その日、比企谷八幡は自ら命を絶った。   作:羽田 茂

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過去
寒空の中、比企谷八幡はその声を聞く。


 

 

 

 

 

 窓から差し込む陽光で目を覚ます。

ガラスを通して見える空は雲一つない爽やかな快晴で、それを喜ぶかのような小鳥の囀りが聞こえてきている。

なんて気持ちの良い朝だろう。

 

 こんな朝は二度寝するに限るな!おやすみ!!

少しズレた布団の位置を正し、俺は二度寝の体勢に移ろうとする。

だが、悲しいかな……それと同時に、「ピピピッ」と起床時間をしらせるアラームの音が部屋中に鳴り響いた。

 

………神様は俺の事が嫌いなんだ。

 重い右腕を、ゆっくりと布団から伸ばしアラームを切る。

 そして、俺はそのまま意味もなく布団を体に巻きつけ、ベットの上をゴロゴロと転がり始める。

 

 ゴロゴローゴロゴロー……。あー、最近コロコロ見てねぇな。

ああ、そろそろ布団から離れなければいけないと分かりっているのに、俺は離れられることができない。

 恐るべき吸引力………!!らめぇ……!お布団しゅごいのぉ……!

 

 アホなことを思いながら、体を慣らすため転がっていると、コンコンと扉がノックされた。

扉が薄く開き、そこからマイスウィートエンジェルシスター小町が顔を覗かせる。お米じゃねぇぞ。

 

「おっ!兄ちゃッ………。……何やってんの?朝ごはんできてんだよ…?」

 小町ちゃん、なんかお兄ちゃんを見る目が冷たく無い?部屋入ってくる瞬間まで、あんなに笑顔だったじゃない。

 なんでお兄ちゃんを見た瞬間そんな目をするの?お兄ちゃん新しい何かに目覚めちゃうよ?いいの?駄目?駄目か。

将来嫁の尻に敷かれそうだなぁ…と遠い未来の専業主夫の自分の姿に想いを馳せながら、むくりと体を起こす。

 どうせお嫁さんにするんだったら。ぜひとも城廻先輩のような、めぐりっしゅぽわんぽわんなんがいいな。

 でも考えてみたら、あの人を外で社畜のように働かせるとか俺には無理だ……!最終的に俺が働いている未来が安易に想像出来てしまう。

 

「………はぁ……起きるか。」

 

 俺は溜息まじりにそう呟いて、ベットから降りようとする。

 

 すると、予想は出来ていたが体に鋭い痛みが走った。

 

「んグッァ……」

 

 そのせいで、口から呻き声が漏れる。そして漏らしてから気付く、今は小町が部屋にいるのだと。

ゆっくりと顔を上げ小町の方を見ると、彼女は訝しげな表情を俺に向けていた。

 

「…どしたの?お兄ちゃん?」

 

俺は自分の手を、小町から見えないように拳に固める。

皮膚に食い込んだ爪の痛みが、思考を少しだけクリアにしてくれる。

 

「いや……これからしばらくコイツと別れるのかと思うと悲しくて悲しくてな」

俺はわざとらしく、布団に視線を向け、そしてその表面を優しく撫でる。

小町が「はぁ〜〜〜〜〜」と息を吐きながら、俺にじとっとした目を向けてくる。おいおい、お兄ちゃんレベルになると、そういうゴミを見るような視線すらご褒美なんだぜ?いや、ごめん嘘です!普通にキツイっす!やめて!

 

「また朝からくだらないこと言ってぇ…。じゃ、小町は先に下降りとくね。早く来てねー、ご飯冷めちゃうから」

 そう言うと、小町は俺の部屋から出て行った。

 

 足音が遠ざかり一階に降りたのを確認してから、俺は「ハァ……」と深く溜息を吐いた。安堵からくる溜息を。

握っていた拳を開き、掌を見てみると、爪が食い込んでいた部分が薄らと赤い線を引いていた。そして掌全体は緊張から、じめっとした汗で濡れていた。

それを不快に思いながら下着で雑に拭き取ってから、俺は文字通り重い腰を上げてベットから降りる。

 

 さっさと飯食いに行くか。また小町になにか疑われる前に。

 

彼女も薄々勘付いてきているようだが、俺にはそれを延命治療のように先伸ばすことしか出来ない。

自身の非力さを歯痒く思う。

 

 

「学校行きたくねぇなぁ……」

 

