「ミナ、パン一つ取って!」
「ほら!よそ見してるとスープ零すよ!」
「あぁっ!先生ー、ジンが目玉焼き盗ったー!」
「代わりにニンジンやったろー!」
目の前で起きている圧倒的光景、戦場とも形容できる昼食風景をただ呆然と眺める事しかできないケイ達。
「これは凄いな…」
「うん。でも…、凄く楽しそう」
はじまりの街、東七区にある教会の一階広間。所狭しと並んでいる長テーブルに置かれた料理を、我先にと取ろうとする子供達を見ながら、ケイとアスナは呟きを交わした。
ケイ達は子供たちのテーブルから少し離れた所にある丸テーブル二つに、ケイ、アスナ、ユイとキリト、サチ、サーシャと自己紹介した保母と分かれてそれぞれ座っていた。
「毎日、食事の度にこうなんです。静かにしてと注意しても聞かなくて…」
そんな事を言いながらも、サーシャの顔には愛しさと慈しみが浮かんでいた。
「…子供が好きなんですね」
サーシャの横顔を見つめて口を開いたのはサチだった。サーシャはサチの方に振り向いてから、キリト、そしてケイ達を見回して言う。
「向こうでは、大学で教職課程を取ってたんです。教師にすごく憧れて…、私が子供達を導くんだーって。でもここに来て、あの子達と暮らし始めたら、今まで学んできたのとは全く違って…。むしろ私が頼ったりする事が多くて…」
そこで言葉を切ったサーシャは、心底愛しそうに目を細めて子供達を見ながら続けた。
「でも、それでいいっていうか…。それが自然なもののように思えるんです」
「…何となくですけど、分かります」
サーシャの言葉に最初に返したのは、アスナだった。アスナは隣に座って、パンをもきゅもきゅと咀嚼するユイの頭を優しく撫でる。
ユイの身に起きたあの謎の発作はすぐに収まり、意識も数分ほどで覚ました。だが、すぐに長距離を移動させる気にはケイもアスナもなれなかった。当初ははじまりの街内にある宿の部屋をとって、そこで休もうと考えていたのだが、サーシャの誘いもあってこの教会へとやって来たのだ。
「なぁキリト、サチ。お前ら、ギルドに戻んなくていいのか?買い出しに来たんだろ?」
「ん?いや、大丈夫だ。…今日一日使って、ゆっくり帰って来いって言われたから」
「買う予定の物、そんなに多くもないのにね…」
そこでケイは察した。何故キリトとサチの二人が買い出しのメンバーに選ばれたのか。<月夜の黒猫団>のメンバー達が、二人に気を遣って送り出したのだろう、と。
しかし、気を遣うにしてもこの方法はどうかとは思うが。キリトとサチの性格からして、あまり人から気を遣われると逆に委縮して、関係も進まなくなるような気がする。
「後、ユイちゃんとも、もっと一緒にいたいしね」
「だな」
「…んー?」
不意にキリトとサチに視線を向けられたユイは、口の中に残った物を飲み込んでから首を傾げる。
これまでの様子を見る限りでは、ユイの調子は良いらしい。ケイもアスナも一安心はした。が、まだ根本的な状況は何も変わっていない。僅かに記憶が戻ったユイの言葉によれば、はじまりの街ではなく他の所にいたようだし、保護者と一緒にいた様子もない。ならば、ユイの幼児退行というべき症状の原因もわからない。
だが────
(MHC…か)
ケイの頭の中で浮かんだのは、ユイのステータスに映っていたMHCPの四文字の内のMHCという文字列。この三文字は、確か────
「…おい、誰か来るぞ。一人」
ケイが過去の記憶を呼び起こそうとした時、ぽつりと小さな声でキリトが呟いた。それに我に返ったケイも、自身の索敵範囲内に一人のプレイヤーがいる事に気付く。
部屋内にノックの音が響いたのは、直後の事だった。
サーシャと念のためにと付いていったキリトと一緒に入ってきたのは、長い銀髪を下ろした長身の女性プレイヤーだった。怜悧に整った容姿の肩にはケープがかけられており、その下には濃い緑色の上着と大腿部がゆったりしたズボン。そして、鈍く輝く金属鎧は軍の物だ。
「皆、この方は大丈夫だから。食事を続けなさい」
女性プレイヤーの格好に気付き、警戒し始めた子供達に声をかけるサーシャ。途端、子供達はホッと肩の力を抜いて警戒を解き、再び食事中の騒がしさが戻っていく。
