このすば*Elona   作:hasebe

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第130話 断頭の獣『ヴォーパル』

【No.4:癒しのジュアの狂信者】

 

 イルヴァに名高き廃人達を紹介していくという、先日友人からお前の頭ノースティリスかよと呆れられた(極めて遺憾である)地獄のようなコーナーも晴れて四回目となった。

 私の予想に反してこのコーナー、読者諸兄からの反響が非常に大きいのが恐ろしくもあり嬉しくもある。恐れ多くもかの高名な(プライバシー保護のため省略)氏から応援のお便りを頂いた時は私も目と自身の正気を疑ったものだ。

 今のところ編集部や私の自宅が廃人やその手の者に襲われ更地にされるといった事件は発生していない。どうでもいいと捨て置かれているのか、あるいは時期を待っているのか。個人的には前者であってほしいと願って止まない。

 

 愚にもつかない私事はここらへんにして、今回紹介していくのは恐らく最も世間的な知名度が高いであろう廃人、通称癒しの女神の狂信者だ。

 彼の名は――

 

 (中略)

 

 さて、ここからは表面的なプロフィールではなく、もう少し突っ込んだ話をしていこう。

 

 癒しの女神の信奉者である彼は、かのレシマスの迷宮を踏破した冒険者だ。

 廃人の例に漏れることなくノースティリスを主な活動拠点としているわけだが、少し調べてみれば世界各地に彼の冒険の足跡が残されているのが分かる。

 活動的で探求心に富み、未知と冒険と戦いをこよなく愛し、希少な物品や剥製の収集を行う。

 彼は廃人という良くも悪くも個性に溢れすぎた者達の中で最も冒険者らしい冒険者と表現できるだろう。

 それゆえか、馬鹿と冗談を煮詰めたとしか表現できない廃人達の中では相対的に常識と良識を兼ね備え、なおかつ我々の道理が通じやすい人物でもある。

 私は今回の企画にあたって全ての廃人と会ってきたわけだが、仮に上司から廃人の中から誰か一人を選んで長期に渡る密着取材を行えと命令されたら私は迷わず彼を選ぶ。そしてそんなクソのような命令をしてきた上司をサンドバッグに吊るしてもらうように依頼する。絶対に。絶対にだ。

 

 友好度は中。危険度は低。

 

 極めて雑で身も蓋もない表現になってしまうが、彼は廃人の中で最もとっつきやすい人物といえる。

 彼もまた自分ルールの中で動く者であることは周知の事実だが、それでもこれまでに私が紹介してきた三名と比較すればその接しやすさはまさにかたつむりとクイックリング。

 彼と付き合っていけないようでは廃人と友誼を結ぶなど夢のまた夢と言わせてもらおう。そのような奇特な人物がイルヴァ全域を見渡したところでどれだけいるのかは別として。

 

 だがゆめゆめ忘れることなかれ。彼もまた廃人の一角であるということを。

 私がここでどれだけ彼を褒め称えた文章を記そうとも、それは所詮廃人という手の施しようがない者達の内における相対的評価に過ぎない。

 地を這う蟻に対して我々が感じるような、限りなく無関心に近い寛容さ。

 一見すると人当たりが良い彼がごく一部の気に入った者や親しい者以外に向ける感情とは、我々からしてみればそういうものなのだから。

 

 次頁から始まる彼のインタビューはそれを如実に感じさせるものとなっている。

 

 ――『イルヴァwalker、914号』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 エリー草が発する擬似エーテル光を塗り潰す、目を奪われずにはいられない神秘的な青白。

 エリー草が発する擬似エーテル光を飲み込む、目を背けずにはいられない冒涜的な赤黒。

 対照的な色彩を帯びたエーテルの魔剣と血染めの断頭剣はしかし、両者共に数え切れない無数の命を奪い、その血肉を食らってきたおぞましき凶刃という意味では全くの同類であった。

 

 互いの剣の主もまた同様に。

 

 ノースティリスの冒険者と隻眼の首狩兎。

 明確な意義も確固たる目的も無くただひたすらに戦い続け、現在に至るまでの過程で屍の搭を築き上げてきたあなた達は、他者を傷つける事に忌避感を覚えず、他者の命を踏み躙る事に一切の呵責を覚えない筋金入りのろくでなしである。

 あなたとヴォーパルに違いがあるとすれば、それはあなたを信頼して背を預け、あなたが背を預けている相手の存在に他ならない。

 

 あなたは友人であるウィズを想っている。

 あなたは友人であるウィズを尊重している。

 あなたは友人であるウィズが戦う力を持たぬ無辜の民が傷つき命を落とすのを、何よりも厭い嫌うという事を知っている。

 

 日々終末狩りに勤しむベルディアを通じ、ウィズは異世界人であるあなたの倫理観、道徳観、死生観がこの世界のそれとは著しく乖離していることを理解しているわけだが、彼女があなたに街中で一般人を殺戮するなと警告したことは一度も無い。

 そもそもの話、普通はそんな当たり前すぎる警告をしない。未開の地に住まう邪悪な蛮族が相手でもあるまいし、するわけがない。この世界の常識的に考えて、する方がおかしい。

 

