このすば*Elona   作:hasebe

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第145話 逝きなさい、貴方の望む死を

【4】

 

 東方に広がる未開にして未踏の蛮地、魔領。

 信頼のおける少数の友人、仲間を伴って魔領の探索を行う年若き女王を待ち受けていたのは、彼女が生まれて初めて経験する大冒険の数々でした。

 

 人類領域のすぐ傍、つまり魔領の片隅でひっそりと身を潜めて生きてきたゴブリン達との偶然の出会いから始まり。

 エルフとドワーフの確執。

 荒くれものであるオーガの力試し。

 巨大な海獣によって危機に瀕した人魚。

 無邪気な妖精が住まう花の国。

 強く恐ろしい魔物の数々。

 沢山の出会いと別れ、戦いと発見、驚きと喜び、胸躍る冒険の数々がありました。

 

 そして女王を待ち受けていた最後にして最大の試練。

 それは魔領の大半を恐怖をもって支配する者、傲慢にして強大なる闇の竜、ゲヘナ率いる軍勢との戦争でした。

 

 魔領に生きる全ての種族が女王の下に手を取り合い、団結し、戦いに望みました。

 

 自身以外の全てを下等と断じ、悪辣な手段を一切厭わない邪竜との戦争は凄惨と混迷を極め、敵味方に多くの、本当に多くの死者が出ました。いっそ不必要なまでに。

 事実、全ての犠牲は邪竜にとって単なる余興にすぎなかったのでしょう。

 他者の嘆き、悲しみ、怒りを嘲笑いながら睥睨するゲヘナはまさしく純粋悪と呼ぶに相応しく。

 女王とその仲間達は何度も何度も傷つき、血と涙を流し、己が無力に打ちひしがれ、それでも折れることなく戦い続け……無数の犠牲と屍を積み上げた果て、遂に女王はゲヘナを討ち滅ぼします。

 

 戦争の終わり。

 それは、女王が新たな魔領の王となった瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

「――きゃあっ!?」

 

 不死王の不穏な言葉に身構える間も無く、不意に目の前が真っ暗になったと思った次の瞬間、闇の牙から吐き出されたゆんゆんは地面に転がっていた。

 

「いたた……」

 

 軽く頭を摩り、周囲を見渡して何が起きたのかを確かめる。

 そして少女は、反射的にひゅっと空気が口から漏れ出た音、そして、自分の血の気が引く音を聞いた。

 何の覚悟も無いままに叩きつけられた、あまりにも大きすぎる衝撃と恐怖に飲まれたかのように。

 

 闇。

 そこには闇だけがあった。

 自身の姿すら視認出来ないほどの、どこまでも暗く、深く、静かな闇しかなかった。

 それは人に刻まれた原初の恐怖に他ならない。

 

「ライト!」

 

 何も見えない中、恐れに駆られたゆんゆんが反射的に行使したのは明かりの魔法。

 だが少女を照らす光の強さは普段の魔法のたった十分の一程度。

 この全てを飲み込む圧倒的な闇の中においてそれは、あまりにも頼りなく、そして心細いものでしかなく。

 不死王の力の影響なのか、光量に比例するかのように、魔法の持続時間も著しく短縮されている。

 信じられないほどの速度で光は弱くなっていき、明滅し、そして消えた。

 

「そんな、なんで……!?」

 

 三度同じ行動を繰り返し、三度同じ結末を辿る。

 

 テレポートを使う。効果が発動しなかった。

 上級魔法を使う。魔法は虚しく闇に飲まれて消えた。

 空間を切り裂かんとライト・オブ・セイバーをがむしゃらに振り回す。闇に光の軌跡を描くだけで終わった。

 喉が張り裂けんばかりの声で二人の師の名を呼ぶ。残響さえ残らなかった。

 

 少女のあらゆる行動は何の影響も及ぼさなかった。

 どれだけ必死に呼んでも、叫んでも、一切の反応が返ってくる事は無い。

 虚無という名の拷問。

 

 誰もいない。誰もいない。誰もいない。

 ここには、自分以外誰もいない。何も無い。

 敵も、味方も。それ以外も。

 自分に害を為す者も、自分を助けてくれる者も、誰もいない。

 そして、ここから脱出する術は、無い。

 

 聡明な頭脳から導き出されたのはそんな絶望的な結論。

 少女の顔面が蒼白になり、息が加速度的に荒くなっていく。

 

 じわじわと、少しずつ、少しずつ。

 少女の頭と意識を、絶望と共に一つのイメージが支配し始める。

 落とされた深い闇の中、苦しみと悲しみに満ちた孤独で救いの無い死を迎え、不死王が従える数多の亡霊の一つになるという、あまりにも簡潔で明瞭な結末が。

 

「――ッ、ライト! ライト!!」

 

 恐怖を振り切るように、あるいは見えてしまった末路と立ちはだかる現実から逃避するように。

 パニックに陥った少女は何度も魔法を使って明かりを灯す。

 狂ったようにひたすらに無為な行為を繰り返し続ける。

 豊富な、しかし決して無限ではない魔力が尽きるその時まで、何度でも、何度でも。

 

 そんな彼女を、じっと闇の中から見つめ続けている瞳がある事にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんが闇の中で必死に足掻いていた頃。

 

 かつて世界に覇を唱えた千年王国の象徴である王城、その謁見の間にて。

 二人の不死王という生命を冒涜せし邪悪にして闇の極致、世界の敵が対峙していた。

 片や玉座から全てを睥睨し、艶然と微笑を浮かべ。

 片や全身から凍てつく魔力を迸らせ、射殺さんばかりに玉座の主を睨みつける。

 

「主に付き従ってここまで付いてくる忠誠心は見上げたものだが、下僕風情に立ち入ってほしくはなかったのでね。事後承諾ですまないが排除させてもらった」

「…………」

「うん、怒るだろうとは思っていた。予想以上に怒っているようで少し驚いたが。そんなに大事な下僕だったのかい?」

「下僕ではありません。仲間です」

 

 硬質な声で強く否定するウィズに、予想だにしない言葉を聞いたとばかりに目を丸くした女王はやがてなるほど、と頷いた。

 ウィズに親近感を抱いたかのような、人好きのする自然な笑顔を向けながら。

 

「仲間、か。今となっては涙が出るほどに懐かしく、心地よい響きの言葉だ」

 

 だがしかし、と言葉を続ける。

 まるで幼い子供に言い聞かせるように、残酷なまでの優しい口調で。

 

「そんなに大事な仲間なら尚の事、こんな場所まで連れて来るべきではなかった。明らかに危険な場所だと最初から分かっていた筈だろう? 私がどういう者であるかも同様に」

 

 決して皮肉や嫌味ではない、心からの忠告。

 それは確かに同胞へ向けたものでありながら、相手からの心象というものを完全に度外視していた。

 

「とはいえ私だってこんな様になっても人の心全てを失ってしまったわけではない。残った死体と魂は貴女に返そうじゃないか。そのまま二人とも貴女の傀儡にしてしまえばいい。そうすれば大事な仲間と永遠に共にいられるだろう?」

 

 ウィズは最初、自分が何を言われたのか理解出来なかった。

 さも名案とばかりに投げかけられた相手の言葉が、あまりにも己の価値観、倫理観とかけ離れていたがゆえに。

 ニコニコと笑う眼前のリッチーは、ウィズが知る魔王や魔王軍とは根本的な部分で違う。これの精神性は最早悪魔の領域に突っ込んでいると認識する。

 

「……二人はどこに?」

「ここではないどこかに。死ぬにしても、二人一緒なら寂しくはないだろうさ」

 

 煙に巻く物言いで頭に血が上りかけるも、しかし嘘は言っていないと理解したウィズは、ひとまず最悪の展開だけは避けられた事に安堵した。

 この場においてゆんゆんが一人で分断されたというのであれば、それはもう半ば手遅れを意味するわけだが、自身のパートナーが同行しているのであれば、余程の事が無ければ死にはしないだろうと判断したのだ。むしろ現在の自分の方が危険な可能性すらあると感じている。

 ウィズがそれなりに平静を取り戻すまで待った後、金色の暴君は穏やかな声色で、ある意味至極当然の提案を行ってきた。

 

「まずは自己紹介をしよう。コミュニケーションの基本であり、礼儀だからな」

 

 思うところが多々ありはしたものの、ウィズは素直に首肯した。

 相手に招かれるままに辿り着いたはいいが、今も彼の不死王が自分に何を求めているかすら分かっていない現状は流石によろしくないと考えたのだ。

 

「私はアーデルハイド。親しい者はアデルと呼んでいた」

「ウィズです。貴女は私に何を望んでいるのですか?」

 

 世間話および腹の探り合いを端から完全に拒否する構えを見せたウィズに、率直すぎるな、と苦笑するアーデルハイド。

 

「まあいいか。簡単な事だ。私の願いはただ一つ。滅びだ」

「……滅び?」

「ああ。私と戦い、私を殺してほしい。手段は問わない。全身全霊を賭した私を殺せる者。私はただ、それだけを望んでいる」

 

 思わず敵意を忘れ、目を丸くするウィズ。

 相手の言葉が予想外だったから……ではない。

 自身の滅びという願いが、あまりにも聞き覚えのあるものだったからだ。

 友である大悪魔と似通った願いの持ち主が、自身と同じ不死王であるという奇妙な偶然に虚を突かれてしまったのだ。

 

「理由をお聞きしても?」

「不死者にこういう表現が正しいのかはさておき、私は長く生きすぎた。有体に言うと疲れてしまった」

「なら……」

「自殺すればいいという気持ちは分かるしきっと正しいのだろう。だが、それは嫌なのさ」

 

