迷宮区最寄りの町、トールバーナの門をくぐると、<INNER AREA>と記されたフォントが眼前に表示される。これは、安全地帯に、通称圏内に入ったことを報せる表示だ。
「会議は四時から、場所は劇場。こうしてついてきたからには、会議、行くんだろ?」
「…」
ボス攻略会議の開始時刻と場所を伝えてから、ケイは問いかける。女性プレイヤーは何も言わず、だがこくりと頷いて肯定の意を示す。
「なら、遅れるなよ。あんまり街に入ってなかったみたいだし、あの門の傍にいる男のNPCから街の地図を貰っといた方がいい」
「…わかった」
「じゃ、会議でまた」
迷宮区に長い間籠っていただろう女性プレイヤーに一つアドバイスを残してから、右手を上げてケイはその場から立ち去る。
「さて、後は残った約四十分をどう過ごすかだけど…」
女性プレイヤーと別れたケイは、街道を歩きながら会議までの空いた時間を何をして過ごすか考える。食事はもう済ませてしまったし、特に買いたいと思う物もない。会議のためにここに来ているかもしれないという知り合いのプレイヤーもいないし…、ていうかSAOにログインして初めてまともに会話した相手があの女性プレイヤーだったのだが…。
「適当に散歩でもするか…」
劇場の場所は覚えてるし、そこからあまりに遠く離れない程度の範囲で散歩をしようと考える。それに特に買いたい物はないといったが、もしかしたら自分が見逃している店があったり、その店で何か知らないアイテムが売られていたりするかもしれない。
まぁ、結論から言えばそんな事はなかったのだが。大きな道から外れて裏道に入ってみたりもしたのだが、特に見た事がないショップやアイテムが落ちたりとかも無く。結局本当にただ散歩をしただけで会議までの四十分間が終わってしまった。
そして今、ケイは劇場へと続く道を歩いていた。
「…お」
すると、ケイが進む道の先にあのローブに身を包んだ女性プレイヤーの姿があった。
「凄い、こんなに大勢…。全滅するかもしれない…」
「んー…、いやまぁ、そういう人も少なからずいるんだろうけどな」
女性プレイヤーのすぐ後ろまで来た時、その呟きが聞こえてきた。ケイは女性プレイヤーのすぐ隣で立ち止まり、思わずその呟きに返事を返していた。
ケイが声を出すまで接近に気が付いていなかった女性プレイヤーは、振り返った時その目は見開かれていた。だがすぐにもう馴染んだといっていい冷たい目つきに戻ると、聞き返してきた。
「…どういうこと?」
「俺には、ここにいる奴全員が純粋な自己犠牲の精神で集まってるとは思えないって事さ」
この女性プレイヤーが考えているように、はじまりの街に残ったプレイヤー達のために、と思っているプレイヤーもいるとは思う。だけど、ケイにはこの場にいる全員が純粋にそう思ってやって来たとは思えなかった。
「なら、どうしてこんなにたくさん…」
「不安なんだよ。最前線から遅れるのがさ」
ケイもこれまでたくさんのMMORPGをプレイしてきた。だからこそ、その気持ちはよくわかるし、自分だって少なからずその気持ちは抱いている。
「死ぬのは嫌だ。だけど、自分が知らない所でボスが倒されているのも嫌だ。…どうしようもない矛盾だよな、ホント」
パーティを組んでいる同士で談話するプレイヤー達を眺めながらケイは言う。
「それって…、学年十位から落ちたくないとか、偏差値七十キープしたいとか、そういうのと同じモチベーション?」
「…お前、その不安感が分かるのか」
首を傾げながら問いかけてくる女性プレイヤーを、丸くなった目で見返しながらケイは口を開く。
「何か嫌だよなぁ。学年順位も偏差値もさ、十の位が低くなるってのは」
「うん。実際に順位が十一位になったり偏差値が六十九になったりしたら…、凄く不安になる」
「あー…、考えたくない」
げんなりした表情になりながら、女性プレイヤーと談話するケイ。後、何となくだが…女性プレイヤーも自分と同じ顔をしているような気がしてならないケイなのであった。
「SAOトッププレイヤーのみんな!俺の呼びかけに応じてくれてありがとう!」
「っと、会議が始まるな…。あそこの空いてるスペースに座ろうか」
会話を続けていると、劇場から大きく二回、拍手の音が響き渡る。そこに目を向けると、立派な鎧を装備し、水色の髪の爽やかなイケメンプレイヤーが劇場にいるプレイヤー達を見回しながら言った。
彼がプレイヤー達に呼びかけ、そして会議を仕切る人なのだと理解したケイは、女性プレイヤーと一緒に空いたスペースに腰を下ろして会議の行く末を見守る。…女性プレイヤーとの距離は少し離れているが。
「俺の名前はディアベル!気持ち的に、ナイトやってます!」
(おぉ…、これは何というリーダー気質…)
