このすば*Elona   作:hasebe

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第111話 巡り廻る

 旅は続く。

 

 ある時は小さな村を脅かすモンスターを退治して感謝されたり。

 ある時は近場の小規模ダンジョンの中で見つかる鉱石と薬草の採掘を依頼されたり。

 またある時は森に迷い込んだ子供の捜索を手伝ったりもした。

 

 大きな成功も大きな失敗もなければ、船旅やレーヌの時のような出会いや事件も起きない、観光旅行と言っても誰も否定しないであろう、とても穏やかで平和な旅路。

 人によっては少しばかり退屈を感じさせなくもないそれは、しかしゆんゆんにとっては全く違う意味合いを持っていた。

 

 小さな村落で生まれ育った少女が初めて経験する、海の向こうの知らない世界。

 見聞きするもの、体験するもの全てが彼女にとっては新鮮で、得難くて、どうしようもなく尊いものだった。

 何よりも、今の彼女にはどれだけ願っても得られなかったものがある。

 あなたという、いつも自分の隣にいて、感動や喜びを共にしてくれる友達のことだ。

 

 次の場所ではどんなものが自分を待っているのか。何が起きるのか。友達と一緒に、どんなものを見ることができるのか。どんな経験ができるのか。

 期待と興奮に目を輝かせて全身で旅を楽しむ少女の姿は、ここにいないウィズが見れば羨望を抱かせ、あなたに若干の懐古を抱かせるものだった。

 

 これは、そんなあなた達の旅路の中、いよいよ帝都トリフに辿り着く時が迫ってきた日の話である。

 

 

 

 ■

 

 

 

 抜けるような青空の下、光を纏った短剣と大太刀がぶつかり合う。

 瞬きの間に三度の激突を経て、小さな火花を散らす二つの武器は、甲高い金属音を奏でた。

 

「知ってました、けど……ほんと……強い、ですよね……っ!!」

 

 強い力が篭められたゆんゆんの両腕と短剣の切っ先が小さく震えているのに対し、あなたが無造作に盾にした大太刀は微動だにしない。

 あなたは片手しか使っていない上に手加減しているが、それでもなお大きな膂力の開きがあることの証左だ。

 返答代わりに力を篭めれば、最初から負けが決まっている力比べを嫌ったアークウィザードの少女は、弾けるような勢いで真後ろに大きく飛び退いた。

 

「ライトニング!!」

 

 着地の隙を狩ろうと一歩踏み出したあなたの頭に向けて放たれる、一条の雷光。

 たとえ無視して突破してもあなたに痛打を与えるには至らないが、それでは今回の訓練の趣旨に沿わない。

 ゆえにあなたは無視ではなく迎撃を選択する。

 雷属性付与(エンチャント・サンダー)を発動。

 牽制目的で放たれた、しかしゆんゆんと同格の相手には間違いなく通用するであろう魔法を、雷を纏わせた刃の切っ先に当てれば、二つの雷撃は音も無く霧散した。力量が拮抗した魔法使いの戦いでごくごく稀に発生することが知られている、同一威力の魔法がかちあった時に起きる相殺現象である。

 あなたにウィズのような目を疑いたくなる相殺合戦は逆立ちしたって不可能だ。幾ら廃人でも出来ることと出来ないことがある。今のも魔法を逸らそうとして発生した、偶然の産物に過ぎない。

 しかしゆんゆんはそうは思わなかったようだ。

 

「あの! ちょっと本気で聞きたいんですけど! 今のそれって本当にレベル40の人がやれるんですか!? とりあえず私には絶対に不可能ですよ!!」

 

 抗議の声を無視するように無言で平原を縦横無尽に疾駆する黒い影、もといゆんゆんに追いすがる。

 当然本気は出していない。今のあなたは手加減をしている。具体的にはゆんゆんが言ったように、レベル40くらいまで。

 能力を低下、あるいは固定する呪いの装備でもあればよかったのだが、生憎とそんな都合のいい品は持ち合わせていないため、この世界のレベル40ならこれくらいやれるだろうと、あなたが今までの経験から判断した手加減具合になっている。

 禁止事項は攻撃魔法。頭部はいつぞやお世話になったショッキングピンクのラメ入りバケツで覆われており、視界は完全に閉ざされていた。先ほどのゆんゆんの抗議の原因の一つでもある。

 