 俺は天井を見上げながらそう一人呟いた。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

「ごみいちゃん遅い」

 

 リビングに足を踏み入れた瞬間に小町から辛辣な一言が飛んでくる。

しかたねぇだろ、身体がキツかったんだから。

 彼女からすればきっと何気なく言った一言だったのだろうが、俺はそんな一言にすら薄く苛つきを感じてしまった。

 

 そんな自分に嫌気がさし、より一層ネガティヴな気分になる。

「悪い、思った以上に布団が俺を離してくれなくてな。布団は俺を離したくないし、俺も布団から離れたくない。おお?これって相思相愛じゃ……」

「お兄ちゃん」

 自信を奮い立たせる為の道化……いや。お道化を小町の声が遮った。それにひんやりとしたものが背筋を流れる。

 

「あ?なんだ?」

「あのさ……。お兄ちゃん修学旅行のときからなんか無理してない?なにかあったの?」

 その言葉に、自身の動悸が微かに速くなったのが分かる。

 

まさか……気付いたのか?いや、小町は疑問系だった。

 まだ、気付いていないはず。シラを切り通す。

 

「何にもねぇよ、むしろあれだな。逆に俺の人生なんも無さすぎるまである。多少なんかあったほうが、上手くいくのかもしれねぇな。」

「……!!…………ねぇ、………何かあったんでしょ?」

 先程とは違って「何かあったのではないか」ではなく「何かあった」と確信して俺に言ってきた。

 

その事実に、俺の頭の中で警報が大声量で鳴る。

 

「…何でもねぇよ」

「お兄ちゃ…」

「先に学校行くぞ」

 これ以上詮索されるのは本格的に危険だ。

 そう思い、俺は小町の言葉を遮るように言い、リビングから出て行った。

 

 

 

 

 

 

 リビングを出る間際の、小町の悲しそうな表情が脳裏にこびりついた。

 

 

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 学校行くまでの道のりがひどく憂鬱だ。脚が痛い。腕が痛い。八幡、今すぐおうち帰りたい。

 しかし現実は非情だ。学校が見えてくる。自転車小屋に自転車をとめ、靴箱に向かう。

 

 そして自分の靴箱を開けた途端、大量のゴミが靴箱からあふれ出してきた。

 はぁ……やっぱ今日も入ってるよ……。毎回その大量のゴミはどこから来てるの?。

 そんな毎日たくさんお菓子食べてたら太っちゃうよ?犯人の健康面まで気を使ってあげてる俺マジ菩薩様。

 

 そんなことを思いながら、カバンから上履きを取り出す。どうせこうなることは分かりきっていたから、最初っから持ち帰っていたのだ。だから上履きへの汚れ等の被害はゼロ。

 それでも「……チッ」と口から舌打ちが漏れる。

 

 腹いせに俺の靴箱にはいっていたゴミを、即座に近くの戸部の靴箱に移す。…わるいな戸部。反省はしていない。

 上履きを履き、教室に向かう俺の足取りは重く、すぐにでも押し潰れ、倒れてしまいそうだった。

教室に近づくごとに連れ、脚の重さは増していく。

 これから起こることを考えると気分が悪くなり、吐き気がする。ああ……かえりたいよぉ。

 どうする?いっそ今からでも保健室に行ってしまおうか、などと考えている内に二年F組の教室が見えてきた。

 

 廊下まで聞こえてくる、クラスの喧騒。

 俺は教室の入る前に、扉の前でたっぷり深呼吸をする。

 スーハースーハーアアアああああああ!!おっしゃっらい!!ばっちこい!!やっぱくんな!!

 

 ………。

 

 はぁ……行くか。

 俺は取手に手を掛け、扉を開けた

 

その瞬間

 

 廊下まで聞こえていた喧騒が嘘のように止み、クラスメイトのほとんどが俺に凍てつくような目を向けた。

 歴戦のボッチ……。いや、ただの一般人にすら分かる、悪意と敵意の籠った目。

 俺は即座にその教室中を見渡す。その中に葉山率いるトップカーストの奴らと由比ヶ浜はいない。そのことにひとまず安堵した。

 どうやら今日も、彼女は依頼通り動いてくれているようだ。

 

 視線を感じながら、自分の席へ移動し鞄をおろす。

 

 周りからは、

「アイツまだ学校来てんのかよ」

「よく海老名さんと戸部にあんなことして、まだ学校来れるよな」

「文化祭のときも相模さん泣かしてたしね」

「マジキモいよね」

「死ねばいいのにな」

 と、わざとギリギリ俺に聞こえるかどうかぐらいの声量で俺への罵詈が聞こえてくる。

いつもの事とはいえ精神的にクルものがあるな。いや、いつもの事だからこそクルのだろう。

 

 自分の席に着席し溜息を吐きながら、横目にクラスメイト達を見ると、5人の男子生徒が席を立ちあがり、こちらに歩いてきているのが見えた。

身体の芯がひんやりと冷たくなっていく。

 

 おい、ステルスヒッキーマジでどこ行ったんだよ。どこ行きゃ買い直せるの?アマゾン?赤道直下?

