このすば*Elona   作:hasebe

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第141話 第四層:蓋棺の大地

【蓋棺の大地】

 

 竜の谷、その第四層。

 人界において最果てと呼ばれていた霧の湖の先。

 古代の亡霊と白鯨が恐れた悪夢の領域。地獄の扉が開いたかのような死の具現。

 彼の地について私が記述する事、記述していい事は殆ど無いといっていい。

 ただ私達は、後にこの場所を蓋棺の大地と名付けた。

 

 ――『竜の谷回顧録』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 光届かぬ闇の底。

 一人の不死王が、永遠とも思える長い眠りから目を覚ました。

 

 久方ぶりの感覚。

 自身の領域に足を踏み入れた者がいる。

 念の為に領域が広がっていないか確かめ、眠りにつく前と変化が無い事を確かめて嘆息する。

 

 天使か、悪魔か、迷い人か。

 あるいは懲りずに人魔による討伐軍が編成されたのか。

 温かい泥の中にたゆたうような心地よさから強制的に引き上げられたそれは、とても憂鬱な気分になった。

 

 躍起になって国を広げようとする若さも、強敵を打ち破る情熱も、全てを取りこぼしたくないと恐れた狂気さえも、全ては自身の中から失われて久しい。

 今となってはただ一つ、永い時の中で自然と生まれた感情、切なる願いだけが残るばかり。

 

 不死王は倦んでいた。

 世界に複数存在する超越者達は専ら世界の運行に携わっており、領域に引きこもる不死王に関心を示そうとしない。不死王も自分から喧嘩を売りに行く程の元気もやる気も無い。

 かといって不死王を敵視し、積極的に襲い、そして殺しきれるほどの上位者はこの世界に降臨しない。降臨する事が出来ない。

 そのレベルの神魔が投入されると天秤が崩れて最終的に世界が滅びる。

 半ば惰性で存在し続けている過日の覇者は、この地で世界の終わりまで眠り続ける事すら吝かではないのだから、素直に放っておいてほしいと心底から願う。

 

 とはいえ黙って無抵抗で殺されてやるほど人が良いわけでも王としての矜持を失ったわけでもない。

 殺しに来るというのであれば全力で抵抗も殺害もするし、敗者の魂は好きなようにさせてもらう。

 ついでに領域に立ち入って犠牲になる者達についても知った事ではない。あからさまに危険なのは分かるだろうし、他人の領域に立ち入る方が悪いと本気で思っている。

 

 不死王は億劫な心地で多少の些事では目覚めぬ己の意識を叩いた何かを探る。支配領域を探査する。

 そうしてみれば、自身のいる場所から遥か遠く、支配領域の最端から一人の女の気配を、同胞の気配を、自身と同じ不死王の存在を感じ取った。

 

 予想だにしなかった相手に不死王は暫くの間呆けたように瞠目し、やがてくつくつと邪気の無い笑い声を漏らし始める。

 彼方の相手は、その女は、まるで赤子のように幼く穢れなき無垢の不死王だった。

 同胞として、先達としていっそ愛おしさすら覚えるほどに。

 

 間違いなくあちらもこちらの存在を気取っているだろう。

 会ってみたいと思う。

 会って話がしてみたいと思う。

 

 愉快だった。錆付き腐り果てた心が少なからず弾んでいる事を自覚する。

 その気になれば遥か遠方の此処から配下をけしかける事も能力云々を調査することも可能であったが、稀人に対してそれはあまりにも無粋であると考えた不死王は即座に探査を打ち切り、今しばらくの不干渉を決めた。

 深淵の闇に揺られながら、初めての逢瀬で想い人を待つ少女にも似た夢見心地で。

 

 その淀み、濁りきった瞳に、廃人の姿は映っていない。

 今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 第四層。人類史において一切の足跡も情報も残されていない、名も無き領域。

 不死王が支配するという死霊の地において、あなた達は上陸し橋頭保を築くのではなく、船に乗ったまま周囲を調査する事を選んだ。

 ウィズは全然余裕を通り越してかつてないレベルで絶好調を維持するであろうこの地獄は、入念に準備を整えてからでないと本気でゆんゆんがゴミのように死んでしまうだろう。無対策で挑もうものならば、それこそちょっと目を放した隙にあっさり死んで死霊の仲間入りをする。仲間が増えるよ! やったねウィズ! みたいなノリと勢いで死ぬ。

