このすば*Elona   作:hasebe

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・ここ最近のあらすじ
ゆんゆんが可哀想な目にあった


第108話 お酒は二十歳になってから

 朝を過ぎ、強くなり始めた日差しの下、しっかりと整備された街道を馬車が進む。

 呆れるほどにのどかで、静かで、ゆっくりとした時間が流れている。

 健気な紅魔族の少女が精神的外傷を負った以外は万事無事に大陸を跨いだあなたとゆんゆんの旅は、今この瞬間にも続いていた。

 

 あなた達が乗っている馬車の主は村で作っているワインを卸して村に帰る途中、街道を徒歩で進んでいたあなた達を見つけてその目的地が自分の村である事を知り、折角だからと荷台に乗せてくれた、親切で恰幅のいい男性。

 ワインを積んでいただけあって、荷台からは強いぶどうと酒精の芳香が漂っている。

 

「平和だなあ……」

 

 あなたの対面に座っているゆんゆんは、ぼへーっとした、どこまでも気の緩みきった表情で外を眺めていた。

 冒険者にあるまじき、常在戦場とは程遠い有様をしかしあなたは口うるさく咎めようとは思わない。

 別に馬車の護衛依頼中ではないというのもあるが、それほどの平和、圧倒的平和なのだから無理も無い。

 リカシィに着いて早いものでもう一週間。あなた達は既に幾つかの街や村を経由しており、その中で依頼を受けながら先に進んできたのだが、その結果知ったベルゼルグとのあまりにも大きな差異はいっそ戸惑いすら覚えるもの。

 

 率直に言ってしまうと、生息しているモンスターが弱い。

 つい先日も人々を襲う凶悪な魔獣の討伐依頼をこなした。

 一般人にとっては脅威だが、あなたは勿論のこと、あなたとウィズに指導を受けながらベルゼルグの王都で精力的に活動しているゆんゆん(レベル40台の冒険者)にとってもあまりにも容易い相手だったと言わざるを得ない。

 

 職員の話ではもっと先に進めば多少は変わってくるらしいが、ごく一部を除いて国の全域が常に一定の危険に晒されているベルゼルグではありえない話だ。

 ゆんゆんも驚愕していたあたり、いつものようにあなたの認識がおかしいわけではない。

 ベルゼルグにおいてすら魔境と呼ばれる地域で生まれ育ったゆんゆんがおかしいわけでもない。

 

 ──発展している街の周辺に強いモンスターがいないのは当たり前じゃないですか。

 

 そんなリカシィの冒険者ギルド職員の言葉を受けたゆんゆんはかなり本気のトーンで「えっ」と言った。さもあらん。

 王都を筆頭に、ベルゼルグにおいては栄えている街ほど推奨レベルが高くなる傾向がある。強いモンスターがいるから強い冒険者が集まり、強い冒険者が集まるから商人などが集まってくるという理屈で。ダンジョンの周りに集落が作られ迷宮都市となる例が分かりやすいだろうか。

 そして駆け出し冒険者の街の名に違わず、アクセルは国内でも有数の平和な街だ。

 しかしそんな平和なアクセルですら、最低でも月に一度は高レベルモンスターの調査や討伐の依頼が張り出されるし、冒険者もそれを当然のように受け入れている。ベルゼルグはそういう場所なのだ。

 

 各国から要人が集う闘技大会が近いということで、つい最近まで街道を中心に念入りな掃討作戦が行われていたという話だが、それを差し引いてもこの大陸のモンスターはベルゼルグと比較すると圧倒的に弱小揃いだった。

 魔王軍に脅かされていないとはいえ、海を挟んだだけでこの有様。

 ハルカから聞かされた冒険者の平均レベルが10も低いという話は、あなたもゆんゆんも頭では理解していたが、ここに来て初めて強く実感することができた。

 

