このすば*Elona   作:hasebe

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第126話 ぽわぽわりっちぃはまだエーテル病には効かないが、そのうち効くようになる

 ~~ゆんゆんの旅日記・北へ。White Illumination編~~

 

 ☆月!日(晴れ)

 北に向かう隊商の護衛依頼をやることに。

 最近になって盗賊が増えてきているらしい。

 なんで盗賊なんて悪いことをやるんだろう。

 真面目に働いてさえいれば、普通に生きていけるはずなのに。

 とりあえず話を聞いて処す? 処す? とウキウキしていた誰かに襲われる前に反省して足を洗って罪を償ったほうが良いと思う。

 トリフで悪魔と戦ってからちょっと雰囲気が変わった気がするし。

 なんていうかこう、何をやり始めてもおかしくない感じ。

 今までもそういうところはあったけど、それよりもずっと。

 

 

 ☆月Λ日(雨)

 トリフを発って少し経ったけど、北に進むにつれて明らかに町や村の数が減っていくし、それまでは殆ど聞かなかった竜の谷の話を耳にするようになってきた。

 誰々が行ったまま帰ってこなかったとか、栄誉を手に入れたとか。悪いことをすると竜が来るとか。

 北部では竜の谷が人々の生活に強く根付いているみたい。

 あと妹ちゃんになんかお兄さんの雰囲気変わったよね? と聞いたら悪魔を殺しまくった影響で本来あるべきお兄ちゃんの姿に戻ってきてるだけだよ、という答えが返ってきた。

 異世界の冒険者であるあの人は今まで相当に抑圧されていたのだという。それが彼や私達にとって良いことなのか悪いことなのかは分からないけど、ウィズさんとの合流が切実に望まれる。多分ウィズさんさえいればなんとかなるだろうから。

 

 

 ★月†日(曇り)

 めぐみんとアイリスちゃんとカルラさんにお手紙を出した。

 私は今日も元気。嘘です全身が痛い。

 訓練でいつものようにしばき倒された。しんどさはいつもの3割増しってところ。

 というか明らかにリーゼさんと組んでた時の加減具合を引き継いでる。

 だというのに私は一人。アイリスちゃんもレインさんもクレアさんもいない。

 大会で優勝してちょっと鼻が高くなっていた私を積極的に分からせて圧し折っていくスタイル。

 ちょっとくらい甘やかしてくれてもいいのでは。レギュレーション違反は駄目ですかそうですか。

 うん、そうだね。私もそう思う。いや向こうは気付いてないけど。

 

 

 ★月*日(晴れのち曇り)

 インジラに着いた。

 インジラはトリフと竜の谷の中継地点でリカシィ北部だと一番大きな町。規模としてはアクセルと同じか、もう少し大きいくらい。

 ここから先は野宿が大半になる予定なので、一泊して物資の補充をしてから先に進むことに。明日は天気が崩れそうなので、ひょっとしたらもう少し泊まることになるかも。

 ついでに寄った冒険者ギルドで売られていた新聞に載っていたんだけど、トリフで悪魔と戦った二日間がエリス教の祭日になったみたい。

 理由は悪魔が山ほど死んでエリス様が喜んだから。

 怖すぎる。正直ドン引きしたのは私だけじゃないと思う。

 

 

 ★月+日(雷雨)

 疲れた。死ぬかと思った。

 

 

 ★月ν日(雨)

 昨日の日記を読み返すとあんまりにもあんまりだったので、何があったかを書こうかと思う。

 といっても簡単で、インジラがキノコに襲われただけ。つまり大惨事が起きた。

 町中にキノコが生えたとか菌糸に覆われたとかそういうのではなく、飛来するキノコの軍勢に物理的に襲われた。魔物に襲われるのと同じ感じで。やっぱり大惨事だ。

 春のタケノコ狩りと秋のキノコ狩りは季節の風物詩として有名だし命が懸かっているので皆真面目にやる。紅魔族やアクシズ教、魔王軍だって例外ではない。誰だってきのこたけのこ戦争に巻き込まれたくはないからそれは当たり前。

 本当ならキノコ狩りのシーズンはもう少し先だったのだけど、今年はたまたまズレていたみたいで、近隣の森で大繁殖したキノコの軍がインジラの町を襲ったのだ。

 偶然居合わせた私達も当然のように戦いに駆り出され、先日の悪魔との戦いよりずっとしんどい防衛戦を強いられることになった。

 

 厚い傘で鈍器のように殴りかかってくるシイタケ。

 鈍重ながら重装備で固めた騎士すら一撃で撲殺してくるエリンギ。

 猛毒を持ち、矢のような速度で飛来し突き刺さってくるカエンタケ。

 人体に寄生して思うがままに操るトウチュウカソウ。

 その他にも色々なキノコがインジラを襲った。

 

 今回は何とか殲滅に成功したけど、あんな自然の猛威と互角に戦うタケノコの軍勢の争いに巻き込まれれば、そりゃ国の一つや二つは簡単に滅ぶだろう。インジラが半壊程度で済んだのは不幸中の幸いとしかいいようがない。

 中でも一番の脅威だったのは冥王マツタケ。

 秋の死神や徘徊する地均しといった明らかにヤバい異名を持つ、カブトタケノコに並ぶキノコの最上位(最高級)種。

 緑色の平べったい石づきと黄緑色で円錐状の傘で構成された、何故マツタケの名を冠しているのか分からない程度には一般的に知られるマツタケからかけ離れた姿を持つ異形のキノコであり、テレポートじみた短距離転移や爆裂魔法のような大規模破壊攻撃を使ってくるという、誰もが認める世界最強のキノコだ。

 

 死神のような模様を持ち、家ほどもある大きさで町を思うがまま蹂躙する冥王マツタケを一人でやっつけたあの人(あなた)がいなかったら、今頃インジラは更地になって滅んでいたのではないだろうか。悪魔狩りの時よりよっぽど真面目に英雄をやっていたと思う。

 というか私も冥王マツタケの攻撃に巻き込まれかけた。あれは本当にやばかった。バカじゃなかろうか。頭おかしい。本気で死ぬかと思った。生きてて良かった。

 

 ちなみに冥王マツタケは宇宙の深遠が見えそうな美味しさだった。

 

 

 ★月&日(晴れ)

 竜の河で釣りをした。

 私がレインボーサーモンを釣って大喜びしている隣で釣りあがるマッコウクジラ。

 地面から浮遊して高速で突っ込んでくる、全身傷だらけで歴戦だと分かるマッコウクジラ。

 突然始まるガチンコバトル。互いに引かぬ媚びぬ省みぬの三段構え。マッコウクジラのマッコウが真っ向勝負のマッコウだというのは有名な話。

 アクセルの川で釣ったお裾分けだと海の魚を貰っていたから、彼が使っているのがそういう釣竿だっていうのは私も知っているけど、正気を疑う光景だった。

 ジェットアッパーと命名された、スキルでもなんでもないただのパンチで全長20メートルのクジラを空高く打ち上げるのはもう悪い夢でも見ているのかと。

 

 今日の夕飯はクジラの塩焼きとクジラの甘酢漬けとクジラのサラダとクジラのフライとクジラの煮込みとクジラのスープとクジラの天ぷらとクジラのソーセージとクジラの刺身とクジラの活け造り。

 経験値がたっぷり込められたクジラ料理は、味はともかく量が……量が多かった……! あといくつか料理のジャンルが被ってる……!

