このすば*Elona   作:hasebe

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第124話 あなたに幸運な日が訪れた!

 ――連携訓練初日。

 

「ぐ、うっ!!」

 

 受身を取る余裕も無く背中から地面に叩きつけられ、ほんの一瞬、アイリスの意識が飛んだ。

 痛みと衝撃で明滅する視界の中、警鐘を鳴らす本能と直感に従って真横に転がり、勢いのまま立ち上がって後ろに飛び退く。

 瞬間、たった今までアイリスがいた場所に武器が叩き付けられた。

 派手な音を立てて剣が地面を穿つ光景にアイリスは胆を冷やす。

 これで終わりだと言わんばかりの追い討ち。

 当たっていたらどうなっていたかは考えるまでもない。

 

 油断無く剣を構えながらもそれ以上の追撃が来ない事を確認し、荒い呼吸を整える。

 粘ついた口内の違和感を嫌って唾を吐けば、血の混じったそれが地面を汚した。

 

 何度も何度も地面に転がされて砂に塗れたせいで、アイリスの結い上げられた髪はすっかり解けた挙句土埃でくすんでしまっている。絹糸の如き金糸の髪は今や見る影も無い。

 少女の全身を苛む倦怠感と鈍痛は、修練の過酷さと相手の容赦の無さを見事なまでに物語っていた。

 色々と人格的に難点を抱えながらもベルゼルグ王家への忠誠心は本物であるリーゼロッテが、生傷を量産するアイリスの痛ましい姿にこれちゃんと治療しないと後でクッソやべーことになるやつですわと冷や汗を流して目を泳がせたと書けば、どれほどのものかは伝わるだろう。

 

 礼節を知り、身分の差を弁えた瑕疵の無い振る舞いが出来る。

 その上で幼い姫君を相手に虐待としか形容できない暴力を微塵の躊躇も無く行使してくる。

 

 言うまでも無いだろうが、王女を気持ち悪いくらいに深く敬愛する護衛のクレアは傷つくアイリスの姿を見て怒り狂った。

 当初抱いていた冒険者への敬意を投げ捨てて殺意を露にした彼女も、今は練兵場の隅に積み上げられた藁の山に埋もれている。

 怒りのあまり訓練も連携も頭から綺麗さっぱり抜け落ちていた様子だったので、少し頭を冷やせと強めにぶっ飛ばされたのだ。

 

 既に仲間達は戦闘不能。戦えるのは自分だけ。

 これは連携の訓練なのだから、一人で戦っても意味は無い。

 本来であればさっさと打ち切るべきなのだが、それでも王女は強く剣を握り、眼前の相手を見据える。

 

 その理由はたった一つ。

 嬉しくて楽しくてたまらないからだ。

 

 今のアイリスであれば、勝てるかどうかは別として、魔王軍の幹部とも一対一で戦うことができる。

 ゆえに、たとえ相手が格上であっても、非殺傷の結界無しで全力を出せば事故で大怪我を負わせてしまうかもしれない。

 訓練を始める前にアイリスが抱いていたそんな不安は、三分も経たずにどこかに飛んでいってしまった。

 

 頭のおかしいエレメンタルナイト、巷でそう呼ばれている冒険者は強かった。

 ただひたすらに、圧倒的に、理不尽なまでに。

 今までアイリスが見てきた誰よりも強かった。

 

 力が通じない。技が通じない。魔が通じない。速さが通じない。

 どれだけ全力を出しても軽く蹴散らされる。

 一人になってからは許可を得て神器を使い始めたが、やはり敵わない。

 

 無造作に振るわれる剣は彼女が経験したことがないほどに重く、鋭く、そして速いもの。

 蹴りを防げば骨が軋む。

 攻撃を食らえば全身が痛みに悲鳴をあげる。

 

 何度打ち据えられても立ち上がる王女にナイスガッツと朗らかに笑う相手からは威圧感が感じられない。

 振るわれる剣には殺意が無い。敵意も無い。戦意すら無い。いっそ寒気がするほどの自然体。

 暴力を振るって婦女子を甚振る事に愉悦を覚える類の下種ならまだ辛うじて理解の範疇にあるが、それすら無いというのだから恐れ入る。

 本人は今回の依頼を朝食前の軽い運動と称していたが、ジョギング感覚で一国の王女をぶちのめしてくるような相手は、なるほど、頭がおかしいと言われても仕方ないだろう。

 

 だからこそ嬉しい。王女だからと遠慮することなく、子供だからと侮ることなく、一人の戦士として扱ってくれるから。

 だからこそ楽しい。王族として国と民を背負うことなく、何も考えず、ただ一人の人間(アイリス)として全身全霊を賭してなお届かない相手に挑むことが、こんなにも楽しい。

 

「はあああああああっ!!!」

 

 王女は激情のままに聖剣を振るう。

 神器に呼応するかのように沸騰する、数多の年月で練磨され続けてきた、狂戦士(ベルゼルグ)の名を冠する王家の血に抗うことなく。

 類稀なる強者を前に、全身から湧き上がる闘争と開放の愉悦がアイリスの体を突き動かしていた。

 

 

 

 

 

「わーい、地面あったかーい」

 

 激しく戦う二人の剣士を眺めながら、完全に置いてけぼりを食らったゆんゆんは投げやりに呟く。

 例によってあなたに軽めにしばき倒されて起き上がる余裕も無い彼女は、うつぶせのまま近くのリーゼロッテに問いかけた。

 

「ところでリーゼさん、そろそろ止めなくていいんですか? アイリスちゃんの根性は凄いですけど、これじゃ訓練の趣旨を完全に逸脱してますよ。エクスカリバーまで使っちゃってますし」

「止めたいのは山々なのですけど、あそこまで楽しそうなアイリス様を見ていると気が引けるというかなんというか」

 

 ――本当にありがとうございます。あなたに会えてよかった。あなたのおかげで、私はもっともっと強くなれます!

 

「アイリスちゃんボロ雑巾にされてますけど」

「あそこで見ざる言わざる聞かざる決め込んでる当家のアークプリーストに死ぬ気で治療させますわ」

「ああ、あの参加してないのに心労と胃痛で死にそうになってる人……」

 

 ――これで最後! 私の全部、ありったけ!

 

「個人的にはしばき倒されてるアイリス様を見て平然としてるゆんゆんに軽くビビッているのですけど、そこんとこどうなのです?」

「いやまあ、少しも驚いてないとか引いてないって言ったら嘘になりますけど」

 

 ――征きましょう、エクスカリバー! 

