「はい、できたよー」
しかし、どうしてこうなったんだろうか。別に決まった予定もないし、今日は少し攻略に出ようかなと思っていたのに。自分とアスナを、パパ、ママと呼ぶ少女と三人で食卓を囲む事になっている。
本当に、どうしてこうなったんだ。心の中で自問するが、答えは出てこない。
(しかし、わかんねぇよな…)
アスナが作ったケイの分の二つのパイが載った皿がテーブルに置かれる音を聞きながら、ケイは考え込む。
何故、ユイは自分のホームの前に立っていたのか。それに、ユイは初めから自分に懐いていたのも気になる。普通、見知らぬ人がいれば女性の方に懐くのがしっくりくるのだが。ケイとアスナと同時に顔を合わせた時、ユイはアスナを警戒してケイの後ろに隠れた。
それにその後も、何かとケイに心を許しているような部分を見せた。
何故────
「ほら、ケイ君。朝ごはんできてるんですけどー」
「あ…、あぁ」
考え込んでいるケイの視界に、アスナの顔が映る。一瞬で我に返り、はっ、と僅かに仰け反る。見れば、アスナだけでなくユイも、不思議そうにケイを眺めていた。
「ん゛ん゛!さ、座れアスナ。さっさと食っちまうぞ」
「もう!ケイ君を待ってたのに…、まったく」
自分は何にもしてませんよという口振りのケイを、アスナは腰に右手を当てて呆れた視線で見る。何か一言物申したそうな表情をしていたアスナだが、これ以上ユイを待たせるわけにもいかず、ケイの言う通りに食卓に着く。
アスナが席に着いた途端、我慢堪らなくなったユイが、皿の上のパイを手に取って小さな口でかぶりついた。本来親ならば、しっかり挨拶しなさいと注意しないといけない所なのだが、一生懸命はむはむとパイを咀嚼するユイの可愛さにやられ、ケイもアスナもユイを咎める事。ができなかった
「と、ともかく食べよっか」
「あ、あぁ」
少しの間ユイを眺めていたケイとアスナだが、我に返るとすぐにパイを食べ始める。
今まで、ケイ自身がどちらかというと辛党という事もありこういう菓子系の料理を食べた事はなかった。だが今ケイは、どうしてもっと早くアスナに甘いもの作ってほしいと頼まなかったと後悔している。
過ぎない適度な甘さがケイの口の中で広がっていく。その心地よさは、危うく辛党から甘党に鞍替えしそうになってしまうほど。
「うめぇ」
「本当?良かったぁ…。まだケイ君に甘い料理食べてもらった事なかったから、口に合うか不安だったんだ」
思わず呟いた言葉はアスナの耳に届いていた。アスナは満足げにパイを咀嚼するケイとユイを見ながら、安堵の笑みを浮かべる。だが、そんなアスナに目もくれずにケイとユイはパイを堪能する。
「…ん?」
そして、ケイが一つ目のパイを食べ終えて二つ目に手を伸ばそうとした時だった。ユイがじぃ~っとケイの皿の上に乗っているパイを見つめているのが見えた。
「…欲しいか?」
もう物凄く主張するユイの視線に苦笑を浮かべながら問いかけると、ユイはこくこくと頷いた。
ユイは小さいという事でアスナは配慮して量を少なくしたようだが、ユイには物足りなかったようだ。ケイは一つ、小さく息を吐いてからパイの載った皿をユイの前へと持っていく。
「ほら、食べていいぞ」
「…ありがと!」
ケイ自身、まだ腹は満ち足りないが背に腹は代えられない。ここで嫌だとユイを突き放すようなことを言えば…、うん、ダメだ。そんな大人げない事をするつもりもないが、後が怖いし。
ユイは輝かんばかりに笑顔を浮かべてケイにお礼を言った後、むぐむぐと二つ目のパイにかぶりつく。…何だろう、何故かデジャブを感じる。正確に言うと、第一層の迷宮区前の森で、どこかの誰かさんと初めて会った時に与えた黒パンとクリームを────
「ケイ君?今、失礼なこと考えなかった?」
「そんな事ありませんですよはい」
だから何でアスナは心が読めるんでせうか。読心術でも会得してるの?