 玉座に腰掛けた女は薄暗い天井を見上げ、言葉を紡ぐ。

 かつて在りし日を回想しながら。

 

「恐らくそちらも調べるなりして知っているだろうが、今となっては遥か遠い昔、私は世界を統一した」

 

 自慢するでもなく、淡々と過去の事実を列挙する。

 

「戦って、戦って、戦い続けた果てに私は勝者となった。勝ち続けた。勝ち続けて、しまった」

 

 言葉と全身に隠し切れぬ疲れを滲ませながら。

 

「私が不死王となった後に発足された、人と神と魔の連合軍でさえ私に敗北した。神と悪魔が本気を出していればともかく、均衡を崩すのを恐れた両者は世界を滅ぼすには足りない程度の戦力しか捻出出来ず、終ぞ私の命には届かなかった。ゆえにこうして国ごと一年を繰り返す時の牢獄に私を封じたわけだが、封印の体を為していないのは貴女も知っての通り。……つまるところあれだ、勝者のまま消えるのが我慢できないという身勝手な老人の我儘だよ」

「……なるほど、分かりました」

 

 話を聞いたウィズは、その観察眼であらゆる言葉は何の意味も価値も持たない類の手合いだと早々に理解する。

 アーデルハイドと名乗った不死王は、どうしようもなく死に焦がれているだけの、かつて偉大な人間だった者の残骸であると、分かってしまったから。

 己の死を追い求める。バニルとは違い、最早彼女には真実それ以外何も残っていないのだと。

 

「どうして貴女はリッチーになったんですか? 私の場合は死に瀕した仲間の命を救う為でした。貴女は何を理由に禁忌に手を染めたんですか?」

「……さてね、あまりにも昔の事すぎて忘れてしまったよ。だがきっと身勝手で理不尽でつまらない理由だろうさ。ああ、間違いなく貴女のように尊く称えられて然るべき理由などではない」

 

 虚ろな彼方を見る目。人間性が感じられない声。

 明らかな嘘に、答える気が無いと判断する。

 

「では改めて聞きますが、城下の死者を解放する気は無いのですよね?」

「民あっての王だろう? 彼らがいなくなれば私は王ではなくなってしまう」

 

 そう言って女王は微笑んだ。

 死にたいとは言ったが自分から弱体化するつもりはないのだと。それでは自殺と何も変わらないのだと。

 ならば是非も無い。

 杖を構え戦意を見せるウィズに対し、破綻した女は微笑を浮かべながら頬杖を突く。

 

「やる気になってくれるのは嬉しいが、時期尚早という言葉を送ろう。無論、やるというのであれば喜んで付き合うがね。確かに貴女は強い。一対一であれば五分……いや、私がやや劣るか。これについては素直に賞賛を送ろうと思う。互いが存在した年月の差を考えるといっそ畏敬すら覚える」

 

 万能の天才であるアーデルハイドに対し、ウィズの才覚はどこまでも魔導と戦闘に特化されている。

 たとえアーデルハイドの心が永い停滞で錆付き腐り果てているのだとしても、積み重ねてきた経験は決して嘘をつかない。そしてウィズにはそれを覆すだけのポテンシャルがあった。

 

「だが、本気で戦えば私が勝つ。少なくとも、今はまだ。絶対に。理由など言わずとも理解しているだろう?」

「…………」

 

 そして同族であるからこそ互いに理解出来てしまう、戦士(個人)ではなく、(統率者)としての絶対的な格差と錬度。

 ただの一体も不死者を従えていない氷の魔女では、雲霞の如き軍勢を率いる黄金の不死王には決して届かない。

 少なくとも、今はまだ。絶対に。

 

「それでもやるというのであれば構わんよ。精々楽しく踊ろうか。先達として、不死王の戦いというものを存分に教授しようではないか」

 

 堕ちた黄金が立ち上がる。

 腐臭のする、虚ろで気だるげな雰囲気を全身から漂わせ。

 それでいて表情だけは愉しそうに。

 

同族(アンデッド)に吐く台詞でもないが……殺しはしないから、安心して本気でかかってくるがいい。何度負けても構わない。何度でも、何度でも立ち上がって挑むといい」

 

 そこまで言うと、少し違うな、と自嘲するように首を横に振った。

 

「どうか、何度でも、何度でも私に挑んでほしい。どうか、諦めないでほしい。私は貴女に期待している。私は、貴女が私の悪夢を終わらせる者である事を切に願う。それが今でなくとも、いつか、必ず」

 

 どうか、どうか、願わくば、と。

 己の死を願う王の言葉と表情は、どこまでも痛切で、誠実な色を帯びたもの。

 敵対者であるはずのウィズが思わず憐憫を抱くほどに。

 

「……少しだけ、訂正を」

「聞こう」

「貴女を終わらせるのは私ではありません」

 

 ともすれば弱気の発露とも受け取れる宣言に、黄金の不死王は興が削がれたとばかりに嘆息し、玉座に再度もたれかかった。

 

「始まる前からあまり落胆させるような事を言わないでほしいんだが」

「事実ですので。貴女を終わらせるのは私ではありません」

「では誰が終わらせると? 神か? 悪魔か? それとも野生の超越者が喧嘩を売りに来てくれるのか?」

()()です」

 

 永遠の孤独を生きる不死王に対し、他の何よりも孤独を恐れる不死王は力強く断言した。

 自分のパートナーは、あの程度で死にはしないと。

 絶対にこの場に戻ってくるのだと。

 パーティーの名前、Never Alone(独りじゃない)が示すように。

 

 

 

 

 

 

 廃人ぱんち!

 不意に目の前が真っ暗になったと思った次の瞬間、あなたの光って唸って真っ赤に燃える愛と勇気と希望の拳が闇の牙を内側から爆砕した。

 

 説明しよう。

 廃人ぱんちとは癒しの女神の即死治療攻撃である女神ぱんちを腹部に叩き込んでいただいた事で深い感銘を受けたあなたが、三日という永遠にも等しい時間、地獄の修行を積む事で会得した活殺自在の絶命奥義、廃人神拳だ。

 なんかこういい感じに気合と力を入れて殴ると発動し、なんやかんやで物理法則に中指を突き立てて唾を吐きかける謎エネルギーが発生してふわっとした感じで相手はグチャグチャになって死ぬ。活殺自在だがそれはそれとして絶命奥義なので相手は死ぬ。活殺自在(自己申告)の絶命奥義(本当)である。

 具体的に表現するとミンチになる。精一杯ぼかして表現してもミンチになる。どう足掻いてもアハハ! ミンチミンチィ!

 それは技でも神拳でもなんでもなく、ただ単に廃人パワーで力いっぱい殴っただけの脳筋ゴリ押し力技なのでは? などとは口が裂けても絶対に言ってはいけない。

 たとえそれが真実だとしても、ひとたび解き放たれた言の葉は時にどんな神器より鋭い刃となって相手の心に突き刺さるのだから。

 三度の食事より甘いお菓子が好きな癒しの女神に対して体重増加を指摘するのと同じように。

 

 

 

 さて、自身を飲み込んだ闇を破ったあなたが降り立ったのはまたしても闇の中だった。

 ここもまた呪いと瘴気で満ち溢れた地上と同じく不死王の領域の一部なのだろうが、同じ闇の空間でも、現在あなたが立っている場所は黒い不死鳥が展開した帳とは随分と様相が異なっている。

 

 無音、無明、無尽。

 獄鳥の殺意に満ちた夜帳の狩猟場とは異なり、ただひたすらに静かで冷たい闇だけがある。

 全ては余分と言わんばかりに、ここには闇以外何もない。

 静謐で満たされた黒の澱。時の流れさえ停滞し、やがては永遠に凍りつきそうな虚無に支配された死の揺り篭。希望さえも潰えた棺の底の更に奥。

 空間そのものは終わりが見えないほどに広く、しかし本質的に終わっているがゆえの閉塞感が常に重く圧し掛かってくる、そんな場所で、あなたは全身の力を抜いてリラックスした。

 

『なんかすくつに似てるもんねー』

 

 妹の言葉通り、此処はあなた達が主戦場とする無限にして虚無の迷宮、すくつの雰囲気にとてもよく似ていた。

 であるからこそ、闇で閉ざされたこの空間は、あなたにとって非常に心地よく、心身が休まるものだったのだ。許されるのであれば今すぐ寝転がって惰眠を貪りたくなるほどに。

 

「――ライトッ!!」

 

 目を瞑ったまま実家のような安心感に浸る事暫し。

 つい溶けてたゆたうように闇に身を任せていると、悲鳴のような叫び声と共に、少し離れた場所であまりにも頼りない一筋の光芒が闇に灯った。

 案の定というべきか、今にも闇に飲まれそうな儚くか細い明かりに照らされているのはゆんゆんである。あなたと一緒に謁見の間からの強制退去を食らっていたらしい。

 一心不乱に光に縋る彼女は完全にパニック状態に陥っていた。

 

『五分くらい前からお兄ちゃん達の事探してたし誰かいませんかー的な事叫んでたし何回も明かりの魔法使ってたよ。必死すぎて笑えるよね』

 

 あっけらかんと言う妹。

 どうやらリラックスしすぎていたせいでゆんゆんに気付けなかったようだ。

 同じ場所に放り出されたのは誰にとっても幸運な出来事であった。この状況下でゆんゆんが単独行動を強いられるというのは、即ち死を意味するに等しい。即死である。

 歩を進めながらあなたはゆんゆんに声をかけた。

 だが何度も闇に明かりの魔法を塗り潰されては付け直す紅魔族の少女は、びくりと体を震わせ、恐怖に染まった表情をあなたに向ける。

 

