このすば*Elona   作:hasebe

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 ここまでのあらすじ

雛「これは断じて家出などという思慮に欠ける短絡的行動ではない。支配からの脱却であり光輝く未来への飛翔である」

雛「道に迷った……めっちゃ魔物が襲ってくる……おかしい、どうしてこんな事に……おうちかえう! ママどっち? おうちどっち?」

雛「魔物に追われてる最中よさげのを見つけたので擦り付けたら余裕でボコボコにした。襲ってくる様子も無いし私の家の方角に向かってるみたいだしついていこう」

雛「冒険楽しい! パパとママに似た炎を使う人いっぱいちゅき! 黒い髪の子供は羽休めする場所にちょうどいい。薄汚い氷の不死者は私に近づくな」

黒「見つけたぞおんどれぇ!! よくも可愛い可愛いウチの娘を攫ってくれたもんじゃのう!! 生きて帰れると思うなよダボが!!!」
雛「パパがガチギレしてう! しぬぅ! ころされう!」

蒼「何子供放って人間さんと乳繰り合ってんだぶち殺すぞクソが……」
黒「あいつあいつ! あいつ誘拐犯! うちの子持ってた!」
蒼「あぁあああん!? 俄然許せねえ! 往生せいやあああああ!!」

雛「目が覚めたらママまでいた上に何故か私が誘拐された事になっていた件について」

蒼「この度は誤解からあなた方には大変なご迷惑を……」
黒&雛「前が見えねぇ」


第138話 第三層:最果ての霧湖

【竜の谷第三層:最果ての霧湖】

 

 深緑の第一層、灼熱の第二層を越えた探索者を待ち受ける風景。

 それは海のように巨大で、一寸先すら見通せぬ深霧に包まれた湖だという。

 

 竜の河の源流と思わしきそれは、竜の河が小川に感じられるほどの規格外の規模。

 しかし荒れ狂う竜の河とは対照的に、白霧の湖には波一つ立たず、どこまでも静かで穏やかな水面が続くのだという。

 

 大海にも似た水の塊に生命は存在するのか。

 湖はどれほどの広さなのか。

 この湖こそ竜の谷の終着なのか。

 

 尽きることなく湧き出る疑問は、そのいずれもが一切明らかになっていない。

 何故なら今日に至るまで、第三層に到達した上で生還した探索者はただの一人たりとも存在しないからだ。

 上記の情報とすら呼べない眉唾物の話ですら、第二層を越えたところで力尽き、無念と悔恨と共に第三層の情景を書き綴って竜の河に投げ入れた探索者によってもたらされたもの。

 奇跡と偶然が無数に積み重なり、百余年の時を越えて遺書が漁船の網に引っかからなければ、今も竜の谷における足跡は第二層で止まっていただろう。

 

 彼の探索者は生きた伝説と呼ばれ、今も様々な英雄譚で謳われる冒険者パーティーの一人。

 ゆえに遺書の内容を精査する手段は無く、存在の真偽すら定まらぬ中、それでも第三層は追悼と敬意を込めて、こう呼ばれている。

 

 最果ての霧湖、と。

 

 ――ナンテ・コッタ著『竜の谷探索紀行』より

 

 

 

 

 

 

 短くない時間を共にした不死鳥の雛を無事親元に帰したあなた達は、その後も襲い来る白夜焦原深層――推奨レベル70程度――の敵を蹴散らして解体するという平穏でゆるふわな旅を続け、第二層の果てに辿り着いた。

 ネバーアローンの目の前には、今となっては懐かしさすら覚える第一層と第二層の境目のように、焼け焦げた大地の一歩先で瑞々しい緑の芝が待ち構えている。

 緑の絨毯の長さはおよそ50メートル。

 そしてその先には全貌が見通せないほど巨大な、どこまでも深い白霧に包まれた湖が広がっていた。

 

 第三層、最果ての霧湖。

 よくも悪くも生命の力に満ち溢れていた千年樹海や白夜焦原とはまるで異なる、耳に痛いほどの静謐に満ちた凪の世界。

 もし世界に果てが存在するのだとすれば、なるほど、このように静かで穏やかな場所なのかもしれない。

 あなたをして自然とそう思わされる神秘的な場所だ。

 彼の地では何が待ち受けているのか。あなたは早くも興奮が最高潮に達していた。

 

「どうやら先人が遺した記述は正しかったみたいですね」

 

 感慨深いとばかりに発したウィズの声には安堵が多分に含まれている。

 白夜焦原のような自分を全力で殺しに来ている領域ではないと感じ取っているのだろう。

 

