今日から更新を再開したいと思います。よろしくお願いします。
カーテンが開けられた大きな窓から温かな日差しが射してくる。暑い夏ならばただただ鬱陶しいだけの日差しも寒い冬には救いの手となる。とはいえもう冬。部屋の中にいるからこそ日差しの温かさを感じられるが、外に出れば冬の寒さは容赦なく身に降り注ぐだろう。
そんな日差しを浴びながら、慶介はリビングのソファに寝転がりながら肘掛けに雑誌を広げ、眺めていた。だが眺めるといっても、ページに向けられた視線は真剣そのものなのだが。
「兄さん…。何をそんなに真剣に見てるの…?」
そんな鬼気迫ると言っていい様子の慶介に、呆れた表情を浮かべながら声を掛ける少女がいた。慶介の妹、司である。司は慶介の頭頂部を見下ろしながら、肘掛けの上で開いている雑誌のページを目にして、溜め息を吐いた。
「グルメ雑誌なんか」
「ばっか。俺はこの雑誌を見て今日の夕飯に丁度良い料理を探してるんだ。いつも司や母さんに夕飯のメニューを考えさせるのもあれだと思ってな」
「メニューを考えるのじゃなく作るのを手伝おうとは考えないの?」
何とも痛い所を突く妹である。少し前までは…。正確に言えば3、4年くらい前までは可愛い妹だったのに。
(…あれ?そんな変わってない?…あれぇ?)
と、思っていたのだが今思い返してみればそんなに変わってない気もする。いやでもホントに小さい頃はお兄ちゃんお兄ちゃんとちょこちょこ後をついてくるような可愛い妹だったのだ。それはホントなのに。
一体何時からこんな兄を敬わない生意気な妹になってしまったのだろう。
「そんな事より兄さん。もうそろそろ準備しないでいいの?」
「あ?…あぁ、そうだな」
そんな事とは何だそんな事とは。これでも割と真剣に考えてたんだぞ。特に今開いてるページの麻婆豆腐とか。二人に作ってくれないかなぁとか。
とは口に出さず、時計の方を向いている司の視線を追って今の時刻を見て慶介は司がここに何しに来たのかを悟る。
司はそろそろ出ないと明日奈との待ち合わせの時間に間に合わないのではないか、と報せに来たのだ。決して忘れてた訳ではないが、確かに雑誌を読むのに熱中しすぎてたかもしれない。慶介は雑誌を閉じ、元にあったスタンドに戻してソファから立ち上がる。両手を組んで、一度大きく背筋を伸ばしてから司の横を通り過ぎてリビングを出ようとする。
「行ってらっしゃーい。頑張ってねー」
「何を頑張るんだよ…。ていうかお前も早く準備しないと午後練間に合わないんじゃねぇのか?」
「大丈夫だよー。今日は3時からだから」
からかうように言ってくる司に応戦するもあっさりと流されてしまう。相手に聞こえないよう小さく舌打ちしてから今度こそリビングを出て二階へと上がる。
SAOから帰還してからもう一年。当初は少しぎこちなかった司との関係も今ではすっかり改善された。少々妹に調子に乗ってる節はあるが…。
(ガツンと言いたくなる時もあるけど、こいつ現実での戦闘力やべぇからな…。いやゲームの中でもやべぇけど)
内心で愚痴る慶介。
そう、去年、中学一年にして全中優勝という偉業を成し遂げた司だが、あれから中学生女子を対象とした剣道大会では今の所無敗を誇っている。今年の全中優勝、その他の大会も優勝。先月だったか、和人の妹、直葉と一緒に出た女子学生を対象とした全国大会でもベスト4に入るという化物っぷりを見せた。あの大会、司と直葉以外の出場者は全員大学生だったにも拘らず、だ。
その日、慶介は両親、桐ケ谷家、そして明日奈と幸と一緒に二人の応援に行ったのだが、二人が勝ち上がる毎に女性組の興奮が高まるのに反して男性側のテンションは下がっていった。なんかもう、おかしいよあれは。そして司は先程も言ったが準決勝、直葉もベスト8まで勝ち残ったのを見て男性陣は思った。
あの子の機嫌を損ねるのは、やめよう。