 残念ながらそんな当たり前すぎる警告が必要な地域で冒険者をやっていたあなたは、ウィズとの交流を通じてその人となりを理解し、あくまでも自発的に自らの行動を律していた。犯罪者や賞金首のような殺しても良い相手以外の人間を殺さない程度には。

 多少なりともフラストレーションが溜まるのは事実だが、だからといって不平不満を零すほどのものではない。

 新たに異邦の地で得た掛け替えの無い友人と決定的に袂を分かつ事を考えれば、多少の不自由などわざわざ天秤にかけるほどの事ではないのだ。別に何が相手だろうと殺すな壊すな暴力を振るうなと博愛精神と正義感と平和主義と狂気に満ち溢れた酔っ払いの戯言を投げかけられているわけではないのだから。

 

 繰り返すが、あなたは無辜の民の命を理不尽に奪っても心が欠片も痛まない類の人間である。

 強くなるのと反比例するかのように良心は風雨に晒された岩のように磨耗し、鈍化した共感能力は今や錆びた刃の如く。

 廃人。直訳すると壊れた人。

 間違っても英雄や勇者などとは呼べないし呼ぶべきでもないからこそ人々の間で自然と生まれた呼称であり蔑称でもあるそれを、当のあなたも受け入れて自称している。

 後悔こそしていないものの、人として辿るべきではない不可逆の成長、変化を遂げてしまったと自分でも理解しているがゆえに。今更矯正など出来よう筈もない。

 

 今のあなたはなんでもいいからバラバラにしたいぞ、とばかりに道行く一般人を殺戮して喜悦を覚える感性の持ち主ではないのだが、それはそれとしてジェノサイドパーティーを楽しく行える人間ではあるし、他者を殺害して剥製を集めるのを趣味としている。

 赤の他人。どうでもいい相手に配慮をするつもりが端から無い。意思や尊厳を重んじる気が無い。

 好悪の問題ですらなく、単純にどうでもいいと思っている相手に自分の行動を制限されるのが窮屈で面倒だと感じている。行動の結果どうなるかと理解していても、それはあなたを止める理由にはならない。

 邪悪なエゴイストという謗りは免れないし、実際にそれは間違っていない。

 

 ウィズというあなたの破滅的な行動を抑制する枷にして檻がなければ、自分ルールの下に己が望むまま振舞う廃人はこの世界に今とは比較にならない多大なる悪影響を及ぼし、人、神、魔の全てから討ち滅ぼすべき災厄と見なされていただろう。

 あるいは樹海に生きるアルラウネ達から忌避されている、ヴォーパルと同じように。

 

「――――!」

 

 さて、そんなヴォーパルはあなたが愛剣を抜いた瞬間その視線の色と発する気配を著しく変化させた。

 目の前に立つあなたの事を、獲物の前に立ち塞がった邪魔者ではなく、明確にして強大な自身を脅かす敵だと認識したのだ。

 指向性を持ったあなたの戦意と圧に呼応するかのごとく膨張する獣の殺気。

 瞳に宿っていた冷めた理性は闘争本能と首狩りの意思に塗り潰され、ヴォーパルは戦闘態勢に入った。

 退屈な狩りでも蹂躙でもない。自らを上回る強者と戦うために。

 

 逃走など有り得ないと突き刺さる不退転の殺意に込められた意思は期待。そして渇望。

 やはり似た者同士なのだろうと確信したあなたの瞳に力が宿り、肉体に活力が満ちていく。

 

 それでこそだと。自分に血を流させてみせろと。痛みを与えてみせろと。

 狩りであれば負傷などすべきではない。蹂躙であれば痛みすら論外だ。

 だが戦いにはそれが必要だ。そうでなくてはいけないとあなたは考えている。

 流血と苦痛を伴わない戦いなど、何の意味も価値も持たないのだと。一晩もあれば忘却の彼方に消え去ってしまう空虚な暴力に過ぎないのだと。

 あなた自身が培ってきた経験から確信していたがゆえに。

 

 

 

 

 

 

 先手を取ったのはヴォーパル。

 挨拶代わりに放たれたのは空を裂き地を抉る斬撃。

 

 断頭剣から放たれたそれはラビテリオンを昇華させたスキルなのだろう。

 武器に魔力や気といった何かしらの力を込め、敵に向けて飛ばす。

 威力や呼称こそ様々であるものの、この世界における近接職の基礎教養といっても過言ではない、普遍的な遠距離攻撃スキル。

 

 しかしヴォーパルの攻撃は今までにあなたが見てきたスキルの中で最も強大かつ禍々しかった。

 ギロチンから放たれた5メートルほどの孤月は、まるで血染めの刀身から滲み出たかのような赤黒さ。

 

 迫り来る脅威に対してあなたが選んだのは攻撃スキル、音速剣での迎撃。

 いつぞやの王女アイリスとの対峙を髣髴とさせる光景だが、その結果はまるで異なっていた。

 一瞬の拮抗の後、あなたの放った全力の音速剣は巨大な血の三日月に呆気なく飲み込まれたのだ。

 

