このすば*Elona 作:hasebe
「……い、生きてますか? 実は幽霊だったりしませんか?」
冬将軍との対峙を終えてゆんゆんの元に戻ったあなただったが、何故かゆんゆんは怯えたように腰が引けていた。
冬将軍のプレッシャーに当てられてしまったのだろうか。
「違いますよ、確かに冬将軍は怖かったですけどあなた達が何をしてたかなんて遠すぎて全然見えなかったし……でも、冬将軍と一対一になるなんてそんなの普通に考えたら殆ど自殺行為じゃないですか……」
どうやらあなたが冬将軍と斬鉄剣と神器《遥かな蒼空に浮かぶ雲》の交換をした場面は見られていなかったようだ。
何も考えずに交換に応じてしまったが冬将軍は本来高額の賞金首だ。ウィズならともかくゆんゆんに冬将軍の武器を手に入れたと教える必要はないだろう。
そしてあなたと神器の交換をした冬将軍だが、確かに敵対イコール自殺と言われても仕方が無いほどにアレは強かった。
あなたに捕獲される前、魔王軍幹部だった時のベルディアも歯牙にかけない極めて高い戦闘力はこの世界はおろかノースティリスにおいても人の形をした死に等しい。
だがそんなに冬将軍が恐ろしいのならば何故ゆんゆんは雪精討伐を勝負に選んでしまったのか。雪精を討伐するという事は即ち冬将軍の怒りを買う事を意味するとこの世界の冒険者であるゆんゆんはよく知っていた筈なのに。
「そ、それはその……さっき冬将軍が出るまでその事が頭からすっぽり抜け落ちていたっていうか……頭が真っ白になっていたっていうか……あれ、なんか頭が冷たい……」
あなたから目を背けたゆんゆんの頭の上には白くて丸い塊、つまり雪精が幾つも乗っている。
なるほど、確かにゆんゆんの頭が真っ白だ。上手い事を言うものだとあなたは感心した。
「違いますよ!? なんで私がちょっと面白いことを言ったみたいになってるんですか…………くしゅんっ!」
ばっさばっさと頭を振って雪精を振り落とすゆんゆんだが、ずっとこの寒空の下であなたを待ち続けていたからだろう。随分と身体を冷やしてしまっているようだ。
雪精は討伐すれば一匹につき十万エリスと高額だがあなた達は現在雪精の討伐依頼を受けていないし斬鉄剣と神器を交換してくれた冬将軍に喧嘩を売る気は無い。
あなたが風邪を引く前にさっさと帰ろうと告げるとゆんゆんは申し訳無さそうにその申し出を受け入れるのだった。
■
雪精の群生地からの帰り道、あなたはゆんゆんにある提案をした。
冬将軍に会わせてくれたお礼に可能な限りゆんゆんの頼みを聞くと。
ゆんゆんはめぐみんの随一のライバル騒ぎでこうして山岳地帯まで足を運ばせてしまった事に引け目を感じていたようだが、あなたが引く気が無いと悟るとやがてこう言った。
「じゃ、じゃあお友達が欲しいです……あの、出来ればでいいです。本当に無理なら結構ですから……」
ノースティリスとこの世界、二つの世界を合わせても両手の指に満たない数しか友人が存在しないあなたにこれはかなりの難題である。
しかし決して不可能な依頼ではない。全力でゆんゆんの友達作りに協力しようではないか。
最も手っ取り早い手段は四次元ポケットの中に存在するアレを使う事だが、さて。
――お兄ちゃん、今私の事を考えたよね? 考えたよね絶対考えたよね? 私の出番かな? 出番だよね? いいよいいよ、私はいつでもばっちこいだよお兄ちゃん! この前お兄ちゃんに抱きついてた黒い髪の女より私の方がずっと役に立つし可愛いって事を証明してみせるよお兄ちゃん! お兄ちゃんの為なら私いっぱい頑張るから早く私を
うるさい黙れ。
一瞬血迷ってしまったがやはりアレは駄目だ。アレは言葉こそ通じるが話が通じない。何よりゆんゆんのような少女を生贄に捧げてしまっては何の為に今も捨てる事無く自分が所持し続けているのか分かったものでは無い。
