このすば*Elona   作:hasebe

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第136話 告死の焔『黒翼』

 【黒翼】

 

 白夜焦原深部で遭遇した、不死鳥の特異個体。白夜に夜をもたらすもの。

 全長約20メートル、翼開長約80メートル。

 平均的な不死鳥の十倍以上という巨躯は全身が漆黒に染まっており、あまりの濃度と密度により質量を帯びた呪いの黒炎を自在に操る。

 

 推定討伐レベルは不明。

 白夜焦原の主と推測される存在であり、白夜焦原に生息する数多の魔物とは隔絶した戦闘力を持つ。

 最低でも第二層の魔物程度は片手間に殺害可能でなければ戦いそのものが成立しないだろう。

 

 性格は極めて獰猛かつ好戦的。

 更にその巨躯が砂粒ほどの大きさになるほど遠い空の彼方からでも獲物を探知し、一片の容赦も無く強襲を仕掛けてくるほどに偏執的。

 およそ死が形を成したモノに等しい悪夢を前に、どれだけの探索者が犠牲になったのだろう。私には想像もつかない。

 

 そんな黒翼を前にし、ただ震える事しか出来なかった私に背を向けて黒翼と戦う二人の師の姿を、私は一度たりとも忘れた事は無いし、これからも忘れる事は無いだろう。

 ずっと、ずっと。

 

 ――『竜の谷回顧録』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 怖気が走るほどの憎悪に満ちた呪殺の黒炎。

 直撃を食らえば当然の事、それどころかほんの余波ですら白夜焦原に住まう魔物達を魂ごと抹焼するに十分すぎる威力。

 だからこそ、全てを飲み込まんと迫り来る脅威を目にしたウィズが、迎撃でも回避でもなく、ゆんゆんと雛の防御に全力を注いだのは当然の話だった。

 

「――ブラックロータス!」

 

 闇の中で咲き誇るは、同じ黒でありながら不死鳥が纏い操るそれとは決定的に異なる、青みがかった光沢を放つ幻想の氷蓮花。

 術者本人と同等の魔力量が込められた媒体を用い、史上稀に見る才を持つ不死の女王は一人と一匹を囲むという形で三角錐状の氷結界を瞬時に形成。

 内外の相互干渉を拒む結界はウィズが持つ防御手段の中で最も強固なもの。尋常の手段ではゆんゆんを守りきれないと判断した彼女は一切の躊躇無く奥の手を切ってみせた。

 

 この氷結界だが、ウィズがまだ人間の冒険者だった頃、バニルに対して使用したとっておきの魔道具を擬似的に再現したものである。

 彼女はこの手持ちの資産の大半を溶かして仕入れた魔道具を使い、なんと一ヶ月もの長期間、バニルを封じ込めてみせた。

 彼我の力量差を鑑みれば間違いなく称えられるべき偉業なのだが、問題はウィズの目的がバニルの封印ではなく討伐だった事だ。

 殺そうとしていた敵に一ヶ月も続く絶対的な安全地帯を提供してしまった挙句、仮面の悪魔に散々煽られた氷の魔女は普段のクールさをかなぐり捨てて盛大に発狂した。

 

 若き英雄の微笑ましい過ちはさておき、この氷結界を多少なりとも魔法を齧った者が見れば例外なく驚愕、あるいは戦慄すら覚えるだろう。

 黒蓮に込められた莫大な魔力に。そしてたった一手で黒蓮の魔力を使い切る術者の手腕に。

 

 間違いなく最速で行使された魔法は、ウィズの力量を証明する何よりの一手であり、しかし自己犠牲と呼ぶに等しい一手でもあった。

 尋常ならざる速度で迫る殺意の激流は、二手目で対処するなどという悠長な真似を決して許しはしない。

 黄金の山より遥かに重い一手を仲間の守護のために使用したウィズは、自身の防御も迎撃も間に合わず、呪いの炎にその身を晒す。

 

「ウィズさんっ……!」

 

 少女の痛切な呼びかけに振り返り、安心させるように笑うウィズ。

 そんな師が一瞬の後、炎に呑まれる姿をゆんゆんは幻視した。

 

 

 

 ここにあなたがいなければ、間違いなく幻視は現実となっていただろう。

 

 前方に黒い波。後方に守るべきもの。

 奇しくもあなたが姫騎士を掃討した時に酷似したシチュエーションだが、その規模と威力はまるで比較にならない。

 夜の名を冠する巨刃が神秘の格において劣っているというわけではなく、単純に女王騎士と黒い不死鳥の強さに隔たりがありすぎるのだ。

 