 武器の性能は愛剣が優越している以上、これはあなたの問題に他ならない。

 剣を補って余りあるほどに技の威力と錬度に差があることの証左である。

 相手に付き合った形になるとはいえ、数十回当ててようやく遠方の下級ドラゴンを撃墜できる程度の、手慰み程度にしか鍛えていないスキルで迎え撃つというのは不躾だった。

 どうにも悪い癖がついていると自戒したあなたは内心でヴォーパルに謝罪し、愛剣で孤月を切り払う。

 飛散した血剣がエーテルと交じり合って大気に溶け合う中、既にヴォーパルは一足で距離を殺し、あなたを射程圏内に収めていた。

 

 敵手を屠らんと迫るギロチンは音すらも置き去りに。

 一拍遅れて聞こえてくるのは背筋が粟立つ風切音。

 あなたのすぐ後ろにはウィズがいる。たとえヴォーパルの意識があなたにのみ向けられていようとも、回避という選択肢は有り得ない。

 故に先ほどの焼き直しのように二本の大剣が撃音を奏で、火花を散らす。

 自身の十倍にも届こうかという長さのギロチンを軽々と振り回すヴォーパルだが、愛剣を通してあなたの手に伝わる感触はギロチンが見た目どおり、あるいはそれ以上の重量を持っていることを明確に教えてくる。

 

 数度攻守を入れ替えながらじゃれ合いのような剣戟が続くも、それが終わる間際、真後ろに飛び退いたヴォーパルに合わせる形であなたは大地を蹴って前進。首筋目掛けて突きを放つ。

 よりにもよって首狩兎の首を狩らんとするそれは紛う事なきあなたの挑発だった。

 無造作に放たれた突きはしかしヴォーパルの矮躯を容易く両断せしめるだろう。そういう威力を込めた攻撃である。

 呼吸を盗まれ間合いに踏み込まれたヴォーパルはギロチンを振るうも、あなたはニヤリと笑った。

 

 耳をつんざく爆音にアルラウネ達が耳を塞ぐ。

 突如として発生したその正体は愛剣の攻撃によるものであり、グレネードと呼ばれる音属性の爆発だ。

 イルヴァの武器には攻撃に応じてスキルや魔法が発動するエンチャントが付与される事がある。

 この世界の属性付与(エンチャント)スキルとは似て異なるその中で最も強力な物の一つとされるのがこのグレネード発動であり、当然のように愛剣はこれを発動出来る。元から所持していたわけではなく、他のグレネード発動武器を捕食する(合成する)事で手に入れた産物だ。

 

 愛剣のグレネードは生半可な相手であれば余波だけでミンチになる威力なのだが、野生の生存本能の賜物なのかヴォーパルはギロチンを盾にする形でこれを辛うじて受け流してみせた。

 だが至近での爆発に幾らかのダメージを受けたのは事実であり、更に足場が無い状態での防御で体勢を大きく崩した。

 当然ながら立て直す間など与えるつもりの無いあなたの追撃がヴォーパルを襲うのだが、獣はここであなたの想定を上回った。

 なんと体勢を崩したまま空中を蹴ることで、あなたの攻撃を無理矢理避けてみせたのだ。

 

 飛行ではない、しかし三次元的な機動。

 ギロチンラビットが空を駆けるという話は聞いた事が無い。ヴォーパルの固有スキルだろうか。

 意表を衝かれ目を丸くしたあなたは、離脱しながら振るわれる凶刃を一歩下がって回避。

 

 慣性を無視した動きで何度か空を蹴った後に防壁の上に着地したヴォーパルとあなたの視線が交錯する。

 時間にすれば一呼吸ぶんにも満たない、束の間の攻防。

 気付けば集中を続けるウィズ以外の全ての者があなた達を注視しており、獣の鳴き声一つ聞こえてこない静寂が場を支配していた。

 

(余所でやれぇ!! ここで、戦うな! ここで!!)

(バケモノの戦いに巻き込まれる可哀想な私達の気持ちになってみなさいよ!)

(どっちもどっか行ってくださいお願いします! お願いします!!)

 

 視線に込められた声無き声が聞こえてくる。アルラウネの悲痛な懇願が。

 それは恭しく頷くしかない、全くもって正当で一分の隙も無い主張だった。

 あなたもヴォーパルも、まだまだ互いに小手調べであり様子見もいいところ。だがひとたび本格的な戦闘に突入すれば、容易くこの一帯は焦土となりエリー草も根絶やしになってしまうだろう。

 あなたとしてもエリー草を絶滅させるのは本意ではないのだが、あなた達の都合にヴォーパルが付き合う理由は無い。殺意の対象であるあなたがこの場に居座り続ける限り、ヴォーパルは巨刃を存分に活かせるこの広場で戦い続けるだろう。あなたがヴォーパルの立場であればそうする。

 

 ゆえにあなたは周囲のアルラウネ達に呼びかけた。命が惜しければ今すぐ北から退避するようにと。

 言うが早いか、蜘蛛の子を散らすように北の防衛網を担っていたアルラウネが遁走する。

 話が通じる相手だと面倒が無くて助かるとあなたが北に駆け出せば、やはりというべきか、ヴォーパルは他の存在を一顧だにせずあなたを追ってきた。

 あなた以外に興味は無く、そしてあなたを逃がすつもりは無いということだろう。しかしそれはあなたとしても大いに喜ばしく、そして望むところであった。

 