とりあえず植物を用意するところから始めてみよう。サボテンとかどうだろうか。
「あ、それはもう持ってます」
私の大切な話し相手なんですとどこか誇らしげに笑うゆんゆんにあなたは何も言えなかった。
ちょっとした冗談で提案したつもりだったのだが、まさかゆんゆんが植物に話しかける程に寂しい少女だったとは。
ここまでぼっちを拗らせているとは流石のあなたも予想外である。
決して容易い依頼だとは思っていなかったがこれはあなたの想像以上の難物だ。ゆんゆんの引っ込み思案な性格も相まって気軽に手を出していい案件ではないだろう。冒険者のプライドに賭けて腰を据えてやらねばなるまい。
「な、なんでそんな本気と書いてマジと読む顔を……いいじゃないですか植物が話し相手だって……」
誰も悪いとは言っていない。
植物に話し相手になってもらうというのは最早
孤独を患いやすいティリスの冒険者は話し相手が欲しければ奴隷を買うか野生動物を支配するのでゆんゆんほど拗らせたりはしないのだ。
「
ゆんゆんがそう言うのならそうなのだろう。ゆんゆんの中では。
あなたは壊れ物を扱うように優しくゆんゆんに笑いかけた。
「し、釈然としない……」
それはさておき、ゆんゆんはどんな友達が欲しいのだろうか。
あなたはゆんゆんが友人に求める性別や年齢、性格などを教えてもらう事にした。
「……あの募集用紙に書いてたのは駄目ですか?」
勿論駄目である。駄目駄目である。
あの募集では多くのものを求めすぎだ。条件をもう少し絞ってもらわなければ幾らあなたであってもどうしようもない。
願いの女神であっても即座に匙を投げる事請け合いである。恐らくこれを使って何とかしろ馬鹿と言われて小さなメダル12枚と交換で手に入るアレが降ってくるだろう。
「なら……私と一緒にお喋りしたりお散歩したりしてくれる方がいいです。それさえ満たしてくれれば子供でもお爺ちゃんでもいいですから……あ、人外の方の場合は最低でも言葉が通じる方をお願いします」
たったそれだけでいいのだろうか、とあなたは首を傾げた。
確かにもっと条件を絞れと言ったのはこちらだがゆんゆんの言っているそれは要求するハードルがあまりにも低すぎるのではないだろうか。それくらいなら友人でなくても普通にやるだろう。
「それは嫌味ですか!? 友達が多いあなたには分からないかもしれませんが、私にとってはそれだけでもお友達なんです!」
憤懣遣る方無いと言わんばかりのゆんゆんだが今のは嫌味ではなくただの疑問である。
ところでゆんゆんの言っている友達が多い者とは誰の事なのだろう。あなたの友人はこの世界には現在たった一人しかいないわけだが。
「えっ? ……あ、そういえば前にアクセルのエースはアクセル一のぼっちだって聞いた事がある気が」
ゆんゆんのあなたへ向ける視線が酷く同情的なものへと変わる。
アクセル一のぼっち。あなたは久しぶりにその名を聞いた気がした。
かつてあなたは「アクセル一のぼっち? ……なんだか聞き覚えがある」とアクセルの街の人間はおろか、王都の人間に言われるくらいにはその異名が浸透していた時期があったのだ。
いつも一人で活動しているしこの世界にノースティリスの友人や仲間はいないのだからそう言われても仕方が無いとあなたは半ば開き直ってその称号を受け入れていたわけだが。
「つまりあなたもお友達がいないんですね!?」
ゆんゆんは何故かとても嬉しそうに顔を綻ばせた。
瞳が濁っているのはぼっち仲間が出来たと思われたのかもしれない。後ろ向き過ぎである。
確かにあなたはアクセル一のぼっちの異名を得ていたが、いつからかその名では呼ばれなくなっているのだ。
