このすば*Elona 作:hasebe
魔王軍幹部の一角、デッドリーポイズンスライムのハンスを討伐した数日後。
短くも濃密だったアルカンレティアでの滞在を終え、あなた達はアクセルに戻ってきていた。
勿論カズマ少年の行きの道程のように馬車を使って時間をかけるのではなく、テレポートを使って一瞬で。
「いやー、すっごく楽しかったわね! お土産もいっぱい貰っちゃったし、また行きましょうね!」
「そうだな。私としても機会があれば是非ともまた足を運びたいものだ」
「私は二度と行きたくありません」
「右に同じく。慰安に行った筈なのに逆に疲労が溜まっただけってお前……。結局混浴にも入れなかったし」
最後の最後まで女神としてではなく、あくまでも街の危機を救った英雄としてアクシズ教徒に扱ってもらえた挙句両手いっぱいの土産を貰って大満足の女神アクア。そして最後の最後まで街の危機を救った英雄としてではなく、あくまでもエリス教徒として雑を通り越して野犬か浮浪者のような扱いを受け続けたダクネスは頬をツヤツヤさせている。
一方でアクシズ教徒に絡まれまくって疲労困憊のカズマ少年とめぐみん。
後者の二人はハンスを討伐した翌日までは宴会やらなんやらで楽しそうに騒いでいたのだが、連日の大騒ぎで流石に疲れ果ててしまったようだ。テンションが最大にまで上がった女神アクアに引き摺られた結果、彼らはあなた達と違って宿でゆっくりする事も出来ずに今日までの日々を過ごしていた。
特にめぐみんにいたっては頭を重そうにふらつかせている。
「いえ、これはちょむすけのせいです。アクシズ教徒に悪戯でもされたのか、遂にちょむすけが帽子の中から出てこなくなったんですよ。もうアクセルに帰ってきたというのに必死にしがみ付いて……いい加減首が痛くなりそうなので出てきてほしいのですが」
帽子をかぶり直しながら溜息を吐くめぐみん。
あなたはこの旅行中も姿を見た事が無いが、ゆんゆんやウィズ曰くとても可愛い黒猫だというちょむすけ共々ゆっくり休んでもらいたいものであるとめぐみんの大きな三角帽を注視する。
「うわっ、ちょ、暴れないでくださいちょむすけ! 危ないですよ!!」
帽子の中で突然暴れ始めたちょむすけを必死に押さえつけるめぐみんを微笑ましく見ている最中、あなたはふと女神アクアが購入した卵の事を思い出した。
デストロイヤー討伐の際のお祭で詐欺の被害に合った彼女は、今のめぐみんと同じように何かの卵を頭に乗せ可愛がっていたのだ。
キングスフォード・ゼルトマンというご大層な名前まで付けて生まれる前から溺愛していた女神アクアだが、卵を購入しておよそ一月後に実は無精卵だったという衝撃の事実が発覚した。
せめて有精卵であれば鶏に見えるドラゴンと言い訳も出来たのだが、無精卵ではどうしようもない。
哀れゼル帝。ドラゴンどころか鶏として生まれる事も出来なかった悲劇の王者は今はアンナの墓の横、女神アクアのお手製のお墓の下で静かに眠っている。
なお女神アクアは次はゼル帝二世と名付けるつもりらしい。全く懲りていなかった。
■
「あの、本当に私もお金を受け取っちゃっていいんですか?」
カズマ少年達と別れ帰路につく道すがら、ゆんゆんが唐突に聞いてきた。
振り返ればウィズもゆんゆんの言葉に頻りに頷いている。
何の話かと聞かれれば、彼女達が言っているのはハンスの賞金の話である。
ウィズとゆんゆんはアルカンレティアに滞在していた時から同じような台詞を何度も言ってくるのであなたもいい加減辟易していた。
その話はとっくに終わった筈なのだが。
「だって私、討伐で殆ど何もやってないんですし……」
「ゆんゆんさん、それを言ったら私なんか討伐に参加すらしてないですよ」
「ウィズさんは犯人を突き止めたじゃないですか」
「それはほら、私は顔見知りだったわけですし……」
ハンスは魔王軍幹部の例に違わず億超えの高額賞金首だ。
額が額なので賞金が届くのは暫く経ってから、という事になっているが、ハンス討伐の報奨金はカズマ少年のパーティーとあなたのパーティーで折半という形になった。
討伐に参加したのはアクシズ教徒達も同様なのだが、彼らは一様に報奨金を受け取る事を辞退したのだ。
あなたとしても自分が彼らの立場だった場合は受け取れないだろうな、と思っている。
