少し短いですが、どうぞ。
「それじゃ今日はここまでだ。次の授業までに教科書52ページの訳文終わらせておけよ」
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、画面一杯に英文を映していた大型パネルの電源を落とした教師が立ち去っていく。教師が授業終了を告げた瞬間から緩んだ空気に包まれた教室に、生徒たちの談笑の声が加わる。
慶介は椅子の背もたれに体重を乗せ、両手を組み、腕を伸ばしながら体を右左と傾ける。両手を離して脱力すると、最後に教師が告げた教科書52ページを開いて、そこに書かれた英文の羅列を眺める。長い、単語が多い、めんどくさそう。単純にそれだけを感じ、溜め息を吐く。
授業の内容、教師が言うポイント等をメモしたページを保存して端末を閉じる。ショルダーバッグに端末とワイヤレスマウスを放り込んで肩に掛ける。
「お、慶介。食堂に行くんだったら席とっといてくれよ」
立ち上がった慶介の姿を見た後ろの席の友人が声を掛けてくる。基本、この学校で昼食を摂る時は、この友人を含めた四、五人でカフェテリアに行くのだが、生憎今日は先約がある。というより、週に一度、二人で食べるという約束をしているのだ。
断りを入れようとしたその時、振り返った先にいる友人とは違う声が聞こえてきた。
「おーい慶介ー。お姫様がいらっしゃってるぞー」
声が聞こえてきた方へと目を向ける。その方向には廊下に出る教室の扉があった。その扉に腕を掛けるようにして立っている慶介と親しい友人の一人と、教室と廊下の境界線の前に、スクールバッグを持って立っている一人の少女。
「あぁ、今日は姫様との謁見の日だっけか」
「お前な…。何かその言い方腹立つから止めろっつってんだろが」
慶介と同じ光景を目にした友人が、ニヤニヤ顔を隠そうともせずに遠慮なしに慶介へと向け、からかう様に言ってくる。そんな友人の額にビシッ、と中指で凸ピンしてから席を机の下へとしまい、少女が待つ廊下へ足を向ける。勿論、背後から聞こえてくる抗議の声は無視して。
教室の扉付近でニヤニヤしていたもう一人の友人にも凸ピンを入れ、少女と並んで歩き出す。
「今日はカフェテリアだっけか」
「うん。ごめんね…、その…」
「寝坊したんだよな、気にしてないから心配すんな」
「うっ…」
隣で歩く少女、明日奈と談笑しながらカフェテリアを目指す慶介。いつも明日奈と昼食を食べる日は、明日奈が作ってくれたお弁当を食べているのだが、今日は明日奈が寝坊してしまい、作れなかったらしい。明日奈の料理に舌鼓を打てないのは残念ではあるが、たまには賑やかな所で食べるのも悪くはないだろう。
…良い所を見つけた、と勘違いし、実は思いっきり大勢にいちゃついていたとこを見られていた、という事態はもう懲りた。それだったら、初めから大勢がいると解っている所で控えめにいちゃついている方がマシだ。
え、結局いちゃついてんのは変わんねぇじゃねぇか?
…せやな。
「なに一人でぶつぶつ言ってるの?」
「ん?いんや、何にも」
どうやら思考が口から漏れていたらしい。すでにカフェテリアの前、食券売機で並ぶ列に着いており、周りの談笑の声に掻き消されて明日奈の耳には届かなかったようだが。まあ、その方がいいだろう。あの時の恥ずかしさを無理に思い出させる必要はない。また、真っ赤になって縮こまる明日奈を見たいという気はしないでもないが。
食券を買い、それぞれ別のコーナーで注文の品を受け取ってから、窓際の席に着く。その席に着いたとき、慶介はふとある事に気づくのだが、それについて明日奈は気付いている様子はないし、今更席を変えようと言うのも変な気がするので放っておく事にする。