 そんな現実逃避をしているウチに五人組は俺の席の前で脚を止め、俺を囲むようにしながら、図体の一番大きいヤツが口を開く。

「おい、ヒキタニ。昼休み体育館裏な。来ねぇと分かってるよな?」

 

 たったそれだけの言葉にも関わらず、身体が総毛立ち、呼吸が少しだけ早くなる。

 

黙ったままの俺に歪んだ笑みを向けながら、そいつらは自分の席に戻っていく。その足取りは悪を討伐する正義のように勇ましい。

連中が去ると、俺は机に突っ伏し、もう今日何度目になるかも分からない深い溜息を吐いた。

 

 今日もか……行きたく無い……。ああ、おうち帰りたい………おうち帰りたいよぉ……。あわよくば死にたい。

 

 クラスメイトからの悪意の籠った視線は絶えず俺に降り注いできている。

 その視線から逃げるように俺はイヤホンを付け、目を閉じた。

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

 文化祭の前までは、ここまで悪意の籠った目は向けられることはなかった。その頃はまだ全然クラスメイトから認知されてなかったしね俺。まだステルスヒッキーが健在だったあの頃が懐かしい。

 

 だが文化祭が終わった後から、あの視線を向けられる回数が一気に膨れ上がった。

 まぁ、原因は言わずとも俺が相模を屋上で罵倒したせいだろう。

 そのせいで俺はしばらくクラスメイト、文化祭実行委員の奴らからこの視線を向けられる羽目となった。

 

 だが、人の噂は七十五日。ステルス常備の俺だったら三十日くらいでこんな視線は無くなると思っていたな。事実。三十日経たずして、俺に悪意の籠った目を向ける奴らは、ほとんどいなくなった。

 

 だから、俺は勘違いしてしまったのだ。

 

 噂はほとんど力を失ったのだと。話題に出たとしてもせいぜい会話のネタ作り程度にしかならないだろうと。俺ともあろう者が人の悪意を甘く見てしまった。

文化祭の噂は小さく燻っていただけで、消えてなどいなかった。その燻りに愚かな俺は、わざわざ自分から燃料を投下したのだ。

 

 そう……修学旅行。

 

 ここで俺は戸部の告白を未然に防ぐために、戸部が海老名さんに告白をする前に海老名さんに告白し、彼女から振られた。

 つまり俺は戸部、海老名さん、二人の依頼を、解決ではなく先延ばしという形で解消させたわけだ。

 まぁ、ここまではいいんだ。

 問題はここからなのだ。

 

 どこからその情報が漏れたのか、俺は二人の甘酸っぱい恋愛を邪魔した、悪人としてクラスから吊るし上げられることとなった。多分大和か大岡あたりだろう。いくら戸部でも、自分の失恋も同義の話を吹聴するとは思えないからな。

 

 つまり、簡潔に言うと。俺は自分でいじめの引き金をひいてしまったのだ。

 

 きっと俺は、気付かぬうちに増長してしまっていたのだろう。

 鶴見留美の依頼、戸塚彩加の依頼、相模南の依頼。それを自身の策略で終わらしたことに。

 

 もっと慎重に行動すべきだったと、以前の俺だったら絶対に考えなかったであろうことを考える。

 そのことに自嘲気味な小さな笑い声が漏れ出した。

 

 ………俺もだいぶ弱ってきているようだ。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 一時間目から四時間目までの授業が終わると、50分間の昼休みがやってくる。

 

 世界で一番憂鬱な昼休みが。

 

 手が震えている。俺はそれを隠すため、手をポケットに突っ込みながら教室から出る。

 そうしてしばらく廊下を歩いていると、後ろから強く肩を叩かれた。痛い。

 

