このすば*Elona   作:hasebe

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第131話 憧憬と羨望

【決して色褪せぬ記憶。あるいは英雄譚の始まり】

 

 駆け出し冒険者の町、アクセル。その冒険者ギルド。

 一年前に建て直したばかりで真新しい建物の片隅で、一人の少女がちびちびとジュースを飲んでいた。

 年齢はつい最近二桁に届いたばかり。にもかかわらず周囲の喧騒を一切意に介さず泰然と振舞う姿からは、ある種の風格すら漂わせている。

 衣服こそ簡素な普段着だが、その長い髪から覗く貌は幼くして完成されており、このまま成長すれば、誰もが振り向かずにはいられない極上の美女に育つ未来が約束されていた。

 そんな彼女は、つい最近冒険者になったばかりの駆け出しである。

 

 少女はベルゼルグの片田舎で生まれ育った孤児だ。親の顔も名前も覚えていない。

 孤児が冒険者になるというのはこの世界では珍しくもない話だが、彼女については少々事情が異なる。

 エリス教の孤児院で暮らしていた彼女はある日、魔物の襲撃によって住居である孤児院を失ってしまう。

 幸いにして死人こそ出なかったものの、路頭に迷いかけていた孤児達を救ったのは、たまたまその場に居合わせた老魔法使い。

 ベルゼルグ王立魔法学院という権威を持つ場所で長年に渡って教鞭を執り、平民生まれでありながら貴族位を持つ彼は、少女を引き取る代わりに金銭や孤児院の再建といった援助を申し出たのだ。

 邪推など幾らでも出来てしまう、人身売買じみた行為だったが、魔法使いは断じて下種な目的や悪意を持って近づいたわけではない。

 若い才能が芽吹く姿を何よりも愛する彼は、哀れな境遇にある孤児の中から彼女を見出した。数多の教え子を導いてきた経験が少女に眠る類稀なる魔道の才覚を見抜いたのだ。

 

 後見人となった魔法使いに薦められるまま魔法学院に入学した少女だったが、結果として魔法使いの見立ては正しかったといえる。

 老魔法使いの指導の下、あまりにも非凡すぎる才能を見せた少女は、入学から卒業まで一貫して首席を維持し続け、数々の画期的な論文を発表し、前途有望な生徒と教員の心を片っ端から圧し折り、学院の最年少卒業記録を大幅に更新し、孤児院で暮らしていた頃からの夢だった冒険者になった。

 首席卒業者の常として宮廷魔道士や貴族のお抱えとしてスカウトを受けたが、少女はその全てを興味が無いと一蹴。

 

 そんなこんなで無事に学院を卒業して一人立ちしたのはいいのだが、王都をはじめとする街々を観光していたのが悪かったのか、アクセルに辿り着いて十日が経過したにもかかわらず、少女は未だに誰ともパーティーを組めずにいた。

 この年の新人冒険者は例年よりも数が少なかったというのもあるが、何より春という新人冒険者が一同に会し仲間を見つけるシーズンは既に終わってしまっている。

 しかも少女は学院で冒険者登録を終えているので、ギルド職員や同業者からは冒険者だと認識すらされていない。杖を持っていたり学院の制服を着ていれば話は変わったのだろうが、今の彼女は安物の子供服に身を包んでおり、一人立ちの餞別として後見人からプレゼントされた杖も魔法の袋の中。

 

「…………」

 

 トドメに少女は無表情で無愛想だった。

 無感情ではないのだが、感情表現は悲しいほどに下手糞。

 本人に自覚こそ無いが、一般的にコミュ障と呼ばれる人種である。間違っても積極的に他人に話しかけていく人間ではない。

 

 ――魔道の研鑽を優先しすぎたせいで対人能力が壊滅的な上に一般常識も疎かなまま巣立ってしまったが、肝心の本人がそれを望んだのだからしょうがないな。かくいう儂も最高に楽しかったし!