「ピヨッピョッ」

 

 あなたの肩から聞こえてくるひよこの鳴き声。

 生まれて初めて見る光景に興奮した様子を見せる不死鳥の雛によるものだ。

 

 何故離脱したはずの雛がここにという疑問への回答だが、なんとこの雛、あろうことか親元に帰した次の日にあなた達に再合流していたりする。

 今度は保護者が同伴するという事で、拒みはしなかったものの、あなた達は揃って驚きと呆れを覚えた。

 無駄に周囲を威圧して敵の出現を妨げるといったような形で冒険に悪影響を与えてこそいないが、今も蒼い不死鳥が空の彼方であなた達を常に捕捉している。

 盛大にやらかして蒼にズタズタのギチョギチョにされていた黒は巣でお留守番らしい。

 

 そんなこんなで小さな旅の連れとして道中に彩りと新鮮さと激レア素材の山を与えてくれた不死鳥の雛とも、今度こそここでお別れである。

 

「じゃあね雛ちゃん、ばいばい。もう道に迷っちゃダメだよ?」

「ピッピッ」

 

 ゆんゆんが手を伸ばすと、雛はやれやれといった風に鳴き、優しく指を啄ばんだ。

 

「お父さんお母さんみたいな立派な不死鳥になれるといいですね」

「ビャアアアアアアアア!!!!!」

 

 ウィズが手を伸ばすと、雛はやめてください不快です死にますと全力で威嚇拒絶炎上してリッチーの心を粉砕する。

 そして崩れ落ちるウィズを無視したあなたが餞別代わりにコロナタイトを与えて一撫ですると、雛は名残惜しそうに体を手の平に擦りつけ、別れの挨拶とばかりに一声鳴いて青空に羽ばたき、飛んできた蒼い翼と共に去っていった。

 

「色々ありましたけど、いざこうしてお別れするとやっぱりちょっと寂しくなりますね。最近は私にもだいぶ慣れてくれてましたし」

「そうですね……色々ありましたね……私は最後の最後まで全身全霊で嫌われてましたけどね……」

 

 地獄の底から轟く大人気ない不死王の声と恨めしげな視線から逃げるように、あなたとゆんゆんは第三層に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……空気が乾いてないですし、涼しいですし、ちゃんと魔力も回復するし……生き返った気分です……アンデッドですけど」

「ですねー」

 

 やはり白夜焦原での負担は大きかったのか、何度も深呼吸を繰り返し、水分に満ちた空気を肺いっぱいに吸い込むウィズ。

 自虐という名の不死者ネタを華麗に受け流すゆんゆんからも確かな余裕が感じられる。

 

 足を止めるのもそこそこに、名の由来となっている湖に近づくあなた達。

 濃霧の湖からは何も感じ取れない。

 湖上に滞留し、地上に伸びてこない霧という明らかに異常な現象が目の前で起きているというのに、だ。

 ただただ虚の白が広がっているばかり。

 

「記述の通り、怖いくらい静かな湖ですね。何より生命の気配が感じられません。竜の河を遡ったりはしていないんでしょうか?」

 

 軽く警戒しつつ湖に近づいていると、突然ざばり、という水音が。

 この距離まで全く気配を感じさせないという異質な相手の登場に、反射的に武器を構えるあなた達。

 

 果たして、視線の先、湖から現れたものは、あなた達がよく見知った姿をしていた。

 ゴブリンだ。

 保護色なのか、通常とは異なり全身が淡い水色に染まったそれは、腋にマグロのような姿の、全身のあちこちから触手を生やした黒光りする冒涜的な魚を抱えている。

 

「…………?」

 

 あなた達の姿を認めたゴブリンは数秒間呆気に取られていたが、襲い掛かってこないあなた達に敵意が無いと判断したのか湖からあがり、警戒する様子を見せるでもなく自然な足取りで白夜焦原の方角へ向かっていく。

 そして階層の境目まで辿り着くと、魚類の尻尾部分を第三層に、残りを第二層に置いた。

 途端に響き渡る耳障りな悲鳴。あなたは不快さに思わず眉を顰めた。

 

「魚を……焼いてる……」

 

 ゆんゆん、呆然。

 だが全身を焼かれながら必死に泣き叫ぶ異形の触手マグロは本当に魚類と呼んでいいのだろうか。

 大いに疑問が残るところだ。

 