 この世界で過ごすようになってそれなりの時間が経過し、異世界への理解を深め、価値観や倫理観、死生観のすり合わせが進んだ結果、現在のあなたは日常的に核の炎も終末の嵐もエイリアンテロも起きないこの世界の事を、そこまで平和だとは思わないようになっている。魔王軍も捨て置くような辺境にあるアクセルはともかくとして、ベルゼルグ全体を見るとやはり平和とは呼べない。

 確かにあなたにとっては例え王都や最前線であってもそう易々と命の危険に晒されるような場所ではないが、それはあなたが極めて高い戦闘力を有しているからに過ぎず、廃人にとって安全である事と世界が平和である事はイコールではない。

 イルヴァにおいてなお冥府に最も近い場所と称されるノースティリスは、死を強く忌避するこの世界の者からしてみれば覚めない悪夢や無限地獄と称されてもおかしくない。

 だが同様にノースティリスの住人がこの世界の話を聞けば、眉を顰めてそれはちょっとしんどいな、くらいの反応は示すはずだとあなたは考えている。

 何せこの世界の住人達は、死ねば終わりという極めて厳しい状況の中、種の存亡をかけた戦争を何百年もの間続けているのだから。

 

 ……とまあこのような理由であなたは自然と自身の考えを改めるようになっていたのだが、その考えもこの旅の中で間違っていることを知った。

 この世界で目に見えて危険なのは魔王軍の矢面に立っているベルゼルグだけだったのだ。ギルドで尋ねてみたところ、多少の差はあれどもどこの国も似たようなものらしい。

 今明かされる衝撃の真実。ベルゼルグはノースティリスと同じく人魔問わず世界中から修羅が集う国だった。

 

 ──魔王城とかいうラスダンがある大陸に最初の街があるとかありえないだろ、常識的に考えて。今じゃこういうのは空を飛ぶ乗り物とか色んなアイテムを手に入れてようやく行けるようになるって相場が決まってんのに。そりゃフリーシナリオなら初っ端からラスダンに特攻できる場合もあるけど、そういうのは周回ややり込み前提の仕様であってだな……何が言いたいかというとこの世界は俺達日本人の転生者に優しくない。

 

 アルカンレティアの温泉で雑談を交わした際、カズマ少年がこのような愚痴を吐いていた。

 相変わらず彼の話にはあなたの理解が及ばない部分が多々含まれていたが、異能や神器を与えられたニホンジンが直接ベルゼルグに送られるのはそれだけ戦況が切羽詰っていることの何よりの証拠なのだろう。

 だがあなたがアクセルでニホンジンと思わしき新人冒険者を見かけなくなって久しい。ニホンジンを送り込んでいた女神アクアがこちらに来てしまったせいで何かしら不具合が生じているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 馬車に揺られ、どれほどの時間が経っただろうか。

 特にやることもなかったので、これまでにかかった時間、これからかかるであろう時間を見越した旅程を話し合っていると、御者が声をかけてきた。

 

「二人はうちの村に寄った後、帝都に行くのかい?」

「そう、ですね。とりあえずの目的地は帝都になってます。その前にも幾つか寄り道するつもりですし、その先にも用事はあるんですけど」

「冒険者だもんなあ。冒険者がこの時期に帝都に行くってことは、闘技大会に出場するんだろ? そっちの兄さんはともかく、お嬢ちゃんはそんなに若いのに凄いじゃないか」

「いえ、大会には出ない、というか出られないんです。私たち、ベルゼルグの冒険者なので」

 

 ゆんゆんの答えに何かしら思うところがあったらしく、おや、と声を出した御者が初めて振り返った。

 トマスと名乗った彼は本人曰くビール腹ならぬワイン腹だというでっぷりがっしりとした体格の持ち主であり、髭の生えた丸顔や穏和な笑顔も相まって全体的に警戒心を抱かせない、人の良さそうな風貌をしている。

 

「奇遇だね。実はウチの娘もベルゼルグで冒険者やってるんだよ」

 

