このすば*Elona   作:hasebe

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第101話 おうちかえう! おうちしってう? おうちどっち?

 6月?日:ゆんゆん

 タイトル:自意識過剰?

 

『今日、知らない人に声をかけられたんです。とても親しげな様子だったので私も頑張って誰だったか思い出そうとしたんですが全然思い出せなくて。人違いだと思ったんですけど、でもどなたですか? って聞くのも凄く悪い気がして手を振り返したら「えっ」って顔をされてしまって。向こうの愛想笑いを見ておかしいな、私、何かしちゃったのかなって思ってたら、その人は私の後ろにいた人に声をかけてただけだったんです。あまりの恥ずかしさに逃げ出しちゃいました。もしかして私って自意識過剰なんでしょうか』

 

 夜半。自室でランプの明かりに照らされながら、風呂からあがったあなたは微笑ましさに溢れた日記の内容にフォローという名の返信を書き込む。

 彼女が経験したのはそこまで珍しい話ではない。かくいうあなたも何度か経験済みである。廃人として名が売れてからはご無沙汰だが。

 

 ウィズ:そうですよゆんゆんさん。そういう話ってよくありますから。

 ゆんゆん:そうなんですか? 私だけかと思ってました。

 ウィズ:私もやっちゃった事ありますけど、すっごく恥ずかしいですよね。知らない人に親しげに名前を呼ばれて自分の行動や泊まってる宿の部屋番号を把握されてる場合はかなり怖いですけど。

 

 ゆんゆんを慰めているかと思えば、ウィズがいきなり背筋が寒くなる話を始めた。納涼シーズンにはまだ早すぎる。

 しかしあなたの知る限り、今のウィズにそういった怪しい者の影は無い。そもそもアクセルに居を構えている彼女は宿に泊まる理由も機会も無いわけだが。

 

 ウィズ:私が冒険者だった頃の話ですからね。

 ベア:やけに具体的と思ったら実話かよ! 余計に怖いわ!

 ゆんゆん:その人って結局どうなったんですか?

 ウィズ:悪質なストーカーとして捕まったそうです。

 ベア:何故に伝聞系。お前の話じゃなかったのか。

 ウィズ:私の仲間だった男性の話ですよ。ちなみに捕まった方も男性でした。アクシズ教徒の。

 ベア:一気に別の意味で怖い話になったなオイ。

 

 

 つい半日ほど前に会っていたアクシズ教徒の両性愛者にロックオンされているあなたにとって、ウィズの昔話は他人事だと笑い飛ばせるような内容ではなかった。

 ゼスタ自身は今のところあなたとのそういったやりとりそのものを楽しんでいる節があるので、まだマシな方なのだろう。彼が本気になって強硬手段に出るような日が来ないことを祈るばかりである。

 

 日記を閉じたあなたは、お手製である癒しの女神の人形に今日も一日大過無く過ごせたことへの感謝と祈りを捧げ、そのまま床に就く。

 もちろん枕元には忘れずに白い石を置いてある。

 

 女神エリスはあなたが異邦人であるがゆえに天界に招くのだという。

 果たして彼の地で自身を待っているのは何なのか。

 期待と不安を抱きながら、あなたは瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 ……三分後、あなたは舌打ちして起き上がった。

 

 苛立ち混じりの視線を向けられているのは、女神エリスから手渡された件のマジックアイテムだ。

 夜になってから明らかに光が強くなっているそれのおかげで、明かりを消したにもかかわらずあなたの部屋の中は明るさを保っている。

 おかげさまで枕元に置いておくと目を瞑って背を向けても目に光が入ってくる始末。それだけならまだしも、規則的に明滅するというのが最悪だ。安眠を妨害する要素にしかなっていない。何故こんな余計な機能を付けてしまったのか甚だ理解に苦しむ。勘弁していただきたい。

 分厚いタオルと毛布で石を何重にも包んで大きな布団子にしたところで、ようやくあなたの部屋に夜の闇が帰ってきた。

 嘆息しながらあなたは再度床に就く。神聖さは認めるが利用者への配慮に関しては著しく欠けていると言わざるを得ない。クレームはどこに届ければ受理してもらえるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 黒と紺と白。

 目が覚めた――厳密には今も眠ったままだが――あなたが最初に抱いた感想は、このようなひどく単純なものだった。

 

