このすば*Elona   作:hasebe

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第47話 時には昔の話を

「少し、昔話をしてもいいですか?」

 

 昔話。

 ウィズの言う昔話とは、やはり彼女がリッチーになった経緯についてなのだろうか。

 

「はい、その通りです」

 

 ウィズが人間を止めた理由はベルディアにある。ウィズがそう言ったし、あなたも一度ベルディア本人に確認をとっている。

 

 だがあなたが知っているのはウィズがベルディアのせいでリッチーになったという結果だけであって、それに至るまでの経緯は知らない。

 あなたはこの件に関してはウィズが自分から話してくれるまで絶対に聞かないつもりだったし、ベルディアもわざわざ下手人である自分が話す事では無いと思っていたからだ。ウィズを大事に想っているあなたからの粛清を恐れてヘタレたとも言う。

 

「以前にもお話ししたとおり、隠していた訳ではないですし、もったいぶる程に壮大な話でもないんですが……それでも、あなたに知ってもらいたいんです」

 

 懐かしそうに目を細めるウィズの言葉に、あなたはただ沈黙を以ってその問いかけへの答えと為した。

 あなたの友人はそんなあなたの意を正しく汲んでくれたようで、安心したように小さい声でありがとうございます、と言った。

 

「ただ、ここまで来ておきながらなんですが、当時の私はとても未熟といいますか、周りがよく見えてなかったので、話すのは少しだけ恥ずかしかったりするんですが……どうか笑わないでくださいね?」

 

 未熟云々にどうこう言う気は無い。あなたにも駆け出しの時期はあったのだ。

 死体の山を築き上げた時期が。勿論死体とは自分の死体であり、今は他人の死体の山を築く事になっているが。

 

 そんな事よりも、あなたとしてはバニルが見せてくれた写真に写っていた、あの今のウィズとは顔が同じなだけの別人としか思えないイケイケの格好に至るまでの経緯や当時の心境を聞きたかった。盛大に臍や生足を曝け出していた当時のウィズは恥ずかしくなかったのだろうか。若さ故の特権というやつだろうか。

 

「止めてください、後生ですからその話だけは本当に止めてください。そして願わくば一日も早く忘れ去ってしまってください。あれでも一応様々な効果の魔法がかかった強力な防具だったんです。ですから決して、そう決して当時の私が痴女だったり露出狂の気があったわけではなくてですね……!」

 

 両手で真っ赤な顔を覆って首を横に振るウィズは、思わず抱きしめたくなるほどに可愛らしかった。

 

 

 

 

 

 

 これはウィズがまだ現役の冒険者だった、つまり人間だった頃の話。

 当時の彼女が氷の魔女の異名を持つ高名なアークウィザードであったのは今更説明の必要は無いだろう。

 

 王都の貴族にも顔が利き、力添えを得られる程に有名だったウィズ。そして彼女のパーティーメンバー達も同様に、皆が高レベルの上級職という優秀な冒険者達であった。

 

 それこそ魔王軍幹部の討伐依頼を受けるほどに。

 

 ある時、ウィズとその仲間達は魔王軍の幹部の一人が隠れ住んでいる、という情報を手に入れ、王都付近で新たに発生したダンジョンに赴く事になる。

 

 強力なモンスターが跋扈し、危険な罠の数々が襲い来るダンジョンの奥深くでウィズ達が出会ったのは魔王軍幹部であるバニル。

 そう、後のウィズの友人であるバニルだった。

 

 討伐を試みるウィズ達に対し、当時から人間の殺生を禁じていた彼は対話による平和的解決および説得を試みるも、彼は悪魔であり人類を苦しめる魔王軍幹部の一員である。

 問答無用とばかりにバニルを滅ぼさんと力を揮うウィズ達であったが、いかに日頃ふざけているといえどもバニルは地獄に君臨する最上位の大悪魔である。いくらウィズ達が才能に溢れる有望なパーティーといえども、そもそもの地力が違いすぎた。

 

 正攻法から会話中の不意打ち。悪魔に特効の対魔の魔法。

 

