SAO <少年が歩く道>   作:もう何も辛くない

66 / 84
第65話 それぞれの日常

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭に残る雪を眺めながら、縁側のガラス戸を開ける。桐ケ谷和人は、大きく口を開け、欠伸をしながら外へ出た。冬らしい、肌を刺すピリピリとした空気が体を包み、和人の中の眠気を外へ放り出していく。

 

 

「えぇい!」

 

 

縁側へと出た和人の耳に、力強く響く少女の声が届く。その声が聞こえてきた方へと目を向けると、そこには竹刀を中段に構え、撃ち出す。この二つの動作をひたすら繰り返す、和人の妹である桐ケ谷直葉の姿があった。かなり深く集中しているのか、縁側から和人に見られている事に気付いていない様子だ。

 

眉の上と、肩のラインでカットされた黒髪が、竹刀が振るわれる度に揺れる。勝気な瞳を鋭く釣り上げ、素振りを続ける直葉を、和人は縁側で腰を下ろして眺める。

 

直葉は今年で十五歳になり、来年からは高校生だ。進路も決まっており、剣道の強豪校に進学すると聞いている。去年の全国大会でベストエイトに入った功績が買われたという。和人も、そんな直葉の腕前を見てみたいと考え、つい先日に防具を着けて試合を行ってみた。その結果、ぼっこぼこにのされてしまったが。

 

正直、SAOで最強の剣士だった二人、ケイとヒースクリフなんか目じゃないくらい、現実の直葉は強かったと、その時の和人は感じた。ソードスキルなどなく、勿論システムアシストもない、自身の力だけで剣を振るう闘い。楽しくはあったが…、同時に、無意識にシステムに頼ろうとした自分を情けなく感じた一時だった。

 

 

「お・に・い・ちゃん?」

 

 

「あっ…」

 

 

妹と剣を打ち合った時間を思い返していると、いつのまにやら今日のノルマを終えた直葉が和人の顔をじとめで覗き込んでいた。小さく体を震わせながら、和人は背中を反らせて直葉と距離をとる。

 

 

「もうっ!また黙って見て…、いるんなら言ってよ!」

 

 

「ははは…。悪い悪い」

 

 

竹刀を握っていない左手を腰に当てて言ってから、直葉は和人の隣に腰を下ろす。縁側に立ててあったペットボトルを手に取ると、蓋を開けて、中の水を呷る直葉。

 

 

「しかし、毎日この寒い中、よくやるなぁ…。ちょっと俺には出来なそうだ」

 

 

水を飲む直葉の横顔を眺めていた和人がぽつりと呟く。その呟きを耳にした直葉が、ボトルの口から唇を離し、蓋を閉めながら言う。

 

 

「やっぱり、剣道好きだからね…。それに、負けたまま終わりたくないから」

 

 

和人を見返していた直葉は、傍らに置いていた竹刀を手に取ると、正面を見据えて中段に構える。

 

 

「一年生、だっけ?スグに勝った人。すごいよな…」

 

 

「うん、そう。全中優勝したのもその子だよ」

 

 

全中準々決勝。直葉が負けた位置だ。その相手というのが、何とまだ中学に入ったばかりの一年生だったらしい。その直葉に勝った一年生が、次の準決勝、そして決勝を勝ち上がって優勝した。

 

自分に勝った相手が、目の前で勝ち上がって優勝をさらっていく光景を、直葉は見つめていたという。その悔しさの大きさを、和人は計る事ができない。

 

 

「本当に強かった。…でも、次は勝つ」

 

 

直葉のその瞳に映っているのは何か。少なくとも、和人の目の前に広がる庭ではないのだろう。

 

 

「絶対に、辻谷さんに勝ってみせるんだからぁ!!」

 

 

「スグ、近所迷惑だから大きな声出すのやめなさい」

 

 

すると、急に直葉が立ち上がったと思うと、天を仰ぎ、突然大声を上げた。きっと胸に燻る闘志に耐えられなかったのだろうが…、近所迷惑になるため、和人は直葉のジャージの裾を引っ張り、再び座らせる。

 

だが、一度座った直葉はすぐに立ち上がって、んー、と声を漏らしながら大きく体を伸ばした。そして竹刀を持ったまま引き戸を開けると、和人の方に振り返った。

 

 

「そうだお兄ちゃん。今日、アスナさんのお見舞いに行くんだよね…?」

 

 

「ん?あぁ。サチと一緒にな」

 

 

