このすば*Elona   作:hasebe

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第140話 五里霧中の幽霊船

 不死王を恐れながらも頑なに拒む骸骨船長と自身の潔白を主張するウィズの対話は平行線を辿った。

 終わりの無い水掛け論にこのままではいつまで経っても埒が明かないと判断したあなたは、畑違いを承知で選手交代を申し出た。

 そして一旦頭を冷やして落ち着いてもらうべく、ウィズにはゆんゆんと部屋から出てもらい、あなたは単身で船長と対峙する。

 

「……はぁ。いやすまん、大変見苦しい姿を見せた」

 

 不死王の圧力から解放された骸骨は、目深に帽子を被り、疲労困憊とばかりに存在しない肺腑から息を搾り出した。

 あなたとしてはヒートアップしたウィズの姿を眺めているだけで愉快だったので特に言う事は無い。

 笑顔のあなたが満足げに告げると、外から壁を強く叩く音が響き、船長がびくりと全身を震わせた。

 壁ドンならぬ壁パン。とんだパワハラリッチーである。ノースティリスでもスロットの台パンは出禁案件だというのに。

 

「なあ兄さん、今更聞くのもどうかと思うが、アンタともう一人の子は何者だ? 不死王とはどういう関係なんだ? 最初は不死王の下僕だろうと思っていたんだが、どうやらそういう間柄ではないようだし。しかもどっちもアンデッドじゃない、まともな生身の人間だよな?」

 

 まともかどうかは議論の余地があるかもしれないが、どちらも生身の人間ではある。

 そしてあなたとゆんゆんのウィズとの関係は友人であり、ベルゼルグに所属する冒険者だとあなたは自己紹介を行った。

 

「不死王の友人、ねえ。ヤバげな気配が漂ってる兄さんはともかく嬢ちゃんは死霊術師とかそういうタマには見えなかったんだが。人は見かけによらないってことか……まあ全体的に黒い格好だったしな」

 

 あんな若い子が嘆かわしいと首を振る船長。

 このように、世間一般におけるリッチーの評判と印象は極めて悪い。

 ゆんゆんも扉の向こうで物凄く嫌な誤解されてる!? とショックを受けている事だろう。

 

 死霊術師。別名ネクロマンサー。

 れっきとした職業の名前ではあるのだが、死霊術を扱う者全般を指す事もある。

 吸血鬼やデュラハンも広義では死霊術師。

 どちらの場合も、死者を己が欲望のままに弄び、故人の尊厳と魂を冒涜するおぞましき闇の走狗である事に変わりはない。

 許されざる邪悪。唾棄すべき外道。全ての生きとし生けるもの達の大敵。

 

 当然ながら、不死者の王ことリッチーもこの死霊術師の範疇に含む。

 それどころか筆頭ですらあった。

 

 世間一般のイメージにおける死霊術師といえばリッチー。

 様々な伝説や英雄譚に登場する、死者を冒涜する邪悪の代表といえばリッチー。

 根暗で陰鬱で陰険で陰湿で孤独で執念深くジメジメした薄暗いところが大好きで全身から腐った生ゴミの臭いを漂わせている人生の負け犬で放置しておくと知らないうちにやたら増えているクソうざいドブネズミやナメクジのようなイメージを持たれている死霊術師といえばリッチー。

 

 このように、エリス教とアクシズ教による怨念すら感じられる執拗なネガキャンもといロビー活動は、死霊術師とリッチーの印象にとてつもない被害を与えていた。

 実際ほぼ全ての死霊術師が邪悪である事は歴史も証明する客観的な真実なので、皆はこんな腐った蛆虫のようなゲロカスになっちゃいけないよ! という啓発活動は決して間違っていないのだが、親兄弟親族友人を皆殺しにでもされた挙句アンデッドにでもされたのかと勘繰りたくなるあまりにも徹底した人格否定と誹謗中傷っぷりは、死霊術師に対する若干の同情の念をあなたに抱かせていたりする。

 友人であるウィズの件を抜きにしても、ノースティリスの冒険者であるあなたの感覚では、このレベルの人格否定を受けて当然と思えるのは無神論者やカボチャ型モンスターをペットにしている輩、癒しの女神を気狂い共に媚を売って股を開き跪かせては悦に浸る売女と罵った木っ端邪神といった具合の、本当にどうしようもない連中くらいだからだ。