 玩具を与えられた子供のような心地の中、あなたとヴォーパルの姿が闇に消える。

 その間際。あなたは声を聞いた気がした。

 

 ――どうかお気をつけて。

 

 あなたの身を案じるパートナー(ウィズ)の声を。

 

 

 

 

 

 

 手付かずの大自然である千年樹海の中での戦闘行為は外部の者にとって困難を極める。

 その最たる原因は樹海を形成する無数の樹木だ。

 長柄の武器を自由に振り回すことは適わず、魔法や弓矢は射線を容易に遮られる。

 伐採しながら進もうにも数が多すぎるし、何より太く頑健極まる幹は生半可な攻撃ではビクともしない。

 そんな無数の大樹が生存競争の中で好き勝手に生い茂った結果、視界は封鎖され、木々の根は真っ直ぐ歩くことすらおぼつかない荒れた地形を作り出した。

 入り組んだ樹海の内部には素人でも感じ取れるほどの大小様々な気配が犇いており、弱肉強食の掟に従って独自の生態系を築いている。

 

 どれをとっても解決は容易いものではなく、人魔を問わず世界中が匙を投げるに値するだけの理由がそこにはあった。

 

 ではそんな千年樹海に生きるヴォーパルは、どう考えても邪魔にしかならない、己が身の丈を遥かに超える断頭剣を用いて如何に樹海の中で戦うのか。

 その答えをあなたは身をもって体験している最中である。

 

 四方八方から聞こえてくる、大木が切り倒され枝が折れる音。

 地の利は圧倒的に相手側にある。どうしたものかと楽しく頭を回しながらあなたは自身に向かって倒れてくる巨木を回避。

 周囲の木々を巻き込んだ伐採はバキバキという破砕音と地響きを生み出し、枝葉と土煙が舞い上がった。

 倒壊した巨木の幹は斜めに切断されており、やすりをかけたような滑らかな切断面が残されている。

 

 一息つく間も無く背後を振り向いたあなたは闇に向かって剣を振るう。

 愛剣は音も無く迫っていたヴォーパルのギロチンとぶつかり合い、闇を瞬きの間だけ明るく染めた。

 弾かれたヴォーパルはグレネードを警戒しているのか、接近戦に付き合う気は無いと言わんばかりに木々を飛び跳ねて離脱。曲芸師のような身軽さを見せながら姿を消すその口にはギロチンが咥えられていなかった。

 あなたは既に数度同じ光景を目にしており、相手が四次元ポケットの魔法に類似した収納手段を所持しているのは最早誰の目にも明らかだ。ゆえに木々が獣の行く手を阻む事は無い。

 

 ヴォーパルが姿を消した数秒後、血色の孤月が木々を切り裂きながらあなた目掛けて降り注ぐ。

 攻撃の出所は樹海の上。つまり空だ。

 ヴォーパルは空からあなたを攻撃してきている。

 互いの姿は見えずとも狙いは完璧なあたり、あなたがヴォーパルを捕捉しているのと同じように、空を駆けるヴォーパルもまたあなたの気配を察知しているらしい。

 

 状況は膠着していると言ってもいい。

 ヴォーパルは斬撃で樹海を切り開きながら時折首狩りを狙い、離脱するという行為を繰り返していた。

 相手の攻撃はあなたに当たっていないが、あなたもまた空を駆けるヴォーパルに攻撃を届かせていない。

 単独での飛行手段を持たないというのはあなたの致命的な欠点の一つである。

 とはいえ遠距離攻撃を持っていないわけではない。あなたは攻撃を防ぎながらヴォーパルが何をやってくるのかずっと様子を見ていたのだ。

 

 しかし相手の対応が殺気に反してどうにも消極的だとあなたは感じていた。

 ヴォーパルが逃げる気配は欠片も無い。かといってこのまま殺しきれると考えているとは思えない。まさか手詰まりというわけでもないだろう。スタミナか集中力が切れるのを待っているのだろうか。あるいは相手もまたあなたの出方を窺っているのか。

 

 全距離で戦えるあなたが最も得意とするのは愛剣を使った近接戦闘なのだが、相手がそれに付き合う理由も無い。愛剣の危険度を理解しているようなら尚更だ。

 かといっていつまでも現状に甘んじているわけにもいかない。それは少しばかり退屈に過ぎる。

 ゆえにあなたはいつものように、自分のやり方を相手に押し付けることにした。

 

 ヴォーパルが頭上に近づいたタイミングで月光の魔法剣を発動。

 冷たく煌く魔力を纏った愛剣を振るってグレネードを発動させれば、木々は細切れにされた後に文字通り根こそぎ消し飛ばされ、あなたを中心とした周囲一帯は大きなクレーターと化した。

 これでやりやすくなったと星空を仰ぐあなたに容赦なく降り注ぐ血刃の雨。

 しかしあなたはこれを僅かな身動きのみで避けながら、ヴォーパルに向けて意識を集中する。

 

 自分が空を飛べないのなら、相手を地に落としてしまえばいいのだ。

 

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。成功。

 

「――――!?」

 