「だ、誰っ!?」

 

 武器を抜いたかと思うと、真っ青な顔色で怯えたように後ずさるゆんゆん。

 どうやらあなたの姿が見えていないらしい。

 仕方がないとあなたは白銀の聖槍を取り出し、祈りを捧げる。

 聖人と呼ばれても決しておかしくはない、イルヴァ広しといえど十人と存在しない領域の極まった信仰者。女神の寵愛を受けし者。その誠実にして真実の祈りは奇跡を容易く引き起こす。

 信仰の象徴ではなく実用面であなたに頼られるという滅多に無い機会にテンションが急上昇したのか、普段の数倍増しで眩い光を放つ神器が一帯の闇を祓い、あなたの姿を照らし出した。

 

「ぅあばー!」

『うおっまぶしっ』

 

 眩しい。実際眩しい。本当に眩しい。

 照らし出すを通り越して闇が光で焼き尽くされんばかりの勢いだ。異界の闇深くにおいてなお眩く輝く女神の威光は敬服する他ないが、普通に勘弁してほしいレベルの眩さだった。

 合図も無しにいきなり特大の極光で目を焼かれたゆんゆんは目が、目がー! と軽く終わっている声で闇の中を七転八倒し、あなたも堪らず目頭を押さえる。愛剣がここぞとばかりに煽り散らし、聖槍は恥じ入った様子で光量を落とした。傍から見れば結構なピンチでもあなた達はマイペースである。

 

「あっ――」

 

 だが暫く経って光に慣れ、目をしぱしぱと瞬かせながら気安い様子で手を振ってくる師の姿を認めた途端、ゆんゆんの表情は安堵一色に染まり、次いでくしゃくしゃに歪んだ。

 

「よかっ、わたし、ひとりかと……わ、わ゛あ゛ぁ゛あああああああ――ッ!!!!」

 

 限界まで張り詰めた緊張の糸が切れたのか、恥も外聞も投げ捨てて、赤子の如きギャン泣きで突っ込んでくるゆんゆん。

 

「へぶっ!?」

『くっそうける』

 

 だが勢いのあまり足がもつれて転倒してしまい、ビダァン! と闇に正面衝突顔面ダイブ。

 地面の材質は不明だが、とりあえず硬くはあるので痛そうではある。

 

「う゛ー! う゛ー!!」

 

 手を差し伸べてもゆんゆんはぐずぐずと泣き続けていた。それどころか強くあなたの服の裾を掴んで離そうとしない始末。いつぞやの里帰りを思い出す姿で折角の可愛い顔が台無しである。これもある意味可愛くはあるのだが。

 弱音を吐いたり喚き散らしたり悪態をつく事は多々あっても、なんだかんだで芯の強い彼女がこうも弱いところを見せるというのは珍しい光景だが、不死王という圧倒的格上の手によって闇の中に一人放り出された事実が余程恐ろしく、心細かったのだろう。

 状況だけ見ると完全に死のカウントダウンが始まっていたので無理もない。彼女はまだ年齢十代前半の子供なのだ。

 しっかり者のゆんゆんの子供らしい部分が見られてほっこりした気分になったのもあり、妹のように情けないと笑ったり叱ったりする事を優しいあなたはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 終わりの見えない闇の中、あなたは光を宿すホーリーランスを片手に持ち、おっかなびっくりといった様子で付いてくるゆんゆんの手を引きながら歩き続ける。

 

「ウィズさん、大丈夫でしょうか……?」

 

 不安げなゆんゆんだが、今のウィズであれば問題は無いだろうとあなたは認識していた。

 廃人ブートキャンプが無ければ少しばかり危うかったかもしれないが。

 

「ところで今更なんですけど、どこに向かってるんですか?」

 

 気配と視線を感じる方角だとあなたは答えた。

 

「え゛」

 

 先ほどホーリーランスがあなた達の目を焼いたと同時、虚無の闇から突然気配が生まれたのをあなたは把握していた。

 そしてその何かは今もあなた達に意識を向けている。

 相手も気取られているのは理解している筈だが、一切のリアクションが無い。ゆえにこうして出向いている次第だ。

 

「だ、脱出とかはしないんですか……?」

 

 結論から言えばこの空間からの脱出自体は可能だ。

 その気になれば今この瞬間にでも出来るとあなたは認識していた。

 だがその場合、出口がどこになるのかが分からないという地味に致命的な問題がある。

 謁見の間に戻るならいいが、変な場所に飛ばされると困った事になりかねない。

 脱出手段が脳筋ゴリ押しなだけに尚更。

 

「あー……」

 

 暗中模索の道すがら、あなたはこういう時の対処法をレクチャーしていく。

 すなわち、ゴリ押しで突破するか救援を待つか閉鎖空間の起点を破壊するか。

 いずれにせよ落ち着いて冷静に行動することが重要だ。先ほどのゆんゆんのようにパニックに陥っては、助かるものも助からなくなってしまう。

 レベルは一人前に高くても、やはりこういった部分で彼女は経験の浅さが浮き彫りになってくる。

 ただ今回に関しては場所と状況と相手が悪すぎるという点を無視するべきではないだろう。どれだけ冷静に行動したところで死ぬ時は死ぬのだから。

 

「……」

 

 世間話のような気安さで生死について語るあなたに、ゆんゆんはその手を強く握る事で応えた。

 

 

 

 そうして、時間と距離の感覚がおかしくなる空間をどれだけ歩き続けただろうか。

 長かった気もするし、短かった気もする。

 兎にも角にも、あなた達は目的の場所に辿り着いた。

 

「来たか。待ちくたびれたぞ」

 

 闇の中から揶揄するような笑い声が聞こえてくる。

 およそ人の発するものではないと分かる、聞くだけで呪われそうな低くざらついた耳障りな声が。

 輝きを増した聖槍に照らされ、常闇の住人がその姿を光の下に晒す。

 

「黒い、竜……」

 

 それは、漆黒の竜だった。

 相手は蹲っているが、それでも見上げる必要があるほどの巨躯の持ち主。

 

 竜はとても、とても愉しそうにあなた達を見下ろしている。

 その紅の瞳から滲むのは、猫が鼠を嬲り殺しにするような嗜虐の色。

 ゆんゆんはその不気味な圧力に耐えかねたのか、そっとあなたの背中に隠れた。

 

「アレが此処に何かを落とすのは随分と久しぶりだ。歓迎しよう、ご覧の通り闇以外に何も無い場所ではあるがな」

 

 互いに初対面の間柄だが、あなたとゆんゆんはその竜を知っていた。

 千年王国の英雄譚で、演劇で、歴史書で語られる黄金姫の最大にして最強の宿敵。

 地獄の名を冠する悪しき黒竜の王、ゲヘナ。

 

「如何にも」

 

 あなたの呼びかけに竜は泰然と頷いた。

 血戦の果て、黄金姫とその仲間達によって討滅されたという話だったが、邪竜は確かに此処にいる。

 全ては伝説に過ぎず、実は密かに生きていたという事なのだろうか。

 

「否、確かに我は疑いの余地無く滅び、殺された。愛しき怨敵とその仲間達の手によってな」

 

 だが、と続ける。

 つまらない余興を見るように、嘆息しながら。

 

「どこかの愚か極まる馬鹿が考えたのだ。化物と戦うのは化物が相応しいと」

 

 千年の果て、不死王と化し世界の敵となった黄金姫。

 世界を巻き込んだ戦乱の中、どこかの誰かが考えた。

 不死王の最大の敵である邪竜を地獄から蘇らせてぶつけようと。

 当然の帰結として、作戦は見事に失敗した。

 そもそもゲヘナに戦う意欲が無かったのだ。

 

「いかなる形であれ、我は敗北し、滅びを受け入れた。再戦の機会を与えられたところで応じるはずが無かろう」

 

 竜は比類なき邪悪であったが、確かな矜持を持っていた。

 自死を封じられた竜は、千年の時を越えて相まみえた不死王に、再度の死を与えるように告げたのだという。

 

「だがアレは我を殺さなかった。殺さず闇の檻に封じた。我がどこにも行かぬように。我が此処から出るのは我の魂が朽ちて滅びる時だ。それがいつになるかは分からんがな」

 

 あなたの直感が囁く。

 不死王が邪竜を殺さなかった理由。

 そこに不死王と化した理由があるのだと。

 

「故にこうして永遠に闇にまどろみ、たまに訪れるアレの無聊を慰めるだけの無様な姿を晒している。笑えるであろう?」

 

 くつくつと自嘲するゲヘナの話を聞いたあなたはこう思った。

 殺そう、と。

 

 土は土に。

 灰は灰に。

 塵は塵に。

 

 死は必ずしも終わりを意味しない。

 アンデッドすらあなたにとっては生者と何ら変わりない。

 

 だが望まぬ生など苦痛であり、地獄でしかない。

 埋まることを選んだ者を無理矢理這い上がらせるべきではないのだ。

 

 だから殺す。終わらせる。

 あなたはそれが救いになると信じている。

 それだけが救いになると知っている。

 

 人はそれを介錯と呼ぶ。

 

 話を聞き終えたあなたは聖槍を松明のように地面に突き刺し、愛剣を抜いた。

 ウィズのような純然たる慈悲、葬送の意思の下に解き放たれるはエーテルの魔剣。

 だが出力される結果は慈悲とは清々しいほどに真逆。

 血と死に彩られた星の力が蒼い殺意という形で闇を侵食し、純黒の空間を塗り潰していく。

 ホーリーランスのように闇を祓うなどとは口が避けても言えない、毒を更なる猛毒で上書きするような呪われた忌むべき力。

 ならばそんな力を平然と振るう人間とは如何なる者なのか。

 