 

「でも私の近接戦闘訓練の時も大体あんな感じですし、普通にあれくらいやるだろうなって半分くらい諦めてるというか。むしろ体で覚えろってみねうち(ガード不可即死攻撃)が飛んでこないだけ有情というか、アイリスちゃんへの配慮を感じて羨ましいというか。あれ死ぬほど痛いんですよ」

「おおう……流石は頭のおかしいエレメンタルナイト。マジパねぇですわ。これはこっちも気合を入れ直したほうが良さそうですわね」

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 ――セイクリッド・エクスプロードッ!!!

 

 そうこうしていると、一際大きい爆発と激突音と共にアイリスが吹っ飛ばされた。

 爆発に吹き飛ばされたアイリスは大きくのけぞった体勢で青空へときりもみ回転で高く高く舞い上がり、クレアと同じく藁の山に突っ込むという非常に芸術点が高い形で頭から勢いよく落下。

 暫く経ってもアイリスは起き上がってこない。最後に放った必殺技で完全に体力と精神力が尽き果ててしまっていた。

 

「終わりみたいですね。リーゼさん、ありがとうございました。というか私としてはアイリスちゃんがあんなに楽しそうにしてたのが怖いんですけど。最後とか明らかに人間に向けちゃいけない威力の技ぶっぱなしてましたし」

「そこはベルゼルグ王家の血としか言いようがありませんわね。大体にして、それを言ったらアレを真正面から無傷で破ってみせた彼の方がよっぽどですわ」

 

 アイリスが放った最大の必殺技を正面から打ち破り、剣を鞘に収めて手を振ってくる師の姿に、ゆんゆんは万感の思いを込めてこう言った。

 

「ぐうの音も出ない」

「アイリス様もスッキリしたでしょうし、明日からはちゃんとした訓練になりますわよ。……ほらレイン、いつまでもあったけえ地面さんにいい夢見せてもらってないで起きなさい。終わりましたわよ」

 

 ぺちぺちとレインの頭を叩くリーゼロッテは椅子代わりに倒れ伏したレインに腰掛けていた。

 この大魔法使いは弟子に人権は無いと笑顔で断言する、弟子達からクソババアと罵倒される人でなしである。

 

「うっ……」

「おおレイン! 死んでしまうとは情けない! 真っ先に脱落するとはなんという体たらくでしょう! 貴女の師匠として恥ずかしいったらありませんわ!」

「ふ、二人して私を集中的に狙っておきながらなんという言いがかり……」

「何が言いがかりなものですか。こちらは二人でそちらは四人。率先して数の優位を潰すのは当然でしょう? 貴女ならもう少し粘れると思っていましたのにまったく。四人の中で最年長の癖に」

「年は関係ないじゃないですか年はぁ……!」

「つーかウィズとやりあった時は足を止めての打ち合いだったから気付きませんでしたが、近接技能がゴミクズレベルに退化してやがりますわね。いい機会なので鍛え直してあげましょう」

 

 レインは元気いっぱいな師を腐ったドブ川のような目で一瞥し、自身の隣でやはり地面に転がっているゆんゆんに声をかけた。抑揚の無い、本気のトーンで。

 

「ゆんゆんさん、もしよかったら私もウィズさんの弟子にしてくれませんか」

「えっ」

「聞こえてますわよコラァッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ……とまあこのように、あなたが受けた王女アイリスの依頼、連携の訓練は、和気藹々とした充実感のあるものだった。

 ゆんゆんや王女アイリスのような、才能とやる気に満ち溢れた若人を鍛えるのはあなたとしても楽しく、やりがいのある仕事だ。

 

 そして、ゆんゆんと王女アイリスの二人は訓練の成果をあなたに見せてくれた。

 多くの観衆が見守る中、これ以上ない形で。

 

「それまで! 勝者、エチゴノチリメンドンヤチーム!」

 

 地鳴りのような喝采が会場を包む。

 仮面とバケツに隠された二人の表情は見えないが、どちらも結果を出せて肩の荷が下りた様子を見せている。

 二人からチラチラと視線を飛ばされているあなたが拍手を送っているのも決して無関係ではないだろう。七日間の特訓が無駄にならず、あなたとしても一安心といったところだ。

 あれだけやって本番でまるで成長が見られなかった場合、あなたは本人たちに物申すことすら視野に入れていた。それもエチゴノチリメンドンヤチームの正体に気付いていると明かした上で。

 

 ――決勝トーナメント1回戦第1試合を制したのはAブロックの刺客、エチゴノチリメンドンヤチーム! 終始危なげない堅実な試合運びで勝利を収めました!

 ――いやあ、見違えましたね。両者共に予選とはまるで別人のような動きでした。二人は間違いなく今大会の台風の目になるでしょう。

 

 予選のような個人プレーのゴリ押しではなく、ちゃんと連携して戦ってチームとして勝利を収めたエチゴノチリメンドンヤチーム。

 ただでさえステータス面でぶっちぎりだった二人がマトモな連携を覚えた結果、決勝トーナメントは開幕早々虐殺の気配が濃厚になってきたわけだが、予選も決勝を除いて虐殺だったので今更だ。

 

「それでは勝利者インタビューに入りたいと思います」

 

 参加人数の関係でスケジュールが詰まっていた予選とは違い、決勝トーナメントでは試合ごとに勝者のインタビューが行われる。

 舞台に残った二人に近づいていく、つい最近どこかで見た顔のような気がするスタッフの女性は、その手に魔導マイクという拡声器の魔道具を持っていた。

 短杖ほどのサイズのこれを使って会場中に声を届かせるのだ。

 

「エチゴノチリメンドンヤチーム、一回戦突破、おめでとうございます」

「ありがとうございます! 次の試合も頑張るのでこれからもみなさん応援よろしくお願いします!」

「お、お願いします……」

 

 再度の喝采に手を振る少女たち。

 如才無くインタビューに答えるマスクドイリスは伊達に王族をやっていない。

 対してジャスティスレッドバケツガールはローブ越しでもガチガチに緊張していると分かるが、あのゆんゆんがバケツ越しとはいえこの大勢の観衆の視線を浴びて逃げ出さずにいられるというだけで彼女の成長が感じられた。

 頑張れと心の中でエールを送るあなたは先日購入した魔導カメラを使ってこっそりと二人を撮影する。大切に保管してゆんゆんが立派な大人になった頃に写真を見せつつネタバラシをして反応を楽しむ予定だ。

 