 何をやっても彼の残機の一つを減らす事も適わず、バニルにいいようにあしらわれるウィズと仲間達。

 特に生真面目で頑固で融通が利かなかった当時のウィズと人間の悪感情を食すバニルの相性は当然の如く最悪で、ウィズはバニルに幾度と無くからかわれ続け、彼への闘志を燃やす羽目になる。

 

 時に生物を強制的に牢獄に送る高価なテレポートの巻物を使うも、地獄から無機物の仮面を媒体にしてこの世界に顕現しているバニルには通用せず、自分だけ牢獄に飛ばされたり。

 時に紅魔族の里で大枚を叩いて仕入れた、一月もの間効果を発揮する、強力無比な結界を作る魔道具を使いバニルを閉じ込めるものの、結界の中のバニルには自分達の攻撃も通らないので結果的に彼を自分たちから護る事になってしまい、バニルに安全な結界の中から散々煽られて発狂したり。

 

 彼女は自分の財やコネを使って様々な方法でバニルに挑んだが、当時から既にウィズは役に立たないガラクタを仕入れてくる才能の片鱗と微妙なポンコツっぷりを見せていた。

 

 さて、そんなこんなでウィズ達は何度も何度も長いダンジョンに潜ってはバニルと死闘……もとい、バニルに遊ばれていたわけであるが、やがて彼女達はバニルが隠れ住むダンジョンとは別の場所で、バニルとは別に受けていた魔王軍幹部の討伐依頼に向かう事になる。

 

 

 その幹部の名とはデュラハンのベルディア。

 端から戦う気がゼロのバニルとは違い、常に人類との戦いの最前線に身を置く、歴戦にして武闘派のアンデッド。

 

 そんなベルディアとウィズ達の戦いは熾烈を極めた。

 六対一にも関わらずベルディアは武闘派幹部の名に恥じぬ力量を存分に見せつけるも、ウィズ達も決してベルディアには劣っていなかったのだ。

 

 一進一退の攻防を繰り広げる事一昼夜。

 

 長時間に及ぶ戦いの末、ウィズとその仲間たちは、辛くもベルディアを撃退する事に成功し、その報告を聞いた者達は一様に歓喜に沸いた。

 

 ベルディアには間一髪の所で逃げられてしまったので仕留める事こそ叶わなかったものの、一人の犠牲者も出す事無くベルディアに決して浅くない傷を負わせ勝利した彼等は、最早疑いようも無く人類有数のパーティーに相応しいと呼べただろう。

 彼等ならば次はきっとベルディアを滅ぼせる、誰もがそう確信していた。

 

 

 ……だが、終ぞウィズ達に次の機会は訪れる事はなかった。

 

 

 死の宣告。

 彼等は敗北し逃走したベルディアに、文字通りの死の呪いをかけられていたのだ。

 死の宣告を受けたのは全員。ウィズもまた、例外ではない。

 

 術者であるベルディアが呪いを解くか、ベルディアを消滅させれば呪いは解ける。

 しかしベルディアが逃げ込み、傷を癒す為に引き篭もったのは魔王軍の本拠地である魔王城。

 幹部はいまだ全員が健在。結界を力技で破る事が叶わないウィズ達にはどう足掻いても手の出しようが無い場所だった。

 

 ならばと彼等は魔法による呪いの解呪を試みるも、多数の高レベルアークプリーストを擁する王都であっても誰一人としてベルディアの呪いを解く事は叶わず、結果、勝利の末にウィズ達が得たものは残り一ヶ月というあまりにも短すぎる命だった。

 彼等は逃れられない死があるというのならば、せめて残された時間を悔いなく過ごせるように一日一日を大切に生きる事を決意する。

 

 ただ一人、ウィズを除いて。

 

 仲間に何も告げず、単身でバニルのいるダンジョンに潜ったウィズ。

 

 これまでの冒険で手に入れた全てを使い集めたありったけのマナタイトやスクロール。

 そして……使用者の命を燃やす事で一時的に膨大な魔力を得られる、禁断の魔道具を使って彼女はバニルに最後の戦いを挑む事になる。

 

 

 生涯最後の不退転の覚悟を決めて。

 

 死の宣告が解けても、残り数十年という己のありったけの寿命を捧げて。

 

 人間には力を振るわないバニルが、自分のポリシーを曲げて本気で抵抗する程の戦いを繰り広げ。

 

 

