このすば*Elona   作:hasebe

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第128話 愉快な森の仲間たち

【竜の谷に住まうモノ】

 

 ご存知の通り、世界中を見渡しても他に類を見ない数多の魑魅魍魎が闊歩する竜の谷だが、恐るべき彼の地に生きるもの全てが我々に牙を剥いてくるというわけではないというのは、あまり知られていない。

 ごく少数とはいえ非好戦的かつ言葉が通じる種族の存在が確認されているし、中には命の危機を救ってもらった探索者すらいるという。

 時と場合によっては、彼らとの交流が我々の探索の一助となることもあるだろう。

 だがしかし、たとえ友好的に接してくるモノと出会ったとしても、それらを前に油断してはならない。侮るなど以ての外。

 努々忘れることなかれ。彼らもまた竜の谷という人外魔境に適応し、長年に渡って生き延び続けてきた者達なのだということを。

 たとえ危険性の低い相手だとしても、彼らは等しく強者なのだ。

 

 少なくとも、竜の谷に定住する事すら不可能な我々よりはずっと。

 

 ――コウジロウ・イイダ著『未知なる楽園を魔境に求めて』より

 

 

 

 

 

 

 再三繰り返すようだが、カイラムの騎士は大河を渡った先でエリー草を手に入れた。

 では何故カイラムは尋常ならざる危険を冒してまで大河を渡ったのだろう。

 理由はとても単純なもので、長い年月をかけて先人達がおびただしい数の犠牲を積み重ねながら樹海を探索してきた結果、エリー草の群生地はその場所をおおまかとはいえ把握されているからだ。そこが河を越えた先にあるというだけの話。

 

 ただし場所が分かっているからといって、そう易々と手に入るものではない。

 入り口からたった数時間の距離にある大河に辿り着くことすらできずに命を落とす事など、当然のように起こり得る。

 よしんば大河に辿り着けたとしても、5キロメートルにも及ぶ荒れ狂う河を渡る手段を持つ探索者は極めて稀。渡河の手段を持っていても無事に渡りきれるかどうかは殆ど運任せに等しい。

 

 大河を越え、死闘と苦難の果てにエリー草を手に入れても、最後に復路という絶望が立ちはだかる。

 テレポートが使えれば話は簡単だったのだが、これでは命が幾つあっても足りはしない。

 伝説の霊草扱いを受けているのは決して伊達ではないのだ。

 

 相対的に安全な大河以東で当てもなくエリー草を探すのか、あるいは全滅の危険を飲み込んで渡河するか。

 死期が間近に迫っていた王妃を救うため、カルラ一行は後者を選択した。

 騎士団の中でも実力者ばかりを選抜して探索行に投入したとはいえ、壊滅状態に陥らず目的を達成し帰還を果たすことができたのはいっそ運命的とすらいえるだろう。

 帰り道でカルラが命を落とし、あなた達に掬い上げられたのも同様に。

 

 

 

 さて、そんな大河を渡ったあなた達ネバーアローンは河辺で昼食を兼ねて小休止を取っていた。

 ぶどうジャムがたっぷり塗られたサンドイッチを咀嚼するあなたの視線の先では、ウィズが作った氷の道が鈍い音を立てながら少しずつ砕け、流されていっている。氷の中には無数の命が閉じ込められているのだろう。

 風情と大自然の力と命の儚さが同時に感じられ、えもいわれぬ思いが呼び起こされる。

 

「…………」

 

 軽く河の環境を破壊してみせたリッチーだが、彼女は早々に食事を終え、現在はダーインスレイヴを真剣な眼差しで調査している真っ最中だ。

 そう、ダーインスレイヴである。

 此処に至るまでの旅の思い出話にダーインスレイヴが登場し、あまつさえあなたが所持していると聞かされたウィズは、担い手に栄光と破滅を約束するとされる血塗られた魔剣に強い興味を抱いたのだ。

