このすば*Elona   作:hasebe

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第109話 星に手を伸ばす者

 これは魔剣の勇者が単独行動を取るようになってまだ間もない時期の話だ。

 

「なあキョウヤ。お前は本気で魔王を倒すつもりなのか?」

 

 何度目になるか分からない手合わせを終え、リビングに戻ってきたところでベルディアがそう言った。

 

「勿論そのつもりです」

「そうか、まあそうだろうな」

「ベアさん達からしてみれば大言壮語も甚だしいでしょうが……」

「謙遜するな。お前は強い。確かに今は無理だろうが、このまま研鑽を重ねれば、いずれその剣は魔王にすら届くだろう」

 

 手放しの賞賛に面映そうにするキョウヤとは対照的に、ベルディアの声色は優れない。

 

「ところで、だ。これはお前の気分を著しく害すると分かっていてあえて言うんだが」

 

 がりがりと自身の頭を手で掻く面倒見のいい元魔王軍幹部のデュラハンは、心底気が進まなさそうにこう言った。

 

「可能な限り早急にフィオとクレメアをパーティーから外せ」

「お断りします」

 

 言い終える前に食い気味に答えるキョウヤの声は、鋼を思わせる冷たく硬質なものだった。

 気分を害するというベルディアの前置きそのままの結果に終わってしまったようだ。

 

 今はこの場にいないフィオとクレメア。

 何度もキョウヤをボコボコにしているベルディアはキョウヤの事が大好きな彼女達から蛇蝎の如く嫌われてこそいるものの、幾らなんでもそんな理由で解散を勧めるほどベルディアは狭量ではない。

 では何故無粋を承知でこんなことを言い始めたのか。

 

「まあ待て、少し俺の話をだな……」

「ベアさんも、二人が僕の仲間として相応しくないと、そう言いたいんですよね?」

「いや別に。相応しいとか相応しくないとかは知らん。……ああ、もしかして他の奴からそういうこと言われてるのか?」

「…………」

 

 時に沈黙は何よりの答えとなる。

 同時に言われるだろうな、とあなたは自身が知る二人の情報を振り返って納得した。

 

「そいつらの気持ちも分からんではないがな。俺が言ってるのはもっと切実な話だ。断言してやってもいいが、今のままではお前は確実に志半ばで斃れることになるぞ」

 

 まさか命に関わると言われるとは思っていなかったのか、キョウヤが目を丸くする。

 

「二人と組んでるだけで死ぬって、そんな大げさですよ」

「いいや、死ぬ。絶対にお前は死ぬ。断言してやってもいい。なあ、おい。ご主人はその理由が分かるか?」

 

 唐突にあなたに水を向けてくるベルディア。

 普段使いの武器として愛用している大太刀の神器、遥かな蒼空に浮かぶ雲を分解して手入れ中だったあなたは、少しの間黙考した後、二人に目を向けることもなく自身の予想を述べた。

 キョウヤは才能豊かで努力を欠かさない、非常に優秀な人間だ。そんじょそこらの相手に遅れを取るとは思えない。油断も慢心も捨てた今の彼が力及ばず敗死するというのであれば、それはきっと最終決戦、魔王との戦いの中、魔剣の勇者に帯同するフィオとクレメアを庇ってのものになるだろう、と。

 

 キョウヤを殺し得る者として真っ先に思い浮かぶのは冬将軍や玄武のような超級の存在だ。

 彼らと戦えば今のキョウヤであっても不可避の死が訪れる。

 しかしあなたからしてみれば非常に残念なことに、この世界の超級存在はどうにも非好戦的な傾向がある上、キョウヤがあなたのように自らを殺し得る強い相手を捜し求めるような人間でない以上、彼らと戦う理由が無いので除外。いのちだいじに。

 

 それでもなおベルディアは絶対の死を宣告した。

 あなたはこれを、キョウヤが冒険者として生きていくのであればいつか必ず立ちはだかる敵が存在するということを意味すると受け取った。

 

 そうなるとあなたの手持ちの情報の中では、必然と魔王軍に所属する何者かに絞られてくる。

 正直な話、フィオとクレメアを連れていた場合は幹部との戦闘すら危ういと思われるが、こちらも必ず戦わないといけないという相手ではない。状況によっては戦闘を回避することもできるだろう。絶死と呼ぶには首を傾げる。