 剣を振るいながらあなたは言う。

 勝ち目があることはゆんゆんにも理解できているはずだと。

 たとえ蜘蛛の糸のようにか細い可能性でも、ゆんゆんには勝ち目があるのだ。

 彼女もまた戦うにあたって縛りを設けているが、その条件でも死力を尽くせばギリギリで勝てるかもしれない。そういう難易度設定にしている。

 

「確かに言ってることは分かりますけど! どうしようもないとか手も足も出ないって手ごたえじゃないですけど! でも限りなくそれに近いものは感じてますからね!?」

 

 確かに今のゆんゆんを圧倒するレベル40など、尋常の手合いではない。

 それでもあなたは確かにこの世界のレベル40の戦闘力で戦っていた。

 

 自己強化魔法を使ったレベル40台のアークウィザードを圧倒できる白兵戦能力を持ち、紅魔族の中級魔法を容易く相殺する魔力と見切りを持ち、目隠しでも普通に戦えるほど気配探知と技量に長けたレベル40である。

 列挙してみればわかるだろうが、それぞれをこなせる人物はベルゼルグの王都に存在する。確かにゆんゆんは非常に優秀だが、それでも彼女はまだまだレベル40ちょっとのアークウィザードでしかないのだから。

 あなたが立ち、ゆんゆんが目指す場所は未だ遥か遠く険しい道の果てにある。

 ただこれら全てを兼ね備えた個人がベルゼルグにいるのかと問われれば、あなたはそっと目を逸らすしかない。まさしく今この瞬間、そうしているように。

 

 レベル詐欺と言ってしまえばそれまでだが、今のあなたはステータスだけならレベル40の頂点、人類の到達点、ハイエンドバケツマンなのだ。

 

 

 

 

 

 

 あなたからしてみれば当然の、しかしゆんゆんからしてみれば非常に性質の悪い話だが、どれだけ頭の悪い事を考えながら戦っていたとしても、あなたの実力が陰る事は一切ない。

 そしてただでさえ耐久力に乏しい魔法使いの少女にとって、その一挙手一投足は等しく致命に足るものであり、一瞬でも気を抜けば、即死級の攻撃が飛んでくる。

 

(確かに希望したのは私だけど! 旅の途中だけど修行をつけてください厳しくお願いしますビシビシやってくださいって頼んだのは私の方だけど! それはそれとしてきつい! ほんとに死にそう!!)

 

 今までどれほどあなたが優しかったのか、ゆんゆんは今になってようやく理解した。

 それにしたってどうして自分は魔法使いなのに白兵戦なんかに手を染めているのだろうと、本当に今更な弱音を心中で吐きながら、それでもアークウィザードの少女はバケツマン(あなた)に絶望的な戦いを挑む。

 

 先ほど自分で口にしたように、限りなくゼロに近い、しかし確かに存在する勝機を感じながら。

 

 

 

 ■

 

 

 

「…………まあ勝ち目があるからって実際に勝てるかどうかは別の話なんですけどね!!」

 

 草花のベッドに仰向けになり、あなたに組み伏せられ、のしかかられたゆんゆんがやけっぱちに叫んだ。

 いわゆるマウントポジションである。

 年若い少女を組み伏せるバケツマンの姿は完全に変質者で犯罪者のそれだが、こんなこともあろうかと街道から離れた場所を選んでいる。あなたを止める者はいない。

 ゆんゆんの頬がほんのりと朱に染まっているのは激しい運動をしたせいか、あるいは羞恥からか。

 

「……参考までに聞きたいんですけど、あなたから見て私の勝率ってどれくらいありました?」

 

 あなたは1%だと即答した。

 普通にやれば百回やって一回勝てるかどうかだと。

 本人が上級魔法のような殺傷力の高い魔法をあなたに向けることを嫌っているので、それがなければもう少し勝率は上がるだろう。

 

「ですよねー……私もそれくらいだって思いました」

 

 でも結構いい感じだったのになあ、と嘆息するゆんゆんの今日の敗因は集中力の欠如。

 彼女の名誉のために記述しておくが、ゆんゆんは即落ち2コマのような勢いであっさりと負けたわけではない。むしろ相当に善戦したと言える。

 ただなまじ善戦していたせいで勝利を意識してしまったのか、集中力が切れて動きがワンパターンになったところを一気に押し込まれて崩れた形になる。ちなみに一度もみねうちは食らわなかった。