 

 後にこう述懐した老魔法使いは、一人の人間としては些か問題がある人物だったと言えよう。

 

 そんなコミュ障でぼっちと化した少女は、職人が手がけた人形の如く整った無表情の下で静かに嘆息し、思考する。

 今日まで粘ってはみたものの、これ以上ここで時間を浪費し続けるのは無意味だと。何より退屈でしょうがないと。

 聞けば自分と遊んでくれたクラスメイトは、学院の卒業後に宮廷魔道士になったという。しばらくぶりに顔を見に行こうか。また遊んでほしい。

 それは年齢相応の子供らしく可愛らしい考えだったが、件のクラスメイトもまた少女に心を折られた犠牲者の一人だ。しかも被害者の中でも一等惨い折れ方をしている。

 自身の心を圧し折ってトラウマを刻み込んだ相手が会いたがっていると知れば、間違いなく膝が砕け、胃に穴が空き、治療中の精神が今度こそ再起不能に陥るだろう。

 

「ねえねえ、ちょっといい?」

 

 だがジュースを飲み終わり、席を立とうとしたまさにそのタイミングで少女に声をかける者が現れた。

 肩を叩かれたので自分に声をかけてきたのだろうと判断した少女は、顔を上げて振り向いた。

 少しだけ年上の少女だ。13か14といったところだろう。

 格好と首にかけた聖印からエリス教のプリーストだと分かる。

 

「もしかして貴女も冒険者になりに来たの?」

 

 少女は無言で首を横に振った。

 

「あれ、そうなんだ。じゃあどうして冒険者ギルドにいたの?」

「仲間を探しに来た」

「……ええっと、ごめん、それは冒険者の、だよね?」

「他にあるの」

 

 冷たさすら感じる無表情から繰り出される突き放すような物言いに、自分は何か気に入らない事をやってしまったのだろうかと困惑するプリースト。

 だが少女は思った事を口にしているだけで他意は無い。対人能力が壊滅的なだけだ。

 幸いにして相手のプリーストは善良かつコミュニケーション能力に長けていたので、頑張って意を汲み取り、問いかけた。

 

「つまり、もう冒険者になってるから、冒険者になりに来たわけじゃないって事?」

「……? 最初からそう言ってる」

 

 言ってないよ!? 全然言ってないよ!?

 そんな言葉をプリーストは辛うじて飲み込む事に成功した。

 

「と、とにかく! 貴女が冒険者なのは分かったわ。格好を見た感じからして新人でしょ?」

「そう」

「じゃあさ、良かったら私達とパーティーを組まない? 私達も新人なんだけど、仲間が全然見つからなくて困ってるの」

 

 プリーストの少女はロザリーと名乗った。

 田舎から幼馴染と共にアクセルを目指したはいいものの、道中で何度も寄り道をした結果、アクセルに到着した時には新人冒険者が仲間を探すシーズンが終わってしまっていたのだという。

 

「私は見ての通りプリースト。エリス教徒のね。幼馴染……ああ、ブラッドっていう名前なんだけど、そいつは剣士なの。貴女は?」

 

 剣や弓といった武器すら持っていない少女に尋ねるロザリーへの返答は、極めて簡潔だった。

 

「アークウィザード」

 

 何気なく自身の冒険者カードを提示すれば、驚きに目を見開いたロザリーは何度もカードと少女の顔を見やった。

 

「嘘っ、じょ、上級職!?」

「問題無い」

 

 この問題無いとはステータスも取得スキルも新人冒険者としてやっていくのに不足は無いはず、恩師もそう言っていた。の意である。

 ちなみに恩師からは新人冒険者どころか今すぐにでも対魔王軍の最前線に投入可能だと言われてたりする。

 全く興味が湧かないので無視したが。

 

「え、いや、問題っていうか、私もブラッドも下級職だから……ていうか何このステータス……えぇ……すご、やばっ……」

「どうでもいい」

 

 最初からお前達には期待していない、私一人で十分だと言わんばかりの物言い。

 本人からしてみれば私は気にしない程度のニュアンスだったのが、少女は致命的に言葉選びが下手だった。ついでに共感能力も不足していた。

 

