「さてユイ。何が起こってるのか、わかるか?」
「…?」
辺りを探し、見つけた手ごろな岩を見つけ、そこに腰を下ろしたケイとユイ。しばらくの間、こちらに寄りかかってくるユイの頭を撫でていたケイだったが、不意に問いかける。
「何が…とは、どういうことですか?」
「いや、実はな。ここはSAOの中じゃないんだ」
首を傾げながら問い返してくるユイに、ケイは説明する。ユイを圧縮し、クライアント環境データの一部として保存した事。ゲームクリアとアインクラッドの消滅。そしてこのゲーム、アルヴヘイム・オンラインと何故かここに存在する、SAO時代のケイのデータ。
「ちょっと待ってくださいね」
ケイが説明を終えると、ユイは目を瞑り、耳を澄ますかのように首を傾けた。
僅かな沈黙の後、ユイは目を開ける。
「この世界は、<ソードアート・オンライン>サーバーのコピーと思われます」
「コピー…。つまり、基幹プログラムは同一…て事か?」
「はい。私がこの姿を再現できている事からも、それは明らかです。ただ、カーディナル・システムのバージョンが少し古いですね。乗っているゲームコンポーネントは別物ですが」
なるほど、グラフィックが騒がれるはずだ。SAOと全く同じプログラム群が使用されているのだから、SAOに迫るグラフィックだって実現できるに決まっている。
「なら、俺のデータも、SAOとの物って事か?」
「…間違いないですね。SAOとセーブデータのフォーマットが同じなので、二つのゲームに共通するスキルの値を上書きしてしまったのでしょう。HPとMPに関しては、形式が違っていたため初期化されたようです。…アイテムデータは、ほとんど破損してしまってますね。このままではエラー検出プログラムに引っかかってしまいますので、破損した方がいいかと」
「む…」
ユイのおかげで、個のアバターに起きている異常の原因は解った。ユイの言う通り、アイテムも破棄した方がいいのだろう。だが…、破棄するアイテムを範囲選択し、破棄をしますか?というウィンドウに浮かんだイエスボタンを押そうと指を向けて、動きが止まる。
データが破損し、オブジェクト化もできないのだ。持っていても意味はない。それでも…、あの世界の思い出が詰まった物もある。
「…っ」
一瞬、胸を駆け巡った躊躇いを打ち消して、ケイはイエスボタンをタップする。瞬間、残ったのは正規の初期装備とたった一つ、破損を免れたアイテムのみがストレージ内に残った。
「このスキル熟練度はどうするべきだ?GMに相談した方がいいのか?」
「いえ、システム的には問題ありませんので。プレイ時間と比較すれば不自然ですが、人間のGMに直接確認されない限りは大丈夫です」
「そうか…。なら、すぐに世界樹に向かえそうだな…」
問いかけに答えたユイの説明を聞いて、特に異常に関して気にしなくても大丈夫だと判断する。後は、世界樹の場所と行き方について考えながら、ステータスの詳細を眺める。
菊岡も言っていたが、この世界ではキャラクターの数値的強さには重きが置かれていないらしい。SAOには存在した敏捷値や筋力値というパラメータは存在していない上、話ではレベルアップによるHPやMPの上昇幅も少ないようだ。
「…そういや、この世界では、ユイはどういう扱いなんだ?」
ステータスを閉じて地図を開こうとした時、ふと浮かんだ疑問をユイにぶつける。
ユイの正体は、SAOのコアプログラムが起こした異常によって生まれた、人工知能だ。このゲームにログインした、人間のプレイヤーではない。
もしかしたら、またSAOの世界でのように、異物として処理されるという可能性だってあるかもしれない。そんな不安を持って問いかけたが、ユイは笑顔を浮かべがながら口を開いた。
「このアルヴヘイム・オンラインにも、プレイヤーサポート用の擬似人格プログラム用意されているようですね。<ナビゲーション・ピクシー>という名前ですが…、私はそれに分類されています」