 数分の後、ゴブリンは一本の触手を引きちぎったかと思うと、あなた達の足元に放り投げて、そのまま丸焼きと共に湖の中に帰っていった。

 おすそ分けをくれたということだろうか。

 こんがりと焼かれ、本体と切り離された今もなおびちびちと跳ねる活きの良い触手は黒と銀のまだら模様であり、その先端は槍のように鋭く尖っている。

 あなたは触手を食べてみる事にした。

 

「うわあ、それ食べるんだ。食べちゃうんだ。ちょっとは躊躇いましょうよお願いですから。いやいいです私は遠慮しておきます近づけないでください怖いので絶対食べません……え、あの、ウィズさん? ウィズさん?」

「……折角なので、私も一切れだけ」

「ウィズさん!?」

 

 調味料を一切使用せず、いい具合に火を通しただけの触手の味はあなたが初めて経験するものではあったが、大層美味であった。

 ただ咀嚼されて飲み込まれても触手はしばらくの間胃の中で元気に跳ね回っていたので、ある程度頑丈な者でなければ腹を破って肉片が飛び出てくる事だろう。

 

 

 

 

 

 

 到達早々未知との遭遇を果たしたネバーアローンは真っ先にポケットハウスを中心としたキャンプを設営し、周囲の環境調査を行った。

 霧の湖は人魔にとって文字通り竜の谷における分水嶺であり、湖畔の先は真なる未知の領域。

 過酷な白夜焦原における長期の探索は大小の差こそあれども各々の心身に疲労を蓄積させていたし、何より今のうちにこなしておかなければいけないタスクもあった。

 故にあなた達が即座に第三層の攻略を始めるのではなく、入り口で入念に準備を整える事を選んだのは当然といえるだろう。

 

 そうした調査の中で判明した事実は以下のものだ。

 

 千年樹海や白夜焦原とは違い、全うな形で昼夜が巡る。

 霧はあくまで湖の上にのみ滞留しており、地上には広がっていない。

 竜の河は湖を中心に南に延びているが、湖の北端にも同等の大河がある。

 湖はおよそ一日、つまり速度を2000にしたあなたが一月かければ一周出来る程度の大きさ。

 湖の中の気配は感じ取れないが、釣りをしたら色々釣れるので生き物はいる。

 湖の周囲には生命の痕跡も気配も存在せず、白夜焦原に囲まれる形で草原だけが広がっている。

 採取した霧は高密度の水の魔力で構成されており、湖の外部から何も感じられない以上、湖の内部はこれまで以上の時空間の歪みが発生している可能性が極めて高い。

 

 これらの他に、時間の経過で移ろいゆく風景は勿論のこと、霧の湖を背景にした自撮りなどなど。

 入念に残した第三層の写真とこれまであなた達が各々書き記してきた竜の谷の情報を持ち帰るだけで、ネバーアローンがレジェンドオブレジェンドな冒険者パーティーとして認められるのは100%確定である。

 当然ネバーアローンの一員であるゆんゆんの名前もまた冒険者の歴史に燦然と輝く事になるだろう。

 ゆんゆん本人の意思は完全に無視して、必然的に、そして強制的に。

 

 

 

 

 

 

 あなた達が不死鳥との戦いを終えた帰り道、ウィズは一つの願いを口にした。

 

 ――第三層に辿り着いたら、鍛錬に付き合ってもらえませんか?

 

 鈍りきった戦闘勘を取り戻したいという彼女の真剣な申し出を断る理由などあなたにあるはずもなく。

 ウィズが万全の体調を取り戻し、周囲の調査を終えたタイミングを見計らい、リッチーブートキャンプを執り行う事となったわけである。

 

「あの、今更なんですけど。本当にやるんですか?」

 

 ポケットハウス、シェルター内部にて。

 奥歯に物が挟まったような雰囲気で問いかけてきたゆんゆんにあなたは頷く。

 ウィズたっての願いであり、あなたとしても先の戦闘で多少なりとも感じるものがあった以上、断る理由が一つも無いと。

 

「まあ……私じゃ分かりませんけど。二人の領域の話は」

 

 口ごもる彼女はこう言いたいのだろう。

 何もそこまでする必要は無いのではないか、と。

 

 だがこれはウィズ本人が確かな覚悟を胸に望んだことであり、あなたが交わした約束だ。

 あなたが友との約束を違える事は決して無い。

 たとえ彼女の願いが、自分を生死の境を彷徨う程度に追い詰めてほしい、殺すつもりで戦ってほしいという、一般的に鍛錬とは到底呼べない狂気の沙汰だったとしても。

 