 これを聖剣という名の岩石で割るのはあなたであっても些か以上に骨が折れるだろう。

 だが何も問題は無い。今あなたの手にあるのは力を封じられた聖剣ではなく、その真価を余す事無く振るう場と機会を得た無二の相棒なのだから。

 

 一刀両断。

 エーテルの魔剣から解き放たれた青い斬撃は、いとも容易く黒を割ってみせた。

 ネバーアローンを避けるように流れていく死の奔流を見送るあなたの目に宿るのは、歓喜の光。

 

 双眼鏡が焼失した際、あなたに纏わり付いていた炎の残滓は微かにあなたの手を焼いていた。

 耐性を貫通しているのか、あるいは他の要因か。

 いずれにせよ、不死鳥の攻撃はあなたに通じる。そして、不死鳥はあなたを殺そうとしている。

 やはりこの世界は素晴らしい。

 微かな明かりで照らされた暗中に、どこまでも楽しげなあなたの笑い声が響く。

 

 ともすれば恐怖で気が触れたと誤解されかねない姿だが、今のあなたの笑い声には悪魔相手に大立ち回りを繰り広げた時のような狂気の影はどこにも無い。

 ただ純粋に、あなたは楽しくて嬉しいから笑っていた。

 まるで玩具を与えられた子供のように明朗に、快活に。

 

 そんなあなたの姿を目の当たりにした三者は、それぞれ別の感情を抱く。

 

 不死の女王は呆れすら混じった頼もしさ、そして幼少時の自身との共通点を垣間見て懐古の念を。

 紅魔の少女は人々が包帯頭を指した魔人という呼称への最大限の納得と畏怖を。

 そして黒翼の不死鳥は――。

 

 

 

 

 

 

 あなたは自身に向けられる殺意の質が明確に変化した事を感じ取った。

 燃え上がる激情に染められていた黄金瞳が、今はまるで凪いだ海のよう。

 

 だがこれは決して不死鳥が冷静になり、戦意を収めた事を意味するわけではない。

 むしろその逆。

 怒りと殺意が振り切れて冷静になったように見えているだけだとあなたは瞬時に察した。

 あなた自身、癒しの女神を明確な悪意の下に侮辱されたと感じた時は似たような状態になる。

 

 己の持ち得る全ての手段をもって相手をこの世から抹消する。

 ただそれだけの存在になる。

 攻撃を防いだ事か、あるいはそれ以外の要因か。

 いずれにせよ、あなたは不死鳥の逆鱗に触れたのだ。

 

「――――」

 

 鳴き声一つ発する事無く離脱し、音も無く闇の中に消え去ろうとする黒鳥。

 停止状態から一瞬であなた達の視界を振り切ろうとする間際、あなたはグラビティの魔法を詠唱していた。

 ヴォーパルの時のように地面に縛り付けられれば相手に白兵戦を強要できたのだが、結果は失敗。

 魔法に抵抗された時特有の手ごたえではない。つまり純粋に無効化された。この不死鳥に重力魔法は通用しないようだ。

 

 静寂の闇に残されたのは凍て付く殺意、そして撒き散らされた翼羽のみ。

 宙を舞うそれをあなたは指で摘む。

 やはりというべきか、羽からは強い呪いの力が感じられた。

 不死鳥の羽には瀕死の者すら復活させる強い癒しの力があるといわれているが、この黒羽に関してはとてもそのような効果は期待出来そうにない。癒しどころかトドメを刺すだけの結果に終わるだろう。

 だが相手を殺傷する事だけを目的とした攻撃的な魔法や道具を生み出す素材としては非常に役に立ちそうだ。

 

「……逃げては、いないですよね」

 

 周囲を警戒しながら呟くパートナーに対し、あなたは自分から少し離れるように促した。

 不死鳥の気配は完全に闇に溶けてしまったが、今もあなたを狙っている事だけは分かる。援護するにしても、あまり近くにいると巻き込まれかねない。

 ましてや彼女は不死者なのだから。

 

「確かに私は火に弱いですが、恐らくこの呪い火ならある程度耐え――後方から来ます!」

 

 ほんの一瞬、されど全身を貫く殺気。

 揺らぐ力の気配に危機を察知したウィズが叫ぶ。

 反射的にあなたはウィズを抱きかかえ、全力でその場を飛び退いた。

 直後、不死鳥の攻撃が空間を蹂躙する。

 あなたが抱えていなければ、当然のようにウィズも巻き込まれていただろう。

 

 地面に触れるか否かという高度で飛翔し、速度と巨躯を活かして体当たりを行う。

 言葉にしてみればたったそれだけだが、不死鳥が通り過ぎた跡はただでさえ荒れ果てていた地面が見る影も無いほどに抉られ、融解し、呪詛に汚染されきっており、攻撃が持つ威力と脅威を雄弁に物語っていた。