「早速ですが、チーム名のエチゴノチリメンドンヤ、これはどういった意味合いのものなのでしょうか?」

「とっても簡単に説明すると大商人です」

「なるほど、マスクドイリス選手の名乗りであるチリメンドンヤの孫娘、これはつまり……」

「ふふっ、これ以上は秘密でお願いします。エチゴノチリメンドンヤは正体不明の二人組なので」

 

 言外に自分がいいとこのお嬢さんであることを可愛らしくアピールするマスクドイリス。

 庶民ではありえない身奇麗な格好と輝く金髪から彼女の身分の高さは容易に察することができるので、観客に驚きは生まれなかった。むしろやっぱりな、という納得が広がるばかり。

 実際はいいとこのお嬢さんどころの話ではないのだが。

 

 ちなみに観客からの二人の人気は予選の時から非常に高い。

 やる事が派手でノリが良い上に抜群に強く、しかもどちらも声が美少女。人気が出るのも当然といえば当然である。

 

「解説の方でもありましたが、予選とは随分と動きが違っているように見えました。決勝では本気を出していく、ということでしょうか?」

「いえ、予選決勝では非常に恥ずかしい負け方をしてしまったので、頑張って特訓してきました。ムカつくぜクソッタレー! チームには是非ともリベンジしたいと思ってます」

「応援しています。それで特訓というのは具体的にどのような?」

「それも秘密で。でも夢のような七日間でした」

「悪夢のような七日間でした」

 

 笑顔で答えるマスクドイリスからは光が。無感情に答えるバケツガールからは闇が漏れ出ている。

 光と闇が両方そなわり最強に見える二人にインタビュアーは言葉を詰まらせた。

 予選のエルフォース戦でバケツガールが見せた修羅の如き戦いっぷり、そしてそれを仕込んだ者はバケモノか悪魔だろうと解説が予想していたのを覚えていたのだろう。

 

 解説によるあなたへの深刻な風評被害はさておき、やはり王女アイリスは筋がいい。

 才能ではなく、精神的な面で。モチベーションは廃人になるために重要な要素だ。

 戦うこと、強くなることが大好きな彼女が自分のペットになれば、あっという間に強くなるだろうに、とカイラムで手に入れた空っぽのモンスターボールを弄びつつ、あなたはとても惜しい気持ちになるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ゆんゆん、お疲れ様でした!」

「アイリスちゃんもお疲れ様でした」

 

 決勝トーナメント初日を快勝で突破したゆんゆんとアイリス。

 アイリスの部屋で二人は互いを労う。敗戦でお通夜ムードだった予選決勝後とは違い、室内は明るい雰囲気で満たされていた。

 相手チームのあの動きが良かった、あのスキルはもっといいタイミングで打てたと初戦の振り返りをしているうち、やがて二人は自然とあなたについての話に行き着いた。

 

「散々ボコボコにされた甲斐があったというか、またみっともない所を見せなくて本当によかった……」

「正体に気付いてないとはいえ、先生も私達の戦いに満足してる感じでしたね。短期間とはいえ教えを受けた身として、いいところを見せられてよかったです」

「予選決勝で負けた時は苦笑いしてたからね。色々とお世話になってる身としてはほんと申し訳なくて……って先生?」

「はい。あの素晴らしい強さと精神性に敬意を込めて先生と呼ばせてもらおうかと」

「リーゼさんのことだよね?」

「リーゼはリーゼですよ? 先生じゃありません。あ、もちろんご本人に先生と呼んでいいか許可は取ってあります。快く頷いてくれました」

「そっか。ふーん……頷いてくれたんだ……」

「ゆんゆん?」

 

「あの人の弟子は私なんだけどな……」

 

 ぽつり、と無意識のうちにゆんゆんの口から漏れ出た言葉。

 自分でも意味を理解していない、独占欲と呼ぶにはあまりにも幼く微笑ましい感情の発露。

 それを見逃すアイリスではない。

 

「もしかして、もしかしてそうなんですか? ゆんゆん、()()()()()()なんですか!?」

「いきなりどうしたの!?」

「恋です!」

「えっ」

「ゆんゆんは先生に恋をしているんですよね!? 師弟愛を超えた淡くて暖かくて切なくて甘酸っぱい感情を抱いているんですよね!? だからぽっと出の私に嫉妬してるんですよね!?」

 

 目をキラキラと輝かせてふんすふんすと息荒くゆんゆんに詰め寄るアイリスは、年頃の乙女らしく恋愛話が大好きだった。それが友達のこととなれば猶の事。

 レインは見事に爆死してしまったが、ゆんゆんなら脈がある。王女の恋愛部分を司る直感がそう告げていたのだ。

 ちなみにこの直感が役に立った事は今までに一度もない。あなたに呼び出されたレインに朝まで帰ってこなくて大丈夫と笑顔でゴーサインを出したくらいのガバガバさである。

 

「でも大丈夫です、私は先生の強さを尊敬しているだけで恋愛感情は一切ありませんから! 年齢が倍くらい離れてますし、私の好みは普段はだらしないけど私に優しくて甘やかしてくれてやる時はやる感じのちょっとだけ年上のかっこいい男性なので! だから友達としてゆんゆんの恋路を全力で応援しますしむしろお手伝いしたいです是非お手伝いさせてください!」

「ちょっと待って、ほんと待って。そういうのじゃないから落ち着いて。お願いだから。アイリスちゃんが期待してるようなことは何にも無いから」

「かーらーのー?」

 

 アイリスのウザ絡みにゆんゆんは少しだけイラッとした。

 

「アイリスちゃん、そういうのどこで覚えてくるの? ともかく、あの人は私にとって保護者っていうかほら、お兄さんみたいな感じだから。お兄さんっていっても実の兄じゃなくて近所のお兄さん的な意味でね? ここすっごく大事」

 

 最後のくだりだけゆんゆんは真剣で必死だった。

 誇張抜きで命にかかわる問題だからなのは言うまでも無い。

 

「大体私はいつも子供扱いされてるし、眼中にすら無いよ。それにあの人はちゃんと好きな人……いや、そういう意味で好きなのかは正直分からないけど、とっても大事に想い合ってる人がいるんだから」

「今大事なのはゆんゆんの感情であって先生の感情ではないと思います。結ばれない理由を他者に求めるのであれば、それは自分の本当の感情に気が付いてないだけかもしれませんよ?」

 

 一理ある、と言えなくもない。

 ゆんゆんは他人事のように判断した。

 