 現にあなたが試しにと投げ込んだふかふかパンは三秒でどろどろに腐りきってしまった。極めて危険と言わざるを得ない。

 

「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」

 

 ゆんゆんは即行で絶望していたが、まだまだ余裕があるな、とあなたは冷静に判断していた。

 本人的には本気で絶望しているし暗澹たる心境なのだろうが、紅魔族の里であなたが死んだと勘違いして号泣していた時よりマシだし、何より振る舞いや物言いにどことなくネタ臭が溢れているのだ。ゆんゆんの得難い素質だろう。本人はそんなのいらないとキレ気味に叫ぶだろうが。

 

 ゆんゆんを勇気付けるというわけではないが、あなたはウィズに問いかけた。

 勝算はあるのかと。

 

「もう一度言いますが、私と相手にはリッチーとして赤子と大人に等しい差があります。なんちゃってリッチーの私と違い、正真正銘、不死者の王と呼ぶに足る相手です。百戦やって百戦私が負けます。これは絶対に間違いありません」

「みんなここで死んじゃうんだぁ……」

 

 自己申告の通り、ウィズのリッチーとしての位階はすこぶる低い。

 あなたが戦う者としては評価されていても、エレメンタルナイトとしては凡庸だという評価を下されているのと同じように。

 

 この世界はスキルの法則ありきで回っている。

 戦士や魔法使いがそうであるように、農民は農民の、商人は商人の、鍛冶師は鍛冶師の、演奏家は演奏家のスキルをそれぞれ有しており、その中には当然王のスキルも存在する。

 

 リッチーは不死者の王と呼ばれている。

 これはアンデッドとしての格やアンデッドを引き寄せる性質のみを指すものではない。

 単純な話、リッチーは不死者を束ねる王として在るべきスキル群を有しているのだ。

 

 翻って、ウィズをリッチーとして、不死者の王として見た場合。

 その錬度は駆け出しもいいところである。

 冒険者でいえばゴミ掃除やドブ浚いといった雑用をこなしたりゴブリンだのジャイアントトードだのといった最弱クラスのモンスターを狩って日銭を稼いでいるような、いわば下積みの段階。

 

 彼女には不死者として積み重ねてきた年月が無い。

 どれだけ才能に溢れていようとも、心だけは人間でありたいと思っているウィズには、不死王としてあるべき覚悟が、配下が、矜持が、熱量が、研鑽が足りていない。

 第三層で一ヶ月間ぶっ続けで行われた戦闘勘を取り戻す訓練の中でも、彼女がリッチーとしての技能を用いる事は無かった。

 リッチーのスキルは触り程度にしか習得していないし、これっぽっちも使いこなせていない。

 これはウィズに多大な伸び代が残されている事を意味するが、現時点において純粋にアンデッドとして見た場合、ベルディアの方が余程格が上だったりする。

 

「ですがそれは不死王として見た時の話です。魔法使いとして見た場合は私が勝っている……いえ、あくまで私見に過ぎないと前置きしておきますが、一対一なら普通にボコボコに完封出来る自信があります」

 

 あなたが冒険者としてのプライドを持っているように、ウィズもまた魔法使いとしてのプライドを持っている。

 これまでの冒険とわくわく血塗れブートキャンプを経て学生と冒険者時代の感性を取り戻しつつある彼女は、あまり謙遜をしなくなった。少なくともあなたの前では。

 

「じゃ、じゃあ、実際に戦った場合は……?」

 

 ウィズは小さく首を横に振った。

 

「戦ってみるまで分からないと言いたいところですが、正直単独だと勝ち目は薄いと思っています。このクラスのリッチーだと従えているアンデッドは十万やそこらではきかないでしょうし、相応に質も伴っているはず。私はそんな大軍勢と一人で戦う経験なんて持ってませんし、十中八九こちらのリソースが先に枯渇するでしょうね」

「対戦ありがとうございました。次の人生を用意してきますね。先立つ不幸をお許しください」

 

 判断が早いと錯乱するゆんゆんを叱咤する。

 だってぇ……と涙目でぐずるゆんゆんだが、ウィズの言葉はちゃんと聞いておくべきだ。

 彼女は単独だと勝ち目は薄いと言った。当然そこにあなたの存在は勘定に入っていない。

 そういう事だろうとあなたがアイコンタクトを送れば、ウィズは静かに頷いた。

 