 五度目の発動でガクンと体を崩し、羽をもがれた鳥のように落下するヴォーパル。

 あなたの目論見は成功し、獣から驚愕した気配が伝わってきた。

 あなたが使った魔法はグラビティというイルヴァの魔法である。

 いわゆる補助魔法に分類されるものであり、攻撃力は無い。

 効果は術者を除く視界内の対象全てを強制的に地面に引き摺り落とす『重力』の状態異常にするというもの。

 動きを制限したり圧死させるほどの超重力を与える魔法ではないにしろ、効果自体は強力だ。特にあなたのような飛行手段を持っていない者にとっては。

 メテオと同じく魔法書が存在せず能動的に鍛える手段が無い魔法なので今回のようにそれなり以上の相手だと連発する必要があって不安定なのだが、今回は上手く刺さった形になる。

 

 そんな重力の鎖に引き摺り落とされるヴォーパル目掛けてあなたは剣を振るう。

 地上を照らす月の光を凝縮したかのような溢れんばかりの魔の力は、今もなお重力にもがく獣に吸い込まれるような流麗さで到達した。

 純白の毛皮を切り裂く月光の刃。

 瞬きの後にヴォーパルはその命を断たれるだろう。

 事ここに至っては最早防御も回避も不可能だと断ずるあなたはしかし、同時に自身の膨大な経験から確信を抱いていた。あるいは期待と言い換えてもいい。

 

 この程度で終わるはずがないと。

 まだ底が、見せていないとっておきがあるはずだと。

 

 

 

 

 

 

 月光を彷彿とさせる光を纏った一撃。

 防御も回避も許さないタイミングで迫り来るそれは正しく必殺の気配で満ちており、まともに受ければただでは済まないだろう。

 故にヴォーパルは心中で一つの事実をあっさりと認めた。

 相手は自分を上回っている、と。

 

 単純な力量で。

 手札の数で。

 装備の質で。

 戦闘経験で。

 自分は相手に劣っている、と。

 

 相手が青い剣を抜いた瞬間から、ヴォーパルの生存本能は絶えず悲鳴と絶叫と怒鳴り声をあげている。

 即ち、逃げろと。絶対に勝てないと。コレとは決して戦うなと。

 生死の境に立った今この瞬間ですらもそれは変わらない。

 勝ちの目がまるで見えない。相手の底が見えない。正真正銘の怪物。

 それはヴォーパルにとって素晴らしい事実だった。

 

 ヴォーパルはずっとこんな相手を待ち望んでいた。絶対的な強敵を。絶望的な死闘を。

 この広大な緑の箱庭で生まれ育ち、強くなりたいという魂の奥底より生じたたった一つの衝動に従い、戦って、戦って、戦い続けて。

 共に生まれ育った軟弱な群れの同族達を一匹残らず食い殺し、ただひたすらに強さと戦いを追い求めた。

 

 隻眼が放つ光が輝きを一段と増し、シルクハットの内側から小さな何かが零れ落ちる。

 音も無くヴォーパルの首に巻き付いたそれは、銀色をした鎖つきの懐中時計だ。

 

 かつてヴォーパルの片目を永遠に潰した探索者が使用していた品であり、死闘の末に探索者の首を落としたヴォーパルはこれを回収した。

 ヴォーパルは野生に生きる獣だ。それが何なのかを知らない。時計というものを知らない。

 シルクハットやギロチンといった他の身に着けている道具同様、どういう由来の品なのかを知らない。使い方と効果を経験則で理解しているのみ。

 

 この時計は非常に使いにくい。

 具体的には月が見える夜にしか使えない。そして月の満ち欠けによって効力が増減する。

 最も強くなるのは満月の日だが、次の満月になると完全に効力を失う。そしてまた次の満月に向けて少しずつ力を増していく。

 そして今宵は満月。時計の力が最も強くなるか弱くなる日である。

 

 普段ヴォーパルはこの道具を使わない。前回の使用も十年以上は前の事だ。

 理由は単純。道具がクセの強さを補って余りあるほどに強すぎる力を持っているから。

 使ったが最後、どんな相手もあっという間に死んでしまうほどに。

 戦いはおろか狩りにすらならない。あまりにも一方的すぎる殺戮はひたすらに退屈な作業と成り果てる。それはヴォーパルの好むものではなかった。

 強すぎる力を持つが故に普段は眠らせていた道具を発動させながら、奇跡のような出会いに感謝を捧げる隻眼の獣は願いをかける。

 自分達の戦いを天から見下ろす満月に向けて。

 そして、自らと対峙する恐るべき強敵に向けて。

 

 どうか、どうかこの道具すら歯牙にかけない相手であってほしい、と。

 そんな敵を殺した時、自分は今よりもずっと強くなっているだろうから。

 

 真紅の魔眼が凄絶なまでの殺意に沈む。

 ヴォーパルは正しく断頭の獣と成り果てる。

 

 そして獣の殺意に応えるように。

 月光の刃が毛皮に届いた、まさにその瞬間。

 カチリと音を立て、時計が時を刻み始めた。

 

 時計の名は白兎の銀時計。

 奇しくもヴォーパルを彷彿とさせる名を持つ、時の流れを操る神器である。

 

 

 

 

 