 となると、残るのは魔王だ。キョウヤの目的上、首魁である魔王との戦いだけは決して避けられない。

 そしてフィオとクレメアを置いていくことも見捨てることもできない彼は二人を庇って死ぬ。

 

「…………」

 

 説明を終えて作業に戻るも、水を打ったような静けさが部屋を支配する。

 どうしたのだろうと、ここで初めて目を向けたあなたと二人の呆けた瞳が交錯した。

 

「話しかけといてなんだが、まさか本当に俺が考えることを完璧に当ててくるとは思わなかった。気持ち悪い」

 

 余計な一言を付け加えてくるペットに閉口する。

 共に過ごす者達の視点や価値観が似通っていくのは別段珍しい話ではない、むしろ自然ななりゆきとすら言える。

 まだベルディアは墜ちきっていないが、時間の問題だろう。

 全ては坂を転げ落ちる石のように。

 

「ちょっと本気で絶望したくなる話は止めろ! 俺は絶対にご主人みたいにはならんからな!!」

 

 自分はお前みたいなノースティリスの冒険者(ヒトデナシ)にはならない。

 遥か遠い昔、未熟の極みだったあなた自身が同じようなことを口にし、そして何度と無く言われてきた言葉に口角を吊り上げる。

 あなたの経験上、最初から強かったり何らかの要因で一足飛びに頂点に到達するならまだしも、一歩ずつ地道に強くなっていくのであれば、人は大なり小なり壊れていく。

 掛け替えの無い何かを削ぎ落としていきながら頂きを目指していく。そこに例外は無く、あなたはそんなやり方しか知らない。

 壊れなかった者は至らなかった者、もしくは妹のように最初から壊れている者だけだ。

 果たしていつまでベルディアが己を保っていられるのか、それはそれであなたは楽しみに思うのだった。

 

 

 

 ──結果から言うとベルディアの価値観は終末狩りでとっくに壊れていたのだが、あなたとベルディアがそれを知るのはアクセルにドラゴンが襲来するまで待つことになる。

 

 

 

 くつくつと笑うあなたに寒気を覚えたのか体を震わせ、努めてあなたを視界から外したベルディアはキョウヤに向き直った。

 

「さて、ご主人のせいで脱線したが話を戻すぞ」

「あ、戻すんですね」

「これ以上続けると汚染されそうだからな……魔王の系譜だけが持つ特殊能力は知っているな?」

「仲間を強化するスキル、ですよね」

「そうだ。魔王と対峙し、奇跡的に生還したパーティーの生き残りはこう言い遺している。魔王に率いられた近衛兵の強さはその一体一体が幹部に匹敵する、と」

 

 この世界の人間であれば誰もが知っている、勇者から魔王に墜ちた人間の話。

 あなたも書物で読んだ事があるのだが、多少なりとも事情に明るい者であれば、すぐにこの勇者が転生者だと気付くだろう。

 仲間など不要だと孤独を愛し、他人の何倍もの速度でレベルが上がる異能を持ち、一人で生きていけるだけの強さを手に入れ、しかし独りでいることに最後まで耐えられなかったその勇者の在り方はあなたとしてもどこか身につまされるものだった。

 単身で魔王城まで攻め込み、魔王を打倒できるだけの強さを持った身でありながら、最後には魔王になった彼の心情を理解できる者はいない。書物にはそこまで記されていなかった。

 ただ、魔王となった勇者は自身の子に一つの能力を与えた。それこそがキョウヤの言った仲間を強化するスキル。自身にスキルの効果が及ばないのは、自分のように孤独に生きるのではなく、仲間と共に戦えという魔王からのメッセージ。

 

 色々と暴露しすぎにも程がある昔話の出所は不明。何せ数百年の時を生きるベルディアが生まれるよりも前から語り継がれている話なのだ。あなたは最古参だという女神ウォルバクが怪しいと睨んでいるが真実は深い闇の中。

 あるいは転生者を味方に引き込む魔王側の策略で流布されたプロパガンダなのかもしれないが、実際に魔王の系譜は代々味方を強化するスキルを保有していることが確認されている。

