このすば*Elona   作:hasebe

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第38話 エーテルとメシェーラとにゃあにゃありっちぃ

 先日、王都で軽い運動を行ったあなたは無事に神器とゴーレムを回収した。

 神器の力は王都の市販品に劣る程度にまで弱体化し、異世界の未知の技術で製作されたゴーレムは今の所全く再起動の目処が立っていないが、それでも思い出しただけでホクホク顔になってしまう大収穫である。

 女神エリスに付いていって本当に良かったとあなたも大満足だ。

 信徒になるつもりは無いが、これからも貴族狩りには期待出来そうである。

 

 貴族をどうこうするのに躊躇は無い。悪徳だろうが、そうでなかろうが。

 あなたはパーティー会場で貴族が持っていた、とある酒場の娘のパンツを手に入れた時のように必要とあらば貴族だろうが王族だろうが構わずミンチに出来る人間なのだ。慈悲は無い。

 

 こうして貴重品を入手したあなただが、実は金銭的には1エリスも稼いでいなかったりする。そしてこれからもあなたが女神エリスの依頼で金銭を入手する事は無いだろう。

 今回も宝物庫から回収し尽くしたゴーレムと神器以外の無数の金銀財宝は全て女神エリスに渡している。

 女神エリスとはそういう契約を結んでいるし、元より金銭に困っているわけでもない。

 

 盗んだ財宝の使い道だが、女神エリスは神器以外の窃盗品はエリス教団の経営する孤児院に寄付しているのだという。

 悪徳貴族が後ろ暗い方法で貯め込んだ資産を盗んで恵まれない者達に分け与える。

 王都で貴族をカモにする噂の盗賊が義賊と呼ばれている所以である。

 だが今回はあなたが暴れたので寄付はしないようだ。

 

 女神エリス曰く、少しでも義賊と強盗の繋がりを疑われる可能性を摘んでおきたいらしい。

 あなたからしてみればコンビを組んでいるのだからいずれ両者の関係が露見するのは避けられないと思うのだが。

 肝心の財宝についてだが、女神エリスは貴族のように私腹を肥やす気は無いだろうしきっと貯め込んで次回以降に放出していくのだろう。

 やっている事は犯罪だが、女神の名に相応しいと言えなくもない慈悲深い所業である。犯罪だが。

 ではエリス教と対を成すとも言えるアクシズ教団の御神体、女神エリスの先輩である女神アクアの場合はどうだろう。

 彼女ならば悪党の金だからと全力で私腹を肥やし、己の欲望のままに放蕩三昧の日々を送りそうだ。

 何故かそんな微笑ましい光景が容易に想像出来てしまう。それもまた女神アクアの魅力なのだろう。

 

 さて、女神エリスは次に狙う貴族を探すとの事であなたの盗賊稼業は再度呼び出しがあるまでしばらくお休みである。

 女神エリスは妙に疲れた様子だったので追加人員の選定も行うのかもしれない。

 あなたはあまり数が増えると目立ちすぎるので少数精鋭が望ましいと思っているのだが、エリス教徒も混じっていたのであろう屋敷の衛兵達を死なない程度に痛めつけて女神エリスを怒らせてしまった手前何も言えない。

 

 

 

 

 そんなこんなでアクセルに戻ってきたある日の朝。

 食事の後、いつものように鍛錬の為に終末狩りに励むべくシェルターに潜るベルディアと共にあなたもシェルターに向かった。

 最近のベルディアはバニルをぶっ飛ばすという目標を立てているので鍛錬に身が入っている。主人であるあなたからしてみれば非常に喜ばしい事である。

 まあ身が入っていないと死ぬのだが。

 

「ご主人は何をしに来たんだ?」

 

 外套以外は完全に本気の武装で身を固め、愛剣まで抜いているにも関わらず何をするでもなく階段に腰掛けたあなたを見て怪訝な顔をするベルディアにエーテルの風を浴びたいだけだから気にするなと告げる。

 これから自分の身に何かが起きるかもしれないが、ただちに問題があるわけではないとも。

 

「滅茶苦茶気になる。何かが起きるって何が起きるんだ……」

 

 うっへりとするベルディアだが何が起きるかは分からないので何とも言えない所である。

 分かりやすい変化としては目が増える、頭部が巨大になる、皮膚が甲殻に覆われる、足が蹄になる、背中に羽が生える、顔が爛れる、手から毒が滴る、くらいだろうか。

 