 

 

 ★月¢日(晴れ)

 立ち寄った村でゴブリンを退治した。近くに巣穴が出来て村の人達が困っていた所にたまたま私達が来た形になる。

 巣穴の規模はそこそこ大きかったけれど、去年の私でも苦戦するような相手ではなく、一時間もかからずに仕事は終わることに。私もだいぶ経験を積んで強くなったなあ、なんて書いてみたり。

 少なくともこの前のキノコ狩りよりは全然楽勝だった。比較対象が悪すぎるといってしまえばそれまでだけど。

 村の人からは退治のお礼としてお金の他に村で採れた野菜や果物を貰った。

 新鮮な野菜を使った宿の料理も美味しかったので野営の料理で使うのがとても楽しみ。

 

 ただこういう時、今までは経験を積ませるという理由で殆ど私が一人で戦わされていたんだけど、今回は二人で同じくらいゴブリンをやっつけた。

 でも人目が無いのをいいことにダーインスレイヴを抜くのはちょっとどうかと思う。ダーインスレイヴを見た瞬間、また私に使わせようとしてくるのかと思って逃げかけた私は絶対に悪くない。

 本人曰く、私に使わせるのではなく、ダーインスレイヴの固有スキルである六連流星の練習台にしたかったとのこと。スキルを剣から引き出すのではなく自分で使いこなせるようになりたいらしい。

 

 あれだけの強さを持っていながら満足せず更なる高みを目指す向上心には頭が下がるけど、身体に莫大な負担がかかるが故に命を削って放つといわれている、伝説級の必殺スキルを気軽に使うのは止めてほしい。本当に止めてほしい。

 日記だから書けるけど、六連流星は通常攻撃代わりに連発していいスキルじゃないから。アイリスちゃんのセイクリッドエクスプロードとかめぐみんの爆裂魔法みたいな、ここ一番で使う必殺の大技だから。

 

 ちなみに練習中の六連流星を食らったゴブリンは肉片も残さず血霞になっていた。

 悪魔を斬ったように綺麗に斬撃の痕だけが残るのが成功であり、消し飛ばしてしまうのは無駄に威力が分散した失敗の証らしいけど、傍目にはただのオーバーキルでしかない。ゴブリンがちょっと可哀想になった。

 オーバーキルで思いついたけど、まさか六連流星にはみねうちが乗ったりするのだろうか。もしそうなら絶対に死ねない即死攻撃が六回飛んでくるなんて悪夢でしかない。頼むから絶対私には使わないでくださいお願いします。

 

 

 ★月‐日(晴れ)

 ようやく辿り着いたというべきか、遂にこの時が来てしまったというべきか。

 明日の昼過ぎには竜の谷に到着する予定となっている。

 ここまで色んなことがあったり色んな目に遭ってきた私だけど、ここからが旅の本番なのだ。

 

 えぇ……嘘でしょ……? 正直もうおなかいっぱいでいっぱいいっぱいなんだけど……。

 

 心の底から溢れ出た本音はさておき、竜の谷について考えると胃が重くなってくるものの、なんだかんだいってドラゴン使いになるのを私はそれなりに楽しみにしていたりする。

 あとウィズさんが合流するのでこれまでのような無茶振りは歯止めがかかるはず。そうであってほしい。

 

 

 

 

 

 

 トリフを発ち、リカシィ北部を駆け抜けるように縦断したあなたとゆんゆんは、暦の上では夏が終わって秋も半ばに差し掛かろうという頃。長いようで短かった旅の目的地、その入り口に辿り着いた。

 

 リカシィ最北の集落。竜の里(ドラゴンズビレッジ)

 竜の谷はリカシィから地続きになっているものの、リカシィの国土ではない。

 そして竜の谷はリカシィに蓋をするように連なっている北部大山脈の向こう側に存在する。

 

 竜の里は山脈の麓に作られた集落であり、竜の谷に挑む者にとって最後の憩いの場であり、住民のほぼ全てをドラゴニュートが占める場所でもあった。

 全身の皮膚を覆う硬い鱗、手足から伸びる鋭い爪、短時間であれば飛行可能な背中の翼、リザードマンによく似た爬虫類的な、しかしリザードマンには存在しない角が生えた頭部。

 まさしく二足歩行の竜と呼ぶのが適切なドラゴニュートは、一般的に温帯の南側から熱帯に生きる種族である。乾燥と寒冷を苦手としており、ベルゼルグではあまり見かけない。

 亜寒帯のこの地域に定住するというのは、世界的に見ても非常に珍しい例といえるだろう。竜の谷が原因であるのは言うまでもない。

 ドラゴン使いを志す者にとってそうであるように、竜の血を引くドラゴニュートにとっても竜の谷は聖地に等しい場所なのだ。

 だからこそ、こんな他の種族が竜を恐れて近寄らない地域に集落を作って暮らしている。

 

「はえー……」

 

 馬車の窓から首を出して呆けた声を出すゆんゆんの視線の先にあるのは、十数キロほど西に見える大瀑布、竜の滝。

 竜の河、竜の里、竜の滝。

 竜の谷と関係を持つ地名はもれなく竜の名が付く。竜の里唯一の宿の名前が竜の宿なあたり徹底している。

 

 そんな竜の滝の幅はおよそ500メートル。落差は200メートル。

 山脈に大穴を穿ち、吐き出されるような形で竜の谷から流れてきた河の水が、大自然による絶景を作り上げていた。

 莫大な水量が降り注ぐ事によって生まれる水煙は、風に乗って集落まで届くこともあるのだという。

 

 竜の滝は当然のように世界有数の大滝としてその名を轟かせているわけだが、世界各地の滝とは異なり、梅雨だの乾季だのには関係なく、一年間、朝から晩に渡って途切れる事無く激しい水を吐き出し続けている。

 ここから国中に流れていく水と大河に生息する生物はリカシィにとって必要不可欠な存在であり、同時に氾濫という形で数多の人々の命を奪ってきた脅威でもあった。

 リカシィの歴史は治水の歴史。まさしく大自然が生み出した奇跡と言えるだろう。

 

 ゆんゆんと同じように、あなたもまた竜の滝に目と意識を釘付けにされていた。

 これを見るためだけに旅をする価値があると断言できるものだ。

 知らないもの、初めて見るもの、素晴らしいものを楽しむのは、どれだけ経験しても飽きることは無い。

 まさしく冒険者の本懐であり、旅の醍醐味であった。

 

 イルヴァでもお目にかかったことの無い大瀑布に目を奪われること暫し。

 あることに気付いたゆんゆんがぽつりと口を開く。

 

「そういえば、カルラさんってあの滝から落ちてきたんですよね。あんな深い傷を負って……私だったら絶対死んでますよ……」

 

 凄惨なイメージに体を震わせるゆんゆんだが、当のカルラは余裕で死んでいた。

 本人曰く流木にしがみついたところで力尽きたとの事だが、あなたからしてみれば致命傷を受けた状態で滝壺に落とされるも辛うじて浮上し、流木に掴まるまで五体を失わずに生きていたことが驚きである。

 手足の一二本といわず、体がバラバラになっている方が普通だ。

 慌てていたので状態の確認もせずに蘇生と回復をしてしまったが、実は全身の骨が砕けていたのかもしれない、とあなたは今更ながらに思った。

 