 これが場数を踏んだベテランであれば、多少気を散らしていても十分なパフォーマンスを発揮できるのだが、ゆんゆんはそこまでの経験を積んでいない。

 彼女は本当に追い詰められた時、後が無い時は逆に覚悟が決まって真価を発揮するタイプだ。しかし精神的に余裕がある状況でプレッシャーを感じると、目に見えてパフォーマンスが落ちる。

 これはチョロいとか甘いといった人間性とは別の、彼女の明確な弱点と言えるだろう。解決方法は場数を踏んでいくしかない。

 一朝一夕でいくようなものではないのだから、勝てなかったことも含め、気に病まないようにと言い含めておく。

 

「はぁーい……」

 

 解放され立ち上がったゆんゆんに、よく頑張ったと褒め、ぽんぽんと頭を軽く撫でて髪についた草を払ってやる。

 おとなしく頭を撫でられるゆんゆんは、褒められて嬉しそうな、しかし相手がバケツマンなので何と言えばいいのか分からないような、なんとも微妙な表情を浮かべていた。

 

「ってうわあ、草まみれになってる……」

 

 全身についた雑草を落とすゆんゆんの手が、みるみるうちに緑色に染まっていく。

 それに気付いた彼女は自分の匂いを嗅ぎ、あまりの青臭さにがっくりと肩を落として嘆息した。

 

 彼女の直接の敗因、それはあなたが刈った雑草で足が滑って倒れこんだことである。

 そのせいで背中といわず、全身に草の汁がついてしまったようだ。

 

 バケツを脱いで鼻で息をしてみれば、あたり一帯に散りばめられた、刈られた草が放ち、夏の熱気と交じり合って生まれる特有の強い草の匂いがあなたの鼻を突いた。

 夏の風物詩ともいえるそれに感じ入ったあなたは、無造作に神器を横に振るう。

 

 瞬間、あなたを中心として、扇状に10メートルほどの距離にある雑草が音も無く断ち切られる。

 釣られるように吹いた強い風が、ざあっという音と共に空の青に緑色のアクセントを添えた。

 

 廃人の技量が生み出した光景ではなく、神器の力だ。

 斬鉄剣と交換という形で冬将軍から譲り受け、普段使っているこの神器は、どういうわけか()()()()という行為に非常に高い適性を持っていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ひとしきり体を動かしたあなた達は、ゆんゆんの希望で川にやってきていた。汚れて臭くなった服を洗濯したいらしい。

 今日はこの近辺で野宿すると決めていたこともあり、ゆんゆんはテントの中で着替えを終えている。

 

 川といってもアクセルの街中に流れているような、小さなものではない。

 あなたの目測では対岸までおよそ100メートル。

 今日のように流れが穏やかでなければ、橋無しで対岸まで渡るのは困難だろう。

 

 竜の河(ドラゴンズ・リバー)と名付けられているそれは、ともすれば安直と取られかねない名が示すように大陸北端の竜の谷のどこかを水源とした世界最大級の河川であり、本流は大陸を縦断するような形で大陸南端、つまり海まで続いている。

 本流だけではなく数多くの大きな支流を持っており、あなた達が今いる場所もそのうちの一つだ。

 

 トリフの歴史は竜の河の治水の歴史。

 時にそう称されるほど、この大河と国の関係は深い。

 

「ふんふんふーん」

 

 ご機嫌な様子で鼻歌を歌って洗濯に勤しむ少女を労う目的もあり、あなたは料理を行っていた。

 青空の下、綺麗な風景を眺めながら食べる料理は格別の味わいがあることだろう。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 やがて洗濯を終えて戻ってくるゆんゆん。

 ちょうどこちらも終わったところだと、あなたは出来上がったそれを披露した。

 

「……はい?」

 

 ぱちくりと目を瞬かせるゆんゆん。

 あなたが作ったのは夏みかん、ぶどう、さくらんぼ、桃などの新鮮な季節の果物をふんだんに使用した特製パフェだ。夏の暑さを考慮して、グラスの下部にはシャーベットも入っている。

 特にワインの名産地であるレーヌで仕入れたぶどうは、まさしく珠玉と呼ぶに相応しい出来栄えだった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 促されるままに容器とスプーンを受け取ったかと思うと、ゆんゆんの視線がパフェと調理器具を交互に行き来する。

