このすば*Elona   作:hasebe

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第56話 サキュバスネスト(推奨レベル1以上)

 草木が芽吹き、暖かい風と共に春の路地裏にその少女は立っていた。

 

 少女の年の頃は十歳前後。

 銀髪のボブカットは幼げな印象が際立っており、起伏の少ない未熟な身体と男受けのする可愛らしい仕草は世の男性の庇護欲を掻き立てる事請け合いだろう。

 

 そんなアクセルの冒険者の間では新人ちゃんと呼ばれている一人のサキュバスの少女が店の前でその男と遭遇したのは、率直に言ってしまえば全くの偶然である。

 

 少女にとってその男は初めて見る顔だった。

 年齢は二十代。全体的に軽装とはいえ帯剣している所からして恐らくこの街の冒険者だろう。

 冒険者ギルドに行く途中に寄ってくれたのかな、少女はそう思った。

 

「えっと……お客様ですか? すみません、今は営業時間外なんです」

 

 足を運んでもらった所申し訳ないが、規則は規則である。

 可愛らしくぺこりと頭を下げて一度お引取り願うも、男はそこから一歩も動かない。

 それどころか無言で少女の顔をじっと見つめてくる始末。不審者レベルは中々のものである。

 

「……あ、あの、私の顔に何か付いてますか?」

 

 やがて沈黙に耐え切れなくなり少女の方から声をかけてみたものの、やはり男からの返答は無い。

 問いかけに肯定の意思も否定の意思も示さず、ただ白髪の子供を観察する視線だけがあった。

 

 未熟者の新人とはいえ仕事柄、そして美女美少女揃いのサキュバスという種族柄、少女は自身を観察される事には慣れている。

 今は普通の人間が着るような服装だが、そうでない時は若輩ながらもサキュバスらしい極めて露出度の高い格好をしているのだ。

 少女趣味の冒険者の男が脂ぎった獣欲と共に、凹凸の極めて少ない未熟な肢体を舐め回すような視線で凝視してくるのだってそれなりに慣れてきたつもりだった。

 

 だが目の前の男の視線は、少女が知る他の男達が少女に向けるそれとはあまりに一線を画していた。

 

 情欲も、好奇も、意思すらも感じられない、どこまでも無機質で冷たく自分を見透かそうとしてくる瞳は地獄の奥深くにあるという氷結地獄(コキュートス)を想起させる。

 

 そんな目で見つめられているサキュバスの少女は、まるで自身が路傍の石、あるいは虫ケラになったかのような錯覚に陥っていた。

 

 きっとこの男は自分の事を本当に何とも思っていない。

 サキュバスとか魔族とかそれ以前に、人の形をした生き物だとすら思っていないのではないか。

 今この瞬間にでも自分に暴力を……いや、この男に殺されてしまうのではないか。

 目の前の虫ケラを潰すように、気まぐれに、無慈悲に、無感情に。

 

 ……そう思ってしまえるほどに男は冷徹な目をしている。

 

 以前少女はこの街の屋敷で仕事をした時にヘマをしてしまい、危うく屋敷に住む女性達に退治されかけた事があった。

 その時は客である少年が身を挺して彼女を助けたのだが、少女にとって目の前の男はあの時の敵意を剥き出しにした凶暴極まりない女達よりもずっと恐ろしいもののように見えた。

 

 人間は自分が理解出来ないモノを恐れるという。

 魔族であるサキュバスもまた、この何一つ理解出来ないモノを恐れていた。

 

 そう、怖いのだ。

 虫を見るような目で見られる事が怖い。

 そして何よりも、目の前の存在が何を考えているのか分からない事がこんなにも怖い。

 

 だがここは街中で、相手は男で、自分はアクセルの男達に受け入れられているサキュバスの一体だ。

 だから自分が恐れている事は起きない。起きない筈だ。そう、思いたい。

 

 希望的観測に縋りつつも、どうしても男が腰に下げている大振りの剣に意識がいってしまう。

 目の前の男は服の上からでも鍛え上げられていると分かる身体つきをしている。まさか見掛け倒しの鈍らではないだろう。仮に鈍らであっても、あんな大きな武器で斬られれば、下級悪魔であるサキュバスの中でも一等貧弱な自分は確実に死ぬ。