 顔をそちらに向けると。案の定、朝気持ちの悪いニヤケ面を浮かべていた連中がいた。

 冷たい汗が吹き出し、手の震えが大きくなる。

 今すぐここから逃げ出してしまいたい。

 

「おい、ヒキタニ今から体育館裏に来い。ちょっと付き合えよ」

 しかし、現実は非情である。

 

 それに短く「分かった」とだけ返事をすると、連中は満足したような表情をし、移動を開始する。

 

 そんなに何度も俺のほうチラチラ見んな。逃げねぇよ。男に熱い視線向けられても気持ち悪いだけだ。

 俺をチラチラ見ていいのは戸塚だけなんだよ。気持ち悪い。

 心の中で悪態をつきながら後ろを歩く。それが俺に出来る唯一の抵抗だから。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 体育館裏に着いた。あたり周辺からは冷たい冬の風が流れている。

 俺は壁に寄り掛かり、そっと目を閉じる。そして、

 

 

 

 

 ーーーーーー腹に容赦無い拳が埋まった。

 

 

 

 

「ーーーーーウ″ッ……!!」

 情け容赦が一切含まれていない、重く悪意の籠った拳が腹部にめり込む。平塚先生のソレとは違う、傷付ける為だけの一撃。

 

 痛みで吐きそうになるのを必死に堪えるため、そのまま地面に倒れこみ。唇を噛む。

 口の中に滑りとした鉄が流れ込んでくるとほぼ同時に、

 

 

 ーーーーーー力を込めた蹴りが、再び腹部に入った。

 

「オ″ァ!………ウ″ッオ″ええ″エ″エエーーー」

 今度は我慢することが出来ず地面に胃液が散乱し、周辺に酸の混ざった独特の臭いが立ち込める。

 

 昼休みになると暴力が振るわれるのは知っているため、朝食を作ってくれた小町には申し訳ないが、

 あらかじめトイレで朝食べた物は全て吐いている。一撃目で嘔吐を我慢したのは、俺のささやかな抵抗だ。

 

 

 痛みで地面に嘔吐を繰り返している俺を連中が

 

「ひひっ!!汚ねぇなあ」

「オラ!これで終わると思ってんのかよ立てゴミ!!」

「死ね!クズが!!」

 

 などと、貧相なボキャブラリーで口々に罵倒する。その間も彼等は脚を休めることは無く、俺の脚に、腕に、腹に、次々と蹴りを入れていく。

 

 その度俺は、口から「オ″ゥッうウ″うぅぅ……!」「オヴェぇ!!」と激しく嘔吐(えず)きながら涙を流し唇を噛む。

 

 

 涙で滲んだ視界で、連中を見る。そして、今更ながらさっきまでは5人だったはずの人数が、6人に増えていることに気付く。誰だ……?

 その1人は何もせずにただ突っ立ているだけだ。顔を見ようとするが、涙で視界がボヤけてしまっているせいで、上手くその顔を視認することが出来ない。

 そんな今更どうでもいい事を気にしていると。今日一番大きい蹴りが腹に飛んできた。

 胃が中の物を逆流しようとする。そのまま内臓までも出てしまうんじゃ無いかと心配するほどの嘔吐。

「オ″ウ″ェェェエえええエエエエ……ッーーーーーーー!!」

 

 

 彼等は腹によく蹴りを入れてくる。的が大きいし、蹴り心地も良いからだろう。

 ヤられている方からしたらたまったもんじゃない。

 

 俺が制服を着ているため連中は知らないが、俺の身体、特に腹部は埋めつくさんばかりの痣。内出血。場所によっては内出血で済まず血が滲んでしまっている。

 

 医療知識に疎い俺にも分かるほど、危険な状態。

 今この瞬間、内臓がイカれてしまってもなんら不思議ではない。血反吐をブチまけても。入院することになってもなんら不思議では無いのだ。

 

 そして………近いうち死んでしまっても。

 ……流石にそれは言い過ぎだろうか。

 最近自分の死について明確に考えることが増えた気がするな、とそんなことを頭の冷静な部分で思った。

 

 絶えることなく蹴りは飛んでくる。

 腕は蹴られる度にまるで釘を身体に捻じ込まれそのまま大きなハンマーで叩いたような痛みが。

 足はまるで皮膚を思いっきり引き剝がされているような痛みが。

 腹には熱した鉄を直接身体の中に注入され、その上を槌で乱暴に殴られたような乱暴な痛みが襲う。

 

