その日、比企谷八幡は自ら命を絶った。   作:羽田 茂

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初めて作品を投稿するということもあって、色々至らないところも多くあると思いますが
生暖かい目で見守って下さい。


八幡には最終的に幸せになってほしいです。


では、本編をどうぞ。






プロローグ
その夜、比企谷八幡は自ら命を絶った。


 

 

 

 

 

 

肌を刺す師走の冷たい風が、俺の口から吐き出される息を白く染めている。

 過ぎ去る景色に、俺の見慣れた千葉の住宅街や町並みはない。

今周りにあるのはジジ…と点滅を繰り返し今にも消えそうな、陰気な街灯だけだ。それは低く錆びれたガードレールに沿うようにポツポツと配置されている。中には命尽きた街灯も混じっている。

暗い夜道には凍った空気が充満しており、虫の声すら聞こえてこない。まるで自分の周りだけが全て死んでしまったようだった。

そんな冷たい空気と対照的に、俺は体に篭った熱を吐き出すように荒い呼吸を繰り返しながらペダルを踏む。

 

視界はボヤけてグチャグチャで、ガードレールのその先。その先に見える夜空と水平赤とを隔てる一本の線は酷く曖昧になっていた。

 そうなって当然だろう。嗚咽を嚙み殺す事もせず、涙を止めどなく流し続けているのだから。目の前が見えるわけがない。鏡を見るまでもない、今俺の顔は見るに堪えない悲惨な状態になってしまっているのだろう。

ボロボロと涙を流しながら、自転車をこぐ俺の姿は、さぞかし薄気味悪い出来に仕上がっているに違いない。

 

 ……思い返せば、逃げてばかりの人生だった。

 人間関係から。期待から。妹から。大切な人たちから。………果ては自分から。

 俺は一体どこで間違えてしまったのだろうか

 何度も自身に問いかけたが、結局答えが出ることの無かった問い。

 

気付けばハンドルを握り潰さんばかりに拳を固めていた。

何やってんだ俺は。俺は一度ハンドルから片手を離し、ぐっぱと手のひらを開閉する。

それが間違いだった。

ハンドルを支えていたもう片方の手から突然ーーフッと力が抜けた。

「うおッあ!?」

俺は慌てて離していたもう片方の手をハンドルに戻す。だが、一度崩れかけた態勢はそう簡単には戻らず、自転車はタイヤを擦りながら、右へ左へ蛇のように出鱈目な動きをしーー

 

そしてとうとう体勢が維持できなった俺は、思いっきり地面に叩きつけられた。

 

「……カハっ…」

背中に鈍い痛みが走り、肺から息が漏れる。

だが次の瞬間には、それが気にならなくなる程鋭く尖った痛みが俺を襲った。

「ひぃ…あカッ…ッヅあああああああああああああああああああ!!!」

激痛に口元を大きく歪める。

だが、人一人いない。車一つ通らない。雑踏から、日常から隔離された世界が声を拾う事は無い。

気がすむまで、痛みが引くまで喉を震わせ叫び続ける。

 

ここまでくるために、随分と長い時間自転車を漕ぎ続けた。

俺の脚、心臓、肺……身体全ては、すでに悲鳴を上げている。

額は割れ、頬を擦り、ボロボロの布切れのように惨めなその姿は、群れから追い出され、生きていく事が出来なくなった獣に似ていた。

「……」

冷えたガードレールにもたれ掛かっていると、少しずつ痛みが引いていく。

 

温度のない無機物を感じながら、俺はゆっくりと空を見上げる。

涙のせいで視界はぼやけてしまい、もう空に浮かび輝きを見る事は出来ない。

俺はのそりと起き上がり、倒れた自転車を起こす。

そして、

「……」

再び車輪を回し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁ……はッグぅぁあッ……!」

目的地に着いた瞬間、身体中から力が抜け、俺は自転車から転げ落ちる。自転車が倒れ、ガシャンと大きな金属音が鳴った。

 ここまで来るのに、随分と長い時間自転車を走らせた。ホントよく5時間も自転車を漕ぎ続けられたな俺……。もう、足バッキバキなんだけど。っべー。

 

 「はぁッはぁッ……」

もうダメだ、一歩も動けねぇ………! はっは……!はぁっは……!っは!っは!犬か俺は。

 火照った体に冷たい夜の風が気持ちいい。ずっとこのままこうしていたいくらいだ。だが、残念ながらそういうワケにもいかない。

時刻は深夜3時を過ぎている…あと数時間で朝がくる。

 