 

 息つく間も無く彼方から飛来するは、闇すら塗り潰す黒の火閃。

 焼け付く熱波を体で感じながら、その性質はレーザーよりビームに近いとあなたは理解した。

 初撃の波と比較すると威力と範囲で劣り、速度と貫通性で勝る。

 実体を持たず、愛剣で切り払っても意味が無い攻撃。

 

 射線を辿ってウィズが雷魔法で反撃を仕掛けるも、既に離脱済みなのか手応えは無し。

 そして十秒も経たぬ内に今度は対角線からの正確な砲撃と突撃。

 

 超高速で飛行可能。

 重力魔法は無効。

 闇の中に気配を溶かし、なおかつ彼方からあなた達をピンポイントで狙って突撃と長距離攻撃が可能。

 念の為にと愛剣とライトの光を消してみるも、当然のように狙いは正確性を保ったまま。

 

 そうして前後左右、更には上空から襲い来る殺意を回避し続ける事数十回。

 厄介な相手だとあなたは素直に思った。

 

 あなたは暗視能力を有してこそいるものの、それでも数十メートル先を見るのが精一杯。

 対して不死鳥が作り上げた闇の帳は、どれだけ小さく見積もっても半径数キロに達するだろう。

 

 結界で攻撃を防ぐというのはあまり意味が無い。

 攻撃を避けるが防ぐに変わるだけ。

 

 ならば帳を破れるか、という話だが、愛剣を用いれば普通に可能だとあなたは判断している。

 だが破ったところで即座に再展開してくるのが関の山。根本的な解決には至らない。

 

 何よりあなたを最も手こずらせているのは、不死鳥の尋常ではない生命力だ。

 

 実のところ、あなたとウィズは突撃に合わせて何度か攻撃を叩き込んでいたりする。

 だがまるで効果が無い。

 胴体に風穴を開け、両の羽を折り、首を落としてみせた。

 にも関わらず殺しきれていない。飛翔を止められない。あらゆる負傷は一瞬で回復し、落とした首は灰になったかと思うと一瞬で再生した。名に違わぬ出鱈目なまでの不死性である。あなたをして素直に脱帽するしかない。

 

 悪魔のように残機を持っているのか。

 単純に再生力が極まっているのか。

 あるいは何か仕掛けがあるのか。

 

 ちなみに相手が真なる不死不滅の存在であるという可能性は最初から除外している。

 それは神ですら不可能な領域であるがゆえに。

 

 いずれにせよ、不死鳥もまたヴォーパルとは違う形の強敵である事は疑いようのない事実であり、つまりは素晴らしいという事だ。

 

 ちらり、と結界に護られたゆんゆんを見やる。

 少女は死の恐怖に怯えながらも必死に意識を保っていた。

 不死鳥がゆんゆん、あるいは雛を狙ったのは三度。

 いずれの攻撃もあなた達と結界に阻まれるという結果に終わっており、今は捨て置くと判断したようで徹底的にあなた達に注力している。

 とりあえずゆんゆんを心配する必要は無いだろう。

 

 あなたはウィズに問いかける。

 何か現状を打破する手立てはあるかと。

 

「……ちょっと、吐きそうです」

 

 あなたに抱えられたまま前後左右に高速で激しく不規則に揺られ続けたウィズの顔は、もはや青を通り越して白い。

 リッチーは魔力が込められていない攻撃を無効化する。

 だがまだまだ冗談を言う程度には余裕があるようだ。他ならぬあなたが見込んだ女性である。頼もしいとあなたは笑う。

 

「…………」

 

 あなたは梅雨のようなじっとりとした視線を感じた。

 あんまりふざけたこと言ってると服の中にげろっぱしますよ、と言わんばかりである。

 

 あなたは視線を振り切るように射線から大きく飛び退いた。瞬間、再びの砲撃。

 冗談はさておき、実際状況は手詰まりと言っていい。

 相手もあなたの回避パターンを覚えてきたのか、偏差射撃じみた真似まで行ってきた。不死鳥の攻撃があなたを捉えるまでそう時間はかからないだろう。

 

「あなたが私と一緒に戦っている限りは、ですよね?」

 

 平然と放たれた言葉に、あなたは沈黙をもって答えた。

 自分を無視して一人で突っ込んで戦えば不死鳥に追いつけるだろう、ウィズは暗にそう言っている。

 そしてそれはどこまでも正しい。

 