「そうかなあ……でも私、まだ恋とか全然分かんないし、手を繋いでもこれっぽっちも意識とかしなかったし……確かに一番親密な男の人ではあるけど……」

「じゃあこうしましょう。目を瞑って、頭の中でゆんゆんと先生が恋人同士になっている姿を想像してみてください」

「…………」

 

 場の雰囲気に流されて言われるままに想像するも、すぐに苦笑いを浮かべる。

 聡明な紅魔族の頭脳をフル回転させたが、ゆんゆんには強くなってから出直してこいと袖にされる未来しか見えなかったのだ。

 真っ先に戦闘力を問題点に挙げるあたり、自身の師匠のことをとてもよく理解していた。

 

「ごめんアイリスちゃん、やっぱり無理っぽい。自覚は無いけどやっぱり異性として見てないんだと思うよ。お互いにね」

「でもゆんゆんは先生と一緒に冒険者をやっているのですよね? 若い男女が、二人で。ならラッキースケベが起きたこともあるはずですよね? ちょっとエッチなハプニングで異性を意識しちゃったことがありますよね? 私は本で読んだから詳しいのです!」

「え、えぇ……? ラッキースケベって、よりにもよって私達にそんなのあるわけが……ハッ!?」

 

 唐突に、ゆんゆんにかつての記憶が蘇る。

 別にラッキースケベではないが、それ以上に致命的な記憶が。

 

「ありましたか!? やっぱりラッキースケベで先生にずっきゅんラブなんですね!?」

「がぁアあああああaあああああああ!! おアアアアアあああああああああああああ!!!!!」

 

 アイリスの声は届かない。それどころではない。

 確かに異性として意識していた。それも思いっきり。言い訳ができないくらいに。

 ただ忘れていただけ。むしろ永遠に忘れていたかった。何故思い出してしまったのか。

 

 ウィズの目の前であなたの子供が欲しい、愛人でもいい宣言。

 紅魔族随一のドスケべ作家であるあるえが書いた英雄譚と称した願望ダダ漏れのえっち小説。

 作中の仲睦まじい師弟にして夫婦の情熱的なキス。おっぱい。その他諸々のダダ甘なイチャイチャラブラブ。

 

 誤解と勘違いで盛大にやらかしてしまった悶死級の失敗、そしてそれに伴ってあるえの小説の中身、つまりゆんゆんとあなたのあれこれを頭の中で鮮明に思い浮かべてしまい、羞恥のあまり雄叫びをあげてガンガンと頭を壁に打ち付けるゆんゆん。

 行為としてはベッドの上で転げて悶えるそれに近い。

 ある意味健全に思春期をやっていたが、傍で見ていたアイリスは突然の奇行に声をかけることも出来ずにドン引きすると同時にこれが紅魔族、アクシズ教徒に匹敵すると言われる部族……と戦慄していた。

 

 しばらくしてひとしきり感情を吐き出して落ち着いたのか、ゆんゆんは何事も無かったかのように、にっこりと微笑んでアイリスにこう言った。

 

「何もなかったよ? だからこの話は終わりにしよう?」

「は、はい、分かりました」

 

 心優しいアイリスはこの件に触れないことにした。

 壁に頭をぶつけながら「あるえ」なる人物に呪詛を吐き続けるゆんゆんが、一切の光を灯さぬ紅瞳がとても怖かったのだ。

 

 

 

 

 

 

「というわけで、あなたが仰っていた通り、スラムに魔王軍の痕跡が残されていたことが判明しましたわ」

 

 ゆんゆんと王女アイリスが年頃の乙女らしく楽しい恋愛話に花を咲かせていたちょうどその頃、あなたはホテルの自室でリーゼと顔を突き合わせていた。

 ダーインスレイヴを使ってスラムで暴れていた際、あなたが偶然に遭遇して殺害した魔王軍の手先。

 この件について聞かされたリーゼは、自分の家の家臣にスラムを調査させていたのだという。

 あなたが場所を覚えていなかったせいで少しばかり時間がかかってしまったが、無事に痕跡を発見できたらしい。

 

 それはいいのだが、何故自分に教えに来たのだろう、とあなたは不思議に思った。

 何やら小難しい文章が長々と書かれている報告書の写しを見せられてもちんぷんかんぷんである。

 

「勿論この国の上の方にも知らせは出してますわよ? あなたは第一発見者ですし、この国に何が起きているのか知らせる必要があると判断しました」

 

 なるほど、と目線で続きを促す。

 

「具体的な話をしますと、大会期間中に相手が何かやってくることは分かりましたが、何をやってくるかは分からないということが分かりました。ぶっちゃけお手上げですわね」

 

 報告書の束は、リーゼの魔法によって灰の一欠けらも残さず一瞬で燃え尽きた。

 

「恐らくあなたが殺した手先は下っ端だったのでしょう。残念ながら本当に必要最低限の情報しか攫えませんでしたわ」

 

 魔王領から遠く海を隔てたこの国まで魔の手が伸びている事から分かるように、人類はこと情報戦、諜報戦において魔王軍に後塵を拝している。それも圧倒的に。

 変身能力を持つ魔物や魔族、悪魔崇拝者、寝返った裏切り者など、人類側に潜む獅子身中の虫は枚挙に暇が無い。よくもまあこのような控えめに言ってクソな状況下で長年に渡って拮抗状態を作り出せているものだと感心させられるほどだ。

 

「繰り返しますが、何かが起きるのは間違いないのです。ゆえに事が起こる前兆があれば、あなたに参戦を要請するやもしれません。くれぐれもそのつもりでいてくださいまし。無論わたくしも戦いますので」

 

 特に断る理由も無いあなたは頷いておいた。

 せっかく楽しんでいる大会をぶち壊しにされたくなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 だがしかし、団体戦決勝トーナメントの準決勝。

 当然のように勝ち上がってきたエチゴノチリメンドンヤチームの試合において。

 あなたが楽しんでいた大会は見事にぶち壊しになってしまった。

 

「大変申し訳ないのですが、今日はちょっと、皆さんに死んでもらおうと思います」

 

 イブキと名乗った、この国の勇者にして、裏切り者のニホンジンによって。

 

「突然ですが僕は魔王軍に寝返りました。この世界において本当に正しいのは貴方達人類ではなく、魔王軍だと確信したからです。理解も納得も不要ですが、別に魔王軍が正義だとか人類が悪だとか言っているわけではないので、そこだけは勘違いしないでほしいと思います。人類に不当な扱いを受けたり迫害されたわけでもありません。むしろ大変よくしていただきました。ありがとうございます」