 魔剣に惹かれていると書くとウィズが魔剣に魅入られたと考えるところだが、彼女はダーインスレイヴそのものではなくダーインスレイヴに用いられている術式にこそ強い興味を持っていた。

 必然的に、一度抜けば血を見るまで止まらない魔剣なのだと聞かされたにもかかわらず、あなたが躊躇い無く鞘から抜いたこと、そしてゆんゆんにゴリ押しで魔剣を使わせようとした事までゆんゆんの泣き言という形で芋蔓式に知られ、軽くお小言を貰ってしまったわけだが、目の付け所が常人とは違うのは流石というべきか、魔道具店の店主らしいというべきか。

 

 なお調査とはいってもダーインスレイヴは鞘に収めたままであり、剣は抜かれていない。

 このような扱いを受けるのはあまり慣れていないのか、ダーインスレイヴから困惑の感情が伝わってきてはいるものの、あなたとしてはウィズを止める理由が無いのでそのままにしている。

 

「ウィズさん、それ使いたいんですか?」

 

 あなたをチラチラ見ながらのゆんゆんの問いかけを受け、ウィズは剣から視線を外して答えた。

 

「使いませんよ。というよりは使いたくても使えない、と言った方が正しいでしょうか。魔法の威力を強化する効果は無いですし、彼のように剣に魅入られないという確信も持てないので、仮に使えたとしても使う気は一切ありませんが」

「使うだけなら出来ませんか? そりゃ魔法使いが剣を使うっていうのは一般的ではないですけど」

「いえ、私は長剣全般を装備できないんです。タライが降ってくるので間違いありません」

「……そういえばそんなのありましたっけ」

 

 この世界独自の概念として、装備適性というものが存在する。

 そしてこの適性を持たない武器防具を無理に装備しようとすると、装備を司る神が罰として頭に金ダライを落としてくるのだ。かくいうゆんゆんも里帰りした際に金属製の棍棒を装備しようとしてタライの直撃を食らっていた。

 刀剣類以外を使うと激怒した愛剣による血の惨劇が不可避なあなたからしてみれば、決して他人事ではないし、多少の親近感を覚えもする。

 

 とはいえタライが降ってくるのは向き不向き以前の問題、どうしようもなく根本的に装備を扱う才能が欠けている時だけなので、あまり見られる光景ではない。前に弓矢を射ったら真後ろに飛ぶといった冗談のような才能が必要になる。

 そして適性は現在の技量とは一切無関係なので、ダクネスが全く当たらない剣を振り回してもタライは降ってこない。ああ見えても剣を扱えるだけの才能は持っているのだ。本人の欲望のせいで完全に腐ってしまっているわけだが。

 剣や槍といった特定の装備に憧れがあっても問答無用で足切りしてしまう金ダライを見て、神の慈悲と受け取るか大きなお世話と憤るかは人それぞれだろう。

 

 

 

 

 

 

 小休憩を終え、探索を再開しようとしていたあなた達だったが、不意に樹海の草むらをかきわける物音が聞こえてきた。

 何者かが接近してくる気配を察知したあなたが取った対応は、ウィズへの目配せ。

 既に杖を手にしていた彼女は無言で頷き、あなたと挟み込む形でゆんゆんの背後に回った。後方の大河からの奇襲を警戒した形であり、最初に決めていた探索行におけるあなた達の並び順でもある。

 

 果たして、草むらから姿を現したものとは。

 

「ウサギかあ……」

 

 ゆんゆんの言葉の通りのウサギだった。

 どうやらあなた達は群れと遭遇したようで、数にして30は軽く超えている。

 ウサギ側としてもあなた達と出会ったのは想定外だったようで、あなた達の姿を認めた途端、ピタリと動きを止めた。恐らくは河の水を飲みに来たのだろう。

 

 反応を示さないあなた達に何を思ったのか、その場で思い思いに毛繕いを始めるウサギの群れ。

 