 相手が不死王として戦うように、ウィズは魔法使いとして、冒険者として戦う事になる。

 この世界の冒険者はパーティーを組んで戦うのが常識。つまり彼女のパートナーであるあなたの出番だ。

 殲滅戦と泥仕合と長時間耐久はあなたの得意中の得意分野。

 あなたにとって多勢に無勢など日常の一コマに過ぎない。

 

「本当にいいんですか? とは聞きません。今更ですもんね。ただ時と場合によっては私の都合に巻き込んでしまう形になるでしょうから、そこは申し訳なく思いますが……存分に頼りにさせてもらいますね」

 

 現在のウィズが敗色濃厚と予想するレベルの強敵。

 速度を上げて愛剣で斬って終わり、といった味気ない結末に終わるとは考えにくい。

 期待に胸を膨らませるあなたは参戦を許可するウィズの言葉にニヤリ、と笑った。

 

 

 

 

 

 

 外周を船で探索中、ふとゆんゆんが尋ねてきた。

 その顔色はお世辞にも良いとは言えず、誰の目にも憔悴している事が分かる。

 

「……あの、質問があるんですけど。どうしてお二人、というかウィズさんは、あのアンデッド達を浄化しないんですか?」

 

 闇と瘴気に満ちた地上で生まれては消滅していく不死者達を指した言葉だ。

 多種多様なアンデッド達は一様に苦悶の表情を浮かべながら苦痛の声を発し、時折目に付いたあなた達に救いを求めるように手を伸ばしている。

 あなたにとっては良くも悪くも思うところが浮かんでこないそれも、一般的には地獄と形容される光景だった。

 事実ゆんゆんも彼らに極力目を向けないようにしている。

 それでも目に見えて辛そうなので、人間の死に直面した経験すら殆ど無い善良な少女にとっては殊更耐え難いのだろう。

 

「浄化で解決するなら私も喜んで手を出すんですけどね……確かに彼らはアンデッドではあるのですが、死者ではないんですよ」

 

 ウィズは声に苦いものを含ませて答えた。

 

「……死者ではない?」

「魂が入っていないんです。かといって擦り切れているわけでもない。高位のアンデッドがスキルで生み出したり、ダンジョンの中といった闇と魔力が濃い場所で自然発生するアンデッド系モンスターと同列の存在です」

 

 あなたの身近な例ではベルディアが使役するアンデッドナイトが相当する。

 あれはあれで魂が入っていないという割に妙な人間味を見せる時があるが。

 

「浄化しても救いにはならないって事ですか?」

「一つ一つに対処していたら終わりが無いというのもあります。何せ発生源が全域ですから。それにここが相手の支配域である以上、一部だけ浄化してもすぐに元通りになってしまうと思います。対症療法にもならないでしょう。結局は大元を断つ必要があります」

 

 この場に破魔と浄化に特化した力を持つ女神アクアがいればもう少し状況も変わってきたのだろうが、そうそう都合よくはいかない。

 あなたとしても打てる手段が無いとは言わないが、それはダンジョンを超火力で外から消し飛ばして消滅させるという冒険者の風上にも置けないようなやり方になってしまう。あのバニルだって自分の墓標になるダンジョンでそんな蛮行に走られた日には本気で激怒する事請け合いだ。あなたはそこまで生き急いでいるわけでも人生に絶望しているわけでもなかった。選ぶにしろ、せめてもう少し探索を進めてからにしたい。

 

「相手と戦う事前提で話が進んでいる感じですが、まだそうと決まったわけではないですからね? 目にも心にも悪い光景ですが、これ自体はあくまで自然現象に近いものなので、相手が他者の尊厳と魂を弄ぶ邪悪なリッチーだと確定したわけではありません。目にも心にも悪い光景ですが」

 

「じゃあ、魂が入っているアンデッドを見つけた場合は……?」

「魂が入っていて、同じような状態に陥っていて、それを相手が放置している場合ですか? その時は相手のリッチーを頑張って説得します。説得が通じない場合は……」

「せ、説得が通じない場合は?」

「戦争ですかね……」

「戦争!?」

 