「お、いたいた。おーい、ロザリー!」

 

 ロザリーとその幼馴染は、そのどちらも才能があると太鼓判を押された将来有望な若者である。

 それでも流石にこれは力の差がありすぎる。やっぱり辞退すべきだろうかとロザリーが考え始めた所に、ドタドタと足音を鳴らして駆け寄ってきたのは、ロザリーと同年代の少年である。

 安物の皮鎧を纏い背に剣を帯びた彼は、冒険者カードを片手に顔を付き合わせる二人の少女を見て状況を把握したのか、ニカッと人好きのする笑顔を浮かべ、挨拶も自己紹介も惜しいとばかりに単刀直入に尋ねる。

 

「俺達とパーティーを組んでくれるのか?」

「ん」

 

 首肯する少女に少年は喜びを顕にした。

 

「マジか! ロザリーから聞いてるかもしれないけど俺はブラッド! 剣士だ、よろしくな!」

「待って、ブラッドちょっと待って。こっち来て、いいから早く」

 

 頭痛を覚えているかのような表情のロザリーに引っ張られていくブラッド。

 

「んだよ、どうした?」

「どうしたじゃないわよ。あのねえ……」

 

 本人に聞こえないよう、ロザリーは小声で少女の説明を行う。

 相手がアークウィザードである事や今の自分達とは力の差がありすぎる事を。

 

「マジか。あんな小さい子なのにすげえじゃん」

「そうなの凄いの。だから私は止めておいた方がいいと思うんだけど」

 

 腕を組んで十秒ほど黙考したブラッドは首を横に振った。

 

「言いたい事と気持ちは分からんでもないが却下で。ここ数日メンバー探してたわけだが、他にあぶれた奴も俺らを拾ってくれるパーティーも見つからなかった。この機会を逃したら次に仲間が見つかるのがいつになるかマジで分からない。幾らなんでも二人でやっていくのは不安だ。それに……」

「それに?」

「たとえあの子が滅茶苦茶強くても、俺達も負けないくらい強くなればいい。そうだろ相棒?」

 

 真っ直ぐにロザリーを見つめるブラッド。

 正しく英雄の卵と呼ぶに相応しい、どこまでも前を見る夢と希望に溢れた幼馴染に、苦労人のプリーストはしばらくの無言の後に大きく溜息を吐き、小さく笑った。

 

「はいはい、分かったわよ。分かりましたよ。ほんとしょうがないんだから」

 

 互いの拳を軽く突き合わせ、二人の若者は椅子に座って退屈そうに両足をぷらぷらと遊ばせる少女の元に戻る。

 

「話は終わった?」

「おう、これからよろしくな! 名前聞いてもいいか?」

「ウィズ。よろしく」

 

 二人から差し出された手を、少女は握り返した。

 

「うっし、これで世界最強剣士ブラッドと愉快な仲間達の結成だな! 早速ギルドに申請してくるわ!」

「待ちなさい。まさかアンタ本気だったの? 前に聞いた時は冗談だと思って適当に流したけど、そんな名前のパーティーでやっていくつもりだったの?」

「俺はいつだって本気だぞ。最高にイカした名前だろ?」

「幼馴染として親切心から教えてあげるけど、アンタのセンスは死んでるわ。ゴミね。っていうかそんなパーティー名で呼ばれるようになったら私は本気で荷物纏めて故郷に帰るから」

「いくらなんでも言いすぎじゃねえ!?」

 

 騒がしく席を立った三人はこの後、ジャイアントトードの討伐を受注。

 その最中、ブラッドから魔法が見たいと言われたウィズはジャイアントトードに炸裂魔法を使用。内側から弾けて汚い花火と化した蛙の血肉は三人に降り注ぎ、彼らは無言で公衆浴場に向かう事になる。

 

