このすば*Elona   作:hasebe

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第64話 とても大きくて柔らかいモノ

 アルカンレティア中から集まったアクシズ教徒の恨みやらその場のノリやらで集中砲火を浴び、数の暴力というベルディアが常日ごろ味わっている理不尽さ、そしてアクシズ教徒の恐ろしさを心身で存分に堪能したハンス。

 あっけなく瀕死に陥った彼だったが、肝心な場面で盛大にやらかした女神アクアの水の魔法を吸収して復活した。

 しかし透明な巨大スライムと化したハンスは今の所何かしらの行動を起こす様子は無く、凪いだ湖面のように静かに佇んでいる。

 

 この場に残ったあなた達に襲い掛かってくる事も無く、アルカンレティアに侵攻する様子も見せないので一時は恐慌に陥ったカズマ少年達も今はだいぶ落ち着きを取り戻し、巨大な置物といえるハンスを見上げていた。

 

「でけえ……確認のために一応聞いておくけど、あれってハンスだよな? 幾らなんでもでかすぎだろ」

「敵ながらなんと見事なスライムだ! 本当に惜しい! 毒さえ持っていなければ持って帰り、我が家のペットにしていたというのに!!」

「止めてやれよ。あんなもん実家に連れて帰ったら超迷惑だろうが」

「何を言ってるんだカズマ。持って帰るのは私達の屋敷に決まっているだろう?」

「お前はハンスに脳を溶かされたの?」

 

 あなたとしては目を輝かせてハンスを見上げるダクネスに全面的に同意したい。

 ベルディアにモンスターボールを使っていなかったらあなたは間違いなくハンスに使っていただろう。ただ彼はベルディアと違って明確に人類を敵視している様子だったので、神器のモンスターボールでは捕獲してもペットにし続けるのは難しいかもしれない。

 あとハンスの剥製を願ったら人間体と巨大スライムのどちらの剥製が手に入るのだろうか。無論両方とも欲しい所ではあるのだが。

 

「でも実際どうするんですかこれ。どういうわけか今は沈黙していますが、こんな大きなスライムが動き出したらアルカンレティアはあっという間に大変な事になりますよ」

「どうしよう!? カズマさんこれどうしよう!? 私こんな事になるとか予想してなかったんだけど!」

「俺が聞きてえよこんなもんの対処方法。今からでもウィズ呼んだ方がいいんじゃねえの?」

 

 ちらりと視線を投げかけてきたカズマ少年にあなたは首を横に振る。

 

 女神アクアの号令でアクシズ教徒が退避した結果、現在この場に残っているのはあなた達だけだ。

 しかし相手が同僚である魔王軍幹部である以上、身バレの可能性がゼロになったわけではないのだ。やはり許容出来ない。

 宿に行って話を聞くくらいならともかく、どうしても直接ウィズの助力を請いたいというのであれば自分を倒してからにしてもらおう。

 

「相変わらずウィズの事になると目が尋常じゃなくマジになるっつーか、それはハンスが超イージーモードなレベルで無理ゲーな気がする……じゃあめぐみんの爆裂魔法とかどうだ? デストロイヤーをぶっ飛ばした時みたいに、アレはこういうデカブツ相手にこそ輝くもんだろ」

「仮に仕留めても、衝撃で散り散りになったデッドリーポイズンスライムがアルカンレティアの広域に降り注ぐ事になりますよ。しかも野外ならともかく街中に。更に言うなら爆裂魔法以外の手段で普通に倒した場合でも形を失ったハンスが洪水みたいにアルカンレティアに押し寄せるでしょうね。アルカンレティアは街中に水路が張り巡らされているので、それを伝って……」

「止めてえ! 温泉どころかこの街自体が汚染されちゃうから! 温泉ならぬ汚染の都アルカンレティアとか呼ばれるようになっちゃうから!」

「アクシズ教徒はとっくに手遅れなレベルで汚染されまくってるけどな」

 

 カズマ少年の吐き捨てた言葉に無言を貫くあなたと抗議の声をあげる女神アクア以外が頷いた。

 この世界でも少数派(マイノリティ)は弾圧される運命にあるようだ。

 

「スライムは魔法に強いという特性があるので、幾らめぐみんの爆裂魔法でもアレだけのサイズを一発で完全に焼き尽くして消滅させるというのは……」

「物理無効、魔法も効果薄、触ったら即死、一回でも捕まったら溶かされて蘇生は不可能。挙句の果てに巨大化で倒せば辺りを汚染とかお前、完全に詰みじゃねーか。ハンスが動き出す前にアルカンレティアを捨てて逃げたほうがいいんじゃね?」

「わああああああーっ!! なんでそんな事言うの!? そこを小狡(こずる)い事考えて何とかするのがカズマさんの仕事でしょー!!」

「お、お前、小狡(こずる)いとか言うなよな! ……クッソ、分かったよ畜生、考えればいいんだろ考えれば。……つーかなんで俺はこんな厄介な大物を相手にしてんの? 楽しい温泉旅行はどこ行った。俺の運が良いって話は絶対何かの間違いだろ、常識的に考えて……」

 

 頭をガシガシと掻き、悪態をつきながらも逃げようとはしないカズマ少年。

 なんだかんだ言いつつも付き合いがいいと内心で笑いながらあなたは神器を抜いた。女神アクアは手を出すなと言っていたが、いい加減頃合だろう。

 気軽な足取りでハンスに向かって歩を進めるあなただったが、すぐに気付いたゆんゆんがあなたの腕を掴んだ。

 

