このすば*Elona   作:hasebe

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第42話 穏やかな午睡

 あなたがウィズの部屋で過ごし、彼女の寝顔を愛で始めてから、どれほどの時間が経過しただろうか。

 窓の外は少しずつ明るくなり始めている。

 

 ウィズの部屋は女性が生活している場所特有の、甘い匂いに包まれていた。

 あなた自身や、同じ同居人であるベルディアの部屋はこうはいかない。

 ウィズが掃除しているので臭いとは言わないが、ウィズの部屋とは雲泥の差だ。

 むしろあなたは自室からこんないい匂いがした日には、全力で己の洗浄をせねばなるまいと思っている。

 

 カチコチ、と規則的な時計の針が進み続ける音を聞きながら、寝ぼけたウィズに腕を固く掴まれたあなたは何をするでもなく、ただベッドの傍に腰掛けてウィズの寝顔を眺め続ける。

 

 他人が見ればよくもまあ飽きないものだと呆れられそうだが、実際の所ウィズの顔は見ていて飽きない。

 飽きはしないが、客観的に見てこの光景はかなり怖いというか不審なのだろうな、とは思う。

 思うがあなたは気にせず、空いた左手で若干乱れた布団を肩まで深く被せてあげた。

 

「えへへ……」

 

 ふにゃふにゃの蕩けきった笑みを浮かべながら、穏やかなまどろみに浸るぽわぽわりっちぃを見ているだけで心が穏やかになっていくから不思議なものである。

 

 更にウィズは何がそんなにお気に召したのか、寝ぼけた状態にも関わらず頻りにあなたの手の平にすりすりと頬を擦り付けてきている。むしろ寝ぼけているからこその行動か。

 ウィズはあなたの手の平の感触を味わっているようにも見受けられる。

 人肌恋しい季節なのだろうか。

 自分程度の手がウィズの心の平穏の一助になれば幸いである。あなたは素直にそう思った。

 

 しかし忘れてはならない。ウィズがあなたの手の平の感触を味わっているという事は、ウィズと同じように、あなたもまたウィズの頬の感触を手の平で味わっているという事である。

 

 摩擦とあなたの体温で仄かに温まってきたウィズの頬は信じられないほどに柔らかく、そして極上の手触りをあなたの手の平に伝えてくる。

 そんなある意味兵器とも呼べる代物を前にしたあなたは、自身の手の平を動かしてウィズの頬を揉んだり掴まないように必死に耐えていた。

 

 本音を言えば今すぐ彼女の頬を存分に撫で回したり引っ張ったりしてみたいのだが、相手の意識が無いのをいい事にそんな真似をしようものならば最低のセクハラ野郎の謗りは免れないだろう。そして何よりウィズが起きる。確実に起きる。賭けてもいい。

 

 やるならばちゃんと本人に許可を取ってからでなければ。

 今からその時が楽しみである。

 

「ここは……たしが……」

 

 ふと、ウィズが寝言を言い始めた。

 どのような夢を見ているのだろうか。

 

「もーっとわたしに……たよって……」

 

 あなたの名前を呼びながらウィズはそう言った。

 もしかしたら、彼女は夢の中で何かと戦っているのかもしれない。

 

 どうかいい夢を見てほしいと思いながら左手で再度ウィズの髪を撫でようとした所、

 

「黒より黒く、闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう――」

 

 寝ぼけたウィズは突然爆裂魔法の詠唱を始めた。

 ウィズを中心に非常に覚えのある魔力が渦巻き、あまりにも想定外の事態にあなたの頬を盛大に冷や汗が流れる。

 ちょっと待ってほしい。何故よりにもよって爆裂魔法を選ぶのか。

 確かにウィズに助力を頼む場合は爆裂魔法を使ってもらう可能性が高いだろうが、どう間違ってもこんな屋内で使っていい魔法ではない。

 現在居間で寝ているゆんゆんを含め、果たして何人が死ぬか分かったものではない。

 あなたとしては割とご近所が灰燼と化しても仕方無いと流せるが、ウィズはそうもいかないだろう。

 

 大体にして、爆裂魔法は制御が非常に難しい魔法だという。

 ウィズの才覚に不安は無いが、寝ぼけた状態で使って暴発などしたらどうするのか。

 

 あなたは大惨事を引き起こさないように慌ててウィズの口を左手で押さえる。

 ウィズの口はマシュマロのように柔らかく、詠唱を物理的に封じられた彼女がもごもごと口ごもっているせいで少しくすぐったい。

 