信仰する女神と轡を並べたという事実と思い出だけあればそれでいい。むしろ自分達の分の報酬を女神に受け取って使ってほしい。そうでなくてはいけない。
そんな女神アクアは自身の信者達の為に報奨金で更地になった倉庫街を建て直す算段をつけていたようだったが、彼らは倉庫街だった場所を新たな観光地にするとの事で彼女の思惑はご破算になった。
転んでもただでは起きない辺りは流石だと言わざるを得ない。
アクシズ教徒にとって、倉庫街と女神アクアが浄化を行った場所は今や彼らの信仰する女神と共にアルカンレティアに魔手を伸ばした魔王軍幹部と華々しい戦いを繰り広げた聖域だ。
あなたは最初にそれを聞いた時、嘘は言っていないとはいえあまりにも美化が酷いという感想を抱いた。
現実はハンスを盛大にドン引きさせた挙句に人的被害を出す事無く圧倒的な数の差に物を言わせて袋叩きにしただけなのだが。
結局正体を知れば誰もが恐れ戦慄くという(紅魔族とアクシズ教団は除く)デッドリーポイズンスライムはその真価を一切発揮する事無く散っていったと思えばいっそ哀れですらある。
とまあそういうわけなのだが、肝心のあなたの側の賞金の配分の内訳はあなたが九割。そしてゆんゆんとウィズで五分ずつだ。
このあまりにも不平等で理不尽な配分は先の発言のように自分達は何もしていないから、と二人が受け取りを固辞してしまった結果である。ハンスに止めを刺してレベルが変動したあなたは最初きっかり報酬を三等分するつもりだった。
二人は自分が何もしていないと言うが、ウィズは毒の解析を行って犯人の正体を暴いたし、ゆんゆんはゆんゆんでハンスの冷凍に参加している。
なので二人とも仕事をしてくれたとあなたが頑張って説得する事で辛うじて無報酬だけは避けられたのだが、五分すら多すぎるくらいだと二人に渋い顔をされ、上記のように本当に受け取っていいのかと何度も問いかけられる始末。師弟揃ってどれだけ無欲なのだろう。素直に三等分して受け取っておけば大金が得られるというのに。
「無欲とかじゃなくてですね。私は宿で待機していただけなので、はいどうぞと数千万エリスをポンと渡されても
「私も魔法は二回くらいしか使ってないですし……」
あなたも現在の額は妥協に妥協を重ねて割り振っている以上、これ以上二人の配分を減らすつもりは全く無い。潔く諦めてほしいものだ。
■
そんなこんなで帰宅したあなただったが、暫くベルディアが一人で住んでいたというのに意外と家の中は荒れていなかった。
それどころか洗濯物も食器もゴミも溜まっておらず、あなたとウィズは少なからず驚かされる事になる。
「二人はどんだけ俺の事を
とはベルディアの談である。
ペットの意外な一面を見た気分だ。
「あなたもあなたであんまり家を汚さないから、私としてはあんまりお掃除のやりがいが無いんですよね……たまにはもっと滅茶苦茶に汚してくれてもいいんですよ?」
えへへ、と笑うぽわぽわりっちぃはもしかして駄目人間製造機なのではないだろうか。
素養自体は十二分にあると思われるが、高レベル冒険者だったウィズは金銭感覚が狂っている上に商才が絶無で放っておいたら借金をこさえまくるので同時に駄目人間更生機でもありそうだ。
そして本人にそんなつもりは全くないのだろうが、先ほどの台詞は色々と意味深すぎて危険が危ない。
彼にとっても他人事ではないので、あなたとウィズは帰って早々ベルディアにもアルカンレティアでの顛末を話す事になった。
「……そうか、ハンスが逝ったか。作戦行動中にご主人にかち合うとはアレも運が無かったな」
元同僚が死んだ話を聞かされたというのに、ベルディアはあっけらかんとそう言った。
ソファーでだらけながらクッキーを齧る様はまるで興味というものが感じられない。
明日の天気を聞かされたかのような適当さだ。
「ベルディアさん、もしかしてハンスさんと仲悪かったんですか?」
「いいや、別に? 同じ幹部でもハンスとは交流が殆ど無かったからな。仲が良いとか悪いとか以前の問題だ。というか俺は長年幹部やってて一番会話した記憶があるのがあのバニルだぞ。あのバニルだぞ? 我ながらどんだけ同僚と付き合い無かったんだよって感じだ」
「なんで二回言うんですか」
ずずず、とウィズが淹れた茶を飲みながらぼっち疑惑が強まった元魔王軍幹部は話を続ける。