 木製の簡素な椅子に座っているあなたの眼前には、ただひたすらに闇が広がっている。

 闇に適応した瞳を持つあなたであっても見通せない深い闇は、どこか慣れ親しんだすくつを思い起こさせ、あなたに若干の懐古と寂寥感を抱かせた。

 次いで足元に目を向けてみれば、規則正しく敷き詰められたモノトーンカラーのタイルがやはり視界範囲内全てに敷き詰められている。

 闇の中に気配は無く、どれだけ耳をすませてみても物音一つ聞こえてこない。あなたの耳に届くのは自身の呼吸音と布擦れの音、たったそれだけ。

 一言で言ってしまうと、そこは非常に辛気臭い場所だった。それこそここが死後の世界と言われれば即座に納得してしまうであろう程度には。

 

「ようこそ天界へ。あなたの来訪を待っていました」

 

 あなたが状況を把握するのを待っていてくれたのだろう。あなたと同じく白い椅子に腰掛けている、ゆったりとした紺を基調とする羽衣を身に纏った銀髪の少女が口を開いた。

 一際あなたの目を引いたのは、自身の足元にまで届こうかという長い銀髪だ。

 光源の無いこの空間の中で不思議と淡く煌いて存在を主張するそれは、本人もさぞかし手入れに気を使っていると思われる。ここまで長いと洗うだけで苦労しそうだが。

 

「……まさかいの一番にそういう感想が出てくるとは思いませんでしたよ。私自身、自慢の髪ではありますが。とりあえずお手入れはそれなり以上に大変とだけ言っておきます」

 

 女神パワーでなんとかならないのだろうか。

 

「無茶言わないでください。女神パワーで髪が綺麗になったら誰も苦労しません。まあアクア先輩は浄化の力を使って髪質を保っているみたいですが。ずるすぎる……なんてインチキ……いえ、失礼しました」

 

 このままではアホな雰囲気のまま話が続きかねないところだったが、女神エリスは弛緩しきった空気を入れ替えるべく、コホンと咳払いした。

 引き締められた表情から相手が真面目になったことを理解し、あなたもまた姿勢を正して真顔を作る。

 

「こうして直接顔を合わせるのは初めてになりますね。私はエリス。幸運を司る女神であり、この世界での人生を終えた人達に、新たな道を案内する仕事をしています」

 

 あなたもまた礼を失さない程度に自己紹介を行う。

 クリスとはそれなりに長い付き合いであるという前提が存在する以上、それは若干滑稽な光景だった。

 

「それでですね。今回あなたをお呼びした理由はいくつかあるのですが。まずは謝罪をしなくてはいけないことがあります。……いえ、違います。謝るのはあなたではなく、私です」

 

 まさかの言葉にあなたは意表を突かれた。

 あなたは自身が女神エリスに謝罪しなければならない理由であれば容易く思い浮かぶのだが、逆に女神エリスに謝罪されるとなるとそうもいかない。

 

「ええとですね、その……あなたがこの世界にやってきた原因である水瓶座の門。あれは、ですね。実は私とアクア先輩が共同で作った道具でして……そういうわけですので……」

 

 もごもごと口篭ったあと、女神エリスはおもむろに椅子から立ち上がる。

 そして……。

 

「この度は、私とアクア先輩が作ったゲートのせいであなたに大変なご迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳ありませんでしたっ!!」

 

 定命の者に向かって、深々と頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 円形のテーブルを挟んで女神エリスと相対するあなたは、水瓶座の門の製作に至った経緯、そしてそれを使った計画が永遠に凍結された理由をクッキーを齧りながら静聴する。

 このテーブルとクッキー、ついでに紅茶は女神エリスがどこからともなく取り出したものである。あなたは利き紅茶などできないが、クッキーに関しては王都の高級菓子店で売られているものに味と見た目が酷似していた。

 

 さて、あなたに頭を下げた女神エリスの言い分では、自分達が作成した道具であなたが転移してしまった以上、説明と謝罪の義務があるとの事。

 あなたとしては言い分そのものは理解できるものだった。

 経験上、こういうケースの場合は「よくぞ参った異界の勇者! 魔王を倒せ! 世界を救え! 手段は任せる!」とよく言えば内容については完全委任、悪く言えば雑に投げっぱなしジャーマンを決め込んでくるのがあなたのよく知る神の依頼なので、そういう意味では彼女の腰の低さには戸惑ってしまうわけだが。

 しかし水瓶座の門の異世界転移を許容するという条件付けを鑑みれば、わざわざ呼び寄せた存在に謝罪をするまでもないのでは、とも考えてしまう。

 そんなあなたの疑問に、銀髪の少女はこう答えた。

 

