踏み出した足は、前方から同じように突っ込んでくるヒースクリフとの距離を一瞬で詰めた。ケイは刀を鞘から抜き放ち、煌めく刃を振るう。スキルの類は使わない、自身のステータスのみを使った攻撃。
斬撃はあっさりと、ヒースクリフの十字盾に防がれる。だがそこでケイは行動を止めず、ひたすら斬撃を打ち込み続けた。それら全てが防がれようとも、何度も何度も、角度を変えながら刀を振り続ける。
だが、さすがはヒースクリフと言うべきか。ケイの斬撃は全て、ヒースクリフの体に届く事はなく、あっさりと盾に阻まれ続ける。
部屋中で、刃と盾がぶつかり合う金属音のみが響き渡る。ケイとヒースクリフは位置を入れ替えながら、攻めと防御に徹し続ける。
(…やはり、無暗に攻めに転じぬのが吉か)
ケイの怒涛の攻めを迎撃しながら、ヒースクリフは何度も反撃を試みようとしていた。だがその度に、ケイの目がぴくりと動く自身が握る長剣へと移るのだ。
一瞬でも、ほんの僅かでも防御が緩めば、ケイはそれを突いて、一気に懐へ入り込んでくるだろう。ヒースクリフは、攻められるという自信を抑えながらじっと防御に徹し続ける。
戦いは不気味なほど、状況が全く動かないまま続いた。前回のような、攻守が目まぐるしく入れ替わる展開はこれっぽっちも見られない。これが殺し合いではなく、ただの決闘であったなら、見ている者はつまらなく感じそうな程に。
(いつだ…?)
ケイもヒースクリフも、このままでは決して戦いが終わる事はないと悟っている。だからこそ、互いの動きを見て、読み合い、状況を優位に動かすきっかけを探し続ける。どんな小さなことでも、これまでの流れからは考えられない、相手の動きを探す。
いつ来るかわからない、機会に目を光らせ続け…、遂に、状況が動くきっかけが現れる。
先に動いたのはヒースクリフだった。だが、それは自身の意志で相手を崩そうとしたものではなく、ケイによって引き起こされたずれ。何度も角度を変えながら剣戟を打ち込んでいたケイだったが、その中でヒースクリフの防御が僅かに間に合わず、ケイの刃がヒースクリフの腕を掠ったのだ。
そこからはケイの独壇場。ヒースクリフも盾だけではなく、長剣も駆使してケイの攻撃を弾き続けるが、防ぎ切れない一撃が体を掠り、少しずつHPを減らしていく。
(これで…っ!)
ソードスキルは使わない。キリトのような尋常ならざる筋力値を持っているならまだしも、ケイはどちらかといえば敏捷を重視したステータスの振り分けになっている。スキルの全てをデザインした茅場にソードスキルを使うのは、悪手以外の何物でもない。それでも、この攻撃がクリーンヒットすれば、ヒースクリフのHPを全損させれる威力は十分にあった。
体勢を崩し、仰け反るヒースクリフの肩口へと斜めに刀を切り入れようとする。
その時だった。この危機的状況でも無を貫いていたヒースクリフの表情が、変化する、前回のデュエルの様に、焦りではない。確かな勝利への確信。裂けた唇から僅かに歯が見える。確かな笑みを、ヒースクリフは浮かべていた。
「っ!?」
後ろへと体勢を崩していたはずのヒースクリフが、浮いていた左足を床に着け、踏ん張りを見せる。直後、ヒースクリフの右手に握られた十字盾がケイの目の前に翳され、ケイの斬撃を弾き飛ばした。
システムのオーバーアシストではない。この世界のアバター、ヒースクリフとしての最大速度で翳された盾に斬撃を防がれ、ケイは大きく目を見開く。そして、途中、隙を見せたと思い、攻め込んだあの時から自身が茅場の掌の上で踊らされていた事にようやく気が付く。
あの僅かだった動きのずれは、ヒースクリフの罠。ヒースクリフはケイが必死に自身の動きの綻びを探していた事を悟り、その上で動きがぶれたように見せて罠を張ったのだ。その罠に、ケイはまんまと嵌ってしまった。
十字盾に、刀ごと弾き飛ばされそうになるのをケイは押さえる。だがそれによってケイの腕は刀を追いかける形で伸び切ってしまい、ヒースクリフへ大きく隙を見せる事になる。
「さらばだ。慶介君」
ヒースクリフの長剣が赤く灯る。どんなソードスキルかはわからないが、間違いなく、ケイのHPを全損させる威力を誇るもの。刀を長剣の軌道上に持っていこうとするが、間に合わない。
「ケイ君っ!!」
赤い長剣が迫る中、ケイの耳に声が届く。大切な声。ずっと聞いていたくなるような、大切な人の声。瞬間、呆然と赤い軌跡を眺めていたケイの目が大きく見開く。
間に合わない?自分は今、そう思ったのか。諦めようとしていたのか。
…ふざけるな。誰が諦められるか。誰が死ねるか。初めて、ずっと傍にいたいと思えた人ができたのに。傍にいたいと言ってくれた人と会えたのに。
その人を置いて────
「死ねるかぁっ!!」
刀で防御するのは無理だと判断したケイは、ヒースクリフの右脇目掛けて飛び込んだ。その勢いのまま前転し、ヒースクリフの斬撃から直撃だけは避ける。だが、右足部を掠った斬撃は、ケイのHPをがくりと大きく減らす。
(…っ!)
