えてる? もしかして一年近く会ってなかったから忘れられてるとか? ほら、めぐみんのライバルで族長の一人娘の……」

 

 長年付き合ってきた友人の妹へと向ける言葉としてそれはあまりにも悲しすぎるのではないだろうか。

 そんなゆんゆんとあなたを交互に見比べ、こめっこは家の中に顔を向けて大声で叫んだ。

 

「ねーちゃーん! ゆんゆんがいかにもお金持ってそうな男の人連れて遊びに来たよー! 姉ちゃんはまだ彼氏作んないのー!?」

「ちょっ、こめっこちゃん!?」

 

 

 

 

 

 

 妹に呼ばれて渋々玄関に出てきたはいいものの、あなたがお土産として購入した星砕き饅頭を受け取って苦虫を噛み潰した顔のめぐみん。

 ゆんゆんは耳まで真っ赤にしてこめっこに必死に彼氏云々が誤解である事をアピールし、カズマ少年達はハラハラと物陰からあなたとめぐみんの会話を見守っている。

 

「ちっ……何しに来たんですか。敵情視察のつもりですか? どこぞの頭のおかしい金蔓がウィズの店にじゃぶじゃぶ金を落としてくれるおかげで紅魔族随一のボロ家だった我が家はご覧の通りまともな一軒家になりましたが」

 

 ジロリと睨み付けながら舌打ちを隠そうともしない辺り実に刺々しい。

 何をしに来たと言うが、あなたは昨日大事な事を言い忘れていたのだ。

 

「……大事な事?」

 

 そう、めぐみんはちゃんとメテオを防ぐ手段を用意しておくべきである。

 具体的には火炎属性を無効化する装備や魔道具を。

 後衛職である彼女の耐久では生半可な耐性を付ける程度では恐らく耐えきれないので炎を無効化するのが望ましい。

 

 あなたとしては果敢に自身に挑んでくる妹分の無事を願っての百パーセント善意からの警告だったのだが、めぐみんは犬歯をむき出しにして吼えた。子犬のようでとても可愛い。

 

「も、もう勝ったつもりですか!? 舐められたものですね!!」

 

 そうではないとあなたは苦笑して首を横に振る。

 爆裂魔法と違い、メテオは狙った場所に一つだけ落とすなどという器用な真似はできないのだ。

 射程圏内の全てがターゲットになるが、巨大なクレーターと化した平原を見れば分かるようにターゲット以外にも無差別かつ全域にメテオは降り注ぐ。

 よってめぐみんが自分目掛けて降ってくるメテオを砕いたとしても、その他の無数の流れ弾に巻き込まれる可能性が非常に高い。

 勝負の日まであまり時間は残されていないが、そこのところをしっかり考えて準備しておいてほしいのだ。

 

「……え゛!?」

「だから止めとけって言ったのに」

「悪くないわよね? 今回という今回は私何も悪くないわよね?」

「ふ、ふふふふ……来た、来たぞカズマ! 私の時代が来た! つまり私が星落としと爆裂魔法を交互に食らって威力を測定すればいいんだな!? 生きてて良かった……!!」

 

 めぐみんが裏声を発して固まり、カズマ少年と女神アクアが悟りを開いたように真顔になり、ダクネスがガッツポーズを決めた。

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 同時刻、紅魔の里から離れた森の中に建設された巨大な砦の最奥で物憂げに溜息を吐いている者がいた。

 

「昨日の天変地異のせいでただでさえ低かった士気は遂にどん底。紅魔族が開発した最終兵器が私達を殲滅する前にオークに向けて試し撃ちした、なんて噂も流れてるし、いつ脱走者が出てもおかしくないこの状況。アルカンレティアで破壊工作してたハンスもどこぞの勇者に討伐されたっていう話だし……あーもう……仕事とはいえあいつらの相手とかやってらんないわよ実際……」

 

 誰に向けるでもなく愚痴を吐きながらガシガシと茶色くくすんだ長髪を掻き毟る何者かの頭には左右に二本の角が生えており、明らかに人間ではない事が窺える。

 

「てか何なのあの流星雨は。仮にあれをぶっ放したのが紅魔族だとしたらあいつらは馬鹿なの? 死ぬの? あんなもん使おうもんなら私達を殲滅したとしても森ごと大惨事でしょうが……分かっててもやりかねないのが怖いのよね……あいつら揃いも揃ってキチガイだし……」

 

 遂にテーブルに突っ伏して怨嗟の声をあげ始めた者の名はシルビア。

 魔王軍に仇なす紅魔族を撃滅すべく派遣された数千にも及ぶ軍勢の司令官にして、元を含めれば駆け出し冒険者の街にその半数が集中している魔王軍幹部の一人である。

 

 シルビアには目的があった。

 紅魔族の撃滅は勿論、それ以上に優先すべき目的が。

 そして今のところ紅魔族にそれを悟られてはいない。ひたすらに力押しで攻め入っては無様に撃退されている。そう思うように仕向けていたから。

 

「収穫があったといえばあったのは幸いだけど、流石にこれっぽっちじゃね……このままじゃ犠牲になった私の部下達が報われない……」

 

 目的を達成した暁には忌々しい紅魔族共に地獄を見せ付けてくれる。

 心の中ではそう思いながらも、その実、シルビアはこの地に留まる事に強い忌避感を抱いていた。

 

 昨日の星が降ってくる直前に一度。

 数時間後にもう一度。

 

 紅魔族と相対した時とは違う、明確にして濃厚な死の気配が二度、シルビアを襲ったのだ。

 かつて自身が弱者だった頃に散々世話になり、魔王軍幹部という強者となってからはすっかり錆付いてしまった生存本能がさっさと逃げろと大音量で警鐘を鳴らす程にその気配は不吉を孕んでいた。

 幾度と無く自身の命を救ってきたそれに従うべきか、あるいは。

 

「…………」

 

 誰もが認める人類の大敵は、自身の感情と思考を整理するように先日作られた巨大なクレーターの調査中に偶然発掘された品を宙に放って弄ぶ。

 それは所々が無惨に焼け焦げた……しかしその機能を保持したままの手の平ほどの大きさの紅白の球体だった。


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