このすば*Elona 作:hasebe
アルカンレティアの外れにある倉庫街。
水の女神アクアのお膝元であるアルカンレティアの水は他の追随を許さないほどに綺麗な事で有名だ。
その質の高さから貴族用の飲料水を始めとしてポーション作成など様々な用途に用いられ、各地に輸出されているアルカンレティアの水。
いわばアルカンレティアの特産品であるこれは温泉ほどではないとはいえアルカンレティアの財源を担っており、その輸出される水がこの倉庫街には大量に保管されている。
そしてこれといって見るべきものや温泉も無く、普段であれば殆ど住民や観光客が寄り付かないそんな場所に、最早数える事すら億劫になるほどの数の人間達が集っていた。
男に女に子供に老人。
更に人間だけではなくエルフやドワーフ、獣人といった者達の姿も散見される。
「うーん、壮観ねー! 不信心者への怒りで私への信仰がビンビンに高まってるのを感じるわ!」
「え? 信仰ってそういうもんなの?」
「今時のダメな若者らしく無宗教のカズマさんには分からないかしら。ほら、信仰パワーがここに溜まってきてるでしょ?」
「二の腕を晒されてもぜんっぜん分からん」
満足そうな女神アクアと同じく、四方のどこを見渡しても途切れが見えない人の群れに、よくもまあここまでの数を揃えたものだとあなたは感心する。
危うく命を落としかけた源泉の管理人である老人をアクシズ教徒の本拠地に送ったあなたとめぐみん。
老人が件の犯人と思わしき男に襲われた事、そして男が極めて強い毒性と酸性を持ったスライム系の魔族である事を伝えたらいつの間にかこんな事になっていた。
この場に集った彼らは服装も装備もてんでバラバラ。
一見すると何の集団なのかすら分からない。
しかしこの人の群れは何を隠そう、その誰しもが悪名高いアクシズ教徒なのだ。しかもアルカンレティアに住まう筋金入りのアクシズ教徒である。
人類を脅かす軍団の首魁が住まう魔王城からそれなりに近い場所にあるにも関わらず、まるで手を出されていなかったアクシズ教徒の本拠地。
そんな場所に住まう者達に隠れ家を暴かれて囲まれている犯人の現在の心境や如何に。
「おいアクア、一応言っておくが、余計な事は言うなよ。何が起きるか分かったもんじゃない」
「だーいじょうぶよカズマ。私はアルカンレティアの危機に颯爽と登場したアクシズ教徒の超絶美人アークプリーストとして振舞うから安心しなさい」
あるいは彼らは街の危機に駆けつけたのと同時に、女神アクアを拝みに来たのかもしれない。
今の所は空気を読んで誰も彼もが遠めに女神アクアを見守る程度で何も言わないが、下手に女神だと名乗ればカズマ少年が危惧している通り、感激で発狂した狂信者達によって上を下への大騒ぎになる可能性が非常に高い。
「これが全部アクシズ教徒……。なんですかこの世界の終わりとしか言えない恐ろしい光景は。眩暈がしてきました」
「っと……大丈夫か?」
青い顔でふらつくめぐみんをダクネスとゆんゆんが支えた。
念には念を入れて女神アクアに浄化を頼んでいたのだが、まだ毒が残っているのかもしれない。
「めぐみん大丈夫? もっかい回復する?」
「いえ、大丈夫です。ちょっとこの人の群れに爆裂魔法を撃ちたくなっただけですので。私、一回でいいので見ろ、人がゴミのようだって言ってみたかったんですよね」
「止めて! なんでそんな酷い事言うの!? 神罰の光で目が見えなくなっても知らないんだからね!?」
めぐみんの気持ちはとてもよく分かる。
デストロイヤーが去った後に残っていると言われているアクシズ教徒が相手では核では到底不足だろう。愛剣を抜いて
「…………あれ?」
わいわいと騒がしい中、ゆんゆんが周囲を見渡している。
誰を探しているのだろうか。
「あの、ウィズさんの姿が見えないんですけど」