「バケモノか!? ……いやバケモノだったな。やっぱりな、俺は最初から知ってたぞ」

 

 愉快なスキルで首が射出可能、更に合体時に謎の効果音が鳴るベルディアにだけは言われたくはないとあなたは言い返すと一瞬でベルディアの瞳が濁った。

 

「バニルの奴にもネタにされまくるしもうほんとやだこのスキル。……なあご主人、何とかして分離スキルだけ消せないか?」

 

 それだけは出来ないとベルディアの懇願を切って捨てる。

 ノースティリスでは一度覚えたスキルを忘れる事など出来はしないのだ。

 仮に可能であってもベルディアのデュラハンとしてのアイデンティティが崩壊してしまうので主人としてそれだけは却下するつもりである。

 

「くっそ、よりにもよってあいつらが俺をギロチンなんかにかけるからこんな事に……普通に処刑されてアンデッド化していればこんな事には……」

 

 怨恨からドロドロとしたどす黒い瘴気を発するベルディアはまさに元魔王軍幹部に相応しい。

 ところでベルディアはエーテルの風を毎日毎日浴び続けているわけだが、体調がおかしくなったという事は無いのだろうか。

 

「身体の調子? 俺はあのドラゴンとか巨人と一緒に出てくる青い風の中で何かが悪くなったと感じた事は一度も無いな。むしろ普段より調子がいいくらいだ」

 

 さもあらんとあなたは納得した。

 影響があるのならばとっくの昔に出ていただろう。

 なんとなくベルディアの命綱であるモンスターボールを宙に放ってみると、ベルディアが遠い目になった。

 

「……ああ、そういえば今日はご主人がいるから死んだら二日後になってた、なんて事が無いのか」

 

 普段のベルディアは一度死んだらモンスターボールの中であなたが帰宅するまでそのまま瀕死状態のまま回復してもらうのを待つ事になる。

 日を跨ぐような依頼であなたが家にいない日や就寝中は当然意識の無いまま時間が経過していく。

 エーテルの風に固定されたまま天候の変化も時間の経過も分からないシェルター内で昼夜を通して行われる終末も相まって時間の感覚が狂いまくるとはベルディアの言である。

 だが今日は死んでも即蘇生して送り出すので時間のロスは無い。安心してほしい。

 

「わあい、すごくうれしい」

 

 濁った目でベルディアが虚ろに笑った。

 最近は大分長続きするようになったのでこれからも頑張ってほしいものである。

 頑張れ、頑張れと声をかけて応援する。

 何故かベルディアが崩れ落ちた。

 

「……なんて心に響かない薄っぺらい応援なんだ。美少女にやられればそれでも多少はやる気も出るがご主人じゃ駄目だこれ。ぺらっぺらすぎて萎える」

 

 ウィズに応援させてみようか、と思ったがベルディアが無駄にテンションを上げそうなので止めておく。

 

「ところで戦闘に手出しをする気は無いんだろうが、殲滅力はともかく防御力の方は大丈夫なのか? ……ご主人に限ってそれは無用な心配か?」

 

 この世界に来て強化された終末だが、その程度では座ったまま放置していてもそうそう死なないので気にしなくても大丈夫だと笑う。

 せめてすくつの深層で発生させた終末でなければ。

 終末はハウスボードを使って適当に逃げ回ればいいだろう。

 あまり邪魔になるようなら殺すが、そこはベルディアの頑張りに期待である。

 

「強くなればなるほど分かるご主人の異常性に膝が震えそう。どれだけレベルが上がっても速度差だけは埋められんのが辛い。魔法も道具も使わずに体感速度を任意で引き上げられるとか反則だろ。冒険者だろうがモンスターだろうがデフォルトでクロックアップが可能とかどうなってんだご主人の世界は……っていうかいずれ俺もその世界に行く事になるのか。ご主人と同等の奴が何人もいるらしいし、なんかもう早くも絶望しかないな」

 

 ぶつぶつと何かを言いながらラグナロクでアンデッドナイトを突くベルディアを眺めながら、あなたはふとこの世界における自分の唯一のペットについて考え始める。

 数多の死線と己の屍を越え、初めて会った時とは比較にならない程に強くなったベルディア。

 頭部が不安定というデュラハンとしての弱点も合体スキルで解消された今のベルディアに死角は無い。レベルを上げ続けるだけで彼は順当に強くなっていくだろう。

 