 後の世で氷の魔女と謳われた天才アークウィザード、そして至高の冒険者とまで呼ばれた英雄達の冒険の始まりが、結果だけ見ればどこまでもありふれた愉快なものだった事を知る者は、本人達以外には存在しない。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ウィズは夢から覚めた。

 とても、とても懐かしい夢から。

 

 微弱な光を発する常夜灯に照らされた時計を見てみれば、時刻は午前三時を回ったところ。

 同じベッドで眠っているゆんゆんを見やるも、少女は深い眠りについたまま。

 夢のせいか目は冴えている。再び寝直す気分にもならなかったウィズは、ゆんゆんを起こさないようにベッドを抜け出し、寝室を後にした。

 

(少し肌寒いですね……)

 

 家の中は暗く冷え込んでいる。吐く息が白に染まるほどに。

 ここは光の届かぬ樹海の中なので暗いのは分かっているのだが、寝る前との温度差が気になった。

 外は雪でも降っているのかもしれない。そんな事を考えながら家の中の点検を行う。

 

(新しく追加した結界をはじめとして各種機能に支障は無し。うん、バッチリです。でもこの分なら屋内の気温を調整する機能は優先して追加しておいた方が良さそうですね)

 

 家を軽く見回り、点検を終えたウィズはある場所で足を止めた。

 あなたが寝室として使用している部屋である。

 ウィズとしては異性の寝室を覗くといったはしたない真似をする気は無かったのだが、どういうわけなのか、中から人の気配がしない。

 昨日の今日という事もあり、意を決してこっそりと部屋の中を窺う。しかしやはりあなたの姿は無い。

 

 見回り中に遭遇しなかった以上、家の中にいないのは間違いない。

 心中で謝罪しながら部屋に入り布団に触れてみるも、温かさは残っていなかった。

 寝床を離れてから数時間は経過しているようだ。

 

「……?」

 

 言いようの無い不安に駆られるウィズだったが、ふと、あなたの部屋の窓から微かな光が差し込んでいる事に気が付く。

 あなたがエーテルと呼ぶ、幻想的な青白い光だ。

 なんだろうと窓に向かったウィズは、外に見えるものにほっと安堵の息を吐き、表情を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 冬の如き冷気が満ちる森の中、家の前の切り株に腰掛け、刀身を晒したままの大剣を抱きかかえるように持ち、静かに目を瞑って俯く冒険者。

 目の前に映るこの光景を切り取って一枚の絵に収めれば、それはきっと素晴らしいものになるだろう。

 自身が恋焦がれる相手だという贔屓目を抜きにして、ウィズはそう思った。

 

「それはそれとして、もう少し安静にしてほしいんですけどね……というかなんで外で寝てるんでしょうか」

 

 夜に溶ける小さな呟き。

 寝顔を眺め続けるにはここは少し寒い。風邪を引いてしまうかもしれない。

 ウィズは静かな寝息をたてるあなたを起こすべく肩に手を伸ばす。

 

「…………」

 

 だが、その手は半ばほどでピタリと停止した。

 何を言うでもなく手を引いた不死王の視線が、あなたの左肩と首筋に固定される。

 彼女の瞳はどんよりと陰鬱に曇ってしまっているわけだが、その原因は言うまでもなくあなただ。

 

 ヴォーパルとの戦いを終えた後、あなたは道に迷いながらも戦いの痕跡を頼りにアルラウネの集落に辿り着いたのだが、意気揚々と朝帰りを果たしたあなたは当然のように騒動を引き起こした。

 出血こそ時間をかけて自然に止まっていたものの、一切の治療を施す事無く帰ってきたあなたは全身がズタボロの血塗れ。首筋には致命傷にしか見えない深い傷跡。トドメに左腕が肩まで完全に消失。