「ど、どうするつもりですか?」

 

 どうもこうもない。ちょっとハンスを突っつきにいくだけである。別に殺しはしない。

 アクシズ教徒もいなくなってしまったし、あなたはそろそろ自分の出番が来てもいいのではないだろうかと思ったのだ。

 デストロイヤーといいハンスといい、殺し方を考えなければいけない相手、殺した後に処理が必要になる相手というのはどうにも厄介だ。

 だがそんな相手でもやりようはあるとあなたは思っている。

 

「幾らなんでも一人は無茶ですよ!? めぐみんも止めてー!!」

「好きにさせといたらどうです? どーせ何言っても聞きゃしないでしょうし。ウィズが説得すれば話は変わってくるんでしょうが……まあ何が起きても死にはしないでしょう。ゆんゆんは離れた方がいいですよ」

「諦めないでよ!?」

 

 確かにハンスは強敵である。

 いや、酸と毒は全く怖くないのだが、捕食からの窒息は極めて危険だ。

 餅による窒息死は餓死と並ぶ廃人を手軽に殺し得る手段の一つであり、今のハンスは見るからにぷるぷるもちもちしていて喉に詰まりそうだ。

 

「あなたに何かあったらウィズさんも私も悲しみます! それに仮に倒せたとしてもさっきめぐみんが言ったとおり、スライムで街が汚染されちゃいますから!」

 

 ゆんゆんは心配性すぎる。あなたはそこまで貧弱ではない。

 あなたはただ一口だけでいいのでハンスを味見したいと思っているだけだ。

 

「味見!? もしかして今味見って言いました!?」

 

 あなたはハンスの味が気になるのだ。

 ゼリーのようで美味しそうではないか。食べたらどんな味がするのだろう。どんな喉越しなのだろう。

 先っちょだけ、先っちょを切って齧るだけなので許してほしい。

 

「止めてください! 危ないですから本当に止めてください! 確かに綺麗ですけど相手はデッドリーポイズンスライムですからね!? あなたが飲んだ温泉で希釈された毒とはワケが違いますからね!?」

 

 必死で縋りつくゆんゆんを引き摺りながら、沢山の水で希釈されているのは今も同じではないかとあなたは反論する。

 先ほどまでのハンスは身長180センチメートルの成人男性ほどの体積しかなかったが、多量の水を吸った現在の体積は縦横数十メートルにも及ぶ。

 となれば、毒もそれ相応に薄まっている筈だ。

 

「そ……そうかもしれませんけど! 確かにそうかもしれませんけど! ……もしそうならほとんど水の味しかしませんよ!?」

 

 ゆんゆんの叫びにあなたははたと立ち止まった。

 確かに彼女の言うとおり、水にところてんスライムと毒を混ぜればハンスを再現出来そうだ。

 

「私そんな事一言も言ってないんですけど!?」

 

 あなたの背中をぽかぽか叩きながら元気に抗議の声をあげるゆんゆんを引き摺りながらあなたは話し合いを続けるカズマ少年達の元に戻る。

 

「毒が薄まってるなら普通に倒して街に流しちゃっていいんじゃね? 倒すだけならどうにでもなりそうだし。爆裂魔法でぶちまけても雨みたいなもんだろ」

「どこぞの頭のおかしいのは普通に飲んでましたし食べようとしてましたが、温泉で薄まったハンスの体の一部でも一般人が死ぬレベルだったんですよ? 私は止めた方がいいと思いますけどね」

「ならばもう一度アクアにさっきの魔法を使ってもらい、形を保っていられなくなるまで、あるいは安全な濃度になるまでハンスと毒を希釈するというのは……いや、駄目か。どちらにせよスライムという器を失った結果、大量の水で街は洪水になるな」

「やっとこさウィズの店の借金を返済し終えて左団扇だってのに、また借金まみれとか死んでも嫌だぞ俺は……そっちもなんか無いのか? なんかこう、爆裂魔法みたいな凄い攻撃は」

 

 あなたはあったらデストロイヤー戦で使っていると答えた。

 

「だよなあ……」

 

 カズマ少年にはこう答えたが、実の所、あなたはハンスを有無を言わさず焼き尽くして消し飛ばす広範囲の攻撃方法を持っている。

 ハンスの耐久力次第だが、メテオと四次元ポケットに眠っている核爆弾を数百発ほどぶち込めば蒸発する筈だ。

 しかしあれらは爆裂魔法以上に無差別かつ広範囲の攻撃なので、アルカンレティアは確実に灰塵に帰す事になるだろう。

 人間は避難すれば助かるが、賠償金や討伐後の復興の事を考えるとあまりオススメは出来ない。

 あるいはテレポートでハンスをどこか……例えば海や火口、あるいは汚染しても大丈夫な場所に飛ばせば話は早いのだが、この世界のテレポートには人数および重量制限が存在する。都合よく何でもかんでもぶっ飛ばす事は出来ない。

 

 

 

「何にせよ死ぬと崩れるってのが一番の問題だよな。何とかして小さく出来ないのか? 例えばこう……氷魔法で端っこから少しずつ凍らせて削るとかしてさ」

「わ、私の魔力だととてもアレを全部凍らせるには足りないかと……」

 

 あなたの上級魔法でもハンスを体の芯まで凍らせるにはどれだけの時間がかかるか分かったものではない。クリエイトウォーターやテレポートと違い、あなたは攻撃魔法はそこまで熱心に育てていないのだ。