 魔王軍に対する選択肢が抹殺オンリーだったせいで、現役時代は血の気が多すぎた、全然こっちの話を聞かない狂犬のような奴だった、といったある意味当然の評価をバニルやベルディアから受けているウィズは、なんでもないかのように物騒な未来予想図を口にした。

 新たに発見したもの。視線の先にある、船の残骸を見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 ホワイトフォーチュン号と同じように霧の湖に迷い込み、放浪の果てでこの地に漂着したと思われる複数の船の残骸をあなた達は調査する。

 恐らくは船団だったのだろう。

 その殆どは原形を留めていないが、浅瀬に乗り上げたり、波打ち際で朽ち果てている船の残骸の量はとても一隻や二隻分では届かない。

 

「やっぱりこれってノイズの船なんでしょうか」

「いえ、恐らくは違う国か時代のものでしょう。ノイズの船にしては普通すぎますから」

 

 若干誤解を招きそうなウィズの発言だが、当たり前のように船体が総金属製だったり超巨大だったり遺失技術が搭載されているといった事のない、あなた達にとっても親しみのある、いたって普通の中型木造船である事は事実だ。

 その中の一つ、辛うじて内部を探索可能な程度に原形が残っている残骸を探索すべく、あなた達三名は船に乗り込んだ。

 

「こう言っちゃなんですけど、思っていたよりずっと綺麗ですね」

 

 ほっとしたゆんゆんの言うように、甲板は戦闘で荒れ果てたり血痕が残ったりはしていなかった。

 時間の経過で自然に壊れていったという印象を受ける。

 周囲を見渡すも、アンデッドの姿は無し。

 人骨の一つでも転がっていれば安心感を覚えるところだったのだが、死体どころか戦闘の痕跡すら残っていない。いっそ不気味ですらある。

 何らかの気配も感じられない。油断は禁物だが、恐らくは完全に無人の船なのだろう。

 

「ゆんゆんさん、足元には十分気をつけてください。落ちたら大変ですから」

 

 床板は軽く体重をかけるだけでミシミシと悲鳴をあげている。あまり長居はしたくない場所だ。

 

「あー、そうですね……じゃあ紐いいですか? 普通のじゃなくて、あっちの方のやつです」

「紐?」

 

 首肯するあなたは紐を取り出した。

 トリフでは結局使わなかった、ノースティリスの道具の一つだ。

 主にペットの迷子防止に用いられる、ある程度の伸縮性を持ちとても丈夫なそれをゆんゆんの腰と自身の手首にしっかりと結びつける。

 

「ウィズさん、何か変なところないですか?」

「大丈夫だとは思うのですが、すみません、お二人の見た目が、なんと言いますか、こう……」

「だいぶ犯罪的ですよね。正直自分で頼んでおいてこれどうなのって思います」

 

 あなたは慰めるように微笑みこう言った。

 赤い紐がゆんゆんにとてもよく似合っていると。

 事実紐に繋がれたゆんゆんは犬耳が似合いそうだとあなたは思っている。

 ゆんゆん本人の気質も猫というより犬。

 つまりわんわんゆんゆんだ。にゃあにゃありっちぃとは良いコンビが組めそうである。

 

「凄い、褒められてるのにこんなに嬉しくないのって私生まれて初めてかも」

「他意は無いんでしょうけど、台詞が完全に犯罪者のそれなんですよ……」

 

 いい具合に緊張も解れてきたところで探索を再開。

 慎重に慎重を重ね、甲板、船室、船倉といった箇所を注意深く調べていく。

 船の規模はそれなりに大きい。ある程度の手がかりや情報が残されていると考えていたのだが……。

 

「何も残ってないですね。綺麗さっぱり船から持ち出されちゃってます」

 

 食料や物資、船員の私物は勿論の事、船内の設備に至るまでが徹底的に剥がされ持ち去られている。

 引越しを終えた後に残された家のような、いわばがらんどうの船。

 埃とカビだらけのそれは、あなたにはまるで二度とここに戻ってこないという悲壮な決意の表れのようにも思えた。

 

 そんな中発見された唯一の手がかり、この船に残された痕跡と思わしきもの。

 それは船室の寝台で開かれたまま放置されていた、一冊のボロボロの本だった。

 