ちなみにALOの方でも司は剣の才能を如何なく発揮している。今ではALOのトッププレイヤーの一人に慶介と共に数えられている。更にインプケイとシルフアミタは兄妹だとも広く知られてしまい、周囲から最凶兄妹と称されている。最強、ではなく最凶である。
何故そう呼ばれるようになったのかは、まあ…怖いモノ見たさ、好奇心で二人を狙うプレイヤーの集団は必ず全滅するからだ。一人でも逃す事なく、全滅だ。そしてたんまりと手元に入ったペナルティーをウインドウで確認しながら、兄妹は悪魔の如き高笑いを上げるのだ。
誇張などしていない。全て本当の事である。それらによって、ケイとアミタは二人揃ってる時も揃ってない時も目を合わせてはいけないとまで言われるようになってしまった。おかげでただ街を歩いているだけでケイ、アミタの顔を知っているプレイヤーはすぐに逃げてしまう。特に二人でいる時なんか顔を青ざめるというおまけ付きでだ。
これは余談なのだが、そんな兄妹は一体どちらが強いのだろうか、という疑問が流れているのだが、二人がそれを知るのはまだ少し先の事である。
そんな風に過去の出来事を思い返しながら部屋に戻った慶介は、タンスの中から少し考えた後、選んだ服とズボンを取り出してベッドに放る。そして今身に着けている部屋着を脱ぎ捨て、ベッドの上に放ったベージュのニットと濃い色のジーンズを身に着ける。その後、タンスを開けて中から黒のダウンジャケットを上から着る。
衣服の準備を終えた慶介はデスクの上から財布、スマホと家のカードキーを取り、カードキーは財布の中に入れてからスマホとそれぞれポケットの中に入れて部屋を出る。
再び階段を下り、今度はリビングとは逆の方向にある玄関へ。リビングからは司の笑い声が聞こえてくる。今日は父も母も仕事でいない。バイトの使用人も休みでいない。だから今、家の中には慶介と司の二人しかいない。友人と電話でもしてるのだろうか。
そんな事を考えながら靴を履き、ドアロックを開けて外へと出ようとしたその時だった。ポケットの中のスマホから着信音が鳴ったのは。ドアを開けようとした手の動きを止め、ポケットからスマホを取り出し、画面に映し出された発信者の名前を見て慶介は顔を顰めた。
無視しては駄目だろうか。…駄目なんだろうな。さすがにな。
と僅かな葛藤の後、スマホの通話ボタンをタップして通話を繋げる。
「もしもし、辻谷です」
『あ、ケイ君かい?僕だよ、菊岡』
聞こえて来たのは馴れ馴れしい男性の声。きっと電話の向こうでも、その声の主は馴れ馴れしく笑っているのだろう。と、勝手に予想する。
「何ですか、菊岡さん。俺、これから用事があるんですけど」
『あー、そうなのかい?今から銀座のあのカフェに来てほしいんだけど。ちょっと君に頼みたい事があってね』
「…あの、聞いてました?俺、これから、用事が、あるんですけど」
『聞いてたよ。でもこっちの方も急いでてね。何とかならないかな?』
「…」
何とかも糞もないんだが。まあ先約が菊岡で後から明日奈、だったらまだどうするか考える気も起きるんだろうが、先約が明日奈で後から菊岡なんて考える気も起きない。無理だ、また今度にしろ、と今すぐバッサリ切り捨ててやりたい。
だが菊岡の役職を考えれば、その急ぎの用とやらがそっち関係なのは簡単に予測できる。
現に以前こうやって呼び出され、バイトを頼まれた事は何度かあった。恐らく今回の呼び出しもそういう類なのだろう事は解るのだが…。
「…それは今すぐか?」
『うん。ケイ君が今すぐをお望みならそうするよ。もう一人の方も今すぐが良いって言ってるし、用事を押し切って呼び出す僕が時間を指定するのもあれだしね』
「?」
もう一人、とは誰なのか。菊岡の台詞のちょっとした一部に引っ掛かりを覚えながらも、余り時間を掛けられないためすぐにまとめに入る。