 満身創痍。それ以外に当てはまる表現が無いほどの重傷。

 あなたとしては楽しく激しく戦えてご満悦だったのだが、あなたが負った傷はこの世界において再起不能と呼ばれるものである。

 凄惨極まる姿でニコニコと隻腕を振ってくるあなたを直視してしまったウィズとゆんゆんは、それはもう大変な事になった。

 常日頃から他者をみねうちでぶっ飛ばしているときのように、ちょっと死にかけたけど生きてるから余裕でセーフ、などと普通に思っていたあなたが盛大に慌てて冷や汗を流し、真剣に時間を巻き戻してやり直したいと考えてしまう程度には大変な事になった。狂気を癒し精神を落ち着かせるカを持つイルヴァの道具、ユニコーンの角を二人に使用したほどである。

 欠損した左腕が回復魔法で綺麗さっぱり再生していなければ、最悪ウィズは自分の目的を優先したばかりに取り返しの付かない事になってしまったという罪悪感で精神的に再起不能になっていただろう。

 

「…………はぁ」

 

 重く深い嘆息。

 後遺症が残っていないかは散々確認したし、本人もこれくらいの負傷は慣れたものだと全く気にしない様子だった。

 生きているからセーフという認識には大いに思うところがあるが、事実として、あなたの回復能力はそれほどまでに高い。この世界の常識を遥かに超えている。

 思い返せばもう一人の同居人であるベルディアなど、あなたが旅立つ前は毎日のように死に至るほどの怪我を負っていたという。そしてそんなベルディアを治療していたのがあなただ。

 せめて治療してから帰ってきてほしかったというのが偽らざる本音だが、それでもあまり気に病むべきではないのだろうと、ウィズは頭を振って気持ちを切り替えた。

 

 いたいけな二人の乙女の心をある意味弄んだあなたの左腕は元通りに再生した。

 だがしかし、ヴォーパルが最期に刻んだ首筋の傷跡だけは、回復魔法やエリー草を用いても完全に消え去る事は無かった。

 生々しく痛々しい傷跡を見たあなたが、思い出がまた一つ増えたと無邪気な子供のように笑ったのをウィズは覚えている。

 全身に刻まれた残痕は、あなたの冒険者としての歴史であり、戦いの記憶でもある。

 

 異世界ことイルヴァでのあなたの冒険にウィズは思いを馳せる。

 どれだけの戦いを超えてきたのだろう。

 どれほどの冒険を繰り広げてきたのだろう。

 決して楽しいことばかりではなかった筈だ。過酷で理不尽な経験を幾度もしてきた筈だ。

 それでも、時には一人で、時には仲間と共に困難を打破し、数々の偉業を成し遂げてきたのだろう。

 

 なぜならば、冒険者とはそういうものだからだ。たとえ異世界であろうと、その在り方が大きく変わるものではないということはあなたを見れば分かる。

 そしてウィズは、そんなあなたを心の底から羨ましいと思っていた。

 冒険者として生きるあなたを。

 

 ノースティリスの冒険者として活動する中で、最早後戻りが出来ないほどに人間としての価値観が破綻してしまったあなたは、全うな人間性を保持するウィズに対して懐古が入り混じった羨望を抱いている。

 だがそんなウィズもまた同じく、あなたに対して似たような感情を抱いているということをあなたは知らない。

 そして今の彼女は特にそれが意識の表に出てきていた。

 理由は単純にして明快。

 

(昔の夢を見たから、ですかね)

 

 思わず自嘲する。

 幼くして冒険者になったウィズだが、ある程度の経験を積んだ後の活動は、その大半が魔王軍との戦いに費やされていた。

 当時は今よりも遥かに魔王軍の攻勢が激しく、孤児院で夢見たような、世界を股に駆ける冒険者として活動することは終ぞ叶わなかったのだ。

 学園卒業当時はあまり戦争に興味が無かったのだが、成長の過程で一般常識を学び、魔王軍が生み出した数々の悲劇を目の当たりにした少女は、優しく勇敢で正義感が強い仲間達に引っ張られるように人格を形成した。それが氷の魔女と呼ばれた英雄だ。