「ゆんゆん、ウィズなら宿ですよ」
「えっ!? ウィズさん待機なの!?」
まあ、ゆんゆんとしてはそういう反応になるだろうなとあなたは心の中で納得した。
戦力の逐次投入が愚策というのは子供でも理解できる基本中の基本であり、何より相手は魔王軍だ。
常識的に考えれば、この一大事にウィズほどの極上の戦力を遊ばせておく余裕などどこにも無い。常識的に考えれば。
「まあほら、あれですよ。ウィズは控えとか後詰めとかそんな感じで。それに戦力ならここに頭のおかしいのと最強の爆裂魔法使いの私がいるじゃないですか」
「で、でもでも……今はアルカンレティアの一大事なのよ!? 確かにアクシズ教徒の人達はその、色々とアレだけど……相手は魔王軍の幹部、デッドリーポイズンスライムなんでしょ!?」
ゆんゆんの言葉通り、一連の犯行に及んだのはやはり魔王軍、それも幹部であった。
正体が分かった理由は簡単。アクシズ教徒から渡された、本人そっくりの男の似顔絵を見たウィズがアッサリと言い当ててしまったのだ。
そして犯人の正体が確定した瞬間、この戦いでウィズの出番が来る事は絶対に無くなった。
準備のために一度宿に戻ったあなたから話を聞いた際、不安を滲ませながら、本当に自分は行かなくていいのかと問いかけてきたウィズだが、行かなくていいというか、絶対に行ってはいけない。同僚であるウィズがハンスを知っているという事は、ハンスもまたウィズを知っているという事だ。
彼女の正体が衆目に晒される事を考えれば絶対に戦闘には出せない。
ウィズがこの場所に来た場合、あなたは問答無用でウィズと共にテレポートで離脱すると彼女に予め宣言している。軽挙は控えてくれると思いたい。
確かにアルカンレティアは素晴らしい場所だが、それでもあなたからしてみれば
出し惜しみした結果アルカンレティアが滅ぶ事になったとしても、あなたは決して悔やまないだろう。
ウィズの身の平穏の為、魔王軍幹部である彼女には是が非でも宿で待機していてもらう。
あとオマケで世界の平和の為にも。
「……毒? めぐみん、もしかしてウィズさんは昨日一日中毒を調べてたから調子が悪くなったの? そういう事なのね!?」
「なんでそうなるんですか。もしそうだったらとっくにアクアが治してますよ。というか私に任せてないでそっちで何とかしてください。ウィズの担当はあなたでしょうに」
めぐみんは心底めんどくさそうにゆんゆんを押し付けてきた。
この面々の中、ゆんゆんだけがウィズの正体が魔王軍の幹部にして最強のアンデッド、リッチーであるという事を知らない。故に彼女は困惑している。
このままでは最悪ウィズがアクシズ教徒に隔意を抱いている人間だと思われかねない。
女神アクアの件もあるので、もしかしたらほんの少しくらいはあるかもしれないが、それでもアクシズ教徒など滅んでしまっても全く構わないと薄情な事を考えているわけではないだろう。
今のゆんゆん一人でウィズの元にやるのは躊躇われる。
かといってあなたが付き添ってウィズの所に連れて行くというのも、無数のアクシズ教徒が周囲を囲んでいる現状ではいつ戦闘が始まってもおかしくないので選びにくい。
なのであなたは彼女を説得する事にした。
この場には本人がいないので詳しくは話せないが、ウィズにはこの場では戦ってはいけない理由があり、それがウィズの命に関わる可能性が非常に高い事。
ウィズはアルカンレティアの危機に一人蚊帳の外になる事を本当に心苦しく思っていたものの、彼女の身を案じるあなたが戦場に立つ事を許容しなかった事などを正直に話す。
「…………分かりました」
説得の甲斐あってゆんゆんは渋々と引き下がってくれたが、納得はしていないだろう。
しかしそれはウィズの仕事であってあなたの仕事ではない。