 どのウサギも体長は30センチメートル弱と非常に小柄。

 白雪のような汚れ一つ無い純白の毛皮とルビーを彷彿とさせる真っ赤な瞳が強く印象に残る。

 無垢でつぶらな瞳と人懐っこい愛嬌たっぷりの仕草も相まって、愛玩したいと思わずにはいられない、どこまでも愛くるしいウサギだった。

 

「河を渡った途端に殺しに来るとかちょっと殺意が高くないですかね!」

「厄介な魔獣なのでくれぐれも気を付けて。特にゆんゆんさんは首を重点的に守ってください」

 

 ゆんゆんのやけっぱちな叫びが青空に吸い込まれ、ウィズが強い口調で警戒を呼びかける。

 タダのウサギにしか見えない相手に滑稽と受け取られるかもしれないが、二人の反応は当然のもの。

 どれだけ心が癒される外見をしていても、竜の谷で生きるウサギがマトモである筈がないのだから。

 あまり出会いたくなかった魔獣との遭遇に、あなたの眉間に思わず皺が寄ったほどである。樹海の中で遭遇しなかっただけマシとも言えるが。

 

 そんな竜の谷の外であれば大人気間違い無しの可愛らしさを持つウサギに与えられた名前はギロチンラビット。

 断頭台の名を冠しているという、最早名前だけでゲンナリさせられること請け合いの、人魔から恐れられる殺戮ウサギだ。ベルディアが相対すれば容易にトラウマが刺激されるだろう。

 

 特徴としてはとても小さくてとても素早くてとても攻撃力が高い。特技は首狩りと騙し討ち。

 遭遇した探索者達も研究者も一様にクソを煮詰めた最低最悪の鬼畜ウサギだと吐き捨てている。

 普通のウサギとは違ってガチガチの肉食動物であり、特に頭部の脳髄や眼球といった部位を好んで食い荒らす。ギロチンラビットに襲われた獲物は頭蓋骨しか残さないというのは有名な話。

 

「あなたは初動で飛んでくるであろうラビテリオンを打ち落としてください。あとは私がやります」

 

 頼もしいパートナーの言葉に了解したと頷き、あなたは愛剣を抜く。

 

 戦闘態勢に移行したあなた達を見たギロチンラビットの群れは、得意とするだまし討ちが通じないと悟ったようで、途端にその獣性と力を解放した。

 四肢と牙、両耳にライト・オブ・セイバーを思い起こさせる強い光を纏う断頭の獣。

 ウサギの中でも体躯が優れた半数、通称近接タイプが地を這うようにあなた達に飛び掛ってくる……と思わせておいてから、残りの半数の遠距離タイプが頭を振り回し、高速で飛翔する光の三日月を耳から放った。

 ギロチンラビットの中で最も危険だと言われているのがこの耳だ。誰が呼んだかラビットカリバー。飛び道具はエクステリオンならぬラビテリオン。当然の権利のように連射してくるあたり始末が悪い。

 光ったりやたら殺傷能力が高かったり飛び道具を撃てたりと、どれもこれもベルゼルグの至宝である聖剣エクスカリバーを連想させる要素を持っているからこそ付いたあだ名である。

 

「ライトニング!」

 

 戦端を開いたのはゆんゆん。

 しかし近接タイプを狙った雷撃は輝く両耳、ラビットカリバーでいとも容易く切り払われてしまった。

 敗因は火力不足。高い能力を持つ紅魔族とはいえ、やはりレベル40前後ではまだまだ厳しいものがあるらしい。

 

「物凄い理不尽を感じる!?」

 

 まだまだ精神的に余裕が感じられる少女の嘆きを耳にしながら、あなたは時間差で飛んでくる大小様々な三日月、その全てを切り払い続ける。

 エーテルの青と光の白が溶けて混ざり合い、陽光を反射して美しく煌いた。

 非常に風情が感じられる光景なのだが、首に突き刺さる無数の殺意が余韻に浸ることを許さない。

 