「でも、だからってこんな……」

 

 早くも説得が面倒になってきたあなたははっきりと告げる。

 戦いの規模こそ桁違いになるだろうしあなたとしても気合の入れようは別次元になるが、それでも内容自体はゆんゆんがいつも味わっているものと同じ筈だと。

 事実、彼女があなたの手で生死の境を彷徨ったのは一度や二度ではない。

 ベルディアが聞けば死なないとか温すぎるのでは? と真顔で答えそうである。

 

「いやいやいやいや! 無理がありすぎますよそれは! 幾らなんでもたかがみねうちでしばき倒されて瀕死になるのがそんなに無情で残酷な……わけ……」

 

 この世界において、死なない、死ねないみねうちを何度も食らうのは一般的に極めて非情な行為と認識されている。

 ゆんゆんの自分自身に対する死生観は師の手によってガバガバにされていた。

 具体的にはいつもの事だし生きてるからセーフ、といった具合に。

 

「…………ごめんねめぐみん。私、汚れちゃった。汚されちゃった。こんなんじゃもうお嫁にいけない……責任取ってください……」

 

 余程ショックを受けたのか、誤解を招きそうな発言をして不貞寝を始めるゆんゆん。

 無事に納得してくれたようで何よりだが、シェルターのど真ん中で寝ていると巻き添えを食らって危ない。弟子への思いやりに溢れるあなたはゆんゆんを壁まで転がしてあげることにした。

 

「おあ゛ぁあ゛あああー……」

 

 あなたにされるがまま、汚い鳴き声を発して地面を転がるゆんゆん。

 

「すみませんお待たせ……いや、何がどうしてそんな事になったんですか」

 

 壁に顔をくっつける形で突っ伏したゆんゆんに向けられたウィズの疑問は至極尤もなものだったが、あなたは割とある事なので気にしなくても大丈夫だと断言した。

 思春期という多感な時期を迎えた健康的な少女の例に漏れず、彼女もまた繊細な年頃なのだ。

 

 

 

 

 

 

 慣らしを兼ねて軽く準備運動を終えたあなたは、シェルターの中央でウィズと対峙した。

 気を取り直したゆんゆんもあなた達の戦いを見学したいとの事で、壁際に張られた結界の中で固唾を呑んであなた達を見守っている。

 先日の喧嘩と違ってウィズは完全武装。あなたが使用しているのは二人が見慣れぬ装備品の数々。

 主にみねうちの関係で愛剣が使えないのでダーインスレイヴに頼るが、それ以外は正真正銘あなたがイルヴァで愛用していたものである。

 

「これ一つあれば一生安泰という神器で全身を固めて、ようやくスタートラインに立てる。ちょうど今そんな気分です」

 

 莫大な時間と資産を溶かし、徹底的に厳選と吟味を重ねた廃人御用達の装備を前にしたウィズの感想だ。

 流石の慧眼といえるだろう。

 事実あなた達ノースティリスで活動する廃人とその仲間はそういう領域で戦っている。

 

「現状の装備は勿論、現役時代に私が使っていた装備ですら不足も不足。戦闘勘を取り戻してもまだまだ私が求めるものは遠そうですね……タイムシフト」

 

 がっくりと肩を落として落胆の様子を見せるウィズだが、果たして彼女は気付いているだろうか。

 その口が確かな笑みの形を作っているという事実に。

 まるで一度は途切れ、終わってしまった筈の道が続いている事を知って嬉しくてたまらないとばかりに。

 

 そんなあなたの指摘に、ウィズはぽかんと口を開け、やがて恥ずかしそうに小さく笑う。

 

「そう、ですね。自分では全然気がつきませんでしたけど、きっと今、私は心のどこかで喜んでいるんだと思います。子供の頃の私は、自分が出来ない事が出来るようになる事が、強くなる事がとても好きでしたから。冒険者になった後は成長するにつれてそれどころじゃなくなって、リッチーになった後はお店の事で精一杯で、強くなる事なんて考えもしなくて。……だからきっと、久しぶりに童心に帰ったりしているのかもしれませんね」

 

 脳筋、もとい才能と向上心に溢れたパートナーにこの上ない頼もしさを覚えながらあなたは速度を引き上げた。

 今回の鍛錬は常に速度2000の状態で行われる。

 体感で一ヶ月過ごしても実時間は一日足らずなのだから、活用しない理由は無い。

 当然ながらタイムシフトの影響下に無いゆんゆんとは多大な速度差が生まれる。

 今もあなた達を見守っている勤勉なゆんゆんにとっては残念な話だが、自分達の戦いは全く参考にならないだろうとあなたは確信していた。

 