 あなたは、ウィズに歩調を合わせて戦っている。速度を合わせて戦っている。

 だからこそここまでの防戦を強いられている。

 

 確かに仲間を置き去りにすれば、不死鳥を捉える事は可能だろう。

 あなた一人では不死性を突破する見込みが立っていないが、延々と殺し続ければ死ぬかもしれない。

 

 だが今はヴォーパルとの戦いの時のような、ウィズに優先すべきものがある状況ではない。

 にもかかわらず今回も置いていくというのであれば、それこそ何のためのパーティーなのか分かったものではない。

 あなたは友人と共に冒険がしたいから、友人と共に戦いたいから彼女を仲間に誘ったのだ。

 あなたは人生を、戦いを、冒険を楽しむために生きている。

 ゆえに、たとえ他者から悪癖だの見下しているだのと罵られようとも、あなたがウィズを置き去りにする事は決して無い。

 

 不満を隠そうともしないあなたの憮然とした物言いに、ウィズはありがとうございます、と小さく微笑み、ですが、と続けた。

 

「私の事は気にしなくても大丈夫ですよ」

 

 自身を省みないかのような物言い。

 溜息を吐きたい気分に駆られたあなたはだがしかし、次の言葉で自身の勘違いを悟る。

 

「私だって一ヶ月もの時間をあなたとの特訓だけに費やしていたわけではないんです」

 

 あなたの信頼には応えますと告げる不死の女王。

 

「竜の河を横断した時から、私はずっと、ずっと考えていました。このままではいずれ自分があなたの足を引っ張る時が来ると。そして、私とあなたが共に戦う上で最大の障害になるであろうもの、あなたが速度と呼ぶ能力の差を埋める方法を」

 

 あなたに置いていかれるのは、嫌ですから。

 なんでもないような調子で発した声は、不思議とあなたの耳に残った。

 

「完成度は七割。まだ未完成もいいところです。もっとちゃんと術式を練ってからお披露目したかったですしぶっつけ本番で実戦投入というのもどうかと思うんですが、この状況下ではそうも言っていられないので――タイムシフト」

 

 ウィズが唱えたのは時の名を冠する魔法。

 あなたは確かな魔法の発動を感じ取ったが、何も変化が起きていないように思える。

 

「受動的な魔法なんです。試しに速度を上げてみてください。さしあたっては竜の河を横断した時と同じくらいまで」

 

 言われるがまま、あなたは自身の速度を引き上げた。

 速度700。平時の十倍であるそれはゆんゆんにとって辛うじて耐えられる負荷であり、ウィズが行動に支障を来たさない限界の速度だ。

 そしてこれだけ速度に差があれば、まともな会話は不可能になる。

 ウィズはあなたに置いていかれる。

 

「……どうです? 成功しました?」

 

 あなたはその声を聞く瞬間まで、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 リッチーであるウィズはこの先決して老いる事が無い。

 生きながらにして時の流れが停止した存在とも言えるだろう。

 

 冒険者を引退し、アクセルに居を構えて幾年月。

 不老であるウィズは、子供の頃から見知った街の住人が成長していく姿を、街の片隅で眺め続けていた。

 彼女は自分と同年代だった者が親になり、祖父になっていく姿を知っている。覚えている。

 世話になった人間を葬送したのも一度や二度ではない。

 

 定命である限り、全ての者はやがては皆等しく老いて逝く。そこに例外は無い。

 今はまだ存命である掛け替えの無い仲間達も、友も。やがては誰一人としてこの世に残る事無くウィズを置いていく。

 限りなく不死に近い悪魔の友ですら己の死に場所を求めている以上、彼女がやがて独りになるのは半ば約束された未来だった。

 例外といえば水の女神くらいだろうが、彼女は本来天に在るべきもの。

 忘れた頃にふらっと現れて思い出話に興じる事はあるかもしれないが、決して孤独を埋められるほどの存在ではない。

 

 それでもウィズはそれを自覚し、受け入れてすらいた。これこそが自身と仲間の不可避の死を覆した己の背負うべき代償だと理解していたがゆえに。

 

 そんな中、彼女を当たり前のように受け入れる者が、あなたが現れた。

 望むべくもなかった、いっそ諦めてすらいた、自身の隣に立つもの。

 孤児だった彼女が生まれて初めて手に入れた、仲間や友とは似て非なる、家族のような存在。

 誰かと共に在り続ける事が出来るという温もりを知った彼女は心の底から喜び、そして同時に恐れるようになった。

 他ならぬ、孤独を。

 最初から知らなければ、耐えられたのに。

 

 皮肉なのは本人にすら上記について明確な自覚が無かった点だろう。

 ゆえにかつての仮面の悪魔はウィズではなく、あなたに忠告を行うに留めた。

 