微笑みを浮かべ、胸をドン、と叩きながら言うディアベルを見ながら心の中で呟くケイ。
この会議は、第一層のボス部屋を見つけたパーティが主催で行われているものなのだが、もしそのパーティがこう、根暗だったりコミュ障の集まりとかだったらどうしようかと不安に思っていたケイ。
だが、劇場のステージの真ん中に立つディアベルは、そんなケイの不安を全て払拭する立ち回りを見せていた。
「さて、こうして最前線で活動している皆は言わば、SAOのトッププレイヤーだ。そんな皆に集まってもらった理由は言わずもがなだ…。俺達のパーティは今日、第一層のボス部屋に到達した!ついに、俺達の力でボスを倒し、第二層への扉を開く時が来たんだ!」
ディアベルのコミュニケーション技術のおかげで霧散していった緊張の空気が戻る。
そう、この会議の本題は第一層のボス部屋が見つかったという事。そして、この場にいるプレイヤー達でボスとの戦いに挑み、第二層へと到達する。そのために開かれた会議なのだ。
「ここまで一か月もかかったけど…、このデスゲームもいつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街に籠ってしまったみんなに伝えるんだ。それが今この場所にいる、俺達の義務だ!そうだろ!?」
誰も、何も言わない。だが、決意を秘めたその目と、力強く頷くその姿だけで、この場にいるほぼ全員の想いが一つなのだという事は良く分かった。
…そう、この場にいる、ほぼ全員は。
「ちょお待ってんか、ナイトはん!」
気持ちを一つにいざ、会議を始めようか────というところで、どこかから横やりが入っる。その関西弁が混じった声が聞こえてきた方へ視線を向けると、ツンツンと尖った、栗を思い出させる髪形をした男がステージへと繋がる階段を降りて来ていた。
「仲間ごっこする前に、こいつだけは言わしてもらわんと気がすまん」
「…積極的な発言は大歓迎さ。でも、まずは名乗るのが先かな?」
「ふん、ワイはキバオウってもんや」
ステージに立ち、ディアベルの前で立ち止まると、その男、キバオウはアバター名を名乗って大きく息を吸った。
「元ベータテスターの卑怯共!出て来い!!」
キバオウの口から吐き出された叫び声は、劇場中の空気を震わせるほど凄まじいものだった。
「こん中に五人や十人はおるはずや!正直に名乗りでい!この二か月間、おどれらがなんもかも独り占めしくさったせいで死んでった二千人にワビ入れぇや!そしてずるして貯め込んだアイテムや金全部、この場においてけぇ!!」
「…」
もしかしたら、ベータテスター絡みで何か嫌な事でもあったのか…と思ってみたら、そうでもなかったようだ。ただベータテスターに嫉妬して、彼らから物をぶんどりたい。MMOでよくいる嫉妬深いプレイヤーなだけ。
だが、このキバオウの叫びは中々効果的だったようだ。劇場にいるほとんどのプレイヤーはまるで嘲るように笑い、「そんな事言って、出てくるわけねぇだろ」などと言い合っている。
しかしそれ以外の…、大きなパーティに入っていない少数のプレイヤーは違った。その叫びに反応したのか、表情が蒼白くなっている者もいる。
「…なぁ、発言良いか?」
「なんや!あんさん、ベータテスターか!?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ」
「…」
耐えかねたケイは立ち上がり、手を上げて発言する権利を求める。喚いているキバオウは取りあえず置いておき、キバオウの隣に立つディアベルが頷いたのを見て、ケイは口を開いた。
「キバオウさん。さっき言った、死んでいった二千人に詫びを入れろって言葉だけどさ。…その発言は、その二千人の中にどれだけベータテスターがいたか、分かった上での発言ととっていいんだな?」
「「「!!?」」」
「な、何を…」
ケイが言った瞬間、劇場中が静まり返る。そして、キバオウの表情も激変する。
どうやら、キバオウは何も知らなかったようだ。その二千人の中に、どれだけ多くのベータテスターがいたかを。
「正解は、三百五十七人。これが、二か月間で死んだベータテスターの人達の数」
「なっ…、そ、そんなの!」
「あぁ、言っておくけど、ベータテスター千人中じゃないぞ?このSAOにアクセスしたテスターの数は八百七十二人だと」
静まり返っていた劇場が、ざわめきの声で包まれる。さっきと違い、驚愕と困惑で満ちた声で包まれる。
「…えっと」
「あぁ、俺の名前はケイだ」
「そうか。ケイ君。その情報は、どこから仕入れたものだい?」
「どこから、か…。ルートはちょっと本人の意向で言えないけど…、けど、ネズミに確認取ったから確かな情報のはずだ」