 速度差がありすぎるし、何よりもあなた自身、ゆんゆんに配慮するつもりが欠片も無かった。

 正しくは全力を出してくるであろうウィズを前にして、ゆんゆんに配慮出来るだけの余裕が無い。

 

 確かに現在のあなたは装備と戦闘経験でウィズを圧倒している。

 勝てるか勝てないかでいえば勝てる。

 真面目に戦えば、順当に、勝つべくしてあなたが勝つ。

 それはあなたもウィズも認める事実だ。

 

 だが、それだけだ。たったそれだけなのだ。

 断じてあなたとゆんゆんのような、天地が逆さになっても覆らないような絶対的な力関係ではない。

 無傷で対戦ありがとうございました、なんで負けたのか明日までに考えておいてください、なんて余裕をぶっこける相手では断じてない。

 忘れてはいけない。速度差を埋めたウィズは錆付いてなおあなたと戦闘が可能な力の持ち主なのだという事実を。

 そんな相手を愛剣も自己強化魔法も使わないという条件で生死の狭間に追い込むには、あなたも相応に気合を入れて戦う必要があるだろう。

 

 頑張るぞいっ、と上機嫌を隠そうともせずにダーインスレイヴを振り回すあなたは、つまるところ、ウィズとの蜜月(戦い)をエンジョイする気満々だった。

 

 

 

 

 

 

 頬に吹き付ける突風、そして一拍遅れて同時に聞こえてきた複数の破砕音。

 周囲に無数に張り巡らせた多積層構造の氷盾が一気に叩き割られた事実を認識しながら、ウィズは、かつて氷の魔女と呼ばれていたアークウィザードはふと考える。

 思えば自分が最後に戦闘中に死を強く感じたのはいつだっただろうか、と。

 

 人生の中で最も死に瀕した瞬間はすぐに思い出せる。

 バニルと契約を結ぶため、身の丈に余る戦いの代償でほぼ全ての寿命を使い果たし、その上で禁呪を行使してリッチーになった時だ。それは間違いない。

 九割九分、何故生き残れたのか分からない程度には死んでいたという自信があった。

 

 だがこれが戦闘中となると話は変わってくる。

 最も強い相手だったバニルには相手の意向で常にあしらわれていたせいで命の危険など皆無だったし、リッチーになった原因ことベルディアとの戦いも終始優勢を維持していた。

 最後に経験した、自分が死ぬと、殺されると感じるほどの死闘。

 それは魔王軍との戦いだったような気もするし、魔王軍とは関係の無い魔物だったような気もする。

 

(いずれにせよ、確かに言える事が一つだけあります)

 

 これほど死と隣り合わせの戦いは、生まれて初めてであると。

 

(仮にも不死者の王が自分の死を感じ続けるなんて、これっぽっちも笑えませんけど)

 

 傍から見れば無為な思考に囚われながらもウィズの集中が鈍る事はない。

 今この瞬間も全力で頭を回し、死力を尽くして戦っている。

 四方八方から打ち込まれる攻撃を盾の魔法で防ぎ、黒蓮の魔法すら惜しまず攻撃魔法を叩き付けている。

 

 相手の身体能力はただひたすらに人外であるとしか形容する術が無い。

 膂力、敏捷性、反射神経といった近接戦闘に欠かせない要素の全てがウィズの魔導と同等の領域に練り上げられている。

 

(流石に純粋な遠距離戦、魔法の打ち合いでなら圧倒出来るんですけどね。というかそれで負けたらしばらく立ち直れない自信があります。ただ近接戦闘が本領なあちらが私に付き合う道理は無いわけで)

 

 血で血を洗う猛鍛錬を始めて体感で既に七日目。

 未だ全盛期の感覚には届かずとも、戦闘中に集中を乱すような惰弱さは払拭されている。

 激痛と流血という形で、強制的に。

 

 物魔遠近の全てにおいて万能な冒険者を相手にするウィズに余裕など無い。

 一見すると余計な愚痴や嘆きも熱で思考がショートするのを防ぐために行っている現実逃避に近い。

 

 ウィズの戦闘能力は後衛としてのそれに特化している。

 最低限の近接技能こそ有しているものの、今も徹底的に近接戦闘を拒否するという形で戦っており、不死王に相対するノースティリスの冒険者は、彼女が得意とする遠距離魔法戦には付き合わず、いっそ愚直なまでに自身の有利な距離に持ち込むという形で彼女を追い詰める。