 長い時を共に生き続けるという約束をあなたと交わした結果、ウィズは自身が抱く感情を多少なりとも自覚し、魔王城の結界を破る為に自身の命を欲するのであれば応えようという覚悟、あるいは自殺願望じみた自己犠牲の精神すら捨てる事になる。

 

 未だ自覚こそ薄いものの、いつだってウィズは心の片隅で思っている。

 他の誰もが私を置いて行くのだとしても。

 あなたには、あなたにだけは、置いていかれたくないと。

 どうか、私を独りにしないでくださいと。

 

 タイムシフト。

 時の名を冠したそれは、時の流れから置き去りにされ、孤独を恐れるようになった不死王が生み出した、祈り(呪い)に等しい魔法である。

 

 

 

 

 

 

「今気付いたんですけど、他に動くものが見えない状況だと魔法が成功してるのか分からないのが地味に困りますねこれ」

 

 速度700の世界の中、あなたの耳に本来であれば決して有り得ない筈の声が届く。

 驚きのあまり抱えたままの仲間を見やれば、ウィズは悪戯が成功した子供のように笑ってみせた。

 

「タイムシフトは自身とは違う時の流れに身を置く者を対象にした魔法です。つまり最初からあなたに使う事を目的として作った魔法ですね。この世界だと他にそんな特異能力を持つ方は何人もいないでしょうし」

 

 まさかと思いつつあなたは速度を1000に引き上げる。会話が可能だった。

 更にあなたは速度を素の最大に引き上げる。会話が可能だった。

 

 あなたは加速の魔法を使った。愛剣を握ったまま。

 ここで遂に会話が不可能になった。

 魔法を解除すると、すみませんと苦笑いするウィズの顔が。

 

「対象の時流と自身を同調、あなたの言葉を借りるなら対象と同じ速度になる魔法……なんですが、魔法みたいに外付けで速度を弄られるとダメみたいですね。ひょっとしたらいけるかな、と思ったんですけど。でもさっきも言ったようにまだ未完成の魔法なので。完成した暁にはあなたがどんな速度になっても対応してみせますよ」

 

 上空から飛来する火閃。偏差で六連。

 それまでは対処に苦慮を強いられたであろうそれも、速度を引き上げた今のあなたならば余裕をもって回避が可能だ。

 そしてウィズは加速による負担を一切受けていない。完全にあなたの速度についてきている証拠だ。

 文字通り自身の世界が変わる様を初めて経験した事に感嘆の声をあげつつ、ウィズは魔法の説明を続ける。

 

「採掘で手に入れた、周囲の時の流れを乱す石。時流乱鉱とでも呼びましょうか。あれを触媒にして作った魔法になります。あくまで速度を同じにするだけの魔法なので、あなたみたいに自由自在に体感速度を変化させられるというわけではありません。ただ超高速で動いているだけの相手に使っても何の効果も発揮しないはずです」

 

 でもこれであなたに迷惑をかける事無く一緒に戦えますよ、と自慢げに胸を張るウィズだが、彼女は本当にこの魔法が持つ意味と価値を理解しているのだろうか。

 いや、きっと理解していないのだろう。

 彼女はあなたがどんな気持ちでいるのかを知らないのだろう。

 どれだけの歓喜の中にいるのかを知らないのだろう。

 

 あなたが持つ最大の武器の一つ、速度差という優位性は現時点をもって対策された。

 タイムシフトの魔法が真に完成した瞬間、ウィズは、正しく全身全霊のあなたを殺し得る存在になる。

 あなたの期待通りに。

 

 

 

 

 

 

 さて、そういうわけでウィズが曲がりなりにもあなた達廃人の速度領域に入門してきた。

 加速の魔法抜きでも今のあなた達であれば不死鳥に追いすがる事は十分に可能だろう。

 打開策を見出した今、不死鳥に対して二人でどう戦うのか。

 念願かなって喜びのあまりニコニコと笑うあなたは提案した。

 相手が突撃してきたタイミングで空中戦に持ち込もうと。

 

「…………大丈夫ですか?」

 

 あなたに釣られて柔らかな笑顔を浮かべていたウィズは、一瞬で圧倒的真顔になり、あなたの頬と額に手を当ててきた。

 しかしながらあなたに熱は無い。健康そのものだ。

 

「今だけは熱があってほしかったです。ちょっとだけ」

 