 夢見た姿からは程遠い有様だったのだが、それでも後悔は無いとウィズは胸を張って断言する。

 仲間たちと過ごした時間は、掛け替えの無いものだったと。

 騒がしくも輝かしい日々は、決して色褪せることは無いと。

 何度人生を繰り返したとしても、彼女は同じ道を辿るだろう。

 

 それでも。あるいは、だからこそ。

 かつての英雄は、目の前で眠りこける男に羨望を、憧憬を抱かざるを得ない。

 ウィズからしてみれば、あなたはまるでかつて自身が夢見たもの……物語に出てくる冒険者を体現するかのような存在だったのだから。

 

 未知を愛し、財宝に目を輝かせ、強敵と戦い、苦難を乗り越え、そしてまた次の冒険へ。

 どこまでも真っ直ぐに世界を見つめ、受け入れて。

 自分の力をもって思うがまま、自由に楽しく生きる。

 

 店で冒険の土産話を聞いていた時は見えなかった、竜の谷という前人未到の場所だからこそ見えてくる、冒険者としてのあなたの姿。

 それは、今のウィズにとって。

 

「……少しだけ、眩しい」

 

 繰り返すが、ウィズはかつての仲間達を今も心から大事に思っている。そこに嘘は無い。

 だがこうも思うのだ。

 もし、仮に。

 自分の最初の仲間があなただった場合は。

 

「私は、どんな人生を送っていたんでしょうか……」

 

 小さく呟きながら右手を伸ばす。ゆっくりと、傷跡が残るあなたの首筋に向けて。

 完全に無意識での行動だったそれは、まるで光を、温もりを求めるアンデッドを彷彿とさせた。

 神聖さすら感じられるこの光景を見れば、声をかけることすら憚られると誰もが口を揃えるだろう。二人の仲間であるゆんゆんであっても、遠巻きに眺めるだけに違いない。

 

 だからこそ、そんな触れ得ざる静謐な空気をぶち壊すのは、いつだって当人達である。

 

 がしっという音が聞こえてきそうな勢いでウィズの腕が掴まれる。

 ウィズがあなたの首筋に触れようとしたまさにその瞬間。

 眠っていた筈のあなたがウィズの手を止めたのだ。

 

「ゎひゃあ!?」

 

 思わず奇声をあげ、目を白黒させるリッチーを、目を覚ました冒険者は無言で見つめていた。

 なお、眠りを妨げられたあなたの目つきはそこはかとなく剣呑さを帯びたじっとりとしたものだったので、間近で見つめあう二人の男女の間にいい感じの雰囲気だとか、甘酸っぱい空気だとかいったものが介在する余地は欠片も存在しない。

 その証拠に、記念すべきあなたの寝起きの第一声を受けたウィズは、はわわわわと顔を赤く染めて弁明を始めた。

 

「よばっ……夜這い!? 違います、誤解です!!」

 

 繰り返すが、ロマンチックな雰囲気などは無い。絶無である。

 

 

 

 

 

 

 起きたら目の前にウィズがいた。

 あなたは本気で夜這いを仕掛けてきたと思ったのだが、違うらしい。何があったのだろう。

 

「いや、何があったのかは私の台詞なんですけど……どうしてこんな場所で寝てたんですか。風邪引いちゃいますよ?」

 

 呆れ声を受けて周囲を見渡してみれば、確かにあなたがいる場所は野外だった。

 記憶を探る必要も無く、手元の愛剣に何をしていたのかを思い出す。

 

 あなたはヴォーパルから回収したギロチンと懐中時計を調査、手入れしていたのだ。

 ウィズが一目見てこれの修理は不可能ですと匙を投げた懐中時計はともかく、断頭剣のサイズは5メートル超と極めて長大。

 当然のように狭い屋内での出し入れなど出来るわけもなく、仕方なく屋外で作業を行う必要があったわけである。

 そうして作業が一段落したタイミングを見計らって、久方ぶりにあなたに本当の意味で使われてご満悦の愛剣が甘えてきた。そんなこんなで愛剣を構っているうちに眠ってしまっていたらしい。