 

 ハンスが魔法を無効化しない以上、愛剣を抜いてノースティリスの魔法を使えば凍らせるのは余裕だろうが、それでもハンスの巨体全てを凍らせるには効果範囲が足りない。そして恐らくそのままハンスは死ぬ。

 あなたとしては身バレは構わないのだが、結局全体が凍る前に洪水が発生すると思われる。

 

「氷ですか……一応相手は液体ですしいいかもしれませんね。私と組んでカエル斬った時に使ってたあれはどうですか?」

 

 めぐみんが言っているのは氷属性付与(エンチャント・アイス)の事だろう。

 斬った相手を凍らせる魔法剣だ。

 

「魔法剣か……試してみる価値はあるかもな」

「だがバラしたハンスの欠片はどうする? 毒耐性スキルを持っている私であれば、恐らく持っても平気だろうが……流石に私達だけで処理するには量が多すぎるぞ」

「アクアとかダクネスとかの毒が大丈夫そうなの、あとアクシズ教徒の連中に安全な場所まで運ばせる方向で行こう。毒があってもあいつらなら大丈夫だろ?」

「カズマはアクシズ教徒を何だと思ってるの!? あんなにいい子達なのに!!」

 

 この後作戦を煮詰めた結果、あなたが魔法剣とみねうちでハンスを死なない程度に削っていき、ゆんゆんが氷結を維持し、アルカンレティアから離れた場所に移動させたハンスの欠片をめぐみんが爆裂魔法で消し飛ばし、残った欠片を女神アクアが浄化する。そういう作戦になった。

 趣味で習得していただけのスキルが輝く日が来るとは全くの予想外である。

 

 

 

 

 

 

「いやはや、遠目でも目立っていましたが、こうして近くで見ると実に壮観ですなあ」

 

 風を浴びてぷるぷると震えるハンスを見上げ、どこまでものん気な声を放ったのは、アクシズ教団の最高責任者であるゼスタだ。

 解体したハンスを運ぶ人手が必要という事で女神アクアとめぐみんが渡りをつけた結果、現在では三桁を優に超える数のアクシズ教徒達が倉庫街に戻ってきている。

 

「呼んだのは私ですが、また随分と戻ってきましたね」

「お美しい青髪を持ったアクシズ教徒のアークプリーストの方、そして名誉アクシズ教徒候補筆頭のめぐみんさんの頼みとあれば、どこからでも我々は駆けつけますとも」

「止めてください。人にそんな称号をつけるのは本当に止めてください」

 

 本気で嫌そうなめぐみんにニコニコと笑うゼスタはまったく堪えた様子が無い。

 

「本当であれば全員が来たがっていたのですが、それではかえって邪魔になってしまいますからな。この場には厳選に厳選を重ねたアクシズ教徒だけが集っています」

「つまりここにはあなたを筆頭に特別アレな連中が揃っていると」

「はっはっは。敬虔な信徒と言ってもらいたいものですな」

 

 毒を吐くめぐみんにも狂信者は鷹揚に笑う。

 信奉する女神がすぐそばにいるのだから今の彼は無敵状態なのだろう。

 

「ところであのスライムを見てくれ。あいつをどう思う?」

「すごく……大きいです……」

 

 ふと、あなたの鋭い聴覚が若干離れた場所でアクシズ教徒の男達が何かを囁きあっているのを聞き取った。

 声の方向に目を向けてみれば、そこには青い作業服を着た体格のいい野生的な男と、男とピッタリと肩を寄せ合う華奢な青年の姿が。

 幸いな事にあなた以外は誰も気付いていないようだ。男娼という名の古傷を刺激されたあなたは頭痛を覚えながらも睦まじく体をまさぐりあう二人を見なかった事にした。

 

 

 

 さて、アルカンレティア存続の危機という非常事態になっても落ち着き払っているどころか実にいつも通りなアクシズ教徒達だが、やはり中でもゼスタは別格だ。

 あなたが感じ取れる彼我の戦闘力の差は歴然。戦えば確実にあなたが勝つだろう。しかしこれはそういう話ではないのだ。

 ノースティリスの友人を髣髴とさせる、彼の身に秘められた信仰の深さに、いっそ郷愁すら覚えたあなたの口元が弧を描く。

 

「…………ほう」

 

 時におぞましいとすら形容されるその笑みを向けられたゼスタもまた瞬時にあなたという同類(狂信者)の存在の本質を理解したのか、興味深そうに目を細めた。

 

「どうやら我々とは抱く信仰を異にしている方のようですが、中々どうして。あなたのような人間もいる所にはいるものですな」

 

 それはお互い様である。あなたはこの平和な異世界で彼のような者に会えるとは思わなかった。

 あなたはゼスタが感慨深げに差し出してきた右手を掴み、握手を交わす。

 片や癒しの女神の筆頭信徒。片やアクシズ教団の最高責任者。

 立場や信仰を抱く神は違えども、あなた達の間に言葉はいらなかった。

 

「うわ……何分かり合ってるんですか、いい年こいた男同士が気持ち悪い」

「なんですかめぐみんさん、気持ち悪いとは失礼な。私はこれから彼とプラトニックでセクシャルでアダルティな関係を築く予定なのですが」

 

 あなたはじんわりと嫌な熱を帯び始めたゼスタの手を無理矢理振りほどいた。

 性癖の坩堝であるノースティリスの冒険者であるあなたは友人の存在もあって同性愛にはそれなりに寛容だし理解もあるつもりだが、最低でも性転換してから出直してきてほしい。