「繰り返しになりますが、ゲート計画は既に凍結しています。こう言ってはなんですが、あなたは勇者候補であると同時にイレギュラー。同じような異世界の存在でありながらしっかりとした説明を受け、今も動いているプロジェクトによってあの世界にいる日本人の方々と違い、本来あの世界にいるべき存在ではないのです」

 

 まあそうだろうな、とあなたは内心で頷いた。

 彼女は知らないが、あなたはバニルですら見通せないほどに遠い場所からやってきた冒険者だ。まさしくイレギュラーというほかない。

 

「計画が凍結となった直接の原因、かつてゲートが呼び出した存在が世界に深い傷跡を残してしまった事を思えば、あなたがやってきたのは不幸中の幸いなのでしょうが……」

 

 誰を選ぼうが大凶と言わざるを得ない廃人を呼び出した部分(不幸)が女神アクアの担当で、廃人の中では比較的良心や良識が残っている方という自負のある自分を呼び出した部分(幸運)が女神エリスの担当だとあなたは直感した。不運の力が強すぎる気もするが。

 

「そういうわけですので。もしあなたが帰還を望むのであれば、元いた世界に送り返すように上の方から命じられています。もちろん今すぐに決めろとは言いません。知り合いやお友達にお別れを言う時間は欲しいと思いますし」

 

 あなたは眉根を顰めた。

 気軽に元いた世界に送り返すというが、果たしてそれは本当に可能なのだろうか。まずはそこを聞いておかなくてはならない。

 

「可能ですよ。ここだけの話になりますが、ゲートの試作品で呼び出した方々は全員元の世界に帰っていますので」

 

 そういう意味ではないと首を横に振る。

 次いで、元いた世界の名前(イルヴァ)自身が活動していた大陸の名前(ノースティリス)、そこを統治する神々の名前など、様々なものを挙げていき、これらの名前に聞き覚えがあるか否かを問いかけた。

 

「……? 確かに私には聞き覚えの無い名前ばかりですが、私達が統治している世界はあまりにも多いですから。でも調べてみればすぐに見つかりますよ。これは決して私が不勉強というわけではありません」

 

 ちょっと天界ーグルと天界ぺディアで調べてみましょうか、と懐から取り出したのは、薄い金属性の板だ。

 

「天界フォンです。多機能で結構便利なんですよ。こうして手軽に調べものができるだけじゃなく、他の神々との通話に使ったり、天地創造アプリで雨を降らせたり、大地を作ったり、神罰アプリを使ったり。見た目は日本で売られているスマートフォン、という道具を模したものなんだとか。異世界転移に特典とは別に自身のスマートフォンを持って行きたがる日本人の方は多いですね。まああの世界では充電できないんですぐ使い物にならなくなっちゃうんですけど。ネットにも繋げられませんし」

 

 女神エリスの話の内容がところどころ異次元すぎてあなたは混乱した。

 とりあえず天界フォンとやらはとても便利な道具らしい。

 

「あれ? おかしいですね、どの語句もそれっぽいのが引っかからない……」

 

 天界フォンを見つめながら、女神エリスは首を傾げている。

 

「新人類計画という過去に凍結されたプランで生み出される予定だった生体兵器が、イルヴァというコードネームを与えられていたみたいですが、これはあなたの話とは無関係ですね。うーん……その世界でしか通じない、ローカル的な呼称なのかな……たまにあるんですよね、そういうの」

 

 天界フォンを片付け、次に出したのは金色の天球儀。

 あなたが冒険者ギルドに登録をした際に用いた、冒険者カードを作るための魔道具に酷似している。

 

「お察しのとおり、こちらは冒険者ギルドで使われている道具の原型になります。アレと同じように手を翳していただければ、あなたの魂の情報を読み取ってあなたの個人番号と出身世界番号を出力してくれますよ。人を番号化するのって無機質だから私は好きじゃないんですけど」

 

 苦笑いする女神エリスを前にあなたは逡巡する。

 恐らくこの道具を使えば、女神エリスは本当の意味であなたの正体を理解することになるだろう。

 異界の神々に自身の管理外の世界の存在、そして出自を全く異にする神の存在が露見する。

 かつて、海の向こうには他の国や人間など存在しないと考えられていた時代がある。異国人と異世界人。規模こそ違えども、現在あなたを取り巻く状況はまさしくそれだ。二つの世界の接触によって何が起きるのか、まったく予測がつかない。

 

「どうしました? 別に魂を吸い取るとかそういう危険なものじゃないので大丈夫ですよ。丸いところに手を乗せるだけの簡単なお仕事です」

 