 乱れ飛ぶ魔法を切り開き、決して怯む事無く、何度も何度も繰り返しウィズを血の海に沈め続けた。

 

 それはまるでウィズが自分一人だけでも十全の力を発揮できる術を教えるかのようであり。

 ウィズの戦いの全てを余さず記憶するかのようであり。

 あなた自身の戦いを見せ付けるかのようであった。

 

 自分達にとっては、互いの手札が明らかになってからが本当の戦いなのだという、自身のポリシーを伝えたいかのように。

 どこまでも丁寧に、丹念に、入念に。

 あるいは執拗に、無慈悲に、徹底的に。

 

 そしてそんなあなたの本気を感じ取っているウィズはあなたに心から感謝しているし、全身全霊で鍛錬に励んでいる。

 戦えば戦うほど、余分なものが削ぎ落とされていく感覚がある。

 生死の境を彷徨うたびに現役時代の戦闘勘が、幼少期の自分の感性が戻ってくる。

 一人の戦う者として急速に研ぎ澄まされていくのが分かる。

 まるであなたに手を引いて導かれるかのように。

 

 それが、どうしようもなく楽しい。

 

(でもそれはそれとして負けっぱなしは悔しいし性に合わないので……そろそろ一勝くらいはさせてもらいますよ!)

 

 意気込みながらウィズは一つの魔法を詠唱した。

 生み出されたのは五体の妖精を模した小さな氷像。

 不死王に侍るが如き氷精を目にしたあなたの動きが微かに鈍り、意識の一部が向けられる。

 

(やっぱりあなたならそうしますよね、初めて見る魔法ですもんね!)

 

 何度も繰り返してきた戦いの中で、ウィズはあなたの悪癖とも呼べる性を見出していた。

 それは、戦闘中は初見となる攻撃を絶対に無視しない、無視できないというもの。

 自身に通用しない、どれだけ取るに足らない攻撃と理性で認識していても、意識を向けてしまう。

 無論馬鹿正直に攻撃を受けるわけではないのだが、良くも悪くも取捨選択ができない。何らかの形で見定めた上で対処をしてしまう。

 

 戦闘者として正しい姿勢であるそれをウィズは逆手に取った。

 

 自律行動可能な氷精を空中に飛ばし、攻撃に参加させる。

 全てが瞬く間に撃ち落とされるも、本体であるウィズの魔力によって即時再生。

 本体のウィズも数多の攻撃魔法を発動。

 ありとあらゆる属性による多重攻撃の中には避けられた魔法があった。威力が足りていない魔法があった。耐性に阻まれた魔法があった。無効化された魔法があった。

 しかし矢継ぎ早に繰り出される魔法の数々は、あなたにとって、その全てが等しく初見となるものであり、たとえ効果を発揮できずとも、無視する事を決して許さない。

 

 これはたった一手、読み合いと立ち回りであなたを上回るための初見殺し。

 二度目は淡々と踏み潰されるとウィズ自身も理解しているハリボテのような策。

 

 だがそれでいい。

 二度目など必要ない。

 全ては今この瞬間の勝利のために。

 

 

 そうしてほぼ全ての札を吐き出した末、彼女の執念は実り、その一瞬が訪れる。

 錆付いた氷の魔女が、癒しの女神の狂信者を上回る瞬間が。

 

「ストームブリンガー!!」

 

 生み出した機会を過つ事無く、本命である風魔法を発動。

 危機を敏感に察知したあなたが退避する間を与えず、あなたを中心とした空間を、血煙も残らぬ暴虐の風が圧壊し、断裁した。

 

 ストームブリンガー。嵐をもたらすもの。

 ウィズが創作した独自魔法の一つであるそれは、廃人の動きを短時間とはいえ封じ込めるという恐るべき嵐の檻。

 無駄に高すぎる威力を誇る攻撃はしかし他者への行使を目的としたものではなく、なんとなく作りたいから作ってみただけという、世の魔法使いが聞けば残酷な才能差に憤死しかねない理由で生み出された。

 だがウィズの創作魔法は大半がそんな物騒な代物だ。

 

 風、水、土、光。

 あなたに通用する属性を用い、天災に等しい破壊魔法で絶えず檻を形成するウィズに躊躇は無い。

 