言い終わった直後、ユイが難しい顔をしたかと思うとすぐに体が発光を始める。だがすぐに光は消滅し、ケイの目からユイの姿が消えていた。
「なっ…!ユイ!?」
慌てて立ち上がりながら、声を上げる。すぐに周りを見渡してユイの姿を探すが、どこにも見当たらない。
「パパー、こっちですよー」
ユイの声がする。ばっ、と勢いよく視線をユイの声がした方へと向ける。
身長は十センチほどだろうか。薄い紫の、花びらをかたどったワンピースを着た、長い黒髪を伸ばしている。小さな背中からは二枚の翅が伸びており、まさに妖精というべき姿をしたユイが、岩の上に立っていた。
「これが、ピクシーとしての姿です」
翅を羽ばたかせ、ふわりと浮かぶと移動し、ケイの左肩で足を着ける。
「ほー…」
両手を腰に当て、胸を張るユイの頬を、指先でつんつんとつつく。先程、目の前で起きた光景に感動しながらの行動だったが、ユイがくすぐったそうに身を捩るのを見て、すぐに指を引っ込める。
指をひっこめたケイは、肩にユイが腰を下ろしたのを見ながら口を開く。
「前の様に、管理者権限は…ない、よな」
「はい…。できるのは、リファレンスと広域マップデータへのアクセスくらいです。接触すれば、相手プレイヤーのステータスを確認する事は出来ますが、主データベースにはアクセスできないようです…」
「…そうか」
しゅんとした声で答えたユイの頭を、指先でそっと撫でてから、ケイは空を見上げながら再び口を開く。表情を改め、本題を切り出す。
「実はな…、ここに、ママがいるらしいんだ」
「え…!?」
言ったケイの肩から飛び出し、顔の前で停止したユイ。
「ど、どういうことですか、パパ!?」
「…SAOサーバーが消滅しても、およそ三百人の人達が現実に戻ってきていない。その中に、アスナがいるんだ。俺は、この世界にアスナに似た人がいるっていう情報を聞いて、ここに来たんだ」
須郷の事から話そうかとも考えたが、止めた。かつて、ユイは人間の負の感情で汚染され、崩壊寸前まで追い込まれた。
あの時の須郷の表情を思い出す。欲望、野望、そんなギラギラした感情に満ちたあの表情。
もう、そんなものに、ユイを触れさせたくない。
「そんな事が…。ごめんなさい、パパ…。私に権限があれば、プレイヤーデータを走査して、場所を特定する事が…」
「あぁ、いや。大体の場所は特定できてるんだ。世界樹って場所なんだけど…、解るか?」
「は、はい。…ここから北に、大体…リアル距離換算で、五十キロ先です」
「そんなにか…。高さはともかく、平面の広さはアインクラッドと比べ物にならねぇな…」
呟いてから、ケイはふと一つの疑問点を思い出した。
「そういやさ。何で俺はこんな何にもねぇ砂漠にログインしたんだ?普通、選んだ種族のホームタウンからゲームが始まるんだけど…」
疑問を問いかけると、ユイも解らないらしく、首を傾げながら答えた。
「さぁ…。位置情報の破損か、あるいは近傍の経路からダイブしているプレイヤーと信号が混ざってしまったのか…。何とも言えません」
「そうか…。はぁ、どうせなら世界樹の近くに落ちれば良かったのになぁ」
ケイが言うと、ユイは小さく笑みを零す。だがすぐに、表情を引き締めると、視線をケイの顔から外して上空へと向ける。
「…どうかしたか?」
「プレイヤーが近づいてきます。六人…」
「…なぁユイ。ここってどこの種族の領地か解るか?」
「え?あ、はい。この砂漠は、サラマンダーの領地となってるみたいですが…」
「…なるほど」
ケイは一度、息を吐いてから再びユイに問いかける。
「ユイ、プレイヤーの方向は?」
「あ、あっちです!」
「了解」
ユイが指差した、ケイの真後ろからやや右辺りとは真逆の方向にケイは駆けだす。
「ぱ、パパ!?」
「このアルヴヘイム・オンラインってゲームはな!PK推奨のゲームなんだ!同じ種族同士は滅多に争いは起きないらしいが、種族が違う同士なら…!」
