このすば*Elona 作:hasebe
重度の船酔いという状態異常で動けなくなったゆんゆんの隙を突き、奇襲を成功させたクラゲ型モンスター。その名をシースナッチャー。
分かりやすさ重視の名前を裏切ること無く、このモンスターは誘拐を得意としている。
普段は海中や海上をふらふらと漂い、緩慢な動きに騙された迂闊な獲物が近づいてきたら高速で取り付いて触手から麻痺毒を打ち込み気絶させ、体内に捕らえて巣に持ち帰る。
幸いにしてシースナッチャーにとっての食料は魔力だ。まかり間違ってもこの場でゆんゆんが「爆ぜろ頭蓋! 弾けろ脳漿!」みたいな目を背けたくなるスプラッターな事態に陥ることはない。
現状も十分すぎるほどに目を背けたくなるが、命あっての物種ともいうし、脳髄グシャーよりはマシだろう。あなたはいっそ楽にしてやれと少しだけ思っているが。
「なんて毒々しいおばけクラゲ……!」
雑魚をしばき終えたハルカが目の前の光景に慄然と呟く。
ゆんゆんの溢れんばかりの、もとい溢れた乙女力で虹色に染まったシースナッチャーは一瞬で縦横3メートルほどに膨張し、ゆんゆんを取り込んでいる。
このモンスターは弾力性と伸縮性に富んだジェル状の体を持っている。普段は人間の首から上をすっぽり覆い隠せる程度のサイズだが、いざ広がってしまえば現在のように人間を複数人丸呑みできてしまうほどの大きさになるのだ。
こうして魔法使いのように魔力の高い女性を好んで捕食して体内に捕らえ、生かさず殺さず魔力を吸い上げた挙句幼体を育てるための母体、つまりは苗床にする。
触手。
丸呑み。
エナジードレイン。
苗床。
なんとも一部の特殊性癖持ちが大興奮しそうなラインナップだ。
このままではゆんゆんが若くして望まぬ魔物の子を孕まされて未婚の母になってしまうので、是が非でも救出する必要がある。
だがそれには一つだけ問題があった。
「これは……面倒なことになった……」
「最悪かよぉ!」
「もう少しこう何というか、手心というか……」
膨張したシースナッチャーを前に尻込みする水夫と冒険者達。
それもそのはず。なんとこのシースナッチャー、今のように膨らんだ状態で絶命すると爆弾のように盛大に破裂するという極めて傍迷惑な性質を持っている。
ゆんゆんを救助するためには相手が戦域を離脱する前に仕留めないといけない。シースナッチャー自体はさほど強いモンスターではないので、やろうと思えば救出は容易だ。
しかしその場合、今もなおシースナッチャーの体内で希釈、攪拌され流動し続けているゆんゆんの虹色の乙女力がぶちまけられる羽目になる。さながら水がパンパンに詰まった風船のように。大惨事と形容せざるを得ない。爆発の威力も低くないので、後衛職とはいえ高レベルで耐久力が高いゆんゆんはともかく、船の一部くらいは破損してしまうかもしれない。
そして幾らゆんゆんが美少女とはいえ、乙女力を全身に浴びて我々の業界ではご褒美です、と喜ぶ変態はこの場にはいなかった。いたらしばかれて海に捨てられてもおかしくないが。
ならば魔法や弓矢で仕留めればいいのでは? そんな意見が出るかもしれないが無駄だ。シースナッチャーの爆発半径はこの船くらいは余裕で飲み込んでしまう。乙女力からは逃げられない。
「…………」
意図せず味方を困惑と緊張の渦に叩き込んだゆんゆんだが、麻痺毒を打ち込まれた彼女は虹色の体内に囚われたまま白目を剥いて失神、ビクンビクンと痙攣している。
これだけでも十分に痛ましい姿だが、どうにかして彼女が意識を取り戻す前に救出する必要がある。
希釈されているとはいえ、自身の乙女力……ハッキリ言ってしまうとゲロゲロの中に囚われ続けるというのは彼女のような年頃の少女にとっては軽く発狂モノだろう。
ゆんゆんの精神衛生上の問題もあるが、何よりも、これ以上ゆんゆんをヨゴレキャラにするわけにはいかないとあなたは考えていた。割と切実に。
ただでさえ彼女はぼっちを拗らせたゲロ甘でチョロQな不憫な子だったというのに、今ではガンバリマスロボ化とダークサイド化まで追加されてしまった。この期に及んでヨゴレ属性など断じてお呼びではない。