 そうこうしているうちに里に到着したあなた達は馬車を降りる。

 馬車の中では分からなかったが、里の空気には滝から届くひんやりとした水気が多く含まれていた。

 何度か深呼吸し、心地よい空気で肺を満たしたあなたは周囲を見渡す。

 

 北の果てという辺境に位置しながらも竜の里は中々の賑わいを見せており、住民であるドラゴニュート以外にも里の外からやってきたと思わしきドラゴニュートがちらほら見受けられる。

 人外魔境の近場という点では紅魔族の里と同じだが、外部の者が足を運ぶという点では大きく差が開いているようだ。

 

 意外と言っては失礼になってしまうが、思っていたよりもずっとしっかりした集落だったというのがあなたの第一印象である。

 規模という面ではやや大きめの村といったところだが、建物に関しては木造建築ではなく、アクセルでも見るようなちゃんとした煉瓦作りとなっており、道も石で舗装されていた。

 アクセルやトリフのような外壁が一切存在しない点は特筆するべきだろう。竜の谷と隣り合わせであるこの地は、さながら台風の目のように魔物が寄り付かないのだという。

 

「すぐに行っちゃいます?」

 

 時刻は午後3時を回ったところ。

 このままウィズを回収して竜の谷に挑むというのはあまりにも勇み足が過ぎる。

 あなたとゆんゆんは到着の前から話し合いをしており、ここまでの旅の疲れを癒す意味合いも込めて、二日ほど休養することになっていた。

 なのですぐ行くのかというゆんゆんの質問は、アクセルに戻ってウィズに出立の準備をするように報告するのか、という意味である。

 トリフを発つ直前、あなたはこれからの旅程を記した手紙をウィズに郵送した。

 幸いにして大きな事故や事件も無く、おおよそスケジュール通りに到着出来たので、あちらも準備は終わっているだろう。

 

 ゆんゆんの問いかけにあなたは首肯し、一緒にアクセルに戻るか問いかける。

 あなたはあまり長い時間をかけるつもりはなかったが、彼女も久しぶりに家に帰ったりめぐみんに会いたいはずだ。

 

「うーん……やっぱり止めておきます。家の掃除はウィズさんがしてくれてますし、今帰ったらなんか悪い意味で気が抜けちゃいそうなので。あと次にめぐみんに会う時はドラゴンと一緒って約束したんです」

 

 その意気や良しと、少女の成長を感じ取ったあなたは満足げに微笑む。

 高いレベルを持っていながらも、旅に出る前はどこか頼りなかったゆんゆん。

 そんな彼女も今回の旅を通して様々な経験を積んだおかげで、ゲロ甘でチョロQな面は据え置きながらも、一端の冒険者としての心構えを身に着けていた。

 

 

 

 

 

 

 宿に荷物を、すっかり単独行動する時のお約束となった目付け役として妹をゆんゆんに預けたあなたは、テレポートでアクセルに飛んだ。

 久方ぶりのアクセルの町並みは変化に乏しかったが、だからこそ落ち着きを感じさせるもの。

 まるで実家のような安心感に、自身がすっかりアクセルに馴染んでいることを自覚しつつ、自宅のドアを開けようとしたあなたは、ふと思い立ち動きを止める。

 そうして懐から取り出したのは一冊の手帳。

 

 ――難解だ!

 

 手帳を開いて十秒ほど経過した後、そんな心地を抱いたあなたは深い溜息を吐いた。

 やはり駄目だったという諦観の溜息である。

 

 さて、この手帳の名前を転生者カウンターという。トリフで勇者イブキから回収した神器の片割れだ。

 鑑定の魔法を用いてこの道具の概要を把握したあなたは、そのコレクターの為に用意されたとしか思えない性能に狂喜し、裏切り者の勇者に心からの感謝を捧げた。

 本来の所有者でないあなたでは累計転生者数、現在生存中の転生者数、半径3キロ圏内の転生者の有無、手帳を向けた転生者の特典内容しか読み取ることが出来ないが、それでもあなたからしてみれば竜の谷から戻った後、魔王領に単身で潜って転生者狩りに励むに足りるだけの性能だった。

 

 ……だが、しかし。

 世の中はいつだって都合よくいくものではない。

 ここであなたは予期せぬ壁にぶち当たることになる。

 

 なんと、転生者カウンターに書かれている文字(アラビア語)を何一つとして読むことができなかったのだ。

 

 残酷なこの事実にあなたは打ちのめされ、絶望に膝を突いた。上げて落とされただけに落胆も一入である。

 探知の範囲内に転生者が存在しているとフィーリングで理解できるならまだしも、それすら判別不可能。そういうレベルで完全に未知の言語だったのだ。

 アクセルで手帳を開いたのは、アクセルであればほぼ確実に転生者が引っかかるアテがあったからなのだが、それすら分からないのではお手上げである。

 せめて手帳に転生者の似顔絵でも載せてくれればその者を狩るだけで良かったのだが、ユーザーへの配慮に著しく欠けていると言わざるを得ない。

 

 あなたは知る由も無いが、水瓶座の門が作られたのは転生者が日本人に固定されてからの事である。

 ゆえに水瓶座の門で付与される言語翻訳は、転移先の世界で使用されているものと日本語だけ。

 それはつまり、日本語以外の地球語をあなたは読み書きすることができないということを意味していた。

 

 鑑定の魔法で性能については把握できているので、数字の部分については理解できた。

 おかげで世界に散らばっている生きた宝箱の数を把握できたわけだが、逆に言えば本当にそれだけでしかない。

 

 女神エリスに助けを求めるべきか真剣に悩んだあなただったが、転生者カウンターの性能や危険性を考慮した場合、ほぼ確実に回収されるという結論が出てしまった。

 銀髪強盗団の活動に役に立つと説得出来るか考えたものの、カウンターはあくまでも転生者に引っかかるのであって、神器に引っかかるわけではない。銀髪強盗団の活動には役に立たない。説得の材料としては不適切といえるだろう。

 

 イブキから回収したもう一つの神器、万里靴について語るべきことは特に無い。

 これは履いている間はどれだけの距離を歩いても疲労しなくなるという、非常にシンプルながら実用的な効果を持つ神器だった。

 自動でサイズを補正してくれる便利機能付きなので、竜の谷の探索でゆんゆんに使わせるのもいいかもしれないとあなたは考えている。ただし他の探索者に見られないような場所で。

 

 

 

 

 

 

 自宅にベルディアはいなかった。

 フィオとクレメアの面倒を見てくれているのかもしれない。

 自身の分、そして荷物になるからとゆんゆんが預けてきた各地の土産の数々を自室に置き、面倒見の良いペットに書置きと土産を残したあなたは、その足で隣のウィズ魔法店に向かう。

 

「いらっしゃいま……お帰りなさいっ!」

 

 店のドアに付けられたベルの音に振り向いたウィズが、あなたの姿を認め、心からの笑顔を浮かべて出迎える。

 久方ぶりの再会、そして友人にして同居人の暖かい笑顔にあなたの表情が自然と綻んだ。

 ぽわぽわりっちぃはまだエーテル病には効かないが、そのうち効くようになる。当然メシェーラにも。

 冒険から帰った時、出迎えてくれる人がいるというのはとても幸せなことだ。

 この世界でウィズと出会えてよかったと、改めて感じ入るあなたがいた。

 