 その言葉はあなた達を少しばかり驚かせた。

 

「そうなんですか?」

「ああ。こういう事言うと親馬鹿みたいで少し恥ずかしいが、あっちでは結構有名な冒険者なんだそうだ。俺としては家業のワイン蔵を継いでほしかったんだけどなあ」

 

 苦笑いを浮かべるトマスの表情は娘を心配する父親以外の何者でもなく、そして彼の言葉は手に職を持つ堅気の人間としてまったくもって正しいものだった。

 

「時折手紙を送ってくるんだがね。娘ときたらやれ今日はドラゴンを退治しただの、今日は王宮に招かれて王女様に会っただの、普通に考えたら大法螺吹いてるだろって事ばかり書いてくるのさ」

「へ、へえ……凄いんですね」

 

 気まずそうにあなたをちらちらと見るゆんゆん。

 いきなり挙動不審になった少女の姿にどうしたのだろう、ドラゴン関係だろうか、と考え、すぐにその理由に思い至った。

 実はゆんゆんはあなたに出会うまでは実家や里の友人に手紙を送る際、仲間ができた、パーティーのリーダーとして頼りにされている、とても強いモンスターをやっつけた、今では街中の男の子たちに大人気……などなど、どう考えても後で後悔する嘘を書き込んでいたのだ。

 流石に血の繋がった親だけあって族長夫妻は手紙の内容を嘘八百と看破し、それでも元気でやっているなら良しと微笑ましく話に付き合ってあげていたのだが、あなたと出会ってからは送られてくる手紙の内容がやけに具体的かつリアリティに溢れるようになっていったので、紅魔族としては異端の感性をもつ娘がぼっちを拗らせた挙句悪い意味で壁を越えてしまったのではないだろうか、と心配していたのだという。

 

 なお、上記の話は族長夫妻があなたと世間話をしている最中に教えてくれたものであり、ゆんゆんは自分が書いた手紙の内容をあなたが知っていることを知らない。

 それでも家族や友人に心配をかけまいと見栄を張って手紙で大口を叩きまくった経験を持つ彼女は、御者の話を聞いて自身を省み、いたたまれなくなってしまったのだ。

 

「最近になって久々にこっちに帰ってきたんだが、なんつったかな……ああそう、魔眼の勇者の仲間をやっているんだそうだ。知ってるかい?」

 

 魔眼の勇者。

 自称他称問わずベルゼルグはそれなりに勇者の異名を持つ冒険者がいるが、あなたの知る冒険者にそのような異名の持ち主は存在しない。

 ゆんゆんに目配せしてみても当然のように反応は芳しくなかった。

 

「意外と有名じゃなかったりするのかな。娘の話じゃベルゼルグで知らない人はいないくらいの有名人らしいが……まああの子の事だ。大方見栄を張ったんだろう」

「あはは……」

 

 苦笑いするトマスにまるで自分の事のように居心地が悪そうにするゆんゆん。

 他人ならいざ知らず、やはり人は可能な限り身近な人間に対しては誠実であるべきだ。でないとこのようにふとした瞬間に流れ弾が飛んできて致命傷を食らってしまう。

 同時にそういった相手に嘘をつくなら絶対にばれないようにすべきである。

 

 

 

 

 

 

 湖畔の村レーヌ。

 港町キビアから帝都トリフに向かって西に伸びる大街道を中ほどまで進み、そこから少し北に外れた場所にあるそこは、レーヌ湖と名づけられた国内最大の湖の辺にある村だ。

 対岸が見えない広大な湖に沿うように家々が立ち並び、湖を覆うなだらかな丘陵には一面のぶどう畑が広がっている。

 温暖な気候、綺麗な水、肥沃な土壌に育まれたレーヌのワインといえば世界的に名の知られた銘柄であり、特に品質の良いものとなるとその価格はベルゼルグで数百万エリスを超え、毎年のようにリカシィの皇帝に献上されているという。