「それにしても…、ケイ君、ラーメン好きだねぇ…」
「ん?あぁ、まあラーメン嫌いって言う奴がいたらラーメン教を説きたいって思ってるくらいは好きだな。一生朝昼晩たらふくラーメンを食べたいって思ってるまである」
「…体壊すよ」
苦笑する明日奈の視線を物ともせず、レンゲで掬ったスープを口に含める。…熱い、でも旨い。ご満悦に今度は麺を啜り始めた慶介を眺めていた明日奈も、パスタを上品に食べ始める。
互いに頼んでいた品を食べ進めながら、時に手を止めて話し、笑い合い、そんな何気ない一時を味わう慶介はふと空を見上げた。あの日、現実で須郷と対峙したあの日とは真逆の、晴れ渡った青空だ。
慶介に気絶させられ、その後、父、健一の手配でやって来た刑事に逮捕された須郷。捕まってからも醜く足掻き、黙秘を重ねていた。だが、須郷の手下の一人があっさり自供、仲間や上司の犯行についても口を割った。レクトプログレス横浜支社に設置されていたサーバーにおいて、SAO未帰還者三百人に行われた非人道的実験は、あっという間に世間に知れ渡る事となった。
そんな須郷の犯罪の余波は、当然の事ながらレクト、明日奈の父、彰三氏にも襲い掛かった。部下の管理問題、部下の暴走に何故気づけなかったのか、少しでも注意をしていればここまで須郷に好き勝手される事もなかったのではないか、等、マスコミを筆頭に世間に冷たい視線は容赦なく注がれた。が、須郷の研究は初代ナーヴギアでなければ不可能という事実と、その対抗策をレクトは立策。他の研究者からもお墨付きをもらった事もあり、今は信用回復の傾向にある。
それと茅場晶彦についてだが…、やはり、アインクラッド崩壊と共に死亡していた。フルダイブシステムを改造したマシンで己の脳を焼き切って。慶介はその事実が世間に知れ渡る前に、神代凛子という女性から聞いていた。
彼女曰く、成功確率は千分の一にも満たない程度。天才なだけでなく、運もいいのかあの男は。その運をほんの少しでも分けてくれないだろうか。
「…ん?」
突如起こったざわつきが、思考の渦に沈んでいた慶介の意識を引き戻す。はっ、と顔を上げると、明日奈もそのざわめきに気付き、不思議に思ったのか、辺りを見回していた。
周りの人たち、慶介と明日奈と同じように窓際の席で昼食を摂っていたほとんどの人達が、同じ方へと目を向けている。慶介と明日奈も、同じ方─────窓の外に向ける。そして、明日奈の表情がぴしりと固まり、慶介は苦笑を浮かべる。
窓の外、二人の視線の下には庭園がある。そこのベンチに腰を掛けている男女、カップルだろうか。二人の間には繋がれた二つの手が。その光景は、どこかの誰かさん達とよく重なっていて。
「あんたらとおんなじことしてるわねぇ、あの二人。そしておんなじ風に皆に見られて」
そのカップルが誰なのか、目を凝らして確認した直後、からかい染みた声が二人に掛けられる。振り向くと、そこには二人の少女がお盆を持って立っていた。一人は明日奈と同じ制服を着ており、もう一人は明日奈とは色違いの、同じデザインの制服を着ていた。
篠崎里香ことリズベットと、綾野珪子ことシリカ。いや、逆だ。リズベットこと篠崎里香と、シリカこと綾野珪子。アインクラッドにいた友人の中でもそれなりに親しくしていた二人がそこに立っていた。
「ちょ、ちょっと!」
「はいはーい、お邪魔しまーす。…ちっ、キリトの奴、あんなくっついちゃって」
「リズさん、覗きなんて趣味悪いですよ!あ、私も同席良いですか?」
「いいぞー。ほら」
にやついた表情の里香は明日奈の隣に、珪子は慶介の隣に腰を下ろす。すると、里香は腰を乗り出して窓の下を覗き込むと、不機嫌そうに呟く。そんな里香を、まるで妹を窘めるように注意する珪子。普通、逆じゃないだろうか?