あなたがウィズと仲がいいというのはかなり街に知れ渡っているようなのでそれが原因だろうとあなたは睨んでいる。あるいはアクセル一のぼっちの名が街中に常識として浸透してしまったか。
あなたにはウィズやノースティリスの友人がいるので少なくともゆんゆんのようなぼっちではないしめぐみんのようなウィズ以外の話し相手も普通にいる。現状で十分満足しているのでゆんゆんと傷を舐め合う相手にはなれないし植物に話しかけるほどぼっちを拗らせてもいない。
残酷な現実をゆんゆんに突きつけようとしたあなただったが、ふと一つの疑問が思い浮かんだ。
ゆんゆんは今の状況をどう思っているのだろうか。
「どう、とは?」
あなたとゆんゆんは現在山岳地帯からアクセルに向かって歩きながら話している最中だ。
これはゆんゆんの言っている友人の条件にぴったりと当て嵌まっているのではないのだろうか。
「…………!」
あなたのこれ以上ないほどに的を射た指摘を受けて、ゆんゆんは目から鱗と言わんばかりにぽかんと口を開けた。自分から条件を指定しておきながら全く気づいていなかったようだ。どこか天然というか抜けているところがあるのはめぐみんに似ているとあなたは笑った。
「う、うーん…………でも、この人って凄く危ないみたいだし……興味本位で冬将軍に自分から近づくような命知らずな人だし……めぐみんの手紙にも死にたくなかったら絶対に一緒に依頼を受けたり喧嘩を売る真似をするなって……」
ゆんゆんはとても難しい顔をしてあなたをちらちらと見ながら呟いている。
危険度や冬将軍に関しては返す言葉も無いが、めぐみんに関してはとても失礼な少女だという事が改めて分かった。
あの頭のおかしい爆裂娘は本当に自分の事を何だと思っているのか。初めて会った時に高難易度の依頼を受けようとしたのはめぐみん本人が爆裂魔法は全ての敵を撃ち滅ぼす究極魔法だと豪語したから選んだだけだというのに。
「でも……いっぱい迷惑をかけた私なんかを追いかけて探しに来てくれた親切な人だし……私の話もこうやってちゃんと聞いてくれてるし……そういえば私の名前を聞いても馬鹿にしたり笑わなかった優しい人だし……めぐみんの手紙には絶対に喧嘩を売るなとか一緒に依頼を受けるなみたいな事書かれてたけど友達になるなとは書かれてなかったし……」
あなたが何かを言うまでもなくゆんゆんの心の天秤は自分で勝手に揺れているようだ。ゆんゆんは本気でチョロい少女だった。
随一のライバルであるめぐみんをして路地裏に連れ込まれると豪語されてしまうそのチョロさは伊達ではない。あなたに将来を心配されてしまう程に。
仮にゆんゆんのような純朴な少女が単身ノースティリスに赴こうものなら三日と経たずによくてペットか奴隷にされてしまうだろう。悪い場合は口に出すのも憚られる。
大体、探しに来たから親切と言うが、殆ど一方的なものだったとはいえあなたは一度は勝負を受けたのだ。知らぬ存ぜぬを貫き通してゆんゆんをそのまま放置する事など出来はしない。
それに別に嫌いな相手でもない以上人の話を聞くのは当たり前だし、名前を聞いて笑うなど有り得ない。
確かに紅魔族の名前はこの世界においては多少変わっているのかもしれないが、あなたからすればたったそれだけで馬鹿にする方が余程馬鹿げていた。公共の場で呼べないような卑猥な名前でもあるまいに。
あなたが内心で呆れているとゆんゆんは自分の中で答えを出したのか、突然あなたに向けて頭を下げた。
「お……お願いします! ……私とお友達になってください!!」
ゆんゆんの痛切な懇願にあなたはバッサリと知り合いからでお願いしますと答え、ゆんゆんの目から光が消えた。
無表情で絶望したようにガクリと膝から崩れ落ちたゆんゆんに言い方を間違えてしまったかとあなたは内心で焦る。信頼関係も無しにいきなり友人になりたいと言い出すのでつい反射的に返してしまったが、もう少しゆんゆんを気遣った言い方というものがあったかもしれない。