 

 愛剣が肉を裂き骨を断つ寸前、ヴォーパルの姿が消失した。

 微かに視認できた残光の軌跡からしてテレポートのような瞬間移動ではない。

 やはりヴォーパルは速度を引き上げる手段を持っていたようだ。何かがシルクハットから零れ落ちていたので、恐らくはそれだろう。

 スキル、神器、異能。あるいはそれらの複合という可能性もある。

 だがあなたはどれでも構わないと思っていた。ベルディアを通じてこの世界の住人も速度を上げる術を持つと知っている以上、手段にはあまり興味が無い。

 ただヴォーパルの姿が消えた瞬間、あなたは速度を最大まで引き上げた。直感的にそうする必要があると確信したのだ。

 

 結果からいえば、あなたの判断は正しかった。

 

 一条の閃光が暗闇に奔る。

 その煌きはどこまでも眩く、鋭く、そして禍々しく。

 

 閃光が通り過ぎた後、刹那の空白の後に発生する衝撃と血風。そして轟音。

 全てを蹂躙する嵐のような一撃が樹海に叩きつけられ、ヴォーパルの軌道上に存在した木々と生命は文字通り消し飛んだ。空に散る巻き上げられた地面と無数の生命の残骸。

 血風とは比喩ではない。吐き気を催す鉄錆の臭いを纏った赤黒い風が吹き荒れたのだ。斬撃の余波という形で。

 何が起きたのかを考察する意味は無い。ただでさえ流星と見紛うヴォーパルが常軌を逸した速度を発揮した結果、隻眼の獣は最早英雄が影を踏む事すら叶わぬ災厄と化したというだけである。

 

 ヴォーパルの攻撃は樹海の一部に破滅的な傷跡を刻み、あなたの体から血を噴出させた。

 数箇所の裂傷はいずれも骨に達するものではなく、間を置かずして血は止まり傷も塞がる。まるで時を巻き戻したかのようにあっさりと、跡形も無く。

 魔法やポーションを使ったわけではない。下手な不死者より遥かに高い不死性を保持するあなたの自然治癒能力は最早人間の範疇にないというだけの話だ。廃人の中でも頭一つ抜けたしぶとさは癒しの女神の狂信者としての面目躍如といったところだろう。

 

 だが、それでも。

 あなたが戦闘中に明確な傷を負ったのはこの世界においてこれが初めてだった。

 現在のヴォーパルの速度は僅かに、しかし確かに素のあなたの反応速度を上回っている。

 そしてこれはあなたと戦う上で明確な強みであり、武器となるものだ。

 神すら弑する力を持っていたとしても、あなたは不死身でもなければ無敵でもない。

 深い傷を負えば治癒には相応の時間がかかるし、負傷を重ねればやがて死に至る。

 

 だが、そうでなくてはいけない。戦いとはかくあるべきなのだとあなたの口角が弧を描く。

 力量差という名の天秤が傾ききった戦いなど、とても戦いとは呼べないのだから。

 

 愛剣の柄を強く握り締める。

 長い平和で腑抜けていた主に呼応した魔剣が輝きを増し、その真の力を発揮する。

 

 

 

 

 

 

 数度の交錯の末に無惨に切り開かれた樹海の一角。

 最早二度と元の草木が生い茂っていた自然豊かな地に戻る事は叶わぬであろう場所を、あなたとヴォーパルは戦いの舞台と見定めた。

 歴史に名を残す強大な竜、魔物、英雄、勇者。

 これらを片手間に屠る域に在る者のみが立つ事を許される超越者の戦場にて、廃人と断頭の獣は互いの命を懸けて戦う。

 

 本来であれば満天の星が見えているはずのあなたの視界には無数の線が奔っている。

 重力魔法に囚われている獣の動きに支障は無く、空気を蹴る能力は健在。

 超速で駆けるあなたの周囲を縦横無尽に奔る閃光はあなたを上回る速度で駆けるヴォーパルの魔力の残滓だ。

 

 反応速度を僅かに上回るヴォーパルの動きをあなたは捕捉している。反応出来ている。出来ていなければとうにあなたの首は胴体と泣き別れしているだろう。

 だが追いきれてはいない。

 閃光に向けて放たれた魔剣が紙一重で空を切る。

 攻撃の余波として生まれた暴力的なエーテルの青い奔流が樹海を飲み込み、射線に存在した全てを破壊し消し飛ばす。

 それはスキルではない。与えられるべき名を持たない一撃に過ぎない。

 だが人界で放てば間違いなく甚大な被害を生み出す、廃人という世界を相手取って戦うことができる冒険者が振るう魔剣の一撃だ。万難を切り開き聖邪善悪を等しく討ち滅ぼしてきた神殺しの剣だ。

 

 破壊の風を巻き起こすあなたの全身は既に己の血で染まっていた。

 対してヴォーパルは未だ無傷。純白の毛皮は一滴の返り血も浴びていない。

 