 あなたの知るこの世界の酒所といえばアルカンレティアだが、あちらは麦酒(エール)や清酒という名の水のような透明な酒がメインとなっている。

 酒飲みのベルディアは勿論のこと、ウィズや女神アクアからもレーヌのワインはお土産として頼まれていたし、あなた自身も大変興味があった。無論ノースティリスの友人達やペット、女神へのお土産にも持って帰る予定だ。

 イルヴァでは到底用意できない量の綺麗な水で作られるこの世界の酒の質は、あちらとは比べ物にならないほどに高い。

 すっかり舌が肥えたあなたはイルヴァに帰った後にあちらの酒で満足できるか疑問に思っていたりするが、己の目的の為、そして何よりもウィズとの約束を果たす為に両世界の行き来する手段の確立は必須である。イルヴァの酒が飲めなくなっても問題は無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 村に到着し宿で荷物を降ろしたあなたが真っ先に向かったのは、村で最大規模を誇る醸造所だ。

 朱色のレンガで造られたしっかりとした建物は小さな屋敷ほどの大きさであり、数多くの酒樽酒瓶が地下で保存されている。

 ワインを試飲できるコーナーや直売所が併設されていたり、資料館があったり、果てはジュース作りを体験できたりと、ここまで来ると一種の観光スポットとも言えるだろう。観光に来たあなた達にうってつけの場所だ。

 だが昼間から試飲と称してワインの飲み比べをしては舌鼓を打ち、気に入った銘柄をダース単位で、果ては樽ごと金に飽かせて買い漁るあなたの姿はまるで駄目な大人としか言いようの無いものだった。

 

「お酒、美味しいですか?」

 

 対してあなたに着いてきたゆんゆんは新鮮なぶどうジュースを飲んでいる。

 だがその興味津々な様子を隠しきれていない視線はあなたの持つワイングラス、その中身である赤紫色の液体に注がれていた。

 あなたはゆんゆんが飲酒している姿を見たことがない。飲んでみたいのだろうか。

 

「えっ? いえ、別に飲んでみたいわけではないんですけど、ただどんな味なのかなあ……って」

 

 酒の味。

 抱く感想は人によって苦い甘い渋い美味いまずいと様々だが、こればかりは千の言葉を用いても説明しきれるものではなく、結局は自分で経験するしかない。

 この村のワインに関しては間違いなく美味しいと言い切れる。折角の機会だし何事も経験だと、あなたはゆんゆんにお酒を飲ませてみることにした。

 

 それはそれとして飲めなくても失礼には当たらないので、口に合わなかったり気持ち悪いと感じたらすぐに飲むのを止めるように言い含めておく。船酔いに続いて酒酔いで嘔吐するゆんゆんの姿は見たくない。

 打てば響き、弄られて輝く性質を持つゆんゆんといえども流石に可哀想だ。折角の旅なのだから、少しでも多く楽しい思い出を作ってほしい。

 たった一口ぶんの酒量で泥酔するとは思えないが、相手はゆんゆん。何が起きてもおかしくないと、念には念を入れたあなたはゆんゆんのような女の子でも飲みやすい、そこまでアルコールが強くなく、フルーティーであっさりとしたワインはあるか販売員に尋ねた。

 流石に赤ん坊に飲ませてはいけない、という暗黙の了解はあるものの、この世界の飲酒に年齢制限は無い。実際に飲めるかどうか、飲んで美味しいと感じるかは別として、イルヴァと同じく子供でも飲み放題だ。それゆえに販売員は少女に飲酒を勧めるあなたを咎めることもなく一本のワイン瓶を取り出した。

 

「それでしたらこちらはいかがでしょう。毎年小量作られている、その年のぶどうの出来を知るための試飲用新酒でございます」

 