「現役時代のお前とやり合った時みたいに俺は大体最前線で戦っていたわけだが、ハンスは主に後方や裏方で破壊工作する側だったしな。それに死んでるというなら俺なんかご主人にとっ捕まってからそれこそ数え切れないくらい死んでるわけで。ウィズみたいに今も交流があるならまだしも、今更昔の同僚が死んだと聞かされても、ああ、そう。ご不幸をお悔やみ申し上げます、みたいな?」
「ええ……」
終末狩りの成果でベルディアの死生観は順調に
人によっては冷たかったり情が薄いと受け取られるだろうが、あなたとしては実に喜ばしい。
現役幹部のウィズとしては複雑な心境のようだが。
「結界維持してるだけのなんちゃって幹部の私が言えた話じゃないですけど、魔王軍の幹部の人達って横の連携全然取れてませんよね……」
「近くに寄れば連絡を取り合うくらいはしてたぞ? ただ俺達は基本スペックで人間を圧倒してるから単独の方が動きやすいし、連携なんかしなくてもどうにでもなってきたからな。人間側で脅威と呼べる勢力も紅魔族とアクシズ教徒くらいだ。……まあ前者は里から出てこないし後者は関わり合いになりたくないから放置が安定だったんだが」
詳細を語ろうとはしないものの、きっとベルディアも彼らには幹部時代に酷い目に遭わされてきたのだろう。
アルカンレティアにはテレポートを登録しているし、少し落ち着いたら紅魔族の里に足を運ぶのもいいかもしれない。
「……で、そのアルカンレティアはどうだった? 動きひしめくアクシズ教徒はともかく、観光地としては名の知れた場所だ。やっぱり旅先で解放的な気分になった二人は混浴に入ったりしちゃったのか?」
「やっぱりって何ですか。確かに泊まった宿に混浴はありましたけど私はずっと女湯でしたよ」
まああなたはウィズに混浴を勧められたわけだが。
あなたとしては折角の機会なので友人同士で一緒に温泉に入りたかったのだが、結局そのような機会は一度も訪れなかった。極めて無念である。
「……マジか。お前から誘ったのか。さっきのは冗談で言ったつもりだったんだが」
「違います誤解です誘ってません確かに混浴は広いみたいですよっていう話はしましたけどあとちょっと二人一緒の部屋で朝まで起きてたりしましたけど本当に何も無かったですからね分かりましたか?」
一息で捲くし立てるウィズの剣幕に少しだけベルディアが引いた。
「な、成る程、いつもより二人の距離が心なしか近いわけだ」
言われてみれば、確かに旅行前より少しだけウィズの距離が近い気がしなくもない。
具体的には十センチほど近い。いわゆるパーソナルスペースにギリギリで触れている。
「…………気のせいです」
ウィズはぷい、とあなたから顔を背けた。
「二人は今日から一緒の寝床になるとかそういう。わぁいおつらぁい……」
「だから違いますってば! ああもう! あなたが変な事言うからベルディアさんに誤解されちゃったじゃないですか、もう!!」
八つ当たりのつもりなのか、ウィズが赤い顔でぽかぽかと叩いてきたがあなたはそれを甘んじて受ける。一定のリズムで催される微弱な振動がくすぐったくも心地よい。
その白い左手の中指にはあなたが贈ったマナタイトの指輪が。
あなたが新しくタリスマンを贈ったのでそれを首にかけ、それまでネックレス代わりにしていた指輪は指に嵌める事にしたようだ。
「ひさしぶりにしにたくなってきたぞごす」
■
からかいすぎたせいで臍を曲げたウィズがバニルに土産を渡すついでに買い出しに行ってしまったので、男二名で荷解きを行う事になった。
「なんで俺が……」
めぐみんのようにマシロを頭に乗せ、ぶつくさと文句を言いながらも真面目に手伝ってくれるツンデレデュラハンだったが、ふと彼の動きが止まる。
その手には春一番を抹殺した際にドリスで貰った贈答品が。
「も、悶絶チュパカブラ……だと……!?」
あなたが持ち帰った土産物にワナワナと震えるベルディア。
チュパカブラを見たマシロが頭の上から逃げ出したが気付いていない。
それはベルディアの分のお土産だと教えると彼は目を見開いた。
「……だ、大丈夫だ、分かってる。だいぶ付き合いも長くなってきたからな。俺はご主人の考えと行動パターンが分かってきたぞ。これは三人で飲む分だよな? 俺一人で飲む分じゃないよな?」
勿論一人分である。
ベルディアの為に用意した酒なので存分に一人で堪能してほしいとあなたは綺麗な笑顔で告げた。