「うぐ……ぅ……?」

 

 しかしその甲斐あってかアクセル崩壊の危機は何とか回避された。

 人知れず街を救ったあなたはウィズが詠唱を止めたのを確認し、口から手を放して汗を拭う。

 

 だがそれは新たな悲劇(喜劇)の幕開けでしかなかった。

 

「…………」

 

 爆裂魔法による事故を防ぐためとはいえ、やはり口を押さえたのはまずかったのだろう。

 気付けばあなたと目を開けたウィズの目が合っていた。

 もう、完璧に、これ以上無い程にバッチリと。

 

 とりあえずウィズが起きたようなので、爽やかな笑顔でおはようと挨拶しておく。

 

「あ、はい。おはようございます。……え? …………えっ?」

 

 挨拶は返ってきたが、ウィズは混乱しているようだ。さもあらん。

 何があったのか説明をしてもいいのだろうが、あなたは今の自分が何を言っても言い訳、あるいは逆効果にしかならない気がしている。

 ちなみにウィズは今もベッドに横になっていて、あなたの右手を頬と手で挟んだままである。

 

「……なんだ、夢ですか」

 

 ほっとしながらベタベタな事を言い出した。

 逃避したくなる気持ちは分かるがこれは夢ではない。

 まさか今自分達がこうしている事すら、どこかの誰かが見ている泡沫の夢に過ぎないという、考えただけで眩暈がしてくる哲学的な話でもないだろう。

 

「ふふ、でもこんな夢ならずっと見ていたい気もします。手の感触とか、まるで本物みたいですし……」

 

 至福の笑みを浮かべて頬ずりを再開するウィズは、あなたがくすぐったいので止めてほしいと口に出すと、ビキリと動きを止めた。

 

「…………夢、ですよね?」

 

 ウィズは何も言わずに、空いた手で自身の頬を思いっきり抓った。

 またもやベタベタである。

 

 勿論これは夢ではないので、抓った箇所が痛かったのだろう。

 ウィズは不思議そうな目をしながら頬を軽く擦っている。

 そして。

 

「――――ッ!?」

 

 数秒の後、ウィズの青白い顔が真っ赤に染まった。

 

 まあ、こうなるな。

 あなたは乾いた笑いを漏らしながら、同居人にして友人から性犯罪者呼ばわりされる覚悟を決めた。諦めならとうの昔に済ませている。

 手を放してもらったら土下座しよう。

 

 だがしかし、ウィズが取った行動はあまりにも予想外のものだった。

 

 ウィズが限界を超えて慌てると大抵碌な事にならない。

 何度か被害にあっているあなたならば、少し考えればすぐにその事を思い出せた筈だ。

 しかし今のあなたの頭には思い浮かばなかった。

 

「ふ、ふしおうのてえぇッ!!」

 

 ようやく脳が現状を理解したウィズの黄色い悲鳴にあなたの鼓膜が揺さぶられ、同時に急速に意識が遠のいていく。

 疑問を覚える余裕すらなく、抗えない衝動に身体が言う事を利かず、グラリと頭が揺れた。

 

「……あ、ああっ!? ご、ごめんなさ――――!」

 

 ウィズが慌てたように何かを言っているが、既に意識が彼岸に旅立とうとしているあなたの耳には届いていない。

 更にウィズにぐい、と強く腕を引っ張られてベッドに倒れこむが、起き上がるような力は既に無い。

 辛うじて自由に動く左腕が反射的に何かを強く掴む。

 

 意識が断絶する直前にあなたが感じたもの。

 それは頬に弱い衝撃、つい先ほどまで感じていた、しかしそれよりもずっと甘い匂い、そして暖かいウィズのものであろう吐息だった。

 普段であれば即座に謝罪して飛びのくところだが、既にあなたの意識は途絶えている。

 

「ぇうっ!!?」

 

 自身の眼前に倒れ掛かってきたあなたに思考をフリーズさせ、奇声と共に真っ赤な顔で餌を求める魚のように口をパクパクさせるウィズ。

 あなたが左手で掴んだのは彼女の肩である。

 結果、あなたは角度こそ90度傾いているものの、それ以外はまるで強引にウィズに詰め寄っているような形になってしまっていた。勿論自覚は無い。それどころか昏睡状態である。

 