 

「…………」

 

 必死に怯えを表情に出さないように振舞ってはいるものの、少女には果たして本当にそれが出来ていたかどうかの自信はまるで無かった。

 永遠にも感じられる一分が過ぎ、やがて目の前の男の瞳に温度が戻り、ポンと手を打った。少女はビクリと肩を震わせる。

 

 何をされるのか。あるいは何を言われるのか。

 未熟な淫魔は冷や汗を流しながらゴクリと喉を鳴らし、審判が下されるのを待つ。

 だが、しかし。

 

 

 

「え、エロ本!? 私エロ本になってるんですか!?」

 

 

 

 男が発した予想だにしない言葉に、幼いサキュバスの新人はそれまで男に抱いていた恐怖を忘れ、路地裏中に響く大声をあげた。

 男は彼女をエロ本に描かれていた子と、そう呼んだのだ。

 エロ本。言うに事欠いてまさかのエロ本である。

 確かに自分は新人とはいえサキュバスで、そういう店の店員である。自分の知らない所でそんな本を描かれていてもおかしくはない。

 だが、だがしかし。まさかこの男はあんな煮え滾る熱湯すら一瞬で凍りつく目で自分を観察しながらずっとエロ本の事を考えていたというのか。どっかおかしいんじゃないんだろうかこの人。具体的には頭とか、頭とか、頭とかが。

 

 普段の控えめなキャラをかなぐり捨てて、そう思わずにはいられなかった。

 

 なおその日から暫くの間、それまで男達から《新人ちゃん》と呼ばれていたサキュバスの少女は新たに《エロ本ちゃん》と呼ばれるようになるわけだが、この件との関連性は定かではない。

 

 

 

 

 

 

 無事に少女の正体を思い出してスッキリしたあなただったが、店が開くのは昼過ぎからだと聞かされては仕方ない。店には後ほど起床したベルディアと共に赴く事にした。

 

 サキュバスの少女は風俗店の店員だったようだが、店員の中であの少女だけがサキュバスなのか、あるいはアクセルにサキュバス達が住み着いているのか。

 

 実の所、魔族の例に違わずサキュバスもまた同様に人類の敵だ。

 彼女達は皆が皆整った容姿をしており、更に男の欲望、つまり人間の男の精気を吸って生きている悪魔である。戦闘力は下の下の最下級悪魔。

 エロくて美人で危険度が低い悪魔であるが故に男性冒険者達は彼女達を溺愛し、サキュバスが住み着いた街では極端に結婚率と出生率が落ち込むのだ。

 当然世の女性達はサキュバスを蛇蝎の如く嫌っており、積極的に退治している。ただし特殊な性癖の持ち主は除く。

 

 そんなわけでアクセルにサキュバス達が住み着いていた場合は非常に由々しき事態なのだろうが、あなたとしてはベルディアを元気にしてくれればどちらでも構わないと思っている。あなたは商売女の世話になるつもりなど毛頭無く、アクセルに居着く人外についてはウィズやベルディアやバニルの時点で何を今更といった感しか無いからだ。

 

 ただまあ、サキュバスという事でどうしても先日ドリスで遭遇し蹴散らしてきた痴女の群れを思い出してしまい、それに関しては若干思う所が無いわけでもない。

 

 しかし先ほどの少女からエロ本を見せてほしいと言われた時は流石に苦笑を禁じえなかった。

 あの少女は自身のエロ本を見てどうするつもりだったのだろう。まさか使うつもりだったのだろうか。自分のエロ本を使うというのは些か理解しがたい性癖だ。新人ちゃんならぬエロ本ちゃんといえるだろう。

 どちらにせよ、彼女のエロ本は釣ったその場でウィズが焼却してしまったので無理なわけだが。見せられないよ! というやつだ。物理的に。

 アクセルの本屋を覘けば売っているかもしれないが、特にエロ本を集めていないあなたは買うつもりは無かった。自分で買って楽しんでもらいたいものである。

 

「お帰りなさい。お邪魔してます」

 