日ごろの疲れを癒すために遠慮せずに堪能して欲しい。
「ほ、本当に俺が一人で飲んでいいのか!? 後で返せとか言っても絶対返品しないからな!?」
叫びながらもベルディアは珍生物が入った酒瓶を離そうとしない。
予想外の反応に様子がおかしいとあなたは笑顔を引っ込める。
これはあなたが期待していたレスポンスではないからだ。
「マジかあ……まさかこんな物が貰えるとは思ってなかった。やばい、ちょっと真剣に嬉しいぞ。ご主人どんだけいい事があったんだよ……高かっただろ?」
明らかにネタで用意した品だと分かるプレゼントで場を温めた後に改めて本命を渡そうと思っていたのだが、ネタの方を本気で喜ばれてしまった。
主人としてペットがお土産を喜んでくれたのは非常に喜ばしい話なのだが、満面に喜色を湛えながら悶絶チュパカブラに頬ずりするペットに、あなたはちょっと記憶に無いくらいにベルディアを遠くに感じた。
ウィズは気持ち悪いので絶対に飲みませんと拒否していたので異世界のカルチャーギャップというわけではないだろう。目の前のデュラハンがちょっとおかしいだけだ。
「……ふむ、どうやら異世界人のご主人はこれの価値を知らないっぽいから説明しておくが、悶絶チュパカブラは幻の銘酒と言われている酒だ。その歴史は古く、今を遡る事二千年前、チュパカブラの世界的な大量発生の始末に困った当時のエルフとドワーフが……」
何を勘違いしたのかベルディアが突然薀蓄を語り始めた。
酒飲みには素晴らしい品だったようだ。女神アクアも喜ぶのだろうか。
「更にチュパカブラは全身に毒を持っており、これを抜くのがまた尋常ではなく大変で……」
大変だ。びっくりするほど興味が湧かない。
適当に相槌を打って右から左に聞き流すあなただったが、やがて語り終えて満足げなベルディアに自分達が不在だった期間のアクセルの話を聞いてみた。
「生憎こっちは何も無かったな。アルカンレティアのように魔王軍の者が何か仕掛けてくるという事も無く、相変わらず平和そのものだ。俺とかここぞとばかりにずっとマシロと寝てたぞ」
寝ていた。
ベルディアが、マシロと寝ていた。
「……おいご主人。一応、一応言っておくが。マシロと寝るっていうのは睡眠という意味だからな? おかしな勘違いをするなよ?」
勿論分かっているが。
「そうか……ならいい。いや、ちょっと嫌な予感がしただけだ。……っと、そういえば手紙が来てたんだったか」
そう言ってベルディアは暖炉の上に置いてあった薄い封筒を渡してきた。
二通あり、どちらもあなた宛てになっている。
「別に周囲に隠していたわけでもないんだろうが、ご主人宛ての手紙がウィズの家の方のポストに入ってた辺りもう完全に同棲が周知の事実だよな」
あなたとウィズは同棲しているのではなく、あくまでも同居の間柄である。
この違いは小さいようでとても大きい。
それはさておき、一通目の差出人はアレクセイ・バーネス・アルダープとなっていた。
アルダープとはアクセルに居を構えている、アクセルを含むこの地域一帯の領主の名前である。つまり貴族のお偉いさんだ。
手紙には来月頭に領主邸に顔を出すように書かれている。
アクセルの領主といえば王都でも有名な人間だ。それも悪い意味で。
この世界に来て間もない頃、平和なアクセルを見たあなたは領主が善政を敷いているのだろうと思っていたのだが、色々な人間から話を聞いて判断するに、彼の評判はどうにもよろしくない。
外見は大柄で太った、いかにも好色そうな中年男。通称豚領主。
頭は切れるが性格は傲慢かつ陰湿で私腹を肥やす事に余念が無く、彼に泣かされた人間は数知れず。
アルダープはそんな絵に描いたような悪徳貴族だと言われている。
どこまでが事実なのかは分からないが、まるっきり全てが嘘というわけでもないのだろう。
よく領主を続けられているものだといっそ感心するが、彼は街で噂程度にはなっていても致命的なミスを犯すことは無く、幾度にも及ぶ調査を全て潜り抜けているらしい。
そんなアクセルの領主が一介の冒険者に何の用だろうか。
どれだけ読み返しても呼び出しの理由については何も書かれていなかった。
「領主からの召喚状だと? 今度は一体何をやらかしたんだ」
あなたが真っ先に思い浮かんだのは春一番の件だ。