「ちか、ちかいです! ちかいですから!! こんなのだめですよ! わたしりっちーなんですから! それにまだちゃんとおつきあいもしてないのに!! こういうのはもっとちゃんとしたてじゅんをふんでからやってくれないとわたしはいやですってわあああああああああ!!」

 

 目をグルグルと回しながらダメですと口走るウィズは、最早自分が何を言っているのかも分かっていないのだろう。己の手であなたを昏倒させた事にも気付いていない。

 無理矢理突き飛ばせばいいものの、今もあなたの右腕に固くしがみ付いている辺り、それすら思い浮かんでいないのか。

 

 そんなあなた達は傍から見れば添い寝、あるいは口付けまで秒読みとしか思えない光景だ。

 

 更にあなたは図らずともウィズの髪の毛に思いっきり横顔を埋める形になってしまったわけだが、これは運が良かったのか悪かったのか。既に意識を失ってしまったあなたには判断が付かない。

 ただこの現場を他人に見られようものならば即通報、裁判、私刑の確殺コンボが発生するレベルのセクハラな事だけは確かである。

 

 余談だが、ウィズが発動させたスキルとは《不死王の手》。

 触れた相手に各種状態異常を引き起こす凶悪無比のリッチースキルである。

 

 具体的な効果は毒、麻痺、昏睡。更に魔法封じとレベルドレインの中からランダムで選ばれる。

 不死王の名を冠するだけあって、生命力と魔力を吸収するドレインタッチ以上に凄まじい性能だ。

 

 そして、今回選ばれたのは昏睡の効果。

 あなたはこれを防ぐ手段を持っていない。

 

 毒と麻痺に関しては、常時身に付けている装備で無効化出来る。

 魔法封じは平時に食らった所でさしたる問題が起きるわけでもなく、あなたは一度レベルドレインを食らってみたいとも思っていた。

 

 そんなわけで、あなたはいわば大ハズレを引いた形になるわけだが、不死王の手で発生する状態異常のラインナップに即死が無いだけマシと言えばマシなのだろう。

 もっとも、そんなものは昏睡状態に陥った今のあなたには何の慰めにもなりはしないのだが。

 

 

 

 

 

 

 スキルの効果が解けてあなたが目を覚ましたのは、気絶からおよそ三十分後、一日が本格的に始まる時間帯の事だった。

 意識を取り戻したあなたは、今も顔を赤くしたままのウィズに正座させられていた。

 お待ちかねの説教タイムである。既にかれこれ十分ほど続いている。

 

 デリカシーが足りないだの、幾ら友人といっても限度があるだの、そういうのは恋人同士になってからやってくださいだの、極めて全う且つ粛々と受け入れざるを得ない話が続いていく。

 あなたとしても反論は無く、彼女の話に平身低頭するばかりである。

 

「……ですが、幾ら慌てていたからといっても、不死王の手のスキルを使ってあなたを気絶させたのは、これはもうごめんなさいとしか言えません。本当にごめんなさい」

 

 あなたが気絶している間に着替えたのか、彼女の服はパジャマではなくなっていた。

 ちなみに現在あなた達はウィズの部屋にいる。きっと別の場所で着替えたのだろう。

 

 あなたの目の前で同じく正座しているウィズは、一際赤くなった額を痛そうに擦っている。

 同様にあなたの額もズキズキと痛みを発している。鏡で自分の顔を見れば、きっと額が赤くなっている事だろう。コブも出来ているかもしれない。

 

 これは気絶から目覚めたあなたが妙なプレッシャーを感じて飛び起きた際、あなたの顔を覗きこんでいたウィズの額と勢いよく正面衝突してしまった結果である。

 リッチーは魔法の掛かった武器以外の攻撃を無効化するという話だが、今回の件を見るに完全に無効化してしまうというわけではないらしい。

 その証拠にあなたの一切の加減を排した高速頭突きにより、あなたとウィズは二人とも盛大に視界に星が見えるほどの衝撃を味わって悶絶した。互いの額が割れなかったのはひとえに運が良かったのだろう。

 

 そして思えば気絶から覚める直前、ウィズのひんやりとした両手で顔中を撫で回されていた気もするのだが、あれはウィズなりの意趣返しのつもりだったのだろうか。

 頬を擦りつけていたのはウィズの方なのだが。

 