 風俗店の下見を終え、ギルドで適当に仕事を見繕ってから帰宅したあなたを出迎えたのは、既に店を開けているウィズではなく爆裂魔法を撃ちに出かけためぐみんに付いていったゆんゆんだった。

 めぐみんはどうしたのだろうかと思えば、魔力切れのせいでリビングのソファーでグロッキーになっている。実にいつも通りの光景だ。

 一人で歩けないめぐみんがどうやって帰ってきたのかについては、やはりゆんゆんが背負ったのだろう。彼女はアークウィザードとはいえ日頃から鍛えているし、何よりレベル37だ。筋力や耐久力も相応に上がっている。おまけにめぐみんは軽い。とても軽い。

 

「あの、ベアさんもまだ眠っているみたいなのに私達だけでお家にお邪魔してしまってすみませんでした。……あ、でもちゃんと帰りがけにお店の方に顔を出して、ウィズさんに許可は貰いましたから!」

「というか私が動けるようになるまで家で休んでろって言われたんですがね……」

 

 頭を下げるゆんゆんに、あなたは別に構わないから気にするなと手を振った。ここはあなたの家であると同時にウィズの家なのだから。

 流石に自室や倉庫を荒らされていた場合はちょっと本気で対応と今後の付き合い方を考えるだろうが、そうでないのならばこの二人に関しては何も言う気は無い。

 

 しかしやはりと言うべきか、二人は今日にでも宿に戻るようだ。

 家が普段よりも賑やかになってウィズも嬉しそうだったし、あなたとしてももう少し泊まっていってもいいくらいなのだが。

 

「いえ、流石にそれは……居心地が良すぎて、そのままズルズルといつまでもお世話になっちゃう予感しかしないので……」

「一理ありますね。ゆんゆんは押しに弱すぎる上にチョロいですから」

「そ、そんな事無いわよ!?」

 

 ゆんゆんが居心地の良さのあまり、自宅に帰ってきたかのようにリラックスしていたのは今朝の事件を見ても明らかである。

 あるいはそれも尾を引いているのかもしれない。

 

「関係ないです! 朝の事は本当に関係ないですから!」

 

 ……そんなこんなで二人の紅魔族は昼前に宿に帰っていった。

 昼食後のデザートとしてバーベキューセットで作ったアイスクリームを振舞おうと思っていたあなたは少しだけ残念に思ったが、まあこの先幾らでもその機会はあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎに起床したベルディアを風呂に叩き込んだ後、あなた達は先ほどの大通りに戻ってきていた。

 大通りから少々外れた路地裏に入った場所には朝訪れた時とは違い店の前には看板が立っており、小さいながらも何の変哲も無い飲食店のようにも見える。

 

「ここがその娼館か。とてもそうは見えんが……というかいきなり娼館に行くとか言い出すから何事かと思ったぞマジで」

 

 今更だがベルディア的に娼館はどうなのだろうか。

 気負ってはいないようだが。

 

「ん? 童貞じゃあるまいし、娼婦程度何も思わんな」

 

 そう言ったベルディアは強がっているようには見えない。

 経験アリという事らしい。

 

「俺の国の騎士団に所属してた奴は初陣の前日に娼館に行くのが通例でな……俺も散々新人を連れて行ったもんだ……当たりを引いた奴は生き残って次も来ようと頑張るし、外れを引いた奴も生き残って次こそ当たりを引いてイイ目を見ようとしてな……ちなみに俺が新人の頃は後者だった。ガチムチのオークみたいなのが出てきてな。思わずチェンジって言ったら顔面ボコボコにされた」

 

 遠い目をして語るベルディア。

 どうやら彼が所属していた騎士団は傭兵団のような有様だったらしい。

 

「騎士団つっても主に平民で構成された団だけどな。流石に新人とはいえ貴族だのお偉いさんだのの子弟を無理矢理ぶち込むような事は……結構あった気もするが。まあそんな俺の昔の話はいいから入らないか? 風俗店の前で男二人で立ち話とか空しすぎるだろ、常識的に考えて」

 

 異論は無いと頷き扉を開ける。

 果たして、扉の先はまさしく別世界であった。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 扉を開けると同時、複数の女性達の声があなたとベルディアを出迎える。

 

「おお……!」

 