 俺は上半身を起こし、自分の視界に広がる景色に目を向ける。

 あたり一面に広がる星空。暗い海に鏡のように自らを映す満月。そしてすぐ目の前にある、錆のついたフェンスとありきたりな言葉。……自殺を呼び止める看板。

 

「…今日で終わりか」

独り言が随分増えたモノだと思う。なんとか木さんいわく人間強度も上がるし、エリートボッチとしては嬉しい限りである。

 俺は自転車のカゴから俺の手元まで転がってきたマッカンを拾い上げ、プルタブに爪をひっ掛ける。カシュっという小気味良い音がし、そのまま中身を喉に流し込む。

 

「……ンクッ……ッン…」と喉から声が漏れる。

 甘さとコーヒーの香りが口の中を一瞬で支配していく。

 飲んでいるうちに、涙が俺の頬を伝う

缶を口元から離して、手で覆うようにしながら体を小さく丸め、嗚咽を漏らす。

「…………ゥグうぁあッ………」

あまりに情けない姿だ………。無様だ、滑稽だ。

たった数日で俺の信念などはボロボロに砕けた。ここにいるのは由比ヶ浜と雪ノ下…一色いろは。あいつらに全ての鉛を背負わせて逃げ出そうとして、全部を投げ出そうとしている、臆病者だ。

分かっている。理解している。でも、もう俺が耐えられないんだ。

薄汚い負け犬そのもの。そんな自分の姿に。

 

「グッ……ヒグゥ………………

 

 ………ブフッ!………」

 

 笑い声が漏れた。

 

「ヒグゥッ、ヒっ!……」

「ああ……ひひはは、あははっ!!」

「…ハハ…ヒッ…ヒひひひひひぃあはははははッ!!」

自分でも何が面白いのか分からない。でも、笑えた。ただ笑えた。

 俺は顔を涙と鼻水でグチャグチャにしながらも、腹を抱え、笑い続けた。

腹が軋みを上げるまで笑い続け、息を吐くのも困難になった俺は笑うのをやめる。

「ハッ…はぁ……あー……」

最悪だ、最悪の気分だ。

 

俺は心の中でそう吐き捨て立ち上がる。

手から力を抜くと、まだ中身の入っている缶はコンっと高い音を立てながら地面に落ちて、地面にその中身を溢した。

とろとろと流れ出ている茶色の液体は、土に吸収され消えていく。

きっと俺の人生だって、こんなものだったのだろう。

俺は緩慢な動きで足を進ませ、フェンスの網目に指を掛ける。

そして、ゆっくりと登り始めた。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

 

 

 フェンスの外側に立つと、只でさえ刺すようだった冬風が、更に冷たさを増したように感じる。

咽せ返らんばかりの潮の匂いが鼻を麻痺させた。

 

 

「お前ともここでお別れだな。」

そう呟くと、「そうだな」と、フェンスの向こう側にいる俺は笑いながらそう言った。

 

「……背中押してくれ。そのためにいるんだろ?」

「え、俺任せかよ」

少し面倒くさそうに返された声に、ふっと嘲笑にも似た笑い声が漏れた。

「悪いか?」

「いんや、全然?」

 

 何が面白いのか笑いだす俺。

 

「お前の分のマッ缶くらい買ってやればよかったな。悪い。」

 

 俺がそう心にも無い謝罪をすると、俺は「自分で溢しといて何言ってんだか」と小さく(ぼや)き、そしてまたカラカラと笑った。

 

 ……が次の瞬間、その表情が能面のような真顔に変わる。

 

「早く跳べよ」

 

 

 ″ああ、醜いな俺は〟そう心の中でポツリと漏らす。

 

 俺の手がフェンスの小さな網目を手がすり抜け俺の背中を「トン」と押した。

 

足元から地面が消え、代わりに浮遊感が俺を包む。冷たく刺す様な風が真下から俺を押す。

 

ああ、確か20m位の高さから飛び降りて水面に叩きつけられたら、どれ位の確率で死ぬんだっけ?足からで50%?

あれ?ここって何mだっけ。

この高さだったら、死ねるよな?