 老いた今代の魔王が前線を退き魔王城に引き篭もるようになって久しく、現在は魔王の娘が軍団の総指揮を引き継いで采配を揮っているのだが、やはり件のスキルを所持している。

 

 指揮権と共にスキルは魔王の娘に引き継がれた。故に今の魔王はスキルを持たない強力な魔族に過ぎない……などと考えるのはあまりにも楽観が過ぎるというものだろう。

 いかにこのスキルが強力であり、キョウヤにとって脅威であるかを説明する元魔王軍幹部は間違いなく魔王のスキルの有無、果ては強化率までを熟知しているのだが、古巣への義理立てか、基本的に彼は魔王軍の内部事情について語ろうとしない。

 それでも年若い友人の身を案じ、正体が露見しないギリギリを見極めて情報を与えるという形で必死に説得を続ける姿は本当に目の前のデュラハンが人類の敵だったのか疑わしく思えてくる。

 言葉にするならそう、彼は根っからの「いいやつ」なのだ。人類に裏切られ、アンデッドに墜ちてなお失われないそれは本人の生まれ持った気質なのだろう。

 人間の騎士だった頃はさぞかし仲間に慕われていたに違いない。

 

 嗚呼、だが、しかし。

 あるいはやはりと言うべきか。

 仲間思いのキョウヤにとって、ベルディアの提案は決して受け入れられるものではなかった。

 

「何も縁を切れとまで言ってるわけじゃあない。お前はご主人みたいな家持ちじゃないんだろう? なら王都に家なり屋敷なりでも買って、そこの管理を任せるとかだな……」

「──っ! フィオと、クレメアは!!」

 

 ここで初めてキョウヤが声を荒らげた。

 ベルディアの発言を遮るように。

 瞑目し、深呼吸を一つ。

 

「僕の、初めての仲間なんです。いや、初めてかどうかなんて関係ない。本当はこんな事言いたくないけど、今の彼女達が力及ばないのは分かっています。けれど、だからといってそれを理由に僕は二人を外すなんてしたくない。それはあまりにも薄情で、不誠実だ」

「それが原因で命を落とすと分かっていてもか?」

「僕は死にません。二人も死なせない」

「……そうか」

 

 嘆息しつつもそれ以上の説得を止めたベルディアは、心のどこかでキョウヤがこう答えると思っていたのだろう。

 つい先ほどベルディア自身が言及していたように、フィオとクレメアと組むのを止めるように言ったのがベルディアが初めてなわけがないのだから。

 

「分かった。これ以上は言わん。端から無粋ではあったわけだしな……だがそのつもりなら早急に二人の意識改革を行え。俺としてもあいつ等にも同情できる部分が無いわけではない。いっそ哀れですらある。だがそれとこれとは話が別だ」

「肝に銘じておきます……」

 

 思うところがあったのか、一転して身を小さくするキョウヤ。

 

 魔剣の勇者として名望を集めるキョウヤは、若く、強く、才能に溢れ、見た目も優れている冒険者だ。

 ベルゼルグ王家からの覚えもいい彼は当然ながら同業者から嫉妬を集める立場であり、本人もそれを自覚しつつ驕る事無く研鑽に励み続けている。

 かつては女神に選ばれた勇者としての強い自負から若干の傲慢さ、無神経さを持っていたものの、カズマ少年に搦め手で、ベルディアに正々堂々の真っ向勝負で言い訳のできない敗北を喫するという挫折を期に、今ではそれらは完全に払拭されている。

 今も一部からはやっかみを受け続けているが、そんなものは有名冒険者であれば誰でも同じ。

 日本人の転生者特有の浮ついた雰囲気と甘さが抜け、謙虚さを身につけ、ストイックに修練を重ねるキョウヤの人気は最早留まる所を知らない。

 最近では王都に攻め込んできた魔王軍幹部シルビアと一騎打ちで互角の戦いを繰り広げたこともあり、その名はもはや国内はおろか、遠い海の向こうにまで届くようになっていた。

 

 今となっては魔剣の勇者の実力を疑う者などどこにもいない。

 では、彼のパーティーメンバーであるフィオとクレメアはどうだろうか。

 キョウヤに負けず劣らずの知名度を有しているのだろうか。

 

 結論から言うと、今をときめく魔剣の勇者という超有名人の仲間でありながら、二人の知名度は無い。

 低いではなく、無い。悲しいくらいに無い。絶無だ。

 

 ──魔剣の勇者ってソロ活動してる冒険者じゃなかったの?