 航海日誌だろうか。

 長い年月に晒された本は風化が進みすぎており、あなたが軽く本の端に触れただけでボロボロと崩れてしまった。

 持ち運びはおろかページをめくる事すら不可能だろう。

 ウィズが目を皿にして開かれたページの解読を試みる。

 

「霧……呪、死……長……会いし……ダメですね、殆ど読めません」

 

 単語の片鱗から類推するに、読むだけで気分が沈みそうな内容が記されていたようだ。

 最初から分かりきっていた事だが、この船に乗っていた者達はあまり愉快な末路を辿っていないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ノイズの幽霊船とは別の末路を辿った廃船を立ち去り、その後も岸の探索を続けるあなた達。

 しかし終ぞ目ぼしいものを見つける事は無かった。

 こうなると次は陸地に乗り込む必要が出てくるわけだが、対策無しで挑んだ場合、前述の通りゆんゆんが物凄い勢いでアンデッドの仲間入りをしてしまう。

 

 そういうわけなので、同じく生身であるあなたが陸地で受ける影響について調査を行う事に。

 有象無象のアンデッドにとっては逆に毒になる強い闇と瘴気に満ちた領域は、リッチーであるウィズにとって実家や聖域の如き居心地の良さを覚える場所であり、コンディションは常に過去最高潮を維持。

 あなたとしては頼もしい事この上ないのだが、当然ゆんゆんの参考にはならない。

 

 そんなこんなで数度の検証を経て判明した事実をイルヴァ的に翻訳して表現すると以下の通りになる。

 

 このフィールドにいる限り常に暗黒、地獄、混沌属性のダメージを受ける。

 このフィールドは暗黒、地獄、混沌属性への耐性を弱化する。

 このフィールドはマナを吸収する。

 このフィールドはテレポートを妨害する。

 このフィールドは腐敗を著しく加速させる。

 このフィールドで死亡した者はアンデッドとして這い上がる。

 

 あなたはこの領域の主であるリッチーは邪悪なクソ野郎だと早くも確信していた。

 主に最後の強制アンデッド化の部分で。

 被験者は霧の湖で釣り上げた触手マグロだったのだが、なんともまあ酷い姿になっていた。傍から見ていたゴブリンもドン引きだ。

 

 ゆんゆんの事を考えると最悪撤退も視野に入れる必要が出てくるレベルだったのだが、他ならぬゆんゆんがリッチーに囚われているであろう魂持つアンデッド達をこんな場所に見捨てたくないと探索の続行を強く希望。

 あなたは弟子の勇気と慈悲に感銘を受けたウィズと共に夜を徹して対策を練り、己の無力を自覚する少女に施した。

 

「ゆんゆんさん、再三繰り返す形になりますが、心身に少しでも異常があると思ったらすぐに言ってくださいね。絶対に我慢はしないでください」

「心労が凄いです。装備品があまりにもレジェンド級すぎて」

 

 装いも新たになったゆんゆん、その中でも特に目を引くのは漆黒の外套と蒼い腕輪だろう。

 あなたもいくつかの耐性装備を貸与しているが、数々の対策の中で最も役に立ったのは不死鳥の番の素材で作られた装備の数々である。

 あなたが浄化と星の力である蒼を用いて装身具を、ウィズが呪いと死の力である黒を用いて外套をそれぞれ制作し、相反する属性の力を打ち消しあうのではなく融合させ、相互に引き立て活かすという形で仕立て上げた。可能な限り装備者であるゆんゆんに負担をかけないように。

 特異個体である不死鳥の力は、そのどちらもが第四層に対して特効と言っていいほどに相性がいい。

 あなたとウィズが楽しい共同作業で作り上げた装備が無ければ、ゆんゆんの生存対策は相当に難儀していただろう。あなたは素材となった二羽の不死鳥に深い感謝の念を送った。ちなみに素材はまだまだ大量に残っている。素材セット(徳用)は伊達ではない。

 

「参考までに伺いたいんですけど、これってお金にしたらどれくらい行くと思います?」

「ええと……どうですかね」

 

 金銭感覚がガバガバなウィズはあなたに確認を求めてきた。

 高レベル冒険者の例に漏れずあなたの金銭感覚も大概壊れきっているが、少なくともベルゼルグやリカシィといった大国が国家予算を投入したところで手に入るような代物でないのは確かだ。

