その日、比企谷八幡は自ら命を絶った。   作:羽田 茂

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喪失者
その日、彼は目覚め。歯車は人知れず回り出す。上


 俺より先を歩く人影が見える。真っ白な世界で、彼女達の姿がハッキリと映る。

 一人は流れる様な黒髪をしている女の子。

 もう一人は明るい茶髪を団子にし、それを頭の上で纏めているのが特徴的な女の子。

「あ…っ、ゆ…」

 俺はその子達の事を知っているのか、その名を呼ぼうとする。

 だが、それよりも先に、

「どうしたの?」

「どうかしたのかしら?」

 二人の少女が向日葵のような笑顔を浮かべながら、振り返った。

 

「あ……っ」

 途端、視界がじんわりと滲んだ。

 

「ちょ、大丈夫…ーキー!具合悪いの!?」

 突然涙を流し始めた俺に二人が心配そうな声を掛け、駆け寄ってくる。

 泣き顔を彼女達に見られたくなくて。無様なところを見られたくなくて。

 俺は思わず顔を俯かせ、手で覆った。

 

 ″なんでもない。安心してくれ〟

 そう言わなければいけないのに、二人を安心させなければいけない……なのに、喉からは嗚咽を噛み殺した様な声しか出てこない。

 

「え、先輩!?なんで泣いてるんですか!?」

「お、お兄ちゃん!?」

 え…?

 顔を上げると、そこには甘栗色の髪をした少女と、黒髪にアホ毛をピョコンと立てた少女が立っていた。二人ともさっきの少女の達のように心配そうな目を俺に向けていた。

 

 いや、彼女達だけではない……そこには彼女達の他にも大勢の人々がいた。

 薄い笑みを張り付けた赤縁色の眼鏡をかけた少女。

 困った様な笑顔を浮かべた金髪の青年。

 彼の隣では明るいロールを巻いた髪をした少女が、くるくると指で髪を弄っている。

 その後ろでは、どこか蠱惑的に微笑みを浮かべた黒髪の女性が立っていた。

 女性の足下には青みがかった髪をした小さな女の子が。その隣には女の子に優しい笑みを浮かべたポニーテールの少女が。

 青みがかった髪をした姉妹。三つ編みをしたおでこの明るい少女。

 

「あ…」

 思わずその光景から目が離せなくなっていると、

「比企谷、どうしたんだっ?」

 背中から声を掛けられた。肩にポンと手が置かれる。

「…か先、生…」

 白衣を着た女性。彼女は何処か困った様な優しい微笑みを浮かべていた。

「……何があったのかは分からないが。……よく頑張った」

 そしてそう言うと、ゆっくりと俺の頭を撫で始めた。

 暖かな温もりが掌を通して伝わってくる。

「……ッ」

 ぼたぼたと溢れる涙が衣服に薄いシミを作る。

 

「八幡…?もしかして、また何かムチャしたの!?」

「まさか!?おい、八幡!我達はいつでも手を貸すと言っていただろう?」

 横を向くと、今度はそこに二人の少年がいた。

 彼等は俺に怒った様な表情を向けている。

 だがそれも一瞬のことで、すぐに優しげな表情を浮かべ直し、二人は俺に手を差し伸べた。

「ほら、いこう八幡!今日はみんなでお出かけするんでしょ?」

「そうだぞ!八幡!」

「っああ……、そうだな…っ」

 

 俺はその手を取って立ち上がる。涙は止まらない。

 

「ほら、行きましょ!先輩!!」

 トン、と俺の背中が押される。

「ヒッキー、もう大丈夫だよ!」

 女の子は微笑みながら言った。

「そうだぞ、比ーー君!今日は辛いことなんて忘れて遊ぼっー!いつでもお姉さんが相談に乗ってあげるからさ!ね、雪乃ちゃん!」

「いちいちくっ付かないで頂戴、姉さん。でも、そうねーー企谷君、今日は全部忘れて遊びましょう?」

 隔てる壁などなかったかの様に、二人の姉妹は笑っている。

 いつか見てみたいと、けれどその日は来ないだろうと思っていたその光景が目の前にあった。

 ヤバいな…涙が止まらない。

 ぐしぐしと眼を擦っていると背中をポンと叩かれた。

 

「ほら!急ぎたまえー…企ーー。みんな待ってるぞ?」

「そうだよ、早く早く!お兄ちゃん!」

 二人が前の方へ駆けていく。

「それじゃ、ーー幡!僕たち先に行っとくね!」

「うむ、早く来るのだぞ!!」

 

「ああ」

 

「はーやーくー!!ハニトー食べるって約束したじゃん!もう!」

 茶髪の少女が黒髪の少女の手を引きながら走っていく。彼女について行く黒髪の少女は、疲れ顔だ。

「待って…っもう少しゆっくり走って……っ」

 しかし、とても幸せそうに見えた。

 そんな妹の後ろ姿をニコニコした顔で見ながら、その姉は前へと歩く。

「まったく、小さい頃からだったけど相変わらず体力ないなー。まぁそこが可愛い所でもあるんだけど」

「ですね〜。それじゃ!私も。先輩も早く来てくださいね〜!」

 甘栗色の髪をした少女はそう言うと、あざとく笑った。そして、彼女たちに続く。

 走り音、歩き音は遠ざかっていく。

 