 しかしそれでも、そこまでやっても彼女の力はバニルの命には届かなかった。

 あと一息で残機を減らせる所まで彼を追い詰める事には成功したものの、そこで彼女の魔力……削り続けた命が限界に来てしまったのだ。

 

 余人が見れば運命を呪わずにはいられない無常な結末だったが、ウィズはそれでも良かった。

 彼女は決してバニルを討滅する為に戦いを挑んだわけでは無かったのだから。

 

 ウィズの望みはただ一つ。

 自身の力をバニルに認めさせ、バニルと一つの契約を結ぶ事。

 悪魔と契約を果たす為には相手に自身の力を認めさせ、その上で悪魔が望む対価を支払わなければならない。

 彼女はその為だけにバニルと死闘を演じたのだ。

 

 悪魔に魂を売ってでも、仲間達の命を救う為に。

 

 そんな彼女の切なる願いを、バニルは無情にも一蹴した。

 いくらウィズがバニルを追い詰めるほどの、それこそ人類史に名を残す才媛であったとしても、力を認めさせる為の戦いで既にボロボロとなってしまった彼女の魂などバニルは必要としなかったのだ。

 

 その答えを分かっていたのだろうウィズは燃え尽きる直前の命で儚く笑い、そんな彼女にバニルは対案を差し出した。

 

 彼女の魂を以って契約を結ぶ気が無くとも、それでもバニルは己をギリギリまで追い詰めた人間であるウィズを確かに認めていたのだ。

 仮面の悪魔は盛大に笑い、こう言った。

 

「我輩は仮にも悪魔。ゆえに、その手段は真っ当なものではないぞ。汝、それでも我輩に縋るのならば――――!」

 

 

 

 

 

 

「……こうして私はバニルさんに教えてもらった禁呪でリッチーとなり……まあこのリッチー化の禁呪も瀕死だった私には相当にギリギリだったというか本気で死ぬ一歩手前まで行ったんですが……その、リッチーとなった私は、ベルディアさんへのお礼参り、そして禁呪が成功した暁にはバニルさんの夢を叶えるお手伝いをするという約束を果たす為に、挨拶を兼ねて魔王城に単身で乗り込んで大暴れし、そのお詫びとして魔王城の結界維持を担当するなんちゃって幹部となったんです。ベルディアさんが仲間の皆にかけた死の宣告は無事に解呪出来ましたが、結果として人間を辞めてしまった私は冒険者を引退して、皆と初めて出会ったアクセルの街で魔法道具屋を経営する事にしました。バニルさんとの約束を果たす為に。……そして、皆が戦いに疲れた時、いつでも遊びに来てもらえるように」

 

 こうして、ウィズの長い、長い独白が終わった。

 長時間のご清聴ありがとうございました、という言葉と共に休憩室をシン、とした静寂が支配する。

 

 深夜ゆえか、あるいはウィズが何かの魔法を使ったのか。

 彼女の話の最中に休憩室に人の気配が発生する事は一度も無かった。

 そして自身の今に至るまでの過去を語り終えたウィズは、不思議とどこかすっきりしたように見える。

 

「とはいっても、仲間の皆とはもう長いこと会っていないんですけどね。風の噂では、大物賞金首との戦いで亡くなった人もいるそうですが……すみません、これはあなたに言ってもどうしようもないですよね」

 

 座りっぱなしで疲れたのか、大きく背伸びを行いながら苦笑する彼女にあなたはその件については何も言えなかったし、友人とはいえ、言ってしまえば外野に過ぎない自分が何かを言っていいとも思えなかった。

 

「……その、何か感想とか質問はありますか?」

 

 昔話を終え、改めて問いかけてきたウィズにあなたは暫し考え、やがてこう答えた。

 何故リッチーとなった後、一人で魔王軍幹部を討伐しなかったのか、と。

 全員までとはいかなくても、それでも当時のベルディアくらいならば余裕で滅ぼせた筈である。

 

「当時はまだバニルさんも幹部でしたからね。他の幹部の方とはあまり軋轢を生みたくなかったんです。それに、それ以上にリッチーになった時、今まで張り詰めていた物が途切れてしまったといいますか……」

 