 ちなみに最後の邪神は当然の事だがあなた達癒しの女神の敬虔な信者によって、その信徒を含めた全員が埋まるまで徹底的に縊り殺されている。当然の事だが。当然の事だが。

 閑話休題。

 

「しかしベルゼルグとは初めて聞く名前だな。街とかじゃなくて国家なんだよな? この地図だとどこらへんに位置するのか教えてくれないか」

 

 壁に張られている大きな世界地図を横目で見やる船長。

 遥か昔に作られたであろうそれは、あなたが知る現代の地図と殆ど差が無い。

 強いて言うなら現代より未踏領域が多いようだが、これは単純に開拓が進んでいなかった時代の地図だからだろう。

 

 あなたはベルゼルグの位置を、つまり地図の右端に視線を向けた。

 時に極東とも称される、広大な大陸のほぼ全てを険しい山脈が縦断する地域の先には、魔王領という名の未踏領域が広がっている。

 そして山脈に穴を開けたように存在する空白地帯の東西の端には、ベルゼルグ王都と魔王城が蓋をするような形で存在する。

 人類が東進するにせよ魔族が西進するにせよ、他の陸路は存在せず、だからこそ人魔はこの空白地帯で長きに渡る争いを繰り広げているというわけだ。

 ベルゼルグ王都が陥落すると人類の敗北はほぼ確定するが、魔王軍もまた結界によって絶対的防御を誇る魔王城が戦略上極めて重要な防衛ラインになっているとはリーゼの談。人魔の戦いはいわば互いの喉元に刃を突きつけた状態で続いているのだ。

 

 しかしこの地図の極東、ベルゼルグが位置する地には全く別の国名が記されていた。

 すなわち、ノイズ、と。

 

 かつて他を寄せ付けぬ圧倒的な国力で世界を席巻し、魔道技術大国とまで呼ばれたノイズは、機動要塞デストロイヤーの暴走によって何百年も前に滅び去っている。

 そして亡国となったノイズの跡地に生まれた国。

 ノイズに代わって魔王軍の浸透を防ぐために作られた国。

 それこそが現代において世界最強を誇る軍事国家、ベルゼルグである。

 

 だがノイズの軍人であろう船長の前でそんな話をしても、笑い飛ばされるか激昂されるのが関の山だとあなたは理解していた。

 ノイズが滅びたという確たる証拠を所持しているわけでもない。誠実は美徳だが、この場における迂闊な発言は彼との対話を更に困難なものとするだろう。

 よってあなたはこの地図上には存在しないという微妙に本当でも嘘でもない発言でお茶を濁した。

 

「ほーん……」

 

 船長は感情の読めぬ瞳でじっとあなたを見つめていたが、あなたとて腹芸はお手の物。

 やがて彼は諦めたように息を吐いた。そういう事だったのか、と。

 

「未踏領域、それも魔王領に迷い込んじまったってわけか……納得だな。最悪でもある」

 

 何やら妙な勘違いをしていたので、あなたは訂正するついでに現在地を指し示した。

 リカシィ最北に位置する、険しい山脈と潮流で閉ざされた半島を。

 変な場所に転移している可能性も無いではないが、少なくともあなたの認識における現在地はここだ。

 ついでに前人未到の人外魔境こと竜の谷についての説明を誕生の経緯も含めて行っておく。

 

「…………」

 

 あなたの説明を受けたスケルトンはあからさまに困惑していた。

 

「現在地については、まあいい。いや本音を言えば全然良くないんだが、俺自身思い当たる節が全く無いわけでもないし、まるっきり出鱈目を言っているとも思えない」

 

 だが、と言葉を続ける。

 

「ベルゼルグっていったか? いくら異界の中とはいえ、人類領域に不死王の国が存在するというのは……受け入れがたいものがあるな」

 

 不愉快そうに部屋の外を睨むスケルトンに、あなたは疑問を抱いた。

 彼が竜の谷を知らないのは時代的に当然なので何もおかしくないし違和感も無い。

 あなたが中途半端に話を濁したせいでベルゼルグが竜の谷の中にある国だと勘違いされているのもある意味仕方がない。

 

 だが船長の中のベルゼルグはウィズが支配する国という事になっているようだ。

 確かにリッチーは不死者の王だが、何故彼女が国を持っている事が前提になっているのだろう。

 

「今になってようやく理解出来たってだけだ。確証があったわけじゃなかった。だが霧を抜けた先、あのおぞましい地獄から不死王が来たっていうのは、もうそういう事だ。もうこれ以上ない答え合わせだろ?」