 

ああ、頼むからーー

 

 

 

 

ーー片道切符であってくれよ。

 

そう願いながら、俺はそっと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

だがーー。

 

いつまで経ってもその瞬間は来ない。

聞こえてくるのは風の音だけで、時間的にとっくに落ち切っているはずだが。

″あ?おかしいな〟

そう思い、瞼を開けようとしーー。

 

 

 

「ーーーーーーーッッッ!!!」

 

上を向いていた筈の視界が激しくブレ、頭の中を火花が散った。

飛沫が舞い、文字通り叩きつけられ、四肢を千切られる様な痛みが全身を駆け抜ける。

 

凄まじい風音が消え、冷たい真冬の海水が俺を飲み込む。

「ガボッーーーッ」

にも関わらず俺が最初に感じたのは。

 

身を焼き尽くすかの様な熱だった。

 

「あ″ああああ″あ″あ″ああああああ″ああーーッッーー」

悲鳴の代わりに口から大量の泡が音を立てながら上へ上へと上がっていく。

海水が眼球を圧迫し、その表面に爪を立て掻き毟っているかの様な激痛を与えてくる。

腕の、脚の、腹の、顔の擦り傷から、そして背中の切り傷から水が皮膚の内側へと浸入する。

傷口に塩とはまさにこの事だろうな。そんな洒落にもならないことを、激痛の中俺はふと思った。

しかし、そんな片隅の冷静さなどは一瞬にして痛みに塗り潰され消えた。

 

溶かした鉛を体に掛けられ皮膚が炙られ爛れる様な痛みが全身を這い回る。

痛″い″。

焼ける。溶ける。爛れる。

 

海水に触れた全身の傷が叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。

今すぐ全身の皮膚を掻き毟り、削ぎ落としてしまいたい。

そんな狂気に染まった思考が頭を浸す。

だが、その狂気も次に遅れてきたモノに呑まれた。

 

寒い。

 

そんな、熱さとは相いれる筈のない矛盾した感覚に。

 

一本通行の呼吸により、とうとう肺を息苦しさが満たす。

本能が肺に酸素を取り込もうとし息を吸おうとする。だが、耳鼻から入ってくるのは水だけで、それは最初から分かっていたはずだった。

ギチ……ッ。

手が喉を絞め、皮膚に深く爪を立てた。

自分でも何をしているのか分からない。ただ、苦しくて。

苦しくて。苦しくて。

 

苦しくて。

 

「あーー」

口から出た気泡が、コポンッ…と音を立てた。

それはゆっくりと上がっていき他の泡と交ざっていく。

煙が上がると錯覚する様な熱は引いていない。だが、凍った水の冷たさが俺から感覚と体温を確実に奪っていっていくのを感じていた。

その証拠に、ほら。

次第に指先から、徐々に感覚が消えていっている。

 

喉に手を掛けながら、それを俺は茫と眺めていた。

気付けば首を絞めていた手からは力が抜けており、今にも筋肉が完全に弛緩しダランと垂れてしまいそうだ。

そんな事を酸欠に陥っている脳で考えていると、

脳内にズルとも言えぬグチャとも言えぬ、奇妙な音が聞こえてきた。

 

波に流されていく感覚の中でそんな音が何度も響き渡り、その度視界を赤が横切った。

薄い赤が。ゆっくり、ゆっくりと。水に垂らしたアクリル絵の具の様に。

 

もう、俺にはその赤が何なのか認識するための意識は残っていない。

だがそれでも俺は、眼前にある光景を瞳に映し続けるために眼を開き続ける。

 

突如、身体が小刻みに痙攣した。

 

痛覚と、無痛の間に引かれている筈の境界線が曖昧になっていく。

視界に映っている暗闇が、微かな月明かりが…全てが混ざり合い模糊となっていく。

 

そんな世界に。

「…っ」

 

彼はいた。

ただ一人だけボヤけ、黒く沈んだ世界から切り離されて。

 

それを見て、俺は薄く笑う。

一独りは怖かったんだ。

景色が、触覚が、聴覚が、嗅覚が、感覚が、痛覚が、意識が、俺を置いていく。

でも、もう、瞼を閉じても良いだろ?

お前はその程度で消えねぇよな。

 

俺をーー。

 

俺を独りにさせねぇよな。

 

頭蓋に響く様な衝撃が走る。

体の内側から、肺から、口の中から″コポ…ッ〟と音が聞こえーー俺の視界から色が消えた。

 

 

 

 

 

 ーーー最後に遠くで「じゃあな」と声がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「紅茶の香りはもうしない」

 

 そう、二度とすることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは

(比企谷八幡)が死んだ日の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーよ………ったーー生きーーぞ!ーー早く!ーーにーー」

 

 ーーその日。彼は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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