 人外となって色々と思うところがあったのだろう。

 リッチーとなったウィズは氷の魔女としての生き方を廃業してしまったらしい。

 逆に今まで散々自分たちを狩ってきたウィズをベルディア含む魔王軍はよく受け入れたものである。

 

 ちなみにあなたとしてはウィズがリッチーとなった原因であるベルディアに対して思う所は何も無い。

 彼等は戦争をやっているのだし、ノースティリスではこの世界と違い、死は終わりを指すものではないからだ。

 この世界に当て嵌めて考えてみれば、どれだけ悪く見積もっても大怪我程度の認識だろう。何よりウィズはこうして今も生きている。

 

 しかし、己の命を賭して仲間を救おうとしたウィズには少なからず思う所があった。

 

 あるいは不死者以上に不死であるノースティリスの者達。

 しかし、それでも確かに終わりはあるのだ。

 

 そして友人達がどうにもならない、不本意な理由でウィズの仲間達と同じように終わるとなった時。

 あなたはかつてのウィズと同じように、自身を犠牲にしてでも友人達を助ける事になるだろう。

 友人達もまた、あなたと同様に。

 

 

 

「……すみません、少し長話をしすぎましたね。そろそろ戻りますか?」

 

 時計を見れば既に時刻は0時を過ぎていたが、風呂場で熟睡してしまったあなたに眠気は無い。

 故にもう少しウィズに聞いておきたい事があった。

 彼女は何故今日、このタイミングでこの話をしようと思ったのだろう。

 

「強いて言うならなんとなく……ですかね。旅行っていうのは一つのいい切っ掛けだと思ったので。私としてはいつになったら聞いてくれるのかなーって前々から思ってたんですけど、あなたは全然何も言ってこないですし」

 

 興味が無かったわけではない。

 ただあなたは、ウィズが話してくれる日が来るのを待っていただけなのだ。

 今日のような日が来るのを。

 

「あなたの事ですから、きっとそんな所だろうと思ってました。だからこうしてお話したんです。私がどうしてリッチーになったのか、そして、どうしてアクセルで魔法道具屋を経営し続けているのかを。あなたに知っておいてもらいたかったから」

 

 健気に微笑むウィズはこれからも待ち続けるのだろう。

 アクセルの魔法道具屋を経営しながら待ち続けるのだろう。

 かつての仲間達を。

 そしてあるいはあなたもその中の一人に入っているのかもしれない。

 

 だが、それはいつまで続くのだろうか。

 

 今いる人間の知人や友人達、人間以外のそれらは、やがてその尽くが老いて死ぬ。

 ウィズがリッチーとなってそう年月が経っていない今はいいだろう。少なくとも現役の頃の彼女を知る人間が多くいて、当時と何ら変化が無いであろう外見にすら違和感を抱かれていない今は。

 ウィズのかつての仲間達もまた同様に、不朽のアンデッドと化し、時の流れに置き去りにされたウィズだけを残したまま死ぬ。その時ウィズはどうなるのだろう。何年経とうとも、決して年をとらない彼女はどうなってしまうのだろうか。

 

 友人であるバニルもまた同じく、いずれウィズを置いて逝く。

 何十年後か、あるいは何百年後かは分からないが、いつか必ず彼が滅びる時が来る。

 これは決して避けられない事だ。

 

 ウィズと同じく悠久を生きる事が可能であり、現に生きている大悪魔は自身の望む死を迎える為だけに今を生きている。

 彼はノースティリスでいう所の「埋まる(終わる)」場所を既に見定めているのだ。

 あの手の者は誰が何を言っても意思を変える事は無いのだと、あなたはよく知っていた。

 

 あなたが廃人と呼ばれ畏怖されるようになる前には数多く存在した、しかし今はもう埋まって(終わって)しまった、あなたの友人達の一部がそうであった故に。

 

 

 魔王軍のような人外の群れに紛れ込もうにも、ウィズ本人は人間で在りたいと願っている。

 カズマ少年達に知られたように、街の住人達に彼女がリッチーだと知られ、それでもなお受け入れられるならば良し。アクセルの住人の気質は基本的に穏やかなので可能性は十分にある。

 しかし、もしそうでなかったとしたら。

 

 人間にも人外にも受け入れられず、強すぎる力を持ち、ただ孤独に生き続けるのだろうか。

 