 肉薄するウサギ。飛翔する斬撃。一斉攻撃の全ては最終的にあなた達の頸部を切断するためのもの。

 牽制も撹乱も、全ては断頭の為の布石に過ぎない。彼らのありとあらゆる戦闘行動は最終的に首狩りに帰結する。

 噂に違わぬ首狩りウサギだ。殺意が高すぎる。ここまで首狩りに固執する相手はイルヴァでもお目にかかったことが無いほどに。

 

 ギロチンラビットは徹底的に首を狩ろうとしてくる。

 だからこそこの魔獣はあなた達にとって厄介な存在だった。

 

 ウサギはあなた達が圧倒的格上であることを知らない。

 だがあなた達は知っている。このウサギが相手ならば万が一があるということを。

 首を落とされれば人は死ぬのだ。廃人だろうがリッチーだろうが例外なく。

 どちらも容易く首を狩られる間抜けではないが、あなたをして辟易させられる、めんどくさい相手であることだけは確かだった。

 最初から首が取れているベルディアはギロチンラビットの天敵なので、彼を連れてくれば良かったと思わずにはいられない。ゆんゆんへの身バレは目隠しでもさせておけばいいだろう。

 

「クリスタルウォール」

 

 ベルディア本人が聞けば怒りで顔に青筋を浮かべるであろう雑な作戦を考えている間にウィズの準備が終わり、音も無く出現した透明な氷壁があなた達を取り囲む。

 永久凍土を思わせる氷壁は四方八方から放たれるラビテリオンの雨を受けても傷一つ入らず、切りかかってきた近接タイプは氷壁に触れた瞬間、全身の毛皮から血液まで余さず凍結させ、即死した。

 

「クリスタルジャベリン」

 

 次いで氷壁の一部が無数の槍へと変化し、目にも留まらぬ速度で射出。

 弾道からして自動追尾機能付きらしく、氷像と化した近接タイプ、氷壁を警戒し足を止めた近接タイプ、そして危険な相手に手を出してしまったと理解し、我先にと樹海目掛けて逃走する遠距離タイプの全てに突き刺さる。

 一匹残らず断末魔を遺す間も無く一瞬で凍りつくギロチンラビットの群れ。

 

 敵味方共に血の一滴も流すことなく戦いは終わった。

 死体ではなく時間が止まっているだけのようにも見えるウサギ達の姿は、どこか剥製を髣髴とさせる。

 

 後顧の憂いを断つと言わんばかりの一方的で無慈悲な蹂躙。

 美しくも凄惨な瞬殺劇に絶句するゆんゆんに気付いているのかいないのか、当のウィズは何でもないことのように涼しい顔で佇んでいる。

 なるほど、氷の魔女と呼ばれるだけのことはある。

 いつだったかウィズが言っていた、彼女の創作魔法は殺傷能力が高いものばかりというのも頷けるというものだ。

 しかしここまで盛大にオーバーキルする必要はあったのだろうか。

 あなたの何気ない問いかけに珍しくゆんゆんが無言で同意してくる。

 

「ちょ、ちょっとやりすぎましたか? 危ない魔獣なので早急に仕留めるべきだと思ったんですけど」

 

 困り顔で目を泳がせるウィズにくすりと笑う。

 ゆんゆんであればそういった感想になるのかもしれないが、あなたの観点は少し違う。

 下手に手加減して事故が起きるよりずっといいのだから、やりすぎとまでは言わない。

 それはそれとして、氷結のハリネズミに生まれ変わったギロチンラビットから素材が取れるかは非常に怪しいところだ。特にラビットカリバーは希少かつ強力な素材として有名なのだが。

 

「素材……あああっ!? い、今からでも温めればギリギリなんとかなりませんかね!?」

「素材じゃなくてもうちょっとこう……。やっぱりなんでもないです。私が間違ってる気がしてきました」

 

 氷壁が解除されたので、あなたは足元で転がっている氷像を爪先で軽く突く。

 だがやはりというべきか、繊細なガラス細工のようにウサギは粉々に砕け散ってしまった。

 中空でキラキラと輝き、微かな時間あなたの目を楽しませたダイヤモンドダストは風に吹かれて儚く散っていく。

 ウサギが何も残さずに消失した後に残された地面に突き刺さる氷槍は、まるで主無き墓標のようだった。

 