「はぁ~…。ホント、どっかの二人と重なるわねー」
「…リィ~ズゥ~?」
「やべっ…」
乗り出した体を戻して座り直した里香が、頬杖を突きながら言うと、明日奈がにっこりと、目以外は笑いながら里香の方へと向く。汗を垂らしながらそっぽを向く里香を見ながら、慶介は思い出していた。この窓の下の庭園で、同じように二人の一時を楽しんでいた所を見られていたあの時を。友人にからかわれまくったあの時を。きっとあの二人も…、和人と幸も、同じような目に遭うのだろう。
合掌。
「あぁ、そうだ。今日のオフ会、俺の妹も来るから仲良くしてやってくれ」
「え?ケイさんの妹さん…ですか?」
そこでふと思い出し、慶介は口を開いた。その言葉に珪子が真っ先に反応し、座りながら取っ組み合っていた明日奈と里香も、慶介の方へ顔を向ける。
「そっか。司ちゃん、来るんだね」
「あぁ。誘ったら行くって思いっきり食いついてきた」
司を誘うという旨を知っていた明日奈は、安堵したような笑みを浮かべていた。
「そうだ。妹といえばキリトの妹も来るらしいわよ」
「リーファちゃん、でしたっけ?オフで会うの初めてです。楽しみだなぁ」
「シリカちゃん、リーファちゃんと仲良いもんね」
里香が言った事は、慶介には初耳だった。リーファとはALOで何度か会った事はあり、彼女を含めて何人かでパーティを組んで戦った事もあった。だが、あまり話した事はないというか、そういう機会には恵まれなかった。
─────キリトの昔話とか聞いてみよ。からかいのネタになる話、あるといいですなぁ。
そんな悪戯を思いつきながら、クァンタグレープの缶を呷る。
「…それにしてもアスナ。あんた、いつケイの妹と会ったりしてたの?」
「え…」
「あ。もしかして、ケイさんのご家族の方とも会ってたりして」
「…」
「…え、まじで?」
「びっくりです…」
再び明日奈と里香の騒ぐ声が、今度は珪子の声も加わって聞こえてくる。
口の中の炭酸の刺激を楽しみながら、頬杖を突いて青空を見上げる。
「平和ですなぁ」
そんな呟きは、無意識に口から出てきた。
オフ会の会場であるエギルの店である、<ダイシーカフェ>の扉には、『本日貸切』と書かれた札が掛けられていた。
「…ねぇ、ホントに私がいていいのかな?」
不意に聞こえてきた声に振り向けば、そこには不安そうな表情をした司。そんな司に微笑みかけながら慶介は口を開いた。
「おいおい、行きたいって言ったのはお前だろ。今更なに不安がってんだよ」
「だ、だって…。考えてみたら私、全然関係ないじゃない…。私がいたら、雰囲気に水差しちゃうんじゃ…」
いつもは天真爛漫で兄すらも尻に敷く生意気な妹のくせに、こういう時は気を遣って。
「大丈夫だよ司ちゃん。ここに来る皆、司ちゃんが来るって聞いた時、喜んでたんだから」
「…明日奈さん」
司の手を握り、柔らかな笑みを浮かべながら明日奈が言う。
「楽しみにしてるよ、皆。司ちゃんに会えるの」
明日奈の優しい言葉に励まされ、小さくではあるが司に笑顔が戻る。
まあ、司の不安、躊躇いは当然の感情なのかもしれない。傍から見ればただのゲームのオフ会だが、実際は死地を乗り越えた者たちの集まりなのだ。慶介が司と同じ立場なら、きっと司と同じように、そこに立ち入るのを躊躇っていただろう。だが慶介は知ってほしかった。司に、家族に、この仲間たちがいたから自分はあの世界で生きていけたのだと。
「会いたいんだろ?俺も、司に会ってほしい」
「兄さん…」
その気持ちを正直に吐露する。その気持ちは間違いなく、司に届く。
「…行きましょ。二人とも」
「…はい」
カラン、と響くベルの音。押し開けられた扉の向こうには、すでにオフ会に誘われたメンバー達が全員揃っていて。そんな彼らは、入って来た慶介たちの姿を見た瞬間、歓声を上げ、拍手、口笛を盛大に巻き起こした。
広くない店内はすでに盛り上がっており、スピーカーからはガンガンとBGMが鳴り響いている。それも、そのBGMはアルゲードの街のテーマで。
「…まだ時間の十分前だぞ。遅刻してねぇぞ。何でもう全員集まってんだよ」
「えっと…。時間間違えちゃった…かな?」
「へっ。主役は遅れて登場って相場は決まってんだよ。おめぇらには前もって遅い時間を伝えてたんだ。ほら、入った入った!」
呆然と皆を見回しながら言う慶介と明日奈に、スーツ姿にバンダナを巻いた男が進み出て返事を返す。
男、クラインは慶介と明日奈の背中を押して店内の奥へと二人を連れていく。あれやこれやと慶介と明日奈はステージに押し上げられ、スポットライトを浴びせられる。
「…なにこれ」
「…さあ」
気づけば、司も何やらしてやったりという顔をしている。まさか、この事を知っていたのだろうか。さすがに先程のあれを演技とは思わないが、それ故にその切り替えの早さに驚きを隠せない。
不意にBGMが途切れると、リズベットの声がした。
「それでは皆さんご唱和ください。せーの─────」
「ケイ、SAOクリアおめでとー!!アスナ、おかえりなさーい!!」
唱和と同時に盛大なクラッカーの音といくつものフラッシュ。訳もわからず立ち尽くす慶介と明日奈には、それぞれキリトとサチからジュースの入ったコップが渡されるのだった。
さて、明日から一週間ドラクエ漬けの日々を送ります。テストも終わって夏休みに入りますし、ゼミにとられる時間も就活終わった今じゃ微々たるもの。
え?執筆しろ?
…せやな。(´・ω・`)