 傍目にはあまりにも一方的な戦いに映るだろう。

 だがあなたとヴォーパルの肉体強度には理不尽なまでの開きがある。同じ肉の器を用いていながら命の在り方が、肉体と魂魄を編む法則が根本的に異なっている。

 それでもヴォーパルは臆する事無く、攻撃の余波で肉と骨を軋ませながらもあなたの攻撃を全力で掻い潜り、命懸けの反撃であなたの全身に傷を刻んでみせる。

 獣が足を止める事は一瞬たりともない。己の唯一の勝機である速度を活かし攻め続ける。魔剣の射程圏内という死線の先に身を投じ続ける。

 速度を緩めた瞬間が自身の死ぬ時だと理解しているがゆえに。

 それはまるでか細い蜘蛛の糸を使った綱渡り。

 

 生涯最高の敵を前にしたヴォーパルに一片の油断も慢心も無い。

 あるのはどこまでも研ぎ澄まされた殺意のみ。

 敵の一挙手一投足を注視する。戦いの果てに敵の首を断つ為に。

 

 首狩り。ギロチンラビットのあらゆる戦闘行動の全ては首狩りに帰結する。

 どれほど種から逸脱しようともヴォーパルもまた例外ではない。

 それはヴォーパルが自覚すら出来ていない、持って生まれた種族の業。本能の宿痾と呼べるものだ。

 

 だからこそ、それを見抜いたあなたは戦いの最中、ほんの一瞬だけ。意図的に全身の力を抜き防御を捨てた。

 無防備に晒される無傷の頸部。

 自身の命を餌にしたそれは断頭台に首を差し出す行為に等しい。正気の沙汰ではないと誰もが口を揃えるだろう。

 

 ヴォーパルとてそれが罠だとは理解している。

 理解してなお獣は一歩踏み込んだ。首に意識を向けた。向けざるを得なかった。

 

 あなたの首に掠り傷が生まれる。

 負傷とも呼べないそれはカウンターで振るわれた魔剣を獣が回避した結果だ。

 どれだけ断頭に固執していようとも、ヴォーパルが死の気配を撒き散らすおぞましき青を警戒しない事だけは有り得ない。絶対に。

 

 だからこそ、回避先を読んだあなたが繰り出した拳は、ヴォーパルの胴体に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 矢のような勢いで撥ね飛ばされる白い矮躯。辛うじて咥えたままだった断頭剣の柄が吐き出された血で染まっていく。

 反射的に防御に魔力を回していなければ確実に終わっていたと思える一撃を受けたヴォーパルは悔恨と共に悟る。

 自分は致命的な失敗をしたと。選択肢を間違えたと。警戒を餌に釣られたのだと。

 

 全身に走る衝撃と激痛に呻く間も無く追撃の猛攻を捌く。

 間違いなく骨の数箇所が砕けている。恐らくは内臓も幾つか潰れているだろう。

 だが致命に足るものではない。

 高位の魔物の例に漏れず、ヴォーパルの治癒力もまた尋常の域にはない。時をかければ致命傷すら癒してみせるだろう。

 それでもこの戦いの最中に傷が癒える事は無い。

 

 何よりも重大な問題として、被弾によるダメージは獣の速度を僅かに落とした。落としてしまった。

 唯一にして明確なアドバンテージが埋められた差異はあまりにも大きい。

 紙一重で避けていた魔剣の猛威が獣を蝕んでいく。

 直撃こそ防いでいるものの、それも時間の問題だとヴォーパルは理解している。

 攻撃を受け流すだけで骨が軋む。少しずつ身体が刻まれる。血が流れる。肉と共に命が削られていく。

 

 猶予は無い。

 命を懸けた綱渡りは無様に足を踏み外し、今まさに死という名の奈落に落ちようとしている。

 いつ死んでもおかしくない状態。

 故にヴォーパルは捨て身に出た。

 

 魔剣を正面から防ぐ。

 あまりの衝撃に魔力で強化してなお刀身から悲鳴を響かせる断頭剣。

 当然のように打ち負け、撥ね飛ばされながら、全身を覆っている魔力の全てを停止。流星と見紛う輝きが燃え尽きたかのように消失する。

 

 そして生まれた余剰魔力の全てを脚力の強化に回す。

 

 ヴォーパルは神器、白兎の銀時計の正式な所有者ではない。

 劣化した神器は上がった速度の分だけ使用者の身体に甚大な負担を強いてくる。最大加速時の負担ともなれば英雄級ですら一瞬で再起不能を通り越して死に至るほどに重い。

 ヴォーパルは魔力で全身を強化する事でこの負担を無視していた。

 

 それを無くす。

 限界を超えた加速は強靭とはいえ崩壊しつつある身体に止めを刺すだろう。

 方向転換など以ての外。

 

 ゆえに一撃。

 直線の一撃で首を落として殺す。

 殺せなければ自分が死ぬ。

 ただそれだけ。

 

 敵を見据え、ヴォーパルは躊躇う事無く地を蹴った。

 光の矢が廃人の命を穿たんと飛翔する。

 

 

 

 

 

 

 これは、避けられない。

 愛剣や魔法を使って防いでも確実に相打ちになる。

 光の矢を前にしたあなたは一瞬で直感した。

 

 このままではあなたは首を断たれ、命を落とすだろう。

 あるいはここがイルヴァであればあなたは潔くそれを、死を受け入れていたかもしれない。

 

 ――どうかお気をつけて。

 