 

 あなたの問いに、船長は吐き捨てるように答えた。

 壁の向こう側のウィズを鋭く睨みつけながら。

 

 軽く頭を掻くあなたは問いを投げかける。

 この霧湖の周囲について知っているかと。

 

「湖の周り? ああ、原っぱの先のことか。勿論知ってるさ。日の沈まぬ炎の大地。これでも生前はあそこに流れるバカでかい川を使って脱出しようと試行錯誤した事がある。だが無理で無茶で無謀な試みだった。この船はともかく、とても人が耐えられる環境じゃなかった。アンデッドと化した今となっては尚更無理だろうな」

 

 淡々とした船長の答えに確信を得たあなたは一つの事実を告げる。

 ウィズを含めた自分達三人はその炎の大地、白夜焦原と呼ばれる領域からやってきた探索者であり、船長が知るであろう霧の内部とは一切無関係であると。

 

「…………は?」

 

 それは彼にとってよほど予想外の言葉だったのだろう。

 カクン、と骸骨の顎の骨が外れた。

 

 

 

 

 

 

 船長室のテーブルに並べられたのは、あなたの言葉を裏付ける数々の証拠品。

 とはいっても大層なものではない。

 あなた達がこれまでの探索で撮影してきた写真の数々を披露したというだけである。

 

 千年樹海と白夜焦原の様々な風景と事あるごとに残していた各々の自撮りは勿論のこと。

 資料用にと残した竜の谷に巣食う数々の魔物の死体だったり。

 世界樹の頂上から見た至上の風景だったり。

 ネバーアローンと死闘を繰り広げた不死鳥の親子だったり。

 黒い炎の不死鳥が怒り狂った嫁に総排泄孔の毛まで毟られた哀れな姿だったり。

 火炎竜巻無尽鮫やマグマダイバーゴブリン、スーサイドフライングマンボウ(いずれもゆんゆん命名)といった奇々怪々な生物の数々だったり。

 

「…………」

 

 食い入るようにネバーアローンの愉快な冒険の軌跡とウィズを交互に見つめていた船長は、やがて被っていた帽子を壁に投げつけてヤケクソで叫んだ。

 

「おかしいだろ! なんで不死王が人間と一緒に真面目に清く正しく冒険者やってんだよ!」

「そこはこう、成り行きというか、かつての夢の成就というか、趣味と実益を兼ねてというか……普段は街の片隅でひっそりお店やってますし……何度も言ってますが世間にご迷惑をおかけしないよう気を付けてますし……」

「もうそこからおかしいじゃん! 人様に迷惑かけない不死王とか初めて聞いたよ! 不死王なら不死王らしく邪悪な儀式とか陰謀とか魔王軍みたいな人類の敵やってろよ!」

 

 本人としても思うところが無いわけではないのか、今度ばかりはウィズも強く反論はしなかった。

 流石に魔王軍という言葉には若干目を泳がせていたが。

 そんなうららかな春の陽気につられてお昼寝をしてしまい、そのまま消滅しかけてしまうようなぽわぽわりっちぃにあなたとゆんゆんは生暖かい視線を送る。

 

「……本当か? 本当に霧の先のアレとは無関係で、冒険の最中に偶然この船を見つけたから近づいてきただけの一般通過不死王なのか?」

「はい。霧の先がどうなってるのかは知りませんが、この船の彷徨える魂を支配しようという考えは毛頭無いですし、なんなら貴方を含めて成仏させて天に還したいと思っています」

「マジか……マジかあ……」

 

 きっぱりと断言するリッチーの言葉と瞳には強い使命感が宿っている。

 しばし呆けていた船長はやがて拾った軍帽を被り直し、深々と頭を下げた。

 

「数々の非礼と暴言、深くお詫び申し上げる。本当にすまなかった」

「謝罪を受け入れます。……実際、ほぼ全てのリッチーが船長さんの言うような邪悪な存在である事は事実ですから。誤解されても正直しょうがないかな、とは思います」

 

 無事に誤解が解けたので今度は相手の事情を聞く番だ。

 

「ノイズ海軍所属第二艦隊旗艦、ホワイトフォーチュン。この船の名前だ」

「まさかとは思いましたが、やはりノイズの軍艦でしたか。どういった経緯で竜の谷に?」

「魔王軍との大規模な海戦に勝利した直後、嵐に巻き込まれ、気がついたらここにいた」

 