 だが、あなたがこうしてこの世界に来てしまった以上、帰還した際に癒しの女神を通じてイルヴァの神々にこの世界のことが知れ渡るのは半ば確定した未来だ。よって、所詮は時間の問題でしかない。

 内心で結論を出し、およそ覚悟とすら呼べないものを決めたあなたは、女神エリスに言われるまま天球に手を翳す。

 

 そして、やはりというべきか。

 あなたが手を翳した瞬間、天球はピーという甲高い異音を発した。

 

 ――エラー。対象を定義することができません。対象は既存の管理世界群に属する存在ではありません。つきましては至急システムアップデートを……。

 

 バグったまま冒険者カードを作った時より酷い結果に終わったのは、こちらがより精密なものだからか。

 天球が発したメッセージを聞いたあなたに驚きは無い。

 バニルと初めて会った際に彼が口にしていたように、悪魔や神々が知覚、管理している世界群。あなたがその外側の者だという事がこれ以上ないほどに明確な形で証明されただけの話である。

 

「これ……今日アップデートされたばかりの最新版なんですけど……」

 

 一方で女神エリスは信じられないものを見たとばかりにあなたを凝視している。

 彼女からしてみれば、自身が属するものとは全く別の、完全なる未知の神話体系、未知の世界の来訪者との遭遇だ。その驚きは察するに余りある。

 

「本当の本当にイレギュラーじゃないですか……あなたは……一体何者なんですか……?」

 

 心なしか声を震わせている幸運の女神を相手に、あなたは再度、名乗りを返す。

 自分は慈悲深き癒しの女神を信仰する、ノースティリスの冒険者である、と。

 

 

 

 

 

 

「……あなたの素性は理解しました。神の一柱として、我々の関知していない世界が存在するなどありえないと言いたいのが本音ですが」

 

 驚愕に支配された心を落ち着けるために紅茶を幾度もおかわりし、たっぷりと五分という時間をかけた後、女神エリスはそう切り出した。

 

「申し訳ありませんが、あなたをそのイルヴァという世界に送り返すのは、現状において不可能です」

 

 前言を撤回されたあなただが、しかし不服は無いと頷く。存在しない筈の世界にどうやって送り返すのだという話なのだから当たり前だ。ここでおうちかえう! おうちしってう? おうちどっち? とクレームを入れるほどあなたは狭量ではない。

 

 これっぽっちも心を乱す事無くクッキーを頬張るあなたの姿に安心したのか、女神は息を吐いて肩の力を抜いた。

 

「もしかしてこれって私とアクア先輩の責任問題に発展したりするんですかね。あなたが信仰しているという女神様がウチの信徒を拉致しやがって殺すぞ、みたいな。……今のは例え話であって決してあなたの信仰対象を貶めているわけではありませんので、無表情で私を見るのは止めてください。とても怖いですから」

 

 つい先ほど癒しの女神は慈悲深いと言ったばかりなのだが、という若干の抗議の意思をあなたは視線に込めていた。それが伝わってしまったようだ。

 

「抗議を通り越して殺意が漏れてましたよ。ウチの女神様を蛮族扱いしやがって殺すぞ、みたいな」

 

 女神エリスの発想の殺伐っぷりにあなたは思わず閉口する。

 死者の転生を担う仕事を続けているとこうなってしまうのだろうか。

 わざわざ殺意を察知されるまでの時間をかけるほど、あなたは不信心者ではない。神敵はいつだってノータイムで殺しに行くのがあなたたちの流儀だ。

 

「そういう0か1かみたいな生き方ってよくないと思います。ええ、すごく」

 

 直々にありがたいお説教を受けたあなたは、悪魔は問答無用で滅殺すべしという過激なスタンスの持ち主にだけは言われたくないと反論する。

 

「いえ、ですから悪魔は……っと、失礼します。創造神様からの返信がきました」

 

 テーブルの上に置いてあった天界フォンが振動した。

 女神エリスは既に創造神というこの世界の最上位の神に管理外世界について報告しており、事前にあなたも許可を出している。

 

「あなたの世界の神々がこちら側に明確に何か仕掛けてくるまでは放置……との事です。おおむね予想通りといったところでしょうか。あなたは世界間の衝突を懸念していたようですが、私達が知らない世界がありますって言われても行き方すら分かっていない現状では手の施しようがありませんからね。証拠もあなたの発言と機材のエラーのみ。失礼ながら、あなたの魂に不具合があると考えた方がよほど説得力があります」