 入手難度まで考慮すると、そんじょそこらの神器より希少価値は高いだろう。

 

「胃がっ、急に胃が痛みを!」

 

 領域の影響を受けているのかもしれない。

 あなたは浄化ポーションをゆんゆんの口に無理矢理突っ込んだ。

 ゆんゆんに何かあったらこうするという決まりごとであり、その場のノリやイジメでこんな事をやっているわけではない。

 だがそれはそれとして涙目で棒状のモノを咥える少女は中々に犯罪的な絵面だった。

 

「ンーっ!? んー! がぼっばぼぼぼぼばばばばぼ…………わ、私の扱いが日々雑になっていくのを感じる……あ、でもなんかこういうのってお客様扱いじゃなくていかにもパーティーって感じがしてちょっと嬉しいかも……」

 

 えへへ、と健気な笑みを浮かべる少女を前にしたあなたとウィズは慄然とした。

 ソロ冒険者を拗らせすぎたせいでゆんゆんのパーティー観がだいぶ酷い事になっている、と。

 あるいは瘴気が脳に来ているのかも知れない。今度はポーション瓶を頭に叩きつけようとするあなただったが、その寸前でポーションを持つ腕を掴まれた。

 

「…………」

 

 横目を向けてみれば、神妙な顔つきでふるふると首を横に振るウィズの姿が。

 止めてあげてください、という事らしい。あなたは素直に引き下がった。

 

 お客様扱いしていないという意味ではゆんゆんの言葉は正しいのだが、ドラゴン関係が落ち着いた暁には、彼女は少しばかり真面目にパーティーメンバーを探した方がいいのかもしれない。そのうち変な人間に捕まってしまいそうである。

 ちなみに廃人に捕まっている時点でゆんゆんの人生はとっくに手遅れだという言葉をあなたは聞くつもりがない。

 

 

 

 

 

 

 死霊の大地の探索を始めるネバーアローンの面々。

 だがその探索は困難を極めた。

 

「辛い……今までで一番辛い……こんなに何か起きそうな場所なのになんで何も起きないの……」

 

 十日目まで我慢していたゆんゆんが遂に吐いた上記の弱音が全てを表している。

 

 第四層には何も無い。

 山も川といった起伏の存在しない、延々と続く呪いの荒野には風景に近い湧き出るアンデッドと瘴気以外本当に何も無い。

 第三層ですら頻度こそ稀だがモンスターの襲撃や現地の生物との遭遇、交流といった日常のアクセント程度の事はあったのだが、だらだらと歩き続けてしまっている。

 退屈は廃人を殺すというのはイルヴァの常識である。

 

 おまけに白夜焦原のように天候が不変。

 絶えず視界に入ってくる不吉な赤い空も相乗効果で精神を削ってくる。

 ウィズ曰く領域の主も間違いなくあなた達を知覚しているとの事だが、相手からのアプローチは無い。

 道中でそれなりに往く手を阻む野良アンデッドの壁を浄化したり、領域内でポケットハウスを使用しているにも関わらずだ。

 

 不死王の術で無限ループに嵌っているならまだ救いがあるのだが、ただただ無闇矢鱈に広くて精神を削るほどに邪悪で何も起きないくらい平和なだけ。それだけでこんなにも辛い。

 不死王の元に近づいているのは確かなのだが、まだまだ先は長いとはウィズの言葉。

 あなたとウィズはともかく、このままでは闇堕ちに定評のあるゆんゆんのメンタルが危ない。そろそろ何か無茶をする頃合だろうか。

 

 領域をぶんどる。

 メテオで一帯を破壊する。

 最大出力のホーリーランスを突き立てる。

 

 如何にして不死王に喧嘩を売るか大真面目に相談を交わしていたあなたとウィズだったが、ふと彼方の空から微かに聞こえてきた音に意識を引き戻された。

 竜の谷の冒険の中で何度か耳にした事のあるそれは、その地名に反して聞く回数が非常に少なかったものでもある。

 すなわち竜の咆哮だ。

 怒り狂い、激情に猛る魔物の声が赤い空を通じてあなた達の元にまで届いてきた。それも複数。

 