「ほう、闘争を望むか。結末など最初から分かりきっているが……それもまた良かろう」

 

 あなたの意思を感じ取り、地獄の名を冠する竜は静かに立ち上がった。不死王以外の相手に大人しく首を差し出すつもりは無いらしい。

 同時に周囲に生まれる無数の気配。

 竜の支配者であるゲヘナの権能で闇から竜が発生した事を知覚したあなたは、まるで終末狩りのようだと小さく笑う。

 こんな場所まで来て終末狩りとはつくづく業が深いと。

 

「我が名はゲヘナ。かつて在りし、竜を束ねしもの。星の力を振るうおぞましき屠竜の剣士よ、我が名と業をその記憶に刻むがよい――!」

 

 悪夢にも等しい、閉ざされた深き黒の澱にて。

 漆黒の邪悪がその巨大な両翼を広げ、光届かぬ天に向かって高らかに咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 三分。

 吹き荒れる破壊の嵐によって、数多の魔法で守護された、豪奢にして荘厳な謁見の間が廃墟と化すのに要した時間。

 十分。

 互いに底を見せない二人の不死王が小手調べのような戦いを一区切りさせるまでの時間。

 

 感情の読み取れない瞳で自身を見据えるウィズに対し、アーデルハイドは感嘆の声を発した。

 

「やはり強い。今まで私が出会ってきた誰よりも、何よりも抜きん出ている」

「お褒めに与り光栄です、とでも言っておきましょうか」

「人間だった頃はさぞ名のある英雄だったと見たが、どうだろうか」

「ご想像にお任せします」

 

 余人が巻き込まれれば瞬時に塵と化す戦いを繰り広げておきながら、両者共にいまだ無傷。

 一息ついた不死王達は奇しくも同一の見解に至る。

 すなわち、このまま戦った場合の勝敗について。

 

 アーデルハイドの戦士としての分類は魔法剣士。

 器用貧乏などではなく、本物のオールマイティー。

 剣と杖の二刀流で遠近物魔において完璧に戦う姿にウィズはパートナーの姿を幻視する。

 

「分かってはいたが、やはり紙一重と呼ぶには足りない程度の差で圧されているな。このまま戦士として戦えば負けるのは私だろう。素直に認めるが勝てる気がしない」

 

 このままであれば百戦やって百戦勝てる。

 それがウィズの出した結論だ。

 純粋に個人の力量だけ見ると百戦やって五十五勝てるかどうかといった具合。

 だが勝てる。どこぞの廃人のせいで徹底的に万能型への対策が出来てしまっている。それが分かる。

 互角に見えて、しかし既に詰んでいる。

 初めて経験する、不思議な感覚だった。

 

「いやはや、全く恐れ入る」

 

 久しぶりに思い切り体を動かして楽しかったと笑う女は自身の劣勢を認め、混じりけ無しの賞賛を送った。

 再び玉座に腰掛けながら。

 

「では体も温まってきた事だし、ここからは一人の戦士ではなく、不死王としてお相手しよう」

 

 踊る白い指先が死を描く。

 思うが侭に魂を手繰り、安寧を奪い、尊厳を侵す。

 

「とりあえず百から始めてみようか」

 

 闇から生じるは亡霊の軍勢。

 王を守護する無貌はいずれ劣らぬ一騎当千の英傑揃い。

 無残に朽ち果てた栄光の残骸が、不死王の走狗が魔女に立ちはだかる。

 

「ブラックロータス、一番起動」

 

 対する魔女は手中に生み出した黒蓮の花を静かに握り潰した。

 発生した暴力的な余剰魔力を使い、全能力を強制的にブースト。

 激情すらも凍て付かせ、死の波濤を迎え撃つ。

 

 だが、黄金の不死王と氷の魔女が今まさに激突しようとしたその時。

 どこからか謁見の間に巨大な何かが落下してきた。

 超質量がもたらす衝撃によって荒れ果てた城内は完全に崩壊。

 

「げほっげほっ、一体何が……」

 

 舞い上がる土煙の中、ウィズは見た。

 巨大な黒い竜の姿を。

 

「あれは、まさか……」

 

 傷一つ無い、しかし今にも死んでしまいそうなほどに存在感が希薄な竜の名前を知っている。

 少しずつ雄大な体が崩れゆく、その雄雄しき姿を知っている。

 アーデルハイドが今にも泣き出しそうな諦観の笑みを浮かべ、そっと優しく体に触れた相手を知っている。

 

「ゲヘナ……そうか、遂にお前も逝くか」

「…………」

「柄にもなく別れの挨拶にでも来てくれたのか?」

 

「――悲しい」

 

 黒竜が静かに口を開いた。

 溜息を吐きながら。

 

「悲しいな。嗚呼、悲しいとは、憐憫とは、こういう感情なのか」

 

 邪悪に満ちた声に、空気が凍った。

 

「聞いているのか? 貴様に言っておるのだぞ、我が愛しき宿敵よ。こうして直接顔を突き合わせるのは幾年ぶりか。今の貴様の姿はかつて再会した時と比してすらあまりにも醜く、哀れだ」

 

 黄金の不死王を嘲笑する漆黒の邪竜。

 その声は侮蔑と冷笑の意を隠そうともしていない。

 

「貴様ともあろうものがあれほどの者を見過ごしたのか? 今の我であっても一目で理解出来たのだぞ。まだ若かりし頃。我を討った時期の貴様であれば間違いなく斯様な無様は晒しているまいに。諦観という自慰に耽る悦楽はそんなにも甘美なものだったのか? 最早人界に己に並ぶもの無しと驕ったか? あの全てを見通していた眼はどこに落としてしまったのだ? 玉座の牢獄は、どんな財宝よりも美しく輝いていた貴様の魂をどれだけ腐らせた?」

 

 朗々と紡がれる言葉はどこまでも悪意に満ちており、迂遠なもの。

 

「……貴様は何を言っている?」

「こと此処に至って我の意すら汲み取れぬ愚鈍さには最早憐れみすら覚える。やはり貴様は決定的に誤った。我が怨敵、かつての偉大な賢者にして比類なき英雄よ。黄金の勇者姫よ。貴様は人として生き、人の枠を外れる事無く、誰からも愛され、涙を流して惜しまれながら、それでも人として死ぬべきだったのだ」

「今更貴様に言われるまでもない。そんな事は私自身が一番理解している」

 

 アーデルハイドはウィズに目をやり、言った。

 まるで少女のように、声を弾ませて。

 

「だが見ろ、私を終わらせる者が現れたんだ。私に救いを与えてくれる女性だ。ずっとずっと、私が待ち続けていた人だ」

 

 だがゲヘナは油断無く自身を見据えるウィズを一瞥し、嘆息する。

 

「確かに強い。心胆寒からしめる戦士である事は認めよう。だがまだ足りない。貴様には届かない。個人としてはともかく、不死王としての格に隔たりがありすぎる。それは致命的な差であり、同時に今日明日で超えられる壁ではあるまい」

「まあ、確かにそうだ。認める。それでもようやく訪れた機会だ。お互い気長にやるつもりだよ」

「安心しろ。その必要は無い。悠久の果て、約束の日が遂に訪れたのだから」

 

 宿敵の言葉に、アーデルハイドは意味が分からないと眉を顰め、ウィズは死にゆくゲヘナが誰と出会い、戦ったのかを知った。

 

「アレは英雄と呼ぶにはおぞましく、勇者と呼ぶには壊れすぎている。アレは正義も大義も持たず、ただ純粋に闘争を求める狂った殺戮の化身だ。……それでも貴様が誰より何より待ち焦がれていたものが、我らに全き死を運ぶ執行者が現れたのだ」

 

 嗤いながら朽ち逝く竜の言葉に誘われるかのように。

 ただただ静かに。

 気配も、音も、前触れも無く。

 何も無い空間から……つい先ほど、二人の人間が闇に呑まれ消え去った場所から、血に染まった蒼色の刀身が生えた。

 

「そら、来たぞ」

 

 燐光を放つ大剣は、ゆっくりと上から下に進み、空間を断裁する事で小さな隙間、あるいは亀裂を作り出す。

 

「蒙昧にして哀れなりしアーデルハイドよ。今ひとたび剣を取れ。覚悟を決めろ。児戯ではない、真実の闘争の時だ」

 

 最早首だけとなったゲヘナは離別の言葉を遺す。

 思い残す事が無いように。

 

「明けぬ夜が無いように、覚めぬ夢が無いように。貴様の永き悪夢もここいらが覚め時であろうよ……三度目は無いといいな、お互いに」

 

 悪意も害意も無く。

 ただただ相手を労うかのような穏やかな声を最期に、太古の魔竜は塵と消えた。

 

「…………」

 

 永き時を共にした宿敵の最期とその理解不能な遺言に呆然とした姿を隠そうともしないアーデルハイド。

 

 亀裂に罅が入り、闇の奥底から風が吹く。

 むせかえるほどの血臭に染まった、嵐の如き暴風が竜の遺塵を儚く散らす。

 崩壊した謁見の間に、不吉と呪詛に満ちた凶兆たる星の力が、幻想的な死色の蒼い風が――エーテルの風が満ちていく。

 