 

 一般人の間でキョウヤの仲間の話になった場合、王都の外ではほぼ確実にこんな言葉が返ってくる。王都の中でも結構な確率で驚かれるだろう。

 その一方、二人は冒険者の中ではそれなりに名前を知られている。悪い意味で。

 

 魔剣の勇者の取り巻きコンビ。腰巾着。金魚のフン。

 これはフィオとクレメアに向けられる陰口の中では最も優しい部類に入る。

 聞くに堪えない陰湿で心無い罵詈雑言も多く、中には二人とパーティーを組んでいるキョウヤの名誉を著しく貶める意味合いのものすら含まれている。

 お荷物扱いしているという点では終始一貫しており、同業者の中に彼女達をキョウヤの仲間として認めている者はいない。

 

「一応聞いておくが、あいつらの評判が悪い理由は分かるよな?」

「えぇ……僕が言うんですか……分かりました。えっと、その、ですね。それはフィオとクレメアが……」

「そう、弱くて性格が悪いからだ」

「そ、そこまでのものとは僕は思わないんですけど……」

 

 ギリギリのところで魔王軍と拮抗し、国に所属する冒険者も用いれば一国で世界中を敵に回しても勝てると称されるほどの軍事力を持つベルゼルグは、当然のように国中から尚武の気風が漂っている。

 脆弱な国家など瞬く間に魔王軍に飲み込まれて終わりなので、戦いに次ぐ戦いの歴史の中で自然とそういう思想が形成されていったのだろう。

 

 そして何かにつけて荒事に関わりがちな冒険者達にとって、強さとは何よりも尊ばれるもの。これに関してはどこの世界だろうが変わらないとあなたは確信している。

 強ければ無条件で認められるわけではないのはあなたが腫れ物扱いを受けているのを見れば一目瞭然だが、やはり強い奴が偉いという風潮は確実に存在する。脳筋万歳。

 

 廃人として知られているイルヴァにおいては言うに及ばず、この世界においてもアクセルとアルカンレティア、紅魔族の里以外の各地であなたは敬遠こそされているものの、決して軽んじられてはいない。

 たとえ歴戦の猛者が集う王都であってもあなたを侮る者はいない。

 それはあなたが極めて高い戦闘力を有している個人だからであり、日々の活動や気まぐれに参加する王都防衛戦で結果を出し続けているからであり、何よりも得体が知れない、危険な相手だと認識されているからだ。

 スティールを仕掛けようとした盗賊をダース単位で再起不能にしたり納税の日に王都の腕利きパーティーを四つほど瞬殺したせいで、キョウヤのように嫉妬されているというよりはちょっかいをかける相手としてはあまりにも危険すぎるので単純に関わり合いになりたくないと思われているのだが、とりあえず舐められてはいない。

 

 一方でフィオとクレメアだが、これがまあ弱い。すこぶる弱い。

 三人の仲のよさやキョウヤの人の良さを知っているベルディアが野暮や無粋を承知でパーティーの解散を奨める弱さだ。

 ここで述べる弱さとは単純な戦闘力だけではなく、精神面などを総合した弱さを指す。

 キョウヤが養殖じみたレベル上げを施した甲斐あってレベルと装備だけはそれなりだが、それ以外の全てが水準を大きく下回っており、特に精神面に至っては下手をすれば駆け出しにすら劣るかもしれない。

 

 以前、ベルディアとキョウヤの手合わせにフィオとクレメアが交じった事があり、手持ち無沙汰だったあなたもそれを観戦していたのだが、一から十までキョウヤ任せ。キョウヤの指示が無ければまともに動くこともできない二人の様は見ていて呆れよりも先に心配が来るほどのものだった。

 それどころかキョウヤが二人を気にかけるので負担にしかなっておらず、三対一より一対一の方がよほど戦えているというベルディアの感想はあなたとしても大きく頷くところである。

 

 単に弱いだけならそこまで悪し様に言われることもなかったのだろうが、ベルディアが性格が悪いと称したように、肝心の本人達の他者を舐め腐った態度の悪さが悪評に拍車をかけた。