 それはあなたからしても……いや、それなりに長い時間を生きたあなた(廃人)であるが故に、あまりにも怖気が走る想像であった。自身であれば決して耐えられないだろうと確信するほどに。

 ウィズが自分のような弱い人間だとは思わない。

 しかしそうだとしても、それはあまりにも悲しくて寂しい事なのではないだろうか。

 

 ならば、自分だけは何があっても最期まで彼女の味方でいよう。あなたはそう強く思った。

 あなたもまた寿命を持つ一人の人間だ。ポーションさえあれば半永久的に生き続ける事が可能とはいえ、ウィズを永遠に独りにしない、なんて約束は出来ない。

 

 

 それでもせめて、いつか自分に終わりが来る、その時までは。

 

 

 そんなあなたの内心の全てを見透かしたわけではないのだろう。

 しかし、天井を見つめたまま無言を貫くあなたに何かを感じ取ったのか、あなたの隣に座るウィズは何かを噛み締めるように目を硬く閉じ、ほんの少しだけあなたの傍に近寄った。

 先ほどまでの互いの肩が触れ合いそうな距離から、肩が触れ合う距離に。

 そしてやがて、彼女はあなたの肩に寄りかかるように、そっと頭を乗せた。

 

「……本当に、本当にありがとうございます。リッチーの私なんかを受け入れてくれて。私におかえりなさいって言わせてくれて」

 

 心の底からの感謝の意を示すウィズは、あなたにはどこまでも人間にしか見えない。

 ウィズをノースティリスに連れて行けば、彼女の自身に対するコンプレックスも少しは解消されるのだろうか。

 あなたは密かにそんな事を考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなを経て慰安旅行二日目。

 男女で別行動をとった昨日とは違い、現在あなた達は四人で温泉街を見て回っている最中である。

 

「ゆんゆんさん、この髪飾りとかどうです? きっとお似合いですよ」

「わ、私はこっちのがウィズさんに似合うって思うんですけど……」

 

 先日の若干の湿っぽさなど微塵も感じさせないウィズはあなた達と共に露店や土産物屋を巡り、見ているだけでこちらが嬉しくなる満面の笑顔で温泉街を満喫していた。

 そんなあなたからしてみればあまりにも尊い様のウィズを見て何を思ったのか、ベルディアがあなたに耳打ちしてくる。

 

「なあご主人、昨日なんかあったか? 風呂に入った後、俺が寝るまで部屋に戻ってこなかったし、ウィズはご覧の通りだし。何も無かったとは言わせんぞ」

 

 普段より三割増しで笑顔が眩しい今のウィズを見れば何かあったと思うのは自明の理だろう。

 実際に何かあったといえばあったのだが。

 

「やっぱりあれか、これか。ゆうべはお楽しみでしたねってか。観光地での開放感とサキュバスとの乱闘のせいで盛り上がっちゃったのか」

 

 ニヤニヤと笑いながら左手の親指と人差し指で輪を作り、その輪に右手の人差し指を出し入れするベルディアは割と普通に最低だった。この場で首を飛ばしてやろうかと真面目に検討する。勿論分離スキルで。

 まるでセクハラオヤジのような事を言い出したペットにあなたは溜息を吐き、そんな事実は一切無いので往来で下世話で下品なサインは止めろと彼の頭を軽く叩く。

 あなたは昨日ウィズに昔話をしてもらっただけである。それ以上の事は何も無かった。

 

「昔話?」

 

 ベルディアが人間だった頃のウィズ達に負けそうになったので死の宣告を放って逃走し、安全な魔王城に引き篭もったという昔話である。

 

「……オーケー分かった、話し合おうご主人。こんな往来で殺しは良くない」

 

 話し合うも何も、あなたは死の宣告の件について特にベルディアに何かを言う気は無かった。むしろ当時のウィズを含めた彼等に六対一で生き延びたその腕こそを称賛したい。

 

「そ、そうか?」

 

 だが、それはあなたが命が紙切れのように軽いノースティリスの冒険者だからだ。

 命が重過ぎるこの世界の人間がベルディアの極めて悪辣な戦法を聞けば、それこそふざけんな何が元騎士だ滅びろチキン野郎と罵声の一つも飛ばしたくなるだろう。

 