「すみません、次はもう少し上手くやります……」

 

 遅まきながら勿体無い精神を発揮して肩を落とすアークウィザード。

 久しぶりのパーティー戦と万が一がある面倒な魔獣を前に、現役時代のノリが顔を覗かせたらしい。

 消耗を最小限に抑えるために、最大限の効率をもって最速で敵を殲滅する。

 魔王軍の攻勢が今よりもずっと激しかった彼女の現役時代、氷の魔女と謳われた無二の英傑の戦い方とはそういうものだった。

 

 

 

 

 

 

(化け物! 化け物がいる!)

 

 三人の人間とギロチンラビットの戦いを偶然目撃していたそれは、全身に走る悪寒と恐怖に震え上がっていた。

 

(っていうかクソ寒い! 死ねる! 馬鹿じゃないの!?)

 

 虚勢を張り、内心で必死に罵声を飛ばさないと意識を手放してしまいそうな中、それは必死に人間達が離れていくように祈る。

 どうかあいつらに見つかりませんように、と。

 一瞬たりとも気を抜かず、集中して人間を注視する。

 あるいはそれが良くなかったのかもしれない。

 

「どうしました?」

 

 ギロチンラビットを殲滅した二番目に背の高い人間が、一番背の高い人間に声をかけた。

 一番背が高い人間は周囲を見渡しながら答える。何者かに見られている、と。

 言葉を聞いたそれの全身からぶわっと冷や汗が流れる。

 

(き、気付かれてる!? いやまさか、そんな……そんなの今まで一度も無かったし、きっと別の奴でしょ!? そうだよね!?)

 

 それは同胞の中でも飛びぬけて高度な気配遮断スキルを有している。

 暴力はあまり得意ではないが、このスキルを使って長い年月を生き残ってきたのだ。

 

(うん大丈夫、私のスキルは完璧、誰にも気付かれない、竜にも気付かれないくらいだしって嫌ああああああああ!! なんでこっち近づいてくるのおおおおおおお!!??)

 

 絶望に心中で絶叫する。

 地表を火竜の群れが焼き払った時を遥かに上回る恐怖。

 

(困ります!! 困ります!! 人間様!! 困ります!! あーっ!! 困ります!! お客様!! あーっ!! 人間様!! 人間様!! 人間様困り!!あーっ人間様!! 困りますあーっ!! 困ーっ!! 人間困ーっ!! 困ります!! 困り様!!あーっ!! 人間様!! 困ります!! 困ります!! 人間ます!! あーっ!! 人間様!!)

 

 盛大に錯乱するそれに人間は近づいていき、そして……。

 

 

 

 

 

 

 ギロチンラビットを退けたあなた達だったが、あなたはまだ何者かの視線と気配を感じ取っていた。

 探ってみれば、気配を発していたのは樹海に程近い場所に咲いていた一輪の赤い小さな花。

 殺気は感じられなかったが、念の為と愛剣を振りかざした瞬間、あなたは大いに驚かされることになる。

 

「待って待って、ほんと待って! お願いだから!」

 

 なんと目の前の花が声を発したのだ。少女のような、可愛らしい声を。

 レア物の気配がする。あなたは花を斬るのではなく引っこ抜く事にした。

 だが軽く力を込めても抜ける気配がない。よほど深くに根を張っているのだろうか。

 

「痛っ! 痛い痛い痛い! ちょっと止めて! 止めてよバカ! スケベ! エッチ! 変態!」

 

 矢継ぎ早に飛んでくる罵声。

 花にセクハラ扱いを受けたのはあなたも初めての経験だ。

 声がいたいけな少女なものだからか、ウィズとゆんゆんのじっとりとした視線を背中に感じる。

 

「いや、こう見えても私は花じゃないから……よいしょっと」

 