レベルアップと充実していく私生活に比例してゆんゆんに災厄が降り注いでいる感覚がある。きっと彼女はそういう星の下に生まれてしまったのだろう。他の能力と比較して明らかに伸びが悪い幸運値もそれを物語っている。
やはりゆんゆんのメンタル強化は急務だ。あなたは改めて自身の果たすべき役割を認識した。
ついでにゆんゆんは幸運の女神を信仰するべきだ。彼女は女神エリスと知り合いだし、なんならイルヴァの幸運の女神、エヘカトルを紹介してもいい。
前者は本人との直通回線、後者は信者の友人と、あなたはどちらにも伝手を持っている。
ちなみにあなたは強くなりたいなら断然女神エヘカトルを信仰すべきだと考えている。
これはあなたがエリス教に隔意を抱いているわけではなく、単純に両者を信仰した時のメリットの差を考えてのことだ。
女神エリスを信仰すると、心持ち運が良くなると言われている。
敬虔な信徒であれば体感できる程度には差が出るらしいが、知名度や神の格や信者の数を鑑みると、やはりささやかな恩恵だと言わざるをえない。彼女の平等主義と神による人間への干渉は最小限にすべきという主張の一端がこんなところにも表れている。
当の女神エリス曰く、信仰とはあくまでも信者の心の拠り所となるべきもの、信者が心を救われる為のものでなければならず、決してメリットやデメリットを考えてするようなものではないとのこと。
なるほど、彼女は圧倒的に正しい。ぐうの音も出ない正論だ。
だが女神エリスの言はこの世界の他の神と比べてもいささか潔癖なきらいがあるし、何より心の拠り所云々は神を信仰する上での前提条件に過ぎない。
癒しの女神を信仰する前の不信心者だった頃ならともかく、今のあなたはそう思っている。
この意識の差はエリス教が国教として扱われるレベルの一強状態であり、競争相手や自身の地位を明確に脅かす対象が存在しないからだろう。
エリス教に敵対的な宗教としてはアクシズ教が挙げられるが、こちらは世間一般では殆どカルト扱いなのでエリス教の地盤を揺るがすほどではない。
そこに来ると、日々鎬を削りあうイルヴァの神々が信者に授ける恩恵は、いっそ清々しいまでに即物的だ。
まず、信者は等しく信仰の深さに応じて信仰する神々に対応した能力や技能が上昇する。
あなたの信仰する癒しの女神であれば意思が固くなり、料理上手になったり怪我の治りが早くなったり生き物の解体が上手くなったり、といった具合に。
さらに神々の力の一端をこの世界のスキルに似た形で与えられ、神に気に入られた敬虔な信徒は神器や神の下僕を賜ることもある。
上記以外にもイルヴァの神々は装備品を通じて交信が可能なので、寂しがりやのゆんゆんにはぴったりといえるだろう。
肝心の女神エヘカトルは意思の疎通が困難で、下僕の黒猫にいたっては背中から触手が生えていたり腹から蛆虫が湧き出てきたりするのだが、ゆんゆんは自分と仲良くしてくれる相手なら悪魔でもいいと言っていたので何も問題は無いはずだ。
これはあなたが知る女神エリスが貧乏くじを引きがちな苦労人で、その幸運の力に対して懐疑的だからでは決してない。
お気に入りのパンツを盗まれたり強盗団の首領として高額賞金首になったとしても、女神エリスの幸運の力は本物なのだ。
■
今後の予定を立てるのはいいが、さしあたっては本人を救助しないことには何も始まらない。
ゆんゆんを捕食したシースナッチャー以外の掃討が終わり、どうしたものかと頭を捻っていると、重く響く大きな音と共に船が大きく横に揺れた。
騒ぎの初動と同じ質の揺れだが、それよりも更に強い。
バランスを崩して甲板を転がる人間達を見ていると、人間にとっては海上で戦うということ自体が重大なハンデだと実感させられる。
「きゃああああああああ!?」
「どこでもいいから掴まれ! 海に落ちたら一巻の終わりだぞ!」
「また来たぁ!」
水しぶきをあげて姿を現したのは、巨大なイカのモンスター、クラーケン。
陸で最も有名なモンスターがドラゴンなら、こちらは海で最も有名なモンスターだ。
クラーケンはドラゴンほどの戦闘力は持ち合わせていないが、クジラ程度なら片手間に縊り殺すし、何より海というフィールドは人間にとって絶望的なまでにアウェーだ。
この大型帆船も所詮は洋上に漂う木の葉に等しく、海に落ちた人間に為す術はない。救出されなければ溺れ死ぬのを待つばかり。