 主に商人などが本命をどれくらい仕入れるか目安にするためのものだという。

 ぶどうの収穫期はちょうど今ごろから始まることを思えば、凄まじい速さで作られていることになる。

 

「詳しくは企業秘密ですが、魔法などを用いて急速発酵させております」

 

 試しに口にしてみればなるほど、新酒というだけあって非常にぶどうの風味と香りが強い。長期間寝かせたワインの味の深みは無いが、口当たりがよくまるでジュースのように飲みやすい。

 これならゆんゆんも味わうことができるのではないだろうか。

 

「えっと、じゃあ、折角なので……変な匂い……味は……ん……」

 

 おっかなびっくりと一口サイズのグラスを受け取り鼻を近づけ、ぺろぺろと飲むというよりは舌で舐めてワインの味を確かめるゆんゆんの姿は微笑ましくも可愛らしい。

 

 ──ちゅっ、れろ、ちゅ、ちゅぱ……。

 

 なので片手で髪をかきあげてワインを舐めるゆんゆんから妙な色気が出ているのは当然あなたの気のせいだし、舐め方がそこはかとなくいやらしいのも間違いなくあなたの気のせいだ。ゆんゆんは普通にワインを舐めているだけなのだから。

 だというのにいかにもロマンスグレーといった体の、壮年の男性である販売員がとても何かを言いたそうにあなたを見やってくる。あなたはなんとなく、彼が年若い男でなくて本当に良かったと思った。

 

「ふう……ごちそうさまでした。初めてだからなんかちょっと苦くて慣れない味がしたけど、美味しかったです」

 

 あなたは試飲コーナーの隅に置いてあった冷凍庫からぶどう果汁を固めたアイスキャンディーを二本購入する。子供用なのか非常に安価であり、口直しだと勧めればゆんゆんもさほど遠慮することなく受け取ってくれた。

 

「わっ、冷たい。いただきます」

 

 口に入れたアイスキャンディーに歯を立て、そのまま噛み切るゆんゆん。

 どうやら舐める派ではなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 資料館や地下の倉庫の見学ツアーと観光を堪能した後、最後にあなた達はぶどう踏みの体験コーナーに足を運んだ。

 風呂として十分使用に耐えうる大きな桶に敷き詰められたぶどうを素足で踏んで潰すという、子供でもできそうなもの。

 今でこそぶどうの圧搾は専用の機材を用いて行っているが、昔は素足で踏んで潰しており、今も収穫祭などではぶどう踏みをやっているそうだ。

 さらに希望するのであれば、潰したぶどうを使ったジュースやワインをプレゼントしてくれるらしい。流石にワインは引き取りにこないといけないらしいが。

 

「んっ、しょ……」

 

 綺麗な水で足を洗い、プリーストの浄化魔法で清めてもらったゆんゆんがぶどうを踏み続ける。

 高レベルの恩恵で高い体力を持つ彼女だが、額に小さな汗が浮いている。

 

「たのしいけど、これっ、けっこう、たいへん、ですね……!」

「そうですね、やはり体力仕事ですので。ですがお客様ほどのお年でここまで体力のある方は冒険者でも中々いませんよ」

「ありがとう、ございますっ……でも、これっ、ふつう、やるひとが、ぎゃく、ですよね!?」

「伝統ですので」

 

 さて、このぶどう踏み、結構な肉体労働であるにもかかわらず女性限定である。

 繰り返す。女性限定である。

 理由を尋ねても「古くから伝わる伝統ですので」の一点張りだったが、男が踏んだぶどうでジュースだのワインだの作りたくないとか切実な理由があるのだろう。

 できることなら性転換してゆんゆんを手伝いたいところだが、生憎とそれを可能とする願いの杖は音が出るゴミに成り果てている。

 あなたは応援の声をかけた。

 

「なっとく、いかない……きゃあ!?」

 