 もしかして今のベルディアが人類の敵になった場合、この世界の人間達にとってこの上なく厄介な存在と化してしまうのではないだろうか。

 主人であるあなたも人類に敵対した場合、という前提条件だが。

 

 強化された終末で狩りを行えるまでに引き上げられた地力。

 長時間の殺戮行為を作業と認識するほどに磨耗……もとい研磨された精神。

 何回死んでも同じ戦闘領域にあなたがいる限り即蘇生して戦闘を再開可能な不死性と死ぬ事を嫌悪しながらも決して恐怖はしない精神。もとい死に慣れ。

 

 ゾンビアタックとでも言えばいいのだろうか。

 相対する際は無視して放置が最善なのだろうが、今のベルディアは放置するには少し強くなりすぎた。

 放置してもベルディアが自殺すればすぐにモンスターボールに帰ってくるので即復帰可能。

 そんな面倒な相手をあなたは自分ならどう対処するか考え、サンドバッグに吊るして放置するという堅実な、悪く言えば面白くも見所も無い答えを出した。

 

「なんかご主人が物凄い不穏な事考えてる気がするぞ!」

 

 勘のいいベルディアが叫ぶが、モンスターボールを奪われた挙句ベルディアがあなたを裏切らない限りは起こり得ない仮定の話である。

 だがあなたの声はタイミングよく巻き起こった終末に掻き消されてベルディアの耳に届く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 こうして早朝から夕飯前まで。

 あなたはエーテル病の発症を早める愛剣を持ったまま過ごし、ヴィンデールクロークというエーテルの風の影響を弱める外套無しに終末による高濃度のエーテルを浴び続けた。

 もうそろそろいいだろうと血の海の上に立つベルディアに声をかけ、一旦切り上げる為にあなたも加わって掃討戦を開始する。

 ラグナロクではおかわりが発生してしまうので彼の嘗ての愛剣である神器くろがねくだきを渡すとベルディアはとても喜びながら戦場を駆けた。

 まるで雪の中を走り回る犬のような姿だったとはあなたの正直な感想である。

 

「……今日は湧いた敵がご主人の方にも行くからいつもより楽だったな」

 

 夕食をとるべくあなたと同時に上がるベルディアがそう言った。

 ちなみに今日のベルディアは普段よりも楽になったからと油断した所で発生した最高レベルの竜の群れに圧殺されていた。

 ベルディアのレベルは既に十二分な程に足りている。油断大敵であるとあなたが指摘するとベルディアは気まずそうに下手糞な口笛を吹きながら目を逸らす。

 

「緑、緑のドラゴンのせいだ。耐性とか知った事かと言わんばかりに軽減不可能な無属性のブレスをバンバン吐いてくるのが本当にきつい」

 

 ベルディアの言うとおり、終末で出現する竜種の中で最弱であるグリーンドラゴンは高レベルでは最も恐ろしい竜である。

 レベル四桁のグリーンドラゴンによる無属性のブレスは極めて痛烈なものになる。

 

「で、半日ほど終末を続けたわけだが……半日終末をするっていう表現がもうな。さておき、ご主人に特に言われてたような変化は無かったな。どこかで呪いでも食らったのか?」

 

 不思議そうなベルディアの言うとおり、あなたの身体は何の異常も発生していなかった。

 ここがノースティリスであれば確実に一つか二つはエーテル病が発症しているだろう。

 にも関わらずあなたには何も異常が発生しなかった。

 

 

 だからこそ、あなたは今の自分が異常だと理解した。

 

 

 あなた達イルヴァの民にとってエーテルはエーテル病を引き起こす有害な物質だが、本来エーテルそのものは決して毒ではない。

 ベルディアがエーテルの中では調子が良くなると言ったように、木々より抽出されるエーテルは毒どころか無害かつ非常に有益なエネルギーである。

 故に大昔のイルヴァでは大量に搾取されたという。

 

 だが、あなたが生まれるよりも遥か遠い昔。

 とある非常に優秀な生化学者が一つの細菌を作り出した。

 

 その名はメシェーラ。

 

 元々は人々の利益となるはずの物質だったこのメシェーラ菌は、どういったわけか制御不能となり有害なモノとなってイルヴァ中に繁茂してしまったのだ。

 

 太古に発生したこの生物災害を経て、現在のイルヴァにはこのメシェーラ菌が蔓延してしまっており、イルヴァの生物はメシェーラに侵されている。

 無論あなたや友人達も同様に。

 