ドリスから抗議でもあったのだろうかと疑うも、たかが石畳や建物の壁を軽く破壊した程度で領主が首を突っ込んでくるとは考えにくい。弁償も春一番の報奨金で支払う事になっている。
実際に足を運ばないと分からないだろう。
「まさかご主人に限って大丈夫だとは思うが、気を付けろよ。アクセルのアルダープといえば魔王軍時代の俺でも噂話を聞いた事がある程度には黒い噂が絶えん人間だ」
ベルディアは首筋を撫でながらそう言った。
瞳の赤さからは想像も出来ない冷ややかな目でアルダープの手紙を見つめている。
「生憎悪徳貴族という生き物にいい思い出が無くてな。……まあコレ関係だ」
詳しくは語らなかったが、手で首を落とす仕草をしたのを見るにベルディアがデュラハン化した理由と密接に関わりがあるのだろう。
さて、気を取り直して二通目である。
あなたはてっきり女神エリスから神器回収のお誘いがあったのだと思っていたのだが、差出人は冒険者ギルドになっていた。
冒険者ギルドが手紙を送ってきたのは初めてだ。今度は何の用事だろうと思いつつ封を開ける。
――こちらは前年度の収入が五億エリスを超えている冒険者の方へお送りしている督促状です。
――税金のお振込みがまだ確認出来ておりません。つきましては、大変お手数ですが最寄の冒険者ギルドで手続き及びお支払いを……
ガッデム。地獄に落ちろ金の亡者め。
一瞬で表情を消したあなたはギルド側の書類を最後まで読む事無くグシャグシャに握り潰して暖炉に放り込んでティンダーを放った。もっと燃えるがいいや。
「何が書いてあったんだ!?」
一瞬で燃え尽きた書類を先ほどの自分とは比較にならないほど冷徹な眼差しで見つめ続けるあなたに戦慄くベルディア。
大きく舌打ちしたあなたは性質の悪い子供のイタズラだったと返した。
「子供のイタズラって、今燃やしたのは冒険者ギルドからの書類だぞ!?」
知った事ではないと吐き捨てる。
忌々しい。折角旅行でいい気分になっていたというのに台無しである。
あなたとてノースティリスでは毎月税金を納めていた。今更納税の義務についてどうこう語る気は無い。
あなたは異邦人だが、国家の運営は国民の税金によって成り立っているという事も理解している。
他の人間が払っているのだからお前も払え、という理屈も当然だ。
だが分かるわけにはいかない。
年収一千万以上の者はその年の収入の半分を納めろなどというどこまでも他人の足元を見たクソッタレな悪法に従う気は無い。馬鹿じゃないだろうか。
ノースティリスのように滞納者は問答無用で生死不問の重罪人になるというのであれば多少は考えてやらないでもないが、その後は王都で悪徳貴族の屋敷が襲撃される事件が相次ぐことだろう。
なおノースティリスの納税額は収入ではなく現在の所持金やレベル、名声といった数値から算出され、あなたは現在年間でおよそ四千万から五千万を国に収めている計算になる。
額だけ見ればこれまた法外なようにも思えるが、収入と金銭感覚がぶっ壊れた
毎月納税を行う必要があるのは面倒だが、収入の半分がもっていかれるこの国の税金よりマシだ。ずっとずっとマシだ。やはりこの国の法律は間違っている。
■
……あなたがアクセルに帰還して暫く経過した、四月の最終日。
その日は空一面を覆った暗い灰色の空が今にも大雨を降らせそうで、朝から見ているだけで気が滅入りそうになる天気だった。
雲の向こう側からは小さく、しかし確かに雷の音が聞こえてくる。
今日は久々に荒れそうだ、などと考えながらアクセル近隣に襲来したワイバーンの緊急討伐依頼を片付けたあなたはさっさとギルドで報告を終えて自宅に戻ろうとしていた。
こんな天気だからか道を行き交う人は少なく、普段であれば賑わっている露店も閑散としている。
自作ポーション限定とはいえ、そこそこリピーターが付き始めたウィズの店も今日はあまり売れ行きが良くないだろう。
何か土産でも買って帰ろうか。
タイミングよく果物屋が開いているのを見つけたので旬の果実でも、と思ったあなただったが、突然アクセルの街中に冒険者ギルドからの緊急事態のアナウンスが鳴り響いた事でその足を止める。
――緊急クエスト! 緊急クエスト! 街の中にいる冒険者の各員は、大至急冒険者ギルドに集まってください! 繰り返します、街の中にいる冒険者の各員は、大至急冒険者ギルドに集まってください!