 自身のパートナーがこの程度で死ぬわけが無いと知っているから。

 一瞬でも気を抜けば檻から脱出してくると理解しているから。

 その証拠とばかりに檻を貫いて飛来する暴力的な光条の雨。

 光子銃、その機関銃形態による反撃である。

 

 瞬く間に削られていく氷の盾を矢継ぎ早に補充する。

 光子銃は込められたエンチャントを含め、その全てが純粋科学で作られた兵器だ。

 魔力が込められていない攻撃を無効化するリッチーに負傷を与えられる武器ではない。

 だがこのように防御札を破壊する事は出来る。直撃させれば集中を乱す衝撃を与える事も出来る。

 そして身を護る盾を失った魔法使いが近接戦闘に持ち込まれた末路など、考慮にすら値しない。

 

(……ッ、攻撃と並行しながらだと盾の補充が追いつかない。このままだとジリ貧ですね)

 

 何より今の攻勢では遠からず檻から脱出される。

 確信を抱いたウィズは攻撃と防御に半々ずつ割いていた意識とリソースの全てを、攻撃に割り振った。

 全ての盾が割られる前に相手が防御に専念せざるを得なくなる状況を作る。完全に封殺する。

 

(足を止められている今しかない。大丈夫、ギリギリで間に合います)

 

 加速度的に激しさを増していく魔法の嵐。

 攻撃の余波でシェルター内部はとっくに崩壊しているし結界内のゆんゆんも気絶しているのだが、そんな事は誰も気に留めない。

 

(3、2、1……今!)

 

 幾重にも及ぶ攻撃魔法による結界。

 あなたの現在の力量を正確に把握して作られたそれは、完成したが最後、今回の鍛錬における初の白星を主に捧げただろう。

 だが天才アークウィザードによる封殺戦術が完成しようとしていたまさにその瞬間、身を護る氷の盾、その最後の一枚を貫いた弾丸が、ウィズの頭部を掠め、鮮血を伴う痛みを彼女に与えた。

 

 ダメージと呼べるような負傷ではない。

 だがそれでも光子銃の一撃は、ウィズに確かな傷を刻んでみせたのだ。

 

 繰り返すが、光子銃の攻撃はリッチーに通用しない。

 ゆえにあなたは魔弾という、魔力が込められた特殊な弾丸を使用した。

 時間停止弾と同じ、限りあるリソースの一つを躊躇い無く切った。

 

 攻撃魔法の檻の中、氷盾が尽きるタイミングとウィズの思考を読み切って。

 瞬きにも満たぬ刹那の間、ウィズの意識を逸らす為だけに。

 

 流血で赤に染まる右の視界に、ウィズは己が犯した致命的な失策を悟る。

 これが攻撃魔法による負傷であれば意に介さなかった。そのまま封殺できていた。

 集中は切らしていない。瞬きもしていない。目も気配も常に嵐の中のあなたを捉え続けていた。

 だが、それでも。

 ほんの一瞬、予想外の一撃を受け、攻撃に全力を賭す必要があった意識の一部を防御に割り振ってしまったのは確かな事実で。

 

 魔弾の一撃を最後に、光の弾雨は嘘のようにぴたりと止んでいた。

 だがそれは反撃を諦めたあなたが防御に徹している事を意味するわけではない。

 その証拠に、今の今まで檻の中にあったあなたの気配が、もうすぐそこに――。

 

(まずっ――!)

 

 血に塗れた死角から聞こえてきた、ざり、という微かな着地音に全身が総毛立つ。

 意識の間隙を突かれた。

 相手の距離になった。

 身を護る盾を失った状態で、手を伸ばせば触れられる、必殺の間合いに踏み込まれた。

 

「ライト・オブ――」

 

 一か八か、光輝の杖剣を振るわんとするウィズは確かに見た。

 数々の破壊魔法を浴びて全身から血を流す冒険者を。

 血塗られた魔剣を構えた友人を。

 自身を追い詰めた友人に、不敵な笑みを向けるあなたの姿を。

 

 その瞳はどこまでも真っ直ぐに、ウィズを、かけがえの無い友(倒すべき敵)を見据えている。

 

 極限の集中で自身の意識を除く全てが遅くなっていく中でウィズの目に焼きついたもの。

 それは白銀に煌くダーインスレイヴの刀身。

 

 迫り来る死の予感。

 避けられぬ破滅の気配。

 自身の首筋に死神の鎌が添えられる光景を幻視したウィズは、あなたが何をしようとしているのか、そしてこのタイミングではいかなる対処も間に合わない事を悟り、頬を引き攣らせる。