 愛剣を仕舞ったあなたは立ち上がり、冷えた体を動かす。野外での睡眠など雪中でも可能な程度に慣れたものだが、今はちゃんとした寝床が用意されている。こんな場所で寝落ちなどするものではないと少しだけ自戒した。せめて寝袋には入っておきたい。

 

 さて、あなたの行動を聞かされたウィズだが、何かしら思うところがあったのだろう。僅かに眉を顰めてみせた。

 

「あのギロチン持って帰るつもりなんですか。いや、あなたの趣味は知ってますし、私としてもとやかく言いたくはないですけど。でもギロチンですよ? あとあれってアンデッドに特攻持ってますよね?」

 

 複数の意味を込めて頷く。

 冤罪の処刑刃と名づけられたこの武器は、あなたに神器判定を受けたレアアイテムである。ヴォーパルの遺品という観点からしても捨てるという選択肢は存在しない。

 

 しかも鑑定の魔法で発覚したのだが、なんとこの剣は人間だった頃のベルディアの首を斬ったギロチンを加工して作られた代物らしい。神秘の格としては十分すぎるだろう。ヴォーパルが愛用していたのも分かるというものだ。

 魔王軍の幹部となったデュラハンを屠る為に生み出された、呪われし再殺の刃。当然のようにアンデッドに対して絶大な効果を発揮する。

 巡り廻って竜の谷に流れ着いたようだが、生前から続く因縁の物品と言えるだろう。

 ベルディアが望むのであれば使わせるのも吝かではない。彼はこのような身の丈を超える巨大な剣を好んで扱うし、何より自身を滅ぼす為に作られた武器を扱うというのは、最高に皮肉が効いているし浪漫に溢れている。有り体に言ってあなた好みだ。

 

「普通に可哀想だから止めてあげてください。本当に止めてあげてください」

 

 ドクターストップならぬリッチーストップがかかった。

 ダメなのだろうか。

 

「ダメですね。生者であるあなたには伝わりにくいのかもしれませんが、あの武器はあまりにも異質です。仮にもリッチーなんてものをやっている私ですらあまり触れたいとは思わないほどに。あなたが持っている聖槍とはかけ離れた、神聖さなど欠片も含まれていない、夥しい血と怨嗟と死で呪錬された不死殺し。ベルディアさんはああ見えて結構繊細な部分があるみたいですから、もしかしたら泣いちゃうかもしれませんよ?」

 

 外付け良心装置的にはアウト判定だったらしい。

 

 

 

 

 

 

「……いや、泣かないが? 泣かないんだが? 控えめに言ってキレそうなんだが? 俺を何だと思ってらっしゃる?」

 

 昼食中、いきなり虚空に向かって抗議を始めたベルディアをドン引きした目で眺めるフィオとクレメア。

 ハッと我に返った廃人のペットは居心地が悪そうに頭を下げた。

 

「す、すまん。なんか不愉快な思念が飛んできた気がして」

「ねえクレメア。やっぱりこいつ……」

「うん……類友……」

「止めろぉ! 俺は頭おかしくねーから! まともだから! そういうのはご主人だけでお腹いっぱいでいっぱいいっぱいだぞ!!」

 

 必死に弁解を行う元魔王軍幹部が己の過去と相対する日は遠くない。

 だがそれはそれとして、説得力はこれっぽっちも無かった。

 

 

 

 

 

 

 竜の谷の冒険はまだまだ始まったばかり。

 短かった滞在が終わり、アルラウネの集落を発つ時がやってきた。

 次の目的地は世界樹。ひたすらに真っ直ぐ川を上っていけば辿り着く。天界直通ルートがいかなるものか、あなたは早くも楽しみになっている。

 

「色々とお世話になりました。沢山お土産も貰っちゃって」

 

 エリー草を筆頭に、アルラウネが樹海で集めた様々な素材と食材。

 先日のアンデッド浄化作戦で集まった遺品の山。

 浄化作戦とヴォーパル討伐の謝礼として、あなた達はこれらを受け取っていた。

 