 店内にはドリスで遭遇したような、極めて露出度の高い全裸一歩手前の美女や美少女の集団が当たり前のようにウロウロしていた。

 

「あの時の連中と違って餓えた獣の目をしていない所がいいないいな、凄くいいな! クソ、もっと早く来ておけば良かった……!」

 

 美女の群れに元魔王軍幹部のデュラハンは興奮である。

 対してあなたの反応は酷く冷めたものだ。

 

「なあオイ、ご主人の好みのタイプとかいたか?」

 

 肘であなたを突きながらとても下世話な話題を振ってきたとても楽しそうなペットを適当にあしらう。

 硬派を気取っているわけではなく、どうしても商売女だけは駄目なのだ。

 

 あなたが商売女に抱いている忌避感はさておき、彼女達は全員が皆、あなたが今朝遭遇したサキュバスの新人ちゃんと同じ魔の感覚を発しており、それはつまり彼女達がサキュバスという事を意味していた。

 あなたがその事を小声で教えると、ベルディアは得心したと頷く。

 

「サキュバスがこんなとこで店開いてたのか……どうりでこの街の治安がいいと思った」

 

 ベルディアが感心する横で、あなたはふとおかしな事に気付いた。

 半裸の女性についてはそういう店なのだからおかしくはない。

 サキュバスしかいないのも予想の範囲内だ。

 

 だが、客なのであろう男性達がテーブルに座って一心不乱に紙に何かを記入しているのは何故なのだろうか。

 誰も個室に向かおうとしない。ここは風俗店ではなかったのだろうか。

 

「お客様は、こちらのお店は初めてですか?」

 

 あなた達をテーブル席まで案内した桃色の長髪をしたスタイル抜群の女性がメニューを手に蠱惑的な微笑を湛え、そう言った。

 

「ああ。なんか様子がおかしいように見えるんだが、ここは娼館ではないのか?」

「ふふ……当たらずとも遠からず、といった所でしょうか。一応飲食店をやってもおりますよ」

「その割には誰も飲み食いしてないな」

「……お客様は私達が何者かはご存知ですか?」

 

 無言で首肯する。

 ちなみにベルディアの視線はサキュバスの胸部に集中していた。

 サキュバスは当然気付いているだろうが、ただ艶然と微笑むばかりである。

 

「然様ですか。それではこの店についてお話させていただきますね」

 

 今更改めて説明するまでもないだろうが、アクセルは駆け出し冒険者の街だ。

 そして駆け出し冒険者というのは基本的に馬小屋暮らし。

 周囲には他の冒険者達も泊まっているので性欲を解消するのも一苦労。パーティーメンバーの女性を襲おうものならば、逆に筆舌に尽くしがたい目に合う。

 そんな彼らに淫夢を見せ、精気を吸って溜まった性欲を解消するのが彼女達サキュバス。

 彼女達は男達が干からびて冒険に支障が出ない程度に精気を吸うので冒険者達は安全かつ確実にスッキリ出来る。

 悪魔の中でも極めて弱い部類であるサキュバス達はむやみに人間を襲う理由が無くなり、更に男性冒険者達の庇護を得て安全に生きていく事が出来る。

 

 そんなわけで、アクセルに住み着いた彼女達はこの街の男性冒険者達と共存共栄の関係を築いているのだという。サキュバスを問答無用で狩りに来る女性冒険者達には秘密で。

 

 

 

 

「ご注文はお好きにどうぞ。勿論何も注文されなくても結構です。そして、こちらのアンケート用紙に必要事項を記入して、会計の際にお渡しください」

 

 そう言ってサキュバスはメニュー、そして他の客が熱心に書き込んでいるものと同じ用紙を渡してきた。

 アンケート用紙には夢の中での自分の状態、性別と外見、相手の設定など様々な項目が記されている。

 

「ご質問はありますか?」

「……これらの項目なんだが、自由度はどれくらいなんだ? これは出来ない、みたいなのはあるのか?」

「お好きにどうぞ。誰でも、どんな事でも、お客様の思いのままです。夢ですので」

「種族とかもか? 例えばなんだが、飼ってるペットを擬人化するとかそういうのも……」

「夢ですので」

 