その中を歩いてこちらに向かってくる女性プレイヤーは、サーシャが持ってきた椅子に勧められ、ケイとアスナの間で腰を下ろす。
「えっと…。こちらはユリエールさん。何か、俺達に話があるんだってさ」
女性プレイヤーの後ろにで立ち止まったキリトが、サチ、ケイとアスナにユイと見回しながら女性プレイヤー、ユリエールを紹介する。キリトに紹介されたユリエールは、キリトと同じようにケイ達とキリトの隣に立ったサチを見回してから、ぺこりと頭を下げて口を開いた。
「初めまして。ギルドALF所属の、ユリエールといいます」
「ALF?」
ユリエールの自己紹介の中のある言葉の一つに疑問を持ったアスナが、首を傾げながら聞き返す。
「アインクラッド解放軍の略だ。あまり馴染みはないけどな」
「良くご存知で…。正式名は、どうも苦手で…」
ALFという単語についてケイが解説すると、ユリエールは驚いたように目を丸くして視線をケイへ向ける。その視線はすぐに外され、顔が俯き視線は膝へ向けられる。
「初めまして。私は、ギルド血盟騎士団の…あ、いえ、今は一時脱退中ですが…。アスナといいます。この子はユイ」
「私はギルド月夜の黒猫団のサチといいます。こちらも、同じギルドのメンバーの、キリトです」
「初めまして」
アスナの自己紹介とユイの紹介に続いて、サチが自身とキリトの紹介をする。最後にキリトが一言口にしながら頭を下げて挨拶をする。
「KoBに月夜の黒猫団…。なるほど、連中が軽くあしらわれるわけだ」
アスナ達の紹介を聞いたユリエールは、目を見開きながらそう呟いた。その後、ふっと笑みを浮かべるユリエールにアスナ達は警戒を強くする。
そんな中で、ケイはただユリエールをじっと眺めるのみ。
「さっきの件について、抗議に来たって事ですか」
そう言ったのはキリトだった。ユリエールは軍のメンバーであり、着ている鎧から見てかなり高い立場にいるメンバーの一人のはずだ。先程の奴らから報告を受け、ここに抗議にやって来た。それがキリト達の見解だった。
だが、彼らの予想に反し、ユリエールは目を丸くしながらキリトへと振り返って口を開いた。
「いえ、そんな。その事については、むしろ感謝したいくらいです」
ユリエールの返しに、キリト達は呆気に取られて思わず目を見開く。
「今日は、お願いがあってここに来たのです」
「お願い…ですか?」
問い返したサチに頷きながら、ユリエールは続ける。
「最初から説明します。軍というのは、初めから下層プレイヤーに情報や食料を分け与えたり、補助をするような活動をするギルドではありませんでした。…正確には、援助活動は、別のギルドが行っていて、後に合併し、軍が援助活動を行うようになったのです」
そう、元々、<アインクラッド解放軍>はバリバリの攻略をベースに活動するギルドであり、今の様に下層にメンバーを置いて前線に出れないプレイヤーを援助するようになったのは、一年ほど前の事だった。
「<MMOトゥデイ>という名前を聞いた事はないでしょうか?」
「え?えっと…」
ユリエールの問いかけに戸惑いを見せたのはアスナとサチの二人だった。だが、ケイとキリトは表情を変えず、キリトが口を開いた。
「SAO開始当時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトの名前だ。ギルドを結成したのは、そこの管理者で、名前は確か…」
「シンカー」
途中で、視線を斜め上にあげながら言葉を切ったキリトに続いて、ケイが短く言った。
ケイの言葉を聞いて、一度頷いたユリエールはさらに続ける。
「シンカーは、今のような独善的な組織を作ろうとした訳ではないんです。ただ、なるべく多くのプレイヤーと均等に、物資や情報を分かち合おうとしただけで…」
だが、その理想を実現させるには組織の現実的な規模と強力なリーダーシップが必要だ。
さらに物資を分け合うためには膨大な量を手に入れなければならないし、情報に関しては時に最前線まで赴かなければならない場合だってある。
志し当初はまだ何とかなったという。だが、どんどん層が踏破されていく内に情報が追いつかなくなり、さらに上層から何らかの事情で下層へ戻らざるを得なくなったプレイヤー等で、シンカー達に援助を求める声が多くなっていった。いつしか、ギルド内の運営すら危うくなるのではという所まで追い込まれたという。