クラーケンは巨大な触腕を何度も海面に打ち付けたり、思い出したように船を叩いて激しく揺らしてくる。船上は嵐に巻き込まれたかのような阿鼻叫喚に陥っている。
今のところは船も無事だが、そう長くはもたないだろう。
遊んでいる。あなたはクラーケンの行為を見てそう感じた。
ふと、あなたはクラーケンの右の目が潰れていることに気付く。
傷はつい先ほど付けられたかのような真新しさで、小さな刃物で切り裂かれたように見える。さらには触手の一本には無数の切り傷が刻まれていた。
「ああもう、しつこい……!」
「おい、もうクラーケンに飛び移るなんて無茶な真似はするなよ!」
「今は無茶しないといけない時でしょ! しかもあっちは私を狙ってる!」
クラーケンは船を嬲りながらも、ハルカに刺すような敵意と殺意を向けている。痛打を与えたのは彼女だったようだ。あなたが甲板に出る前、最初の強い揺れがあった際にやりあったのだろう。
よくやるものだとあなたは感心した。
ハルカのレベルは21。何の魔法も加護もかかっていない、厚手で丈夫なだけのナイフ一本でクラーケンに白兵戦を挑むなど、乱心しているとしか思えない。
同業者の胆の据わりっぷりとそのレベルに見合わない卓越した戦闘技術に感嘆していると、ぺしんと後頭部に何かが当たった。
そのまま、足元に転がったのは何の変哲も無い皮袋。
中身は空っぽだが、口径を見るに本来は水を入れておくためのものだろう。この揺れで飛んできたらしい。
あなたは特に気にも止めずに皮袋を視界から外し……すぐに再び向き直った。
唐突に閃きが舞い降りたのだ。なるほど、悪くない。この案で行こう。
そうと決まれば話は早いと皮袋を拾い上げて軽く膨らませ、ゆんゆんの魔力を吸収し始めたシースナッチャーに向かって走り出す。無駄に虹色に輝いて自己主張しており非常に毒々しい。紅魔族のゲロゲロは魔力が豊富だったりするのかもしれない。
「おい待て馬鹿止めろ!」
仲間であるあなたが痺れを切らして救出を始めたと思ったのか、何人が必死に止めようと声を張り上げる。早々に甲板から船内に退避する者もいる始末。
気持ちは分からないでもないが、不調を押して戦った勇敢な少女の為に多少は目を瞑ってあげてもいいのでは、という感情をあなたは微かに抱いた。
とはいえあなたは敵を始末するつもりで近づいたわけではない。少なくとも今はまだ。
まず、ふよふよと浮かんでいるシースナッチャーの触手を数本鷲掴みにする。
突然の蛮行にシースナッチャーの驚愕が伝わってくる。当然触手が何本も突き刺さるが、装備品の恩恵により麻痺も毒もあなたには通じない。
次いで、シースナッチャーを持ったままクラーケン側の船の縁に向かって疾走。
船上で自爆されるのが問題なら、船上で自爆させなければいい。子供でも分かるシンプルな理屈だ。
「アンタ、何をする気だ! ……よせ!」
船長と思わしき格好の髭面の壮年の男の声を背に、クラーケンに向けて跳躍。シースナッチャーとゆんゆんを引き連れたまま。
束の間の浮遊感を味わいながら、まさか二度も夜の海に飛び込む日が来るとは思っていなかったと自嘲する。
このまま遭難すれば、あの時のように青髪と緑髪のエルフに救助され、洞窟の中で目が覚めるのだろうか、などと愚にもつかない思考が頭の隅で過ぎった。
違いがあるとすれば、前回のあなたは嵐で海に投げ出されたが、今回は自分の意思で飛び込んだところだろうか。
どちらにせよ、前回に比べれば今は天国のような状況だ。
海の荒れ模様も自身の能力も、比較にすらならない。
自身に突っ込んでくるあなた目掛け、哀れな生贄が自分から飛び込んできたとばかりにクラーケンが触手を振るう。
イカに表情筋と声帯は無いが、あなたの目には目の前の大イカがゲラゲラと嗤っているように見えた。
宙を舞うあなたに攻撃を避ける術は無く、クラーケンの膂力と速度も相まって並の冒険者であれば命は風前の灯といったところだろう。
並の冒険者であれば、の話だが。
神器に付与された紅蓮の炎が夜の海とクラーケンを明るく照らし出す。
そのまま迫り来る触手、もといゲソを迎撃。