そろそろウィズはゆんゆんに自身の正体を明かす時が来ているのかもしれない。
「俺もう帰っていいか? こんだけいるんだし、ウィズみたいに待機でもいいだろ?」
「この男はこの期に及んでまたこんな事を。いい加減腹を括ったらどうですか? 何のために弓まで持って完全武装でここまで来たと思ってるんですか」
「そうだぞカズマ。クルセイダーというパーティーの盾としてお前の事は私が絶対に守ってみせよう。だからお前は何も心配せずにいつも通りに堂々としていろ。お前は私達のリーダーなのだからな」
「お、おう……」
ドンと鎧を拳で叩き、快活とした笑顔で宣言するダクネス。
その美貌も相まって今の彼女はまさに戦乙女と呼ばれるに相応しい頼もしさであった。
あまりの頼もしさにカズマ少年は言葉に詰まってしまったのか、赤面してダクネスから顔を逸らす。
「カズマって日ごろあれだけ好き放題やってる癖に変な所でヘタレというか純情ですよね。というかダクネス、もしかして今のはアレですか、いわゆる告白ってやつですか? 俺がお前を護る、的な。男女が逆な気がしないでもないですが、まあカズマですしね」
「……えっ!? い、いや、違うぞ!? 確かにカズマには色々とお世話になっているが、私は断じてそんなつもりで言ったわけではなくてだな!? そう仲間! 私はカズマの仲間だろう!? だから今のは仲間として言ったつもりであってだな!」
「仲間仲間連呼すんな! 一瞬遂に俺にもモテ期が来たかと思って滅茶苦茶期待したじゃねえか!」
戦乙女は一瞬でどこかに行ってしまった。
ここで堂々と肯定していればダクネスは戦乙女を通り越して
「そ、そうだスライム! スライムだ! これだけプリーストが揃っているのだから私も少しくらいスライムに塗れても大丈夫だとは思わないか!?」
「止めろ馬鹿! ちょっとでも期待した俺が馬鹿だったよ!!」
照れ隠しなのか、いつも以上にリアクションが大きいカズマ少年の元に、親子連れが近付いてきた。
「ねえねえ、お兄さんっていけめんだよね! お兄ちゃんって呼んでもいい?」
少女の声を受け、ビクンと体を震わせるカズマ少年。
「ごめん、なんだって? もう一回言ってくれるかな?」
「お兄ちゃんって呼んでもいい?」
「いいよ」
食いついた。カズマ少年は盛大に食いついた。
最悪の呼称にあなたであれば即座に拒否していただろう。
「こら、駄目よ! 確かにイケメンで素敵な男の子だけど、アクシズ教徒でもない人をお兄ちゃんだなんて……。甘えたいお兄ちゃんが欲しいのは分かるけれど、アクシズ教徒にしておきなさい。本当にイケメンだけど残念よねえ……」
「うん、分かった……」
「ふっ……」
キメ顔になったカズマ少年はニヒルに笑いながら髪を掻き揚げた。
あまりの気障な振る舞いに三人娘はおろか、心なしかゆんゆんまで彼を冷たい目で見ているが彼は全く気にしていない。
「ねえいけめんのかっこいいお兄ちゃん、お兄ちゃんは、アクシズ教徒は嫌いですか?」
「嫌いじゃないよ」
「ほんと!? じゃあこれあげるね!」
「そ、それはいらないかな……」
差し出された入信書を引き攣った笑みで拒否するカズマ少年。
「ちぇー……でも頑張ってねお兄ちゃん! ばいばーい!」
手を振って母親と共に去っていく少女。
そして。
「っしゃああああ行くぞお前らぁ!! 気合入れろぉ!!」
「おおおおおおおおお!!!」
カズマ少年が突然檄を飛ばし始め、周囲のアクシズ教徒に熱と興奮が伝播していく。
彼らは今にでも突貫を始めそうな勢いだ。
「カズマって小さい女の子の事になると急にテンション上がるの気持ち悪いですよね」
「や、やめなよめぐみん……」
冷めきった瞳の少女達はさておき、周囲のアクシズ教徒達の熱気は冷める事無く、彼らは次々にハンスを呼び始めた。
「隠れてないで出て来いハンスー!」
「ハンスの腰抜けー!!」