 嵐に巻き込まれたのはここだ、と船長が指し示したのは船舶の消失事件が多発するがゆえ、現代において船の墓場とも称される魔の海域だった。

 

「そして湖から出る事も叶わず、湖の魔物との戦いで死者を増やしながら当ても無く彷徨い続け……やがて全滅した。餓死で終わらなかったのは唯一の救いだな」

 

 船と船員達を襲った悲劇に心を痛めているのか、悲しげな表情のゆんゆんがあなたの服の裾を強く掴んでくる。

 あなたは善良な少女の頭を軽く撫でた。

 

「いくつか質問があります。構いませんか?」

「俺が答えられる範囲で答えよう」

「貴方を含め、亡くなった船員の方々がリッチーである私の影響を受けないのは何故ですか?」

「相棒によって、魂がこの船に縛られているからだ。どういうわけなのか、この地は死者が自然に成仏する事が無い。葬送可能なプリーストもいるにはいたんだが、この地から切り離すにはレベルが足りないと言われたよ。全員の同意を得た上での行為だから納得は不要だが理解はしてほしい」

「リッチーの私が言うのもどうかと思いますが、自分達がアンデッドになる事は想定の範囲内だったと?」

「そうだ。葬送が不可能な以上、放置してそのまま悪霊にするわけにはいかなかったし、何より俺達は霧の向こうで見たモノに連れて行かれてしまう事を恐れた。アンデッドになるよりも、ずっとずっと。どんな手段を用いたとしても、それだけは絶対に避ける必要があった」

 

 彼らは一人残らず地縛霊ならぬ船縛霊になっているようだ。

 それを為した相棒とは何者なのだろう。

 

「そっちも気付いてると思うが、湖底にいるやつだな。後で顔合わせのタイミングを作ろう。言っとくけどアンデッドじゃないぞ」

「貴方以外の船員の方はご自身が既に亡くなっている事に気がついていませんよね? その理由は?」

「すまんがそれは俺にも分からない。全員がアンデッドになった後、いつの間にかこうなっていたとしか答えようがない。無闇に刺激する必要も無いからそのままにしているが、相棒はこんな変な場所で船に縛ってしまった影響じゃないかとは予想していたな」

 

 聞けば船長以外の船員は嵐に遭遇してからの記憶が一月前後のペースでリセットされるのだという。

 自分の記憶だけリセットされないのは相棒との繋がりのお陰だろうとも。

 他にも彼はあなた達の質問に隠し事をする事無く答えてくれた。

 

 だが、しかし。

 最後の最後にウィズが発した問いにだけは。

 

「霧の先、白夜焦原ではない方角には何があったんですか?」

「…………」

 

 推定第四層の話題になった瞬間、口を閉じるスケルトン。

 眼孔の炎が掻き消え、船室に暗く重苦しい沈黙が満ちる。

 

「……申し訳ないが、あそこについての詳細は口にしたくない。ただ下船したが最後、死ぬよりずっと悲惨な目に遭う事になると、一目見ただけで俺と相棒を含めた全員がそう確信した。気になるなら自分の目で確かめてくれ。先に進むというのであれば目にする事になるだろう」

 

 硬質な声色には、どこまでも強い恐れと忌避感だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 船長室を後にしたあなた達は、彼に連れられて軍艦の最下層にやってきた。

 特別製であるこの船は船底を開放出来る仕組みになっているらしく、あなたの目の前では微かな明かりに照らされた湖面が静かに揺らいでいる。

 

「ここまでの船旅でこうは思わなかったか? この湖はやけに魔物が少ないと」

 

 船長は、第三層であなた達が常々感じていた事を言い当てた。

 確かにこの湖は竜の河と繋がっていながら、あまりにも魔物との遭遇頻度が少なすぎる。

 

「昔はこの湖も魔物がわんさかいたんだ。でかいのやばいのが色々と。俺達が全滅したのも結局は湖に巣食う魔物が原因だ」

 

 だが、今はもういない。

 果たしてその理由は、これから会うものにあるのだという。

 船長が相棒と呼ぶもの。船員が守り神と呼ぶもの。

 

「俺達の死後も相棒が戦って戦って戦い続け、湖の敵を駆逐した結果だ。この湖は相棒の縄張りと化して久しい」

 

 船長が何かの合図を送ると同時、湖底に沈んでいた強い力の気配がゆっくりと浮上してくる。

 少しずつ、あなた達に向かって。

 