 ベルディアが幾つか質問を行う横でメニューを流し読みする。

 サキュバスが経営している店にもかかわらず、一応は普通の飲食店のようだ。

 あなたが適当に幾つか食べ物と酒を頼むと、サキュバスは意外そうな顔をした。

 

「かしこまりました……ではごゆるりとお寛ぎください」

 

 優雅な足取りで去っていくサキュバス。

 隣を見れば、ベルディアは早くも項目を埋め始めていた。この店がお気に召したらしい。

 

 至れり尽くせりなサキュバスの淫夢サービス。

 きっとそれは素晴らしい事なのだろう。駆け出し冒険者の街にレベル40近くの冒険者が居座っている程度には素晴らしいのだろう。

 

 だがあなたはどうしても食指が動かなかった。

 あまりにも様々な経験をしてきたせいで性欲が枯れている自覚はあるが、完全に枯れきっているわけではない。サキュバスを敵視しているわけでもない。

 だが淫夢だろうが自由だろうが、結局その夢を見せてくる相手は商売女だ。

 ノースティリスで娼婦に何をやってもいい風俗店と大して変わりはしないと思ってしまう。

 ならば淫夢以外を見ればいいではないか、と言われそうだがその場合、あなたが見る夢はウィズとの手加減抜きでの本気の喧嘩になるだろう。しかしこればかりは現実でやりたい。サキュバスにどこまでウィズを再現出来るかという懸念もある。

 そんなわけであなたがこの店の世話になる事は無いだろう。駆け出しの頃なら毎日通っていただろうが。

 やはりドンパチは現実でやるのが一番だ。

 

「おいご主人。見るなよ、絶対に見るなよ」

 

 用紙を隠しながら言われても、あなたはベルディアの見たがっている淫夢に興味など欠片も無い。

 ただあなたが冗談交じりにウィズの夢を見ないのかと言ってみると、ベルディアの瞳が一瞬で濁りきった。図星を突かれてうろたえると思っていただけに、これは予想外の反応である。

 

「絶対にそれだけはやらん……正直前の俺ならやってただろうが今は死んでもやらん。理由? 察しろ」

 

 同居人の淫夢を見るのは翌日顔を合わせた時に気まずいのかもしれない。あなたはベルディアの意外な一面を見た気分になった。

 小さく笑いながら、料理と酒が来るまでの時間潰しにテーブルに備え付けられていた小冊子を読む。

 冊子はさきほど説明のあった淫夢サービスについて書かれており、その中の一文に夢を見る日は飲酒を控えめにするようにと記載されていた。

 

 横目で他の客と同じようにテーブルに齧りついて、ガリガリとアンケート用紙に何かを記入しているペットを見やる。

 今まで聞いた事が無かったが、ベルディアは瀕死状態でモンスターボールの中にいる時に夢を見るのだろうか。

 

「見るわけないだろそんなもん。もしかしたら肉体的には寝てるのかもしれんが、精神的というか俺の主観では不眠不休だ」

 

 つーか寝てる自覚があったら大助かりだったわと愚痴るベルディアに、まあそうだろうと頷く。

 

 だがこれは困った事になった。

 休みの日のベルディアは一週間で溜まったストレスを発散すべく、それはもうしこたま酒を飲むのだ。

 泥酔して完全に熟睡していると、流石にサキュバスであっても夢を見せる事が出来ないらしい。

 禁酒だろうか。

 

「何故そこで俺の休みを二日に増やすという考えが出てこないのか、これが分からない」

 

 ベルディアを終末に叩き込んでから早くも数ヶ月が経過している。

 レベルや技術がどれくらい円熟しているかは詳細不明だが、相当に強くなっている事だけは確かだ。

 しかし相応に精神を消耗している以上、ベルディアの言うとおり一度八日に一日から七日に二日に増やす方向で考えてみてもいいかもしれない。

 

「えっ」

 

 休みのスパンについてはやはり連休がいいだろうか。

 希望があるなら聞くが。

 

「……さ、さては貴様偽者だな!? 他の奴の目は誤魔化せても俺はそうはいかんぞ! 何者だ正体を現して名を名乗れ!」

 

