SAO <少年が歩く道>   作:もう何も辛くない

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第55話 夕日に照らされて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頬に爽やかな風を受ける。とても心地よい、いつ以来だろうか。ここまで風が気持ちいいと感じたのは。…そうだ。まだ最前線が五十九層の時だ。あの時は本当に良い天気で、迷宮区にも行かず、木の下でウトウトしていた。

 

そして、そのまま眠りに落ちそうになった時にアスナが来て…、ここまで考えた時に、ケイは閉じていた目を開けた。開いた目に真っ先に飛び込んできたのは、燃えるような夕焼け空。

 

 

「空が近い…」

 

 

空を見上げれば、雲がとても近い所にあった。手を伸ばせば、届きそうである。

足下には、透明な板というべきか、立っている物を通して、下界に広がる雲が見通せる。

 

空が近いというより、空に浮かぶ雲の中にいるのだ。一体ここはどこなのか。

ケイは右手を翳して振ると、ウィンドウが開く。ここは、SAOの中なのか。自分はHPがゼロになり、体を四散させたはずなのに。何故、まだ意識が残っているのだろう。

 

疑問を浮かべながら開いたウィンドウ画面を見ると、そこにはいつものステータスは映っておらず、無地の画面に一言、<最終フェイズ実行中 現在54%完了>とだけ書かれていた。

 

数字が五十五へ移った時、ケイはウィンドウを閉じて辺りを見回す。上空から左右、足元の下、に目を向けた時だった。ケイが立っている場所から遠く離れた場所。円錐の型の先端を切り落としたような形をした、浮遊物を目にする。あれは────

 

 

「アインクラッド…」

 

 

現実世界で発表されてから、あまりに楽しみすぎて、今すぐに入れる訳でもないのに何度もその絵を眺めていた、浮遊城アインクラッド。巨城は、今まさに崩壊しつつあった。

ケイが今も見つめている間にも、下部が大きく崩れ、無数の木々や大量の水が雲海へと沈んでいく。あの辺りは二十二層。ケイのプレイヤーホームがあった所だ。家の場所を知ったアスナがしょっちゅう遊びに来たり、ユイと僅かな時間だが過ごしたり。

 

ただのデータなのに、あの思い出も一緒に崩れていったように感じて、哀惜の念がちくりと差す。

 

 

「なかなかに絶景だな」

 

 

ケイの左側、少し離れた所から声が聞こえてきた。振り向いたケイの目に映るのは、一人の男の姿。

 

 

「茅場さん…」

 

 

「現在、アーガス本社地下五階に設置されたSAOメインフレームの全記憶装置で、データの完全消去作業を行っている。後十分ほどで、この世界の全てが消滅するだろう」

 

 

この世界の聖騎士、ヒースクリフの姿ではない。現実世界での、研究者茅場晶彦の姿で、そこに立っていた。白いシャツにネクタイを締めて、白衣を羽織った茅場は今も崩壊を続ける浮遊城を眺めていた。

 

 

「…生き残った奴らはどうなった?」

 

 

「心配には及ばない。先程、生き残った6587人中、6586人のログアウトが完了した。一人には、少しの間待機をしてもらっているがね」

 

 

「…?」

 

 

どうやら生き残った人達はちゃんとログアウトできるらしい。が、どうして一人だけログアウトを待ってもらっているのか。わからずケイは首を傾げる。

 

そんなケイを見た茅場は、面白そうに小さく吹き出した。

 

 

「何ですか…」

 

 

「いや」

 

 

「…」

 

 

ムッとしながら聞くが、茅場は首を横に振って何でもないと答えるだけ。それ以上、何も言うつもりはないらしい。いつもそうだ。自分が感じた気持ちの理由を、誰にも悟らせない。だから、あの人とも上手くいかずに…。

 

 

「…死んだ連中は?死んだはずの俺がこんな所にいるんだ。今まで死んでった人達も、現実に返すことはできないんですか?」

 

 

「命はそんな軽々しく扱うものではないよ。彼らの意識は帰って来ない。君をここへ呼んだのは、少し君と話したかったからさ」

 

 

それが、およそ三千五百人を殺した人間の言うセリフだろうか。普通なら、今そこにいる男を殴り飛ばしたい衝動に駆られるところなのだが…、何故か不思議と、腹は立たなかった。

 

 

「茅場さん」

 

 

だがその代わりに、一つ、聞きたい事が思い浮かんだ。その疑問を、ケイはすぐに口に出して問いかける。

 

 

「あなたはあの世界を作って、何がしたかったんですか?何で…、こんな事をしたんです」

 

 

それは、SAOという世界を作った理由。人を絶望に陥れ、自殺者に殺人快楽者まで最悪のゲーム。そんな世界を作り出して、茅場晶彦という人間は何がしたかったのか。

 