「でもですね、そういう時は声をかけるなり身体を揺さぶるなりして、普通に起こしてください。寝ていても私は怒りませんから。むしろ今回みたいな事があると凄くびっくりしますから。っていうかしました。……いえ、決してあなたの事が嫌いとか不愉快だというわけではなくてですね、寝起きにあなたの顔があるというのは驚きますし、何より私が慣れていなくて恥ずかしいですから。この気持ち、分かってもらえますか? 幾らあなたが異世界の人っていってもこればっかりは分かってもらえますよね? お願いですから分かってください」

 

 あなたが眠るウィズの隣に恋人の如く寄り添うに至った顛末を聞かされて、ウィズは訥々と語った。

 ウィズ自身があなたの腕を固く掴んでいたので、割と簡単に信じてもらえたのは不幸中の幸いである。これもあなたの日頃の行いの成果に違いない。

 ともあれ、ウィズ本人がそう言うのであれば、あなたも否やは無い。次の機会があったら普通に起こすと約束しておく。

 

「はい、是非ともそうしてください。……じゃあこの話はこれでおしまいです。おあいこという事で」

 

 約束したとはいえ、ウィズは寝相が悪いようなのでどこまで効果があるかは分からないが。

 それに彼女には寝ている間は抱きつき癖というか、何かを掴む癖があるようだ。

 彼女はアンデッドだ。風呂好きな事といい、もしかしたら失った温もりを求めているのかもしれない。あなたは漠然とそう思った。

 

「…………ところで、私重くなかったですか?」

 

 一緒に部屋を出る寸前、ウィズがぽつりと口走った。

 あなたが彼女を抱えてベッドまで連れて行った件を気にしているようだ。

 羽のように、と言ってしまうと途端に嘘臭くなってしまうだろうか。

 だがウィズの身体はあなたからしてみれば、とても軽かった。

 

「そ、そうですか」

 

 安心した様子を見せるウィズだが、井戸だろうが祭壇だろうが平気で持ち上げられるあなたの発言なのであまり参考にはならないと思われる。言ってしまうと色々と台無しなので口には出さないが。

 それにウィズの外見はあなたは決して太っていないと思うのだが、やはり女性としてそこら辺は気になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

「あの、どうしてゆんゆんさんがここにいるんですか?」

 

 早めの朝食をとるべく居間に向かったあなた達だったが、居間のソファーの上で眠っているゆんゆんを見て、目を丸くしたウィズがあなたに質問してきた。

 ゆんゆんはパワーレベリングの名の元に数多くのモンスターを手に掛けたせいで、無事にレベルは上がったものの精神が若干不安定になってガンバリマスロボと化してしまったのだ。

 なので、宿に直接放り込むよりはいいだろうと思ってこうして連れて来たのだが、ウィズにその事を言っていなかっただろうか。

 

「聞いてませんよ……というか知ってたらもっと早くここに来てました」

 

 道理である。

 不覚にも、あなたはゆんゆんに関しての説明を忘れていたようだ。

 だが彼女については先の説明の通りなので、ゆんゆんがここにいるのはやましい事情があったわけではない事だけは分かってもらいたい。

 

「いえ、そこは心配してませんけど……ゆんゆんさんはレベル20台の冒険者ですよね。今更モンスターを殺しただけで精神が不安定になるって、一体全体何をやったんですか。というか何をやらせたんですか」

 

 今更モンスターを殺しただけ、と言ってしまうあたりウィズも中々に大概だった。

 現役時代の活躍はさぞ過激だったのだろう。

 

 しかし何をやったと言われても、あなたはみねうちでモンスターを瀕死にしただけである。

 レベリングの方法に関しては、あなたはちゃんと事前にウィズにも説明していた。

 

 強いて問題点を挙げるならば、ゆんゆんはソロで活動している冒険者にも関わらず、みねうちで瀕死になったモンスターにトドメを刺すのを躊躇ってしまう人格の持ち主だった、くらいだろうか。

 彼女を甘いと取るか優しいと取るかは人それぞれだろう。

 あるいはダンジョンという閉鎖空間で養殖を行った結果、参ってしまったのかもしれない。

 

「それは……」

 

 あなたの話を聞いたウィズは、難しい顔であなたとゆんゆんを交互に見やっている。

 元凄腕アークウィザードとして、あなたの話に何かしら思うところがあったようだ。

 あなたは永きに渡る戦いの果て、最早呼吸と等しいほどに何も考えずに敵の命を断てる人間になってしまっているので、無抵抗の敵を殺す事で心に重荷を感じてしまうゆんゆんの心情が理解出来ない。