 

「改めて思うけどさ。アクシズ教徒ってなんかもう……上から下までどうしようもないくらいにアレだよな」

「何よ。日本ではよくある事でしょ?」

「ねーよ。あってたまるか。法治国家舐めんな」

「このクソニート、アンタまさかアクシズ教徒が無法者だっての!?」

 

 アクシズ教徒はノースティリスの冒険者に近い。

 ノースティリスの冒険者と近いのであれば自然と無法者という事になるのだが、彼らを愛している女神アクアの手前あなたは黙っておいた。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなでハンスの解体作業に入る事になったわけだが。

 アクシズ教徒の増援にはあなたと同じく氷属性付与(エンチャント・アイス)が使える魔法戦士やエレメンタルナイトもいたが、安全確認を兼ねてまずはあなたが最初にハンスに近付いていく。

 

「き、気をつけてくださいねー!」

 

 あなたがゆんゆんの声援に手を振って応答すると、彼女は周囲のアクシズ教徒からニヤニヤとした視線を浴びた挙句ヒューヒューと冷やかされ、真っ赤な顔を両手で覆って蹲ってしまった。思春期丸出しで実に微笑ましい。

 自分にもあんな時期があっただろうかと遠い過去に思いを馳せるも、どれだけ記憶を辿っても碌な思い出が無かったのであなたは誰に向けるものでもない呪詛を吐く前にそれ以上考えるのを止めた。

 

 

 

 しかし半ば予想出来ていた事だが、今この瞬間もハンスは鎮座したままぴくりとも動こうともしない。神器を抜いたあなたが目の前に立っているにも関わらずだ。

 

 想像を絶する巨体ゆえあなたが眼中に入っていない可能性も捨てきれないが、人間の姿を捨てたハンスは、最早自我や知能どころか本能すら殆ど残っていないのではないだろうか。

 言葉も発せないくらいに弱っていた所にあれだけの魔法をぶち込まれて存在を希釈されてしまったのだから、その可能性は高そうである。

 せめて本能だけでも残っていれば、食欲のままに周囲の物を食らい尽くすべくアルカンレティアに侵攻してかなりの脅威になったのだろうが。

 

 そんな事を考えながらあなたは神器に氷の魔力を纏わせ、ハンスの透明な巨体に刃を滑らせる。

 一切の抵抗無く刃を受け入れたスライムの体はさながら水の如く。

 

 あまりの手ごたえの無さにこれは切れていないのではないかと考えるあなただったが、あなたが刀を振り抜いた直後、ずるり、とずれ始めたハンスの一部を見てすぐに考えを改める。

 神器によるあなたの攻撃により、物理攻撃が効かない筈のその体は音も無く綺麗に切断され、30センチほどのハンスの体の切れ端がゴトリと鈍い音を立てて地面に落ちた。

 あまり大きく切ると運ぶのが大変そうなのでかなり小さめに切ったし、断面はまるで何事も無かったかのように元通りになっているが、こうして分割している以上ほんの少しとはいえスライムの体積を削れた筈だ。

 

 そしてダメージを与えてもハンスの反応は無い。

 完全に置物かと思いつつ落ちたそれをなんとなく拾いあげてみると、ハンスの欠片は冷たく、そして硬く凍り付いていた。

 これならば暫く溶ける事は無いだろう。

 安心しながら欠片を後方に投げ捨てれば即座にアクシズ教徒が回収していった。

 

「スライムには物理攻撃効かないとかいう話なのに滅茶苦茶アッサリ斬ったな。魔法剣だからか?」

「仮にもこの私を差し置いてアクセルのエースと呼ばれてるくらいなんですから、あれくらいはやってもらわないと困りますがね」

「カズマも何か手伝ったら? アンタ折角日本刀もどき持ってるんだし、ポイント余ってるなら属性付与(エンチャント)スキル覚えれば溶けかけたスライム凍らせられるでしょ?」

「前にも言った気がするけどエンチャントはダクネスがなあ……まあいいか。魔法剣ってあると便利そうだし。何より日本刀に魔法剣って和洋折衷でかっこいいし」

「か、カズマ……ついに雷属性付与(エンチャント・サンダー)を取ってくれるのか? 私のために?」

「お前にだけは絶対に使わないから安心しろ」

 

 

 

 こうして解体作業が始まったわけだが、相手は名高き魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンス。

 袋叩きにあった末に自我や本能を失ってもそう簡単に終わるわけにはいかないと相手が思っているかは定かではないが、解体を始めて早々に厄介な問題が浮かび上がった。

 

「なんだこの軟らかくて硬いの。剣は簡単に刺さるけど斬れないって何事だよ」

「しかも刺すだけじゃすぐ傷口が再生しちゃって全然凍らないのよね……」

「あの人どうやってこれ斬ってんの? めっちゃスパスパ斬ってるんだけど。俺らの場所が悪いとか?」

「ぎゃああああ! 斬るには斬れたけど俺の剣が腐食してる!? これ聖銀製でくっそ高かったのに!!」

「くっ、ガッツが足りない! もしくは俺に信仰心が足りてないのか!? まさかエリス像と肖像画の胸に邪な思いを抱いたせいか!?」

有罪(ギルティ)

有罪(ギルティ)

 

 とまあこのように、あなた以外どの魔法戦士も誰一人としてハンスの体に有効打を与える事が出来なかったのだ。

 正確に言えばあなたの持つ武器以外、誰の武器もハンスをまともに傷つける事が出来なかった。

 