久しぶりの緊急クエストである。かれこれデストロイヤー以来ではないだろうか。
ハンスといい、女神アクアが降臨してから本当に退屈に縁が無い。あなたは笑いながら駆け出した。
■
アクセルの街は
現役時代のウィズやその仲間達のように、過去様々な英雄達がここから巣立っていった。
この国の中でも重要で、とても歴史のある場所である。
更に現在も擁している人員は駆け出し冒険者に留まらず中級、更に上級の男性冒険者にまで及ぶ。
必然、アクセルの冒険者ギルドとは街にとってなくてはならない場所であり、デストロイヤー討伐時のように緊急時における管制塔、あるいは個性様々な冒険者を纏める頭脳としての役割も担っている。
冒険者達の砦にして、彼らが最も信頼を寄せるべき所。
そんな冒険者ギルドの建物の前では、現在とても異様な光景が広がっていた。
「冒険者の皆さん、こちらに並んでくださいねー。はい、緊急です、緊急のお呼び出しです。お忙しい所大変申し訳ありません冒険者の皆様方ー」
アナウンスであなた達を招集したルナがニコニコと営業スマイルを振りまきながら、集まった冒険者達を並ばせている。彼女以外のギルド職員も同じように列を作らせていた。
あなたを含め集まった百名以上の冒険者達は何事か理解出来ていないようで、皆が皆互いに顔を見渡している。
緊急で呼び出しをしておきながら並ばせる意味が分からない。
ともあれ、どうやらデストロイヤーの時のような切羽詰った状況ではないようだ。
身体測定でも始めるのだろうかといぶかしみつつもあなたは集団に近付いていく。
「…………!」
そしてその瞬間、あなたに気付いたギルドの職員、更に周囲で待機していた職員以外の街の公務員と思わしきスーツ姿の人間達、更には数多くの衛兵に一斉に緊張が走った事をあなたは敏感に察知した。
どこから集めてきたのか、冒険者以外の人員がやけに多い。検察官であるセナの姿もある。
自身の一挙手一投足を注視される事に居心地の悪さを覚えるあなただったが、ふと左右同時に見知った顔がやってきた。
「お、おはようございますっ!」
右からやってきたのはゆんゆん。
高レベルにも拘らず場の雰囲気に呑まれているのかガチガチである。
「やあやあおひさしー。元気してた?」
ゆんゆんの逆方向、周囲の人間達の緊張を知ってか知らずか、片手を上げてとてもフランクに挨拶してきたのは女神エリスだ。
あなたは教会に行ったし何度か電波を通して声も聞いたので、あまり久しぶりではないという感じなのだが、クリスとして会うのは久しぶりである。
「そっちの子は知り合い? 初めまして。あたしはクリスっていうんだ。よろしくね」
「は、初めまして! 紅魔族のゆんゆんっていいます! 最近十四歳になりました!」
「へ、へえ……そうなんだ……十四歳……十四歳!?」
ゆんゆんが勢い良く頭を下げ、女神エリスは凄まじいパンチを食らったかのようにたたらを踏む。
その視線はゆんゆんの年齢不相応のたゆんたゆんに釘付けだ。
――エリスの胸はパッド入り。
先日聞かされた女神アクアの神託があなたの脳裏に木霊する。
「す、凄いね。その年でなんて。本当に凄いね……」
「そ、そんな、私なんてまだ全然で……もっともっと頑張らないとって……」
「これ以上凄くなりたいの!?」
女神エリスは大丈夫だろうか。
ゆんゆんが言っているのは明らかにレベルや冒険者としての話なのだが。
激しく勘違いしているように思えてならない。
「…………勿論分かってるよ?」
国教にもなっている高名な女神の化身は全力でゆんゆんのたゆんたゆんからギギギと錆付いた扉のような動きで目を背けた。
女神エリスがどうなのかは不明だが、少なくともクリスの胸は無い。本当に無い。下手をすれば少年と疑われる程度に無い。
きっと盗賊として動きを鈍らせるパッドは入れてないのだろう。
「あ、あの、お二人はどういうご関係なんですか?」
他の冒険者達と同じく三人で列に並んでいる最中、ゆんゆんが女神エリスにこんな事を聞いてきた。
馬鹿正直に話そうものなら即お縄を頂戴する関係である事は確かだ。
「んー。なんて言ったらいいのかな。彼に個人的な仕事の依頼を斡旋するくらいの関係? でもパーティーとかではないよ」
嘘は言っていない。
やっている事は貴族の邸宅への不法侵入及び窃盗行為だが。
こうして接触してきたのは依頼の件だろうかと詳細に触れずに聞いてみた。
「今日は違うよ。ダクネスの顔を見にたまたまアクセルに寄っただけだから」
「クリスさんはダクネスさんのお知り合いだったんですか?」
「そそ、ダクネスはあたしの友達」
ニッコリと笑う女神エリス。
ちなみにゆんゆんとダクネスはつい最近一緒にお風呂に入った間柄である。
「うええっ!? お風呂!?」
「ち、違います! ご縁があって皆で一緒に旅行に行って温泉に入っただけですから……!」
「あ、ああ。そういう事……びっくりしたぁ……ダクネスに変な趣味が増えたのかと思ったよ……あ、噂をすればダクネス達だ」
女神エリスの声に目を向ければ、確かにカズマ少年一行がギルド前にやってきていた。
彼らは他の冒険者と同じく不可思議な光景に目を白黒させていると思いきや、ダクネスに限ってはそうではないようだ。平然としている。
それどころか他の冒険者が重装備で身を固めている中、一人だけ普段着、黒のシャツにタイトスカートという格好だった。