「や、やっぱり私なんかじゃ駄目、ですか……? そうだよね……私なんかじゃ迷惑だよね……」
いわゆるレイプ目になって泣きそうな声で下を向いてしまったゆんゆんだが、あなたはゆんゆんの言うような付き合いをする分には一向に構わないと思っていた。それ故に知り合いからと言ったのだ。
少なくともゆんゆんと一緒に話したり散歩をしたり遊ぶ分にはこちらが依頼を受けていない時であれば幾らでも誘ってくれて構わないし、ゆんゆんが許すのならばこちらから誘っても良い。好感度で言うのならば《好意的》といったところだろうか。
あなたがそう伝えるとゆんゆんはまるで意味が分からないとばかりに首を傾げた。
「……えっと、それって友達ですよね? 私がおかしいんじゃなくて世間一般ではそれを友達って呼びますよね? この本にもそう書かれてますよ?」
ゆんゆんが懐から取り出してあなたに渡したのは一冊の本。
何度も何度も読み返したのか、ところどころがボロボロに擦り切れたその本の名前は《友達を作るための本》。
分かりやすいといえば非常に分かりやすいが、あまりにも直接的な題名だ。あなたは若干のうさんくささを感じながらぱらぱらと読み進めていく。
「どうですか? 合ってるのは私…………どうして私をそんな泣きそうな目で見るんですか。今そういう流れじゃなかったと思うんですけど」
重要と思わしき箇所にところどころ付箋やマークが付けられたその本からゆんゆんの強い想いと孤独を感じ取ったあなたは久しぶりにとても悲しい気持ちになった。植物が友達な件といい、かつての絶望的な極貧生活を送っていたウィズに匹敵するレベルで不憫な少女である。
あなたはゆんゆんに今更言われたりこんな本を読むまでも無く、自身の友人の定義がこの世界における一般的なそれとは大きく異なっていると理解していた。
だがノースティリスにおいてその強さから畏怖、あるいは忌避されやすい冒険者の一人であるあなたにとって友人とは他の何物にも替えられない大切な存在なのだ。友人の為ならば世界中を敵に回す事すら厭わない程にあなたの中で友人という言葉が持つ意味合いは重い。
無論それを他者に押し付ける気は無いが、ゆんゆんとあなたが会話したのは今日が初めてだし、ウィズのような信頼関係も築いていない。
あなた達は互いの事を知らなさすぎるし何よりもゆんゆんはあなたが異世界人だという事を知らないのだ。
故にあなたはゆんゆんと世界全てのどちらかを選べと言われれば世界を選ぶだろう。
そんなわけで、申し訳ないが今のゆんゆんではあなたの友人にする事は出来ない。あくまで今の、というだけなのでこの先どうなるかまでは分からないが。
「びっくりするくらい重すぎですよ! 友達っていうのはもっと気軽なものだってくらいは私でも分かりますよ!?」
ゆんゆんが軽く引きながら叫ぶ。まさかあんなグラビティの魔法がかかったパーティーメンバー募集をするゆんゆんに重いと言われてしまうとは思わなかった。
しかしあなたにとっての友人とはずっとそういうものだったのだ。ここが異世界だからといって今更友人の定義を変える事など出来はしないとあなたは肩を竦める。
あなたの中で他者との関係とはおおまかに下から順に敵、他人、知り合い、神、仲間、友人、自身が信仰する女神で構成されている。こうして実際に挙げてみると知り合いが占める幅が広すぎる気がするが実際そうなのだから仕方が無い。
ノースティリスの人間であるあなたが考えている友人とゆんゆん達の考えている友人の意味合いが違い、あなたの中の知り合いの定義の一部がゆんゆん達の考える友人に含まれる。ただそれだけの話である。