 あなたの使う武器は斬鉄剣と引き換えに冬将軍から譲り受けた強力な神器だ。

 切れ味は言うに及ばず、耐酸性も完備している。

 あなたにはもう一本、愛剣という確実にハンスに通じる武器があるが、神器を含め他の者に使わせる気が無い以上、結局解体作業はあなた一人で行う事になった。

 

 

 

「少しずつだけど小さくなってる気がするな。でもなんか目が死んでね? さっきから何も言わないし、完全に作業でやってる感じだぞ」

「無理も無い。たった一人であれだけの巨体を削るという終わりが見えない作業に従事しているのだからな。代われるものならば私が代わりたいが」

「アルカンレティアの為に頑張ってくれてるんだし、せめて応援くらいしましょうか。……ブレッシング!」

「幸運強化してどうするんですか。私にはむしろイキイキしてるように見えますけどね。少しずつ削るスピードも上がってますし」

 

 切って、切って、切り続け、あなたは無心でハンスを削る。

 サイズ差を鑑みれば玄武を採掘した時のような光景だが、それ以上に終わりの見えないスライムの山は分裂モンスターをサンドバッグに吊るして無限に狩り続ける狩りを嫌でも思い出さずにはいられない。

 あなたとしては実に慣れ親しんだ行為であるしこれはこれで楽しいのだが、必然的にあなたの心は空っぽになる。空っぽにしないと数ヶ月ぶっ続けで飲まず食わず休まずの単純作業などやっていられない。

 まあハンスには明確な終わりは存在するのだが。それも遠くないうちに。

 

 

 

 

 

 

 ……そして、ハンスに剣を振るい続けてどれほどの時間が経過しただろうか。

 

 ふと空っぽだったあなたの心が色を取り戻した。

 あれほど大きかったスライムが縦横三メートル程度の大きさになった頃、突然ハンスがそれ以上斬れなくなったのだ。どれだけ切り付けても剣は軟体に弾かれてしまう。

 初めての感触にあなたは眉を顰める。あなたはまだまだ元気だし、神器に異常が発生したわけでもない。これはどういう事なのだろう。防御行動だろうか。

 

「いやはや、お疲れ様です。あのハンスをたった一人で解体してしまうとは、流石は頭のおかしいエレメンタルナイトといったところでしょうか」

 

 サンドバッグのようにハンスを殴り続けるあなたの元に、ゼスタが胡散臭い笑顔を浮かべて近付いてきた。

 最早異名については何も言うまい。

 何の前触れも無く破壊不可能になったハンスに何が起きているのか、現状を理解しているのであれば説明が欲しいのだが。

 

「何、簡単な話です。薄められた彼にとってはこれ以上削られてしまえばスライムとしての形すら保てないのでしょう。つまり今のハンスは死ぬ一歩手前という事ですな」

 

 なるほど、とあなたは納得する。

 あなたはずっとみねうちと魔法剣を使ってハンスを削ってきた。

 巨大スライムが相手だったのでザクザク斬っていたが、これが人間が相手だった場合は肉を足先からヤスリで少しずつ削っていく拷問に等しい行為だっただろう。しかしそれもここが限界という事だ。

 

 試しにあなたがみねうちを使わずにハンスを十文字に切ってみると、氷像と化した魔王軍幹部であるデッドリーポイズンスライムはその身を綺麗に四分割させて凍りついた。そこそこ大きいが、それでも運べないサイズではないだろう。

 

「お見事。後は吹っ飛ばして浄化するだけですな」

 

 浄化は女神アクアが単独で行う事になっている。

 ゼスタは女神アクアと同じくアークプリーストであり、アクシズ教徒は多数のプリーストを抱えている。ハンスの欠片を浄化出来ないのだろうか。

 

「……ここだけの話、魔王軍幹部ハンスの破片の浄化となれば、腕の良いアークプリーストが大勢集まり、数ヶ月かければなんとかなるかどうか、といったところでしょう。今のハンスはアクア様のお力でだいぶ希釈されていますので、我々でも数週間あれば何とかなるでしょうが」

 

 その言葉にあなたは離れた場所にいる女神アクアに目を向ける。

 アクシズ教団の最高責任者すら遠く及ばない、リッチーや大悪魔にすら通じる規格外の浄化の力を持つ水の女神はうららかな春の日差しを浴びて鼻提灯を浮かべながら幸せそうに昼寝していた。

 どうにも締まらない。

 

「おお、なんと神々しい御姿……いと尊き寝顔に後光が射しておられますアクア様……! ありがたやありがたや……」

 

 まるで空き巣に襲い掛かるのではなくじゃれつく番犬、もとい駄犬の如き緩みに緩みきった顔だが、ゼスタを始め遠巻きにアクシズ教徒が拝んでいた。異様な光景である。

 嬉々として女神アクアを絵画に残している者までいるが、信者としてこれは当然の行為だろう。

 かくいうあなたも願いで降臨した癒しの女神の寝顔を跪いて拝んだ事がある。その際発していたむにゃむにゃ、おなかいっぱい……という女神のベタベタな寝言を聞いて信仰が凄まじく深まった事と寝顔を絵画に残した件については墓まで持って行くつもりだ。互いの為に。

 

 

 

 思う存分剣を振るって満足したあなたはゼスタと別れ女神アクア達が陣取っている一角に足を運ぶ。

 この場に残っているのはカズマ少年と女神アクアとめぐみんだけで、回収作業に勤しんでいるダクネスと他の魔法使いと共にハンスが解凍しないように頑張っているゆんゆんの姿は無い。