「ところでこれって何の集まりなんでしょう? ルナさんは緊急クエストって言ってましたけど」
「んー……あたしは知らないわけじゃないけど、今は秘密って事で」
自分の口に人差し指を当ててイタズラっぽく笑う女神エリスの反応を見るに、やはり緊急性は低い案件なのだろう。
討伐依頼からの帰りだったので今は完全武装のあなただが、これなら一度自宅に戻って軽装になってからでもよかったかもしれない。
カズマ少年が到着したと同時にセナが衛兵に耳打ちし、冒険者達の周囲に構えていた人員が動き出した。
行儀よく並ぶあなた達冒険者の外側に、まるで壁を作るかのように展開したのだ。
「ど、どうしたんでしょうか……」
キナ臭い雰囲気にゆんゆんを始め居並ぶ冒険者達がざわめく。
対して包囲している側は顔面から冷や汗を流しており顔色が良くない。今日の天気が悪く薄暗い事が原因というわけではないだろう。
そこかしこで交わされる不安げな囁き。
周囲に伝播していく、今日の天気のような不穏な空気と緊迫感。
あなたがどこか覚えのある感覚に身を浸していると、ゆんゆんがあなたの服の裾を掴んだ事に気付いた。
「大丈夫だよ」
「え?」
「心配しなくても大丈夫」
女神エリスは未だ心が未成熟な少女を安心させるように笑う。
女神の名に恥じぬ深い慈愛の心で。
「冒険者ギルドはあたし達冒険者の為に作られた国の機関っていうのは知ってるよね? 冒険者を支援する為に存在する組織だ。冒険者は彼らから貰う仕事を誠実にこなしてきたし、冒険者もまたあたし達が困った時は助けてくれる、いわば持ちつ持たれつの関係。敵対する理由も嫌う理由もどこにも無いんだ」
「そ、そうですよね!」
女神エリスの言葉と同様の囁きがそこかしこで交わされており、冒険者達の間の緊張した空気が若干和らいだ、ちょうどその時。
ギルド前に並ぶ冒険者達の正面に立っていたルナが拡声器を手に取った。
「おはようございます、冒険者の皆様方。突然の召集にも拘らず集まっていただき本当に嬉しく思います。さて、本日は皆さんに、緊急のお願いがございます。そう、緊急のクエストです」
幾人もの冒険者がゴクリと喉を鳴らし、ルナはニッコリと笑った。
「といいますのも、本日で年度末から丁度一ヶ月となりました。……そう、今日が納税の最終日です」
ああ、そういう事か。
あなたは冷え切った気持ちでこの場に集められた理由を察した。
「……この冒険者の中に、まだ税金を納めていない人がいます」
げぇっ、という声があちらこちらから聞こえてきた。
見ればゆんゆんの顔も引き攣っている。
一方で女神エリスは何食わぬ顔で青い球体を弄んでいた。さて、何を考えているのやら。
「ちょっと待ってください、こんなの私聞いてないですよ!?」
「どどどどどどういうこった!? どういう事だ!? おいアクア、これってどういう事!?」
「おおおおお、おちっつきなさい二人とも、落ち着いて! 落ち着くの! ほら、職員が何か言うわよ!」
あなたの周囲では逃げようとする冒険者達を、壁の様に周囲を取り囲んでいた者達が押し留めていた。
逃げようとする者、悲鳴を上げる者、怒鳴り声を上げる者。
笑顔の者など一人もいない。
「ええ、はい。皆様の困惑やお怒りはごもっともです。分かります。私達は今までこのような事はお願いしてきていませんでしたからね。当然です」
おや、とあなたは耳を疑った。
あなたはてっきり毎年恒例と思っていたのだが、そういうわけではないようだ。
「冒険者の皆様……それも駆け出しとなれば、基本的に貧乏なのが当たり前です。ですので、今までは冒険者ギルド側も免除ではなく温情という形で見逃してきました」
ルナは淡々と言葉を続ける。
聞き分けの悪い子供によく言い聞かせるように。
「ですが、この冒険者ギルドは勿論この国の皆様の血税で賄われております。そして、そのギルドから出ている報酬も同様に。モンスターを退治しているからといって、本来は特別扱いはされません。それでも温情として見逃されていたのです」
初めて知る真実に、半ば恐慌に陥っていた冒険者達が少しずつ静まり返っていく。
誰も彼もが拡声器を通したルナの声に気まずそうにしている。
あなたと女神エリスを除いて、だが。
「そんな中、今年度は皆様にも大きな収入があった筈です。……そう、大物賞金首、機動要塞デストロイヤーの賞金です。今までは温情で税金を見逃してきてもらったのですから、こうして大金が転がり込んできた時くらいはキチンと義務を果たしませんか?」
最早逃走を計るものや抵抗する者は一人もいない。
アクセルのギルドの名物美人受付嬢もこう言っている事だし、今まで特別扱いをしてもらっていた分、金が入った今年くらいは支払ってもいいだろう。
自分達だってこの街で暮らしている人間なのだから、義務くらいは果たさなくては。
苦笑いを浮かべる冒険者達の間には、そんな唾棄すべき甘っちょろい雰囲気が蔓延している。
とんだ茶番だ。冗談ではない。
隣のゆんゆんを始め、彼らはこの先に待っている過酷な現実を知らないからあんな顔が出来るのだ。
あなたは彼らに冷や水を浴びせるべく手を上げて大声でルナに問いかけた。
税金は幾ら持っていかれるのか、と。
――よりにもよって、あなたがそれを聞くんですか。書類だって届いてますよね? 知らないとは言わせませんよ?