 

 これは何かの余興なのではないか。

 辛うじて漂っていたそんな雰囲気を一蹴する、これ以上ない決別の言葉に、会場はしん、と静まり返った。

 静寂に満ちた舞台の上で勇者は一人喋り続け、あなたは神器を持っているならもったいぶらずに早く出せと心の中で強く念じ続ける。

 

「この亀裂の先は魔界、皆さんには地獄って呼んだ方が通りがいいですかね? とにかく、そういう悪魔の世界に繋がっています。数分もしないうちに悪魔の軍勢が流れ込んでくるでしょう」

 

 死にたくないならさっさと逃げろと言わんばかりの内容だが、そう上手くはいかないらしい。

 

「頭上を見てみてください」

 

 会場には屋根がない。そういう建物だ。

 そして、つい先ほどまで広がっていた抜けるような夏の青空は、今や毒々しい赤紫色の幕で覆われていた。

 

「この会場を丸ごと結界で封じました。テレポートと非殺傷結界を封じる機能も付いているのでそのつもりで。本来なら会場ごと地獄に送り、そこで確実に死んでもらう予定だったんですが、ちょっと不幸な事故が起きて少しだけ作戦変更となった次第です」

 

 あなたは直感した。

 彼が言う不幸な事故とは自分がスラムで魔王軍の手先を偶然殺した事だ、と。

 きっとあの魔族は何かしらの術式を構築する起点の一つだったのだ。魔王軍幹部が魔王城の結界を維持しているのと同じように。

 

「結界の効力は24時間。つまり皆さんはその間、このあまり広くもないフィールドの中で、押し寄せる悪魔の軍勢と戦い続けてもらうことになります。仮に結界が破られたところで、悪魔が帝都に溢れかえるだけですが……とまあこんなところですかね」

 

 会場は数万人の非戦闘員で溢れかえっている。

 とてもではないが巻き添えを起こさずに大規模戦闘を行える環境ではない。そして悪魔側は好き放題に戦える。

 つまるところ、死刑宣告を別の形に言い換えただけだ。

 

「何故僕がべらべらとこんなことを説明していたのか疑問に思っている方もいらっしゃるでしょう。これは悪感情を味わいたい悪魔からの悪趣味な注文です。わけも分からず混乱の中で死んでいくより、最初に僕が全部説明して現実を理解させておいた方が貴方たちがより深く絶望するだろうから、とのことで。別に僕の意向ではありませんので悪しからず」

 

 あなたが最も知る悪魔とはお隣さんことバニルだ。

 彼は好みの悪感情の関係で、悪魔としての高い格にもかかわらず、いっそそこらへんの人間より無害ですらあるのだが、全ての悪魔が彼と同じなわけではない。あなたも依頼や王都防衛戦で人に仇なす邪悪な悪魔を抹殺したことがある。

 無数の悪魔が会場に、そして帝都に溢れかえった時、どんなことが起きるのかは想像に難くない。

 

 張り詰めた緊張の糸が途切れたのか、どこかで誰かが悲鳴をあげた。

 悲鳴を皮切りにして、時が動き出したかのように観衆の多くが席を立って出口の方へ殺到していく。その表情に恐怖を貼り付けて。

 静止を求めるスタッフの声は容易くかき消され、会場が修羅場の様相を呈す中、あなたもまた混乱に紛れるように席を立ち、その場から姿を眩ませることにした。

 全ては己が目的を果たすために。

 

「民を護るべき勇者でありながら魔王軍に与する大罪、最早捨て置くわけにはいきません! 世のため人のため、チリメンドンヤの孫娘が貴方に天誅を下します! 覚悟しなさいこの悪党め!」

 

 姿を消す直前に聞こえてきたマスクドイリスの声に、少しだけ足を早めながら。

 

 

 

 

 

 

 舞台に上がったアイリスの凛々しい啖呵は、混乱に陥った民衆の恐慌を一時的にでも鎮める効果を発揮した。

 誰よりも前に立って戦うベルゼルグの王族であれば誰もが生まれ持っている、スキルではない、カリスマという名の才能。

 素性を隠しても隠し切れない魂の輝きは、危機において遺憾なく発揮される。

 

「へえ、やるもんだ」

 

 我先にと逃げ出そうとしていた者たちの視線も、今だけはアイリスに釘付けになっている。

 希望、期待、懇願。

 闇の中で足掻く無数の人間の感情を一身に背負い、それでも小さな王女は怯むことなく毅然と立つ。

 まさしく人々を導く英雄に足る姿を見せられ、伊吹は感嘆の声をあげた。

 

「そういう君はどこの国のお姫様なのかな。僕が今まで見てきた貴族の女の子とは随分と毛色が違っているけど」

「……は? はあっ!? マスクドイリスはチリメンドンヤの孫娘です! 断じて姫などではありません! 止めてくれませんかそういうのは!」

 

 身バレの危機に挙動不審に陥るマスクドイリス。

 全身を輝かせていたカリスマは一瞬で霧散し、民衆の目が絶望に沈む。

 相棒を追ってきたバケツガールも、なんとも言えない微妙な雰囲気を発していた。

 控え室にいた二人は騒ぎを聞きつけ舞台に上がったのだが、今なら別に素顔でも良かったのでは? とゆんゆんは考えていたりする。

 

「越後のちりめん問屋、その孫娘と聞かされて馬鹿正直に君を商家の者だと考える日本人は殆どいないと思うよ。露骨に水戸黄門ネタだし。むしろ率先して身分をひけらかしてると思ってたんだけど」

「ミトコーモン? よく分かりませんがとりあえずあなたを口が利けなくなるようにぶっ飛ばします」

 

 今大会の続行を望み、その上で失格を望まない王女は口封じに走る事にした。

 ある意味ではポジティブに未来を見ていると言える。

 

「これは通じないのか。誰が吹き込んだか知らないけど片手落ちもいいとこだろ……っと!」

 

 弛緩した空気を切り裂くように放たれた火閃が伊吹を襲う。

 火炎魔法を圧縮して速度と貫通力を高めた高度な術式であり、こんな物を扱えるのは世界に一人しかいない。

 最初から当てるつもりの無い、牽制目的の火閃をひらりと避けた伊吹は、上の観客席から魔法で降りてきた相手に慇懃に礼をした。

 