 何かにつけてキョウヤを笠に着る、キョウヤの自慢をする、キョウヤ以外の冒険者を見下した物言いをする、困ったことがあるとすぐキョウヤに泣き付く、などなど素行もお世辞にもいいとは言えない。絵に描いたような小物のチンピラな困ったちゃんである。

 キョウヤという才能に溢れた神器持ちな超優良物件と駆け出しの頃からパーティーを組み続け、これといった挫折も知らずに苦労知らずでレベルだけが上がり、フェミニストのキョウヤが甘やかし続けた結果こうなってしまったのだろう。

 

 あなたから見たフィオとクレメアとは、キョウヤが好きでちょっと性格が悪いだけの、どこにでもいる普通の少女である。

 二人がただの一般人なら、無数にいる埋もれた冒険者の一人ならそれでもよかった。

 だが噂に名高い魔剣の勇者の仲間としてやっていくというのであれば、否応なしに相応の評価を下されることは避けられない。

 別れる気が無いなら手遅れになる前にさっさと二人の尻を蹴っ飛ばしてなんとかしろというベルディアの警告はまったくもって正論と言う他なく、聞けば誰もが頷くだろう。

 

 

 

 

 

 

 キョウヤが去った後、あなたは話の中で少しだけ気になった点を尋ねてみた。

 ベルディアが言うフィオとクレメアの同情に値する点とはどこなのか、と。

 

「……キョウヤとパーティーを組んでいるところだ」

 

 ベルディアは酒を呷りながらこう答えた。

 あなたが予想だにしなかったそれは、聞いてみれば頷かずにはいられないものだった。

 

「キョウヤはグラム抜きでも心技体、全てにおいて優れた正真正銘英雄の器だ。長じれば魔王に届くという評価は世辞ではない。俺は幹部として今までに数多の勇者候補や英雄と相対して打ち破ってきたが、ヤツに勝る者はそういなかった」

 

 だが、と続ける。

 

「フィオとクレメアは悲しいくらいに凡人だ。そんな三人が駆け出しの頃から一緒にパーティーを組んでるんだぞ? これはもう悲劇でしかない。努力する機会を奪われ、常に他者から比較され続け、自分の存在意義すら確立できず、どれだけ必死に追い縋っても影すら踏めず、星に手が届く事は無く、決して並び立つことは叶わない」

 

 淡々と、まるで目の前で見てきたかのように語る。

 深い憂いの中に僅かな懐古を含んだ赤い瞳があなたに向けられた。

 

「かつて人間だった頃、平民上がりにして己の腕一つで上り詰め、果ては国一番の騎士と謳われた俺は間違いなくキョウヤの側だった。共に戦う仲間や友はいたが、同時に率いる部下でもあった。あの時、俺の周りに俺に並び立つ者はいなかった。……一人も、いなかったんだ」

 

 元魔王軍幹部のデュラハンではなく、仲間に裏切られ、名誉を、尊厳を徹底的に貶められ、失意と絶望と悲憤を抱えたまま断頭台の露と消えた孤独な英雄がそこにいた。

 

「なあご主人。自身を凡人と定義しながらも英雄すら超越し、遂には廃人と呼ばれる世界最強の一角に至りし絶対強者よ。どうか教えてくれ。一体どうすれば凡人は英雄と並び立つことが叶う? ……俺はあの時、あいつらにどうしてやればよかったんだ?」

 

 切実な、身を切るような問いかけ。

 あなたは答えをたった一つしか持ち合わせていない。

 そしてわざわざあなたなどに問うまでもなく、終末狩りに身を浸しているベルディアはとっくに理解しているはずだ。

 あなたが金科玉条、錦の御旗の如く振りかざす、たった一つの頭が悪いやり方というものを。

 

 才に劣る者が生まれ持った差をリッチー化のような禁呪を用いずに埋めようとするならば、血反吐を吐きながらただひたすらに泥臭い努力を続けるしかない。少なくともあなたはそう認識している。

 世界はいつだって無慈悲で不条理で理不尽だ。努力ではどうにもならない事柄はあまりにも多い。

 それでも、十の努力で足りなければ百の努力を。百の努力で足りなければ千、万の努力を。

 追いつけなくても、引き離されても、影を踏む事すら許されなくても。

 諦めなければいつか必ず空に浮かぶ星に手が届く時が来る。そう信じて長い時間をかけてひたすら歩み続けるしかない。

 