 ぼやけた視界で火花が何度も散る。

 このまま意識を失ってしまいたい。このまま死んでしまえたらどんなに楽だろう。

 しかし、激しい痛みがそれを許さない。意識が飛びそうになる前に、鉛のように熱い痛みで現実に引き戻される。

 

「ーーーーーーーーーーーーーー」

だんだん俺の悲鳴が大きくなっていく。

 

 すると口を布で縛られ、声を封じられる。口内が粗い作りの布で擦れ、皮が剥けて血が滲む。

 

 比企谷八幡は叫び続ける。たとえ喉が潰れても。

 

 止まぬ暴力。終わらぬ地獄。

 

 

 嗚呼、死んでしまいたい。

 

 

 耳元で俺の嗤い声が聞こえる。

 

 

 そこで俺の精神は……擦り切れた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

 最初は暴力もここまで酷くは無く、せいぜい子供のお遊び程度だった。

 しかし、俺が何をされても反撃しない事をいいことに、暴力は少しずつエスカレートしていき、気付けばこんなことになってしまっていた。おい、何も言うな。自分が一番驚いているのだから。

 

 蓄積されていく傷と痛み、そして暴力の質と量が、毎日比例するように増えていった。

 ただ、この中途半端なイケメン面に蹴りが飛んでこないのが唯一の救いだろうか。顔に傷あったら目立つもんな。そのため連中は外部から見て目立つ場所に暴力を振るわない。その分悪質だ。

 痛みで転げ回る俺を見る、連中のその表情はどこか満足げだ。

 

「彼らは青春の二文字の前ならばどんな一般的な解釈も、社会的通念さえも捻じ曲げて見せる。」

 自分の作文のとある一節を思い出す。

 ああ、まったくだ。その通りだ。アイツは暴力が悪という一般的解釈。社会的通念さえ捻じ曲げ、自らを正当化して暴力を振るってくる。自らの中で勝手に定めた歪んだ正義に酔いながら。

 

 俺があの日平塚先生に提出した作文の内容は、少しも間違っていなかった。寧ろドンピシャだ。

 まったく……自分の観察眼を褒めてやりたいね。人の醜い暗部を見ることにだけ長けたこの観察眼を。

 

 話は変わるが、

 葉山率いるトップカーストの連中と由比々浜はこのことを知らない。

 当然だ。善人の葉山がこのことを知っていて止めに来ないわけが無い、知れば葉山は絶対に俺を救いに来る。これは別に俺のうぬぼれではないと思う。

 葉山隼人ととはそういう人間だ。

 だからこそ、きっと動き出せば正義感から必ずどこかでミスをする。

 そしてそのミスはきっと、戸部が奉仕部にした依頼。海老名さんが俺と葉山に託した依頼。

 それぞれの内容が暴露されることに繋がる。そう確信出来る。理由なんてない、ただの俺の勘だ。だが、こういう嫌な予感だけはいつも当たっちゃうんだよな。

 

 修学旅行の真実が暴露されれば、きっと俺の受けているいじめは全て終わるだろう。

 だが、それは同時に葉山たち、トップカーストの崩壊を意味する。

 戸部は葉山を糾弾するだろう。どうしてそれを自分に教えてくれなかったのかと。アイツは薄っぺらい人間だが、本気で海老名さんのことが好きだったからな。海老名さんの嫌がることはしたく無かっただろう。知っていれば告白だって止めた。なのにその情報を葉山は言わなかったのだ。必ず諍いに発展するだろう。

 

 そして、依頼の全貌が明らかになってしまえば、あの空間に耐えられなくなる奴がでてくる。

 そうなった奴はまず自己保身に移るだろう。そんな奴がでてきてしまえばおしまいだ。

 自己保身に移った人間が何を行うかなんて安易に想像がつく。結果として、あっという間にあのグループはバラバラになり無くなる。

 

 だが……、だがそんなことはさせない。

 

 あそこには由比々浜がいる。

 由比々浜は優しい女の子だ。修学旅行の本質を知ってもアイツらとは友達でいたがるだろう。

 だが残念ながら他の奴らはそう思わない。彼女のコトを否定するだろう。その結果彼女は深い傷を負うことになる。

 あのグループは由比々浜が思っているよりもずっと、ずっと薄っぺらいのだ。

 それはもうチェーンメール事件で明らかになっている、証明するまでも無い。

 

 とにかく、そうなってしまえば他の奴らは確実に由比ヶ浜から離れていく。そして、そうなってしまえば由比ヶ浜はひどく悲しむ。

 ……それは嫌だ。あいつの悲しむ顔なんて見たく無い。

 