 桶の中から小さな爆発音が鳴り、ぶどうが弾け飛んだ。

 顕になったゆんゆんの白くすべすべとした健康的なふとももを潰れたぶどうの果汁が汚す。弾ける美味しさだと聞かされたが、物理的に弾けるあたりは流石の異世界作物といったところか。

 地面に落ちる前にあなたはぶどう粒を掴むも、手で触れたものを桶に戻すのも衛生上よろしくないだろうと職員に確認を取ってあなたはそのまま頬張った。芳醇な甘みとほどよい酸味が口の中に広がる。

 

 新鮮なぶどうの味を堪能していると、足を止めたゆんゆんが真っ赤な顔であなたを見つめていることに気付く。

 

「……あの、それ、私が踏んでたやつなんですけど」

 

 足は綺麗に洗っているのだから汚くないだろうと首を傾げるあなたに頭を抱える多感な少女。

 

「汚いとか綺麗とかじゃなくてですね。あなたが良くても、私が恥ずかしいんです」

 

 いつか似たような台詞を聞いた気がするが、どの道ゆんゆんが踏んだぶどうで作られたジュースやワインが誰かの口に入るのだから、今あなたが口にするのと何も変わりはしない。

 

「そうかもしれないですけど! 足を舐められてるみたいで恥ずかしいんです! 私が!」

 

 なるほど、感情論で殴られるとあなたとしては返す言葉が無い。

 素直に自分のデリカシーの無さを認めて謝罪しておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 醸造所を後にし、色々な意味で疲労困憊になったゆんゆんの休憩がてら気分転換にレーヌ湖の周りを散策することにしたあなた達。

 

「ここも綺麗な場所ですよね……」

 

 海と見紛う雄大な湖は、その全てが消毒せずとも飲むことができる綺麗な水である。クリエイトウォーターに慣れたあなたであっても海とはまた別の奇跡のような光景には圧倒されるしかない。

 

 願わくばこの美しい自然が永遠に保たれんことを。

 

 例えるなら黄昏時のような、夜が訪れる前。

 終わりかけの世界で生きてきたあなたはどうしてもそう思ってしまうのだった。

 

 そうして暫く歩き続け、何の変哲も無い一軒の民家が近づいてきたところで事件が起きた。

 突如として民家の中から怒鳴り声が聞こえてくる。

 

「──!」

「────!!」

「──!?」

「────!!」

 

 ヒステリーじみた甲高い声は女性、いや、少女のものだろうか。

 詳しくは分からないが、少なくとも二人の人間が言い争いをしているようだ。

 民家の中からは皿が割れるような音も聞こえてくる。

 

「もしかして、強盗……?」

 

 あなたは別にどうでもよかったが、この場を見過ごして万が一にでも人死にが出ていたらきっとゆんゆんは強く気に病むだろう。

 ただの喧嘩だった時はそのまま立ち去ればいい。

 

 中に聞こえるように強めに玄関扉を叩くと、喧騒はぴたりと止んだ。

 鬼が出るか、蛇が出るか。

 緊張からごくりと喉を鳴らすゆんゆんを背に庇い、扉が開くのを待つこと十秒。

 ギイ、と錆びた蝶番の音を鳴らして扉が開く。

 

「……はい、どちらさまですか」

 

 果たして、現れた人物の顔を見てあなたとゆんゆんは盛大に面食らうことになる。

 だがそれは相手も同じだったようだ。

 驚愕に目を大きく見開き、肩を小さく震わせているのは簡素な衣服に身を包んだ赤毛の少女。

 

「フィオさん……?」

「なっ、あんた達、どうしてここに……!?」

 

 扉の中から見える部屋の中にもう一人、こちらを窺うように覗いている人物もまた、あなたの知った顔だった。

 魔剣の勇者、ミツルギキョウヤのパーティーメンバーである盗賊と戦士の少女達、フィオとクレメア。

 隣国でレベルアップに励んでいる筈の知り合いがそこにいた。


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