 

 納得のいく理由ではある。

 完全放置というのは若干お役所仕事な感じがしないでもないが。

 

「実際お役所仕事ですよ、私達の仕事って。規則で雁字搦めですし。アクア先輩は気に入らないことがあったら権力と腕力にモノを言わせて割と無茶を通しますし、それがかえって益となることも多いんですが、その皺寄せはいつも私に……最近もサトウカズマさんの複数回蘇生を無理矢理押し通したり……」

 

 濃い影を背負った女神エリスに、あなたは地雷を踏んだ事を理解する。

 話題を切り替えるべく、あなたはこの空間について聞いてみた。

 ここは真っ暗で寒々しく、あなたのイメージする天界とはかけ離れている。

 

「それは雰囲気作りの為にこうしてあるんです。こういった何も無い落ち着いた空間の方が、皆さんも自身の死を受け入れやすい傾向にあるようなので。例えば白亜の神殿といったような、いかにも天界らしさを感じられる場所もあるにはあるのですが、そのような場所で信仰対象である私に会うと、皆さん感激して拝み倒すばかりで……」

 

 仕事がはかどらない、ということなのだろう。なんとも世知辛い転生事情を明かされてしまった。

 国教になっている高名な女神も、天界という場においては社会の歯車の一つでしかないようだ。

 

「ぶっちゃけ私達って中間管理職……いえ、この話は止めておきましょう。あなたもここで見聞きしたことはなるべく口外しないでくださいね」

 

 本当に世知辛かった。彼女がクリスとして人間界を満喫しようとするのもむべなるかな。

 

「……ふふっ」

 

 何を思ったのか、今度はいきなり含み笑いをし始めた。

 いよいよストレスが限界に達してしまったのかもしれない。さながら張り詰めた糸が切れたように。

 

「違いますよ。生きた状態でここで私と話をしたのはあなたが初めてだったことに気が付いただけです」

 

 まるで魔王(ラスボス)のような台詞だった。

 ここまで生きて辿り着いたのは貴様が初めてだ、といった具合に。

 

「ああ、言われてみれば確かに今のはちょっと魔王っぽかった気が……魔王って私が!? 女神相手になんてこと言うんですか! しまいにゃ本気で神罰食らわせますよ!? 具体的にはじゃんけんで勝てなくなったり自分の目の前でお目当ての商品が売り切れたり犬のフンを頻繁に踏んだりするようにします! ……うっわエリス様の神罰超しょぼい、みたいな目で見ないでもらえます!? あなたはどういうわけか罪悪(カルマ)値が異常なまでに低いから私が与えられる神罰も相応のレベルになっちゃうんです! ほんとどういうわけなんでしょうね黒衣の強盗さん!!」

 

 あなたとしては感じたことをそのまま口にしただけなのだが、女神として魔王扱いはよほど腹に据えかねたらしい。散々あなたに不満と抗議をぶちまけた後、女神エリスは深々と溜息を吐く。

 

「私をエリスと知ってここまで雑に応対してくるのはあなたくらいなものですよ。あのサトウカズマさんでさえ()()()()()()()には礼儀正しいというのに……」

 

 また微妙に危ない発言をしているが、女神エリスに対しては女神アクアより気安く接している自覚はあなたにもあった。これは言うまでもなく、クリスとしての彼女と活動を共にしていることが原因である。

 そもそも気安くなかったら脱税の際にみねうちでぶっとばしたりしていない。

 無論、彼女の慈愛や仕事っぷりに関しては多大な敬意を払っているし好感を抱いているわけだが、それはそれ、これはこれだ。

 

 

 

 

 

 

 それからも女神エリスの仕事の愚痴を聞いてそのブラックすぎる内容にドン引きしたり、悪魔殺すべしと啓蒙されて苛烈すぎる女神エリスにドン引きしたり、ノースティリスの話を聞かせるも世紀末すぎてドン引きされたりといったように有意義な時間を過ごしたあなた達だったが、やがてそれも終わりの時がやってきた。

 

「そろそろ夜明けみたいですね。ここらでお開きにしましょうか」

 

 女神エリスに釣られて振り向いてみれば、後方20メートルほどの地点に白い扉が出現していた。

 扉を潜れば意識が覚醒するらしい。

 非常に稀有かつ有意義な時間を過ごしたあなたは女神エリスに礼を述べる。

 

「いえいえ、私もとても楽しかったです。こういう機会は初めてでしたので。カズマさんとも何度か顔を合わせていますが、すぐに蘇生して戻ってしまいますから」

 