「そんな時、近づいてきたのはキバオウという男でした」
ケイの体が一瞬、ピクリと震える。
「彼は困り果てた私達に手を貸してくれました。キバオウの提案でシンカーは彼と手を組み、今の軍が出来上がりました。…彼のおかげでこれまで、多くのプレイヤーが救われたと言っても過言ではありません」
キバオウが率いたアインクラッド解放軍が、多くのプレイヤーと情報と物資を分け合っていると聞いた時は何時だっただろうか。その時は、あまりに驚いてすっ転んでしまうほど動揺したが…、今では、彼なら当然だろうなという思いが浮かんでくる。
しかし────
「KoBに、月夜の黒猫団のメンバーならば知っているとは思いますが…、キバオウは死にました。多くの同胞と共に」
キバオウは死んだ。半年前の、ラフコフ討伐戦で。
あの戦いで、キバオウだけでなく多くの軍のメンバーが犠牲になった。それから、軍は前線に出てくる事はなくなり、それからそう経たずに暗い話をよく聞くようになっていった。
「そこに台頭してきたのが、クライブという男でした」
クライブは体制の強化をし、組織の立て直しを図った。クライブの腕とリーダーシップは確かで、次第に軍は立て直していき、キバオウの抜けた穴も埋めていったという。ユリエールとシンカーも、また前の様な活動を続けられると喜んだという。
だが、クライブはシンカーが放任主義なのをいいことに、同調する幹部達と好き勝手し始める。狩場の、ルールを無視した独占に狩りによって手に入れた物資の独占。それによって、シンカー側に収入が来なくなり、代わりにクライブ派がどんどん力を付けていく。
さらにクライブ派のプレイヤーは調子に乗り始め、街区圏内ので徴税と称して恐喝まがいの行為を始める。先程、サーシャと子供達に迫っていたのはそのクライブ派のプレイヤーだったのだ。
しかし、収入を独占し、私腹を肥やし続けてきたクライブ派だったが、ゲーム攻略をないがしろにし続けた事により、遂にシンカー側の不満が爆発した。その不満を抑えるため、クライブは精鋭の隊を最前線に送りだした。
そう、あのコーバッツの隊だ。だがクライブの思惑は外れ、隊は壊滅状態。さらに隊長のコーバッツが死亡という最悪の結果を引き起こし、クライブへの糾弾はさらに巨大化していった。
そこで、クライブは更なる凶行に躍り出る。
「閉じ込めた…?ダンジョンの奥にか!?」
「はい…」
クライブはシンカーをダンジョンの奥に閉じ込めるという強行策に出たという。それも、三日も前にだ。SAOには、<ポータルPK>というメジャーな手口があり、クライブが用いた方法は正にそれだ。
ユリエール曰く、クライブはシンカーに『丸腰で話し合おう』と掛け合い、そしてシンカーはそれを信じて何も持たずにクライブについていったのだろう。だがクライブは話し合う気などさらさらなく、ダンジョンの奥までシンカーを誘い込み、そして転移結晶で逃げ出す。
言っちゃ悪いが、シンカーはまんまと見え見えの罠に引っかかってしまったという事だ。
「彼は優しすぎたんです…。ギルドリーダーの証である<約定のスクロール>は、今はシンカーとクライブしか操作できません。このままシンカーが戻らなければ、ギルドの人事や会計までクライブの思う様に操られてしまいます」
シンカーがダンジョンの中にいるという事はアイテムはおろか、メッセージも遅れないという状態。しかし、シンカーが幽閉されたダンジョンはユリエール一人で踏破できる難易度ではないらしく、軍の助力も期待できない。
「そんな所に、恐ろしく強いプレイヤーが現れたという話を聞き付け、いてもたってもいられずにこうしてお願いに来た次第です」
ユリエールがここへ来た理由は分かった。お願いがあるというその経緯も全て分かった。
だがそれでも、その話を裏付ける証拠が何もない。キリト達は、ユリエールの話を信じ切る事は出来なかった。
(…普通は、そうだよな)
しかし一人だけ。俯き、膝の上に置いた両拳を握ったケイだけは違った。キリトと同じように、信じられる証拠は何もない事は分かっている。
それでも────
「解りました。なら、俺がついてきます」
「け、ケイ君!?」
「ケイ…?」