「この場所も、本来なら相棒が体を休める為のものだった。長い放浪の影響で相棒がでかくなった今となっちゃ出入りなんて無理だけどな。本当なら甲板で会ってもらうのがいいんだが、今の相棒は仲間達の記憶の中の姿と違いすぎる。下手に船の外で姿を見せると騒ぎになっちまう」

 

 何かが近づいてくるのを厳かな雰囲気で待つ中、ふとゆんゆんが挙手をする。

 

「湖に魔物が少ないのはこの船の影響という話ですけど、じゃあ空からマンボウが降ってきてそのまま死んだりゴブリンが船首で数時間ポーズ決めたり霧を長時間吸うと頭がバカになるのもこの船の影響って事なんですか?」

 

 船長はニヒルに笑った。

 

「知らん……何それ……怖……」

 

 ゆんゆんの頭がバカになっていたのは霧のせいではなく素だ。

 ゆんゆんは普通に頭がバカになっていただけなので、誰かの責任にしてはいけない。

 あなたは頭がバカになっているゆんゆんがバカな事を言って申し訳ないと船長に謝罪した。

 普段はここまでバカではないのだが。

 

「何度もバカバカ言わないでください! 紅魔族は知力のステータスも高いんですからね!?」

「ん? 嬢ちゃん紅魔族だったのか? あの紅魔族? アークウィザード適性が最大レベルの紅魔族?」

 

 船長の反応にゆんゆんは目を瞬かせた。

 

「私達のことご存知なんですか?」

「いや知ってるも何もあんなに有名な……ああ、そうか。嬢ちゃんは子孫って事になるのか。言われてみれば確かに黒髪紅目で特徴はそのまま引き継いでるか」

 

 興味深そうに眺めてくる船長にゆんゆんはどこか居心地が悪そうだ。

 ちなみに紅魔族の里で拾った日記を読んだあなたは知っている。

 紅魔族はノイズの時代に生まれた改造人間、魔王軍に対抗する為の生物兵器である事を。

 そういう意味ではゆんゆんを含めた紅魔族はノイズの血を色濃く残す民族なのだろう。

 

「通称プロジェクトK。高まる魔王軍の圧力を抑えるために精鋭アークウィザードを量産しようというウチの軍の研究部署による肝煎り案件。ノイズ史上最高と名高い天才が国民全員に被検体募集かけて応募が殺到した結果抽選になったという改造人間」

 

 ちなみにこの天才とはデストロイヤーの製作者である。

 改造人間や生物兵器と聞くといかにも悲劇的な境遇を背負っているように思えるのだが、ノイズの国民はすこぶる頭のネジが飛んでいたので全くそんな事は無かった。

 

「ウチの船からも当選者が出て皆で祝福して送り出したのが懐かしいよ。俺もめっちゃ応募したかったんだけどな。改造手術で今までの記憶が全部無くなるっていうから泣く泣く我慢するしかなかった」

 

 アンデッドの身でありながらそれまで散々常識的かつ理性的な振る舞いを見せ、リッチー相手に覚悟を決めて啖呵まで切った船長の口から平然と飛び出す世迷言。

 ノースティリスの冒険者であるあなたであっても強化の代償に全ての記憶が消し飛ぶ改造は本気で勘弁してほしいと感じるので、ノイズの国民は相当のキワモノ揃いである。

 そんなノイズの国民性と血をゆんゆんも受け継いでいるのだろう。自分が改造人間の末裔と聞かされてショックを受けるどころか若干興奮していた。まとも寄りの感性を持っているゆんゆんですらこの様なのだから、普通の紅魔族であればそれはもう大変な事になってしまうだろう。

 自他共に認める廃人であるあなたをして素直にやばいと認めざるを得ない。紅魔族が人魔から関わり合いになりたくないランキングにおいてアクシズ教徒とツートップを独占するのもむべなるかな。むしろノイズとは無関係の身で張り合うアクシズ教徒が何なのかという話まである。

 

「あのあの! もっと紅魔族について聞かせてくれませんか? 私達についての話って殆ど残ってなくて……」

「んー、じゃあこんなのは知ってるか? 知り合いに聞いた話なんだが、手術を受けた紅魔族たちは自らの産みの親である天才科学者をマスターと呼び慕っている……もとい慕っていたらしい」

「マスター……!?」

「な、かっこいいよな」

 