「…アスナ。この後の事だけど」
「うん。私も考えてた」
まあ、アスナが心を読んでくるのは今更の事なので置いておく。今は目の前の事だ。
それについて話題を切り出そうとすると、アスナも同じ事を考えていたようで。
「まず、はじまりの街で情報収集しようと思ってる。それに、もしかしたらだけど…、掲示板に手配されてるかもしれない」
ユイが一人でSAOにログインしているとは考えづらい。親か、はたまた兄姉と一緒かは定かではないが、その場合、家族の人がユイを探している可能性は高い。そして、そうだとすれば家族の人はそう高い層で活動はしてないはず。こんな小さい子を置いて、前線で戦う事はできないだろう。
それに、もし掲示板に情報が載っていなかったとしても、はじまりの街にはアインクラッド中に新聞を配っているギルドの本部がある。そこで、尋ね人のコーナーに書いてもらうよう頼む事ができる。
それでも見つける事ができなければ…、ユイの保護者になってもらえる人を探す。
「…そうだね。今はこうしてユイちゃんの傍にいられるけど…」
「…」
残った小さなパイを口の中に入れて咀嚼するユイを見ながら、アスナが言う。
そう。ケイはソロのため、基本的には自由。アスナもギルドから休暇を貰っている身。だが、いずれはケイもアスナも必ず、本格的に攻略に身を乗り出さなければいけなくなる時が来る。そうなれば、ユイを見る人が誰もいなくなるのだ。
「やっぱり、私達で保護するのは無理だから…」
「そう…だな」
アスナは、ユイを保護したがっているのか。だが、それは無理だ。ケイは誤魔化さずに、アスナの言葉に頷いて返した。
その後、ユイがパイを食べ終え、カップに入ったミルクも飲み干して満足げに息を吐いているのを見て、アスナが三人分の食器を片づけ始める。
「さて、ユイ。もう少ししたらお出かけするからな」
「おでかけ?」
そしてケイは、この後どうするかをユイに説明する。ユイはケイを見上げて、首を傾げながら聞き返す。
「ユイの友達を探しに行くんだぞー」
「ともだち…って、なに?」
きょとんとした顔のユイに、どう言ったものかとやや悩みながら答える。が、その答えにもユイは不思議そうな顔をして聞き返してきた。この会話が耳に入ったのだろう、アスナが片づけを続けながらこちらに目を向けているのが分かる。
この時、ケイはユイの行動を思い返しながら一つの結論を出した。ユイに起きている症状は、<退行>というより記憶の<欠如>というべきなのではないか。ところどころ、記憶が消滅しているような、そんな印象を受ける。
「友達っていうのはな、ユイを助けてくれたり、笑わせてくれたり…。一緒にいて楽しくなる人の事をいうんだ」
「…?」
ケイ的にはパーフェクトな答えを言えたと感じているのだが、ユイには理解できなかったようだ。首を傾げ、こちらを見上げてきょとんとしたままだ。
「さ、ともかく出かけるからな。準備するか」
「…うん」
ユイはまだ納得し切れてないような表情を浮かべていたが、ケイがそう言うと椅子から立ち上がった。
ユイが着ている白いワンピースはかなり薄地で、初冬のこの時期に外に出るにはかなり寒そうな格好だ。それを見たケイは、ユイに着せる厚手の衣類を探すためにストレージを開こうとするが、女の子用の衣服なんか持っていない事を思い出す。
「アスナ。ユイに着せる服とか持ってないか?さすがにこれじゃ寒そうだし」
「うん。ちょっと待ってて」
ちょうど食器の片づけを終えてこちらに歩いてきたアスナが、ストレージの中から色々な衣服を実体化させていく。その中から、桃色のセーターを取り出して、そこで動きを止めた。
SAOでは普通に服を脱いで着替えるという事は出来ない。着替えるためには、対象の衣類が自身のストレージの中に入っていなければ不可能なのだ。恐らく、アスナが戸惑っているのはそれについてだろう。
「ユイ、ウィンドウ開けるか?」