その上、ここはサラマンダーの領地。なら、こっちに近づいてくるのは、かなりの確率で絞れる。
「くそっ、魔法かなんかで監視でもされてたのか!?」
「ログインしたばかりのパパが監視されるとは考えづらいですが…、サーチの魔法は存在しますし、偶然パパの姿を捉えてたとしても不思議じゃありません」
「だぁー!ログインしていきなりバグが起きて、その後にプレイヤーに追っかけ回されるって…!俺はどこかの不幸な幻想破壊者かよ!!」
ユイを胸ポケットに入れて、猛スピードで駆けるケイ。この時、ケイは忘れていた。この世界では、走る以外の移動手段があるという事を。
「っ、ダメですパパ!追いつかれます!」
「は!?…いや、そうか。向こうは飛んでるって事か」
どうやら、この世界での移動速度は、【飛ぶ>走る】のようだ。だとすれば、これ以上走って逃げても無駄だろう。
「話が分かるような奴ならいいけど」
ケイは立ち止まり、ユイが示した方向へ体を向け、プレイヤーが来るのを待つ。
夜の闇に包まれた空に、赤い六つの点が見える。その点はこちらに接近し、次第にはっきりと人の形を現す。
翅を伸ばした六人のプレイヤーは地面へ降り立ち、ケイの周りを囲むように配置をとる。
「…やっぱ、サラマンダーか」
ケイの予想通り、追ってきていたのはサラマンダーだった。サラマンダーのプレイヤー達は、剣、杖、弓といったそれぞれの武器を構え、こちらを警戒しているのが分かる。
だが一人だけ…、赤い短い髪を逆立て、一目見ても超レア装備だと解る鎧、大剣を装備した鋭い顔立ちをした男だけが、ただ腕組みをしてこちらを眺めていた。
「インプか。それも、どこから見ても初心者…。そんな貴様が、サラマンダー領に何の用で来た?」
「いや?別に来たくて来たわけじゃないんだがな」
圧倒的威圧感。アインクラッドにもここまで威圧感を持ったプレイヤーは少なかった。
ヒースクリフの一点を刺すようなものとは違う、全てを抑え付けるような威圧感がケイの全身を襲う。
「このゲームにログインして、そしたら何故かここに落とされたんだよ。理由は、俺が知りたいくらいさ」
「…にわかには信じられんが、その装備でインプ領からここまで来れるとも思えん。事実のようだな」
お?と、ケイは目を丸くして意外そうに大柄の男を見る。正直に話したものの、どうせ頭ごなしに否定されるのがオチだろうと考えていたが、どうやらこの男は話が分かる性質らしい。
これは、このまま見逃してくれそう────
「だが、ここで貴様を見逃すわけにもいかん。いくら初心者でも少しくらいの利益は貰えるだろうからな」
「は?」
という考えは甘かったようだ。武器を構えていた、大柄の男以外のプレイヤー達が完全に臨戦態勢に入る。
「…このゲームは、初心者いじめをするのが通例なのか?」
「そういう趣味はないがな。俺を前にしてそこまで平然としていられる貴様に興味が出た」
「…そういう趣味はないんだが」
「…やれ」
大柄の男が腕をこちらに伸ばし、命令したと同時に、剣を持ったプレイヤー達がこちらへ襲い掛かる。後方には、弓を持ったプレイヤーが狙っているのが見える。
「パパ…!」
「悪いなユイ。早くママに会いたいだろうに…」
胸ポケットの中から顔を出したユイに微笑みながら、ケイは小さく囁きかける。
そして────
「すぐ終わらせる」
その場にいた全員の視界から、ケイの姿が消えた。
「っ、どこへ!?」
一人のプレイヤーが声を上げる。だがその時には、ケイは攻撃態勢に入っていた事を知らずに。
「上だ!」
真っ先に気付いたのは大柄の男だった。
そう、周りから襲い掛かる刃から、ケイは上へ跳躍する事で回避したのだ。そして、落下の最中に背中の鞘から剣を抜き、振りかぶる。
「ぐぁあああああああ…」
「…まず一人」
ケイはうろきょろと視線を彷徨わせていた一人の背後に着地し、その手の刃で斬り裂いた。斬られたプレイヤーのHPは急速に減っていき、ゼロになると、その場には小さな残り火だけが残っていた。