 あなたの提案を受けたベルディアは限界まで赤い目を見開き、わなわなと震えながらとても失礼な事を言った。誰が誰の偽者だというのか。

 

「おれのしってるごすはそんなこといわない」

 

 彼を毎日終末に叩き込んで死なせている身としては言いたい事は分からないでもないが、あなたは今までのスケジュールではギリギリ大丈夫だったベルディアがもたなくなってきているようなので変えようとしているだけだ、

 というのに、何故ここまで言われねばならないのか。あなたは憤慨した。

 ベルディアはあなたのペットであり、ペットを強くするのはあなたの趣味の一つだ。そしてベルディアは強くなりたいといったので手っ取り早く強くなれる終末狩りに叩き込んでいる。それだけだ。

 あなたは別にペットを壊したいわけではないのだから、休みを増やす事で育成の効率が上がるのであればそうするのは至極当然の話だというのに。

 

 三食おやつにハーブを解禁してほしいのならそう言ってほしい。

 

「もしそんな事になったら俺は泣くぞ、すぐ泣くぞ、絶対泣くぞ、ほら泣くぞ」

 

 魔王軍幹部。

 改めて言うがデュラハンのベルディアは元魔王軍幹部である。

 

「俺は魔王軍幹部じゃないぞ。どこにでもいるただの頭が繋がったデュラハンのベアさんだぞ」

 

 しれっと自身のアイデンティティを投げ捨てたような発言をぶっ放したベルディアの面の皮の厚さは、だいぶノースティリスの冒険者達のそれに近付いているように思える。何回も何回も死んだせいだろう。強かなのはいい事だ。いずれノースティリスに行くのであれば尚更。

 

 なおどうでもいい話だが、今日ベルディアはあなたの家ではなく、近くの安宿で一泊する事になっている。

 バニルと同じ悪魔とはいえサキュバスが女性であるウィズに発見された場合、サキュバスがどうなるか分かったものではないので妥当な判断だろう。

 

「ご主人の家にサキュバスが来たとかウィズが気付いたら、そのサキュバスはよくて消し炭だろうな……流石にだいぶレベルの上がった今の俺でもガチで殺す気になったウィズはまだ無理だ。愛馬(コクオー)がいれば時間稼ぎくらいは出来るか……?」

 

 とはベルディアの談である。

 ベルディアの愛馬は気性が荒い上に生物の魂を食う高位魔獣であり、弱いモンスターや動物は生命の危険を本能的に察知して逃げ出してしまい、それが原因で以前のアクセルは騒ぎになった。

 そこまでは本人から聞いているが、あなたはベルディアが契約している魔獣についてそれ以上の事を知らない。特に聞く機会や理由が無かったからなのだが、別段彼も隠しているわけではないだろう。いずれノースティリスに同行する可能性がある相手だ。いい機会なのであなたは聞いてみる事にした。

 

「ん、俺の馬の事が聞きたいのか? あまり長い話にはならんが、それでいいなら別に構わんぞ」

 

 ベルディアはやけに早く配膳された酒と料理を堪能しながらつらつらと語り始める。

 

「俺が契約しているのはコシュタ・バワーという首無し馬でな。レベル20くらいの冒険者なら一撃で倒せるくらいにはデカくて強いぞ。漆黒の毛並みのアイツを俺はコクオーと呼んでいる。弱点らしい弱点といえば、水の上を渡れない事か……そういえばだいぶ、というかご主人と最初に会った時以来一回も呼んでないな。久しぶりに会いたいし、今度呼んでみてもいいか?」

 

 

 ……そんなこんなでそこそこ楽しく過ごす二人を、物陰から熱心に見つめる一体のサキュバスがいた。

 

 

 

 

 

 

 今日初めて来店したと思われる二人の男性客。

 彼らをこっそりと陰から見つめるサキュバスを不思議に思った同僚が近付いていく。

 

「どうしたの? さっきからあそこの席のお客さんじっと見てるみたいだけど」

「…………」

 

 声をかけられたサキュバスは無言で一冊の雑誌を手渡した。

 サキュバスの、サキュバスによる、サキュバスの為の月刊誌であるそれは、各地のサキュバスの間で人気の読み物である。ちなみに今年で創刊765周年。

 