 あなたの足元の土が盛り上がり、深い緑色の肌と鮮やかな桃色の髪を持った人間大の少女のような何かが姿を現した。

 頭頂部にはあなたが摘み取ろうとした花が生えており、肌の色と乳房が無いこと以外は人型である上半身は全裸。対して下半身は巨大な花と蔓で構成されており、彼女が立派な人外の者だと主張していた。

 植物タイプの人間に似た人外といえば安楽少女だ。かつて見たそれとは随分と様子が異なっているが、竜の谷の安楽少女なのだろうか。

 

 あなたの言葉に少女は心底不快そうに顔を顰めた。

 

「安楽少女ぉ? あんな寄生しか能が無いクソザコ下等植物と一緒にしないでくれる? 人間には分からないだろうけど、それって私達からしたら滅茶苦茶失礼な認識だからね」

「もしかしてアルラウネの方ですか?」

「正解。名前を知ってるって事は私達の事も知ってるんでしょ? 隠れて見てたのは謝るから殺すのは止めて。ほんと後生だから。あんた達みたいなバケモノと戦う気なんてこれっぽっちも無いから」

 

 アルラウネ。

 竜の谷においては非常に希少な、人類に敵対的ではなく、なおかつ言語を用いて意思疎通が可能な種族だ。中にはアルラウネに命を救われた探索者もいるという。

 森を住処とし、竜の谷の外でも姿を見かける種族なのだが、ベルゼルグには生息しておらず、あなたも姿を見るのはこれが初めてだ。

 人間やエルフ、獣人全般のような人類枠ではないが、魔物や魔族扱いもされていない。

 亜人(デミ)と呼ばれる非常に曖昧で大雑把なカテゴリーに分類された種族である。

 

 竜の谷のアルラウネは主にエリー草の群生地周辺を縄張りとしており、エリー草を手に入れたければ彼女達の許しを得る必要がある。

 カルラ達も現地でアルラウネと交渉し、エリー草を入手したのだという。

 そんなエリー草の管理者と言っても良いアルラウネがどうしてこんな縄張りから離れた場所に、それも単独でいたのだろう。

 

「普通に散歩してただけよ。散歩くらい人間だってやるでしょ? 私達はここら辺によく来るの。水がいっぱいあるしね」

 

 事も無げに言い放つあたり、人間にとっては厳しい樹海の環境も、そこに生きる者にとっては当たり前の事として受け入れているようだ。

 

「そういうわけで、遭遇したのは本当にただの偶然だから。油断する隙を狙ってたとか無いから。河を渡ってきたってことはエリー草が欲しいんでしょ? 場所まで案内してあげてもいいから。なんなら私の方から仲間に口利きしてもいいから。なのでどうか命ばかりは勘弁してください……」

「あの、ここまで言っているんですし、なんとか見逃してあげることは出来ませんか?」

「アルラウネは樹海の中でも温厚な種族といわれています。なので襲われてもいないのに殺すのは私も気が咎めると言いますか」

 

 何故かあなたがアルラウネを殺す事前提で話が進んでいる。

 わざわざ説得されずとも、相手がアルラウネと分かっていればあなたも最初から殺すつもりは無かった。

 無論襲われた場合はその限りではないが、エリー草までの道案内を頼むことにしよう。

 

「助かった……」

 

 剣を鞘に収めたあなたに、へろへろと腰を抜かすアルラウネ。

 人間味に溢れる姿を見せる彼女を見てあなたはふと思った。

 何故アルラウネと自分達は言葉が通じているのだろう、と。

 

 あなたからしてみれば驚くべきことに、この世界は過去から今に至るまで、一貫して統一された言語が用いられている。

 世界中どこの国に行っても言葉が通じないという事は無いし、人類と魔族、高い知能を持つ魔物も同じ言語で会話が可能。世界で最初に生まれた言語が世界中に広まり、使い続けられている。

 あなたと同じ異邦人であるチキュウジンもこれには疑問と違和感を覚えるものらしく、神にどうしてそうなっているのか尋ねた者がいた。

 神の返答はこうだ。

 