 脳裏に過ぎる言葉に分かっていると同意する。

 ここはイルヴァではない。それは許されない。それは今であってはいけない。

 友との約束があなたを突き動かす。

 

 あなたは左手を大きく開き、腕を前に差し出す。迫り来る断頭の意思の前に。

 一瞬の抵抗すら許さず、あなたの左腕は手の平から切り裂かれ、骨ごと断たれていく。

 

 痛みを通り越して熱と入り込んだ刃の冷たさしか感じ取る事ができない左腕だが、あなたも最初からこうなることは織り込み済みで行動していた。腕一本で止まると考えるほど楽観はしていない。

 ゆえにギロチンが肘まで届いたその瞬間、あなたは伸ばした左腕を全力で上に向ける。肉と骨に埋まったギロチンを奪うような形で。

 不可避の断頭を防いだ代償は断裂する肉と破砕した骨の音が教えてくれる。

 力技によって強制的に太刀筋を逸らされたギロチンは、その勢いを殺す事無く後方へ飛んでいった。あなたの左腕を肩ごと巻き込み、美しい血の放物線を描きながら。

 引き裂かれ捻じ曲がり腕と判別するのが不可能なまでにグチャグチャにされた肉の塊を見れば、誰もが永遠に再起不能に陥ったと認めるだろう。

 

 パーティーメンバーの二人が見れば確実に血の気が引くレベルの負傷なのは間違いない。

 だが、あなたは死んでいない。今もなお命を繋いでいる。

 そしてあなたの腕一本と引き換えにヴォーパルは得物を失った。

 しかし相手も然る者。あなたが左腕を捨てた時、あなたの目論見を察知したヴォーパルもまたギロチンを口から放していた。

 

 ギロチンを失ったとしても、獣であるヴォーパルには生まれ持った武器がある。

 名高い聖剣を捩った名称で呼ばれる耳……ではない。もっと純粋で、獣らしい部位。

 鋭い前歯。牙と呼び変えてもいい。

 残った魔力の全てを注ぎ込んだ最後の牙があなたを狙う。

 

 青い剣と白い牙に照らされた互いの影が重なり、そして――

 

 

 

 

 

 

 あなたの肩まで切断された左腕と首筋から、噴水のような勢いで血液が吹き出した。

 他の負傷と違い、血が止まる気配は無い。

 左腕は当然として、首筋の傷もまた骨にまで達している。

 ヴォーパルの最後の一撃はあなたにそれほど深い傷を与えていた。

 

『――――』

 

 妹が何かを言っている。

 速度差によって聞き取ることが出来ないが、声色からして恐らくは労いの言葉だろう。

 

 心地良い激痛を味わいながらあなたは息を吐き、周囲を見渡す。

 すぐにそれは見つかった。

 速度を戻したあなたは愛剣を鞘に収め、血の道を生み出しながら近づいていく。

 

 地に横たわる、胴体を真っ二つに袈裟に断たれた血塗れの兎。

 その首には修復不可能なまでに破損した懐中時計がかかっており、下半身は完全に消し飛ばされている。

 そしてその傍らにはあなたの腕だった肉塊がこびりついた断頭剣が、さながら墓標のように地面に突き刺さっていた。

 

「…………」

 

 あなたの足音を聞き届けたのか、ヴォーパルがあなたに敵意の篭った鋭い目を向けてきた。

 辛うじて生命が尽きていない事は分かっていたのであなたに驚きは無い。それでも驚嘆すべき生命力ではあるが。

 隻眼で睨み付けてくる瀕死の獣に何かを言うでもなく、あなたは一つの道具を取り出した。

 

 道具の名はモンスターボール。

 かつてベルディアを捕獲した道具であり、カイラムで譲り受けた神器の一つである。

 

 あなたがイルヴァから持ち込んだモンスターボールは転移の影響で変異し神器となった。

 だがこれは違う。あなたを正規の所有者と認めていない。

 強制的に捕獲できたベルディアの時とは違い、捕獲する相手を自身の力で打倒する必要があり、なおかつ対象の同意を得る必要がある。

 

 その為にこの神器には魔物とも意思の疎通を図る事ができる機能がある。

 あなたは紅白の球体を身体に当てて獣を誘った。自分の仲間にならないかと。

 

 だがヴォーパルはあなたを一蹴し、嘲笑った。

 群れるなど断じて御免であり、救いなど求めていないと。

 敗北とは死だと。そうであるべきだと。

 

 ヴォーパルから伝わってくる意志は固い。

 あなたは心の底から残念だと思ったが、同時にそれでこそだとも感じる。

 頷いて手を引けばヴォーパルは小さく鼻を鳴らし、静かに目を閉じ――その生涯を終えた。

 

 あなたは暫し目を瞑り、ヴォーパルに感謝と礼を込めた黙祷を捧げる。

 願わくば次はイルヴァに生まれてくるようにと。

 

 得難く、素晴らしい敵だった。無粋にもこのまま死なせるのが惜しいと考えてしまうほどに。

 そんな相手がこのまま野晒しにされたり躯を貪られるのをあなたは望まない。

 あなたは獣の遺骸を断頭剣と共に回収し、その場を立ち去るのだった。


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