 さて、ここでエーテルの話に戻ろう。

 再度繰り返すがエーテルとは木々より抽出される毒どころか無害かつ非常に有益なエネルギーである。

 更に世界を侵すメシェーラを抑制するという、まるで星の意思のような効果を持っている。

 

 だが人々がエーテルを大量に搾取して消費しすぎた結果、繁茂と抑制のバランスが崩れてしまった。

 人々がエーテルとメシェーラの関係を知ったのはメシェーラが猛威を奮い出した頃。

 完全に手遅れの段階になってからである。

 

 しかし生物とはいつだって環境に適応するものである。

 やがて時が過ぎ、メシェーラ菌に依存する種族が多数現れた。

 今のあなた達もその一つだ。

 

 だが生き物が変化してもメシェーラとエーテルの関係は変わらない。

 ここで毒と薬の関係が反転してしまったのだ。

 メシェーラ菌と共生関係にある種族にとってメシェーラを抑制するエーテルは極めて有害であり、死をもたらす毒素となってしまった。

 そしてエーテルの摂取によって病として表れる症状を、あなた達はエーテル病と称している。

 

 アクセルでおかしな病気が発生したという話は聞いた事が無い。

 保菌者であるあなたと同居しているウィズやベルディアにも異常は発生していない。

 

 つまりこの異世界にメシェーラやそれに類する物は存在しないのだろう。

 メシェーラは人工の細菌という話なのであった方が驚きだが。

 

 更にエーテルを浴び続けても身体に変化が無い事から、イルヴァの住人であるあなたも今はメシェーラの影響を受けていない事が判明した。

 

 身体からメシェーラが全て抜け落ちているのか、体内に潜伏しているが無害化しているだけなのかは分からない。

 こうなった原因も一切不明。

 考えられる原因としてはムーンゲートを潜った際に何かが起きたか。

 

 こうして異世界に飛ばされた事といい、自分の潜ったあれは本当にムーンゲートだったのかすら怪しくなってきたとあなたは溜息を吐いた。

 

 ともあれこの件についてはこれ以上考えても仕方が無いだろう。

 星を覆うメシェーラもエーテルも、どれだけ強大な力を有していても一介の冒険者でしかないあなたの手には余りすぎる案件である。

 今のあなたにはありのままを受け入れるくらいしか手が無いのだ。

 手の施しようが無いとも言える。

 

 しかしエーテル病の発症を早める愛剣を惜しみなく振るえる様になったのは喜ばしい。

 大量の抗体を抱えているので今までも殆ど気にしていなかったが、それでもだ。

 

《――――》

 

 あなたの意思を感じ取ったのか歓喜に震えた愛剣が刀身からエーテルの風もかくや、という勢いでエーテルを豪快に噴き出した。爆発的なエーテルの増加であなたの視界が青に染まり、愛剣の影響で全身を襲う嫌悪感と共に今度は赤に染まる。

 これは愛剣というベルディア曰く特級の呪物があなたの心身を蝕んでいるだけなのでエーテルは関係無い。

 

 一度咳き込むと口の中いっぱいに鉄の味が広がったので吐き出せばびちゃりと血塊が階段を汚した。

 突然興奮してエーテルとプレッシャーを撒き散らす愛剣とクリエイトウォーターで口を濯ぐだけで何も言わずにそのままシェルターから退出するあなた達にベルディアが密かにドン引きしていたが、あなたが気付く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 姉さん、突然ですが事件です。

 

 そんな電波が届く程度にはあなたは混乱した。

 あなたに姉はいないが、それくらいに驚いたのだ。

 シェルターから出たあなたの目には衝撃の光景が広がっていた故に。

 

 なんと、居間の暖炉前のカーペットの上でウィズが白い子猫と戯れているではないか。

 

 豪快に腹を出して寝そべっている子猫の全身をウィズは両手でわしゃわしゃと弄っている。子猫に夢中になっているようでウィズはあなたに気付いていない。

 そして猫はされるがままピクリとも動いていない。よほど人に慣れているのだろう。

 改めて説明するまでもないだろうが、あなたに飼い猫はいない。シェルターに篭っている間にウィズがどこからか拾ってきたのだろうと思われる。

 ちなみにベルディアは先に風呂に入っているので居間で何が起きているかなど知る筈も無い。血みどろで食事などさせられないからだ。

 

「……ふふっ。気持ちいいですかにゃあ」

 

 あなたの耳にそんな台詞が聞こえてきた瞬間、あなたは率直に言って自分の耳か頭がおかしくなったのかと思った。

 先の発言の主は勿論ウィズである。

 同居人の激しいキャラ崩壊に危うく噴き出しそうになったが辛うじて堪える。

 