リハビリを終えて、一人で自由に外出できるようになってから、定期的に和人は幸と一緒に、アスナのお見舞いに行くようになっていた。大切な友が目を覚ましてないか、その身に何か起きていないかを確かめに行っているのだが、心のどこかでは、もしかしたらケイが…、という思いが拭えずにいる。ケイが実は生きていて、アスナの病室で鉢合わせするかもしれない、という願望が、和人と幸の心の中にあるのだ。

 

 

(今日まで、一度も会えなかったけどな…)

 

 

やはりあの時、ヒースクリフ────茅場晶彦を相討ちにして、命を落としたのだろうか。

どうしても、そう考えてしまう。いい加減、ケイという一人の友の死を、受け入れなければならないというのに。

 

 

「ねぇお兄ちゃん!私も一緒に行っていい?」

 

 

「え?…あぁ、いいけど。どうしたんだ、急に?」

 

 

「急って…。私だって、アスナさんに会ってみたいよ。どんな人?て聞いても、お兄ちゃん全然教えてくれないし…」

 

 

アスナのお見舞いに一緒に行っていいかと聞いてきた直葉が、続いて不満げにそう言った。

和人は、アスナという人物について直葉にほとんど教えなかった。今、自分が教えるよりも、目を覚ましたアスナと実際に会って、知っていってほしいと考えていたからだ。

 

だがこれまでアスナは目を覚ますことはなく、直葉を不満に感じさせていたのだと、今ようやく和人は察した。

 

 

「…わかった。一緒に行くか、スグ」

 

 

「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 

和人が頷きながら答えると、直葉は顔を輝かせてお礼を言ってから立ち上がった。

 

 

「じゃあ私、シャワー入ってくるね。その後で作るから、朝ごはんはちょっと遅くなっちゃうかな。ごめんね?」

 

 

「りょーかい。気にしないでいいよ」

 

 

直葉が家の中へ戻っていく。和人は、直葉の姿が見えなくなってから、座ったまま腕を組んで伸びをする。勢い良く息を吐いて脱力すると、和人もまた立ち上がって、直葉が開けっ放しにした引き戸から家の中へ戻っていく。

 

家の中に入った和人が閉めた引き戸が、ぴしゃっと音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そろそろか」

 

 

腕時計が示した時間を見て、慶介は大きく深呼吸をして集中力を高める。軽くぴょんぴょんと跳躍、軽く屈伸、伸脚を繰り返す。準備体操をして体を温め、いつでも動けるように体を解す。息切れはしないよう、あまり激しい動きはしない様に心掛けながら体操を続けていると、一人、緊張に包まれる慶介達の前に現れた。その人は、握っていた拡声器を口元まで持っていき…、慈悲なき戦いの始まりを告げた。

 

 

『ただいまより、卵のタイムセールを行います!一人三箱まd…』

 

 

「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」

 

 

多くの主婦達が、女性あるまじき雄叫びを上げながら、勢いよく戦場に身を投じていく。

そしてその波の中で一人、慶介が奮闘していた。四方八方から慶介を潰さんばかりに腕が、肩が、時には膝が押し付けられるが、慶介は歯を食いしばりただひたすらに前へ突き進む!

 

 

「お疲れさまー」

 

 

「ぜぇ…ぜぇ…。勝ち取ってやったぞ、こらぁ…」

 

 

床にorzの体勢でいる慶介に手には、卵三パックが入った袋が握られていた。その袋を慶介から受け取り、労ったのは慶介の母、恵子。

 

 

「じゃ、次のセール行くわよー」

 

 

「えぇ?」

 

 

だが労ったのはほんの短い間。慶介から渡された袋をカートに載せた籠に入れると、また新たな戦場へと足を踏み入れる宣言をした。それは、疲労困憊な慶介にとって、死刑宣告にも等しいもので。

 

 

「け、慶介様…。その…。次は私が…」

 

 

「いや…。ここで引いたら負けな気がする」

 

 

二時間後、精肉コーナーでは、人混みという荒波に晒されながらも突き進む慶介の姿があった。

 

 

 

 

本当ならば今日も、午後からALOにログインするつもりでいた。だが、朝起床し、朝食を食べにリビングに降りた慶介に、恵子がこう言葉を掛けた。

 

 

『今日、イオーンでタイムセールがあるのよ。だから慶介、ついてきてくれない?』

 

 

恵子は質問という形で声を掛けてきてはいたが、ここで断ってはその理由を深く聞いてくるのは予想できる。事実、以前に買い物を手伝ってというお願いを断ろうとしたことがあるのだが…。正直、母の慧眼から逃れられる気がしなかった。あの時、慶介は自身が気づかぬ内に、いつの間にか買い物についていくことを了承していた。