 狂気的でひたむきな練武の果て、あなたは星を掴むに至った。

 この世界には寿命と蘇生という重大な問題が横たわっているが、やることは何も変わらない。

 

 デスマーチ。

 デスマーチあるのみである。

 

 ぐっと両手で握りこぶしを作って力説するあなたの姿にベルディアは深々とため息を吐き、馬鹿には勝てんと小さく笑った。

 

「デスマーチって言葉がもうね、台無し。前から思ってたけど、ご主人ってすました顔してバリバリの根性論者だよな。あと努力すると気軽に言うがそのストイックさが誰にでも出来る真似だと思ったら大間違いだからな」

 

 別に気軽に言っているつもりはないし、あなたとてその程度は言われるまでもなく理解している。

 本当に誰にでも出来るのであれば、あなたはもっと数多くの友人を作れていただろうから。

 

 ただ、フィオとクレメアが目指す先は英雄(キョウヤ)であって廃人(あなた)ではない。

 ベルディアやゆんゆんと違って致命的に壊れることはないだろう。多分。きっと。

 

「俺は壊れてないし壊れないから。つかゆんゆんも俺みたいな地獄に叩き込むつもりなのか!? 幾ら紅魔族とはいえアレは結婚適齢期すら来てない子供の女の子だぞ!?」

 

 何も問題は無い。

 あなたは自分とペットの経験によって壊れた心身を取り繕うのは慣れているのだ。大事なのは壊れちゃっても直せばいいやというスクラップアンドリペアの精神である。

 それにベルディアも身をもって知っているように、あなたの育成法における主軸とは死力を尽くしてようやくギリギリで負けて死ぬ戦いを幾度と無く繰り返すというもの。

 必然的に、本腰を入れるのであれば残機は無限である必要がある。現状ではどう足掻いても不可能なのだ。非常に残念な事に。

 

「わぁいよかった……って安心すると思ったか馬鹿め! ゆんゆんをぶっ殺すこと前提で話を進めるのを止めろ! 可哀想すぎるだろ! あんだけご主人に懐いてんのに!」

 

 無論、あなたも心の底から止めた方がいいと、絶対に碌な事にならないから廃人なんて目指すものではないと一度は止めている。

 それでも本人に止まる意思が無いのだからどうしようもなく、あなたは他のやりかたを知らない。たった一つの冴えたやり方なんてものは存在しない。

 壊れたら、あるいは壊れかけたらその時はウィズが適宜フォローを入れてくれるだろう。

 禁呪によって一足飛びに至ってしまったウィズはそこら辺の機微が分からず生易しいきらいがある。全く自覚は無いが、友人曰くある程度の成果が出るまでは被験者の精神がぶっ壊れても狂っても一切省みない超スパルタの効率厨であるあなたと足して二で割ればちょうどいい塩梅になる筈だ。

 

「最低かよぉ!!」

 

 あるいはリッチー化こそがたった一つの冴えたやり方なのかもしれない。確かに手っ取り早くはある。

 だが変化が不可逆である上、回復魔法や浄化といった神聖属性が弱点になる、日光を浴び続けると消える、そもそも禁呪なので使用が認められた瞬間に国際的指名手配を食らうことになる……などなど、リッチー化によって背負うデメリットは計り知れない。

 ウィズとてこんな辺境で長い時間大ファンや同級生にすら居場所を捕捉されない、半ば世捨て人じみたひっそりとした生活を送っている。

 やはり地道にコツコツやるのが一番だ。

 

「……まあ、うん。アンデッドになんぞなるもんじゃないってのは激しく同意する。でも後先考えない自暴自棄じみた全力疾走を地道にコツコツとか表現するの止めてくれない? 主に俺の心の健康の為に」

 

 しかし現にベルディアは出来ている。

 最初の頃は終わりの無い戦い、そして迫り来る死の苦痛と恐怖に精神を著しく磨耗させていた彼も、今ではすっかり死に慣れている。

 

「確かに出来てるけども! 慣れたけども! 慣れたくなかったなあ、あんなおぞましい感覚は!!」

 

 呪われてあれ! 呪われてあれ! 我が主の昼に呪われてあれ、夜に呪われてあれ、我が主の臥すに呪われてあれ、起くるに呪われてあれ、我が主の外出するに呪われてあれ、帰り来たるに呪われてあれ!