「早く来な!ーーー。けーちゃんも待ってんだよ!」

「そうだし!チンたらすんな!!ーーオ」

「マジそれっしょ!ーーくん!」

 

 それらの声にコクコクと頷いた後、涙をグイっと一気に拭う。

そして前を向いて俺は歩き始めた。

 視界の先で、彼等が笑っている。

 

「今行く」

 俺はそう一言彼等に言い、走り出した。

 みんなは俺が走り出すのを見て、安堵した様ににっこりと笑う。

 そして、くるっと体を前へと半回転させ緩やかに歩き出した。その最中で何人かが再び「早く」と俺を急かす様に手招きをしていた。

 

 思わず口元が綻ぶ。頬を伝う涙など、眼の痛みなどまるで気にならなかった。

 早く、彼等と一緒に行きたい。それだけを思い地面を蹴った。肺が上下に呼揺れ動く。足幅を大きく。俺は走る。

 

 ーーだから、すぐその違和感に気が付いた。

「…え……あっ?」

 遠い。彼等が遠い。

 頭の中を疑問符が埋め尽くす。

 彼等は歩き、俺は走っている。なのにその距離が縮まる気配は一向にない。

 

「……ッ」

 いつの間にか彼等の背中には黒い影が差している。廊下の窓から射し込む陽は罪科の様に赤く、俺を、彼等を照らしていた。

 いつから廊下を走っていたのだろうか。いつの間にか陽が傾いたのか。

 そんな疑問が湧いたが、離れ行く背中への焦燥に塗り潰されてすぐに消えた。

 上履きが地面に擦れ、キュッと高い音が鳴る。

「………ッ待ってくれ」

 荒い息を吐き、足を動かしながら言葉を発する。

 だが、その声が聞こえていないのか、彼等は少しずつ、だが確実に前へと進んでいく。

「おいッ!!」

 語尾を荒らげ、走るスピードを無理矢理上げる。そして逆光のためか真っ黒く染まった背中を追いかける。

 痛み出した脇腹を腕で押さえ付けながら。

 

 その時。一番後ろを歩いていた少女の横顔がチラと見えた。

 その横顔を見て、

「え……あ……」

 突然頭が冷えていった。さっきまで胸中にあった嬉しさ消えていく。

 冷たい汗が噴き出し、体がグラつく。

 そして、脚同士が衝突し俺はそのまま地面に体を強く打ち付けた。

 大した痛みない。その筈なのに、ぽた、と収まりかけていた涙が再び零れた。

 胸の内を孤独感が這いずり、走ったばかりで息が上がっているせいか呂律が上手く回らない。

 

「……っ……待てよ…っ、待てっ…」

 ギッと歯ぎしりを鳴らし、深く息を吐き出す。

 腕に力を込め、俺は伏せた体を起き上がらせた。そして、遠ざかっていく背中を睨めつけ、

 

 叫んだ。

 

「待ってくれよッ!!!!」

その言葉が聞こえていないかのように、影達は遠く遠くへ進んでいく。

 視界が滲んでいるにもかかわらず、その姿がやけにハッキリと映る。目を逸らすなと。見ていろと、そう俺に言っているようだった。

それが自分の内側を抉り出すように痛く、その空いた穴を埋める様に喚き散らす。

 拳を握り、何度も地面叩く。

 

「なんで止まってくれねぇんだよッ!!なぁ!なん…で……」

 彼等、彼女達の影が搔き消える様に、長い長い廊下に融けていく。

 地面に叩きつけた拳から、ゆっくりと力が抜けた。

嗚咽を漏らしながら、消えた背中へと、廊下の先へと伸ばす。しかし、その手が何かを掴むことはない。ただ寒く冷たい、虚空を掴んだ。

その手が地面に落ち、地面に額を当て、膝を折り腕を垂らす。

 水滴が鼻筋を伝い、廊下を濡らす。

「…………頼む……から…」

先程まで胸にあった温もりはまるで嘘だったかのように消え、気付けば凍てついた真冬の水道水身体を浸したかのような圧迫感と、漠然とした不安が胸に張っている。

喉張り付き、鼻が痛い。

「嫌…ッだ…。俺を……」

 呼吸重い。感情が肺に溜まり呼吸が苦しい。

 それを吐き出す様に俺は叫んだ。

 

「俺をッーーーーー

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




大変遅くなりました。二ヶ月近く待たせてしまい、本当に申し訳ありません。

今回はキリの良いとこで切ったので、量がかなり少なくなっています。上下回です。
あえてあるものに内容に触れないようにしたらこうなりました。
そして、プロットが出来ました。やたー。このまま突っ切るぜ!
てなわけでして、ここからは削除無しで記憶喪失編終了まで突っ切らせて頂きます。
何度も削除を繰り返し、多くの方々に不快な思いをさせてしまったと思います。
本当に申し訳ありませんでした。

あと、最近どうにもモチベが上がらないので、当分は「短編」…恋ガイルを更新していこうと思っています。

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