 積もっていたフラストレーションは献身的な悪魔達のおかげで発散されたが、そのせいで今日まであなたの精神的な均衡はノースティリスの側に大きく傾いたままだった。

 まるでコップの水が表面張力を保ち続けるような危うい天秤が水平に戻ったことを自覚しつつ、帰還の挨拶もそこそこに店内を見渡す。

 どうやらあなた以外の客はいないようだが、あなたがアクセルを発つ前と比較すると品揃えがだいぶ変化している。

 店長お勧めの商品を買い漁るチャンスだが、まだあなたの冒険は終わっていない。お楽しみは竜の谷から帰るまで取っておくことにした。

 自分以外の客が産廃を買うとはこれっぽっちも思っていないからこそ出来る荒業である。

 

「私の準備は終わってますけど、すぐあちらに戻るわけではないんですよね? じゃあちょっとお茶を淹れてきますね」

 

 パタパタと店の奥に駆けていくウィズを忙しないことだと見送る。

 店内備え付けのテーブル席に座ると、モノクロカラーの仮面を被った店員が声をかけてきた。

 

「聞いたぞお得意様。トリフでは随分と暴れまわったそうではないか」

 

 リカシィで購入した土産の数々を受け取りつつニヤリと笑うバニル。

 見通す悪魔である彼が断定ではなく伝聞調で語るのは中々に珍しい光景と言えるだろうが、あなた達にとっては自然なものである。

 

「我輩の部下が泣きついてきてな。包帯頭をなんとかしてくれと、必死に地面に頭を擦り付けて」

 

 バニルはあなたを見通すことができない。

 彼があなたを見通す時、そこには底の無い穴のような漆黒の闇がどこまでも広がっているのだという。

 部下に頭を下げられ、何者なのかと包帯頭を見通そうと試みた際に同じものが見えたので正体があなただと確信を抱いたらしい。

 

 あなたとバニルの関係はさておき、ジェノサイドパーティーの観客はバニルの配下だったようだ。

 世の為人の為とはいえ、あなたは知り合いの部下の残機を合計で四万近く減らした。上司として思うところがあるのかもしれない。

 

「気にするな。奴らの行動は人間(ご飯)を減らすなという我輩の意向に反したものだった。我輩としてはむしろよくやってくれたとお得意様に感謝したいくらいだ」

 

 ひらひらと手を振って答えるバニルに、彼の本質が現れている。

 根底にあるものが善意ではなく食欲なあたり、どれだけ無害でも彼は天界の神々と骨肉の争いを繰り広げる大悪魔の一角であり、決して善良とも人間の味方とも言えない存在だった。

 それでも最下級の魔物はおろか、そこらへんの野生動物より危険度が低いのは間違いないわけだが。

 姿を見かけたら今すぐその場から逃げるか這い上がる覚悟を決めろと言われる廃人達とは比べることが失礼に当たる。

 

 

 

 

 

 

 少しの間土産話に花を咲かせた後、あなたは一人で竜の里に戻ることになった。

 次にウィズと会うのは二日後になる。

 ウィズは既に荷造りを終えていたのでこのまま拾っていってもよかったし、なんならあなたとゆんゆんは三人で竜の里を観光しようとすら考えていたのだが、ウィズはずっとアクセルにいた自分が最後の最後になって観光に混ざるのは心苦しいと同行を辞退したのだ。

 ゆんゆんは気にしなくていいのにと言うだろうが、あなたとしては十分に理解できる理屈だった。あなたがウィズの立場でも同じことを言うだろう。

 時の流れに置いていかれた不死者とポーションの限り自由に若返ることができる廃人。互いに時間は幾らでもあるのだから、観光は次の機会まで待っておくとしよう。

 そう結論付けて竜の里に戻る直前、ウィズがこんな事を言った。

 

「すみません、一つ忘れてました。あなたとゆんゆんさんが旅に出ている間に、前から開発していた魔法が完成したんです。ちょっと見てもらっていいですか? 多分竜の谷でも役に立つと思うので」

 

 あなたは喜んでその提案を受け入れた。

 だがシェルターに行くのかと思いきや、その必要は無いという。

 どうやら攻撃魔法ではないらしい。

 

「じゃあいきますね。――ブラックロータス」

 

 水平に伸ばしたウィズの手のひらに生み出されたのは、青みがかった黒い蓮の花。

 一見するとただの花でしかないそれは、しかし身震いするほどの膨大な魔力が秘められていることが分かる。

 そしてその魔力量は、なんとあなたの目の前にいる女性とほぼ同じだった。

 

「どうぞ触ってみてください」

 

 言われるまま花弁に触れる。

 氷雪系の魔法を得意とするウィズが作り出した花は、凍傷してしまいそうなほどに冷たく、そして硬い。

 

「久しぶりの実戦だったデストロイヤー戦で痛感したんですけど、私、全力で爆裂魔法を使うと魔力が殆どすっからかんになっちゃうんですよ。辛うじて行動に支障は出ないんですが」

 

 この世界における魔法の魔力消費量は基本的に固定値だ。

 なのであなたやウィズレベルになると好き放題魔法を使えるようになるのだが、一部の最上位スキルになるとそうも言っていられなくなる。

 最大魔力量から割合消費。字面だけでげんなりさせられる仕様だが、消費した魔力の分だけ威力が青天井に高まっていくので一概に悪い話ではない。ちなみに爆裂魔法は初期状態でほぼ100%消費。こんなスキルを真っ先に習得するめぐみんはやはり理性が蒸発しているし、爆裂魔法に習熟して消費が下がった今もパッシブスキルで消費を増やしてギリギリのラインを攻めているので、やはり魔法を使うと完全に機能停止する。

 それを思えばウィズは動き回れるだけマシと言えるのだが、どちらにせよ気軽に使える魔法ではない。

 めぐみんは頭がおかしいので気軽にぶっぱなして昏倒するが。

 

「きっとお店を経営するだけなら気にしなかったと思います。ですがあなたのお手伝いをするのなら、このままではいけないと一念発起しました」

 

 彼女が実戦から遠ざかって久しいのはあなたも良く知るところである。

 今ではすっかり錆を落としたものの、ゆんゆんに付き合って体を動かし始めた頃は酷かった。本当に酷かった。

 

「魔力不足を最も手軽に解決できるのがマナタイトとポーションです。ただ失った魔力をその都度消耗品で回復しようとすると、はっきり言ってコストが馬鹿になりません。お金がかかります。お金がかかるんです。お金がかかりました。魔法使いはとってもお金がかかるんです……!」

 

 最後に血を吐くような泣き言が挟まれたような気もするが、魔力のやりくりの大変さはあなたもよく知るところだ。

 魔法使いとして軌道に乗るまで、あなたは何度も何度もその身を爆発四散させた。レベル上げのために無心で魔法を唱え続けていたせいで餓死したのも一度や二度ではない。死んで覚えろのやり方に例外は無い。

 

 これはイルヴァでの話だが、元素の神を信仰すると『魔力の吸収』という固有技能を習得できる。どういう技能かの説明は不要だろう。文字通りの意味である。

 そしてこの技能は魔力の高さと信仰の深さで回復量が増加するので、廃人がこれを使うとちょっと笑えないレベルで魔力(MP)を回復できるようになる。

 それなりにスタミナを消費するのだが、変態ロリコンストーカーフィギュアフェチの魔力は無尽蔵と言っても過言ではない。

 ほぼ有り得ない仮定だが、めぐみんが元素の神を心の底から信仰しようものならば、正真正銘のデストロイヤーが生まれることになるだろう。

 