「う、うーん……確かにそうなんですけど、でも知り合いって言われちゃうのは他人扱いみたいでちょっと嫌かなって……」
暫くの間難しい顔で悩んだ後、ゆんゆんはぽつりとこう言った。
「……あの、友達じゃなければいいんですよね? あなたにとって友人が特別なものだから今の私を友達と思えないだけで、私があなたを友達と思ったり呼んだり、私が友達とするような事を一緒にやるのは大丈夫なんですよね?」
ゆんゆんの祈りにも似た問いかけにあなたは今度は頷いた。
すると随一のライバルをしてくっそチョロいと言わしめる紅魔族の少女はぱあっと顔を輝かせ……
「じゃ、じゃあ! 私はあなたをお友達って呼びますから、あなたは私を――――」
■
そろそろ日が沈もうかという夕暮れ時、アクセルの街に戻ったあなたはゆんゆんを伴ってギルドに戻り、ルナやウェイトレスにゆんゆんの無事を報告した。
当然の如くあなた達はルナ達からちょっとしたお説教を食らってしまったわけだが、二人とも無事で良かったとルナとウェイトレス達は安心したようであった。
ルナの反応に何かあったのかとあなたが訊ねてみれば、なんとあなたが放棄した雪精討伐の依頼を受けたカズマ少年達が冬将軍と遭遇したのだという。
ダクネスの剣と鎧を一瞬でバラバラに破壊してみせた冬将軍はしかしそれ以上ダクネスを傷付ける事無く放置し、やけに青い顔で首を押さえていたというカズマ少年もちゃんと生きているようなので大事は無かったのだろう。やはり冬将軍は温厚かつ寛大だ。ちなみに話を聞いたゆんゆんは青い顔でガクガクと震えていた。
そんな冬将軍に対してカズマ少年と女神アクアは“るぱんさんせい”や“いしかわごえもん”がどうのこうのとあなたとゆんゆん、ルナでさえもまるで理解出来ない言葉を喋っていたのだという。冬将軍はつまらない物を斬ったとも。カズマ少年と女神アクアはきっとどこからか電波でも受信していたのだろう。
さて、そんなこんなを経て現在あなたは自宅の前に立っている。
普段であれば真っ暗なままのあなたの家の窓には灯りが点っているが、現在あなたの家にはウィズが居候しているのだから明るいのは当然だ。
家の中からとてもいい匂いが漂ってきているのはウィズが夕食の準備をしているのだろう。匂いからすると夕飯は恐らくビーフシチューか。
あなたはふと自宅に思いを馳せた。アクセルの自宅ではなくノースティリスの方の自宅に。
改築を繰り返した結果、あちらの自宅がちょっとした街の様相を呈して久しい。
雇ったメイドやペット以外にもブラックマーケットと魔法店の店主や酒場のバーテンがあなたの家に住んでいるので帰宅しても誰もいない、という事は無かったし帰宅時に何かを思う事も無かった。
だが今は違う。帰宅時に自宅に灯りが点っている、たったそれだけの事だというのに嬉しくなってしまうのは何故なのか。
答えが分かりきっている愚にも付かない自らの問いに苦笑しながらあなたはドアを開ける。
あなたのただいま、という言葉に反応してキッチンからぱたぱたとスリッパの足音を響かせながら玄関に駆けて来るのは当然居候であるウィズだ。朝と同じように猫柄のエプロンを着てポニーテールなのは料理中だったからだろう。
「……おかえりなさいっ!」
ウィズはあなたに向かってとても、とても嬉しそうに笑った。
ここまで狂喜するウィズをあなたは見た事が無い。あなたが大枚叩いて高額商品を買い漁った時だってウィズはここまで喜ぶ事は無かった。
見ているだけでこちらが恥ずかしくなってきそうな、私は幸せですと言葉にせずとも表情や仕草全体で語っている百点満点の笑顔は見ただけでアンデッドが浄化されそうな程に眩く尊いものだ。ウィズ本人もアンデッドなリッチーだというのに。
