その日、比企谷八幡は自ら命を絶った。   作:羽田 茂

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必然的に、比企谷八幡は邂逅する。

 

 

 窓の外には薄墨が混じった夕暮れが広がっている。

 思った以上長い間、部室から離れてしまっていたようだ。

 早く戻らないと、雪ノ下に罵倒されちまう……。

 

 じくじくと痛む脚を無理矢理動かし、俺は早足で部室に向かう。

 

 

 

 

 部室の中からは楽しそうな二人の話し声が聞こえてくる。

 俺は雪ノ下の楽しそうな話し声が聞こえたことに驚いた。

 修学旅行以来、雪ノ下は前の様に喋らなくなったからだ。普段通りに振舞ってはいたが、少し陰が射していた。

 だが今の雪ノ下の声からはそんなものが感じられない。以前の。陰が射していなかった雪ノ下の喋り方。

 胸が熱くなる…口から思わず笑みが溢れる。

 なんだ、奉仕部は終わってなどいなかった。俺の思い違いだ。

 俺も早くそこへ……「早く行け。」耳元で声が聞こえた。

 うるさい分かっている。だから黙れ。俺は、俺はそこに。

「早く行け」奉仕部の扉に手をかける。「早く。早く。」うるさい。

 

 俺は奉仕部の扉を勢いよく開ける。

「悪い、遅くなった!」

高校に、いや、中学小学を合わせても、ここまで声を出したことは無かったかもしれない。

 

 しかし、俺の反応とは裏腹に、瞬間二人の楽しそうな声がピタリと止まった。

 え?何でだ?どうして?さっきまで、あんなに楽しそうだったじゃねぇか。なんで止めるんだよ。

 

二人が信じられないものを見るような。今まで俺に見せた事のない表情を向けてきている。

ただ、それが決して友好的な正の譜面を持っているものではないという事だけが漠然と分かった。

 

おい、何だよその眼。

なんでそんな目を俺に向けるんだよ。何で黙るんだよ。何で何も喋らないんだよ。

 

 ………俺が来たから?

 

 ………俺が来たからなのか?

 

 

 

 身体中を駆け巡っていた熱が急速に冷めていく。

 遠くから嗤い声が聞こえる。

 

「比企谷くん」

 雪ノ下の声

「明日は部活に来なくてもいいわ」

 

 地面がひっくり返り深い深い虚に落ちていく錯覚。

思考力が一気に剝がれ落ち、意識が遠退いていく。

 

 その後も雪ノ下は何か言っていたようだが、何も耳に入ってこなかった。

 そこからの記憶は曖昧だ。ただ、ポッカリと空いた記憶の中で、誰かが俺を掴んだのだけが分かった。

 

 

 

 

 気付けば家の前にいた。

頭の中が嫌に静かで、なんの思考も思案も浮かばない。

 

 鍵を開け、玄関で靴を脱ぎ、そのまま部屋に向かう。 自室に着き、ベットに倒れこむ。ベットがギシリと軋んだ。

 近くにあった布団を適当に掴みそれに包まり、幼子のように体を丸める。

 

 もう……疲れたな。休もう、八幡。「そうだな…」疲れ……た…な……。

 

 

 俺はその欲求と共に、そのまま意識を闇に沈めた。

 

 

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 冷たい空気に、ふと目が覚める。

 

 月明かりが部屋を薄く照らしている。ケータイで時間を確認すると短針が3を指していた。

 布団からむくりと起き上がり、大きく伸びをする。すると、冬の刺すような空気が肌を撫でた。それが妙に心地いい。

 寝惚けた頭が、少しずつ真冬の透き通った空気のように頭の中がクリアになっていく。 俺は伸びをやめ、ベットに座り込む。そして今日あったこと出来事を思い出すように、瞑目した。

 