 ちなみに癒しの女神を信仰すると『ジュアの祈り』という固有技能を習得できる。

 癒しの女神が与える恩恵に相応しく、信仰の深さに比例して対象の傷を癒すという効果を持つ。

 非常にシンプルではあるが、狂信者であるあなたが使った場合の回復量は凄まじい。

 具体的な突破方法は手番を回さず封殺するか、回復量を上回る超火力でゴリ押しするか。

 回復魔法で十分と言うなかれ。あなた達の戦いでは魔法を封じられる場面がそれなりにあるのだから。

 どう足掻いても泥仕合になるので、友人間ではクソ技止めろふざけんな死ねとブーメランが飛び交うくらいに評判が良い。ただし最後の良心こと幸運の女神の狂信者を除く。

 

 故郷の友人たちに思いを馳せていたあなたは硬質な音に意識を引き戻される。

 ウィズがテーブルに置いた鉱石の音のようだ。

 あなたは記憶を手繰り寄せ、テーブルの上の石を吸魔石だとあたりをつけた。

 外付け魔力タンクのような鉱石であり、マナタイトより魔力貯蔵量は低いが何度も繰り返し使うことができる便利な品だ。許容量を超えると爆発するのであえて爆弾代わりに使うこともできる。

 

「他の魔力回復手段といえばこの吸魔石ですが、私の魔力量を補うには一つ一つの回復量が心許ないというのが実情です。なので魔法で吸魔石の効果を代替することにしました」

 

 それがブラックロータス。

 自然界には存在しない、吸い込まれるような黒い蓮の花。

 

「ブラックロータスは花一輪につき術者一人分の魔力を貯めることが出来ます。回復できるのは術者だけなんですけど、私であればドレインタッチを通じて他者の回復も可能です。そして私が作ることができた花の数は全部で10。実質的な最大魔力量が11倍になりました」

 

 その言葉にあなたは目を瞬かせ、十秒ほどかけて咀嚼し、結果として内容を上手く理解しきれなかった。

 自分の耳はおかしくなってしまったのだろうか。

 恐る恐る、あなたはもう一度言ってほしいと聞きなおしてみることにした。

 

「実質的な最大魔力量が11倍になりました」

 

 幻聴ではなかったようだ。

 しれっと恐ろしいことを言ってのける天才アークウィザードにあなたの目が遠くなる。

 才能という名の目に見えない暴力で横っ面をぶん殴られた気分だ。

 

 爆裂魔法のような、割合消費の大魔法の使用頻度をブラックロータスは大きく上げることができる。

 革新的という言葉では到底片付けられない、世界を揺るがしかねない魔法。めぐみんが聞けば瞳を爛々と輝かせて習得を迫ってくるだろう。

 

「実はこれ、あなたの世界にあるストックという概念を流用した魔法なんです。宝島採掘の時、あなたの世界の魔法を覚えたじゃないですか。あれを分解して解析して理解することによって生み出せた魔法なので、同じくストックを使えるあなたならともかく、他の方には恐らく習得不可能だと思います。少なくとも今のところは」

 

 他の者にも習得可能なのか問いかけてみれば、そんな答えが返ってきた。

 世界が爆裂魔法に焼かれる悲劇は避けられたようだ。

 

「魔法の使い方ですが、冷暗所に出しておけば花自体が少しずつ空気中の魔力を吸収してくれますし、私自身の余った魔力を篭めることで貯金みたいな形にもできます。いいですよね、貯金。心が安らぐ素敵な響きの言葉です。通帳を見るたびに幸せな気持ちになれます。あなたと出会うまでは別世界の言葉でしたけど」

 

 魔法使いが聞けば誰もがずるいと答えるに違いない魔法。

 廃人級の創作魔法に相応しく雑に壊れすぎていると言わざるを得ない。

 その筈なのに、最早あなたの頭には貯金のイメージしかない。何故自分から率先してオチを付けていってしまうのか。

 

「ちなみに習得には触媒が必要で、一輪につきだいたい……現金換算で2000万エリスくらい必要だと思います。かくいう私も長年溜め込んでいた触媒の在庫がほぼ払底しました。やばいですね」

 

 天才アークウィザードの背中が煤けている。

 総額2億エリス相当が吹き飛んだようだが、費用対効果の観点では非常に安い買い物だろう。

 あなたであれば喜んで投資している。

 

「ちなみに本来ならホワイトロータスっていう、雪の花みたいな呪文にする予定だったんです。ですが何度試しても真っ黒にしかならなくて。多分私がリッチーだからだと思うんですけど」

 

 心なしか気落ちした様子の同居人を見かねたというわけではないが、あなたはこの魔法を教えてもらえないか頼んでみることにした。

 今のあなたは自身の魔力量に不足を感じていないものの、それはそれ、これはこれだ。金ならある。

 

「勿論大丈夫ですよ。習得には触媒とストックの概念以外にも術式についての知識が必要なんですが、これの骨子は私が在学中に発表したものを発展させたもので――」

 

 ――難解だ!

 

 いつまでも聞いていられる綺麗で心地よい声で紡がれる異次元の言葉が耳の左から右に抜けていく。

 開始10秒であなたの瞳から意思の光が消え去り、思考と理解はやってられるかと匙を投げ、その仕事を完全に放棄した。今のあなたは無表情で口が半開きになり、背景に壮大な宇宙を背負う勢いである。

 あなたは元素の神を信仰する友人と機械の神を信仰する友人を呼び出したくなった。

 二人は変態ロリコンストーカーフィギュアフェチとチキチキ大好きTS義体化ロリだが、それでも他に類を見ない天才なのだから。

 

 

 

 

 

 

 逃げるように竜の里に舞い戻った翌日。

 竜の宿の竜の温泉でほどよく体を休めたあなた達は、朝から里の中を歩き回っていた。

 昼になって暖かくなってきたら滝の近くに足を運ぶ予定である。

 

「お客さん、出来たてのドラゴン饅頭はいかがかね? 熱々で美味いぞ」

 

 なんでもかんでもドラゴンの名前が付くのは流石だとしか言いようがない。

 雑貨屋の店主である老齢のドラゴニュートに勧められるまま、ファイアドラゴン味のドラゴン饅頭を購入。蒸し器から取り出された大ぶりで熱々の饅頭にゆんゆんと二人、雑貨屋のベンチに座って噛り付く。

 ファイアドラゴンの名前に負けることのない真っ赤に着色された饅頭の皮は、別段激辛ということもなく小麦の香りと味が強いものであり、軽く握ればふわふわもちもちとした柔らかい手ごたえが返ってくる。

 たっぷりと詰まった中身の餡は、肉汁溢れるジューシーな豚のひき肉と微塵切りにした数種類の野菜を塩、胡椒、牡蠣油などで味付けしており、更に辛くなりすぎない程度にトウガラシを使って味を引き締め、纏めあげている。

 熟練の技が光るピリ辛肉まんだった。でかい辛い美味いと舌鼓を打ちあっという間に饅頭を平らげるあなた達に、いい食べっぷりだと朗らかに笑うドラゴニュートの店主。

 

「二人が昨日馬車から降りるのを見とったよ。わざわざ陸路で来たって事はやっぱりあれかね、ここには巡礼に?」

 