 程なくして、空間に開いた亀裂は音も無く砕け散った。

 亀裂のあった場所に降り立つのは一人の人間。

 古の邪竜を完殺し冥府の底に叩き返した男が、ぐったりと気絶した黒髪の少女を姫のように優しく抱きかかえ、竜血に染まった魔剣を携えて。

 

 一度は闇の底に落とされた招かれざるものが。

 女神に誘われし異界の剣士が。

 ノースティリスの冒険者が。

 不遜にも不死王達の舞台に躍り出る。

 人ならざる者の領域に。

 人ならざる者の戦場に。

 

 ウィズは己が絶大な信頼を寄せるパートナーに言葉をかけようとして、しかし二の足を踏んだ。

 体にいくつかの真新しい傷を作った男の表情と雰囲気が、ウィズをして息を呑むほどに物騒極まりないものだったから。

 触れれば……いや、近づくどころか下手をすれば視界に入っただけで斬られかねないと、そう感じた。

 その冷徹さから氷の魔女と呼ばれたウィズに対し、剣の魔人という呼称が当てはまりそうなほどに鋭利な気配。

 

 ウィズの知る男は、喜怒哀楽の感情のうち、怒と哀を滅多に見せない。

 これは決して男が優しいとか器が大きいとかいう事を意味するわけではなく、色々と経験しすぎているせいで、大抵の事では負の感情を抱かないというだけである。閾値が高いのだ。無駄に。

 そんな人間が怒っていた。それもウィズが一目で分かるくらい、明確に。

 仲間が危険に晒されたからだろうか、と考えるも、それは違う気がした。

 

「…………」

 

 呆けた表情のアーデルハイドは、つい先ほど二人に放った、永久の闇に落とす魔法を再び行使した。

 だがそれはもう見たとばかりに無造作に切り払われる。

 次いで強制転移を仕掛けるも、弾かれて無効化。

 足元に穴を作る事による物理的落下に至っては、ダンと床を強めに踏むだけで能力を潰された。

 

 自身の領域の中枢という圧倒的優位な場でありながら、排除が出来ない。

 

 亡羊としていた黄金の不死王は、ここでようやく、そして初めて男の存在を明確に意識した。

 意識して、認識して、観察して、理解した。

 自分の前に立つものは、自分を屠る事が出来るのだと。

 ゲヘナの言葉通り、自分達を滅ぼす事が出来るものが、自分が何より誰より待ち望んでいたものが、幾千の時の果て、此処に現れたのだと。

 

「――クヒッ」

 

 絶えず思考を苛んでいた頭の霧が晴れる。

 剣を持つ手に力が篭る。

 血の気が失せた口元が歪な弧を描く。

 

「ククッ、ハハハ、アハハハハハハハハハハッ!!」

 

 感情が振り切れたが如き大笑。

 憂いと諦観と怠惰に支配されていた不死王が玉座から立ち上がった。

 全身から滲み出ていた汚泥の如き負念が一瞬で霧消し、黄金の瞳に、魂に、焔が灯る。

 爛々と、轟々と。

 

「失礼! これは失礼した! 冒険者殿は羽虫ではなく賓客であったか!」

 

 この世界で最初に魔王と呼ばれた女に、激情という名の狂気が、亡失して久しい覇気が宿る。

 

「どうか許されよ! 私とした事がとんだ無礼を働いてしまった! 全く年は取りたくないものだな! ゲヘナに返す言葉も無い!」

 

 猛り笑い、高らかに謳い上げる孤高の王。

 

「教えてくれ強き人! そして私に刻んでくれないか、あなたの名を!!」

 

 常人であれば容易く心が折れ、膝をつき、魂から屈服するであろう黄金の覇王の絶大な重圧と無上の歓呼を一身に浴びた男は、しかし不快げに目を細めるばかり。

 そうして何か言葉を返すでもなく、一足で不死王の眼前まで移動し、勢いのまま、世界中のどんな芸術品よりも尊く美麗な顔面に拳を叩き込んだ。

 ウィズは剣は使わないんですね、と思ったが、純物理攻撃に無敵なリッチーに対してガッツリ魔力を込めているあたり、抜かりも加減もあったものではない。

 そうして拳に込められた全ての力と衝撃を真正面から食らった不死王の頭部は、血肉の一片すら残さず消し飛んだ。遅れること一拍。軽い破裂音だけを場に残して。

 首から断続的に血を噴き出す女王と宙を乱れ飛ぶ金の髪は、血の惨劇以外に形容する術が無い。

 

 数秒の間を置いて足元に崩れ落ちたリッチーを冷え切った瞳で見下ろしながら、男は淡々と自身の名を名乗る。

 

 完全に相手に喧嘩を売りに行っていた。自分達は初対面だが既にお前の事が嫌いだとばかりに。

 正々堂々、議論や疑問を挟む余地など無いほどに真正面から。

 空気を読む気が欠片も無いを通りこして空気を読む能力と情緒が搭載されていないと誰もが認めるであろう凶行。

 静寂に支配された謁見の間、右手にこびりついた諸々を掃う廃人の無表情と濁った瞳からはいかなる感情も読み取る事が出来ない。

 

「登場シーンは思わず見惚れちゃうくらいかっこよかったんですけどね……最高に勇者とか英雄然としてて……」

 

 悟りきったウィズは眼前の光景を受け入れる。

 無二の信頼を置くパートナーの死生観がこの世界の基準に照らし合わせるとあまりにも常軌を逸している事、そして他ならぬウィズ自身とガチンコで命のやり取りをしたがっている事を知る彼女は、痙攣を繰り返す頭部が消失した美女の死体に自分もいつかこんなスプラッター極まる姿になるのだろうかと涙目になりかけたが、約30倍濃縮(一ヶ月間)の特訓の中で数えるのも億劫になるほど半死半生を通り越した崖っぷちのボロ雑巾にされている時点であまりにも今更だった事に気付くと、六連流星というノーコスト超威力出し得脳死ぶっぱ連打が大安定なパワーバランス完全崩壊、この世の悪徳という悪徳を余さず放り込んで煮詰めたとしか思えない必殺技に私怨を燃やしながら、無造作に地面に放り投げられたゆんゆんの介抱を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 廃人ぱんち!

 あなたの光って唸って真っ赤に燃える正義と自由と平和の拳が邪悪な不死王の頭部を爆砕した。

 精神の均衡がノースティリス側に傾いた今のあなたは、息をするように流血沙汰を起こすし自分ルールを平然と他者に押し付ける。これもほんの軽い挨拶代わりでありノースティリス的コミュニケーションの一種だ。

 どうせこの程度で死ぬわけがないと理解しているので、あなたが致死性の暴力を振るう事に躊躇を覚える筈もない。

 

 近年はとんとご無沙汰だが、あなたはイルヴァの著名人および王侯貴族の剥製目当てに世界各地を行幸して同様の行為に励んでいた時期がある。当然ながら滅茶苦茶国際指名手配されたがとっくに時効なので現在のあなたは綺麗な身空だ。何も問題は無い。だいぶ時間も経って新顔の著名人も増えた頃合なので、気が向いたらまたそのうち襲撃する予定だったりする。

 

 さて、手の平大回転を決めるリッチーの光輝の美貌を、ごちゃごちゃうるせー! 死ねオラー! そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!! みたいな極めて雑なノリと勢いでミンチよりひでぇ有様にしたあなたは、非常に珍しい事に素でお冠であった。ぷんすこぷんといった具合に。

 あなたは三千世界に並び立つもの無き唯一無二の至高至極至尊神である癒しの女神の寵愛を賜るに相応しい、慈悲と寛容と友愛を旨とする温和で理知的で模範的なノースティリスの冒険者だ。

 間違っても短気だったり血の気が多い野蛮人ではないし、不意打ちそのものについてとやかく騒ぐ気も無い。それどころかあの程度で死ぬ方が悪いと考えてすらいる。

 

 だがそれはそれとして、ゲヘナの扱いについては大いに物申したい気分だった。

 あなたは自他共に認めるペット愛好家である。

 そんなあなたの価値観に照らし合わせると、あれはペットに食事も与えずサンドバッグに吊るしたまま放置するという鬼畜外道の所業に等しい。

 そういうのは普通に良くないし許される事ではないとあなたは認識している。あまりにもペットが可哀想だと。サンドバッグに吊るしたのなら殴ってやれという話だ。耐久力が上がる。

 ペットの面倒を見る事、特に食事の世話なんてものは主人として最低限のマナー、常識以前の問題。イルヴァだろうと異世界だろうとそこに変わりは無いし、それすら出来ないのであれば最初からペットなど飼うべきではない。せめてベルディアのように放し飼いにしておくべきである。

 

 ――ナチュラルに俺の扱いを放し飼いって表現するの止めろ。マジで止めろ。あとペット愛好家を自称するくせに平然と他人のペットをぶち殺した件についてどう思ってるのか問いたい。問い詰めたい。

 

 あなたの脳内ベルディアもそうだそうだと言っている。

 正義はどこまでもあなたにあるのだと肯定してくれている。

 ちなみに脳内ベルディアは身長30cmほどで二頭身の可愛らしいデフォルメ体型である。饅頭のような丸顔の持ち主であり、頭が取れると一頭身になる。名称はゆっくりベルディア。

 今日も今日とてバリ3絶好調な毒電波はさておき、ペットの力強い声援を受けたあなたは百万の味方を得た心地だった。

 

 ――ねえ聞いて? 頼むから自己完結しないで? 満足そうに笑ってないで俺と意思疎通して? ほんとそういうとこだぞ。

 