 

 だが続けていればそのうち慣れるだろう、とは思っている。

 人は環境に適応する生き物だ。

 なんだかんだ言ってベルディアも慣れたのだからゆんゆんが慣れない道理は無い。

 レベルの上がったゆんゆんが今後養殖をやる必要があるかは、また別の問題だろうが。

 

 そこまで考えた所であなたの腹の虫が鳴り、ウィズが微笑を浮かべた。

 これは恥ずかしい所を見せたとあなたは頭を掻いた。あなたは昨日昼食をとったきりなのだ。

 

「……ふふっ、ご飯にしますか? 今温め直しますから、少し待っててくださいね」

 

 そしてゆんゆんもあなたと同様にダンジョンに篭っていたので、半日以上食事をとっていない。

 起こして一緒に食事をとるべきだろうか。

 

「いえ、寝かせておいてあげましょう。ゆんゆんさん、ずっと戦って疲れてるでしょうし」

 

 ゆんゆんの頭を撫でながらウィズはそう言った。

 それもそうかと、あなたはベルディアを蘇生させるために彼の部屋に足を運ぼうとして、ピタリと立ち止まる。

 

「どうしました?」

 

 あなたはベルディアを復帰させる前に、忘れないうちにウィズに渡す物を渡しておく事にした。

 懐から小箱を取り出してウィズに差し出すと、彼女は首を傾げて頭の上に疑問符を浮かべた。

 

「私に、ですか? 開けてみても?」

 

 小箱を開ける。

 

「――――」

 

 中身を見た瞬間、ウィズの動きが停止した。

 

 箱に入っていたのは、あなたがウィズの為に製作を依頼した、最高級のマナタイト結晶が嵌った銀色の指輪である。指輪全体にやけに精巧な氷を髣髴とさせる装飾が施されているのは製作者の好みだろうか。

 マナタイト結晶の効果で魔法の威力が向上し、更にノースティリス産の素材をふんだんに使用した事で各種属性耐性が上昇、工匠のスキルの効果で全体的な能力も向上する逸品である。

 これ以上の装備を用意しようと思うのならば、神器クラス、それも上位のそれを持ち出す必要があるだろう。総合力ではノースティリスの廃人の使用に堪えうるどころか、十分満足させてくれるだろう。

 

「…………!?」

 

 ウィズはわなわなと震えながら、指輪とあなたを交互に見返している。

 

「こっ、こういうのは、その……困ります……嫌じゃなくて……」

 

 無理にでも受け取ってほしいとは言わない。

 ウィズ以外にこの指輪を渡す気は無いが。

 

「その、困ります。困りますよ……はうぅっ……」

 

 真っ赤な顔で俯くウィズの頭からは湯気すら幻視出来る。

 突き返される事は無かったが、彼女は何か盛大に勘違いしている気がしてならない。

 これは別に婚約指輪ではないので気軽に受け取ってもらいたいのだが。

 

「えっ?」

 

 ウィズに渡した指輪は婚約指輪ではない。

 職人がやけに気合いを入れて装飾を施しているようだが、違うのだ。

 

「だってこれ……どう見ても……」

 

 忘れているのだろうか。

 あなたは以前、祭でマナタイト結晶を買った時にウィズに装備品を作ると言った。

 これはその装備の片割れである。

 

「…………あ、ああっー!」

 

 目から鱗が落ちたとばかりに叫ぶウィズ。

 綺麗さっぱり忘れていたようだ。

 

「忘れてないですよ!? 知ってましたよ!? 全然勘違いなんてしてませんからね!?」

 

 少し声が大きすぎだとあなたは同居人のリッチーを諌めた。

 気持ちよく眠っているゆんゆんが起きてしまう。

 

「……け、けどそういえば、装備品は必要に応じて貸すって話じゃありませんでしたっけ?」

 

 マナタイト製の装備はもう一つ、メインとして杖を用意しているので貸与はそちらだけでいいだろう。

 指輪は小さすぎるのでウィズに持っていてもらった方がいいとあなたは判断したのだ。

 友人への品物を無くすとは思いたくないが、あなたは蒐集家だ。いざという時にどこに仕舞ったか忘れてしまう可能性は十分にある。

 

「そういう事でしたら受け取るのは吝かではないんですけど……他意は、無いんですよね?」

 