 

 

 

 

 だから、俺はある日海老名さんに接触し、彼女に一つ依頼をした。

「葉山たちを、由比ヶ浜を……俺から遠ざけてくれ」

 それが、俺が彼女にした依頼の内容だ。

 

 海老名さんは最初俺の依頼を聞いた時、酷く反対していたが、俺が土下座すると最終的には依頼を引き受けてくれた。

 何故俺が彼女に依頼したのか。それには三つ理由がある。

 一つ目の理由はトップカーストに所属し、あの三浦と葉山動かすことが出来るだけの発言力を持っているからだ。葉山は彼女の内面を知っているし、三浦は彼女が己(おのれ)から離れていくことをどこか恐れている、海老名さんの我儘も割とあっさり通るだろう。そして、三浦と葉山さえ動けば、由比ヶ浜を含んだあとの連中も流されるように動く。

 

 そして、二つ目は彼女は(さと)いからだ。海老名さんは、明るく腐った言動とは裏腹に、その実周りをよく観察していて、頭も切れ、言葉巧みに葉山達を動かすことが出来る。必要とあれば、事情を葉山に話すなど、臨機応変にもっとも効率的な手段をとることが出来るだろう。俺と根っこが似たタイプだ。そんな彼女のことだ、俺がいじめにあっていることにもすぐ気が付いたことだろう。

 

 そしてそれが三つ目の理由。

 俺がいじめを受けているのを「自分の責任だ」と、思い込んでいる節があるからだ。そんな彼女の罪悪感に漬け込んだ。彼女自身かなり追い詰められていたようだったからな。簡単だった。

 

 俺の依頼を受けたあと、海老名さんが悲しそうな顔で

 

「比企谷くんそれ以上自分で自分を傷つけないで。……比企谷くんを傷つけた私が言っていい言葉じゃないのは分かってる。でも………どうしても言わなきゃいけないと思ったの」

 

「……ごめんなさい。」

 

 そう、涙を流しながら言ってきた。

 同じような言葉を何度かかけられたことはあったが。まさか海老名さんからもその言葉を聞くとは思わなかった。

 

 だが、俺は自分のこの方法を変える気はない。

 効率が良い方法があればそれを採る。自己犠牲に勝るものがないのなら、自己を犠牲にして行動するしかない。

 

 傷つくのは自分だけでいい。

 

嗚呼、きっとコレはただの自己満足で、自分に酔っているだけなのだろう。中二病を発症して「俺カッコいい!」などと思い込んでいたあの頃から、何も成長しちゃいない。

 だが今は。それでいい。

 今回のいじめで、俺以外何も犠牲にせず、最も効率的な方法が時間が解決するという方法だけだったというだけの事だ。そう、それだけの話。俺は何も間違っちゃいない。

 

 そう俺は結論付けようとした瞬間。

 

「違うだろ?最も効率のいいのは、そのやり方じゃないだろ?」

そう、俺を馬鹿にするような声が頭の中で響いた。

 

その言葉に。その嗤い声に。

 

 

 

 徐々に意識が覚醒する。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 意識が覚醒したとき、連中はいなくなっていた。

 

「グゥっ……」

 

 身体を走る激痛に低い声を出しながら、必死で首と眼球を動かし周囲に連中がいないか確認する。

 

 誰もいない……。

 

 連中の姿が見えない事に安堵し、深く息吹く。

そして身体を芋虫のように引きずりながら、壁にもたれかかった。

 

ゆっくりと頭を上げ、空を見る。

 

 もう授業は始まってしまっているだろう。今日は平塚先生の授業はない。

 

「さぼるか…。」

 

 そう独り呟いて俺は目を閉じた。そして今度は自ら望んで意識を手放そうとする。

どうせ、ボロボロの体だ。少しくらいダメージをくらったて変わりゃしない。

体育館裏は、刺すように冷たい風が容赦なく吹いている。

 

 それでも。意識を手放すことに抵抗はない。

 目を閉じると、30秒と経たず目蓋が重くなってくる。

 

 

そしてそのまま比企谷八幡は意識を手放そうとした瞬間。

 

 

「違うだろ?最も効率のいいのは、そのやり方じゃないだろ?」

 

 

 あの言葉がもう一度、俺の耳元で聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 その言葉に目蓋を開ける事は無く、

 

 今度こそ俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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