「じゃあ今から向かう。銀座の前と同じ店だな?」
『そう。ありがとね、待ってるよ。ケイ君』
「きも」
最後に一言言い残し、何か言われる前に通話を切る。こちとら恋人との約束があるのに行ってやるのだ。そのくらいの文句一言は許されるだろう。
さて、とりあえず今は菊岡への苛立ちは捨てて連絡を入れておかねばならない人に通話を掛ける。呼び出し音が流れている間に扉を開け、外へ出てからカードキーでロックを掛ける。明日奈が出たのはその直後だった。敷地内外を繋ぐ門に向かって歩き出しながら、通話が繋がった音がしてから口を開いた。
「もしもし」
『もしもし、ケイ君?どうしたの?』
「いや…。明日奈さ、もう家を出ちゃってたりする?」
『え?まだだけど…、どうかしたの?』
どうやら危惧してた事態にはなっていなかったらしい。これでもし明日奈がすでに家を出てたりしたら、最悪明日奈と一緒に菊岡に会いに行ってた所だ。
「悪い明日奈。菊岡のバカに呼び出された。待ち合わせの時間と場所、ずらして良いか?」
『き、菊岡さん?もしかして、またバイト?』
「いや、詳細は知らんけど。まあ多分そうなんじゃないかと思ってはいる」
明日奈、というより慶介の周りの友人達は慶介がそういったバイトを依頼され、熟している事を知っている。実はもう一人、慶介と同じバイトをしている人物がいるのだが、その話はまた後にしよう。
(ん?菊岡が言ってたもう一人って、もしかして…)
そこで先程菊岡が言っていたもう一人について検討がついたのだが、今その事について考えるべきではないのでその思考は一度放棄する。
『…それじゃあ仕方ないね。それなら、今日のデートは中止にした方がいいかな…?』
「あぁいや。菊岡との話もそんなに掛からないと思うし、むしろ明日奈が言うなら菊岡の方すっぽかすつもりだったんだけど」
『そ、それはダメだよ。菊岡さんだってケイ君に大事なお話あるんだろうし』
電話の向こうで明日奈が苦笑いしてる気がする。声の調子で解る。
何故に。明日奈と菊岡。慶介にとって優先順位が高いのはどちらか、言うまでもないのだが。
「とにかく今から銀座に行って、菊岡と話してまた待ち合わせ…となると、3時、かな。3時に…」
今から家を出て、銀座に着くまでの時間と菊岡との話に掛かる時間等を考慮して、3時に待ち合わせ時間を変更までは決められた。ただ、どこに待ち合わせ場所を充てればいいか。明日奈の家の門限が6時までと考えれば余り長い時間はいられない。
今日は約束取り消しというのは論外。親族絡みの用事ならばともかく、あんなののせいで明日奈との約束をふいに等できないし、したくもない。
レジャーな施設は駄目だ。先程も言ったが、明日奈と過ごせる時間は短い。もっと、こう落ち着いて散歩ができる公園なんて良いのだが…。
「…六本木駅前の乙女像で良いか?」
『うん、了解』
待ち合わせ時間、場所を決めて一言二言交わしてから通話を切る。
本当に明日奈の優しさには頭が上がらない。こうやって菊岡のせいで約束が違える、というのは今回が初めてだが、菊岡との約束のせいで明日奈と遊びに行けない、という事態になった事は何度かある。その度に明日奈は笑って許してくれるのだが、その度に慶介は胸を締め付けられるような思いに襲われる。
「…菊岡に土下座でもさせてやろうか。そんでその動画を撮影してやろうか」
そうすれば少しは溜飲は下がるだろう。別に本気でやるつもりはないが。
…本当だ。本気でそう言った訳ではない。本当だよ?
とにかくまた明日奈のやさしさに甘える事になってしまった。今日、詫びを兼ねて明日奈にお返しをしてやりたい。せめて、今日行く場所から見れるもので少しでも楽しんでくれれば良いのだが。そんな風に思いながら、慶介はスマホを操作して門を開け、再びスマホを操作し門を閉じてから、駅へと向かうのだった。