 ゆんゆんと共にアルカンレティアから離れた平原で冷凍作業をする筈だったカズマ少年が残っている理由はハンスが刀を腐食させると知るや即座に待機を選んだからだ。待機というか女神アクアの隣で横になって眠っているが。

 折角慰安旅行にやってきたというのにこのような騒ぎに巻き込まれて疲れているのだろう。

 

「お疲れ様です。結局一秒も休まずにやってましたね。そんなにハンスの解体が楽しかったんですか?」

 

 めぐみんの労いの言葉はずっとあなたの解体作業を見ていたような口ぶりだった。

 あまり長く見ていて楽しいものではなかったと思うのだが。

 

「私は最後までやる事も無くて退屈でしたし、カズマやアクアみたいに寝る気にもなれませんでしたし。でもあんなに大きな物が少しずつ小さくなっていくのを見るのは結構楽しかったですよ? 勿論私の爆裂魔法ならもっと早く壊せますがね」

 

 ドヤ顔を浮かべるめぐみんをはいはい可愛い可愛いと適当にあしらう。

 増援が機能しないという予想外のアクシデントで若干時間はかかったが、あなたの役割は無事に終わり、後はめぐみんと女神アクアの仕事だ。

 

「カズマ、アクア、起きてください。解体が終わりましたよ。移動しましょう」

 

 仲良く熟睡する二人の頭を杖で小突くめぐみん。

 コンコン、がゴッ、とかガッ、という鈍い音になりそうな段階になって二人はようやく起床した。

 痛くないのだろうか。

 

「……んあ?」

「ふあぁ……何、やっと私の出番?」

 

 女神アクアが思いっきり伸びをすると同時に、ダクネスやウィズほどではないが、それでも確かに膨らみを主張する双丘がハッキリと揺れる。

 

「くっ、やはり膨大な魔力の循環が身体に影響を……この分では健康状態も関係していそうですね。ゆんゆんと違って私の家は貧乏でしたし……母は遺伝だから諦めろとか言ってましたが私は信じませんよ、ええ、決して信じませんとも……!」

「うん、なんか調子もいいし、ちゃちゃっと浄化しちゃいましょうか!」

 

 暗い顔でブツブツと呪詛を吐き始めた発育の悪い少女はともかく、女神アクアは寝顔と今の胸部装甲の運動エネルギーで信仰パワーが溜まったらしい。

 女神という超越存在なだけあって、その生態は定命の者には到底及びも付かない謎と神秘に満ちている。

 

 

 ……そしてこの後、バラバラになったハンスはその体の大半をめぐみんに爆裂魔法で消し飛ばされ、残った残骸も信仰パワーの高まった女神アクアの本気の浄化により高純度の聖水、つまり綺麗なハンスに生まれ変わった。

 魔王軍幹部として恐れられたデッドリーポイズンスライムの、あまりにも呆気ない幕切れである。

 

 

 

 

 

 

 かくしてアクシズ教徒とカズマ少年達の活躍により魔王軍幹部は見事に退治されたわけだが、まだ終わりではない。

 あなたとしてはむしろここからが本番である。

 

 魔王軍の暗躍を防ぎ、アルカンレティアの危機を救った英雄という事でカズマ少年達は現在アクシズ教徒達と共に飲めや歌えの大騒ぎに精を出している。

 そんな中あなたとゆんゆんは彼らと別れ、宿で待機していたウィズと再会していた。

 

 最初はあなた達が無事に帰ってきた事に喜んだウィズだが、すぐにゆんゆんが自分を見る様子がおかしい事に気付く。

 

「えっと……どうしたんです?」

「…………」

 

 硬い表情のゆんゆんに間が持たないのかウィズがおろおろと縋るようにあなたを見てきたので、あなたはウィズを引っ張ってひそひそ話を開始した。

 

 ウィズは強大な力を持っているにも関わらず、アルカンレティアの危機に手を出さなかった理由をゆんゆんは知りたがっている。

 あるいはアルカンレティアに隔意を抱いているのではないか、と。

 

「う、やっぱりそうなっちゃいますよね……」

 

 ウィズの正体がハンスを通じて不特定多数の人間に露見する事を恐れ、彼女を宿に押し留めたのはあなたの判断だが、ゆんゆんは他にも女神ウォルバクという魔王軍幹部と通じている。

 この先も同じような事が無いとは言い切れない以上、これはいい機会なのではないだろうか。

 ゆんゆんはウィズの愛弟子であり、ゆんゆんもまたウィズを深く慕っている。

 彼女やあなたが恐れている最悪の事態にはならない筈だ。

 

「ううっ……」

 

 ウィズは今まで引っ張りすぎた結果、逆に話せなくなってしまっていると思われる。

 どうしてもというなら自分が話すが、というあなたの提案をウィズはやんわりと拒否した。

 

「……いえ、それには及びません」

 

 暫し黙ったまま俯いていたウィズだが、いよいよ年貢の納め時だと思ったのだろう。

 やがて決心したように顔を上げてゆんゆんに向き直った。

 

「ゆんゆんさん」

「は、はい!」

「いきなりこんな事を言われて困ると思うのですが……」

 

 魔王軍の幹部にしてリッチーである彼女は、重々しく口を開く。

 

「……私は、人間ではありません」

 

 

 

 

 

 