 あなたはゆんゆんの肩に手を乗せ、自分達がベルゼルグの冒険者であること、キビアからトリフを経由する形で陸路で旅をして冒険者としての経験を積ませていたこと、そして修行の締めとして彼女をドラゴン使いにするために竜の谷に挑むつもりであることを答える。

 店主は途端に痛ましげな表情になった。

 

「……悪いことは言わん。あたら若い命を粗末にするような真似は止めておけ。立ち入りこそ禁じられてはいないが、あそこは決して度胸試しや遊び半分で行くような場所じゃあない」

「ここに来るまでに何回も似たようなことを言われましたよ」

「そりゃそうだろ。誰だって同じことを言うだろうさ。最近だとカイラムの騎士団が来ていたんだが、竜の谷から戻ってきたエルフ達はどいつもこいつも敗残兵みたいにボロボロで今にも死にそうな顔をしてたもんだ。その前だとどっかのお貴族様が1000人くらい引き連れていたのを見たが……殆どはそのまま帰ってこなかった」

 

 低い声で語られる二つの怪談。

 どちらも聞いた事のある話であり、あなた達にとっても決して無関係ではなかった。

 

「お爺さんは竜の谷に行ったことあるんですか?」

「若い頃に一度だけな。つっても直接足を踏み入れたわけじゃない。竜のアギトの出口から第一層を眺めたことがあるだけだが」

「どんな場所でした?」

「……とても言葉に出来るようなもんではなかったなあ。ただこう、全身の血が熱くなる感覚があったのをよく覚えているよ。傍流とはいえ、確かに流れている竜の血がそうさせたのかもしれん」

 

 懐かしさに目を細める老いた竜人。

 その瞳は竜の谷への敬意と畏怖に満ち溢れていた。

 

「比類無き危険な地だが、あれは死ぬ前に一度は見ておく価値がある光景ではある。だからまあ、せめて安全な入り口で満足して引き返しておけ。ほら、ちょうどあそこにいる者達のように」

 

 繰り返すが、竜の谷はドラゴン使いを志す者にとっての聖地として扱われている。

 そんな聖地の麓にある里の中心には、竜騎士の祖であるパンナ・コッタ、そして彼の相棒であった伝説のドラゴン、プリン・ア・ラ・モードの像が建っており、像の前には観光客と思わしき三十人ほどの団体が集まっていた。

 集団の殆どは十代前半の若い少年少女で構成されており、誰も彼も身形が整っている。

 そんな未来の可能性に溢れた若者たちを、騎士然とした壮年に差し掛かった人間の男性とスーツを着た若い女性が引率していた。

 

「あれって何の団体さんなんです?」

「トリフでやってる観光ツアーの客だよ。竜騎士やドラゴン使いを目指す若者向けの。ここは徒歩で気軽に来れるような場所じゃないからな。高い金を払ってテレポートで飛んでくるのさ。竜の谷の入り口まで立ち入るってんだから、逞しいというか」

 

 不機嫌だったり見下しているとまではいかずとも、どこか面白くなさそうな店主の言葉。

 竜の里は観光地としてそれなりに栄えている。彼はそれを不服に思っているわけではない。

 だが竜の里の先であれば話が変わってくる。

 ドラゴン使いや竜騎士にとってそうであるように、ドラゴニュートにとっても竜の谷は聖地なのだ。そんな場所が観光地扱いを受けるのは気分が良くないのだろう。

 

 ゆんゆんはきょとんとしていたが、あなたには店主の複雑な気持ちをなんとなく理解出来ていた。

 ノイエルの聖夜祭では自重しているものの、別の場所にある癒しの女神の聖地に観光客が軽々しく足を踏み入れた場合、あなた達はその愚者をサンドバッグに吊るす。吊るすだろうではなく吊るす。実際に吊るした事があるので間違いない。

 この世界においては、アルカンレティアでも女神アクアが教徒を率いて魔王軍幹部と戦った場所が聖地に指定されており、関係者以外の立ち入りが禁じられている。

 それを思えばドラゴニュートはとても温厚な種族といえた。

 

 

 

 

 

 

 たっぷり休んで心身の疲れを癒し、英気を養った翌日の早朝。

 どこか不穏なざわつきが聞こえてくる里を奥へと進み、山脈に続いている長い細道の入り口に建っている小屋にて。

 

「ゆんゆんさん、お久しぶりです。……随分と遅くなってしまいましたけど、今から私もパーティーに混ぜてもらいますね」

 

 あなたに連れられてやってきた完全武装状態のウィズがぺこりと頭を下げた。

 妹を除外すればずっと二人組だったあなたとゆんゆんに、待望の三人目が加わった。この世界における史上最強のパーティーが生まれた瞬間である。

 あなたは言うに及ばず、ゆんゆんの面倒を見なくて良くなった妹も満面の笑顔。

 ゆんゆんに至っては瞑目し、右手を硬く握りしめ、そのまま高く掲げて無言で勝利のガッツポーズを作っている。

 きた! 常識人きた! メイン常識人きた! これで勝つる! と言わんばかりの大歓迎状態だ。かくいうあなたの脳内にも「勝ったな」「……ああ」と謎の電波が聞こえてくる始末。

 

 そんなゆんゆんの突然の奇行にこれまでの彼女の苦労を感じ取ったのか、ウィズは微かに苦笑を漏らすに留まった。

 

「じゃあウィズさんも来てくれたことですし、早速ですけどパーティー名を決めちゃいましょう!」

「あの、本当に私も考えていいんですか? 新参なんですけど」

「当たり前じゃないですか! むしろ私的には大本命ですよウィズさんは」

 

 竜の谷はその出入りに際し、あなた達が現在いる小屋で手続きを行う必要がある。

 手続きといっても複雑なものではなく、誰がいつ出入りしたのかを記録するだけの簡単なものだ。

 ここに団体名を記載するにあたりどうするか考えたあなたとゆんゆんは、いい機会なので、今まで宙ぶらりんだったパーティー名を決めてしまおうとなった次第である。

 

 そんなこんなで数分を使った結果、案が出揃った。

 ゆんゆんと愉快な仲間達。世界最強コンビとオマケ。ネバーアローン。

 左から順に、あなた、ゆんゆん、ウィズが提案したパーティー名である。

 

「はい。じゃあ私達のパーティー名はネバーアローンということで」

 

 はいじゃないが。

 ウィズの案に不満があるわけではない。しかし他の案を一顧だにせず即決するのはパーティーとしていかがなものか。

 あまりの横暴にあなたが思わず物申すと、ゆんゆんはキッパリとした口調で断言した。

 

「多数決です。っていうかなんですかゆんゆんと愉快な仲間達って。まるで私がリーダーみたいじゃないですか。少しは真面目に考えてください」

 

 素面で刃のブーメランを投擲してくる紅魔族の少女にあなたは閉口する。

 世界最強コンビとオマケなどというふざけた名前を提案した人間が口にしていい発言では断じてない。

 やいのやいのと言い合っていると、ウィズがくすくすと楽しそうに笑った。

 

「ふふっ、すみません。なんだか懐かしくなっちゃって。ブラッドとロザリー……昔の私の仲間なんですけど、まだ駆け出しで知り合ったばかりの頃、二人が同じような事を言っていたなあって」

 