自身のHPが危険域に達したことを確認しながら、ケイはヒースクリフの背後へと回り込む。それでもヒースクリフの目から逃れる事はなく、彼はケイの動きを注視し続ける。
それを知りながら、ケイは刀を鞘へと納めた。そのまま抜刀術の体勢を取りながら、ヒースクリフへの背へと突っ込んでいく。
「愚かな…」
刀を鞘に収めたケイを見て、ヒースクリフは失望したかのように両目を細めた。その目の先にいる、柄を握って突っ込んでくるケイに向かってヒースクリフは十字盾を移動させる。
ケイのしようとしている事は予想できる。このまま最速のソードスキル、<抜刀術>で攻める。これが、ケイの選択だ。…茅場晶彦は、全てのソードスキルをデザインし、頭の中に残っている事を知った上の。
そう、茅場が考えていたからこそ、次の瞬間に起こしたケイの行動に、目を見開いた。
ケイの背に隠された左手が現れる。その左拳に灯った青い光を見て、ヒースクリフはケイの本当の意図を悟る。
(体術…!?)
体術三連撃技<レッドメテオ>
右、または左拳による三連続の突き技。ソードスキルと比べれば格段に威力は落ちる。が、使用後の硬直時間がないというメリットを、ケイは選んだ。
ケイの拳が、防御を捨てて回避に徹し、身を翻すヒースクリフの右肩を掠る。
すれ違う形でケイがヒースクリフのすぐ傍を横切っていく。視線が交錯した。
直後、二人の刃がぶつかり合う。振り上げられた刀と、振り下ろされた長剣が激しく火花を散らす。
しかし忘れてはならない。神聖剣は、攻防一体というべきスキル。
激しく鍔迫り合うケイの視界の横で、ヒースクリフの十字盾がぶれた。
それを目にした瞬間、ケイは軽く跳躍。浮いた右足でヒースクリフの剣を握る左手を蹴った勢いを利用して、その場から後退。先程までケイが立っていた場所を、十字盾が横切っていく。
「っ!」
攻撃が失敗に終わったヒースクリフだが、後退するケイを逃さず追い縋る。これまで、攻め続けていたのはケイだった。だがここからは、攻守の展開が逆転する。
アスナもあわやというスピードで長剣の切っ先がケイへと迫る。刀でヒースクリフの斬撃を迎撃し続けるケイだが、ヒースクリフは攻撃の手を休めない。
互いの位置を入れ替えながら交錯を続ける二人。それは、戦い始めてからずっと見られた光景だった。その立場の違いと、少しずつケイの足が後ろに下がり始めている事を除けば。
次第にケイが押され始める。ヒースクリフの長剣を抑えながら、盾による攻撃を警戒しなければならないのだ。キリトの火力重視の二刀流とは違う、奇襲に合った二刀流。それが神聖剣なのか。
「あっ…!」
小さく悲鳴を上げたのは誰だったか。ケイの手から刀が離れ、宙へと上がった直後にその声が聞こえてきた。
ケイは、笑う。
大丈夫だと言い聞かせるように。その笑顔を向ける先には、今にも飛び込んでいきたそうにこちらを見つめる、大切な人の姿。
手に刀は握られていない。目の前のヒースクリフは、止めを刺すべく、赤く染まった長剣をこちらに振り下ろしている。
それでもケイは笑っていた。
「っ…!」
ここで、ヒースクリフは一つ、大きなミスを冒していた。まず、ヒースクリフは何でもいい。ケイの体勢を崩すべきだった。得物を失った相手ならば、たとえケイでもそれをさせる事はヒースクリフにとって容易だっただろう。
だが、ケイが浮かべた笑みを見て、ヒースクリフはこの戦いで初めて、小さな焦りを感じた。何かあるのか。何か、切り札を持っているのか。僅かに過ったその思いが、ヒースクリフに決着を急がせてしまう。
(何だ…?)
ケイには、刀を掴もうという動きは全く見られない。それどころか、刀はケイの手に触れることなく、少し離れた床に刃を立てる。
その場所へ行こうという動きもない。それどころか、ヒースクリフが振り下ろす刃を見つめて、迎撃してやろうという意志を見せている。
(何をして…!?)