 カズマ少年が相手であればベルディアよろしく無限蘇生を使ったパワーレベリングができるのだろうが、彼はあなたのペットではないのでやる理由が無い。何より本人のモチベーションも無い。ピストン輸送されてくるカズマ少年に女神エリスの胃に穴が開きそうだ。

 

 女神エリスに別れを告げ、扉に向かって足を進める。

 あなたはこの世界で死ぬ予定を立てていない。

 彼女とここで会うのはこれが最初で最後になるだろう。

 

 

 

「最後に二つ、お聞きしておきたいのですが」

 

 背後からの問いかけの声に、あなたはピタリと足を止めた。

 

「まず一つ目。魔王を討伐する気はありますか? ……無理にとは言いませんが、あなたが凍結した計画によって招かれた勇者候補の一人である以上、日本人の方と同じように、魔王討伐の暁には神々からの報酬が与えられます。そして魔王を討伐した勇者には、どんな願いでも、たった一つだけ叶えることが許されています。あなたが蒐集する神器。お望みでしたら、完全な性能を保ったままのそれも……」

 

 女神に向き直ったあなたは言葉を打ち切るように返答する。

 この件に関して自身が神々に求める報酬はただ一つ。イルヴァへの帰還手段の確保。

 それ以外の報酬で魔王討伐の依頼を請け負う気は一切無いと。

 

「なるほど、そうきましたか……いや、考えてみれば当たり前の要求でしたね……」

 

 神器で釣れるかもしれないと少しだけ期待していたのか、彼女は落胆の様子を見せた。

 あなたはこの世界における人魔の戦いに極めて興味が薄く、キョウヤのような正義感も無いが、別に魔王軍と戦わないとは言っていないし、実際に王都の防衛戦に参加したり幹部であるハンスを討伐したりしている。積極的に戦う気が無いだけだ。

 この消極的な姿勢の理由の根底にあるものが同居人である幹部のリッチーなのは語るまでもない。

 あるいはハンスの時と同じく、成り行きで魔王と刃を交える日が来るかもしれないが、あなたがウィズを最優先に動いている以上、降って湧いたイレギュラーにあまり期待するものではない。そういうことである。

 

 それにあなたは、女神アクアやカズマ少年あたりが魔王討伐を果たすのではないだろうかと思っていたりする。

 最弱職の少年が女神や癖の強すぎる仲間と共に艱難辛苦と抱腹絶倒の末に最強の魔王を打倒する。なんとも痛快な話である。

 

「……ふふっ。そうですね。あなたの言うように、案外、世界に平和をもたらす勇者様なんていうのは、カズマさんのような破天荒で愉快な人達なのかもしれません」

 

 若干和らいだ空気の中、二つ目の質問をあなたは視線で促す。

 

「二つ目は簡単です。あなたにとって、あの世界で過ごす日々は楽しいものですか? あなたは日本人の方と違ってあまり平和ではない世界からやってきたようですが、文化の違い、常識の違いに辛くなることはありませんか? 愚痴を聞いてもらうだけでも案外すっきりするものですよ、私のように」

 

 何の因果か、二柱の女神に招かれる形であなたが偶然迷い込んだこの世界は、それまでの常識が通じないことばかりで不自由することも多い。

 だが、今のあなたはその不自由すらも楽しんでいた。

 見るもの全てが新鮮であり、冒険者としての冥利に尽きる経験をしている。

 故に、女神エリスが気にすることなど何一つとしてありはしないのだ。

 

 そんなあなたの答えに、銀髪の少女はふっと微笑み、また会いましょうと告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

「行っちゃいましたか……」

 

 あなたが去った後、闇の中でひとりごちる女神の姿があった。

 

「そろそろ、私も打ち明けてもいい頃合なのかもしれませんね。いつまでも仕事仲間に秘密にしたままっていうのも気分が悪いですし。ちょっとは彼の驚いた顔を見てみたくもありますし」

 

 くすくすと悪戯っぽく笑いながら、今後の予定を立てる。

 ほとぼりを冷ますために暫くはクリスとしての活動を控えるつもりだが、その後は。

 

「うん、決めた。次に会った時、彼に私の正体を教えてあげましょう。衝撃の真実! なんと今まで一緒に仕事をしていた盗賊の正体は幸運の女神様だったのです! なーんちゃって。……ふっふっふ、共犯者クン、きっと滅茶苦茶驚くだろうなあ。楽しみだなあ」


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