 昼休みいつものように暴力を振るわれていたこと。

 奉仕部で声を聞いてしまって気分が悪くなってしまったこと。

 トイレで何かを見て倒れてしまったこと。

 倒れたところを一色が発見して生徒会まで運んでいてくれたこと。

 一色が一瞬見せた、今にも泣きそうな顔のこと。

 そして……。

「明日はこなくてもいい……か。」

 

 そう言われ頭が真っ白になったこと。

 

 もしかしたらアレは拒絶ではなく他に何か意図があったのかもしれない。

 そう思ってしまう。そんな甘い考えを依然として持っている自分に嫌気がさす。

 

 勝手にあいつらに期待して。勝手に考えを押し付けて。勝手に理解されなかったと失望して。勝手を重ねたがゆえに、最終的に見放された。

 何度も戒めた筈なのに何も直っていない。何も成長していない。

 つまり、そういうことなのだ。

 結局俺がトラウマを披露していたのも、ただのポーズにすぎない。俺は過去のことを忘れてなどいないと、だから同じ失敗はしないのだと。そう、何度も何度も自己暗示のように、自分に言い聞かせていただけなのだ。

 その証拠に、今でも俺はどこか奉仕部に期待している。 拒絶ではなく他に何か意図があったのかもしれない…っと、そう思ってしまったのがその証拠だ。

 そんな自分に反吐がでる。それでも、比企谷八幡は、

 

 奉仕部に、彼女達に期待してしまう。

 

 

「なぁ、八幡」

 背後から声が聞こえる。不思議と不快感は感じない。寧ろ今はその声がどこか心地良い。

「何だ?」

 優しい声で短く返す。

「…気付いてるか?。いや、気付いてるんだお前は…。お前が奉仕部に入り浸る理由はもう無い。 そこにお前の望むものはない。それでも……、お前がそこにいようとする理由は」

「あぁ、ただの依存だ」

 肺の空気を吐き出すように、俺は内側に溜まったものを吐露する。

「あの部屋に本物があるわけが無い。いや、たとえ俺以外の……二人が本物だとしても…。 俺が本物になれない……。俺があの二人に今抱えているのは、信頼とかそんな綺麗なモノじゃ無い。もっと……触れる事すらおぞましいなにかだよ」

「お前は怖いんだよな。孤りが。」

 再度ふっと嘲笑が漏れた。今度は溜息など含まれていない、完全な自分自身への。

「あたり前だろ。怖いに決まってる。真っ暗なんだよ。他人も、自分も。周りの全てが。何も分からないんだ。分かりたくても。」

 

 俺は分かりたい。知って安心したい。安らぎを得ていたい。分からないということは酷く恐ろしい事だから。

「あの二人のことを理解したかった。理解していたつもりだった。そうやって理解していると思い込んで、安らぎを得ようとした。」

 

 

「なぁ……教えてくれ。俺はどうすればいい?」

俺がそう問いかけると、ソイツは、

「   」

と、短く答えた。

それを聞くと、薄い笑みが顔に張り付いた。

 

 ああ、そうだな。その通りだ。

本当は最初から、その答えは分かっていたのだ。

 

 俺は息を吸い込み、後ろを振り返る。そして、

 

「はは……」

乾いた笑い声が漏れる。

「よう」

そこには毎日鏡で見ていた、目つきが悪く、いかにも幸薄そうな顔つきをした男がいた。

 大体予想できていた。

自分との邂逅。三流作家でももっとマシな内容を書くだろうと思ってしまう程、テンプレじみた展開に、思わず苦笑いが出た。

だが、それもすぐに別の感情に消える。

 邂逅、もう一人の俺。格好いい響きだ、そう以前の俺なら思っただろう。

だが、実際にその場面に立っているのが自分自身となれば話は異なってくる。

 

「なぁ、俺はこれからどうなるんだろうな」

頭に手を当て、そのままゆっくりと手を下ろし顔を覆う。

そう問いかける俺に彼は「さぁな」と短く返した。

 