 修練と度重なる失敗の果てに何とか形にこそなったものの、まだまだ制御も着地も満足にこなせない、現状では爆速でかっ飛んでいくしか能が無いクソバカスキル。

 そんなものを使って戦うと仲間が言い始めたのだから、ウィズの反応もむべなるかなといったところ。

 仮にこれをゆんゆんから聞かされたのなら、あなたは即座にユニコーンの角を脳天にぶちこむであろうレベルの世迷言である。

 

 しかしあなたとて素晴らしいものを見て青天井と化したテンションに突き動かされたからこのような事を言っているわけではない。断じてネタや冗談ではない。本気も本気であり大真面目だった。

 

「あの、怒らないで聞いてほしいんですけど。あなたと一ヶ月訓練した私が断言します。無理です。絶対に不可能です」

 

 確かにあなた一人であれば論外の極みだ。

 どれだけ最善を尽くした上で奇跡は起きます起こしてみせますとダース単位で奇跡を引き寄せても、殺風景な白夜焦原の大地を彩る素敵なオブジェに生まれ変わるのが精々だろう。

 自在に空を駆ける不死鳥と無明の闇の中でダンスを踊るなど夢のまた夢。

 

「現実を正しく認識してくれているようで安心しました」

 

 だがそれはあくまでもあなた一人で飛んだ場合の話。

 ウィズのアシストがあればおおよその問題は解決可能だとあなたは踏んでいた。

 それに空を超高速で逃げ続ける不死鳥に地上から追いすがるだけならまだしも、そこから再生力を突破して殺しきるところまで考えると、地上からの攻撃ではどうしても厳しいものがある。

 このような相手を仕留めるためのグラビティの魔法だったのだが、無効化されてしまう以上、相手のフィールドで勝負を挑む必要があるだろう。

 

「それは、まあ、そうかもしれませんけど……でもアシストって、どうするつもりですか? あのスキルを使った場合、今みたいに私を抱えて戦うのは無理ですよね?」

 

 スキルの形状の問題で、抱えたり背負った状態でスキルを発動するとウィズが炎で焼ける。

 なのであなたはウィズを肩車して飛ぶつもりだ。

 

「肩ぐる、えっ…………えっ?」

 

 

 

 

 

 

 度重なる交錯と攻防の果て、目的を果たすか己が滅びるその時まで殺しても飽き足らない怨敵を殺すためだけの機構と化していた黒翼の不死鳥は、唐突に自我を取り戻した。

 隣を見てみれば、なんと驚くべき事に、空を飛ぶ青白い炎が自身に追随していた。

 忌々しい人間が、重力の檻に囚われたものが、星の力が込められた青白い炎を噴出しながら空を駆け、自身を追ってきている。

 

 その事実を認識した瞬間、不死鳥はいっそ笑い出したい気持ちになった。

 この人間達は、どれだけ自分達を侮辱すれば、激怒させれば気が済むのかと。

 

 殺意を新たに。自身の目的を明確に。

 惰弱の魔眼を持たず、卵から孵った瞬間、自身を温めていた親とまだ卵だった兄弟達をその炎で尽く焼き殺してしまった結果、同族である不死鳥達からも忌み嫌われ、故郷である不死火山を追放された呪殺の黒炎。

 竜の谷という極限の環境で羽化した凶鳥の憎悪は、どこまでも際限なく燃え上がる。

 

 

 

 

 

 

「速い暗い何も見えない見えないのに速い怖い怖い怖いんですけどぉ!!」

 

 深い闇の中、超高速で飛翔するあなたが認識できているものは手元の蒼い炎、風を切る音、頭上からの泣き言、そして無限の殺意に染まった黄金の瞳だけ。

 

 完成した■■属性付与は、愛剣が蒼炎で覆われるのと同時、あなたの背に二対四枚の蒼い光翼が発生するスキルと化した。

 激しくエーテルの燐光を撒き散らす様は友人謹製のドヒャアドヒャアとかっ飛ぶ機械人形群を彷彿とさせる姿であり、事実あなたはスキルを完成させるにあたって大いに参考にさせてもらっていた。

 つまりこの光翼は鳥のように羽ばたくためのものではなく、推進装置(ブースター)に他ならない。

 現在ウィズが半泣きでやってくれているように外付けで制御を行わなければあらぬ方向に飛んでいくし、適度に出力を落とすなんて器用な真似もできないので着地は墜落と同義だ。

 流れ星が落ちる定めにあるように。

 

 そんな光翼型近接支援残酷冒険者が闇黒の空を切り裂きながら飛翔する。

 

「これ本当に大丈夫なんですか危ないです怖いですやばいです絶対死にますいくらリッチーでも落ちたら死んじゃいますって!!」

 