 

「…いつからだったかな。空に浮かぶ鉄の城の空想に私が取りつかれたのは。フルダイブ環境システムの開発を知った時…いや、そのはるか以前から、私はあの城を、あの世界を創り出す事だけを欲して生きてきた」

 

 

茅場の奥に見える夕陽で、よく彼の表情が見えない。だが、その口元が緩んでいるのだけは見えた気がした。

 

 

「この地上から飛び立って、あの城へ行きたい。…ケイ君、私はね、まだ信じているのだよ。どこか別の世界には、本当にあの城が存在するのだと」

 

 

現実で顔を合わせる度、必ず一度は茅場が見せた、この世界にはない何かを見るような目。

あの目で何を見ていたのか、ようやくケイにも分かった時だった。

 

 

「そうだといいですね…」

 

 

もし、その世界に自分が生まれていたら、という幻想に襲われた。剣士として育ち、いつか亜麻色の髪を伸ばした美しい少女に出会って…、森の中の小さな家で暮らす。

 

そんな風に抱いた幻想を小さく振り切ってから、ケイは崩れ落ちる城に視線を戻しながら言った。

 

沈黙が訪れる。崩壊は城以外の所も巻き込み始めていた。周りに広がっていた白い雲海と赤く染まった空が、崩壊していく城の破片と一緒に消えていくのが見える。この世界の終焉が、近いという事なのか。

 

 

「言い忘れていた。ゲームクリアおめでとう、ケイ君」

 

 

現実の名ではなく、この世界に生きた者の名前で呼ばれた。その事に気付いて、ケイは視線だけを茅場へと向けた。

 

 

「そして、これはゲームクリアのご褒美だ」

 

 

一度、こちらに微笑んでから茅場はそのままケイがいる方とは逆の方へ体を向けて、歩き出す。と、そこで風が吹き、それに掻き消されるようにして、茅場の姿はその場から見えなくなっていた。

 

現実世界に帰ったのか────違う。別の世界へと旅立ったのだ。どこかにある、本当のアインクラッドを探しに。

 

そろそろ、自分も消える時が訪れる。静かに、その時を、崩壊するアインクラッドを見守りながら待つとしよう。…そう、思っていたのに。

 

 

「ケイ君…?」

 

 

自分を呼ぶ声が聞こえて、ケイは驚愕しざるを得なかった。どうして…、どうして、彼女がここにいるのか。

 

 

「アスナ…、何で…?」

 

 

「ケイ君っ」

 

 

あの城で生きた、白い騎士の姿をしたアスナが、ここにいるはずのないアスナが、どうして。まさか…、彼女も?とまで考えた時、先程の茅場の言葉を思い出した。一人だけ、ログアウトを待機してもらってる。そしてこの場を去る直前に、ゲームクリアの褒美と言った。

 

最期に、彼女と話せる時間。それが、彼がくれたゲームクリアの褒美なのか。

こんな、アスナを悲しませるだけの時間を、どうして…。

 

アスナがケイの胸に飛び込んでくる。アスナの顔が当てられている部分が熱い。視線を向ければ、彼女の目から涙が零れていた。

 

 

「ごめんね…、ごめんなさい…」

 

 

「…何でアスナが謝るんだよ」

 

 

「だって…、わたし…、ケイ君とならんでたたかうって…。ひとりにしないって、言ったのに…!わたしは…!」

 

 

涙交じりに、アスナはごめんね、ごめんなさいと謝り続ける。

 

 

「違う!」

 

 

体を震わせるアスナを、堪らずケイはきつく抱き締める。

 

違う、違うのだ。何もアスナが気に病む事はない。これは全部、自分で選んだ事なのだ。アスナは傍に居続けてくれた。それを拒んだのは、自分なのだ。アスナは、何も悪くない。

 

 

「アスナのおかげで、俺は何度も助けられた。ここまで戦い続けられたのは、アスナのおかげなんだ。だから…、泣かないでくれ」

 

 

アスナの体を抱く右手を、彼女の頭へ持っていく。彼女の髪に触れて、そっと撫でる。

 

 

「ケイ君…」

 

 

「泣くなよ。…俺、最後は笑ってる顔が見たい」

 

 

全部本心だ。アスナに辛い事を言っているのは分かる。それでも、死ぬ前に見たいのは、泣き顔ではなく、笑ってる顔。

 

ケイが言ってから少しして、アスナが見上げる。涙が流れた痕は消えないが、それでも、アスナは笑ってくれた。

 

アインクラッドの城が、主無き宮殿に崩壊の手を伸ばし始める。ケイの命も、本当にあとわずかで終わりの時が来る。それまでに、ケイは最後に一つだけ、アスナに聞きたい事があった。

 

 

「アスナ。最後に名前を教えてくれないか。本当の名前を」

 

 