「教えてくれ。俺は頭がおかしくなったのか?俺は狂ったのか?」

そんな分かりきった事を確認する様に聞く。今頃になって体が細々と震えた。

「だろうな、俺がいる時点でおかしいだろ。どう考えてもお前は、俺は頭がおかしくなっちまったんだろ」

ああ、やはり俺は壊れた、壊れたのだ。それはいくら言葉を変化させようとも揺るぎない事実で、真実で、現実なのだ。そんな事を今更ながら再確認する。

彼の軽い口調には、それだけの重さが込められていた。

「でもさ、もう良いだろ?俺は今日まで十分頑張ったよ。でもこれ以上耐えられるか?」

その問いに俺は左右に(かぶり)を振る。

 

 無理に決まってる。こんな日々が続けば、俺がこれ以上狂い、壊れるのは時間の問題だ。

「今、俺は自分が冷静…じゃないが普通の精神状態に近いと感じてる」

異常なほどに。こんなものが見えているにも関わらず脳の中は冴え冴えとしている。

では、何故?

ここ数日の俺の学校での精神状態は明らかに異常だった。何度も意識が飛んだし、頭が回らなくなったりもした。錯乱状態にも陥っていた。

それがいきなり解消された。

 

「一つ仮説を立てようか比企谷八幡」

目の前には立つ俺がそう言い、座った俺に目線を合わせる様に腰を屈める。

「仮説?答え合わせじゃないのか」

「当たり前だろ、俺はお前だ。お前が分かんねぇのに俺が分かるわけねぇだろ」

俺にそう返し、彼は俺に心底呆れたという眼を向けてきた。そして、「まぁ、少しはお前より詳しいが」と小声で付け足す。

 

「で、仮説だが。お前、もう諦めたんだよ」

 

は?諦めた……?

理解の追い付いていない俺を見て、彼は一度ふっと笑う。

「それで一周クリアしたんだ」

一周って…?その言葉に今度こそ俺は首を捻る。

意味が分からないと俺は言葉の先を待ったが、彼はそこで「以上」と言葉を切った。

いや、待て。コイツ…。

「一体何を言ってんだ?分かるように言ってくれ…」

「だから、お前は一周回って正気に戻ったんだよ」

正気なワケがあるか。俺は正気だと言うのなら、俺の前にいる幻覚(お前)はなんなんだよ。

そう俺が言おうとするより速く、彼が口を開いた。

「だから言ってるだろ、1周回ってってな。俺は景品なんだよ」

そこでやっと彼の言おうとした事が分かった。

ああ、成る程、そう言う事か。そうだな昔のゲームでよくあった。

 

「……全状態リセット…ついでに新しいアイテムの追加かってやつか?」

口元に歪んだ笑みが浮かぶ。

「ついでに、難易度上昇のタメの体力ゲージの減少も入れとくか?」

彼は冗談めかした口調でそう付け加えたが、それは俺に対し…最悪を意味している。

体力ゲージの減少だったら、周回クリアじゃなくてゲームオーバだろ。

 

「間違ってねぇよ。もう長くは保たない。すぐにまた限界がくる」

俺の思考を読んだかのように彼が言う。

「だから、また壊れる前に行動しとけ。その行動で壊れても…」

 

 ーーーーーーどうせ早く壊れるか。遅く壊れるかの違いだ。

 

「………ああ」

 

ゆっくりと頭を上げると、もう既にそこに(かれ)はいなかった。

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 このとき、俺は自分が再び壊れるまでもう少し時間があると思っていた。

 周回されたことによって自分に少し余裕ができていると思っていた。

 

 甘えていたのだ。

日常と非日常を切り離す事によって、俺は心の何処かでそれを拠り所とし、安らぎを得ようとしてしまっていたのだ。

 

 

 

 痛みは。裏切りは。変化は。変悪は。

 

 次の日、いとも簡単に俺を壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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