「…あの、ユイさん?そろそろ機嫌を直して下さると嬉しいのですが」
「…」
青空を飛びながら、胸ポケットから顔を出さないユイに声を掛ける。SAOの中で経験した全てを打ち明けたあの夜が明けて、今日。ケイはALOにログインし、再び世界樹に向けて飛び出した。
の、だが。
「ユイさーん…?」
「…」
昨日、ケイはALOからログアウトする前に、またログインするからとユイに言っていた。だが、ナーヴギアの存在が家族にばれ、そして何とかまたナーヴギアを使いたいと説得できたはいいものの、話が終わった時にはすでに夜遅く。さらにそこから、父に見捨てられたケイは母と妹の慈悲なき説教を受け、疲労困憊となり、部屋に戻ってすぐベッドに倒れ込み、そのまま眠り込んでしまったのだ。
気付いた時にはすでに遅く、カーテンの隙間から見える太陽の光が朝を報せていた。
慌てて一階へ降り、洗顔を済ませてからすぐさま朝食を摂り、再び慌てて部屋へと戻ってナーヴギアを起動しようとして、思い出す。今日は週に一度の定期メンテナンスの日で、午後の三時までログインできない事を。仕方なく、だが早く三時になれと祈りながらその時をひたすら待つ。
午後三時、ALOへとログインしたケイを待っていたのは…、ベッドの上で座り、膝の上で拳を握って涙を流す、ユイの姿────
そして今、事情を話して何とかユイが泣くのを止めたのは良いが、機嫌を損ねてしまったらしい。ここまで、Mobの接近やプレイヤーの反応の報告以外、ほとんど口を利いてくれなくなってしまった。
…心にくる。胸が痛い。ダメだ、少しでも気を抜けば地面に真っ逆さまな自信がある。
と、ともかく、せめてユイが顔を出してくれるように声をかけ続けなければ。
「ゆ…「わかってるんです」…え?」
ケイがユイの名前を呼ぼうとした時、それを遮ってポケットの中からユイの声がした。
「パパには現実に家族がいて…、パパのパパとママ、妹さんもいて…。本当は、パパがその方達に事情を話さなきゃいけない事も分かってるんです」
「…」
「なのに私は…、このままパパに置いてかれちゃうんじゃないかって…。ごめんなさい、パパ。私、悪い子です。こんな事言っても、パパを困らせるだけなのに…」
ユイはポケットの中に潜ったままだが、震えた声が今のユイの気持ちを教えてくれる。
「…ふぅ」
ケイは笑みと共に一つ、短い溜め息を吐いてから翅を操って減速。そのまま地面に向かって降下していった。ユイがどれだけ悲しんでいるか。それは、簡単に解るなんて口にできるほどのものじゃない。でも…、初めてユイが、自分に寂しいと言ってくれた。
きっと、ここまで来るのに何度もケイがログアウトする度にユイは寂しさを感じていたに違いない。それに気付けなかった自分自身への情けなさと、誰に似たのか、自分で抱えがちなユイがそれを教えてくれた事の嬉しさをケイは同時に噛み締めていた。
…もしかしたら、父さんと母さんは昨日、同じ気持ちを感じていたのかもしれない。
ケイは地面に着地すると、羽をしまい、そしてポケットの中のユイを摘んで掌に乗せてから言った。
「ユイ、ちょっと元の姿に戻ってくれるか?」
「え?…はい」
ケイの言葉に戸惑いながらも、ユイは掌から降りると、ピクシーの姿から元のAIとしての姿へと戻っていく。黒い髪と白いワンピースの裾が揺れ、くりっとしたユイの大きな目が開く。
ケイとユイの視線が合った瞬間、ケイはユイの体を抱き締めた。
「ぱ…、パパ…?」
「ごめんな、ユイ。…俺も悪いパパだ。ユイが寂しがってる事は分かってたのに…、気付いてやれなかった」
ユイの髪を撫でながら、優しい声質で話しかけるケイ。
「ユイ。俺は絶対にお前を一人にさせたりしない。…俺だけじゃない。ママも、そんな事しないさ」
「パパ…」
ユイの頭に手を置いたまま、もう一方の手を肩に乗せてそっと体を離す。
「ユイは悪い子なんかじゃない。…俺を困らせたくなかったんだろ?」
「…パパぁ」
抱き締められてたユイが、両腕をケイの体に回す。ケイの胸にユイが顔を埋める。