 和気藹々と語り合う彼らの感性についていけないあなたとウィズは互いに無言で視線を交わし、少しだけ二人から距離を取った。

 

「ちょっとだけ、ゆんゆんさんを遠くに感じます」

 

 あなたは真顔で頷く。

 

 ――平然と遺伝子合成なんて超絶マッドな真似するご主人に引く権利は無いだろ、マジで。

 

 吐き捨てるかのようなベルディアの毒電波が届いた。

 

 

 

 

 

 

 やがて浮上してきた何かは、白くて大きいものだった。

 

「お疲れ相棒」

『うん。ここには全身が入らないから、体の一部しか見せられなくてごめんね』

 

 先ほどまで水面だった場所は、真っ白でツルツルしたさわり心地の良さそうな何かで埋まっていた。

 ついでに頭に穏やかな声が聞こえてくる。

 電波ではないようだ。思念の類だろう。

 

「これだけじゃ何のこっちゃ分からんだろうから先に説明するが、相棒は白鯨だ。名前はモビー。こいつがまだ小さな子供だった頃、群れからはぐれて浜辺に打ち上げられていたのを同じくガキだった俺が見つけて、友達になった。んでまあ海の軍人になった俺と一緒に育って、一緒に戦って、一緒に湖に迷い込んで、今に至る」

 

 白鯨。

 時に海の巨人とも称される幻獣だ。魔物ではない。

 通常の鯨より遥かに巨大で賢く、そして強い。

 この世界の海における最強の種族といえるだろう。

 

「よ、よろしくお願いします!」

『はじめまして、紅魔族の子。仲間達と同じ血を引く者に会えて私も嬉しい』

「モビーさん、はじめまして」

『よろしく不死王。相棒から話は聞いてる。お願いだから殺さないで』

「初手命乞いは普通に凹むのでやめてください……」

 

 相も変わらずウィズが動物に苛められているのを横目に、あなたは船長にだけ聞こえるように尋ねる。

 これまでにモビーは何回死んでいるのかと。

 

「……当てずっぽうで言ってるわけじゃないな。驚いた、分かるもんなのか?」

 

 モビーはあなたやベルディアと同じ気配を纏っている。

 何度も何度も死んで這い上がり、強くなった者特有の気配、自身の生死が軽くなった者の気配だ。

 これは同類でなければ分からないだろう。カズマ少年のように一桁程度ではこうはならない。

 ましてやモビーはこの世界の海における強者。霧の湖における戦いで相当に自身の屍を積み上げてきたのがあなたには手に取るように理解出来た。

 

 とはいえそんな血生臭い事情を明け透けに説明しようとは思わない。

 なんとなく分かるとだけあなたは答えた。

 

「なるほど、伊達に不死王と友人やってないって事か。ちなみに質問への答えだが、正直覚えてない」

 

 声には苦いものが含まれていた。

 仲間と船を守るべく戦った友を何度も死なせてしまったという強い自責の念から来るものだろう。

 

「まあそれが分かってるんなら、こっちとしても話が早くて助かる。こうして相棒と会わせたのは、アンタ達を類稀なる強者にして冒険者であると認めたうえで頼みがあるからだ」

 

 そう言ってあなた達の視線を集めた船長は、懐からあるものを取り出した。

 小さな紅白の球体であるそれは、ベルディアが常日頃からお世話になっている、中に入れた者に擬似的な不死を与える神器。モンスターボール。

 あなたがカイラムで入手したそれを見せると、アンタも持ってたのか、と船長は驚きを露にした。

 

「説明の手間が省けた気がしないでもないが、相棒はこの神器の中に入る事が出来る。だから俺達を昇天させた後、ここに残される事になる相棒を海に帰してやってほしいんだ。両者の同意があれば相棒は神器から解放されるから、残った神器はアンタ達の物にしてくれて構わない」

「竜の河を伝っていけば海に出られますよ? モビーさんの強さなら可能だと思うのですが」

『樹海の奥までは私だけで行けたけど、出口らしき場所で押し戻された。恐らく一定以上の強さを持っていると出られないようになっている』

「とまあこういうわけだ」

 

 初めて聞く話だが、確かに竜の河に巣食う強力な魔物が滝から流れ落ち、リカシィ国内で暴れたという話をあなたは聞いていない。頻繁にあって然るべきだというのに。

 神々が結界を張っているのかもしれない。

 