「ハンスの童貞ー!」
「ハンスの非モテー!!」
「やかましいぞっ!!」
アクシズ教徒の煽りの大合唱に負けず劣らずの怒声と共に、倉庫街の一角が吹き飛んだ。
憤怒を撒き散らしながら現れたのは先ほどあなたに聖水を食らった浅黒の男、魔王軍の幹部であるデッドリーポイズンスライムのハンス。
切断した腕は今は元通りになっているようだ。
「ようハンス!」
「デッドリーポイズンスライムのハンス!」
「遅かったわねハンス!」
「温泉の恨みを晴らすぞハンス!」
「お色直しは終わったのかハンス!」
「ハンスハンスと、俺の名を気安く呼ぶなクソ共が!! クソッ、完全に俺の正体がバレているだと……一体……どうなって……」
忌々しげだったハンスの声は、段々と尻すぼみになっていった。
やがて完全に沈黙し、あんぐりと大口を開けて周囲を見渡し始めたハンスに、この場に集まった全ての者を代表して女神アクアが彼に相対する。
一見すると無謀な行為だが、彼女はあなたと同じく状態異常を完全に無効化する羽衣を装備しているので、取り込まれて捕食されない限りは相性は悪くない筈だ。
「ようやく顔を出したわねハンスとかいうの!」
「おいちょっと待て! なんだこの数は! どんだけいるんだ!?」
「見て分からないの? アルカンレティア中のアクシズ教徒がアンタをぶっ飛ばすために集まったのよ! 正々堂々、数の暴力でフルボッコにしてあげるから覚悟しなさい!」
「ふざけろ! これのどこをどう見たら正々堂々なんて言葉が出てくる!! 今時魔王軍でもたった一人を相手にここまでやらんぞ!!」
「ここはアクシズ教団の総本山、アルカンレティア! つまり私達がルールで絶対正義! 私達が白と言えばアルカンレティアでは黒も白になるのよ! それが犯罪じゃない限りね!」
「どんな超理論だ!!」
場所が場所だからなのか、女神アクアがいつになくノリノリである。
先ほどの件もあってハンスに警戒されているであろうあなたとしては、彼の意識が女神アクアに集中している今この瞬間に斬りかかりたいと思っているのだが、それは女神アクアに禁じられている。
なんでもこの戦いはアクシズ教団と魔王軍の聖戦であり、女神アクアは大勢のアクシズ教徒が見守る中、可能な限り自分とアクシズ教徒の手でハンスを討伐したいのだという。
これだけの信者が集まっている中、異教徒一人を戦わせてハイ終わり、では仮に勝利してもアクシズ教団の名が廃ってしまうとも。
相手が魔王軍幹部とはいえアルカンレティアというホーム、そして完全に味方で取り囲むというあまりに圧倒的有利な状況に欲が出てしまっているようだが、あなたは先ほど盛大に無様を晒してしまっているので何も言えない。
精々ハンスの攻撃で死人が出ないように立ち回るつもりである。後で話を聞いたウィズを悲しませない為に。
「ノコノコ集まってきたアクシズ教徒の者達よ、貴様らは死ぬのが怖くないのか?」
口論に疲れたのかハンスは周囲に向けて問いかける。
「ぷーくすくす、なあに、魔王軍の幹部ともあろうものがこの数に怖気づいたの?」
「……貴様は自分達が死地に飛び込んだ事すら理解出来ないほど頭が悪いのか?」
「なんですってぇ!?」
怒気を顕にする女神アクアに、ハンスは溜息を吐いた。
「今更名乗るのは自分でもどうかと思うが、俺は魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンス! 貴様ら如き雑魚がどれだけ群れようとも相手にはならん! 幾らプリーストを揃えようが、俺に触れればどの道即死だ!」
殺意と威圧感を撒き散らしながら周囲に向けて声高に吼えるハンスに対し、彼を取り囲んだアクシズ教徒達は誰一人として眉一つ動かす事無く、首を傾げながら一斉にこう言ってのけた。
――それが何か?