 弱い者から狙うのは常道だろうと徹底的に狙われたゆんゆんを庇ったのが主な原因とはいえ、ゲヘナはあなたに傷を与えられる程度に強い竜だったので、憤りも尚更である。

 ついでに先制攻撃を受けたので、あなたはここぞとばかりに断罪の廃人ぱんちをお見舞いした次第だ。

 一発は一発。完全なる正当防衛であり報復であり教育的指導であるとあなたは誰憚る事無く主張するだろう。

 言うまでもないが、あなたは攻撃を受けた理由、つまり自分とゆんゆんが招かれざる客であるという揺るがぬ事実は一切の躊躇無く三段式の棚にぶち上げている。

 

 一発ぶん殴ったしあとは懇々と説教をするだけ。ペットだいじに。

 そう思っていたあなたの血塗れの手を、勢いよく起き上がった頭の無い女が両手で強く握り締める。

 取るに足らない下等生物に噛み付かれて激昂したかと思いきや、攻撃の意思は感じられない。

 血塗れになった血の通わぬ冷え切った手をすげなく振り払うあなたに対し、頭部を復元するやいなや、不死王は世紀の世迷言を吐いた。

 

「ははっ、あはははっ! 強いし痛い! 痛いな! ちょっとびっくりするほど痛い! 痛みなんて何年ぶりだろう! 貴方は本当に私を殺せるのか! 大好き! 結婚してくださぁ!?」

 

 情事の最中かと見紛う荒い吐息と上気した頬は匂い立つほどの色気で満ちており、本来の煌きを取り戻した宝石のような瞳は見る者を引き込んで止まない。

 だがいかんせんダクネスが憑依したかの如き発言で何もかも台無しだ。あなたはこんなにも心に響かない求婚を久しぶりに受けた。

 チキチキしたいしチキチキされたい、とか毎日おはようとおやすみの歌を聞いてほしい、といい勝負である。それぞれ誰の発言であるのかはあえて明記しない。

 宗教上の理由とかそれ以前の問題だったので比較的ノーマルな感性の持ち主であるあなたは普通にやんわりとお断りしている。間違いなく今回もそうするだろう。普通にドン引きだった。

 

 さて、そんなある意味では偉業を成し遂げた不死の女王。

 廃人ぱんちの衝撃で頭のネジが抜け落ちたか、あるいは余程打ち所が悪かったのか。

 あまりにも正視に堪えない姿にあなたが目を逸らそうとした瞬間、いつの間にか不死王の脳天ど真ん中に氷のナイフが突き刺さっていた。具体的には「結婚してくださぁ!?」の「さぁ!?」の部分で。

 突き刺さった、ではない。

 まるで過程を吹き飛ばし、対象に命中したという結果だけが世界に現出したかの如く、あなたが気付いた時には既に突き刺さっていたのだ。瞬きすらしていないというのに。いっそ額からナイフが生えてきたと表現した方が近しいかもしれない。

 再生した不死王の頭部はナイフによって内側から無数の氷柱を生やすという形でグチャグチャになった挙句瞬時に凍結し、次いでミキサーにかけられたかのごとく風刃で切り刻まれ、最終的にガラスを地面に叩き付けたような音を立てて砕け散った後爆発した。

 殺し方が執拗かつ無駄にグロテスクだった。見た目のエグさという意味では廃人ぱんちとどっこいどっこいである。

 煌くダイヤモンドダストと再び地面に転がる首無し死体がコントラストになっていて実に映えているとあなたは感じた。一体何がどうコントラストなのかはよく分かっていない。

 

 音も気配も無い、あなたですら全く気取れなかった完全なる無音暗殺術。 

 少し殺意が高すぎるのではとあなたが下手人を見やるも、当人は何でもない事のように気を失ったゆんゆんを介抱していた。

 

「錯乱していたので、少し頭を冷やしてもらった方がいいかなあと思いました。あとなんか死にたいとか言っていたので」

 

 返ってきたのはどこまでも冷徹で、淡々とした声。

 これまでの付き合いと経験からあなたは知っていた。氷の魔女と呼ぶに相応しいその姿は、ウィズがかなり怒っている時のそれだと。つまり本気で怒っているわけではいない。7割といったところだろうか。

 体感にして一ヶ月間にも及ぶ血みどろブートキャンプ中、あんまりボコボコにされるので何回か逆ギレした時のウィズもこんな具合だった。

 ウィズの力とやる気を引き出す為、あなたが心を痛めながら泣く泣く彼女の好感度と引き換えに友人達と散々磨きあった各種煽りスキルと害悪戦法をここぞとばかりに満面の笑顔で嬉々として披露した事は関係が無い。多分きっと恐らくあまり関係が無いといいなあとあなたは思っている。

 死者を弄んだり無辜の非戦闘員を殺害してウィズの逆鱗を秒間十六連打した時ほどの怒りではないが、それでも普段優しい人が怒ると怖いのは、いつの世もどこの世界でも同じなのだろう。

 

 

 

 

 

 

「すまない、随分と見苦しい姿を見せてしまった」

「本当ですよ。本当に本当ですよ」

 

 苦笑いを浮かべるのは別人格を疑うほどに雰囲気が柔らかくなった不死王。

 王ではなく個人として振舞う彼女はこういう人間らしい。

 アーデルハイドと名乗った美姫に対して辛辣に吐き捨てるウィズの目はあまりにも冷たかった。こちらも別人格を疑いたくなる。

 不死王イコール多重人格者説。愚にも付かない考察を頭の中でぶちあげるあなたに、アーデルハイドは微笑みながら口を開いた。

 

「彼女にはもう話をしたのだが、あなた達に頼みがあるんだ。依頼と言い換えてもいい」

 

 そうしてなんでもない事のように語られたのは、無駄にスケールの大きな自殺願望だ。

 生きるのには飽きたが自殺する気は起きない。

 だって自分は、自分の国は、封印こそされども負けたわけではないのだから。

 故に死ぬのであれば、自身と従えた総軍で全身全霊をもって戦い、その上で力及ばず討ち滅ぼされるという形が望ましい。

 

 この世界の住人であればうるせえ黙れクソバカメンヘラ女死にたきゃ一人で勝手に死ね他人を巻き込むなと口汚く罵るであろう、すこぶる身勝手で傍迷惑な話を聞いたあなたはしかしこれを快諾した。

 あなたがこの手の輩に出会ったのはこれが初めてではないし、戦いの果ての死を望む者を終わらせた(埋めた)回数も片手では利かない。

 とはいえ、あなた達が相手のワガママに付き合う義理も道理も無い。この場で本人を仕留めるのが最も手っ取り早く、そして正しい。

 それを覆すというのであれば、相応の代価が必要になる。

 

 つまるところ、あなたは言う事を聞かせたいのならなんか良い物寄越せとチンピラよろしく強請り集りに走ったのだ。冒険者として当然の権利を行使したともいえる。

 そしてアーデルハイドはそれに見事応えてみせた。

 相手が提示した依頼報酬にあなたはホイホイと釣られた。物凄い勢いで釣られた。それはもう前のめりすぎてウィズに若干白い目で見られてしまったほどだ。しかしウィズも報酬を聞いて目の色を変えていたのであなたを非難する資格は無い。

 

 千年王国の所有権。

 

 これがアーデルハイドに勝利した際に得られる報酬だ。

 仮にも国を相手取って戦うのだから、勝てばその国を得るのは当然の権利。

 そのような理屈らしい。

 具体的には人、土地、物のうち、土地と物の全てがあなた達のものになる。それも封印されて持ち運び可能な状態を維持したままで。

 人、つまり亡霊達は眷属扱いなので支配者であるアーデルハイドの消滅と同時に消失してしまう。

 昇天でないのは、無貌となるほどに磨耗した魂では天界に辿り着けず、そのまま世界に溶けてしまうから。

 アーデルハイド曰くそれでも世界の霊的リソースは著しく回復するだろうとの事だが、異世界人であるあなたはその手の話題に一切興味が無いのでどうでもよかった。

 ただ百万単位の霊魂が女神エリスをはじめとする転生を担当する神々にデスマーチを超えたデスマーチを強いる事は無さそうである。

 

 つまるところ、勝てばポケットハウスとシェルターを足して更に規模を国家レベルにした空間が手に入るというわけだ。

 千年王国の財宝、技術、文献、その他諸々があなた達の所有物になるのだから、人生のゴールが見えたなどという言葉ではとても足りない。

 蒐集家であるあなたをして100%確実に持て余すであろう、規格外にも程がある有形無形の財産。国内の探索だけで何年必要になるのか想像もつかない。

 ウィズの非常に物言いたげな視線を受けながら、物欲に支配されたあなたが正々堂々互いに全力を賭しルールとマナーを守って楽しく戦争しようと爽やかにアーデルハイドと握手を交わしたのも至極当然といえるだろう。

 

 ちなみに満足死しなかった場合は所有権を放棄しないので普通に丸ごと滅んで消えると脅された。つくづく横暴極まるリッチーである。

 

 

 

 

 

 

「……なるほど、状況は理解できました」

 

 謁見の間を辞したあなた達は、一夜を王城の中で過ごす事になった。

 相手の懐で休むなど正気を疑われそうだが、そもそも千年王国全域がアーデルハイドの庭である以上今更である。

 そうして宛がわれた貴賓室で、意識を取り戻したゆんゆんにあらためて現状の説明を行った。

 

 不死王の顔面に拳を叩き込んで赤い花を咲かせたら好感度が青天井になった事。

 あなたとウィズが不死王率いる千年王国とガチンコで戦争をする破目に陥ってしまった事。

 戦場は封印された国の中ではなく、地上、つまり竜の谷第四層全域である事。

 敵の規模は不明だが、それなりの長期戦が予想される上にあなたも派手に暴れるつもりな事。

 勝利報酬は三人で山分けにする予定なので安心してほしい事。

 