 憂いの無い笑み。

 かつて氷の魔女と呼ばれていた彼女は、純粋に自分が人間だった過去を懐かしんでいた。

 そして興味深い話題だとあなたが沈黙したのをいいことに、ここぞとばかりにパーティー名を記載するゆんゆん。

 彼女は旅を通じて立派な主体性と強かさ、あるいはあなたが相手であればこれくらい言ったりやっても大丈夫だろうという自然な距離感を身につけていた。

 

「駆け出しだった頃のウィズさんの姿って全然想像出来ないです」

「そりゃあ私にも駆け出しだった時期はありますよ。ちなみに当時の私は10歳くらいでした」

「じゅっさい……10歳!? 子供じゃないですか!」

「学園を卒業してそのまま冒険者になりましたから。世間知らずで常識にも疎く、仲間達には迷惑をかけっぱなしでしたね……」

 

 再会を祝した雑談も悪くはないが、先は長い。

 ウィズの思い出話を肴に、あなた達は竜の里を発ち前に進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 竜の谷唯一の進入路は、リカシィと竜の谷を隔てる険しい大山脈に穴を穿つような形で開いている長い細道だ。

 危険だと知って挑み命を散らしていく者達を皮肉るように名付けられた細道の名は竜のアギト。

 

 そんな細道の入り口には慰霊碑があった。

 竜の谷で命を落とした者達のために作られた物だ。

 手入れは日常的にされているようで汚れは無く、慰霊碑には献花がされている。

 

 死者達に黙祷を捧げたあなた達は竜のアギトに足を踏み入れた。

 魔力で動くランタンで暗いトンネルの中を照らしてみれば、壁に何かの文字が刻まれていることにあなたは気がついた。

 入り口のものはほとんど風化しており読み取れなかったが、先に進むにつれて文字は鮮明になってくる。

 

『巡礼記念・■■年■■日』

『聖地にキタ――――(゚∀゚)――――!!!!』

『何も来てねえよぶち殺すぞ』

『私、ドラゴン使いになったら故郷の幼馴染に告白するんだ』

『ここまで来てドラゴン使いになれなかった奴おりゅ?』

『ドイナカ村のみんなぁー見てるぅー?』

『まぉぅ丶)ょぅカゝら、キまιナニ』

『ある貴族の三男坊は賭けにでることにした。安楽少女の実で衰弱死する前に「ばかばかばか! どうしてそんなことするのよぉ~」と美少女ロリっ子ドラゴンが抱きついてくることに、生死を賭すのだ』

『('A`)ノシ ←僕の相棒のドラゴンが描きました』

『ごめんねえ? 強くってさあ!』

『リオノール参上!』

『ライン・シェイカー、竜騎士の末席として始祖と先達に敬意を払い、ここに足跡を残す』

『竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強!』

 

 誰も彼もが自由に痕跡を残していた。

 直筆かは不明だが、中には歴史に残る英雄や魔王の名前も刻まれている。

 ここまで来るとちょっとした歴史的資料だ。

 

「私達も何か書いていきます?」

 

 ウィズの問いに、あなたは首を横に振って答える。

 自分達は竜の谷を踏破し、ゆんゆんがドラゴン使いになった記念に改めてここに来た証を残せばいいだろうと。

 

「…………」

 

 あなたの言葉にいよいよだと感じ始めたのか、明かりに照らされたゆんゆんの顔は緊張で少し青くなっていた。

 そんなゆんゆんを見かねたわけではないのだろうが、ウィズが明るい調子で声をかける。

 

「それにしてもゆんゆんさん、とっても立派になりましたね」

「えっ、そ、そうですか?」

「はい。面構えや立ち姿、雰囲気が旅に出る前と比べて随分と変わりましたよ。勿論いい方に。背も少し伸びましたね」

 

 頑張ったんですね、と優しく声をかけて頭を撫でるウィズに、涙ぐむゆんゆん。

 

「旅の中で沢山の経験をしたんですよね?」

「えっと、そうですね。お話ししたい事が沢山ありすぎて今ここでは話せませんけど、旅の中で本当に色々ありましたから……本当に、ウィズさんがいてくれればなあって思ったことが何度あったことか……」

 

 遠い目をする少女に、ウィズは困ったようにあなたを見やった。

 弱メンタルでゲロ甘でチョロQなゆんゆんに何度も相当な無茶をさせたと考えているのだろう。

 誤解だとあなたは首を横に振る。

 

「ここだけの話、ウィズさんがいたら10億エリスが6億7000万エリスになってたかもしれないんですよ」

「えっ」

 

 雲行きが変わってウィズが困惑の声を発した。

 

「実は税がかからないお金が10億エリスぶんほどあるんですけど、半分貰ってくれませんか? 私を強くしてくれたウィズさんには5億エリスを受け取る権利があると思うんです。むしろ受け取るべきだと思います。受け取ってくださいお願いします」

「えっ、5億エリス……えっ!?」

 

 この期に及んで何を馬鹿なことを言っているのだろう。

 あなたは嘆息して胡散臭い詐欺師のような発言をする、血迷ったゆんゆんの頭を軽く引っぱたいた。

 まだ割り切れていなかったのかと呆れると同時に軽く驚きですらある。

 

「10億って、災厄級の賞金首でも狩ったんですか?」

 

 何かを殺して得た金ではない。むしろその逆だと首を横に振る。

 これは世界を覆う災厄を未然に防いだ正当な報酬、人命救助に対する感謝の気持ちだ。

 具体的には生存が絶望的だったカイラムの王妃と王女の命を救った救国の英雄への礼である。

 

「あぁ……なるほど……」

 

 カイラムの国王は大変な愛妻家であり、第一王女は誰からも愛される国の宝。

 そんな二人を救った謝礼を、ゆんゆんは精神的にも物理的にも完全に持て余してしまっていた。

 とはいえあなたは装備の更新に使えばいいとアドバイスしていたのだが、もう忘れてしまったのだろうか。

 

「装備の更新に10億エリスも必要ないですから! だからウィズさん、5億エリスを受け取ってください! 受け取って私の心の負担を軽くしてください!」

 

 とんでもないとウィズは全力で首を横に振った。あまりの勢いに長い髪がぺちぺちと音を立ててあなたに当たる。

 ウィズがここで大金を受け取るような女性だったらあなたはウィズ魔法店の投資に苦労していないし、結果的に同居するような関係にもなっていないのだから、拒否は当然の結果だった。

 

「そんなあ……」

「でもほら、良かったじゃないですか。冒険者の中でも魔法使いは特にお金がかかりますし」

「本当ですか? ウィズさん、本当にそう思いますか? 10億エリスですよ? ポンと10億エリスを手に入れることが本当に良い事だと思いますか?」

 

 かつて宝島採掘の分け前として3億エリスを手に入れた結果、一瞬で卒倒した元極貧リッチーはそっと目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 どれだけ暗い道を歩き続けただろうか。

 やがてあなた達の目に、ランタンのものではない光が見えた。

 

 竜の谷の入り口を前に改めて気を入れ直し、あなた達三人は竜のアギトを出る。

 

「…………え?」

 

 だが、しかし。

 あなた達を待ち構えていたのは、竜のアギトに入る前に見ていた透明感のある青空ではなく、郷愁と懐古を呼び起こす色鮮やかな茜色の空。

 今まさに太陽が地平線の向こう側に沈もうとしている瞬間を、あなた達は目撃していた。

 