老若男女、戦えるものはおろか物心ついて間も無い程度の幼い子供達までもが口を揃えるという異様な光景に、ハンスはおろか、カズマ少年達も絶句している。ただ一人、女神アクアは鼻息荒くそんな事はさせないと息巻いていたが。
何を言われたのか分からないといった表情のハンスに、何人かの信者が口々に語りだす。
「何か、勘違いをなさっていますね。私達はアクシズ教徒。そう、アクシズ教徒なんです」
「俺達アクシズ教徒は、死んだ暁にはアクア様の元へと送られる。そう、俺達の敬愛するアクア様の元に送られるんだ!」
「そして、そして……僕達は死後、アクア様の管理している世界に転生する事になるのです!」
「そう、ニホンという名の楽園に!!」
「えっ、今日本っつった? 何でこの流れで日本が出て来るんだ」
突如出てきた故郷の名に、カズマ少年が困惑している。
そして呆然としているハンスに、他の信者を代表するかのように一人の壮年の男性が前に出た。
彼は他の信者と比較しても一際豪奢な法衣を纏っており、格が違う信者であると一目で分かる。
「めぐみん、ゼスタさんが出てきたわよ。何する気なのかしら」
「皆、よく見ておきなさい。あれが悪名高いアクシズ教団の最高責任者のアークプリーストですよ」
彼の顔を知る二人の紅魔族が男の正体を教えてくれた。
先日は会えなかったが、彼がそうなのかと、あなたはこの世界で自身に最も近い存在を感慨深い気持ちで注視する。
言われてみればなるほど、確かにゼスタからはあなた自身やウィズ以外の友人達と同等の、筋金入りの狂信者の臭いがした。
「魔王軍の貴方は知らないでしょう。ニホン。そこは、アクア様曰く楽園のような世界。そこでは、私の様な両刀も恥じることなく生きていく事が出来……それどころか! 私の様な趣味の者に合わせた、特殊な本が溢れていると聞きます! そう、異端や変態扱いされる我々が、堂々と生きていける場所なのです!」
あなたとカズマ少年は顔を見合わせ真顔で頷き、アクシズ教徒の話が聞こえないようにする為、めぐみんとゆんゆんの耳を押さえた。
「わっ!? カズマ、いきなり何するんですか!」
「あ、あのあの……こういうのはウィズさんに悪いと思うんですけど……!」
ゆんゆんの耳がやけに熱くなっているのが気になったが、彼らの話は冒険者とはいえまだ子供な彼女らの教育上よろしくないだろう。
「あーあーあー!」
見れば、ダクネスも自分の耳と目を閉ざして声を上げていた。
被虐性癖を持っているというのに、妙なところで純な少女である。
……しかしなるほど、つまりニホンはノースティリスのような場所なのだろう。
ノースティリスでも特殊な嗜好のエロ本は溢れているので間違いない。
カズマ少年やキョウヤの話では、ニホンの治安はこの平和な世界すら比較にならないほど良い場所だったらしいが、それ以外はきっとノースティリスなのだ。
「ぼ、僕みたいな……僕みたいな、心は女の子で、体は男の子な人でも、そこに行けば需要があるっていうんです! なんでも、男の娘って言うんだそうで……!」
やはりノースティリスだ。
あなたには願いで性転換した友人もいるし、幼い少女にしか見えない少年をペットにして性的な意味で可愛がっている友人もいる。
ニホンは路上でドラゴンがバイクに盛っていても誰も気にも留めない世界なのだ。
「ダンディーなおじ様が組んずほぐれつする様な描写がなされた本が、一つのジャンルを確立しているそうで……! しかも、しかも! しょ、しょた、とかいう、小さな男の子を扱ったいけない系統の本なんかも堂々と売られているんだとか! 私、わたし、アクシズ教徒で良かった! 生きてて本当に良かった!!」