立ち上がりながら言ったケイを、驚愕に目を見開いて見上げるアスナに、アスナが呼んだその名前を思い返すように目を細めるユリエール。
「紹介が遅れました。俺はケイといいます。ソロです」
「…まさか…、幻影」
目を丸くして固まるユリエールをよそに、アスナは立ち上がり、ケイを見据えながら言う。
「ケイ君、ユリエールさんを助けたいって気持ちはよくわかる。私もそうだから…。けど、この話が本当だって裏付けてからでも、遅くはないんじゃ…」
「解ってる。でもそれをしている間に、シンカーさんが危険な目に遭うかもしれない。いや、もしかしたらもう…。だから、ユリエールさんは藁にも縋る気持ちでここに来た」
「だ、だけど…」
「…これは、俺の役目だ」
ケイの言う事は正しい。それでも、不可解な状況でケイに突っ込んでいっては欲しくなかった。アスナはケイを止めようと言い募ろうとした。
その直後のケイの一言で、アスナは、キリトとサチは、ここまでケイが言ってきたのは全部建前なのだと悟った。
もし、としたら、というIFの未来なんて誰にもわからない。それでも、もしキバオウが生きていたら。軍はこんな事になっていなかっただろう。サーシャと子供達は軍に恐れる事もなく、静かな時を過ごせていたはずだ。クライブはキバオウに抑えられ、今のような暴走はできなかったはずだ。
「アスナはここでユイと待っててくれ」
「ま、待っ────」
ケイは椅子から離れ、ユリエールの傍に歩み寄る。それをアスナが呼び止めようとした時、アスナの服の袖が引っ張られた。
「大丈夫だよ、ママ。その人、うそついてないよ」
袖を引っ張り、見上げていたユイはそう言った。言葉の内容もそうだが、何よりユイの流暢な言葉遣いが、アスナを呆気に取らせる。
ケイもまた、立ち止まってユイを呆然と眺めている。
「ユイちゃん…、そんな事、わかるの?」
「うん。上手く言えないけど…、わかる」
アスナの問いかけに、こくりと頷きながら答えるユイ。
そして、その言葉を聞いたキリトが右手を腰に当てながら口を開いた。
「疑って後悔するよりは、信じて後悔した方がいいんじゃないか?」
「そうだよ、アスナ。それに…、ユイちゃんを信じよう?」
サチもまた、キリトに続いて言う。
「そう…だよね。うん、そうだね」
キリト、サチ、そしてユイ。三人の言葉に背中を押されるように、アスナの中で少しずつ決意が固まっていく。
「ごめんね、ユイちゃん。お友達探し、一日遅れちゃうけど許してね」
そう言ったアスナに、ユイは微笑みながら頷いた。アスナはユイの頭を一度撫でてから、ユリエールに向き直る。
「微力ながら、私もお手伝いさせていただきます。大事な人を助けたいって気持ち、私にもよくわかりますから…」
「アスナ…、けど」
「いいの。私もついてくって決めたんだから。もうケイ君が何も言っても、残ったりしないからね?」
一瞬驚き、動きが固まったケイだがすぐに呆れたようにため息を吐く。
そして、そんな二人のやり取りを見ていたユリエールは、両瞳に涙を溜めながら震える声で言った。
「ありがとうございます…、本当に…」
「それは、シンカーさんを助けてからにしましょう」
お礼を言おうとしたユリエールを制止してから、アスナは再びユイと向き直って口を開いた。
「そういう事だから、ユイちゃん。お留守番しててね?サチ、キリト君。お願いできるか────」
「ユイも行く!」
ユリエールが言う限り、これから行くダンジョンはそれなりに高いレベルを要求される場所の様だ。そのため、さすがにユイを伴わせるのは危険だと考え、アスナはユイの事をキリトとサチに頼もうとした。
だがその前に、ユイは椅子から降りて大きな声で言い放った。
「ユイ…。あのな、これから俺とママが行く所はとっても危険なんだ。だから…」
「いや!ユイも行くの!」
続いて、ケイがユイに言い聞かせようとするが、それでもなおユイは自分を曲げようとしない。
困ったように目を見合わせるケイとアスナ。そして、二人が次にユイに視線を向けた時。
「!!?」
「ゆ、ユイちゃん!?」
ユイの両目に大粒の涙が、今にも零れそうなほど溜まっていた。
プリーズミー感想!感想を私に!
私に私による私のための感想を!
…あれ?なんかおかしい?