「…………うん、まあ、そうだな」

 

 あなたの説明に、ベルディアは盛大に冷や汗を流しながら明後日の方向を見た。心なしか半泣きである。

 昔があるから今があるわけで、今をそれなり以上に満喫しているあなたとしては別にベルディアを責める気は無かったのだが。

 

 責める気は無いが、それを鑑みれば今のウィズはよくもまあベルディアと一緒に、それも何の衝突も無く生活できているものだと感心する。二、三回殺しても誰にも文句は言われないと思うのだが。

 同僚になってからも生首をスカートの下に転がされたりと散々セクハラされていたようだし、もしや氷の魔女はアンデッドであると同時に聖人だったりするのだろうか。

 

「もう勘弁してくれ。とっくに俺の心のライフはゼロだぞ割とマジで」

 

 つーかもうセクハラはやってないし……と小声で呟くベルディア。

 勿論やっていたら即制裁である。サンドバッグに直行である。

 なあに、ちょっと死ぬダメージを延々と食らい続けるだけだ。耐久は上がる。

 

「これが脅しだったら良かったんだけどな……!」

 

 あなたがそんな人間ではないとよく分かっているだろうに、ベルディアはおかしな事を言った。

 

 

 

 さて、そんなこんなで楽しく観光を続けるあなた達だったが、それでも決して何事も起きなかったわけではない。

 それはウィズとゆんゆんが衣類を扱っている店で買い物をしている最中の事である。

 女性の買い物、それもオシャレに関するそれは長くなるといつだって相場が決まっており、ウィズとゆんゆんもその例外ではなかった。

 幾度も感想を求められたあなたとベルディアはやがて戦ってもいないのに精神的疲労を感じ、一足先に店の外で待機していたのだが、ふと、ベルディアが不思議な反応を見せた。

 

「……んあ?」

 

 眉根を顰め、鋭い眼光を更に鋭くさせる様はとてもではないが慰安旅行でやっていいものではない。

 昨日のサキュバスの少女が見たら軽く泣きそうである。

 

「ウォルバクだと? 何故こんな所にアイツが……」

 

 思わず漏れ出たといった感じのその声をあなたは聞き逃さなかった。

 ベルディアの見ている方向に目を向ければ、そこにはご機嫌な様子で往来を行く、先日混浴で遭遇した赤髪の女神の姿が。

 その美貌からそこはかとなく衆目を集めつつも本人は全く気にしていないようで、無人の野を行くが如き堂々とした歩みっぷりである。

 どうやら何かを探しているらしく、キョロキョロとあちこちに視線を飛ばしているが、ベルディアは彼女と知り合いだったのだろうか。

 

「知り合いというか、ウィズと同じく元同僚だな」

 

 あなたの質問にベルディアはこう答えた。

 元魔王軍幹部であるベルディアが言う元同僚とは、つまりそういう事だ。

 

「ああ。あの女、ウォルバクは魔王軍幹部で、ついでに邪神だぞ。本当になんでこんな所にいるんだ……っていうかアイツが着てる浴衣、俺達が泊まってる旅館のと同じじゃないか?」

 

 ベルディアのその発言と同時に、あなたとウォルバクの目が合う。

 彼女の目を見た瞬間、あなたはこれは例によって厄介ごとに巻き込まれるのだろうな、と冷静に悟った。

 昨日の一件といい、どうにも運勢が底辺に位置していそうなベルディアに巻き込まれている感がある。運勢を上げる為にベルディアはエリス教徒になった方がいいのではないだろうか。

 

 あなたは冒険者だ。厄介ごと自体はむしろドンと来いである。

 しかしドリスには慰安で来ている以上、今大事を持ち込まれるのは控えめに言って勘弁してもらいたいのだが、邪神だろうが魔王軍幹部だろうが、それでも彼女が神の一柱である事に変わりは無い。

 そして神とはちっぽけな定命の者を振り回してなんぼの存在である。ノースティリスがそうであるように、この世界でもきっと。

 

 

 

 ――――見つけた。

 

 

 

 元同僚のベルディアではなく、ハッキリとあなたを見つめ続ける邪神の唇は、小さく弧を描きつつも確かにそう動いていた。


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