黒の空間を無数の赤い線が塗り潰し、それをなぞるように火の粉が舞った。
炎剣にバラされた瞬間にゲソは激しく燃え上がり、醤油が欲しくなるいい匂いを放つ。
一瞬で失われた触手に驚く間もなく、行きがけの駄賃とばかりにクラーケンを上下真っ二つに解体。哀れな生贄は果たしてどちらなのか、一瞬で姿焼きと化したクラーケンは身を以って知る事になった。
衝撃と共に着水。クラーケンが倒れたのと相まって、盛大な水柱があがる。
落下の勢いのままに水底に沈んでいくあなただが、恐怖すら覚える夜の海の中でその姿を照らすのは、やはり右手に携えた神器だ。
例え水や真空の中だろうと、魔力を垂れ流して無理矢理スキルを発動させ続ける限りエンチャントされた炎は消えない。
初めて属性付与スキルを有効活用しているかもしれない、と考えながらここでようやくシースナッチャーを斬殺。爆発する前に中身のゆんゆんを離さないように左腕で強く胸に掻き抱き、素早く口に空の皮袋を突っ込む。
想定していたよりも遥かに強い衝撃があなたを襲い、ゆんゆんの全身を覆っていた虹色が一瞬で海に融けて消えた。
激しく揺さぶられ、上下の感覚が喪失するも、暫く大人しくしているとやがてそれも収まった。
あまり船から離されていないといいが、と他人事のように考えながらゆんゆんを抱えて海面に向かう。
一分もかからずに海面に到達。幸いにして船からはそこまで離されておらず、あなたが声をかけるまでもなく船は向こうから近づいてきた。彼らはエンチャントの炎を目印にしたのだ。あなたの目論見通りでもある。
「無茶苦茶な真似しやがって。クラーケンを倒してくれた件については礼を言うが、夜の海に飛び込んで海中でシースナッチャーを仕留めるとか思いついてもやらんだろ、普通」
垂らされたロープを伝って船上に戻ると、船長に理解できない者を見る目で苦言を飛ばされた。自殺行為にしか見えなかったのだろう。
できると思ったからやった。あなたからしてみればそれだけの話だ。
それにこれはゆんゆんの為でもある。
航海は一日や二日では終わらない。あのまま船上でシースナッチャーを爆破させていれば多かれ少なかれ彼女に悪感情を抱く人間が出ていただろうし、何より船や他人を汚したり破損させたとあっては、ゆんゆん本人が肩身の狭い思いをしてしまう。
ゆんゆんを無用な危険に晒したのは事実だが、海水で洗い流されたおかげでゆんゆんを含めて誰一人としてゲロゲロに塗れなかったのだから結果オーライと言えるだろう。
ダイビングの代償として師弟揃って海水でずぶ濡れになったので、髪や服が痛まないように洗わなければいけないが、全身のゲロゲロを洗い流すよりは心情的に遥かにマシだ。
「体を洗いたい? 魔法使いなら男女両方揃えてるぜ。女の方は婆さんだけど腕は確かだ」
船員にモンスターの死体の処理とクラーケンの回収を命じ始めた船長に聞いてみれば、こんな答えが返ってきた。
この言葉からも分かるように、この船に限らず、漁船や海賊船など、ある程度の規模の船になると、最低一人は初級魔法が使える魔法使いを抱えている。
内陸でしか活動しない冒険者が聞けば目を丸くするだろうが、この世界の船乗りは初級魔法を非常に重要視していた。緊急時の海上における飲料水と火種の確保の困難さは陸上の比ではないのだから当然といえば当然だろう。筋肉モリモリマッチョマンな船乗りの職業が魔法使いだったりすることもざらだ。
極少数だがクリエイトウォーター特化型のスキル構成の魔法使いも存在し、彼らは船乗りや乗客に大変重宝されている。ノースティリスに行っても間違いなく引く手数多だろう。
ともあれ、クリエイトウォーターを使える上に日常的に鍛えているあなたにはあまり関係のない話だ。体を洗えるスペースを用意してもらうよう頼むだけで終わった。
■
救出から数時間も経たずに意識を取り戻したゆんゆん。
しかし案の定と言うべきか、その乙女心はぼろぼろになっていた。
「うぅ……ぐすっ……」
意識を取り戻した直後からずっと、ゆんゆんはベッドに潜り込んでめそめそと泣き続けている。
シースナッチャーの中で嘔吐した記憶を失っていてくれればあなたとしては好都合だったのだが、流石に世の中そこまで甘くなかった。