 

 三回くらい殺されても構わないとヤケクソになったデュラハンの渾身の呪詛があなたにふりかかる。

 当然あなたには効果が無く、ベルディアは自室に閉じこもって不貞寝した。

 

 

 

 

 

 

 時間を過去から今に戻そう。

 

 海を渡った先の村であなた達はフィオとクレメアと偶然にも再会した。

 クレメアを民家に置いたまま少し離れた場所に移動する。

 苦虫を噛み潰したようなフィオの顔はお世辞にも知り合いに会えて嬉しい、といったものではない。

 むしろ見られたくないものを見られてしまった。纏う空気からはそんな印象を受ける。

 

「なんでベルゼルグの冒険者であるあんた達がリカシィにいるわけ?」

 

 妙に刺々しいフィオの台詞はあなたの台詞でもある。

 とはいえ民家から普通に出てきた挙句、二人が普段着であったことからも予想はつく。

 

「はぁ……地元よ。別に帰省なんておかしい話じゃないでしょ」

 

 フィオとクレメアはここで生まれ育った幼馴染らしい。

 田舎で一生を送ることを嫌い、夢を見て海を渡り冒険者になったのだという。

 

「もしかして、トマスさんが言ってたベルゼルグの冒険者ってフィオさんかクレメアさんのことですか?」

「何、お父さんに会ったの?」

「はい。ここに来る時に馬車に乗せてもらいました。でもトマスさん、フィオさんのことを魔眼の勇者の仲間って言ってたような」

「お父さんがうろ覚えなだけよ」

「えぇ……」

「私のことはもういいでしょ。今度はそっちが答えなさいよ」

 

 といっても複雑な話ではない。

 あなたはゆんゆんをドラゴン使いにする為、竜の谷に挑むのだ。

 

「はぁ!? 竜の谷って正気!? ばっかじゃないの!?」

 

 流石に地元民だけあって、今に至るまで人魔問わずありとあらゆる存在を阻んできた竜の谷についてはよく知っているらしい。信じられないモノを見る目で凝視されてしまった。

 しかしそれも一瞬のこと。感情を鎮火させた少女は気だるげな様子で鼻を鳴らした。

 

「……まあ、アンタ達がどこで何をしようと私にはどうでもいいか。さっさと好きな所に行っちゃいなさいよ。せいぜい私の故郷に迷惑をかけないようにしなさいよね」

 

 一方的に話は終わりと踵を返すも、ああ、そういえばと振り返る。

 ゆんゆんを見つめるその瞳には暗い光が灯っていた。

 

「ゆんゆん、だったっけ。知ってるわよ。王都でも活躍してるんでしょ、アンタ。紅魔族で、高レベルのアークウィザードで、今度はドラゴン使いを目指す? ハッ、いいわよね、恵まれた天才様は……私達凡人なんかと違って人生が簡単で」

 

 嗜虐的な眼光と悪意の篭った嘲笑に体を竦めるゆんゆん。

 あまり苛めないであげてほしい。ゆんゆんは薄汚れた人の悪意というものにあまり晒された経験が無いのだ。

 それが例え八つ当たりとしか言いようがない、嫉妬に塗れた不安定な子供の癇癪だとしても。

 

「……ふん、何? 天才に天才って言って何が悪いっての?」

 

 無益な問答に付き合う気は無い。

 意趣返しというわけではないが、あなたは一つの問いを投げかける。

 もうベルゼルグに、キョウヤの元に戻るつもりは無いのか、と。

 

「っ、何、をいきなり……」

 

 流れも何もあったものではない、あまりにも脈絡の無い唐突なそれに狼狽するフィオ。

 

 あなたは彼女達に興味が無い。

 あなたにとってのフィオとクレメアとは、キョウヤのパーティーメンバーでしかない。

 死のうが生きようが、それこそ冒険者を辞めようが気にも留めない相手だ。

 

 だがベルディアはそんな二人にかつての仲間の面影を重ねた。

 キョウヤはベルディアの友人でもある。ペットの友人の仲間というのであれば、少しくらいはお節介を焼いてみてもいいだろう。

 