最早疑う余地は無い。ニホンはノースティリスのような世界だったのだ。
ニホンはこれは物理的に無理があるだろ、というレベルで体を六面体に変化させる事で性的興奮を得たり、あるいは六面体になった者に性的に興奮する者がいる世界なのだ。
アレは傍から見ているとギャグにしか見えないのだが、彼らはキューブにでも憧れているのだろうか。
「……俺、この邪教は真剣に滅びた方がいいと思う」
まだ年若いカズマ少年は己の性癖を暴露するアクシズ教徒達にドン引きしているが、むしろアクシズ教徒の語った性癖はノースティリスでは極めてノーマルな部類に入る。恐らくニホンでも同様に。
何せ上記の友人の前者は趣味が
そんな彼らの性癖ですらあなたの知る中で最も理解出来なかったソレには程遠い。
アブノーマルな性癖の最果てはすくつのように暗くて深いものなのだ。
世の中には知ってはいけない、知らない方がいい世界がある。
「これだから俺はお前らが嫌いなんだ! このキチガイ狂信者どもめっ!!」
「ありがとう! 最高の褒め言葉です!」
声を揃えての大合唱に、いよいよ話が通じないと悟ったのか、ハンスは両手で顔を覆って天を仰ぎ、深い溜息を吐いた。
「はぁ……もういい」
「ん? 今なんか言った?」
「もういいと言ったんだ。それなりの年月を掛けてこの街を調査し、下準備を終えてようやく決行した計画だったんだがな……」
この時期に重傷を負ったカズマ少年がアルカンレティアに湯治に来なければ。
カズマ少年の仲間に女神アクアがいなければ。
あなたとめぐみんがあのタイミングで老人の家にいなければ。
彼は現在こうはなっていなかった筈だ。
ハンスはひとえに運が悪かったのだろう。こればっかりはどうしようもない話である。
「なるほど、つまり諦めて潔く私達にフルボッコにされるって事ね?」
「馬鹿かお前は! こんな事になった以上、まどろっこしい真似は止めにするって事だ! こんなイカレた宗教は俺が直接この手で終わらせてやる! もう後悔しても遅いぞ!!」
あなたとしては見慣れた、しかしこの世界においては尋常ではないアクシズ教徒達の熱気と信仰心に気圧され、苦し紛れの悪態を吐きながらハンスは後退し始める。
「何のために俺がこんな場所を隠れ家にしたと思っている! 俺はスライム! あれを全て取り込んで巨大化してしまえば貴様らはもう終わり――」
「カズマ、今です!」
「狙撃!!」
カズマ少年の狙撃がハンスの両足の踵を射抜く。完璧にクリティカルしているあたり凄まじい精度だ。
見たところダメージは皆無なようだが、それでも両足を射抜かれたハンスはバランスを失って盛大にずっこけた。
というかわざわざ御丁寧に敵に自分の作戦をバラしていくなど、もしかしてハンスは馬鹿なのだろうか。
「くっ、良い腕だが、スライムの俺にこの程度で……」
「ソニックブレード!」
「サニー・サイド・アップ!」
「ターンアンデッド!」
「ライトニング!」
「花鳥風月!」
「狙撃狙撃狙撃!!」
「ザムデイン!!」
「ティンダー!!!」
「う、おおおおおおお!?」
そして、アクシズ教徒としてはその一瞬で十分だったのだろう。
カズマ少年の狙撃を皮切りに、宣言通りのアクシズ教徒達による数の暴力がハンスを襲った。幾つか宴会芸スキルのようなものが混じっていた気もするが。
そして最初に足を集中攻撃された結果、避ける事は叶わず、数多の攻撃スキルがハンスに直撃していく。
幾らハンスが魔法や物理に強いといっても多勢に無勢。雨霰と降り注ぐ攻撃の嵐が相手では如何ともしがたいようだ。流石に相手が悪いと言わざるを得ない。