 常識的に考えれば咆哮の主はドラゴンゾンビだろう。

 敵襲かと反射的に身構えて後方に下がるゆんゆんだが、これはあなた達に向けられたものではない。

 そして何でもいいので変化が欲しかったあなた達に危うきに近寄らずという選択肢は存在しない。

 音の方角へ足を向けると、やがて赤い空に目立つ数十の白い飛行物体を発見した。

 大小様々な白の群れが無数の白炎や白い光線をこれでもかと言わんばかりに地表に叩きつけている。

 

「恐らくですがホワイトドラゴンの群れですね。統率者である一番大きいのはかなり強め。優に数百年は生きている個体でしょう」

 

 ホワイトドラゴンは神聖属性の竜だ。

 邪悪という邪悪を煮詰めたかのような第四層を蛇蝎の如く嫌って攻撃するのは何もおかしな話ではない。

 

「大丈夫ですか? それってウィズさんも狙われたりしません?」

 

 志は同じかもしれないが、あちらが襲ってきた時は仕方が無い。

 相手が説得に応じるならばよし、無理ならこれまでと同じように応対するだけだ。

 

「つまりぶち殺すって事ですね。知ってました」

 

 だが幸いといっていいのか、白竜の群れがあなた達に向かってくることは無く、そのままあなた達の進行方向、つまり北に向かって飛び去ってしまった。

 この死地を越えた先には竜の巣があるのだろうか。何にせよ名前負けする事は無さそうだ。

 

「気付いていますか? 最後の一瞬、一番強い竜が私達を見つめてましたよ」

 

 ウィズの言葉に頷く。

 ヴォーパルや不死鳥には劣るが、それでもモビーに匹敵するであろう、あなたがこの世界で出会ってきたどの竜よりも圧倒的に強大な個体。当然ウィズが邪悪に属する者である事もお見通しだろう。

 それでも白竜はあなた達を一瞥するに留めた。そのような些事には関わっていられないとばかりに。

 

 白竜達の浄化の力が降り注いでいた場所がどうなっているのかも気になる。

 あなた達は現地に向かってみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 光と浄化の力が雨のように降り注いだ大地、無数の大小様々なクレーターの中心には、周囲と比べても一際強い闇の力の発生源が存在していた。

 それは一本の剣。

 ボロボロの鞘に収められた、朽ちた大剣が小高い丘に突き立っている。

 あなたはまるで墓標のようだと感じた。

 

 大剣の周囲では、墓を守護するかのように死霊達が円陣を組んでいた。

 全身が漆黒で統一された重装兵、重装騎兵の軍勢。

 よほど訓練されていたのだろう。死してなお一糸乱れぬ動きを見せる亡霊兵の数は百や二百では届かない。

 その表情に浮かぶ感情はどこまでも虚無。喜怒哀楽の一切が感じられない。

 魂入り、つまり自然発生したアンデッドではないようだが、自我が残っているかは怪しい。ノイズで生者と見紛う亡霊達を見たばかりなので、尚更に痛々しい姿だ。

 物言わぬ彼らはしばらくの間警戒を続けていたが、一人、また一人と姿を消しては大剣の中に吸い込まれていく。

 

 やがてその場には一本の剣だけが残された。

 黒翼が操る炎のように、質量を持った闇に包まれた朽ちた大剣が。

 白竜の爆撃じみた攻撃を長い年月防ぎ続けているであろう呪いの剣が。

 

 その光景を、ウィズは暫くの間険しい瞳で見つめていたが、おもむろに剣に向かって進み始めた。

 

「彼らを無理矢理にでも天に還します。手遅れになってしまう前に」

 

 魂が擦り切れていく不死者の姿を放ってはおけないと有無を言わさず行動を始める不死王。

 浄化の魔法陣に囲まれた大剣がこれまでと同じように葬送の光に包まれる。

 剣の中では無数の気配が蠢いているが、魔法陣に阻まれ現出する事は叶わない。

 無数の亡霊を送り届けるべく、赤い空に、天に続く光の柱が伸び――

 

『ああ、それは止めてもらおう』

 

 あなたの頭の中に女の声が聞こえてくるのと同時。

 地上から発生した闇に魔法陣が掻き消された。墓標の剣も亡霊も健在。

 あなたは反射的に体を竦めたゆんゆんを背中に隠した。

 

『彼らはまだ中身()が健在なのでね。このまま天に還してしまうのは少々忍びない』

 