おまけに何故かウィズの頭頂部の髪の房、いわゆるアホ毛がぴこぴこと犬の尻尾のように揺れているようにも見える。
しかしそんなウィズの笑顔と歓喜を一身に受けるあなただが、幾らなんでもこれは大袈裟すぎではないだろうかと逆に困惑する事になってしまった。
ここはあなたの家だ。自分の家に帰ってくるのは当たり前だしあなたは今日の朝に家を出て夕暮れに帰ってきている。つまりウィズと別れてからまだ半日も経っていないのだ。
自分が覚えていないだけでウィズと自分はそういう関係になっていたのだろうかとあなたはさりげなくウィズの首と左手の薬指を見つめる。当然ウィズは結婚指輪も結婚首輪も着けていなかった。着けていたらちょっとしたホラーだったので内心で安堵の息を吐く。
ならばどうしてウィズはこんなに嬉しそうに自分を出迎えているのか。
まさかたった数時間会えなかっただけで寂しくなったというわけではないだろう。確かにあなたは頻繁にウィズの店に足を運んでいたが、毎日彼女と顔を合わせていたわけではないし依頼で会わない日々が続く事だって普通にあったのだ。
となるとあなたにはもうウィズが退屈を持て余していたとしか思えない。ベルディアと違って外に出るなとは一言も言っていないというのに。
「えっと、そうじゃなくて……あなたにおかえりなさいって言えるのがすっごく嬉しくって、つい……」
えへへ、と少しだけ恥ずかしそうに照れながら、しかし幸せそうに笑うウィズの言葉にあなたはなるほどと納得した。
ウィズにとっておかえりなさいという言葉は特別なものなのだろう。あなたにとっての友人と同じように。
あるいはこれこそがウィズがこの街に拘る理由なのかもしれない。だが一度ウィズの方から話すのを待つと決めた以上こちらから追求するのは野暮の極みというものだろう。
あなたからしても帰宅時に
ウィズがあなたの家に同居している以上、これからは毎日というわけではないが幾らでも言う機会、聞く機会が訪れる事だろう。あなたも、そしてウィズも。
「……それで、今日はどんな事があって、あなたはどんな事をやってきたんですか?」
居間のソファーに座ったあなたにウィズがお茶を淹れながらニコニコと問いかけてくる。
まるで幽霊少女アンナのようなウィズの催促を受け、あなたは街の外で出会った精霊である冬将軍との対峙、神器の交換…………そして新たに“遊び相手”となった寂しがりやな紅魔族の少女についての話を始めるのだった。
《冬将軍》
高額賞金首である冬の精霊。ある時から自身の身体の一部である冷気を纏った刀の他に白鞘の刀を使うようになる。
駆け出し冒険者が斬鉄剣と名付けたそれを使う時は決して女性を殺さない。
ただし武器と防具は一瞬でバラバラに切断されるし城のような刃渡りを無視した長さの物を斬る事も可能。
いつからか白鞘を抜いた時の技の冴えは冷気の刀を使った時のそれを遥かに凌駕するようになった。
これは日本人の転生者達と女神アクアの「斬鉄剣はこんにゃく以外何でも斬れる。ビルとかヘリとかも斬れる」「斬鉄剣は即死攻撃」という割と無茶なイメージが斬鉄剣の神秘に引っ張られた事が原因。
実は斬鉄剣のイメージの元ネタはこんにゃく以外にも斬れない物があったし問答無用で即死でも無い。
しかしイメージの結果、斬鉄剣を使う時の冬将軍は鉄は当然としてミスリルやアダマンタイト、果ては攻撃魔法や魔王城クラスの結界だろうが紙のようにぶった斬る事が可能な理不尽の権化と化した。
神器、遥かな蒼空に浮かぶ雲を媒介にすれば更に無茶な強化も可能だったのだが……悲しいかな、武器の知名度が無さ過ぎた。
なお、ある時何をトチ狂ったのかこんにゃくを全身に貼り付けた転生者がこれで勝てると冬将軍に戦いを挑んだが冷気の刀で秒殺された。当然の結末である。
また、つまらぬ物を斬ってしまった……。