仮想世界では、濡れるという感覚はない。それなのに、ユイが顔を埋める所が確かに、熱く感じた。
「…ごめんな」
ユイの後頭部に掌を当て、ぐっと体に押し込むように力を込めてから最後に一言。
「じゃ、そろそろ行くか?…何なら、抱っこして飛んでくか?」
「だ、大丈夫です!ポケットの中にいます!」
からかいの念が込められたケイの言葉に、ユイは頬を染めて、あっという間にケイの胸ポケットの中へと引っ込んでしまった。何とも可愛げのある子供らしい姿に、思わずケイも微笑む。
「さて…、世界樹はすぐそこだ」
ユイがポケットの中に入ったのを見てから、翅を広げて飛び上がるケイ。その目の前には、ガタンを出発してからずっと見続けてきた。すぐ傍まで来た、世界樹がそびえ立っていた。
天を突き抜けるほどに高く伸びる世界樹の麓に位置する、アインクラッドの中心都市<アルン>。そこに広がる光景は、あまりにも美しく、荘重だった。
古代遺跡のような建物がどこまでも連なり、黄色い篝火や青い魔法光が瞬いている。空から照らされる日光と合わさるその光景は、まるで芸術だ。その下を行き交うプレイヤー達の姿は統一感が無い。ここまで見た事のない種族のプレイヤーもいる。
ここアルンには、九つの種族全てが、均等に入り混じっているのだ。
「ここが…、アルン」
色様々なプレイヤー達が行き交う光景に、ケイは思わず圧倒される。
ここに来るまでずっと、ケイは赤の…サラマンダーのプレイヤーしか見た事が無かった。ここに来て初めてケイは、シルフ、ウンディーネ等…、そして自分と同じ種族である、インプのプレイヤーを見たのだ。
「…とりあえず、根元まで行ってみるか」
「はい」
街の光景に見惚れるのもほどほどに、本来の目的を思い出し、ケイとユイは世界樹の根元へ向かって歩き出す。行き交う混成パーティーの間を縫うように数分進むと、前方に大きな石段とその上に口を開けるゲートが見えてきた。
あれを潜れば、この世界の中心。アルンの中央市街だ。ケイは階段を上りながら、世界樹を見上げる。もう、ここまで来ると世界樹は巨大な壁にしか見えない。階段に躓かない様に、世界樹が気にはなるが視界を切って前を見る。そして遂に、ゲートを潜ろうとした…その時だった。ユイがポケットの中から顔を出すと、食い入るように上空を見上げる。
「…どうした?」
周囲の人目を気にしながら、ケイが小声で問いかける。この間に、ケイはゲートを潜ってアルン中央市街に入る。すると、その瞬間、ユイは目を大きく見開き、ケイの目を向いて口を開いた。
「ママが…います」
「!?」
ユイの口から漏れた言葉に、今度はケイが目を見開いた。
「プレイヤーIDは間違いなく、ママの物です…。座標は、まっすぐこの上空です!」
「…っ」
ユイの言葉と同時に、ケイは上空を見上げる。ユイの言葉が本当ならば…、いや、そんな前提など今のケイの中にはない。ユイの言葉は真実だ。現に、世界樹の枝を写した写真の中に、アスナは映っていた。つまり、あの樹に、アスナは────
考えるよりも先に、ケイは飛び出した。翅を広げ、今出せる自身の最高速で一気に飛び上がっていく。周囲のプレイヤーが、何事かとこちらを見上げるのも知らず、ケイはただ上を見上げて、上昇を続ける。視界から建造物が消え、絶壁というべき世界樹の幹が現れる。それと同時に、ケイは上昇角度を垂直に変える。
凄まじい速度である故に、顔を叩く風圧も凄まじいものだったが構わない。分厚い雲海にも速度を緩めず貫いていく。
まだか────まだか!
まだ、アスナの姿は…世界樹の枝は見えないのか?
そう苛立ちがケイの中で生まれた瞬間、ようやくおぼろげに世界樹の枝が見え始める。だが、それと同時に、落雷の音にも似た衝撃音がケイの耳朶を打った。
ケイの上昇が、止まる。
「なっ…!?」
ケイは、体中を奔った衝撃に目を剥く。
今、何が起こった?何かの音と一緒に、何かがぶつかって…、
「っ!」
そこまで考えて、ようやく自分が落下しているのだと気付いたケイは体勢を整えてホバリング。だがすぐに上昇を再開する。
(確か…、ここ…っ!)