「理解できたんですけどすみません。どこからツッコミを入れればいいんですか? とりあえず報酬は絶対に受け取りませんなんでそういう事するんですか嫌がらせですか本当に止めてください耐えられません死にます心が」

 

 説明を受けたゆんゆんは真顔でこう言った。

 

「あと戦う事は止めないというか止められるわけもないんですけど、私はどうすれば? 自慢じゃないですけど何の役にも立ちませんよ、本気で。肉壁にもなれないっていうか」

 

 ゆんゆんの扱いについてはあなたとウィズも大いに頭を悩まされた。

 共に戦わせるのは論外として、避難させるにしても避難先をどうするのかという話である。

 戦火に焼かれないとはいえ千年王国に置いていくのは本人も嫌だろうし、あなた達としても不安が残りすぎる。

 シェルターに突っ込む。モビーを出して第三層に避難させる。結界で保護する。

 他にも様々な案を考えたが、どれもこれも何かしらの不安要素を抱えてしまっており、結局は最終手段を選ぶ事になった。

 あなたとしては非常に気が進まなかったが、背に腹は代えられない。

 成功する可能性そのものは非常に高く、それでいてゆんゆんの安全という一点においてこれは最たるものになるだろう。

 

「まさかとは思いますが一回私を殺しておいて戦いが終わったら生き返らせるとか言いませんよね」

 

 これっぽっちも頭に浮かばなかったといえば嘘になるが、死ぬと漏れなくアーデルハイドに魂を握られるというのがあなた達の見解なので流石に選べない。

 ウィズ的にも却下だろう。

 あなたの案はもっと人倫に則った極めて人道的なものだ。

 

「本当かなあ……ウィズさん、本当ですか?」

「すみません、正直人道的かどうかは私もちょっと自信が無いです」

「ですよねー」

「でも一番安全な案なのは間違いないです。一応ですけど前例もありますし」

「あ、前例あるんですか。まあそうじゃなかったらそもそもウィズさんが反対してますよね。……してますよね?」

 

 ゆんゆんを放置する事、目を離して戦うのは不安がありすぎる。

 なら手元に置いておけばそれが一番安全。そういう考えである。

 

「…………うん?」

 

 あなたが取り出したのは神器モンスターボール。

 テーブルに置かれたそれを見て、ゆんゆんはぱちくりと瞳を瞬かせ、ウィズはそっと目を逸らした。

 

「これってモビーさんが入ってる道具、というか神器ですよね? 確かモンスターボールとかいう名前の」

 

 これはエルフの国であるカイラムで譲り受けた物なので、中にモビーは入っていない。空っぽのモンスターボールだ。

 ゆんゆんにはこの中に入ってもらう。そして戦闘中は四次元ポケットにでも突っ込んでおけば限りなく絶対的な安全が保障されるというわけだ。

 ちなみにウィズの言う前例とはベルディアの事である。

 言うまでもないが、あなたはゆんゆんをベルディアのように本格的なペットにする気は毛頭無い。戦いが終わったら即座に神器から解放する。あくまでも安全第一を考慮した一時的な処置だ。

 

 モンスターボールは捕獲対象に擬似的な不死を与える神器。

 確かにこれを利用すれば、ゆんゆんを死に慣れさせる事も出来るだろう。

 だが彼女はあなたにとって特別ではない、しかしたった一人の普通の友人。

 命を守るためとはいえ、あなたは友人を捕まえて一時的にでもペットにする事に対して強い忌避感を覚えていた。

 今回はゆんゆんの命の為に苦渋の決断を下すが、ベルディアがやっているような、モンスターボールを利用してのデスマーチは絶対に行わない。

 これはあなたの譲れない一線でありポリシーである。

 

「本音を言ってもいいですか?」

 

 少女の問いにあなたは頷いた。

 

「思ってたより百倍はマトモな手段が出てきてびっくりしてます」

「ゆんゆんさん、落ち着いて聞いてくださいね。嘘こそ言ってはいないですが決してマトモな手段ではないです」

「えっ」

 

 本人の同意が得られたので、あなたは立ち上がって剣を抜いた。嫌な事はさっさと終わらせてしまおう。

 愛剣は使えないのでロングソードSSの出番だ。

 

「ちょいちょいちょいちょーい!! なんで武器抜くんですか!? どう考えても今そういう流れじゃなくなかったですか!?」

 

 泡を食ったように慌てる理解の乏しい少女にあなたは優しく説明する。

 あなたは神器に認められた正規の所有者ではない。ベルディアが使用中のイレギュラー品だけは十全だが、このモンスターボールも性能が劣化してしまっている。

 そして劣化したモンスターボールを使用して相手を捕獲するのに必要な条件は二つ。

 

 使用者が捕獲対象をぶちのめす事。

 捕獲対象の同意を得る事。

 

「……つまり?」

 

 ゆんゆんが身の安全を確保したければ、必然的にみねうちでしばき倒される必要がある。

 

「…………人道的?」

 

 みねうちなので命に別状は無い。

 少女を安心させるため、あなたは力強く断言した。

 

 十秒後、部屋中に鈍い音と悲鳴が響き、一人の少女がノースティリスの冒険者の仮仲間(ペット)になった。

 

 

 

 

 

 

 これは、あなたとゆんゆんがアクセルから旅立って少し経ったある日の話である。

 暇を持て余したベルディアは居間で一冊の本を読んでいた。

 

「ベルディアさん、何を読んでるんですか?」

「古今東西神器図鑑。なんかご主人の部屋にあったから借りてきた。結構色々書かれてて面白いぞ」

 

 同居人から手渡された本をウィズはパラパラとめくる。

 

「ダーインスレイヴ、エクスカリバー、アイギス、イージス。流石に有名どころは記述が多いですね」

「そこらへんは世の中に出てきた回数も多いしな。俺が戦った事のある神器もだいぶ載ってたぞ」

「あ、正宗。ユキノリさんが使ってたやつも載ってるんですね。懐かしいなあ」

「誰だよユキノリ」

「昔の私のパーティーメンバーです。ユニークジョブのサムライに就いていて、ベルディアさんとも戦いましたよ」

「お前の印象が強すぎて他の連中全然覚えてねーな……」

 

 二人の魔王軍関係者が会話に花を咲かせる中、一つの神器が目に止まった。

 紅白の球体である神器モンスターボール。

 二人にとっても非常に縁が深い神器である。

 

「これがベルディアさんの命を繋いでいるんですよね」

「無理矢理生かされ続けてると言えなくもないんだが、まあそうだな。アンデッドが命を繋ぐだの生かされてるだの表現するのもおかしな話だが」

 

 擬似的な不死を与える神器。

 転生者に与えられる特典の中でも最上位の一角に位置する、極めて強力な道具だ。

 

「恩恵に与ってる身であえて言うが、何回殺しても蘇るのって反則すぎるだろマジで。持ち主を暗殺する以外どう対処しろっつーんだこんなの」

「殺さずに無力化して封殺すればいいんですよ」

「簡単に言ってくれるなあ」

 

 かつては死闘を繰り広げ、因縁すらあるウィズとベルディアだが、数奇な流れを経て今ではお茶を飲みながら気楽に談笑する間柄である。

 

「でもこうして図鑑に載っているような道具が家の中にあるっていうのも中々凄い話ですよね」

「まあ、そこはご主人だからな。それに俺が使ってるのはご主人が持ち込んだ異世界の道具だから、厳密には別物なわけだが」

 

 いつか神器の方も普通に手に入れてそうな気がする。

 今此処にいない、数奇な流れを作り出した張本人。筋金入りのコレクターにして廃人に対する二人のイメージは極めて強固だった。

 

「そういえば前からちょっと気になってたんですけど、モンスターボールの中にいる時ってどんな気分、というかどんな感じなんですか?」

「こう見えて中の居心地は悪くない。むしろ快適なくらいだ」

「狭くないんですか?」

「むしろかなり広い方だぞ。だが……」

「?」

「入る時の感覚がなあ……」

 

 眉を顰め、腕を組んで言葉を捜すベルディアは、やがて淡々と呟く。

 

「無理矢理トランクに詰められて暗く冷たい海に投げ入れられてどんどん底に沈んでいくような感じ。あとちょっとキナくさい」

 

 あんまりにもあんまりすぎる感想に絶句するウィズ。

 この世の地獄みたいな話に、想像しただけで陰鬱になりそうだった。

 

「実際にトランク詰めを経験した事は無いんだが、とにかくそういう感じだと思ってくれていい」

「えぇ……」

「体験してみたいか? むしろしようぜ」

「いいえ、私は遠慮しておきます」

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんがまた一つ大人の階段を登った数日後。

 あなた達ネバーアローンの三人は、アーデルハイドに送られるという形で誰一人欠ける事無く千年王国から脱出し、地上部である第四層への帰還を果たしていた。

 赤い空。朽ち果てた荒野。溢れる瘴気。生まれた傍から消えていく不死者。

 アーデルハイドの影響を受け続けた領域は、相も変わらず地獄の様相を呈している。

 

 あなた達の現在位置は国境、すなわち第三層と第四層の境目。つまり霧湖の出口である。

 もう一度広大な虚無の荒野を進むと考えると、あなたは非常に憂鬱な気持ちになった。

 

 開戦の火蓋が切られるまで残り僅か。

 あなたもウィズも準備は万端であり、ゆんゆんもモンスターボールに突っ込んである。

 

『るるーらーらーつーよーくーもっとーもっとーつよーくーなーりたいー』

 