「これはどうも、リーゼロッテ卿。ご機嫌麗しゅう」

「よくもまあやってくれやがりましたわね、このクソガキ。おふざけが過ぎましてよ」

死線(デッドライン)のリーゼロッテ。世界に冠たる魔法使いである貴女がこの場にいたことは、人々にとって無明の闇の中で煌く灯火と言えるでしょうね」

「軽々しく人の異名を呼ばないでいただける? そのスカした面を二度と見れないものに整形してさしあげましょう。あとわたくしはベルゼルグでは二番目ですわ」

「おお、怖い怖い」

 

 肩を竦めて苦笑する伊吹は、この女傑は口だけではなく本気で実行するという確信を抱いている。それが可能な人間だとも。

 

「エチゴノチリメンドンヤ、助太刀致しますわ。協力してぶちのめしますわよ」

「了解です。ご助力ありがたく」

 

 互いに頷きあうベルゼルグの主従。

 そしてリーゼロッテに続くように、大会参加者やリカシィの兵士、騎士達が、各々の武器を手に舞台を囲み始める。

 戦うために。悪意に抗うために。あるいは大切なものを護るために。

 

「――――出迎えご苦労、人間ども」

 

 だが、人間の戦意が高まったタイミングを見計らったかのように、それは亀裂から姿を現した。

 

 魔の者である証の青い肌。

 天に唾吐く金の双角。

 紅魔族のものとは異なる、禍々しい赤の瞳。

 光を拒む漆黒のローブ。

 

 いかにも人間が想像する魔王といった風貌の男は、見た目を裏切ることなく尋常ではない魔力と重圧を放っている。

 男の姿を認め、伊吹は意外そうな声を出した。

 

「あれ? 貴方お一人ですか?」

「配下はすぐそこで号令待ちだ。閣下に倣って少しばかり一人で遊ばせてもらおうと思ってな。折角の祭なのだ。一息に終わらせてしまってはつまらんだろう?」

「日本人こそ僕しかいませんが、それでも何人か強い人がいますし、多分死んじゃうと思いますけど」

「所詮は殺戮の前の余興に過ぎん。せいぜい我の残機を一つ減らしたことを褒め称えてやるとするさ」

 

 加速度的に重くなっていく空気に、リーゼロッテは小さく舌打ちした。

 眼前の敵が爵位持ちの高位悪魔だと瞬時に理解したが故に。

 

 それでも自分なら一対一でも勝てない相手ではない。アイリスがいれば確実に勝てる相手だ。

 だが決して侮っていい相手でもない。恐らくアイリスと自分は24時間の間、この悪魔にかかりきりになるだろう。

 悪魔は残機持ち。一度殺しても平然とここに戻ってくる。そして敵はこの悪魔だけではない。

 

 自分達ベルゼルグ関係者の戦闘力。リカシィ関係者の戦闘力。参加者の戦闘力。指揮個体とそこから想定される悪魔の総戦力。無補給で増援のあても無く非戦闘員を護りながら24時間戦い続ける必要があるという最悪の状況。

 これらを可能な限り客観的に計算し、若い頃は紅蓮姫と、年を経て経験を積み重ねた現在は死線(デッドライン)の異名で呼ばれる魔法使いは瞬時に冷徹な回答を導き出した。

 伊吹は完璧に彼我の戦力差を把握した上で事を起こしている、と。

 

(分かってはいましたが、たとえ明日まで生き残っても、夥しい数の犠牲者が出ますわね。最低でも九割が死ぬでしょう。戦える者も、そうでない者も)

 

 人類からしてみれば極めて遺憾で業腹な話だが、魔王軍との戦いはいつだって後手後手だ。

 今回とて、魔王軍が暗躍している事はリカシィ側にも周知されていたわけだが、編成された対魔王軍用の警備や防衛戦力の情報を知る者の中には、当然この国の勇者である伊吹の存在もあった。

 全ての情報は最初から相手に筒抜けであり、イニシアチブは常にあちらの手にある。

 

 特に最悪なのは、試合直前だったせいでアイリスの手にエクスカリバーが無いことだ。是が非でもどこかで取りに行かせる必要がある。

 一人でも多くの民を生き残らせるために。

 

 ……ただし、一つだけ。

 窮地に立たされた人類側にもたった一つだけ。

 

 伊吹すら想定していないであろう、不確定要素(ジョーカー)がこの会場に存在していることを、リーゼロッテは知っている。

 それも、歴戦の大魔法使いをして、アレを適当に突っ込ませて自分が取りこぼしを処理すれば、もうそれだけでケリが付くのでは? 犠牲者ゼロで完勝するのでは? などという、あまりにも滑稽で身も蓋もない考えが真剣に浮かんでくる、常軌を逸した特級戦力が。

 

 問題があるとすれば、その異名に違わず本人が自由すぎるところ。

 実はリーゼロッテとバケツガールは先ほどからそれとなく探しているのだが、どこを見回しても肝心の本人の姿がどこにも見当たらなかった。

 客席からも忽然と姿を消している。

 

(ファック!!)

 

 リーゼロッテは心の中でそっとキレた。

 

「では早速始めようか。人間どもよ、せいぜい明日まで生き足掻いてみせろ。そして……全ての抵抗は儚く虚しい徒労に過ぎぬのだと、絶望のうちに知るがいい!!」

 

 アレに限って臆病風に吹かれたというのはまず有り得ないが、それはそれとして後で絶対に女装させよう。

 目の前の悪魔を焼き殺すべく魔力を高め始めたリーゼロッテは、強く固く心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 そうして、覚悟を決めた全ての戦士たちが、その覚悟を嗤う悪魔が。

 互いの命をかけてぶつかり合わんとした、まさにその瞬間。

 

 選手が舞台に上がる入り口、鋼鉄製の大扉が。

 耳をつんざく轟音と共に粉々に弾け飛ぶ。

 

 限界まで張り詰められた弓のような緊張感が走る中、それは来た。

 

 通路の向こうから響き渡るのは、あらゆる感情の枷から解き放たれた、聞けば怖気を感じずにはいられない、喜悦に狂ったざらつく笑い声。

 現れたのは金字で複雑な魔法陣が刻まれた漆黒の鞘に収まった長剣を携えた、異様な風体の男。

 深緑色の外套で全身を覆い隠した盗賊職のような軽装。ただしその頭部だけがどす黒い血で染まったボロボロの包帯で完全に覆い隠されている。

 包帯の向こう側に垣間見える双眸は狂気に沈み、どこまでも歪な弧を描いていた。

 