 ――だってこの世界バベられてないし。

 

 あなたにはまるで意味不明な答えだが、チキュウジンにはそれで十分伝わったらしい。

 理由はどうあれ、この世界の言語が統一されているのは確かだ。

 それはいいのだが、何故隔離された地である竜の谷でも当たり前のように言葉が通じるのだろう。

 気になったあなたはオーリッドと名乗ったアルラウネに尋ねてみた。

 

「変なこと気にするのね。なんで人間と言葉が通じるのかって聞かれても、私はそんなの知らないし考えたこともないけど……私達は森がおかしくなる前からここで暮らしてるって話だから、多分そのおかげじゃない?」

 

 竜の谷の空間が歪む前。この地がまだ何の変哲も無い半島だった頃。

 今より遥かに平和で安全だった森で生きていたアルラウネ達は、人類と交流を持っていたのだという。

 隔離される前から変わらず同じ言葉を使っているのであれば、こうしてあなた達と会話が可能なのも道理と言えた。

 

 

 

 

 

 

 勝手知ったるオーリッドによる道案内は、カイラムが強行軍で五日ほどかけた道を僅か半日足らずにまで圧縮してみせた。

 流石の現地人であり、その事には素直に感謝してもいいのだが、竜の谷はどこまでいっても人間に平穏を許すつもりがないのか。

 あなた達は一難去ってまた一難とばかりに面倒ごとに巻き込まれる事となる。

 

「いやあああああ!! 人間よ! 人間が来たわ!」

「なんだってこんなタイミングで!」

「カエレカエレ! ニンゲンカエレ! ココオマエタチノクルトコロチガウ!!」

 

 樹海の一部を切り開いて作られたアルラウネの集落に辿り着いたあなた達は、現在進行形で凄まじいまでの大歓迎を受けている。

 悲鳴と怒声の大合唱。喧々囂々阿鼻叫喚。

 辛うじて攻撃こそ受けていないが、それも時間の問題だろう。

 あなた達は是が非でもエリー草を求めているわけではないが、折角目と鼻の先まで来たのだから一つは手に入れておきたい。そう考えていたのだが、ここまで熱烈な出迎えを受けるとなると、最早エリー草の交渉とかそれ以前の問題な気がしてならない。

 

 あなた達は何かを言うでもなく、ここまで道案内をしてくれたオーリッドを見やった。

 申し開きがあるのなら聞く用意はある。だが事と次第によっては、あなたはこの場で愛剣を抜くつもりだった。今更ジェノサイドに躊躇いなどあろうはずもない。

 

「あ、あっれー? っかしいな……いや違うから、勘違いだからその目は止めて。私にも予想外だから。話せば分かるはず」

 

 同胞の反応に困惑しているが、とても会話が通じるとは思えない。

 

「どうしましょうか。私としては諦めて引いたほうが良いと思いますけど」

 

 ウィズの言葉にあなたはもう少し様子を見たいと答えた。

 撤退するにしろ戦うにしろ、せめて比較的温厚とされるアルラウネ達がこうも刺々しい理由くらいは知っておきたいところだ。

 

「ここは我らアルラウネの土地! 人間よ、今すぐ立ち去りなさい! 汝らに災厄が降り注ぐ前に!」

 

 強い口調で警告を放ったのは一際大きい体と強い魔力の持ち主であるアルラウネ。

 彼女は集落と同胞を守るように両手を広げ、あなた達の前に立ちはだかる。

 それを見てオーリッドが目を見開いた。

 

「女王様!?」

「オーリッド。愛すべき同胞よ。貴女がこの大変な時に人間達を連れて来た事を罪に問うつもりはありません。ですが今はそれどころではないのです。彼らを直ちに送り返しなさい」

「もしよろしければ事情をお聞かせ願えませんか? 何か手助け出来るかもしれません」

「人間と話す口など持ちません!」

 

 女王と呼ばれたアルラウネは手袋越しに何かを握り締め、天高く掲げてみせた。

 