 今はもう火を落としているが、先ほどまで夏の暑さに負けない熱気を放っていたバーベキューセット。

 これはあなたがイルヴァから持ち込んだ品の一つだが、この世界でも見かける普通の調理器具だ。何か気になるところがあるのだろうか。

 

「いや、気になるというか……私のいたところまで熱とか何かが焼ける音とかが届いてたので……ちょっと早い晩御飯の準備をしてるのかなって……」

 

 時刻は三時といったところだ。

 ゆんゆんの希望で今日はここをキャンプ地として修行する予定になっているが、それでも夕飯には早すぎる。

 

「あっ、私わかりました! 氷魔法を使ったんですよね? そうですよね? もー、びっくりしたじゃないですか」

 

 いきなり何を言い出すのかとあなたは笑った。当然そんなものを使っているわけがない。

 中にはそういう者がいるということは知っているが、あなたは料理に魔法を用いたりしない。

 このパフェもバーベキューセットを使って普通に作っただけだ。

 

「……も、もう一回! もう一回作ってください! 今度はずっと横で見てますから!」

 

 必死である。まるで信じたくない現実に直面したかのように必死である。

 激しい運動をしておなかが空いたせいで、頭が回っていないのかもしれない。

 おかわりが欲しかったら後で幾らでも作るので、シャーベットが溶ける前に食べてしまおうと、あなたは川辺に腰を下ろした。

 

「納得いかない……色々と凄いのは見てきたし知ってるけど、それはそれとして激しく納得いかない……どういう仕組みなんだろう……っていうか本当に食べても平気なのかな……」

 

 隣に座ったゆんゆんがぶつぶつと何かを呟いていたが、あまりにも小さなそれはあなたの耳には届かなかった。

 

 まあいいかとスプーンを口に運び、あなたはその味に満足感を抱く。

 良質の素材と廃人の技量で作られたパフェ。その出来栄えは言うまでも無く最高だ。

 具体的には癒しの女神から掛け値なしのお褒めの言葉、そしておかわりの要求が三回ほど頂けるだろう。

 

「うっわっ、何これうまっ、甘っ、すご、すっぱ、おいひっ……!!」

 

 恐る恐るパフェを口にした後、目の色を変えて黙々とスプーンを口に運び続ける紅魔族の少女。物の見事に語彙が死んでいる。ついでに女子力も。

 気に入ってくれたようなので、また作ってあげるとしよう。

 

 微笑ましい心地に浸りながら、あなたは空を見上げた。

 季節は既に真夏に差し掛かっている。肌を焼く強い日差しが目にまぶしい。

 

 ばしゃりという音に釣られるように、今度は川の流れに目を向ける。

 この流れをずっと遡った先は、あなた達の目的地である竜の谷に続いている。

 とはいえ、流石にここからではどれだけ目を凝らしたとしても、竜の谷の影すら見えない。

 旅の道のりはまだ半分以上残っている。楽しみはきっと、それ以上に。

 

 きらきらと光る水面を眺めていれば、跳ねる魚が自己主張し、あなたの目を楽しませた。

 どんぶらこ、どんぶらこ、と遠くから流れてくるそれもまた同様に。

 

「何を見てるんですか?」

 

 ゆんゆんの問いかけに、あなたは指を差すことで答えた。

 

 川幅の中ほどを流れているのは、流木に掴まっている人間だ。

 いや、空色の髪をしているそれは恐らくエルフだろう。

 よくよく観察してみれば、髪から覗かせる耳がかなり長い。

 

「…………!?」

 

 流れてくるエルフをそのまま見送るという選択肢はゆんゆんには無いだろう。

 あなたは見知らぬエルフを助ける理由を持たないが、同時に見捨てる理由も持たない。

 

 それはいいのだが、あなたはあのエルフから生気を感じ取ることができなかった。

 あなたの見立てでは恐らくエルフの命は既に尽きている。それでもゆんゆんは引き上げるつもりなのだろうか。あまり愉快ではないものを見る可能性が高いが。

 

「当たり前です!」

 

 ならばよしと、川に飛び込もうとするゆんゆんの腕を掴んで引き止め、靴と財布など、幾つかの重石になるものを脱ぎ捨てたあなたは川の流れに飛び込んだ。

 最初は釣竿を使って引き寄せようかと思ったのだが、流石にゆんゆんの前でそれはちょっと駄目だろうと、この世界で培ってきた良識がブレーキをかけたのだ。あなたに根気良く付き合ってきたウィズの垂訓の賜物である。