 

 それはダーインスレイヴの代名詞。

 血塗られた魔剣の地位を永遠に不動のものとした忌むべき主殺し。

 神速にして不可避の絶技。

 廃人が不死王との鍛錬の中で完全なる体得を果たした悪夢の必殺剣。

 

 純粋に友との戦いを楽しむあなたの笑い声を伴奏に、六連流星が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 ~~ウィズの鍛錬日誌・屍山血河編~~

 

 一日目

 ぐうの音も出ないほどボッコボコにされました。

 

 二日目

 同上。

 しばき倒された直後に回復魔法で強制的に復活、再戦を繰り返しました。

 

 三日目

 何度も何度もみねうちを食らっているゆんゆんさんは正直凄いと思います。

 

 四日目

 決して勝ち目が見えないわけではないんです。

 ダメージを与える事は出来ている。

 でも届かない。勝利に繋がらない。

 きっとこれが私と彼の経験の差なのでしょう。

 

 五日目

 戦う、食べる、戦う、食べる、戦う、寝る。

 そんな毎日です。

 

 六日目

 ちょっと突破口が見えたかも?

 そろそろ一度くらい勝っておきたいので明日試してみます。

 

 七日目

 あと一歩のところで失敗。

 直接本人に言うと完全に負け惜しみになってしまうので、六連流星はノーコストで撃っていい技じゃないとここでこっそり主張しておきます。

 

 八日目

 夢を見ました。

 子供の頃の私が「私だけずるい。私と代わって」と何度も訴えてくる夢を。

 びっくりするほど無表情かつ愛想が悪くてリーゼさんや当時のクラスメイトに申し訳なくなりました。

 

 九日目

 勝てないのは相変わらずですが、結構動けるようになってきました。

 

 十日目

 早くも十日目。

 でもそれは私達の体感であり、実時間ではまだ半日も経ってないのだと思うと、速度差が生み出すアドバンテージの恐ろしさを痛感せずにはいられません。

 

 十一日目

 伸びが悪くなってきた感覚があります。

 自分に必死さが足りていない。

 悪い意味でこの日々に慣れてきてしまっているのでしょう。

 明日から一段階強く叩いてもらうようお願いしないと。

 

 十二日目

 (自らに向けた反省および改善点、あなたとの戦闘において有用な戦術、考察、立ち回りを記した図と計算式が延々と記述されている)

 

 十三日目

 (同上)

 

 十四日目

 (同上)

 

 十五日目

 (同上)

 

 

 

 

 三十日目

 辛うじて勝ちも負けもしない形で一日を終えました。

 個人的には殆ど負けだと思っていますけど、それでも初めての引き分けです。

 現役時代の感覚を取り戻せたのかは分かりませんが、ひとまず及第点、自分に失望を覚えないラインまでは引き上げられたので鍛錬は今日で終了。

 ちょっとだけお休みして、第三層に挑みます。

 

 

 

 

 

 

「うわあ……なんかもう、うっわあ……」

 

 いつかの時、どこかの場所。

 古ぼけた一冊の手記を前に、真紅の瞳と長い黒髪が印象的な妙齢の美女が頭を抱えていた。

 

「えぇ……あの時の二人ってこんな事やってたの? 一ヶ月近くも? 嘘でしょ……?」

 

 いかなる経緯で紛れ込んだのか、倉庫の整理中に見つけた手記を何気なしに開いてみれば、そこに記されていたのは美女にとってひどく懐かしく、そして愕然とせずにはいられないものだった。

 

「十二日目から二十九日目までの内容があまりにも異次元すぎる……図も計算式も読んでて意味が全っ然分からない……十二日目に何が起きたっていうの……」

 

 若くして世界最高クラスの魔法使いと謳われるようになった彼女は、かつて師の片割れが抱いていた異名を引き継ぐかの如き、他者に怜悧な印象を抱かせる鋭い美貌の持ち主である。

 そんな彼女がテーブルに突っ伏してとほほ……と情けない声をあげる姿を見れば、きっと誰もが目を疑う事だろう。

 

「……はあ。私も相当強くなったけど、まだまだ先は遠いなあ。知ってたけど」

 

 師の元から独り立ちをして久しい彼女は深く嘆息し、手記を痛めないよう、ゆっくりとページを読み進めていく。

 

「あーあー、こんな事あったあった。懐かしいなぁ……そうそう、幽霊船を見つけたんだよね」

 

 表情を柔らかく綻ばせ、過日の思い出に浸りながら。


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