 あなたに見られている事に気付かずにニコニコと笑いながら猫をその白い手でわしゃわしゃするウィズ。

 されるがままになって反応の無い猫ににゃあにゃあと言いながら話しかけているあたり、実は彼女は疲れていたりするのだろうか。どちらにせよかつて氷の魔女と謳われ、魔王軍も恐れたという才媛は現在あらゆる意味で隙だらけなぽわぽわでぽけぽけなりっちぃになっている事だけは確かだ。

 

「にゃあにゃあ、可愛いですにゃあ」

 

 お前の方がずっとずっと可愛いよ!

 そう全力で主張した方がいいのだろうかとあなたは本気で考えた。

 あなたの嘘偽りの無い本音である。

 

 もしかして今の自分は見てはいけないものを見てしまっているのではないだろうか。

 誰でも良いので教えてほしい。愛剣は何も答えてはくれない。

 だがこうして本当に幸せそうに猫と戯れているウィズを見ているとエーテルやメシェーラ、世界の平和の事などどうでもよくなってくるから不思議だ。

 きっと噂に聞く癒し系というやつだろう。ウィズはアンデッドだというのに。

 

 そうして暖かい気分と目でウィズを眺める事暫し。

 あなたの気配を感じ取ったのか猫が突然あなたの方を向き、そのままじっと見つめてきた。

 つられてウィズもあなたの方を向いたので手を上げて挨拶しておく。

 

「あっ、どうもお疲れ様ですにゃあ」

 

 ともすればすぐにでもにやけそうになる己の顔を全力で歯を食いしばって耐える。

 唇をひくつかせるあなたにウィズは目をぱちくりとしていたが、数秒して自分が何をしていたのか、そしてあなたがそれを見ていた事にようやく気付いたらしい。

 

「――――ッ!!」

 

 ウィズの首から頭のてっぺんまでが急速に赤くなっていったのが分かった。

 赤面と同時にかあっという幻聴も同時に聞こえてくる始末。

 まるでお手本のような見事な赤面である。

 子猫があなたに挨拶をするようににゃあ、と鳴いた。中々の美声だと感心する。

 

「まっ、ちが……」

 

 あなたは自分の事は気にしなくていいから存分に続けて構わないにゃあとウィズに促す。

 我ながら似合わなさ過ぎて吐きそうだとあまりの気持ち悪さに自己嫌悪しながら。

 

「止めてください違います誤解です! これは本当に違うんです!」

 

 何が誤解だというのか。何が違うというのか。

 楽しげに猫と戯れるウィズの姿はカメラに撮っておけば良かったと思うくらいに眩しく尊いものだったというのに。

 それはそれとして誰が悪いと聞かれればあなたは隙だらけで見られて恥ずかしがるような事をやるウィズが悪い、自分は悪くないと主張するつもりだった。

 

「いや待って下さい、だってあなたにだってありますよね!? つい気が抜けた時に変な独り言を口走っちゃう事だってありますよね!? お願いですからあるって言ってください!!」

 

 言われてみれば確かにあるかもしれない。

 あなたはしたり顔でウィズの懇願に頷く。

 

「ですよね? ですよね!?」

 

 割といっぱいいっぱいな様子である。

 あなたはギリギリウィズに聞こえるくらいの声量でそうだにゃあ、と呟いてみた。

 特に理由は無い。

 

「もうっ、もうっ! 私が悪かったですからいじわるしないでくださいよぉ!」

 

 あまりの羞恥心から目に涙を浮かべ、真っ赤な顔であなたの胸板をぽかぽかと叩いてくる可愛い可愛い同居人に謝りながら子供のようにあやす。

 そんなあなた達を白猫は大きく背伸びをしながら呆れたように空色の双眸で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 狂乱するウィズを落ち着かせてソファーに座らせたあなたは彼女の隣に座る。

 今のウィズは丸くなった白猫を膝に乗せている状態だ。

 あなたがすぐ傍に寄っても猫が逃げ出す気配は無い。

 

 やけに人に慣れている猫だが、まさかウィズが以前から仮にも家主である自分に隠れて飼っていたわけではないと思いたい。

 流石にずっと家の中にいたのなら抜け毛や匂い、気配で分かる筈だからだ。

 

「夕方にお夕飯のお買い物から帰ったら家の前にいたんです。とても寒そうだったのでつい……勝手に家にあげてしまって本当にごめんなさい……」

 