 

 あなたが近づいてもエルフは反応を示さなかった。

 その顔は長い髪で覆い隠されており、少しも窺うことができない。やはり死んでいるのではないだろうか。

 

 もっと近づいたところで、あなたはエルフの背中が血で染まっていることに気が付いた。

 返り血ならよかったのだが、切り刻まれた服の下には、胴体を横切るような軌跡を描いた三本の傷が刻まれている。

 下半身がくっ付いているのか疑うほどに傷は大きく、そして深い。

 

 これは駄目だ。

 今まで無数の死体を見てきた経験が、瞬時に冷徹な判断を下す。

 

 冷めた気持ちでエルフを腕に抱えれば、氷のような冷たさ、そして脱力した人体特有の重さが腕に嫌な感触を返してきた。

 流れる血液を失ってもなお重さを失っていないように感じるそれは、あなたを水底に沈めようとしているかのようだ。もしかしたら実際にアンデッドになりかけているのかもしれない。

 泳ぎが特別達者というわけでもないゆんゆんでは、川の底に引きずり込まれていた可能性が高い。

 

 なんとも厄介なことだと呆れながらも、体を放してしまわないように強くエルフを抱いて岸に向かうあなたは、ここでようやくエルフの性別を知ることになる。

 

 エルフは、女性だった。

 

 

 

 岸辺にエルフを引き上げると、背中の傷を見て絶句するゆんゆんの姿があった。

 廃人を目指すのであれば、この先死体など腐るほど見るであろう少女に、しかしあなたは何も言わず、エルフの脈を取って呼吸を確かめる。

 

「どう、ですか……?」

 

 青い顔の少女に向け、あなたは首を横に振った。

 

「っ、そう、ですか……」

 

 なんとなく分かってはいたのだろう。それでもゆんゆんは俯いてしまった。

 可愛がっている少女を目に見えて消沈させたエルフに、あなたは不愉快な感情を抱く。

 冒険者を続けていくなら人の死との遭遇は避けられることではないし、ゆんゆんがいつか人の死に慣れるのは確定事項だが、それにしたって折角の楽しい旅が台無しである。

 

 死体を辱める趣味は無いが、せめて顔の一つでも拝んでやらないと気がすまない。

 こうして死体を引き上げられた運のいい女は、いったいどこの何者だったのか。

 

 あなたはうつ伏せだったエルフを仰向けにし、顔を覆い隠す空色の髪をかき上げ、そして────

 

 

 

 ■

 

 

 

 ぴくり、と。

 エルフの指が、動いた。

 

「ぅ……」

「……え?」

「う、ぅ……」

「!?!?」

 

 驚愕に目を見開くゆんゆん。

 それもそのはず。

 重傷を負い、誰がどこからどう見ても死んでいたはずのエルフが、息を吹き返し、声を発したのだ。

 

 まさかアンデッドと化したのか。それとも最初からアンデッドだったのか。

 恐る恐るゆんゆんが心臓に手を当ててみれば、微かに、本当に微かにだが、エルフは鼓動を発していた。

 

 彼女は、生きている。

 

「い……生きてます! この人まだ生きてますよ!!」

 

 目尻に喜びの涙を浮かべ、背中の傷にポーションを使い、蘇生処置を行いながら必死に声をかけ続ける心優しい紅魔族の少女。

 

 そんなゆんゆんは、あなたの心境に全く気付いていなかった。

 共に蘇生処置を行うあなたが今、内心で頭を抱えていることにこれっぽちも気が付いていなかった。

 

 そして、ポーションを使う前から綺麗さっぱり消えていた、背中の致命傷のことにも。

 

 

 

 ■

 

 

 

 やばい。やらかした。

 現在のあなたの心境を簡潔に言葉にするとこうなる。

 

 ──仮にも冒険者やってるくせに死体の判別もできないとか、ちょっとどうなのって私は思うよ。

 

 呆れが多分に含まれた妹の言葉が聞こえる。

 しかし彼女が言葉を向けた相手はあなたではなく、ゆんゆんだ。

 

 ──まあ私はいいんだけどね。お兄ちゃんが決めたことだし。でもお兄ちゃんは本当にそれで良かったの? 癒しの手(回復魔法)はともかくとして、そっちは()()()()()()()()()()()でしょ? 