 この緊迫した場面をまるで理解出来ていないかのごとき振る舞い。

 明らかに狂を発していると、()()()()()を除き、悪魔を含めた誰もが考える中、インタビュアーが呟いた小さな畏怖の声を、手元の拡声器が拾う。

 

「だ、ダーインスレイヴ……嘘でしょ……!?」

 

 虫も殺さぬ顔の持ち主である彼女はその実トリフのスラムの支配者の一人、アサシンギルドの首領だった。

 つまり先日のダーインスレイヴの乱の被害者の一人である。

 彼女の素性を知る者は殆どおらずとも、その真に迫った声は、いとも容易く彼女の言が真実であると受け入れられた。

 

 禁忌と共に語られる忌み名に、これまでのどこか現実感を喪失したものとは違う、実を伴った怯臆が広がっていく。

 

 裏切りの勇者。

 強大な悪魔とその配下の軍勢。

 血塗られた魔剣の主。

 

 かくして最後の演者が舞台に上がった。

 正義も大義も仁義も持たず、己が心の赴くまま、ただ我欲を満たさんと欲す、それだけのために。

 

「ダーインスレイヴというと、あのダーインスレイヴか? ハハハハハッ、そいつはいい! 今日は素晴らしい日だ! ……おい貴様、その剣を我に寄越せ。偽物であれば苦と惨と悲をからめて貴様を殺す。だが本物であれば褒美として貴様の命だけは助けてや」

 

 ごとり、と。

 鈍い音を立てて、悪魔の首が地面に転がった。何の前触れも無く。

 数呼吸の間の後、思い出したかのようにバラバラに崩れ落ちる悪魔の体。

 

 辛うじて何が起きたのかを理解出来たのは、アイリスとリーゼロッテとゆんゆん、そして伊吹の四名のみ。

 

 刹那の間に高位悪魔を惨殺したもの、それは魔剣から放たれた神速の六連撃。

 ひとたび鞘から解き放たれれば、血を見るまで決して納まることはない。

 そう恐れられる魔剣は、逸話に恥じることなく一つの命を絶ってみせた。

 雑草を刈るように、あっさりと、無慈悲に、無感情に、無感動に。

 

 ぶちまけられた悪魔の青い血が静寂の舞台を毒々しく染め上げる。

 物言わぬ肉の塊となった悪魔を見下ろすのは、一瞬のうちに舞台に移動していた魔剣の主の絶対零度の瞳。

 ぐしゃり、と水っぽい音を鳴らし、悪魔の頭は踏み潰された。

 

「……いや、いやいやいや、ちょっと待っ」

 

 返す刀で切り捨てられる伊吹の姿に、そこかしこで悲鳴があがる。

 離反したとはいえ、彼はこの国の勇者だった人間だ。

 敵であることを頭では受け入れられても、感情が受け入れられるかは別の話。彼は今日というその日まで、理想的な勇者であり続けたのだから。

 それが目の前で惨殺されてしまっては心穏やかではいられないのは当たり前。

 

 ……なのだが、伊吹は五体満足のままだった。

 瀕死の状態で全身を痙攣させているが、辛うじて生きてはいる。

 

 いつの間にか、ざらついた笑い声は聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 悪魔には残機という命のストックがある。

 残機があるということは、殺してもいいということだ。

 そんな悪魔の軍勢がやってくる。人間を殺すために。

 あなたにとって、これはジェノサイドパーティー開催のチャンスに他ならない。脳内妄想の女神エリスも満面の笑顔で言っている。悪魔を殺せと。これは絶対的に正しい事であり、正義はあなたにあるのだと。

 殺人数の世界記録保持者であるあなたは、キルスコアが増えるたびに冒険者ギルド本部からどこで誰を殺したのか取調べを受ける。これは非常にめんどくさい。

 しかし悪魔は残機をゼロにしないと冒険者カードの殺害欄に記載されないので、もはやあなたの独擅場。殺りたい放題のエンジョイタイムである。

 

 神器チャンスに加えてジェノサイドパーティーまで斡旋してくれるとは、ニホンジンとはなんと思いやりと自己犠牲の精神に溢れた素晴らしい民族なのだろう。なんなら事が終わった後に助命嘆願をしてやってもいい。

 

 ……といった具合に最高にテンションが上がったあなたは意気揚々と乗り込んだというのに、無粋な悪魔のせいで台無しになってしまった。

 あなたはダーインスレイヴを要求してきた悪魔の死体を足蹴にして唾を吐く。

 コレクターからコレクションを奪おうとするなど許される話ではない。そんな愚か者は死ぬべきだ。

 せめて冬将軍のように交換を申し出ろという話である。殺していい相手なので当然奪ってから殺すが。

 

 悪魔の死体をしっかり焼却して片付けたあなたは、次にみねうちで半殺しにしたイブキの所持品検査という名の半死体漁りを始めた。

 どうか神器を選んだニホンジンでありますように、と女神アクアと女神エリスに祈りながら。

 

《――むむっ! 高位悪魔をぶち殺した素晴らしい戦士が私に祈りを捧げている気配を感じます! 分かりました、どうやら異教徒のようですがその功績と稀に見る清らかで真摯な祈りに免じて今回だけの特別サービスですよ? 私の幸運の加護よ、祈っている人に届けー!》

 

 何か電波が聞こえたような気がする。

 

 

 

 ――あなたに幸運な日が訪れた!

 

 

 

 ★《転生者カウンター》

 ★《万里靴》

 

 果たして、敬虔な信仰者の真摯にして無垢なる祈りは確かに天に届いた。

 なんと勇者イブキは二つも神器を所持していたのだ。

 もはや青天井と化したテンションからワァオー、という声が自然と漏れ出たあなたの心に祝福の鐘が鳴り響く。今なら生身で空だって飛べる気がした。

 勝者として当然の権利なので、神器はどちらも回収しておく。何やら偉そうな悪魔を殺したのだから誰にも文句は言わせない。

 ダブル神器とジェノサイドパーティーのコラボレーションにより、今のあなたはもはや無敵モードに突入している。精神的な意味で。

 

 ちなみにあなたがイブキを抹殺しなかったのは、仕事の外で殺人数を増やして冒険者ギルドに説明を求められるのを嫌がったというのもあるが、何より彼はこの国の勇者、つまり英雄にしてアイドル的存在との事なので、皇帝を含め多くの観衆が見守る中で惨殺してしまうと禍根を残してしまうかもしれない。そう考えたのだ。