 何を恐れているのか、ビクビクと問いかけてくるウィズ。

 伝説のアンデッドがたかが指輪を恐れる理由が分からないが、あなたとしてはこの指輪には以前話した以上の意図は込めていない。

 日頃お世話になっている友人への、アクセサリーのプレゼントだとでも思ってほしい。

 あるいは出会って一周年記念のプレゼントでも一向に構わない。

 

「まだ私達が出会ってから、一年経ってないですよ……でも本当にビックリしました……私はてっきり、その、()()()()()()()で渡してきたのかと……」

 

 そういうのは、ちゃんと恋人を作ってから貰うべきだろうと苦笑する。

 何故かウィズの目が死んだ。

 

「相手がいればそうしたいんですけどね……相手がいれば。っていうかそもそも私はリッチーですし……まだ二十歳だから嫁き遅れとか無いですし……私は今のままがいいっていうか……変な事をして今の関係を壊したくないし……け、けど、もし万が一私が嫁き遅れたら、身近に誰か貰ってくれる人がいたり……しませんよね……」

 

 遠い目をしながら乾ききった笑いを漏らされても、あなたとしては困るばかりである。

 おまけに言動も若干支離滅裂になってきている。どうやら派手に地雷を踏んでしまったようだ。

 触らぬリッチーに祟り無しと、あなたは影を背負ってブツブツと呟きだした同居人を安静に放置してベルディアの部屋に向かう事にした。

 

 

 

「……でも、こんなに綺麗な指輪を贈ってくれるって事は、少しだけ……人間じゃない、アンデッドの私なんかでも、期待してもいいんですか……?」

 

 

 

 指輪を箱ごと胸に強く掻き抱いた、切なくも嬉しそうな顔をしたウィズの姿を見る事無く。

 

 

 

 

 

 

「……おいご主人、ウィズが滅茶苦茶ご機嫌なんだが」

 

 ウィズが昨日作った料理を温め直している中、あなたと共にテーブルについたベルディアがぼそぼそと耳打ちしてきた。

 確かにスープを火にかけているウィズはあなたの目から見てもいつになくご機嫌である。

 ニマニマしている辺り、明らかに嬉しさが隠しきれていない。

 

「やっぱあれか、昨日まで身に着けてなかったアレが原因なのか……当たり前だよな、他に無いもんな」

 

 ウィズは鼻歌を歌いながら何度も首にかけたチェーンに通した件の指輪を弄んでいる。

 渡した方としては、喜んでくれているようで何よりだ。

 

「俺はこの先もこんな空気の家の中で生きていかにゃあならんのか……生きるって厳しいなごす……」

 

 ギルドに依頼を出しているにも関わらず、いまだ飼い主の見つかっていない白猫と戯れながら一人ごちるベルディア。ゆんゆんも可愛がっている事だし、このままなし崩しにあなたの家の飼い猫になってしまいそうである。別に構わないが。

 

「……なあご主人、コイツ擬人化しないかな。なんかご都合主義的な魔法とか薬とかでさ。異世界にそういうのは無いのか?」

 

 あまりにも酷い発言に、あなたは危うく噴き出すところであった。

 ノースティリスには妹猫というものがいるといえばいるが。

 

「妹猫かあ……いいな……お兄ちゃんお疲れ様にゃあ、とかさ……いいよな……いい……俺も日々の苦労を労ってほしい……ご主人の薄っぺらい応援じゃなくて」

 

 武闘派の元魔王軍幹部は末期な事を言い出した。

 割と目が虚ろな辺りだいぶキている。

 頭をぐらぐらと揺らしているし、疲れているのだろうか。

 

「まあ、疲れてるといえば疲れてるがな。俺が地獄を見ている真っ最中に二人がイチャコラしてるとか考えると心が折れそうだ……。流石にウィズとどうこうなりたいとは言わん。脈が一切無い事くらい俺にも分かるからな。だが俺も生活に潤いが欲しい。切実に欲しい」

 

 誤解も甚だしい物言いである。

 断じて自分とウィズはイチャコラはしていないとあなたは主張した。

 恋人でもあるまいし。

 

「嘘だ、絶対嘘だ……俺は信じないからな……グギギ……」

 

 肉球をぷにぷにしながら赤い目を光らせ、地の底から響くような怨嗟の声をあげるベルディア。

 全く様になっていないのだが、肉球は気持ちいいのだろうか。

 