「今、何時でしたっけ?」

 

 ウィズの言葉に時計を見れば、針は昼過ぎを指し示している。

 あなたの体感でも竜のアギトでそこまで長時間を過ごしてはいない。

 自分達は、今どこにいるのだろう。

 あなた達がそんな疑問を抱いたのは自然な成り行きといえた。

 

「そうだっ、コンパス! ……うぅわ」

 

 ゆんゆんが取り出した5万エリスのコンパスは、針が目にも留まらぬ速度で回転し、音を立てて綺麗な円を描いていた。どう見ても使い物にならない。5万エリスはゴミになったようだ。

 まるで異界といった有様だが、正しくここは異界なのだろう。

 その証拠に、竜の谷には他と比較にならないほど濃密で膨大な魔力が満ち溢れている。

 あなたの知る限りではすくつの感覚に近い。時空の一つや二つは歪んでいて当然といえた。

 

 早くもワクワクが止まらないあなたは周囲を見渡す。

 

 竜のアギトの出口は辺りを一望できる小高い丘にあった。

 そしてあなたの開けた視界には、地平線の向こう側まで続く終わりの無い樹海が広がっている。

 夕焼け空を背に自由に舞う数十の小さな影の正体は、言うまでも無くドラゴンだ。

 闇に包まれた樹海の中からは、聞いたことの無い何者かの咆哮が聞こえてくる。

 

 竜の谷第一層、千年樹海。

 

 ここは竜の谷の最も外側であり、魔境の表層に過ぎない。

 だが同時に、竜の谷で最も多くの命が散っていった場所でもある。

 

 あなたとしてはこのまま丘から降りて探索を行いたいところだったが、話し合いの結果、日が出るまでは樹海に足を踏み入れず、竜のアギトの出口付近で一夜を過ごすことになった。

 出鼻を盛大に挫かれた形になるが、開始早々負担が大きい夜中の強行軍をする理由も無い。ここまで来れば竜の谷は逃げないし、先は長いのだから気長にやればいい。

 そう気を取り直して夜営の準備を進めていたあなただったが、空から聞こえてくる咆哮と敵意に不意に手を止めた。

 

「ゆんゆんさん、少し後ろに下がってください」

 

 殺気を受けて逃げ腰全開になっていたゆんゆんを安心させるよう、優しく声をかけるウィズ。

 その視線はあなたと同じく、空のある一点に釘付けになっている。

 あなた達という新たな侵入者に真っ先に気が付き、腹の足しにせんとすべく襲い掛かってきたそれの正体に気付いたゆんゆんは、慄然とその名を呼ぶ。

 

「ルビー、ドラゴン……!」

 

 アクセルの冒険者が総出で挑み、死闘の末にようやく打ち倒したドラゴン。

 しかもゆんゆんが戦った時よりも大きい。およそ1.3倍といったところだろうか。

 

「どうしましょうか」

 

 夕飯のアンケートよりも平坦なウィズの声。

 極めて簡潔で端的なそれは、戦うか逃げるかという選択を問いかけているのではなく、かといってあなたとウィズのどちらが戦うのかという選択を問いかけているものでもない。

 それを理解するあなたは簡潔に、端的に、素材は必要無いと答えた。夕飯の希望を告げるように。

 あなたの答えにウィズは特に気負うでもなく頷き、杖を構える。

 

「ちょっと素材が勿体無いですけど、先は長いですしね。ルビードラゴンなら他所でも見れますし。……ファイアーボール」

 

 放たれたのはめぐみん以外の全ての魔法使いが使えるであろう、この世界で最もポピュラーな攻撃魔法。

 高速で放たれた火球は飛来するドラゴンの顔面に直撃。

 瞬間、夕闇を爆発の閃光が塗り潰し、魔力への高い抵抗を持つ鱗などまるで存在しないかのように、一撃でルビードラゴンは消し炭へと姿を変えた。

 

「うーん、やっぱり杖の質が良いと魔力の乗り具合が違いますね」

 

 到着早々の熱烈な歓迎を退け、ご機嫌な様子で杖を撫でて昼食もとい夕食の準備に戻るウィズ。

 アクセル総出でかかってようやく倒した相手を瞬殺したわけだが、この程度は出来て当然と何ら意に介していないし、一つの命を汚い花火に変えたことへの呵責などこれっぽっちも感じていなかった。

 彼女はぽわぽわりっちぃかつ善良な平和主義者。あなたと違って無闇に他者の命を奪うような人間ではないが、別に戦いが嫌いなわけではない。

 殺しに来たのだから殺されても文句は言えない。そういう価値観を持っている。

 そもそも襲い掛かってきたモンスターの命を奪う事すら憂うレベルで根っからの博愛主義者(頭がお花畑)だった場合、あなたは最初からウィズに目をつけていない。

 

 とはいえ仮に今この場であなたとウィズが戦った場合、これはあなたが勝利を収めるだろう。

 理由は複数あるが、概ね速度の差と装備の差に集約される。

 だが、ウィズがまだ人間だった頃、かつて死の淵にあった仲間達を救う為、単身でバニルに挑んだ時のように。今のウィズが本当の意味で覚悟を決め、全力を発揮し、自身の持つあらゆる手段を用いてあなたに相対した、その時は。

 全力を出した自分と命のやりとりができる。

 彼女はそういう存在なのだと、あなたは長年に渡る戦いの経験から直感し、確信していた。

 

 今回の旅に出るまでのあなたであれば、ウィズの戦いを見てテンションがおかしなことになっていただろう。だがジェノサイドパーティーでリフレッシュした今のあなたは、これといって感情を揺さぶられることはない。

 ただ、これから何度戦うか分からないので不要だと答えたものの、やっぱり素材は少し勿体無かったかもしれないと考えながら、キャンプの設営に戻ろうと踵を返す。

 

「あの……」

 

 服の袖を弱弱しく引っ張られた。

 何事かと振り向いてみれば、そこには救いを求めるような目で見てくるゆんゆんの姿が。

 軽く心が折れかけており、何故かウィズではなく、あなたに訴えたいことがあるようだ。

 

 早くも怖気づいたのかと思いきや、ゆんゆんはアクセルに戻りたがっているというわけではなかった。

 では何が原因かといえば、初めてウィズがまともに戦っているところを見たのが原因だった。ウィズが杖を使っているのを見るのもこれが初めてだろう。

 なまじ同じアークウィザードであるがゆえに、師の力量と彼我の差があなたの時よりも強く実感出来てしまったらしい。ゆんゆんがあれだけ苦戦した相手をウィズがあっさりと仕留めたことも決して無関係ではないと思われる。

 

 リーゼといいゆんゆんといい、ウィズの全自動で心を折る機械っぷりにはあなたも頭が下がる気分だ。

 ここで慰めの言葉を送るのは簡単だが、廃人を目指すというのであればさっさと割り切ってしまった方が精神衛生上良いに決まっている。

 あなたが軽く頭を撫でた後によくあることだと笑顔でサムズアップを送ると、この場には自分と価値観を共有出来る相手がいないと理解してしまった少女の目から光が消失し、その小さな口からはウボァーと断末魔の如き魂の呻き声が溢れ出た。

 

 かくしてご機嫌な廃人とリッチー、そしてそんな規格外の戦闘力を持つ二人に振り回される運命が確定した紅魔族の少女による、竜の谷探索行が幕を開けたのだった。


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