「……以上です。ゆんゆんさん、ずっと黙っていて、本当に申し訳ありませんでした」

 

 あなたを被験者に幾つかのリッチースキルの実演と共に自身の正体を説明し終え、ゆんゆんに深く頭を下げるウィズ。

 あなたの目にはまるで彼女がギロチンに首を差し出す罪人のように見える。

 真実を知ったゆんゆんがウィズを拒絶した時は仕方ない。

 非常に残念だがその時はその時だ。

 

「…………ウィズさん、頭を上げてください」

 

 顔を上げたウィズは今にも泣き出しそうだった。

 重苦しい雰囲気が部屋中に満ちる中、やがて、ゆんゆんは訥々と語り始める。

 

「……皆、何も言わなかったけど。実は私、なんとなく、そうなんじゃないかなってずっと思ってたんです」

 

 静かに、諦観すら含んだ笑みを浮かべながら。

 

「だって、紅魔族の私でも信じられないくらい強いし、私の名前を聞いても笑わなかったし、ちょっと私達とはズレてる所があるし、時々凄い無茶な事を言ったりしたりするし」

 

 確かにウィズは天然な部分がある。

 だがそれを差し引いても十分上手くやっていたと思っていたのだが、ご近所付き合い程度ならともかく、深く付き合えばやはり違和感を抱いてしまうものだったのだろうか。あるいはあなたが異邦人故に気付かなかっただけなのか。 

 

「……やっぱり、あなた()人間じゃなかったんですね?」

 

 ゆんゆんは、胸のつかえが取れた表情でそう言った。

 確認の形を取っているが、それは自身の言葉を確信していると誰もが理解出来る声色でハッキリと。

 

「…………はい?」

 

 ウィズが不思議そうな声色で相槌を打つ。かくいうあなたも全く同じ気分だ。

 今、ゆんゆんは確かにあなたも、と言った。あなたは、でなくあなたも、と。

 そして気のせいでなければ、ゆんゆんはウィズではなくあなたに言ったように思えた。というか現在進行形であなたと完全に目が合っている。

 繰り返すが、ゆんゆんはウィズではなく、あなたと目が合っている。

 

 あなた達が自分を見る目と雰囲気がおかしくなった事を悟ったのか、ゆんゆんは再度問いかけてきた。

 

「え? だってウィズさんはリッチーなんですよね? 魔王軍幹部なんですよね?」

「は、はい……そうです」

「ならこの人だって人間じゃないって事ですよね? ウィズさんと同じ魔王軍の幹部、むしろ魔王本人とか邪神とかだったりしないとおかしい筈ですよね?」

「はい……はい? えっ?」

 

 いや、その理屈はおかしい。すこぶるおかしい。どう考えてもおかしい。

 どんな異次元の論理展開を行ったらそのようなぶっ飛んだ結論に到達するのだろう。邪神はゆんゆんやめぐみんと懇意にしている女神ウォルバクの方だ。

 

「え? えっ?」

 

 まさか、え、でもそういえば……そうかも……みたいな目であなたを見てきたウィズに首を横に振って答える。そんなわけがない。

 拳を握って小さくガッツポーズされてもあなたは反応に困るだけだ。

 しかも本人にガッツポーズをしている自覚が無さそうなのがなんともはや。

 

「あれっ?」

 

 愛弟子の答えに困惑しているウィズとお前は何を言ってるんだと呆れるあなたに、頭上に疑問符を浮かべるゆんゆん。

 とりあえずあなたは間違いなく人間だ。後で嘘発見器にかけてもらっても構わないと主張しておく。

 ついでに言っておくと、ウィズのように魔王軍幹部でもない。勿論魔王本人でも邪神でもない。

 幹部と親交があるだけの普通の人間の冒険者だ。

 

 この世界とは別の世界からやってきた、という枕言葉はつくのだが、それでもあなたは普通の人間だ。

 

「…………えええええええええっ!? 異世界!? そ、そうだったんですか!?」

 

 あなたの言葉にゆんゆんは目を見開き、猫が飛び上がらんばかりの絶叫を発した。

 彼女の驚愕は一分の隙も無い程に正しいものなのだが、肝心の驚愕のタイミングがどう考えても間違っているように思えるのはあなたの気のせいではないだろう。

 何故に自分が人間である事が判明した時にこのような反応が返ってくるのか。これはウィズが人間でない事を告白した時に返ってきて然るべき反応ではないのか。そこまで異世界人の存在は彼女を驚愕させるに足る要素だったのだろうか。

 

「ほ、本当ですか!? 異世界云々はともかく、本当に普通の人間だったんですか!?」

 

 大胆にもあなたの体をペタペタと触り始めたゆんゆんに、彼女は触診で他者の正体が分かるのだろうかとあなたは現実逃避気味に考える。

 大体にして、ゆんゆんは()()()()と言っていた。

 それはつまり、彼女は以前からあなたが人間ではないのではないかと疑っていたという事だ。

 

 どんな経緯の果てにゆんゆんがこのような認識を持つに至ったのかが分からない。ノースティリスで数多の冒険の果てに世界の謎を解き明かしてきたあなたであっても全く分からない。

 あなたは弛まぬ修練の果てに手に入れた、無駄に高い戦闘力からバケモノ扱いされた事は一度や二度では無いが、非人間扱いされるというのはあまり無い経験だ。

 それはノースティリスでも変わらない。むしろノースティリスでは人間か非人間かなど誰も気にしていない。ただしかたつむりは清掃員に塩を投げられる。

 