 

洗脳とかそんなちゃちなものじゃない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だった。

 

二度目の戦争に参加した慶介は、疲労困憊のまま本日買った荷物のほとんどを運んで帰宅した。家からイーオンまで徒歩十五分。車を使うべきその距離を、慶介は両手で大荷物を持ち上げ歩いたのだ。ちなみに、どうして車を使わなかったかというと、健康のためとの事らしい。恵子談。

 

 

「疲れた…」

 

 

夕食はすでに済ませた後。キッチンから聞こえてくる。皿がぶつかる音と水が流れる音を聞きながら、慶介はテーブルに体を崩して寛いで(?)いた。そんな慶介の隣では、Tシャツの上にパーカー、下はショートパンツという部屋着姿の司が呆れた目で慶介を眺めていた。

 

 

「どうして買い物に行くだけでそこまで疲れるの…」

 

 

「お前は知らないんだ。タイムセールという名の戦争を」

 

 

そう、司はあの凄まじい戦場を知らないからこんな呆れた目をできるのだ。そんな言葉を吐けるのだ。

 

 

(…決めた。次は司も連れてく)

 

 

司の素知らぬ所で、慶介はにやりとほくそ笑みながらそう決意していた。勿論、司の都合が合えばの話だが。さすがにそこを強要するほど慶介は外道ではない。

 

という決意をしてから、慶介は顔を上げて時計を見上げ、時間を見る。

既に八時を過ぎていた。今日、予定なら午後になってすぐ辺りにログインしていたはずだったのだが。

 

 

(今日はまず、ユイの機嫌を直すことから始めないとな…)

 

 

多分…というか間違いなく、機嫌悪くしてるだろうなぁ、と今のユイの心境を思いながら慶介は立ち上がった。

 

 

「あれ、部屋行くの?もうすぐサッカー中継だよ?見ないの?」

 

 

「あ…、あー…。ちょっとな」

 

 

「…またメカトロ何とか?」

 

 

「メカトロニクス」

 

 

部屋に戻ろうとする慶介を呼び止めると、司が首を傾げながら問いかけてくる。

しかし、いつになったらメカトロニクスという名称を司は覚えられるのか。慶介はため息を吐いてから司に訂正を促す。

 

 

「そうそうメカトロニクス。でも、最近熱心だよね。いつもだったら、何か見たいテレビ会ったら『今日はお休みの日だ。毎日労働してたら法律に触れるだろ?だから俺も休まなければいけないのだ』とか言いながら、ソファに踏ん反り返ってるのに」

 

 

「何だよそれ…、俺の真似?似てねぇ。てか踏ん反り返ってねぇし」

 

 

何とも心外な言葉を言いながら、心外な物真似を披露する司を呆れた目で見る慶介。

 

 

(てかそうだ。今日はサッカー中継の日だった。…明日、結果だけ見て満足する事にしよう)

 

 

話したい事は話し終えたのか、司はもう慶介の方を見ずに恵子と話し始めていた。何か親子二人できゃぴきゃぴした声で話している。司はともかく、恵子に関してはいい歳して何をそこまでテンション上げているのか。

 

慶介は二人の楽しげな様子を見遣り、苦笑を浮かべてからそっと静かにその場から立ち去る。階段を上って二階へ上がり、自分の部屋へと足を向ける。

 

 

「…あ?」

 

 

ふと足を止める。慶介の目に入ったのは、慶介の部屋の前に使用人の女性が立っている所。何故かそこで呆然と立ったままでい女性は、両腕で何かを抱えている。慶介は目を凝らしてそれが何なのかを確かめる。

 

 

「っ!?」

 

 

慶介に気付き、視線を向けてきた使用人が抱えていたのは段ボール箱だった。その段ボール箱が何なのかを悟り、目を見開く慶介と視線が交わる。

 

 

「慶介様…、これって…」

 

 

「…」

 

 

女性の揺れる瞳から、慶介は思わず目を離した。

 

 

「どうして、これを慶介様が…」

 

 

恐らく、使用人は未だ慶介を見つめ続けているのだろう。視線を外した慶介には見えないが…、わかる。

 

慶介は視線を上げて、使用人が抱える段ボール箱をもう一度見た。

 

 

 

 

 

 

それは、慶介がベッドの下に隠していた段ボール箱。

菊岡から送ってもらい、アスナを救うために必要な物。ナーヴギアが入っている箱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。