 たとえ彼が人類に反旗を翻してしまったのだとしても、そう簡単に受け入れられるものではないだろう。

 一応魔王軍に洗脳されている可能性もゼロではない。ほぼその線は無いだろうとあなたは思っているが。

 

 ついでにダーインスレイヴを使っているのは他にちょうどいい武器を持っていなかったからだ。

 リーゼの警告を受けておきながら、不覚にも遥かな蒼空に浮かぶ雲は宿に置いてきたまま。

 愛剣はみねうちを嫌っているし色々な意味で極上の危険物。あまり表沙汰にしたくない。

 ホーリーランスは最後の手段。サキュバスの群れをしばき倒した時のように他の選択肢が無いならまだしも、今はそうではない。

 

 というわけで、あなたは自分を使ってほしいとアピールしてきたダーインスレイヴの使用に踏み切ったわけである。

 悪魔を殺す時にダーインスレイヴの固有スキルが発動したので、少しだけ彼女を選んだ事を後悔していたりするが。

 

《――!?》

 

 えっ、なんでですか!? と言わんばかりの困惑の感情がダーインスレイヴから伝わってきた。

 スキルを放った瞬間、あなたの脳裏に浮かんだ名前は六連流星。

 恐らくは担い手の潜在能力を瞬間的に最大まで引き上げることで歴代の担い手達の技を再現し、神速の六連撃を放つ必殺技なのだろう。

 王女アイリスの必殺技、セイクリッド・エクスプロードに匹敵する強力無比なスキルである事は疑いようもない。はっきり言ってあなたが同じ速度で六回攻撃するより遥かに強かった。何かしらの補正がかかっていると考えられる。

 だがあなたはスキルが自動で体を動かすという未知の感覚がどうにも苦手なのだ。生理的に受け入れられないと言い換えてもいい。

 ゆえに修行して自力で使えるようになるまで、このスキルについては使用禁止を言い含めておいた。

 

 しょんぼりしたダーインスレイヴから同意を得られたので、今度は神器回収の過程でパンツ一丁になったイブキをロープで縛り上げる。

 最近本で学んだ亀甲縛りなる縛り方にチャレンジしてみよう。

 

「ちょっと、ヘイちょっと。そこのやりたい放題やってるお排泄物自由なジェントルマン。一人でイイ空気吸ってないでそろそろこっちを見なさいな。あとそこの縛り方はそうじゃありませんわよ」

 

 リーゼが声をかけてきた。

 彼女はダーインスレイヴの主があなただと知っている。

 まさか誰何が目的ではないだろう。何の用だろうか。

 

「何の用じゃありませんわよ。見てみなさい周りを。どうしてくれますのこの空気」

「でもほら、なんか助かった感じですし……ね?」

「ね? じゃありませんわよ。まだこれっぽっちも終わってねーですのよ。つーか誰かツッコミ役代わってくださる? 心底あっち側に交ざりてーですわマジで。え、ダメ? 高位貴族としての役目を果たせ? ……クソわよッ!!」

 

 状況を上手く飲み込めていない様子のマスクドイリスと半ギレのリーゼの様子に、ここであなたはようやく周囲が水を打ったように静まり返っていること、そして会場中の視線が自分に集まっていることに気がついた。神器の回収に夢中になりすぎていたようだ。

 万単位の人間から一挙手一投足を注視されていることに居心地の悪さを覚えつつ、あなたは気を取り直して口を開く。

 努めて穏やかな口調で、悪魔の恐怖に囚われているであろう人々を安心させるように。

 悪魔を恐れる必要は無い。自分は正しいことをするために馳せ参じた、と。

 

「それ絶対嘘ですよね!? あと今一番みんなが怖いと思ってるのは確実にあなたですからね!?」

 

 リーゼと同じくあなたの正体を知っているジャスティスレッドバケツガールが、天にまで届きそうな大声で反射的に叫ぶ。

 リーゼとマスクドイリス以外の全ての人間が同意した気がした。




★《ダーインスレイヴ》

 人格を有しながらも担い手を一切選ばないという、非常に稀有な神器。
 これは「所有者を選ぶような武具はそれだけで3流」という製作者のポリシーによるもの。
 使い勝手を重視するドワーフの鍛冶師であり、治癒と潜在能力の引き出しというシンプルながら非常に強力なエンチャントを彼女に施した。

 血塗られた魔剣という風評に反し、剣に宿った人格は真面目かつ献身的で包容力のある世話焼き聖剣タイプ。
 担い手がどれだけその強大な力に呑まれて堕ちようとも、決して彼女だけは主を見捨てない。見捨てられない。そういう武器として望まれた、生まれながらの在り方、剣としての根幹であるがゆえに。
 だがその気質こそが数々の悲劇を引き起こした原因の一つでもある。

 実は初登場の時点では諦観と自己嫌悪で半分くらい心が死んでガンバリマスロボ化したゆんゆんばりのレイプ目状態になっていたのだが、廃人という本当の意味で自分を使いこなせる力量を持ち、なおかつ力に呑まれない精神的超人が担い手になり、凄い……こんな理想的な男の人に使ってもらうの、私生まれて初めて……! と即落ちエヘ顔ダブルピースをキメて一発で浄化された。

 固有スキルは六連流星。
 瞬間的に身体能力を最大まで引き上げて放たれる、神速の六連撃。
 使用者に応じて形を変える変幻自在の絶技であり、単体相手の威力ならエクスカリバーの必殺技、セイクリッド・エクスプロードすら上回るという、間違いなく世界最強の攻撃スキルの一つ。
 欠点は使用者への負荷が大きすぎることだが、治癒能力である程度はカバーが可能。
 元はダーインスレイヴ自身が主のために編み出したスキルだったのだが、皮肉にも歴代の所有者が力に溺れる原因の一つとなってしまった。

 現在の担い手は六連流星を完全な形かつ一切の負担無しで使用可能。
 ただの六連撃とは一線を画す威力には感服したものの、スキルが体を動かす感覚が好みではないらしく、ダーインスレイヴをやきもきさせている。

 好きなものは自分を使いこなせる担い手。
 苦手なものはエクスカリバーのような人々に尊敬される聖剣。
 嫌いなものは図らずとも担い手を破滅させ、罪無き人々を殺めてきた自分自身。

 最近の悩みは担い手の愛剣からの風当たりがやたらと強いこと。
 魔剣の忌み名と謗りは甘んじて受け入れるが、淫乱尻軽クソビッチと呼んでくるのだけは本気で止めてほしいと思っている。

 出典:らんだむダンジョン

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