上昇しながら、先程の現象が起きた場所を思い出すケイ。そしてそこへ到達した瞬間、再びケイは何かに阻まれる。
「ちぃっ!」
舌を打ちながら今度は場所を変えて上昇を試みる。だが何度やっても同じ、まるでそこに。見えない障壁があるみたいに、ケイの体は何かにぶつかり続ける。
「くそっ!」
こんな所で…。もう少し、もう少しなのに。手は届かない。
その時、ケイの胸ポケットからユイが飛び出す。
そうだ、もしかしたら、ユイならば────、と心の中で浮かんだ希望も虚しく、ユイもケイと同じように、見えない障壁に押し戻されてしまう。
だがユイは衝撃に耐え、見えない境界線で障壁に手を突き、口を開いた。
「警告モードなら音声は届くかもしれません…!ママ!私です!ママ────!!!」
ユイがアスナがいる場所に向かって呼びかける。その姿を見ていたケイも、この障壁を何とかできないかと色々と試みる。手で殴り、刀を抜いて斬りかかり、何かアイテムを使えばとストレージから取り出してアイテムを使用したり。だが、全て効果は出ず。
「…方法は一つ、か」
外から直接行くのは、不可能。なら、残る可能性は…、と次の手を考え始めたその時だった。
「パパ!何か落ちてきます!」
「ん?」
アスナに呼びかけを続けていたユイが言った。一瞬ユイに視線を向けた後、ユイが見上げるその方向へとケイも視線を向ける。視界の彼方に、何か小さな光が瞬いた。その光は瞬きを続けながらゆっくりと、こちらに向かって降ってくる。
ケイはホバリングしたまま、両手で掬いを作って、落ちてきた何かを収める。
「カード…か?」
ユイがケイの肩口から覗き込むのを感じながら、ケイは銀色のカード型オブジェクトをタッチする。だが、普通なら詳細を載せたウィンドウが浮かぶはずが、何故か浮かばない。
すると今度は、ユイは身を乗り出してカードの縁に触れる。
「…パパ!これは、システム管理用のアクセスコードです!」
「っ」
掌に載ったカードを眺める。今のユイはただのナビゲーションピクシーではなく、僅かながらシステムに干渉ができるAIだ。だからこそ、このオブジェクトの正体に気付けたのだろうが…、だが、何故そんな物が世界樹の上から降って来たのか。
「…考えるまでもないな」
「パパ?」
「いや…。こんな物が、理由もなく落ちてくるわけないよなって言ったんだよ」
「っ…、はいっ!ママが私達に気付いて落としたんだと思います!」
ケイは一度カードを握り締め、胸ポケットにしまいながらユイに問いかける。
「これがあれば、GM権限が使える…なんて、上手い話はないよな」
「はい。ゲーム内からシステムにアクセスするには、対応するコンソールが必要です。私でも、システムメニューは呼び出せないんです…」
「そっか…。行くぞ、ユイ」
「はい?」
胸ポケットにカードをしまったケイは、ユイを手で掴み、同じようにポケットへ収めて急降下を始めた。
「行くって…、どこにですか!?」
「決まってる。…グランドクエストとやらをクリアしに行くんだよ!ユイ、クエスト場所に案内しろ!」
地上へ辿り着くと、今度はユイの言う通りに移動をする。とはいっても、階段を上ってすぐの所がクエストを始められる扉がある場所のため、五分とかからず着いたのだが。
「…誰かいるな?」
「はい。…クエストに挑戦するのでしょうか?」
そして、アルン市街地の最上部。階段を上り切ったケイとユイだが、誰かが大きな扉の前で立ち尽していた。あの扉が、グランドクエストの開始点なのだろうが…、そのプレイヤーは立ったまま動かない。
「あの…、挑戦するんですか…?」
「っ…」
無視してさっさと入っても良かったのだが、後でいちゃもん付けられても困ると思い、一応問いかける。顔を覗き込むと、後姿から何となく予想はついていたのだが、そのプレイヤーが女の子だと分かった。長い金髪をポニーテールに纏め、緑色の眸と鼻、桜色の唇、顔立ちはかなり整っている。特に、胸部の兵器はかなりの存在感を示しt────
「ちょっと、一緒に来て!」
「え?…は、はぁっ!?」
流石に女の子をじろじろ見るのはまずいか、あ、いや、ネカマかもしれない等々思考を働かせていると、不意に女の子がケイの手首を掴み、そのまま引っ張り出した。
「お願い!助けて!」
「は!?いや、俺ちょっとあの扉の向こうに用が…」
「なら丁度いいわ!私もあの中に用があるの!」
(な、何だ?何が起こってるんだ?何で俺は見知らぬ女の子…もしくはネカマに手を引かれてるんだ!?てか、丁度いいって何が…っ)
女プレイヤーの言葉にふと疑問を覚えたケイは、引っ張られてる方向に目を向ける。
そこには、ケイの目的だった世界樹の中へと繋がる、あの大扉が存在していた。
この期の講義に慣れてきました。スケジュール的に結構楽にしたので、思ってたよりも投稿できるかも…?