「なっ…。こ、こいつ…、一撃で…!」
「ま、魔法だ!魔法で攻めろ!」
驚異的なケイの攻撃力を警戒してか、魔法という言葉が出た直後、二人のプレイヤーが後方に下がって両手をケイに向かって翳す。すると、彼らの周りに発行した文字のようなものが流れ始める。
「何だあれは…?」
「パパ、あれは魔法です!詠唱が終わる前に、何とか妨害を!」
「っ、解った!」
あの現象は魔法の詠唱を行う際に起こるもののようだ。ケイはこの世界での魔法をまだ一つも知らない。どれくらいの詠唱で魔法が完成するかもわからない。すぐに駆けだそうとするが、ケイの前に残った二人のプレイヤーが立ちはだかる。
「邪魔だ!」
剣で斬ってもいいが、それだと僅かながら二人をどかすまで時間がかかる。ケイは二人の懐へ飛び込むと地面へ体を飛び込ませ、両手を着く。
「何を…、ぶっ!」
「ぐはぁっ!」
着いた両手に力を込め、体を持ち上げて倒立。そして手首を回して体を回転させ、両足を開いて二人の顔面に蹴りを入れて吹き飛ばす。二人の悲鳴を確認し、ケイは今度は両手を使って跳躍し地面に足を着け、再び詠唱を行うプレイヤーに飛び込んでいく。
だが、間に合わなかった。詠唱は完成し、二人の両手から無数の火の塊が飛んでくる。
「ちっ…」
完成してしまったなら仕方ない。ケイはすぐに回避へと移行。急制動をかけ、左へステップする。一瞬しか見れていないが、範囲攻撃系ではないのは確かだ。その上、回避した自分を追ってこない事からホーミング性能もないらしい。
視線を戻せば、また二人の周りで文字が回っている。先程の魔法はあれで終了らしく、かわされたからまた新たな魔法を生成しようとしているようだ。
だが…、二度はない。
ケイは腕を回して剣を構える。それは、あの世界でいつも降りかかる危機を払ってくれた、<抜刀術>の構え。
一瞬だった。詠唱を続けていた二人のプレイヤーが同時に赤い光を発し、直後には四散。先程、ケイに斬られたプレイヤーの様に、その場には二人分の小さな炎が揺らめいていた。
「ば、バカな…。たかが初心者ごときが…、こんな…!」
「…おいおい、誰も初心者なんて言ってねぇだろ」
ケイと対峙した、残った二人のプレイヤーは、大柄の男の傍に退避していた。その内の一人の呟きに、ケイは短い間の後、返事を返す。
このままではチーター扱いされてしまう。それはやはり、一介のゲーマーとしても気分が悪い。…実際、チートも同然なのだが。
「貴様が初心者だろうがそうでなかろうが、どうでもいい」
不意に大柄の男が声を上げる。
「いや、どうでもよくなった…というのが正しいか。どれだけ能力を持っていようが、それを発揮できるかはその人次第。…面白い、面白いぞ」
獰猛な笑みを浮かべ、ケイを見つめてくる。
「貴様、名は」
「…ケイ」
「ケイ…、知らぬ名だな。これ程の剣士を知らずにいたとは…、世界は広い」
男はゆっくりと背中の鞘から、巨大な剣を抜くと、その切っ先をケイへ向ける。
「やはり、貴様を逃がすわけにはいかないな。この剣で斬りたくなった」
「…戦闘狂が」
大剣を構えたのが合図だったかのように、その場からプレイヤー達が離れていく。
(逃げる…のは無理かな。まだ飛ぶ練習もしてないし)
こういう状況になったのも、<走る>のでは<飛ぶ>から逃げられないという絶対条件があったせいだ。今から逃げようとしても無駄なのは目に見えている。
(やっぱ…、こいつを斬るしかないか)
剣を握った手を回し、<抜刀術>の体勢で構えるケイ。
何が面白いのか、目の前の男は構えたケイを見てさらに笑みを深くする。
「行くぞ小僧。…ユージーン、参る」
「っ」
同時に飛び込んだ二人。二つの刃が煌めいたのもまた、同時だった。
ケイがログインした砂漠については、原作四巻のマップイラストを見ればわかると思います。