 あなたに素材の価値は判別出来ないが、ウィズは宝の山だと目を輝かせていた。

 遺品の大半は経年と戦いによる破損でガラクタと化していたのだが、それでもあなたの予想よりも数多くの物品が使い物になる状態だった。曲がりなりにも竜の谷に挑んだ探索者が持ち込んだ品だけの事はある。

 中でも魔法の荷物袋が複数手に入ったのは大きい。土産と遺品を突っ込んだらいっぱいになってしまったが、プラスマイナスはゼロだ。

 

「いえ、こちらこそ世話をかけました」

 

 集落の入り口で頭を下げて感謝を述べるウィズに相対するのはアルラウネの女王、ただ一人。

 他は遠巻きからあなた達を観察している。

 千を優に超えるアンデッドを残らず浄化したウィズ、そしてヴォーパルという樹海の災厄を単独で仕留めてみせたあなたは、完全に人間扱いされなくなっていた。

 

「樹海の脅威と目障りなアンデッドを取り除いてくれた事には感謝します。ですが我々が再び会う事は無いでしょう」

 

 相変わらずの塩対応にあなたは力強く頷く。

 エリー草が欲しくなったらまた来ると。

 

「二度と来るなと言っているのです! 来ないでください! 分かりなさい!!」

 

 半泣きの女王を無視したあなたは、周囲のアルラウネに友好的な笑顔を浮かべて手を振ってみた。

 

「けえれけえれ!」

「にどとくんなー!」

「ココオマエノクルトコロチガウ!」

「塩撒いとけ塩!」

 

 ブーイングの嵐だが、あなたはこれはこれで楽しかったりする。少なくとも怖気づかれたり命乞いされるよりは遥かにマシだ。

 楽しかった。擬似エーテルも見たいので、是非ともまた遊びに来よう。そんな事を考えながら、どこからともなく飛んできた小袋をキャッチする。

 

「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 突如として見た目からは想像もできない、豚のような悲鳴をあげてのたうち回る女王。

 何事かと思ったが、よく見てみれば掴んだ袋は口がしっかりと締められていない。

 どうやら投げられた途中で、袋から零れた塩が女王に降り注いだようだ。

 アルラウネ達からしてみればかなりの大惨事だというのは分かるのだが、女王の姿は塩をかけられたかたつむり、あるいは硫酸を一気飲みさせられた駆け出し冒険者に酷似していた。体を張った一発芸にあなたはかなり大爆笑である。

 

「もしかしてバカなんですかね……」

 

 慌てたウィズのクリエイトウォーターを浴びる女王と、そ知らぬ顔で明後日の方を見て口笛を吹く下手人のアルラウネに向けられたゆんゆんの小さな呟きは、あまりにも痛烈で無慈悲だった。




・ウィズ(幼少期)
 天下無敵のハイパー美少女。
 何の躊躇も無くバカみたいな才能でぶん殴ってくる、魔法使いにとっての悪夢。全自動心折マシーン。
 挫折に追い込まれた同期は数知れず。

 好きなものは魔法とお菓子と心躍る冒険譚。
 苦手なものは空腹と寒さと退屈。
 趣味は買い物と魔法の修行。

 幼少期と氷の魔女とリッチーを比較した場合、魔法使いとして最も未熟なのが幼少期なのは言うまでもない。
 だが一人の戦う者として見た場合、幼少期こそがウィズの最盛期である。
 最も廃人に近しい精神性を持っていたのがこの時期だからだ。
 あなたが成長に比例して壊れていったのとは逆に、彼女は成長で全うな人間性を手に入れた。
 守りたいものができた、大切なものができた。
 だからこそ負けやすくなった。精神的に弱くなった。

 それでも、掛け替えの無い仲間達との出会いは彼女にとって正しく、素晴らしい事だったのだろう。
 少なくとも、他者の命を虫のように踏み潰す廃人と出会ってしまうよりかは、ずっと。

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