攻撃の余波で倉庫街にも被害が及んでいるが、誰も気にしていない。
「アハハハハ! いいわよやりなさいやりなさい、むしろハンスが余計な真似を出来ないように盛大にやりなさい!」
むしろ女神アクアが率先して煽っているので更に攻撃の勢いが増している。
「神罰を食らえっ!」
「デートで温泉行ったら彼氏がぶっ倒れたんだけど!!」
「てめえのせいで商売あがったりだクソめ!!」
「しゃぶれよオラァ!!」
「コラテラルダメージ! これはコラテラルダメージだから!!」
アクシズ教徒の怒号からは凄まじいまでの私怨が迸っていた。
あれほど綺麗な水を毒で汚されたので彼らの怒りは当然だろう。
「これがアクシズ教徒か……普通に魔王軍よりタチ悪いんじゃね?」
「魔王軍すら近寄らないっていう理由がよく分かりました」
「めぐみん、宗教って怖いのね……」
「え、エリス教徒は違うからな? 頼むからそこだけは勘違いしないでほしい……」
完全に暴徒と化し、目の色を変えて魔王軍の幹部を遠距離から袋叩きにするアクシズ教団に、カズマ少年達が戦慄いている。
「……帰るか? 俺が奢るから皆でどっかでパーっと美味いもんでも食って飲んで、その後温泉にゆっくり浸かって今日の事は全部忘れようぜ」
カズマ少年の問いかけに、あなた達は無言で頷いた。
この分ではあなたの出番は無さそうである。残念だがアクシズ教徒と女神アクアだけで終わりそうだ。
踵を返して立ち去るあなた達だったが、永遠に続くかと思われた攻撃が唐突に止んだ。
「うわあ……なんか俺、ハンスが可哀想になってきたわ」
振り返ってみれば完全に更地となった倉庫街の中心、最も攻撃が激しく行われていたその場所には、物言わぬぼろ雑巾と化しながらも辛うじて人型を保っているハンスと思わしき者の姿が。
ぴくぴくと痙攣しているのでまだ息があるのだろう。驚きの生命力である。
「ぷーくすくす! いいザマねハンス! まだ息がある事は褒めてあげてもいいけど、これがアルカンレティアとアクシズ教団に手を出した報いよ!」
女神アクアはノリノリである。
どこからともなく杖を取り出し、自身の手で半死半生のハンスにトドメを刺すべく詠唱を始めた。
やんややんやと周りで盛り上がるアクシズ教団に気を良くしたのか、女神アクアの調子は最早雲を突き抜けて天元突破だ。
「ここまで頑張ったアンタに免じて冥途の土産にいいものを見せてあげるわ! 地獄でお仲間に自慢するのね!!」
嫌な予感がする。とても嫌な予感がする。
先ほどまでのお気楽ムードから一転。顔を青くしたカズマ少年が呟いた。
「これでトドメよ! セイクリッド・クリエイトウォーター!!」
天から降り注ぐ水の女神の大奇跡が、デッドリーポイズンスライムのハンスを押し潰した。
■
水の女神の大魔法は本来であればあなた達を洗い流して余りある、凄まじい規模のものであった。
にも関わらずあなたもアクシズ教徒も一切水に濡れてなどいない。
洪水とも呼べる女神アクアの魔法は、その全てがハンスに直撃したのだ。
そう、デッドリーポイズンスライムのハンスに。
その後に待っていたのは、まさに奇跡のような光景であった。魔王軍幹部が女神の力を受けて再誕したとあなたが錯覚するほどに。
「こ、これは……なんと見事な! こんな立派なものは私も初めて見るぞ!」
それを見てダクネスは歓喜に声を震わせ。
「でけえよおおおお!!」
カズマ少年は悲鳴をあげ。
「おおおおおちおちおちおちちちち」
「あっばばっばばばばばばばばばば」
紅魔族二名は盛大に錯乱し。
「総員退避ぃー!!!」