「すごくいい。ところでその妹猫とやらはどんな感じなのだ?」

 

 外見は猫耳が生えただけの少女である。

 別に毛深くも無いし猫の髭も生えていない。

 肉球も無い。

 

「違うよクソ!」

 

 突然興奮してテーブルを叩くベルディア。

 ウィズが何事かとこちらを見るが何でもないと手を振って応える。

 

「うっ……? ここは……?」

 

 そしてベルディアの怒声に反応したのか、ゆんゆんが目を覚ましてしまった。

 もうすぐ朝食なので丁度いいといえば丁度いいタイミングなのだろうが。

 あなたとウィズが目だけでベルディアを詰ると、彼は気まずそうに目を逸らした。相変わらず子猫をもふもふしながら。

 

「あ、おはようございます。えっと……私、どうしてここに?」

 

 ともあれ、連れ込んだ以上ちゃんと説明しなければなるまい。

 あなたはレベリングを終えた後に疲れた様子のゆんゆんをそのまま放置する事が出来ず、ここまで連れて来た事を告げた。

 

「す、すみません。レベリングだけじゃなくてとんだご迷惑を……」

 

 迷惑をかけてしまった、と表情を暗くするゆんゆんに気にしなくていいと笑いかける。

 一眠りしたからか、ガンバリマスロボだった状態からだいぶ持ち直しているようだ。

 この分ならば彼女は大丈夫だろう。

 

「えっと、確か私達はダンジョンで養殖をしてたんですよね。そして……うん、そうそう、確かダンジョンに潜ってたらスライムメタルの魔族が出てきて、それを一瞬でやっつけて……その後、何があったんでしたっけ?」

 

 どうやらそこでゆんゆんの記憶は途切れているようだ。

 都合がいいのだが、教えるべきか、黙っておくべきか。

 あなたが考えている間にゆんゆんは何かを閃いたようだ。

 

「あ、そうだ。冒険者カードを見れば何か思い出せるかも」

 

 ゴソゴソと懐から取り出したのは冒険者カード。

 討伐したモンスターが記載されていく便利な機能を持っている。

 レベルも相まって、どの道誤魔化しは利かない。

 

「ダンジョンの中では見なかったけど、養殖で少しはレベルが上がってる……はず?」

 

 ゆんゆんの冒険者カードに燦然と輝くのは、レベル36の文字。

 押しも押されもせぬ高レベル冒険者の仲間入りである。

 ダンジョンの中で見なかったと言うが、実は何度かあなたも確認している。

 でなければレベルなど分かりはしない。

 

「……これ、誰の冒険者カードですか?」

 

 ゆんゆんがソファーに近寄ってきたあなたに見せてきたのは、勿論ゆんゆんの冒険者カードである。

 あなたの見る限り、レベルだけではなくステータスもそれに応じた域に引き上げられており、スキルポイントもちゃんと増えている。

 知っていたがゆんゆんはレベル36のアークウィザードになっていた。

 それも、たったの一日で。

 

 促成栽培ここに極まれりといった急上昇っぷりはまさに養殖の名に相応しい。

 だが彼女はあなたとウィズの修練によって地道な努力を積み重ねている。

 よって技量に不足は無い。

 

「なーんだ、夢か」

 

 足りていないのはゆんゆん本人の自覚だけである。

 

「あはは、うん、そうよね。幾らなんでも私がレベル36は無いわよね。ビックリしちゃった」

「レベル36!? ゆんゆんさんが!?」

「加減しろ莫迦! 俺だって楽してレベリングしたかった!!」

 

 ゆんゆんのレベルを知ったウィズとベルディアが目を剥いて、何が起きているのかイマイチ理解出来ていないゆんゆんに駆け寄っていく。

 

「えっ、えっ?」

「ほ、ほんとに36になってますね……それもたった一日で……」

「俺にももっと優しくしろ!! 男女差別反対!!」

 

 とりあえず甘っちょろい事を言っているベルディアは無視でいいだろう。

 養殖よりも、技量とレベルが同時に上がる終末狩りの方が遥かに効率良く強くなれるのだから。

 むしろベルディアはゆんゆんよりずっと恵まれている。

 ゆんゆんは仲間ではないので、ベルディアのような無茶が出来ないのだ。

 

「なんだこの、なんだ。ご主人が遠い……マジで精神的に遠い……」

「ゆんゆんさん、大丈夫ですか? 眩暈とか動悸はしませんか?」

 