彼女は以前ジャイアントトードの粘液塗れになったことがあるが、今回はそれよりダメージが大きいようだ。こともあろうに自分のゲロ塗れになったのだ、さもあらん。
不幸中の幸いは、失神していたゆえに丸呑みされた後の状況までは知らないところか。
「私、汚れちゃった……汚されちゃったよぅ……」
四次元ポケットの中から妹からこの程度で汚されたとか何言ってんだこいつは、とでも言いたげな冷めた感情が飛んでくる。
――この程度で汚されたとか、こいつは何言ってるんだろうねお兄ちゃん。別にエイリアンに孕まされたわけでもないのに。
普通に口に出すことにしたようだ。
相変わらず妹は紅魔族に風当たりが強いが、あなたは妹の言い分も多少は分からないでもなかった。
ゲロゲロに塗れるのは勘弁してほしいが、流石に大袈裟すぎるのではないか、と考える心も確かにある。
身も心も汚れきって久しいあなた達では、ゆんゆんの感情を慮ることはできても共感まではできない。
だが自分達と彼女が別の世界の生き物であり、積んできた経験も段違いな以上、それを口に出すのはお門違いも甚だしいと理解している。
いくら才能があってレベルも高くなったとはいえ、ゆんゆんはまだ十四歳になったばかりの、海を見て目を輝かせるような子供の女の子なのだから。
よってあなたは、今の自分がやるべきことは叱咤ではなく慰めだと考えた。
「…………っ」
ゆんゆんは汚れていないと、布団の上からゆんゆんの頭を手の平でぽんぽんと優しく叩くと、布団の中身がびくりと震えた。
微かな抵抗の意思とともに拒絶の言葉が聞こえてくるが、構わずあやし続ける。
――そのうち勝手に立ち直るだろうし、この先こんなこと幾らでもあるんだから放っておけばいいのに。やっぱりお兄ちゃんは優し過ぎるね。
やれやれといった口調の妹がここまでやっても発狂しないのは、あなたにとってのゆんゆんがめぐみんのような妹的存在ではないと理解しているからだ。
それはそれとして紅魔族は気に入らないのでこうしてぶーぶー言ってくるものの、これくらいなら可愛いものだ。
そして妹の言うとおり、あなたとしても若干過保護になっている自覚はある。
この旅の間は普段ゆんゆんのメンタルケアを担当しているウィズを頼れない。あなたが何とかしなくてはいけない。
慣れない仕事だが、こうしていると少しだけまるで自分が父親にでもなったかのようで、悪い気はしなかった。
思わずあなたの顔に笑みが零れる。いつか自分のような人間が本当に父親になる日は来るのだろうか、と。
――いつかどころか今すぐ父親になれるから私と子作りなうだよお兄ちゃん! レッツ背徳!
エンジンがかかってきたのか、テンションを上げて毒電波を飛ばし始める妹。あなたは聞かなかったことにした。
■
ゆんゆんを慰め続け、あなたの瞼が重くなってきた頃。
くい、くい、と弱々しく袖が引っ張られる感触にあなたは下がり始めていた顔を上げた。
「…………あの」
いつの間にか泣き止んでいたゆんゆんがベッドから顔を出し、あなたを見上げている。
あなたに渡されたハンカチで泣き腫らした目を拭った後、彼女はおずおずとこう言った。
「ちょっとだけ、変なことを言ってもいいですか?」
首肯する。
「その、笑わないでくださいね? なんだか、こうしてると、あなたのことを、ちょっとだけ、お兄」
「死ねオラァ!!」
最後まで言い終わる前に妹が発狂した。
完全に慣性を無視した鋭角な軌道を描き、別々の方向から同じタイミングで飛来する三本の包丁を打ち落とし、返す刀で顕現した妹をしばき倒す。
妹は投擲スキルを習得しているが、それにしたってこれはない。どこでこんな魔法のような常識外れな投げ方を手に入れたのか。叶うなら教授してほしいくらいだ。
呪詛を吐いて消滅する妹の野放図さに頭痛を覚えながらも今の怪現象についてゆんゆんに説明しようと顔を向ける。するとそこには……。
「――――」
毒電波の篭った殺気に当てられたのか、白目を剥き口から泡を吹いて気絶するゆんゆんの姿が。
狂気に耐性をつけるために、彼女には自分と同じように癒しの女神を信仰させるのも悪くないかもしれない。
風邪をひかないようにそっと布団を被せてあげたあと、あなたは部屋のランプを消して部屋を退出した。