「今月号のサキュバス月報じゃないの。そういえば今日発売だっけ」

 

 雑誌の表題にはデカデカと“本誌独占インタビュー! 噂の108人斬りの男達!”の文字が踊っていた。あまりにも酷いそれに彼女は溜息を吐く。

 

「何これ。いつから由緒正しいサキュバス月報はゴシップ誌に成り下がっちゃったの?」

「まあまあいいから、読んでみてよ」

 

 言われるまま渋々と巻頭の特集ページを読み進めていく。

 肝心の特集の内容についてだが、簡単に言えば高位サキュバスで形成された一団、通称SCB108がたった二人の人間に完敗したというのだった。普通に考えれば臍で茶を沸かすような提灯記事だ。

 SCB108は高レベルの上級冒険者のパーティーすら手玉に取る、百戦錬磨の上位サキュバス達。アクセルで細々と生きている自分達とはわけが違う、いわばサキュバス界におけるエリート中のエリート達。

 それがたった二人の、それも人間に完敗するというのはちょっと考えられなかった。

 

 

 

 ――皆さんは件の二人とはドリスの旅館で遭遇したという話ですが。

 

「ええ、ドリスの高級旅館に泊まって、温泉でリフレッシュしながら性欲を持て余していた私達なんだけど、私達が泊まってた部屋に男二人が訪ねてきたわけ」

「まあ襲うわよね、サキュバス的に考えて。どう見てもカモネギだったし。インタビュアーさんも襲うでしょ? サキュバス的に考えて」

 

 ――襲いますね。サキュバス的に考えて。

 

「それでそのまま性欲の赴くままに襲ったんだけど……黒い方は凄いテクニシャンであしらわれて手も足も出なかったわ」

「でも黒い方はまだ優しかったわね。私達への思いやりを感じたし。ワイルド系のイケメンだったしプライベートでもまた会いたいかな」

 

 ――それはまた随分と評価の高い。

 

「黒い方はともかく、もう一人はなんていうか……凄かったとしか」

「凄かった。私は太くて長い立派な槍で串刺しにされました。滅茶苦茶痛かったです」

「私も。力とか強すぎて本当に死ぬかと思った。チャームとか効かなくってガンガン攻めてくるし。全然抵抗とか出来なくって」

「お前ら全員滅茶苦茶にしてやんよ、みたいな意思をビンビンに感じたわ」

 

 ――治療院送りになった方もいらっしゃるとか?

 

「そうそう、ボスとか腰を盛大に痛めちゃったみたいでねー」

「バックから行こうとした子とか一瞬でグチャグチャにしてて、もうね」

「黒い方に目とか脳を串刺しにしたらどうなるのか聞いてたのは特にドン引きだったわ。マジかよお前どんな性癖してるんだよそれ、みたいな」

「話し合いで解決しようって誰かが提案したらとりあえず全員串刺しにするって即答したからね」

 

 ――問答無用ですね。

 

「十人で一斉に襲い掛かれば流石に何とかなるだろうと思ってました。思ってました……」

「あんな大きいの絶対耐えられないって土下座して謝ったのに、どうせナニをやっても死にはしないから大丈夫だって笑って無理矢理……幾ら残機があるといってもね……」

「あいつ絶対人間じゃないわ。きっと聖人とか神の子よ神の子」

「二人を連れてきた……私達の中で一番幼い子が耐えられずに泣いて逃げたんだけど、それを笑って追い掛け回した挙句、その子が泣き叫ぶ様を見て今までで一番イイ笑顔をして無理矢理ヤっちゃうのを見た時は正直ちょっと濡れました」

 

 

 

 インタビューにはこのようなSCB108達の証言が延々と書かれており、そして最後に(この話はノンフィクションです)の文字が。

 

「なにこれ凄い。バケモノじゃないの。性的な意味で」

「でしょ? それでほら、最後のページに書かれてる似顔絵なんだけど、これってあそこの二人に似てない?」

「どれどれ……」

 

 店で一番高い酒を飲む、やけに場慣れしていそうな二名と雑誌に描かれた似顔絵を見比べる。

 