「去らぬというのであればこちらにも考えがあります!」

「女王様、それはまさか!?」

「見なさい! これこそが破滅をもたらす災いにして死を呼ぶ結晶!!」

 

 仄かに赤みを帯びた乳白色の鉱石と思わしき物体だ。

 余程恐ろしい物なのか、他のアルラウネ達は血相を変えて震え上がっている。

 

 特に魔力や力の波動は感じられないが、ここは竜の谷だ。どんな危険物が飛び出てきてもおかしくない。

 警戒するあなたは鑑定の魔法を唱えた。

 

 魔法の結果判明したのだが、アルラウネが手にしている物体は、地殻変動で陸上に隔離された海水が長い年月をかけて結晶化したものだった。

 舐めるとしょっぱく、海水を濾過し煮詰めて結晶化させたものと比較して丸みのある味と豊富な栄養分が特徴。

 北国であるルドラで掘り出されたものであり、品質は上の下。

 

「……それって岩塩では?」

 

 ゆんゆんの小声に頷く。

 アルラウネが死を呼ぶ結晶と呼び恐れ戦いているものは岩塩だった。

 

「…………」

 

 顔を見合わせて沈黙するネバーアローン。

 それはただの調味料だと相手に教えてあげたほうが良いのだろうか。

 確かに塩分を過剰に摂取すれば死んでしまうが。

 

「なんですかその顔は! ま、まさか私がこれを使えないとでも? 舐めないでください、脅しと思ったら大間違いですよ! なんたって私は皆の命を預かる女王なのですから!」

「あの、落ち着いてください。貴女が持っているそれは岩塩といって……」

「名前くらい知ってますバカにしないでくださいこの人間め!!!!」

 

 情緒不安定なのか、あるいは余程持っているのが嫌だったのか。

 ヤケクソな雄たけびをあげて全力で岩塩を投擲する女王。

 この世の終わりとばかりに悲鳴をあげて地面に這い蹲るアルラウネ達。

 

 どうにも見ていて気が抜ける種族とはいえフィジカルは優れているのか、放られた岩塩の塊はあなたの顔面に向かって高速で飛んできた。

 レベル20程度の冒険者なら当たり所が悪ければ死にかねない勢いのそれを、あなたは特に何を思うでもなく掴み取る。

 女王の顔色が蒼白に変わったが、今は無視しておく。

 

 手のひらに納まったそれを観察するも、魔力やそれに類する何かが篭っているようには見えず、やはり変哲の無い岩塩だという結論しか出てこない。

 では味はどうなっているのだろうと、愛剣の鞘で削って手に落ちたそれを舐める。

 別におかしな味はしなかった。塩辛さの中に仄かな甘みが感じられる、良質で、しかしやはりごく普通の岩塩のようだ。

 

「ぱうわああああああああああ!!」

「信じられないことをするなッ!」

「このクソバカ! 越えちゃいけないライン考えなさいよ!!」

「地面に塩撒いちゃいけないって親から習わなかったの!?」

 

 あなたが岩塩を削った時、ひとつまみ分にも満たないごく微量が手から零れて地面に落ちたのだが、それを見て発狂するアルラウネ達。

 だがこれくらいの量で土地は枯れないとあなたは知っていた。反応がいささか大袈裟すぎる。

 

「量の問題じゃねえんだよなあ!」

「地面に! 塩を!! 落とすな!!!」

「土地が死ぬ! 土地が死んじゃいましゅうううううう!!」

「これだから動物は! これだから動物は!!」

 

 自分達で塩を持ち出しておいてこの言い草である。

 アルラウネ達はこの竜の谷の中でも随分と愉快なパーソナリティを持っているようだ。

 しかしこのままでは遺恨が残ってしまいそうなので、塩が落ちた部分の地面を掘って回収、謝罪しておく。

 

『反応がまんまかたつむりで笑える』

 

 妹が放った辛辣な毒に、あなたは小さく噴出した。


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