笑みを浮かべていたアスナの表情が、小さく驚きに染まる。それでもすぐに表情を笑みに戻して、アスナはゆっくりと形の良い唇を動かした。

 

 

「結城…明日奈。十七歳です」

 

 

「ゆうきあすな…」

 

 

それがアスナの本当の名前。ケイは自分の中に溶け込ませるように、その名前を復唱した。

 

 

「ケイ君は?」

 

 

「俺か?俺はな…、辻谷慶介。アスナと同じ、十七歳だ」

 

 

アスナから問われ、ケイも本当の名前を口にする。もう口にすることはないかもしれない、と考えていた本当の名前。口には出さないが、最後にその名を、アスナに教えられたことが嬉しく感じられる。

 

 

「つじたに、けいすけ君…。私ね?けいすけ君に会えて幸せだった。けいすけ君に会えてから、世界が色付いたように見えて…。この世界に来て、けいすけ君に出会えて…、私は…!」

 

 

「俺も、アスナに会えてよかった。最期にこうして話せる相手がアスナで、よかった。…お別れだ」

 

 

遂に最上層の宮殿も崩れて消えていく。城の破片を飲み込んでいった光が広がっていき、周りを飲み込みながらこちらに迫ってくる。

 

 

「アスナ…。俺、これからアスナにとって残酷なこと言う。…いいか?」

 

 

「…うん」

 

 

アスナが頷く。それを見て、小さく息を吐いてから、ケイは自分の中の感情を口にする。

 

 

「ゆうきあすなさん。俺と出会ってくれてありがとう。…愛してます」

 

 

「っ!」

 

 

そうアスナに言ってすぐ、ケイはアスナの体を放して光の中へと飛び込んでいった。城を飲み込み、ケイの存在を消しに来た、光の中へ。

 

たった今、アスナにどれだけ最低な事をしたか、わかってる。それでも────

 

 

「ケイ君!」

 

 

最期に、アスナが

 

 

「私も、愛してます!」

 

 

そう言ってくれたのが、とんでもなく嬉しく感じる事だけは、許してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

────どこだ…ここは…?

 

次に少年が目を開けると、強い光が飛び込んできた。思わず目を閉じるが…、こうして意識がある。匂いを感じる。肌に、身に着けている服の感触がある。生きている。

 

────どこなんだ…。

 

もう一度、少年はゆっくりと目を開ける。何故?という気持ちを抑えて、周りを見回す。

頭上には天井、周りにはコードが繋がった何かの装置。反対を見れば、ワゴントレイの上に乗った花束。その奥には、青い空を覗かせる窓。

 

────現実世界…?

 

信じられないが、どうやらそうらしい。あの世界で死んだはずの自分が何故、ここに戻って来れたのか。…いや、そんな事はどうでもいい。

 

────アスナ…。

 

覚えている。全部覚えている。あの世界で出会ったことも。ずっと支えてくれたことも。

最後に、想いを通じ合わせた事も。全部。

 

 

────アスナ…!

 

なかなか力が入らない体に鞭打って、上体を起こす。そして、自分の両腕の細さに驚きながら、頭に被ったナーヴギアを外して、枕元へ置いた。

一瞬、横目でナーヴギアを見遣ってから少年はベッドから両足を投げ出して床に着ける。

そのまま立ち上がろうとするが、やはり力が入らない。よろけ、倒れそうになる所で、傍に合った点滴を掴んで体を支える。

 

────会いたい。

 

少年は点滴を杖代わりにして歩きだす。扉まで行く途中で、胸に貼られていた電極が剥がれ、それによって装置が警告音を発するが構わない。

 

────話したい。

 

会って、話がしたい。自分は生きていると、また一緒に歩けるんだと報せたい。

少年が前に立つと、扉は自動で開く。開いた扉を潜って廊下に出ると、少年は当てもなく探し始める。ここにいるとも知れない、大切な、愛する存在を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月7日

茅場晶彦が作り上げたデスゲーム、<ソードアート・オンライン>がクリアされる。

死者は3000人以上にも及んだが、生き残った6588人は無事にログアウトされたという生存者のコメントである。

だがコメントに反し、未だ約三百人のプレイヤーが目を覚ましていない。ただのタイムラグか、それとも別の理由があるのか。原因は不明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて、原作においてのアインクラッド編は終了です。ここまでの読了お疲れさまでした。
このまますぐにフェアリーダンスに入っていきたいとは思うのですが…、活動報告を見た方はお分かりと思いますが、明日、8月10日に実家へと帰る事になってます。なのでしばらくの間、更新が止まります。
再開時期は全くの未定です。ですが恐らくは九月過ぎたあたり…になると思われます。

それまで待たせてしまう事になりますが、ぜひこれからもSAO <少年が歩く道>とお付き合いのほどをお願いします。

では!

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