脱兎の如くあなた達の方に駆け、泣き顔を晒しながら女神アクアが自身の信者達に向かって叫んだ。
九割九分勝利が確定していたところで調子に乗ったせいで大惨事を引き起こしたにも関わらず、アクシズ教徒達は女神アクアに向かって満面の笑顔を向けてサムズアップを決めていた。
誰一人として女神アクアに怒ってなどいない。それどころか拍手を贈っている者すらいる。
「やったぜ母ちゃん、今夜はステーキだ!」
「いいぞいいぞ、俺はこういう無茶が大好きだ!」
「こんな時でもお約束を忘れないだなんて、私一生ついていきます!!」
「いやあ、本当にいいもの見れたな。俺感激しちゃったよ」
「僕、今日の事は一生忘れません!」
ハンスから逃げながらも笑いあう彼らは本当にその場のノリだけで生きている。
実にイイ空気を吸っていると言わざるを得ないと、あなたも釣られて笑顔になった。
一方で当の女神アクアはカズマ少年に盛大に叱られて泣き喚いていたわけだが。
「馬鹿! ほんっと馬鹿だろお前!! どうすんだよこれ!?」
「だって、だって皆に私のかっこいいとこ見せたかったのよおおおおおお!!!」
目的自体は完璧に達成できているのではないだろうか。
少なくともアクシズ教徒達は女神アクアの奇跡に等しい御業に感激して満足している。
ただその結果として半死半生だったハンスが息を吹き返し、当初の作戦通り、あるいはそれ以上に巨大化したというだけの話だ。
「なんでよりにもよってスライムに水の魔法なんか使ったんだこの馬鹿! お前は脳みその代わりに水が詰まってんじゃねえのかこの馬鹿! アクシズ教徒といいお前といいほんと馬鹿ばっかだ!」
「馬鹿馬鹿言わないでよお! そりゃ私の魔法のせいでこんな事になっちゃったのは謝るけど、でも私だって良かれと思ってやったんだから! こんな事になるなんてこれっぽっちも思ってなかったんだからぁ!」
……そう、ハンスは女神アクアの水の魔法を吸収したのだ。
聖水ならトドメになったのだろうが、女神アクアが使ったのはクリエイトウォーターの超強化版、つまりハンスに降り注いだのは何の力も篭っていない、ただの大量の綺麗な水だった。
アンデッドが相手ならそれでも効果は抜群だったのだろうが、結果として、それを吸収したハンスはデストロイヤー並の身長の巨大スライムになった。
これほどのサイズのスライムはノースティリスでもお目にかかったことが無い。ハンスが吸収した水量を思うとあなたですら背筋が凍る思いである。流石は水を司る女神がトドメに使うつもりだった固有魔法だと言わざるを得ない。
あと以前カズマ少年が言っていた通り、女神アクアが調子に乗ってやる気になった時は確かにロクな事が起きない。女神エリスという幸運の女神を後輩に持っていて尚絶望的に低い幸運のステータスのせいだろうか。
「ど、どうしよう……ねえめぐみん、どうする? これって私の攻撃魔法効くのかな……ライトオブセイバーで少しずつ切っていけば……」
「私に聞かないでくださいよ。というかこれ、ハンスが水を吸収しなかったらそれはそれで大惨事になってたんじゃないんですかね」
水のように透明な体をプルプルと震わせる、見た目だけなら綺麗で可愛らしいハンスをあなたと共に見上げながらめぐみんがそう口走った。
「ありえるな。幸いここら一帯はアクシズ教徒の攻撃で更地になっているが、普通に街の方にまで被害が行ってたんじゃないか? 少なくとも私達は水に押し流されていただろうな」
「とんだ破壊工作だなオイ。うんとかわあとか言ってみろよ戦犯」
「わあああああああああーっ!!」
女神アクアの泣き声が雲一つ無い青空に響き渡った。