ヒースクリフの視界に、二つの光が見えた。水色に染められたライトエフェクト。それが、ケイの両手を纏っている。
(…バカな)
ソードスキルを使用している今、ヒースクリフに行動を変更することは不可能。このまま、長剣を振り下ろすしかできない。だから、この状況に驚愕しざるを得なかった。
これは自分がやった事と同じだ。相手を罠に嵌め、こちらのペースに引き込む。
さっきから自身が攻撃、ケイが防御という立場に入れ替わった。それこそ、ケイの罠。僅かに後退し、そして刀を弾かれたのも。
全て、ケイの思惑通りだった。ヒースクリフはあっさりと、ケイの仕返しを受けてしまったのだ。
体術スキル上位妨害技<白刃取り>
刀を手放したケイが選んだのは、このスキルだ。キリトのような、ずば抜けた反応速度だけでは使いこなすことはできない。優れた反応速度だけではなく、相手の動きを見抜く優れた動体視力を要求するこのスキルをデザインしたのは、茅場晶彦ではなく彼の部下だった。
『もしかしたら、体術を武器に戦うプレイヤーがいるかもしれないですよ』
けらけらと笑いながらそう言って、このスキルをデザインした部下の顔を思い出す。
自分を含めて、他の開発者たちもそんなはずはないと聞き流していた。だが、もしいたら?という思いに駆られ、念のためこのスキルを削除しないでSAOのサービスを開始した茅場。
第一層からこれまで、体術を主にして戦うプレイヤーが現れなかったことで、今ケイが使用するのを見るまで、すっかり忘れ去っていたスキル。
ケイの両手が、ヒースクリフの長剣を包み、止める。<白刃取り>以外にも妨害技は存在する。妨害技の定義は、相手のソードスキルを止める、となっている。相手のソードスキルを止め、そしてスキル強制停止による大きな硬直時間を相手に与えて隙を作る。それが、妨害技のメリットだった。
システムの定義に従い、ヒースクリフの体は長い硬直に襲われ動けなくなる。それを逃さないケイではない。いつの間にかケイの手には、離れていた刀が握られており、こちらに迫ってきていた。
(クイックチェンジか…!)
まるで初めから、この場で自分と戦う事を知っていたような、用意周到なケイを見て歯を噛み締める。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
握った刀の切っ先をヒースクリフに向けるケイ。ヒースクリフも盾を構えて防ごうとするが、未だ硬直は解けず、動くことができない。硬直が解けた時には、すでにケイはヒースクリフの懐に潜り込んでおり、刀は胸に深々と突き刺さった。
(終わり…か)
ただでさえ少なくなっていたHPが削れ、貫通継続ダメージが発生するまでもなく全損する。ヒースクリフの視界に、<You are dead>。死ねという宣告。
この後は、自身のアバターがポリゴン片となって四散し、脳を焼かれて死ぬ。そうすればこのゲームはクリアされる。
ケイの勝ちだ。
(ケイ君の…勝ち…)
そう、ケイの勝ちだ。自分は負けた。
(私の…負け…)
ヒースクリフの体が光に包まれる。アバターが四散する前触れの現象。
(…違う)
まだ消えてない。体は残っている。HPはゼロになり、死からは免れない。
だが…、負けたくない。慶介にだけは、負けたくない。
(私は…っ!)
重く、なかなか言う事を聞かない体に鞭打って、剣を握った手を突き出す。
「っ!!?」
ケイの目が大きく見開かれる。その胸には、ヒースクリフと同じように、刃が突き立てられていた。
HPが減っていき…、ケイのHPもまた、ゼロになる。
これで負けではない。勝つことはできなかったが…、負けることもしなかった。
(…楽しかったよ)
もうすぐ、彼も死ぬというのに…、彼は笑っていた。目を閉じて、笑みを浮かべていた。
きっと、ケイもまた自分と同じ気持ちを感じているのだろう。この戦いが、楽しかった、と。
(…気のせいかな?)
いや、もしかしたら違うのかもしれない。ただ自分が憎く、笑うしかないのかもしれない。
それでも…、この世界で初めて、楽しいと感じた。殺し合いで楽しいと感じるのは最低なのかもしれない。この世界で人殺しを楽しんでいた連中と、同じなのかもしれない。
それでも…、茅場晶彦は、自分の気持ちに嘘を吐けなかった。体が四散する直前、彼は笑っていた。
「ケイ君…?」
ヒースクリフのアバターが消え、直後にアナウンスが入る。無機質なシステムの声で、ゲームはクリアされました、と────
だが、誰も喜びの歓声を上げる事は出来なかった。
「ケイ君!」
ヒースクリフが倒された事で、麻痺が解ける。アスナはすぐに立ち上がって、動かないケイの元へと駆け寄る。
アスナの目の前で、HPを全損させたケイ。魔王を倒し、これで…と思った所で起きた悲劇。
(嫌だ…、嫌だよ!)
麻痺から回復した直後の影響か、足がもつれる。転びそうになるのを耐えながら、ゆっくりとこちらに振り向くケイ目掛けて走るアスナ。
『ご め ん』
「っ!?」
ケイの口が小さく動いた時。
アスナの手が届きかけた瞬間、目の前で、ケイの体は光と共に四散した。