「私達は来た道を引き返す予定はありませんけど、それでもですか?」

「ああ。アンタ達とは今日が初対面である事は重々承知だし、こういう事は言いたかないが道半ばで全滅する可能性すら考慮した上での決断だ。こんな機会は間違いなくこれが最初で最後だろう。相棒にはこんな場所で一生を終えてほしくないんだよ」

『私からもお願い。相棒や仲間との思い出が詰まったあの海に私は帰りたい』

「代価として家宝であるこの神器、そしてこの船から好きな物を持って行ってくれていい。……とは言っても軍艦だし、残念ながら冒険者が求めるような金銀財宝は積んでないんだが」

 

 不死者と化し、そして間もなく消え逝く船長からの依頼。

 あなた達ネバーアローンは、満場一致でそれを引き受けた。

 

 

 

 

 

 

 およそ十日。

 ノイズが誇る魔道軍艦、ホワイトフォーチュン号の諸々の処理に必要とした時間である。

 ネバーアローンと話をつけた船長とモビーが真っ先に行ったのは、自分達は死者と化しており、長年に渡って霧の湖を彷徨い続けていると船員達に各々の遺品や遺書という物証付きで説明する事だった。

 

 突如として現実を突きつけられた亡霊達は荒れに荒れた。

 自分達が死んでいたからではない。

 当然驚きも嘆きもしていたが、そこは軍艦に乗るものとして覚悟の上だったし、葬送して天に還してもらえるというのであれば素直に受け入れよう、くらいの意識ですらあった。

 

 ――予約してたコンサートに行けなくなったって事!?

 ――やったああああああ!! メシマズ鬼嫁から解放されたあああああああ!! 俺は自由だあああああああ!!

 ――この作戦終わったら溜まりに溜まった有給消化するつもりだったのに! 死ぬ前に使っときゃ良かった!

 ――今なら心置きなくやれる……! 金を地面にばら撒いて上から目線で高笑いするというアレを!

 ――私第二回紅魔族改造手術に当選してたんですけど!?

 

 船上で乱舞する各々の俗すぎる未練と悲喜交々。どうせ最期ならパーッとやるか! と始まる宴会。ホワイトフォーチュン最強を決める拳闘大会。船のあちこちで発生する爆発。ノリと勢いで袋叩きにされてマストに吊るされる船長。

 紅魔族の祖先であるノイズの国民性が存分に発揮されていたといえるだろう。

 

 

「んじゃ船長、お先に失礼します」

「おう、お疲れ。俺もすぐ行く」

 

 朗らかに笑い、手を振りながら甲板に描かれた魔法陣に足を踏み入れる古代の亡霊。

 深い霧の中、また一人、不死王の手によって彷徨える亡霊が天に還っていく。

 短い付き合いだったが、誰も彼もが気のいい者達だった。船と一緒に沈めたくないし天には持っていけないからと様々な遺産、今となっては非常に貴重な古代の物品、文献、魔道具も多数譲り受けている。

 いい船で、いい仲間達だったのだろう。あなたは素直にそう思った。

 

「残りは……もういないか」

「はい。あとは船長さんだけです」

 

 船員の亡霊達によって往時の姿を維持していたという巨大軍艦は、ほぼ全ての亡霊が解き放たれた今、その真の姿を曝け出している。

 度重なる戦闘で荒れ果て、あちこちにどす黒い血痕がこびりついた甲板。半ばから真っ二つに折れたマスト。穴だらけの船体。

 現在進行形で崩壊しつつある船のあちこちから響いてくる、悲鳴の如き異音。

 雄大にして強大だった姿は最早見る影も無い。今この瞬間に沈んでもおかしくない、まさしく幽霊船と呼ぶに相応しい死に体だ。

 

「正直船を預かるものとして卒倒したくなる光景だが……それでもやっと肩の荷が降りた。このクソッタレな場所であいつらに穏やかな最期を与えてやれた」

『うん、お疲れ様』

 

 船の隣には白く、そして巨大な鯨が悠々と浮いていた。

 長年に渡って戦い、傷つき、死んで、這い上がり、船と仲間を守り続けてきた白鯨、モビー。

 その全長はおよそ200メートル。玄武に匹敵する巨躯の持ち主である。

 

「モビー、お前も元気でな。海に帰ったらいい嫁さん見つけるんだぞ」

『そういう相棒は結局最期まで童貞だったね』

「止めろよ未練残っちゃうだろ!」

 