ケイがユイに尋ねるが、やはりユイは何の事だか分からない様子。
「ほら、こうやって右手を振るんだ」
今度は実際にやってみる事でユイを促してみるケイ。ユイはケイを真似して右手の指を翳して振り下ろす。直後、本来なら紫色のウィンドウが出てくるのだが、何故かユイの前には何も出てこない。
「出てこない、ね…」
「あぁ。システムがバグってるのか?それにしても、ステータスが開けないのは…」
カーソルが出なかったり、ウィンドウが開けなかったり。ユイの周りではバグが起こりすぎている。特に、ステータスが開けないのは致命的だ。何もできないといっていい。
だが直後、ケイとアスナがどうするべきか考えていた時だった。何も出てこない事でムキになって右手を振っていたユイが、不意に左手を振るう。
「でた!」
その声でケイとアスナが振り向くと、ユイの左手の下で紫色に発行するウィンドウが出現していた。
「「…」」
思わずケイとアスナは顔を見合わせる。正直、何がなんだかわからない。
だがともかく、ステータスは開く事ができたのだ。ユイには悪いが、服を着せるためにも少しウィンドウを覗かせてもらおう。
「ちょっとごめんね」
一言呟いてから、アスナはユイの背後からウィンドウを覗き込む。ステータスは本来、本人にしか見れないように設定されている。そのため、今アスナには何も書かれていない無地のウィンドウが見えているはずだ。だが、その本人の指で操作し、可視モードに設定すれば他の人にも見えるようになる。
アスナはユイの手に自身の手を重ねてウィンドウを操作し始める。ユイの指でどこかの欄をタップすると、ケイの目にも無地に見えていたウィンドウに、一瞬にして字が浮かんだ。
「な、なにこれ!?」
きっとアスナは、ユイのステータスをあまり見ないようにし、アイテム欄を開こうとすたのだろうが…、見えてしまったのだろう。ケイも、目を見開いてその部分に目が釘付けとなる。
メニューウィンドウのトップ画面は、三つのエリアに分けられている。アバター名の英語表示とHPバー、経験値バーが記されているエリア。自分が身に着けている装備が表示されているフィギュアのエリア。そして、コマンドボタン一覧のエリアの三つだ。
だが、ユイのウィンドウには、最上部に<Yui-MHCP001>という奇怪なネーム表示以外には何も表示されていない。HPも、経験値も、レベル表示もない。装備フィギュアは表示されているが、コマンドボタンは通常よりもかなり数が少ない。<アイテム>と<オプション>と、二つが表示されているだけだ。
「これも…、システムのバグなのかな…」
「分からない…。けど、バグというよりは…元々こういう風になってるように見えるな…」
今ほどGMがいないと歯痒く感じるのは、SAOにログインして初日の、あのチュートリアル以来だ。
「…これ以上考えても仕方ないね」
ケイとアスナの理解の範疇を超えている。ともかく、これはシステムのバグだと判断するしかない。アスナはアイテム操作を始め、ユイの装備を変更させる。白いワンピースから、桃色のセーターと同系色のスカート、黒いタイツに赤い靴と、先程までの神秘的な印象から一気に、可愛らしい格好へと変身する。
「おぉー。似合ってるぞー、ユイ」
「えへへー」
ケイが褒めると、ユイはとてて、とケイに駆け寄って両腕を伸ばしてくる。それが抱っこを求めてるのだとすぐに察したケイは、ユイの脇の下を掴んで抱き上げる。
「さ、お出かけ行くか」
「うん!」
ユイに微笑みながら言ってから、ケイは次に引き締まった顔でアスナに視線を向ける。
「アスナ、一応すぐに武装できるように準備しとけ」
「うん、分かってる」
街の外に出るつもりはさらさらない。が、今のはじまりの街の状況を考えれば、こうせざるをえない。
ケイとアスナがアイテム欄を確認してから、扉へと歩き出す。
外に出た瞬間、三人を明るい日差しが照りつけた。