あなたを見るルナの目はそう言っていたが、いいからさっさと言えというあなたのアイコンタクトに彼女は深い溜息を吐いた。
「…………お答えします。収入が一千万以上の方は、昨年得た収入の半額を税金として納めてもらう必要があります」
あなたと女神エリスとゆんゆんを除く、その場の全ての冒険者達が、全力で逃走を開始した。
「わ、私五割なんて払えません……! アルカンレティアとかでお金いっぱい使っちゃって……!」
さて、逃げよう。
あなたは半泣きで小さく震えるゆんゆんの手を取った。
「ズルしちゃダメだよ?」
「えっ?」
声と共に背中を硬い物で叩かれた瞬間、テレポートが不発した。
下手人を見れば、銀髪の悪魔が青い球体を持って邪悪に笑っている。
「騙して悪いけどこれも仕事なんだよね。実はダクネスにサポートを頼まれててさ」
「な、何を……?」
「テレポート封じの魔道具を使わせてもらったよ。二人とも今日の日没まで転移は出来ないからね? 勿論他の人のテレポートも効かない」
「どこでそんなの手に入れたんですか!?」
「ふふふ、出所は秘密で。女は秘密がある方が美しいって言うでしょ?」
してやったりと笑みを浮かべるギルドの犬にあなたはクツクツと笑う。
そうか、そうか。
つまりきみはそんなやつなんだな。
であればこちらも遠慮は無用だろう。
あなたは大太刀の神器を抜いた。
「…………!」
ざわり、と。
深い曇天において尚一切の輝きを失わぬ冷たくも美しい白刃の煌きに、衛兵や職員はおろか、逃げ惑う冒険者達の間にも驚愕と戦慄がさざなみのように広がっていく。
正義も大義も仁義も無く。
ただ単に、幾億にも及ぶ多額の税金を支払いたくないから。
たったそれだけ。
たったそれだけの理由であなたは顔見知りに、世話になっているギルドに、今自分が住んでいる国に。
そして世界の平和を案じる心優しい女神に欠片の躊躇も無く、牙を剥く事が出来る人間だった。
流石にノースティリスの衛兵達のように殺しはしないが、しかしどんな悪辣な手段を使われようとも、この場の誰がどんな言葉を用いようともあなたは税金を支払う気は無い。
金を支払って欲しければ自分を倒してからにしてもらおうとあなたは静かに告げる。
「本気? そんな理屈が通るとでも?」
通る。あなたは通す。
あなたはいつだってそうやって生きてきた。
「……まあ、そうだろうね。平気な顔して滅茶苦茶やらかすキミの事だからそう言うだろうとは思ってたよ」
苦笑を浮かべながら女神エリスは腰のダガーを抜く。
「騙し討ちしたお詫びってわけじゃないけど、一つだけいい事を教えてあげるね。今日を過ぎた来月……五月一日になったらこの国では税金は免除されるんだ」
「え、それって……」
「そう、今年支払わなかったからといって来年に持越しにはならない。それも役所の営業時間を過ぎたら税金は免除される。法律を作るのは貴族だからこんな豪快っていうか阿漕な仕組みになったんだろうけど、凄いよね」
しかしどうせ貴族連中は最初から税金を支払う気は無いのだろう。
その年の収入の五割とはそういう額だ。
次から女神エリスと仕事をする時は財宝を根こそぎ荒らしておくとしよう。
「ふふっ。さあ、それでは税金納入クエスト――――いってみよう!」
隣のゆんゆんが青い顔で震えるほどの剣呑な気配を発しながら佇むあなたに冷や汗を流しながら、しかし酷く楽しげな様子の女神エリスが口上を述べる。
アクセルの一番長い日が始まった。