 こうして不死鳥と並んで飛ぶことができているのは、ひとえに叩きつけられる風圧を魔法で防ぎつつ飛行の制御を行うウィズの力あってのものだ。

 本当に感謝しているとあなたは風にかき消されないよう大声で告げた。

 

「ありがとうございますそう言ってもらえて嬉しいですでもすみません私ちょっと今ほんと必死なんで余裕ないんでそういうの後にしてもらっていいですかねというか私はどうしてあんな提案を了承しちゃったんでしょうかってあああああああああ攻撃攻撃来ます避けて避けてください!!」

 

 黒翼を大きく広げた不死鳥が身を翻し、あなた達に翼と胴体を晒す。

 一見すると急所を晒すに等しい愚行だが、あなたが射線から逃れた途端、胴体から黒の熱線が放射される。

 あなた達と不死鳥の移動速度はほぼ同等。

 超高速の世界に身を置くに相応しく、不死鳥の反応速度も尋常ではないが、それでも攻撃後に生まれる隙だけはどう足掻いても彼我の速度差が如実に現れてくる。

 

「お好きなタイミングで仕掛けてください、合わせますっ!」

 

 一瞬の交錯であなたが首を落とし、ウィズのライト・オブ・セイバーが羽を断つ。

 そうして機動力が落ちた時間を使い、無数の攻撃を叩き込む。

 

 斬撃、衝撃、炎、氷、雷、風、土、水。

 ありとあらゆる暴威が不死鳥の身に降りかかる。

 

 だが、死なない。

 廃人級二名の火力をもってしても不死鳥を殺しきれない。

 何度でも灰の中から蘇る黒い翼の飛翔は止まらない。

 

「これが魔王さんなら、軽く百回は殺せてると思うんですけどねっ……!」

 

 黄金の林檎を押し付けようとした件といい、ウィズは魔王の事が嫌いなのだろうか。

 いくら世界を脅かす魔王軍の長とはいえ、そこまでされる謂れはあるのだろうか。

 まあ普通にあるかもしれない。

 

「いえ、別にそういうわけでは、ないんですけども、こう、つい思ってしまうといいますか!」

 

 疑いを深める中、あなたはふと思い立った。

 不死鳥に黄金の林檎を食べさせたらどうなるのだろう、と。

 一口で廃人とリッチーを再起不能一歩手前にする劇物を叩き込んだらどうなるのだろう、と。

 

「…………」

 

 ウィズ、絶句。

 あなたは頭上から仲間が戦慄する気配を敏感に感じ取り、世界のどこかで見知らぬ威厳溢れる老人が心の底から安堵の息を吐いた気配を感じ取った。

 

 

 

 

 

 

 結論から述べると、効いた。

 覿面に効いた。

 それはもう恐ろしいほどに効いた。

 

「なんて、惨い……」

 

 どんな攻撃を受けても悲鳴一つあげず、決して地に落ちなかった不死鳥が、小さな果実をたった一切れ口の中に放り込まれただけで全身の炎を消し去り、地面で悲鳴のような鳴き声をあげてのたうち回っている。

 限りなく墜落に近い着地をして速度を戻したあなた達が近くにいるというのに、気を配る余裕も無いようだ。

 強敵の無様な姿を目の当たりにし、しかしあなた達の胸中に去来する感情は哀れみではなく、同じ味を経験した者としての仲間意識と同情、そして偉大な大自然が生み出した世界樹への果てしない畏怖。

 

「あの林檎、あとどれくらい残ってましたっけ……」

 

 黄金の林檎(必殺アイテム)の残弾は二十九。

 あなたは世界樹を登る際に十個、枝が脳天に突き刺さった後に半ギレの勢いで二十個採取している。

 

「……折角ですしこの場で全部食べてもらいます?」

 

 想像するだけで怖気が走る提案である。

 あなたは真顔でウィズの肩を掴み、無言で首を横に振った。

 そんなことをしてはいけないと。

 なんというか、それは、ダメだとあなたは思った。

 自分から不死鳥に林檎を食べさせておいてどの口がという話だが、本当にダメだと思った。

 

 戦いの中で殺すのは大歓迎だが、流石に死ぬほど不味い林檎で殺したいとまでは思っていない。

 あなたはそこまで手段を選ばない人間ではなかった。

 

「まあ、そうですよね。自分で言って私もちょっと……かなり……とても無いな、って思いました」

 

 でも現役時代なら普通に食べさせてましたよ、という言葉は聞こえなかった事にしておく。

 

「いっそ封印しちゃいましょうか。幸い弱りきっている今なら効きそうですし」

 

 殺しきれないなら封じてしまえばいい。

 不死の対処法としては常道であり、あなたも不服は無い。

 

「了解です。ではそのように」

 