「……似てる」

「でしょ? ちなみにだけど、あの人はあの有名な頭のおかしいエレメンタルナイトよ」

「やだ、私達壊されちゃう……性的な意味で」

「とか言いつつ興味がありそうですな?」

「じ、実はちょっとだけ……」

 

 そうして、108人斬りと思わしき男達を観察する人員が二人に増えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 散々飲み食いした後のサキュバスの店からの帰り道、ベルディアがポツリとつぶやいた。

 

「まさか風俗店で、それもサキュバスからサインを要求される日が来るとは思わなかった」

 

 全くであるとあなたは無言で頷く。

 何が起きたのかというと、あなた達が駄弁っている所にいきなり二人のサキュバスが近付いてきたかと思ったら、真っ赤な顔であなた達にサインを強請ってきたのだ。

 いつぞやのように襲ってくるのなら遠慮なくぶっ飛ばしていたが、サインは予想外である。

 

「とか言ってるわりにはやたらサイン書き慣れてたな。だがご主人はまあ色んな所で活躍してる冒険者らしいからサキュバスでもサインを貰いたがるってのは分からんでもないが。でも俺までサインを求められたのはなんでだ?」

 

 もしかしたら、彼女はベルディアのようなタイプが好みだったのではないだろうか。

 

「マジか。ちょっと今日何時に仕事あがるのか聞いてこよう」

 

 落ち着け。

 あなたは踵を返して店に戻ろうとするベルディアを押し留めた。

 どの道彼女達の本格的な仕事の時間は、客の男達が寝静まった深夜である。

 

「それもそうか……というかその考えだとご主人も粉かけられてる事になるわけだが」

 

 確かにそうなのかもしれない。

 しかし生憎だが、あなたは商売女が相手では全く興味が湧かなかった。

 彼女達が人外だという事については全く気にならないが、やはり商売女は駄目だ。ドリスで遭遇した連中よりはだいぶマシだったとはいえ、どうしてもノースティリスの道端で人目を憚らずに交合を始める娼婦連中を思い出してしまう。

 この世界のサキュバスくらい見た目が整っているのならまだいいのだろうが、老婆やむくつけき()()()が普通に全裸でまぐわっている光景はいつ見ても目が腐りそうになるものだ。あなたは廃人だがそういう趣味は無かった。むしろ思い出すだけで憂鬱になる。

 

「ご主人が人生に疲れきった老人のような目をしている……商売女に一体どんなトラウマが……」

 

 聞きたいのなら微に入り細を穿つレベルで当時の詳細を夢に出そうなほど克明に説明する用意があるとあなたは答えた。

 

「止めろ聞きたくない」

 

 嫌な予感がしたのか、即答してきたベルディアにあなたは肩を竦める。

 それは遠い昔の話。

 暗い嵐の夜だった。突然の大雨に濡れ鼠になりながらも、ほうほうの体で街に辿り着いたあなたの前にヒゲ面で毛むくじゃらで全裸の大男が突然飛び出してきたのだ。

 男は腰を抜かしたあなたに少しずつにじり寄りながら、野太い声でこう言った。

 

 ――あ~ら、あなたいい男ね。一晩の夢を見させてあげてもいいのよ。

 

「俺聞きたくないって言ったよな!?」

 

 更にある時はエイリアンを孕んだ皺だらけの老婆達があなたに近寄ってきたかと思うと、あなたの目の前で一斉に……。

 

「だから止めろっつってんだろ!!」




サキュバスA「そういえばだいぶ前からウィズ魔法店の店主さんって人の夢を見るお客さんが一人もいなくなったね。あんなに人気だったのに」
サキュバスB「なんか店主さんに彼氏が出来たみたいで、夢から覚めた後に現実では店主さんは彼氏とよろしくやってるんだろうなって考えたら滅茶苦茶死にたくなるんですって。私達の見せる夢は現実味がありすぎるからかえって精神的なダメージが酷すぎるみたい」
サキュバスA「いいなー、私も強くて優しくて料理上手で精力絶倫で高収入でカッコいい彼氏が欲しいなー。どっかにいないかしら」
サキュバスB「そんなもん私だって欲しいわ。俺十発はヤっちゃうよ? みたいなのが欲しい」

サキュバスC「エレウィズキテル……」
サキュバスD「キテルネ……」

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