 微かな気配はあるが影も形も無し。

 相当に離れた場所から話しかけているのだろう。

 

「……この領域の主の方とお見受けしますが」

『如何にも。初めましてご同輩。声だけで失礼する。本来であれば直接相見える時まで会話は待っておくつもりだったのだが、流石に見過ごせなかったのでね。無粋を承知で介入させてもらった』

 

 声は若い女のもののように思えるし、同時に老女のようにも感じられる。

 

『彼らには未練がある。強い強い未練だ。それを考慮せず無理矢理成仏させるなんて可哀想だろう?』

「……一概に否定はしません。ならば貴女が未練を晴らしてあげようというお気持ちは?」

『ああ、なるほど。そっちはそういうタイプなのか。幼いほどに若く、不死王とは思えないほどに善良で、それでいて恐ろしく強い。いや、からかっているわけではないよ。むしろますます興味深くなってきたくらいだ。ふふっ、もっともっと貴女の事が知りたくなった』

 

 悪戯好きな子供のような、くつくつとした笑い声。

 だがその中には粘ついたおぞましい執着が見え隠れしている。

 

『質問に答えようか。私の知ったことではないね。私には彼らの未練を晴らしてあげる理由が無い。未練の内容を教えるつもりも無い。知ったところでどうにかなるとも思えないしね』

「このまま彼らの魂が擦り切れるのを良しとすると、そういう事ですか?」

『それが貴女の逆鱗かな? でもすまない、未練を抱えたまま魂が擦り切れるとか、そういった事にはあまり興味が無いんだ。散々見飽きたものだし、何より私から言わせてもらえば彼らは不法入国者。別に私が直接手を下したというわけではないが、私の領域で野垂れ死にした者を私がどう扱おうとそれは私の自由だ。それにほら、何か奇跡が起きて彼らが擦り切れる前に未練が晴れるかもしれないだろう? 我ながら実に寛大だと思うね。まあ擦り切れたら私の軍に加わってもらうが』

 

 声に悪意は感じられない。

 同時に善意も感じられない。

 どこまでも淡々と、そうであるのが当然と言葉を紡ぐ。

 なるほど、確かにこれは王だ。

 

「…………なるほど、よく分かりました」

 

 あなたの背後でごくりと喉を鳴らすゆんゆん。

 彼女は姿の見えない不死王ではなく、ウィズに気圧されている。

 共感性が錆付いたあなたにもはっきりと理解出来る。今、ウィズは静かに激怒していると。

 彷徨える魂を葬送する事を不死王としての自身の使命と定めている彼女は、相手が自身と相容れぬ、死者の魂を弄ぶ者であると確信した彼女は、氷の魔女と呼ばれた所以を存分に見せ付けている。

 

「会いに行きます。待っていてください」

『嬉しいね。首を長くして待っているよ』

 

 二人の不死王が交わす謁見の約束。

 あるいは開戦の狼煙。

 それは言葉の内容だけ見れば、まるで親しい友人が交わすかのような内容だった。

 

『……と言いたいところだが、こうして言葉を交わしてしまった以上、貴女が私の元に辿り着くのを待ち続ける意味も最早無い。私は気が長い方だと自認しているが、お迎えさせてもらうとしよう。余人を交えず二人で語り合おうじゃないか。存分に楽しんだ後でいいから私の元に来てほしい。何せこんなに長くお喋りに興じたのは随分と久しぶりで、私も少し疲れているからね』

 

 気配が消失する刹那、パチン、と指を鳴らす音が聞こえたかと思うと、ウィズの足元を中心に大きな穴が開いた。

 

「へっ?」

 

 そのまま闇の中に吸い込まれていくリッチー。

 穴の外にいたあなたは、ゆんゆんを抱えて穴に飛び込んだ。

 言葉からしてあなたとゆんゆんはお呼びではないのだろうが、そんなものは知った事ではないと。

 一瞬の躊躇いもない行動だった。

 

「きゃああああああああああ!?」

「ちょっ待っ心の準備とかあああああああ!!?」

 

 地下深くに落下していくリッチーと紅魔族の悲鳴が響く中、深淵に続く穴が静かに閉じる。

 そしてその場には、大地に突き刺さる一本の古剣だけが残された。


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