 長々とした思い出話や感情の整理はこの十日間で終えた今、湿っぽい言葉は不要と最期まで軽口を叩き合い、長い時を共に歩んできた一人と一頭は笑顔で別れを終えた。

 ギシギシと船体が鳴き続ける中、最後の一人となったスケルトンがネバーアローンの三名に頭を下げる。

 

「最期に改めて礼を言わせてもらうが、相棒共々、本当に、本当に世話になった。感謝の言葉も無い。アンタ達に会えて良かった」

 

 その上で、と彼はあなた達に警告する。

 

「どいつもこいつもクソバカな連中だっただろ? 誰も彼もが笑って天に逝った、自慢の仲間達さ。だが、そんなあいつらでも、霧の向こうは等しく恐れた。あれはそういう場所だった。くれぐれも気をつけてくれ」

 

 真剣な表情で頷くあなた達に満足したのか、船長は静かに笑って魔法陣に入る。

 

「モビーを、俺の大事な友達をよろしく頼む。じゃあな」

 

 光に溶けて姿が消える最後の一瞬、あなた達は日に焼けた肌を持つ、まさしく海の男といった風の精悍な壮年の男が、満面の笑みを浮かべる姿を垣間見た。

 そうして不死王を除くアンデッドが誰一人としていなくなった幽霊船は破綻を迎え、轟音と共に傾き始める。

 

 だが、誰がどこからどう見ても限界だったにも関わらず、幽霊船が沈没を始めたのはあなた達が脱出し、十二分に距離をとった後。

 それはまるで、最後の力を振り絞り、あなた達を巻き込むまいとするかのような姿だった。

 

 

 

 

 

 

 幽霊船を除霊したあなた達ネバーアローンは、その後、湖の主であるモビーに案内される形で霧を抜けた。

 モビー曰くそのまま進んでいるだけでも到着はしていたとのことだが、およそ半月近い道のりを短縮した計算になる。

 そうして第三層を突破したあなた達は、ノイズの軍人と白鯨が恐れたものを目の当たりにする事になる。

 

『案内はここまで。私は眠りにつく。放っておいたら何年もそのままになるから、用があるか海に辿り着いたら起こしてほしい』

「分かりました。モビーさん、ここまでありがとうございました」

『うん。見れば分かると思うけど、くれぐれも死なないで。絶対に、ここでだけは』

 

 最後に強い警告を残したモビーはモンスターボールの中に収まり、長い眠りについた。

 

 天に還った船長と巨大な同行者の言葉はどこまでも正しい。

 第四層。最果てと呼ばれる場所の先。

 この地で死ねば碌な事にはならないだろうと、あなた達は一目見た瞬間から否応なしに理解させられていた。

 

「……うっ!」

 

 よほど耐え難かったのか、顔面を土気色にしたゆんゆんが船縁から身を乗り出して思いきり嘔吐する。

 吐瀉物が静寂の湖を汚すも、あなたは彼女を揶揄しようとは思わなかった。

 それなりに精神的にタフになってきたゆんゆんであっても耐えられなかった。それだけの事だ。

 

 おぞましい血の色に染まった呪いの空。

 草木の一本も見当たらない荒れ果てた荒野は、その全てが濃密な闇と瘴気で汚染されきっている。

 汚染された大地のあちこちでは曲がりなりにも日の下であるに関わらず不死者が自然発生し、だがその強すぎる死と闇に耐えきれず数分ともたずに崩壊、苦悶の声をあげながら消滅。その姿はまるで生死を繰り返すかの如く。

 

 世界が死んでいる。

 そうとしか形容できない壮絶な風景。

 

 同じ荒野でも、光と炎に満ちた白夜焦原とは対極的。

 静寂に閉ざされた虚無の荒野でもない。

 どこまでも血と闇と死で満たされた世界。

 

 竜の谷第四層。

 深き霧の果てにて探索者を待ち受けるこの地は、今はまだ語られるべき名を持たない。

 足を踏み入れた者は生者も死者も等しく飲み込み、染め上げ、呪い、縛り、永遠の闇に捕らえる怨念と死色の大地。

 

「……船長さんが私を見て誤解するわけですね」

 

 そんな場所を見たウィズは静かに告げる。断言する。

 奇しくも船長の言葉自体は正しかったのだと。

 

「間違いありません。ここはリッチーの支配領域です。それも、私より遥かに格が上の」

 

 あなたの目が希望で輝き、ゆんゆんが恐怖と絶望のあまり失神した。


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