 ボールの中から変な歌が聞こえてくる。

 ゆんゆんが不貞寝を決め込んでいる姿がありありと想像できてしまい、あなたはくすりと笑った。

 ちなみにゆんゆんの言葉はウィズに聞こえていない。

 

「なんだか大変な事になっちゃいましたねー……」

 

 個人と世界を統一した古代国家が戦うという、字面だけ見ると寝言に等しいシチュエーションなわけだが、ウィズに緊張や不安の色は殆ど無い。

 

「自分のすぐ隣でとってもウキウキしてる、頼もしい仲間がいますから。緊張したり不安を感じてる暇も無いんですよきっと」

『楽しそうにしてるだけで怖いですからね実際。絶対碌な事をしないという負の信頼があるっていうか』

 

 あなたへの信頼感に溢れたウィズの言葉に対し、平然と毒を吐くゆんゆん。

 ボールから出してしばき倒しても許されるのではないだろうか、とあなたは思った。

 

『異論があるなら手に抱えてるそれが何なのか説明してみてくださいよー!』

「ところで気になっていたんですけど、あなたがさっきから触っているそれは一体……千年王国で買った魔道具ですか?」

 

 奇しくも二人のアークウィザードは同じタイミングでそれに言及した。

 

「えっと……可愛い置物……ですね?」

『可愛いですけど! 確かに凄く可愛いですけど! 私も欲しいくらいですけど! 今から戦争やるぞーってタイミングでウッキウキで取り出した時点でもう! もうね!!』

 

 ウィズが言葉を選ぶように困惑した様子で、ゆんゆんが頭を抱えるような声色で言及したそれは、やや大きめの置物だった。

 木製の揺り篭の中で、小さな白い猫が眠っている。

 そんな見ているだけで微笑ましくなるような置物は、千年王国で手に入れた道具などではなく、あなたがイルヴァから持ち込んだ道具の一つだ。

 

 正式名称はCat's Cradle。

 直訳すると猫の揺り篭。

 分類としては個人携行可能戦術核爆弾。

 本来はもっと無骨で寒々しい外装だったのだが、可愛くないとか癒しが欲しいとか女の子が使う見た目じゃないとか猫の揺り篭っぽくしろとか猫の尻は最高でおじゃるなとか猫と和解しろといったユーザーの意見を反映した結果、今では一般家庭に混じっても違和感が無い外見になっている。

 

 整地に、場の盛り上げに、嫌がらせに。

 その他多種多様な理由でノースティリスの冒険者にこよなく愛される便利アイテム。

 一家に一個、核爆弾。お値段とってもリーズナブル。

 戦争をやるというのならこれを使わない事には始まらない。

 

 今まではウィズに配慮して使用を控えていたが、ついにこの世界でも日の目を見る時がやってきたのだ。

 周囲はだだっぴろい荒地で人気が無い。巻き添えを心配する必要が無い。

 これはもう核を使わない理由が微塵も存在しない。あなたはここぞとばかりに自由を満喫させてもらうつもりだった。

 

『こじんけいこーかのーせんじゅつかくばくだん?』

 

 意味不明すぎたのか、ゆんゆんのIQが3くらいになっている。

 

「すみません、個人携行可能と爆弾は分かるんですけど、戦術核とは?」

 

 物騒な匂いを敏感に感じ取ったのか、あなたから一歩引きながらウィズが問う。

 あなたは少し考えて正直に答えた。

 ニュークリアグレネードの規模が凄く凄く凄いやつであると。

 

「せっ……戦争! それを使ったら戦争ですよ!?」

『ウィズさんしっかりしてください。今から戦争するところです』

 

 ニュークリアグレネードに並々ならぬ敵意を抱くウィズが聞き捨てならぬと激憤し、ゆんゆんが冷静に突っ込みを入れる。

 だがこれはあくまで景気づけ用の玩具に過ぎず、威力そのものは非常に低い。

 見た目が派手なだけであって、決して強力な兵器の類ではないのだ。

 なのでこの爆裂魔法係に固執するウィズが心配するような事は無い。

 ついでに放射能汚染も無いという自然環境と人体に優しいクリーンかつエコな仕様となっている。

 

「…………」

 

 湿度と重力を感じる疑惑と不信の目であなたを見つめるウィズ。

 戦闘が始まる前から硬い絆で結ばれたネバーアローンの結束に罅が入ろうとしている。

 おのれ不死王!

 邪悪なアーデルハイドめ生かしておけぬ。あなたは今まさに雌雄を決さんとする古代人に改めて怒りを燃やした。

 

『とばっちりすぎる……』

 

 

 

 そんな緊張感の欠片も無い穏やかな時間は唐突に終わりを告げる。

 約束の時刻が、闘争の時間が訪れた。

 

 見果てぬ地平の彼方にぽつんと発生するのは、隠すつもりも無いと分かる、黄金色に煌く邪悪な気配。

 地上に転移したアーデルハイドのものだ。

 彼女は声なき声で世界に向かって叫んでいる。あなた達を殺すと。私を殺してみせろと。

 伝わってくる気配だけでアーデルハイドが救いようのない存在である事が分かる。

 癒しの女神が見れば間違いなくこう言うだろう。慈悲と憐憫をもって、静かに、厳かに。

 

 あなたが終わらせて(殺して)あげなさい、と。

 

 仰せのままに。

 鮮明すぎる妄想という名の神託を得たあなたの手に力が篭る。

 極まった信仰者の脳内具現化偶像に解釈違いなど存在する余地など無い。間違いなく今日のあなた(狂信者)は絶好調だ。

 

 次いであなた達の視界に影が溢れる。

 人、亜人、魔物、魔族、巨人、竜、精霊、天使、悪魔。

 雲霞の如く湧き出る無貌の亡霊が虚無の地平線を埋め尽くし、赤き呪怨の空を覆う。

 万夫不当、一騎当千と謳われる英雄ですらあっという間に飲み込まれ、引き潰され、黒い軍勢を構築する歯車の一つになるだろう。

 

 不死王の号令を待つ亡霊軍は身じろぎすらせず、虚ろに佇んでいた。

 完璧な統率を誇る隊列には一糸の乱れも無く、不気味な圧力と静寂があなた達に這い寄ってくる。

 

「壮観ですね。こうして実際に見ると本当に私とは格が違うって分かります」

 

 ウィズが吐いた言葉は弱音というよりも自虐に近い。

 自身が持つ能力を磨ききっていない、それどころか目を逸らしていたとこうして突きつけられたのだからさもあらん。

 リッチーにはこれだけのポテンシャルがある。神が大悪魔に並ぶ怨敵と定めるだけの理由がある。

 

 だがウィズが気にするような事ではないとあなたは考えていた。

 二人の不死王はその在り方が違う。積み重ねてきた年月と経験が違う。ウィズ本人とてアーデルハイドのようになりたいわけではないだろう。

 

 能力を磨ききっていないという事は、ウィズにはまだまだ沢山の伸び代があるという事だ。非常に喜ばしい。

 彼女であればアークウィザードとリッチーの二束の草鞋を完璧に履きこなしてみせるだろう。あなたはそう信じて疑わない。

 

「今に始まった事じゃないですけど、本当に前向きですよね」

 

 当然だとあなたは笑う。

 そうでなければノースティリスの冒険者などやっていけない。

 さる高名な魔王も言っていた。

 余の武器はどんな時でもポジティブハートだと。

 

「魔王と名の付く方が絶対に言っちゃいけない台詞ですよそれ。少なくともヤサカさんは絶対に言わないですね」

 

 ヤサカ。あなたの知らない名前が出てきた。

 誰の事だろう。

 

「ヤサカキョウイチ。魔王さんの本名ですけど……話した事なかったですっけ?」

 

 初耳である。

 この世界の命名規則に当てはまらない、カズマ少年やキョウヤのようなニホンジンと似た響きの名前だとあなたは思った。

 関係者なのかもしれない。

 

 今代魔王の話はさておき、いつまで経っても亡霊が動き出す気配は無い。

 どうやらアーデルハイドはあなた達に先手を譲ってくれるようだ。慢心ではなく覇王の矜持というやつだろう。

 

 その意気やよし。

 相手の期待に応えなければ名が廃ると発奮したあなたは猫の置物の鼻を押した。

 

 ――ねこいずびゅーてぃふる! ねこいずぱーふぇくと! げいじゅつはばくはつだー!

 

 ノースティリスの王都在住な猫好きで有名なミーアという女性が吹き込んだ電波音声と共にカウントが始まる。

 そのまま猫を抱え、後方から助走を始める。

 

「あの、何をして……え、投げる?」

 

 開戦の号砲を告げる第一投。

 長らく待ち望んだこの瞬間を逃すまいと、あなたは地平線の彼方に向かって全力で猫の置物を投擲した。

 満面の笑みを浮かべながら。

 

 音の壁を越えて流星と化した飛翔猫は勢いを落とす事無く亡霊の軍勢に到達。

 そして。

 

 ――にゃーん。

 

 赤い空に響く猫の鳴き声(起爆音)

 瞬間、呪いと闇に支配された世界は眩い光と核の炎に包まれる。

 爆音にかき消された、あなたの気が触れたとしか思えない哄笑だが、同時にどこまでも解放感に満ちた、大空に解き放たれた籠の鳥を彷彿とさせるものだった。

 周囲に配慮をする必要が無い。

 それは今この瞬間、本当の意味であなたを縛る感情の枷の一切が外れた事を意味する。

 

 この世の終わりを具現した大地で、世界に等しい敵との戦いが始まった。


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