「うええぇええええ……えええええ……? え、人間? ニンゲン? にんげんって何ですか? あなたの心と体は何で出来てるんですか!? あ、分かりました! 異世界の人っていう事はやっぱりあなたは私の知ってる人間とは違う人間って事ですよね!?」

 

 こやつめ、ハハハ。

 海より深い慈悲の心を持っていると評判のあなたであっても最早我慢の限界である。謂れの無い誹謗中傷に手を出さざるを得ない。

 現実を受け止めきれずに錯乱しているのか、壊れた蓄音機のようにニンゲンを連呼するゆんゆんの脳天にあなたは明るく笑いながらチョップを決める。

 しかし本気でやるとゆんゆんの頭が赤とピンク色の花を咲かせてしまうので十分に手加減して、右斜め45度から。壊れたものを直す時はこうするといつだって相場が決まっているのだ。

 

「……ハッ、殺気!?」

 

 回避などさせるものか。

 鍛錬であなたと幾度も近接格闘戦を行ってきた故か、あなたの不穏な気配を鋭く察知してきたゆんゆん。

 だがあなたとて歴戦の冒険者だ。心眼を使うまでもなく脳天に直撃である。

 賢い紅魔族だけあって脳が詰まっているのか、ゆんゆんの頭からは鈍い音がした。

 

「あうあうあううううう!? ごめんなさいごめんなさい!! 違うんです、つい前から思っていた事が口からぽろっと! だって仕方ないじゃないですか!? 誰だってそう思いますよ!? 今日だってデッドリーポイズンスライムを食べてみたいとか言い出すし! 紅魔族だってそんな無茶な事言いませんよ!?」

 

 あれだけ本音を炸裂させておいて違うもついも無いだろうと思うも、頭を押さえて涙目で悶絶するゆんゆんを見ていると若干だが溜飲が下がった。

 子供の、しかも女の子相手に大人気ないと呆れられそうな光景だが、ひとでなし扱いされたのだからこれくらいはやっても許される筈だとあなたは一瞬で自己弁護を終える。

 

「私の正体を知った時の百倍は驚いていた気がするのは私の気のせいでしょうか……? それにあなたは何をやってるんですか。ゆんゆんさんが言っていたのってハンスさんの事ですよね?」

 

 呆れとも安堵ともつかない微妙な表情であなたとゆんゆんを見やるウィズ。

 

「……すみません。私、こんな時どんな顔をすればいいのか分からないんです」

 

 笑えばいいのではないだろうか。

 

「乾いた笑いしか出ないんですけど。というかあなたはアッサリ自分が異世界人だって打ち明けちゃいましたね。本当に良かったんですか?」

 

 ウィズにだけ正体を明かさせておいて自分はだんまりを決め込むというのは筋が通らないだろう。

 それにあなたは自身の正体について話す理由が無いから話していなかっただけで隠していたわけではないし、今の所人類に敵対しているわけでもないので知られても困らない。

 

 あなたと軽いやり取りをして少しだけ気が軽くなったのか、ゆんゆんはウィズに声をかけた。

 

「あの、ウィズさん」

「は、はい!! なんでしょう!?」

「話してくれてありがとうございました」

「……そ、それだけですか? もっとこう、思った事を言ってくださってもいいんですよ?」

 

 やけにネガティブになっているウィズを安心させるように、リッチーの弟子は優しく笑う。

 それはとても目の前の師匠によく似た笑い方だった。

 

「えっと……私はこんなだから難しい事は言えないですけど……ウィズさんはリッチーでもいい人で、優しくて素敵な人だって私は知ってます。だから例えウィズさんが魔王軍幹部でもリッチーでも、ウィズさんはウィズさんで、私の大切なお友達だという事に変わりは無いと思うんです」

「ゆ、ゆんゆんさん……!」

「わぷっ……」

 

 優しい、そして温かい宣言に感極まってゆんゆんの頭を胸に掻き抱くウィズ。

 やはり身近な人間に自身の正体を話すというのは相当な緊張を強いるものだったのか、彼女の目尻には透明の雫が浮かんでいる。

 

 ウィズの告白は収まるところに収まったというか、結果だけ言えば大方あなたの予想通りの流れで終わったわけだが、ともあれ、ウィズの心の安寧が守られたのであればあなたとしては万々歳だ。

 ゆんゆんのぼっちっぷりとめぐみん曰く紅魔族の中で浮いていたという気質(マトモさ)からまずそんな事は無いだろうと思っていたが、ウィズを拒絶してバケモノ、あるいは人類の敵呼ばわりしたゆんゆんが()()()()()()()()()()()()()という痛ましい事件が起きなくて本当に良かった。

 友人にして愛弟子に不幸があればきっとウィズは悲しむだろう。

 

 

 ただその代償として、実はゆんゆんに人外ではないのだろうかと疑われていた事が発覚したあなたの心に若干腑に落ちないものが残ったわけだが。

 とんだ流れ弾を食らった気分である。

 

 

 強く抱きしめられ続けている結果、ウィズのぷるぷるでもちもちなモノで窒息という極めて幸福な最期を遂げようとしているゆんゆんを肴にあなたはどこかやさぐれながらこっそり一つだけ回収していた小さなハンスの欠片をゴリゴリと齧る。

 美味い不味い以前に、ゆんゆんの言ったように水の味、あるいは氷の味しかしなかった。

 喉越しも氷だしやはり踊り食いでなければいけなかったのだろう。


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