 

 あなたは苦笑いをもって答えた。

 良いか悪いかで言えば、あまり良くない。

 だがあなたの行動は反射だった。

 彼女の顔を見た瞬間、あなたは()()()()()と回復魔法を使っていたのだ。

 死んでからそれほど長い時間が経っていなかったのだろう。蘇生できたのは僥倖と言う他無い。というか魔法の効果があったことにあなたは少なからず驚きを覚えていた。

 

 ──でもなんだね、あっちもそうだったけど、こっちもほんとに似てるんだね。

 

 同意するように大きく息を吐き、あなたは遠い過去を想起する。

 

 かつて嵐の海に投げ出されて遭難したあなたを救助したのは、エレアという、こちらでいうエルフに酷似した特徴を持つ二人の男女だった。

 

 そのうちの一人、緑髪のエレアと酷似したエルフの青年と、あなたはこの世界で会ったことがある。彼もまた一癖も二癖もある性格をしていた。

 青年には尋ねなかったが、もう一人。青髪のエレアの少女と似た人物もまた同じように、この世界のどこかにいるのではないだろうか、あなたはそう思っていた。

 思ってはいたが、まさかこんなところで、それも死体となった状態で出会うとは全くの予想外である。驚きすぎてつい蘇生してしまったほどだ。

 

 このエルフが彼女本人であるはずがないのに。

 

 ──まあ、あの二人組がすくつに潜ってるなんて聞いたことないしね。潜っててもお兄ちゃん達に追いつけるわけないし。私達がこっちに来るちょっと前はエウダーナの方で色々やってたって新聞で読んだけど、今はどうしてるんだろ。

 

 あなたが最後に二人と顔を合わせたのは、今からおよそ十年ほど前のことだ。

 誰よりも優しく、美しく、気高い少女だった。

 きっと彼女は、今日もイルヴァのどこかで、誰かのために戦っているのだろう。緑色の髪を持つ、皮肉屋のエレアと共に。

 

 

 

 

「しっかりしてください! 大丈夫ですか!? 今助けますからね!!」

 

 ゆんゆんの呼び声があなたの逃避を強制的に打ち切った。

 分かっている。あなたはちょっと真面目なことを考えて現実から目を逸らしたかっただけなのだ。

 自分の早まった行いと、あとついでに先ほどから視界の端にちらちらと映っている、恐らくは天界からクリスを介さずに降りてきているのであろう、半透明な女神エリスの、非常に何かを言いたそうな視線から。




 夕闇が足元に迫った黄昏時。
 ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。

「──?」

 空色の髪が印象的な少女が足を止めて後ろを振り返ってみても、そこには誰もいない。
 自分達が歩んできた道だけが、どこまでも続いている。

「ラーネイレ、どうかしたのか?」

 唐突に立ち止まった少女に、大きな弓を背負った緑髪の青年が声をかけた。

「ごめんなさい、なんでもないわ。誰かに名前を呼ばれた気がしたのだけど……私の気のせいだったみたい」

 何を思ったのか、青年がニヤリ、と笑う。

「ふむ、確かに君の名を呼ぶ者は世界中に幾らでもいるだろう。風を聴く者の異名を持つ、世界的に有名な冒険者。何よりそれは、ヴィンデールの森を焼いた不届き者を自身の命を捨てて救った、偉大で、勇敢で、どうしようもなく悲劇的な結末を迎えたエレアの少女の名前だ」
「もうロミアス、そういう言い方は止めて。それに貴方の言う悲劇的な結末なんて起きなかったわ」
「正しくは悲劇は起きたがそれは本当の終わりではなかった、だな」
「同じようなものよ。あれは私達を元に書かれた物語の中だけの結末なのだから」

 肩をすくめる青年は一冊の古ぼけた本を取り出した。
 表紙には『Eternal League of Nefia』という題名が書かれている。

「分かっているさ。悲劇を何よりも愛する物語と違い、この世界は君のように諦めの悪い者を決して見捨てはしない。なんともありがたいことだ。そのおかげで私達はあれから長い時間が経った今も、こうして忙しい日々を送る羽目になっているわけだが」

 皮肉げに笑って本を納め、再び歩き始めた青年を少女は追う。
 世界の行く末を示すような黄昏に照らされながら、それでもなお力強い足取りで。

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