 そういうわけなのだが、実のところ、先の言葉は断じてかまをかけたわけではない。確信をもって放たれたものだ。

 今の彼女は、諦めてしまった者の目をしている。決定的な挫折を受け入れて腐った負け犬の目をしている。

 あまりにも見覚えがありすぎる、あなたが数え切れないくらいに見てきた目だ。

 ある者はノースティリスから去る事を選び、またある者は埋まる(終わる)事を選んだ。

 ここにいないクレメアは危ういものがあれどもまだマシな目つきだった。大方今後の身の振り方で意見が対立した結果が先の騒ぎなのだろう。

 

「…………」

 

 図星を突かれたのか、あなたを睨みつけ、黙して語らぬ盗賊の少女に淡々と告げる。

 本気で諦めるのであれば、キョウヤはきっとそれを受け入れるだろう。

 だが周囲の二人への評価は永遠に覆らないし、仲間を失ったキョウヤもまた深く悲しむことになるだろうと。

 

「……ってる」

 

 しばらくの後、フィオが口を開いた。

 ぽろぽろと涙を流しながら。

 

「今更アンタなんかに安っぽい説教されなくても最初から分かってんのよ! そんなことは!!」

 

 激発と共に二枚の薄い金属製の板が勢いよく投げつけられる。

 

「これは……えっ!?」

 

 足元に落ちたそれはフィオとクレメアの冒険者カード。

 あなたのように不具合を起こしていないそれに書かれている内容はしかし驚くべきものだった。

 曲がりなりにもキョウヤの仲間としてやってきたとは思えない、驚きの超低空飛行なステータス。冗談抜きで駆け出し同然である。

 あまりにも凄惨な内容にゆんゆんが思わず口に手を当てる。

 しかしそれもそのはず。何故ならば。

 

「でもどうしようもないの! もう終わりなのよ、私達は! キョウヤの後ろを付いていくこともできない! 今更レベル1に逆戻りなんて、こんなんじゃ足手纏いにすらなれない!!」

 

 血を吐くような慟哭が示すように、キョウヤのおかげでそれなりに高かったはずのフィオとクレメアのレベルは、最低値であるレベル1になってしまっていた。

 当然各種ステータスもレベル1相応にまで落ち込んでいる。

 習得済みのスキルこそそのままだが、今のままではゴブリンの討伐すら満足にこなせるか怪しい。

 

「わかんないでしょうよ! アンタ達なんかに私の気持ちは! どれだけ惨めな気持ちなのかも!」

「フィオさん……」

 

 この世界の者はレベルが下がる事に対して本能的、生理的に極めて強い忌避感と嫌悪感を抱く。

 崩れ落ちてさめざめと泣く哀れな少女に、ゆんゆんは心の底から同情し、かける言葉も無いといった様子だ。

 

 ところがどっこいノースティリスの冒険者であるあなたはレベルダウンなんてこれっぽっちも気にしない。むしろ口笛を吹きたい気分ですらある。

 二人の身に何が起きたのかは言われなくても分かる。レベルドレインを行使する高位の魔物か悪魔に遭遇して敗北したのだろう。

 だが、レベルだけ下げてそのまま生かして帰してくれるなど、なんと親切で人類に友好的な存在なのだろうか。いっそ慈愛に溢れているといっても過言ではない。下落転生(スキルポイント稼ぎ)がやりたい放題ではないか。素晴らしい。

 あなたはフィオにいつ、どこで、どんな相手にレベルを下げられたのか詳細を尋ねようと試みる。あわよくばそいつにゆんゆんをぶつけて合法的にレベルを下げてもらおう、などと考えながら。

 だが一歩目を踏み出した瞬間、ゆんゆんがあなたの腕を強く掴んだ。

 

「ダメですダメですやめてください本当にお願いですから! 何をする気なのかは分からないけどきっとそれは世間一般で死体蹴りって呼ばれる極めて悪辣で非道で最低な行為ですよ! あなたに自覚は無いのかもしれないですけど!!」

 

 必死な顔で諌められてしまった。

 嬉々とした様子のあなたにとてつもなく嫌な予感がしたらしい。




アンケートへの回答ありがとうございました

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