 しゅんとするウィズに別に構わないとあなたは笑いかけた。

 勝手に家にあげたとは言うがウィズには前もって危ないのでシェルターの中に入ってはいけないと言っていたのでそれについてとやかく言うつもりは無い。

 終末はウィズの力量ならば危険は無いだろうがそれはそれ、これはこれである。

 

 それはさておき猫である。

 あなたはおもむろにウィズの足を占拠する猫の喉に手を伸ばした。

 

「……っ」

 

 ウィズは自分の足にあなたの手が伸びてきたからか一瞬びくりと身体を硬くしたが、猫を撫でるためだと分かるとすぐに力を抜いた。

 だがここでおおっと手が滑った、と言いながらウィズの足に手を伸ばしたらどうなるのだろう。

 とても心が惹かれる案だが流石に泣かれるかもしれない。セクハラは止めておくべきだ。

 今も十分にセクハラかもしれないがウィズ本人は何も言ってこないので気にしない事にする。

 

 喉をくすぐられ、気持ち良さそうに目を細めてごろごろと喉を鳴らす子猫は見ていて微笑ましい。

 時折もふもふしながら無心で触り続ける。

 

「猫、お好きなんですか?」

 

 ウィズの質問に、あなたは好きだと簡潔に答えながらも猫を撫でる。

 

 好きといっても食料的な意味ではない。

 味はさておき猫は食べると犯罪になってしまう。

 幸運の女神を信仰する友人も女神から下賜された黒猫をペットとして飼っているのだが、アレは腹から蛆虫が湧いたりするので駄目だ。仕草や外見そのものが可愛くないとは言わないが膝の上に乗せたり撫でようものなら大惨事になる。

 

「…………好きです。私も」

 

 ややあって、ウィズはポツリとそう呟いた。

 

 あなたはそれを受け、背中の亀裂から無数の目と口が見えたり腹から蛆虫がうじゃうじゃ湧いてくるようなあの控えめに言ってイス系のゲテモノとしか表現出来ない黒猫が好きなのか、と言いそうになったが今自分達がしていたのは猫全体の話だったと思い直す。危なかった。

 内心で冷や汗をかいていると、猫は今度はあなたの膝の上に乗ってきた。

 

 ところでウィズはこの子猫をどうするつもりなのだろうか。

 

「……多分どこかの飼い猫だと思うので、ギルドを通して飼い主さんを探してみようと思ってます。飼い猫ならきっと探してるでしょうし」

 

 あなたの膝の上に乗った猫を撫でながらウィズはそう言った。

 てっきり飼うつもりだと言うと思っていたので若干拍子抜けである。

 

「いえ、飼うだなんてそんな。生き物を飼うっていうのはそんな簡単に決めていい事じゃないんですよ?」

 

 あなたもペットを自分の仲間にする際はちゃんと面倒を見るという決意を持って仲間にしているので、ウィズの言っている事はよく分かった。

 だが猫と一緒にいる事で寂しさを紛らわせる事は出来るだろう。

 店があった時は仕事に熱中する事で寂しさを紛らわせる事が出来たが、今は無い。

 あなたは依頼で家を空ける事が多い。ベルディアが家にいるのは食事時か八日に一度。

 故にあなたはウィズが一人で何もせずに家で待っているというのは寂しかったのではないかと思っていたのだ。

 

「寂しくはないですよ」

 

 あなたの考えを真っ二つに断ち切るように。

 ウィズは静かに、しかしきっぱりと言い切った。

 

「確かに一人でいた頃はふとした瞬間に寂しくなっちゃう事はありました。……でも、今はあなたがいますから」

 

 穏やかな光を目に灯し、しっかりとあなたの目を見つめながら。

 

「あなたはちゃんとここに帰ってきて、ただいまって言ってくれるから。おかえりなさいって言えるから。私は寂しくなんかないんです」

 

 それに、今はバニルさんも同じ街にいますしね。

 そう言ってウィズは独白を終えた。

 

「……少し話しすぎちゃいましたね。すみません、今お夕飯の支度しますね」

 

 おもむろにソファーから立ち上がり、ぱたぱたとスリッパの音を響かせながらキッチンへ向かうウィズ。

 あなた(異邦人)はそんな彼女に何も言えず、ただ白い子猫の頭を撫でる。

 

 人の気も知らない気楽な子猫はにゃあ、と満足そうに小さく鳴いた。


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