 あなたの許可を得たウィズの魔法により、不死鳥の全身を氷の鎖が縛っていく。

 異変に気付いた不死鳥が気力を振り絞って暴れるも、身を纏う黒炎は消えたまま。

 

「封印には一応相手の力を封じる効果もありますが、魔法の相性問題もあってあまり長期間留め置くのは無理です。半年程度で封印が解けると思っていてください」

 

 半年。

 あなた達が白夜焦原を立ち去るには十分すぎる時間だろう。

 封印が解けた暁には再戦を挑み、今度こそ不死を突破して殺しきってみせよう。

 

 それまでは修行、修行あるのみである。

 新たなモチベーションを手に入れたあなたは氷に包まれる不死鳥を眺め続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……ふう、終わりです」

 

 鎖と棺で封印され、物言わぬ氷像と化した不死鳥。

 芸術のような美しさは是非美術館に飾りたくなるほどのものだが、氷が溶けた時に生まれるのは闇と炎のジェノサイドパーティーだ。

 

「さて、ゆんゆんさんを迎えに行きましょうか」

 

 一つ問題がある。

 ゆんゆんと雛はこの闇の中、どこにいるのだろう。

 がむしゃらに飛び続けたあなた達は自分がどこにいるのか把握していなかった。

 

「あー……でも不死鳥は封じましたし、恐らくそろそろ景色も戻るかと思うのですが……」

 

 ウィズの言葉は正しく、数分も経たないうちにあなたの目蓋に光が差し込んだ。

 空を見上げてみれば、遥か上空で夜空が割れ、辟易するほど眩しい青空と光が顔を覗かせている。

 不死鳥が下ろした夜の帳は破れ、熱砂の白夜が帰ってきたのだ。

 

「良かった、これでゆんゆんさんを探しに行けますね。あ、今度は飛ぶのは無しですからね? 案の定着地失敗しましたし」

 

 分かっていると苦笑し、その場を立ち去ろうとするあなたは、最後に一度、紛れも無い強敵であった不死鳥を振り返る。

 

 

 

 ……そして、遠い彼方。

 未だ晴れぬ深い闇の中に、蒼い炎を垣間見た。

 

 

 

 背筋に走る悪寒。

 狙われている。

 攻撃が来る。

 回避が間に合わない攻撃が来る。

 

 直感に従ったあなたはウィズを背に庇い、四次元ポケットから盾を取り出し構える。

 タワーシールドと呼ばれるそれはあなたの本来の武装の一つ。

 防御特化。取り回しが悪い上に愛剣の両手持ちがあなたの基本スタイルである以上、この盾を使う機会は滅多に無いのだが、今がその時だとあなたは判断したのだ。

 

 直後、蒼白い火閃があなた達を飲み込む。

 黒い不死鳥が放つ熱線に酷似した、しかしそれより威力が上の攻撃。

 間一髪防ぐ事に成功したが、直撃を受ければ相応のダメージは避けられないだろう。

 

「今のって、まさか!?」

 

 背後で驚愕するウィズにあなたは頷く。

 今の攻撃は、あなたが使うエーテルの炎に酷似していた。

 

 エーテルの炎。

 星の炎。

 そんな力を使う敵がいる。

 

 そして。

 

「――――!!」

 

 黒翼の不死鳥が憤怒の咆哮と共に再度の飛翔を果たす。

 あなた達と共に蒼炎に巻き込まれた結果、封印ごと肉体が消滅、復活したのだ。

 あるいは最初からそれが彼方の敵の狙いだったのか。

 

 再び黒い炎を身に纏い、一直線に蒼い炎の下へ飛び立つ不死鳥。

 

「もしかしたら敵の敵かもしれない、と思ったんですが」

 

 二つの炎は戦闘を始めるどころか、互いに隣り合って飛んでいた。

 奇しくもあなたとウィズのように。

 

 やがて、静かに近づいてくる蒼い炎の姿が露になった。

 

 蒼い不死鳥。

 

 黒に比肩するその身をもって闇を照らすそれを見たあなた達は、例えようも無く美しいと思った。

 

 星の力が込められた蒼い炎。

 だがそれはあなたが操るような、数え切れないほどの血と死で彩られた炎ではない。

 澄み切った、浄化の力を持つ炎。

 傍らの黒炎とは正反対の力。

 

「第二ラウンド、ってやつですね……」

 

 対照的な蒼と黒が並び立ち、あなた達を静かに、しかし敵意と殺意に満ちた視線で睥睨する。

 闇の帳が破れ、日の光が辺りに降り注ぐ中で、あなた達は黒と蒼の比翼に相対した。


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