 真剣な表情のウィズに熱を計られたり様々な質問をされた後、呆けたままだったゆんゆんはようやく現実を理解したようだ。

 自分はレベル36になっている、と。

 

「ほええええええええええええええ!?」

 

 早朝のあなたの自宅にゆんゆんの悲鳴にも似た絶叫が響き渡った。

 理解はしたが、現実を受け入れる事が出来るかはまた別の話だったようである。

 

 

 

 

 

 

「えへへ、えへへへへ……! 36、私がレベル36……! 見てなさいめぐみん、最高に高めた私のフィールは最強の力を手に入れたわ! 今の私ならきっと貴女をけちょんけちょんにサティスファクションしちゃうんだから……!」

 

 冒険者カードを見つめてニヤニヤ笑うゆんゆん、そしてそんな彼女を見守るあなた達。

 しゅっしゅっと虚空に拳を突き出しながら電波まみれな独り言を呟く彼女は、軽くキャラが崩壊しかかっていた。

 疲れが脳に残っているのだろうか。

 

「幾らレベル上げといってもやりすぎです。っていうかどうするんですかこれ。良くない兆候ですよ」

「明らかに降って湧いた力に溺れてるな。自覚があれば少しは違ったのだろうが」

 

 ゆんゆんをも圧倒的に上回る歴戦の二人からしてみれば、今のゆんゆんは喜ばしい状態ではないようだ。

 確かにノースティリスであれば、二三回死んで身の程を知らされるフラグが立っているが。

 一度ベルディアとウィズと戦ってもらった方がいいだろうか。

 だがその前に、あなたはゆんゆんに一つ聞いておきたい事があった。

 

「はい、なんですか?」

 

 あなたは瀕死のモンスターを見つけた時、どうするか問いかけた。

 果たして、返って来た答えは。

 

「可哀想なので助けて(殺して)あげます。私頑張ります」

「サイコかお前は」

 

 ぐるぐると瞳を回したまま、平然とのたまったゆんゆんに思わずといった顔でベルディアが突っ込む。

 

「頑張ります、頑張ります、ガンバリ――――」

「スリープタッチ!」

 

 再度ガンバリマスロボに戻りかけた所で、背後に回ったウィズのスキルでガクリと項垂れるゆんゆん。

 そしてこの瞬間、あなたはゆんゆんの湯治を行う事を決心した。

 ベルディアもだいぶ壊れかけているようなので、ちょうどいい機会だろう。

 

「私もそれがいいと思います。……というか無茶させすぎですよ。ゆんゆんさんはまだ冒険者になって一年も経ってないんですよ?」

 

 渋い顔で説教をするウィズが、それでもあなたを頭ごなしに叱りつけてこないのは、歴戦の冒険者としての経験と記憶がそうさせるのか。

 

「……まあ、油断は禁物とはいえ、少なくともレベルが高ければそうそう死ぬ事はありませんからね。死の宣告のような、非常に特殊なスキルを食らわない限りは……あ、いえ、今のは別にベルディアさんへのあてつけというわけでは……」

「べべべべつに別に気にしてないし!?」

 

 この国に温泉街とよべる場所は二箇所ある。

 一つはアクシズ教の本拠地、水と温泉の都アルカンレティアだ。

 

「俺はアルカンレティアに行くのだけは絶対に拒否する。あそこは魔王軍も近付かん魔窟だぞ」

「ま、魔窟って……」

「嘘は言ってない。紅魔族の里と並んで俺みたいな常識人が行きたくない、行ってはいけない場所のツートップだ」

 

 あなたとしては非常に興味があったのだが、あなたもよく知る所であるアクシズ教徒の性質を考えれば、お世辞にも湯治に向いているとは言えないだろう。

 そういうわけで、あなた達は湯治と観光を兼ねて、この国もう一つの温泉街、ドリスに行く事になった。




《バグった冒険者カードについて》
 主人公の冒険者カードに記載されているバグったレベルとステータスには一定の法則があるが、これはあくまでもelona側の各種数値を無理矢理このすば世界の冒険者カードに押し込んだものである。
 数値が正常化してこのすば仕様に換算するとレベルもステータスも全く別の値になる。
 なので主人公のレベルやステータスが他の冒険者のn倍だからn倍強いとかそういう話ではない。

 参考資料
http://www.elonaup.x0.com/src/up15678.png

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