ケイが口にしたネズミ。この単語が今、SAOの中でどれだけ影響力があるかは口にしたケイ自身でも正直計り知れない。
鼠のアルゴ。その名前を知らないプレイヤーは今、この場にはいないだろう。誰よりも早く情報を仕入れ、その情報はどれも的確でプレイヤー達の信頼を得てきた情報屋。
「う…ぐっ…」
その名前を出されたキバオウは何も言い返すことが出きず、忌々し気にケイを睨むことしかできない。
「俺からも一つ、追加の意見いいか」
するとそこに、さらにもう一人、大柄で色黒、スキンヘッドで強面な、筋骨隆々の両手用戦斧を装備した男が立ちあがった。
それを見たケイはその場で腰を下ろし、ステージへと降りていくスキンヘッドの男を眺める。
「俺の名はエギルだ。…キバオウさん、このガイドブックはあんたも持っているだろ」
キバオウの前で立ち止まった、エギルと名乗った男が取り出したのはA4サイズの本。
「このガイドブックは、ホルンカやメダイの道具屋で無料配布されている。このガイドには、かなり詳しく情報が書かれてた。それに、俺が新しい町や村に行くと、どの道具屋にもかかさず置いてあった。あんたもそうだろ?」
「せや。けど、それがなんやっちゅうねん!」
「情報が早すぎると思わなかったか?」
キバオウの目が大きく見開かれる。
「俺は、こいつに載ってるモンスターやマップのデータを情報屋に提供したのは、常に俺達の先を行ってたベータテスターたちだと思ってる。彼ら以外には、あり得ないからな」
キバオウは言葉を続けるエギルを見上げて、ただ震えるだけ。
「いいか、情報は確かにあったんだ。だが、たくさん人は死んだ。しかしそれは、彼らがSAOを他のMMOと同じだと見誤り引くべきポイントを誤ったからだ。一方で、ガイドで情報を学んだ俺達は、まだ生きている」
キバオウは何も言い返せない。キバオウと同じように、ベータテスターを恨んでるプレイヤーが他にいたかもしれないが…、それらも何も言えない。
「キバオウさん、君の気持ちはよくわかる。でも今は、前を見るべき時だろう?それに、元ベータテスターがボス攻略に力を貸してくれるなら、これより頼もしいものはないじゃないか」
「…ふんっ」
エギルに続いてディアベルにも諭されたキバオウは結局何も言い返さず、そっぽを向いてこの話題を投げ出す素振りを見せる。
「じゃあ、この話題はもういいかな。そろそろ本題に────」
「おーい、ディアベルさーん!」
キバオウが持ち出したベータテスターとの諍い問題の話題はここでお開きにし、ディアベルは本体のボス攻略の議題を持ち出そうとする。すると、ステージに降りる階段を息を乱しながら駆け下りてくる一人のプレイヤーがいた。
そして、そのプレイヤーが手に持って、掲げていた物。
「これは…、攻略本のボス篇!?」
「ついさっき、広場のNPC露店に入荷されてて…」
ディアベルの関係者と思われるプレイヤーから、エギルが出したガイドブックと同じ形をした本を受け取ると、ディアベルは驚愕の声を上げた。
攻略本のボス篇。そしてその情報提供者は、鼠のアルゴ。
劇場内が三度騒めき立つ。それぞれプレイヤー達は立ち上がり、攻略本を受け取ったディアベルの周りに集まっていく。
「…」
ケイもまた、ディアベルの周りに集まっているプレイヤー達の輪に入っていた。といっても、一番端っこでポツンと立っていたのだが。
しかし、疑問がある。ボス部屋はディアベルたちが見つけたばかりだ。それなのに、どうして鼠のアルゴはボスの情報を提供することができたのか。
(…やっぱり)
どれだけ考えても、ケイの中で導き出される答えは一つ。
そして、ケイ以外にもそれに気づいた者がいた。
「ちょお待てぇ!これ見てみぃ!」
突然キバオウが大声をあげ、攻略本の裏側を指さした。そこに書かれた文をディアベルは音読する。
「データはベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります…」
「やっぱりや!あの情報屋、ベータテスターだったんや!」
キバオウが言った言葉はケイが導き出した答えと同じものだった。
鼠のアルゴは、ベータテスターだった。だからこそ、誰よりも早くこうしてボスの情報を提供できたのだ、と。
「鼠が…、ベータテスター!?」
「けどそれはホントなのか…?」
「でも、だとしたらこの情報の早さも頷けるだろ!」
戸惑いの騒めきがステージを包む。そして、その騒めきは次第に…
「そうだ鼠!あいつさっきまでそこにいたよな!」
「どこだ?どこ行った!?」
「鼠にしっかり説明してもらわないといけねぇだろこれは!」
「あぁ!大事な情報だけ省いて俺達を嵌めて、おいしいとこだけ持ってこうとしてるのかもしれねぇ!」
「いねぇ…、まさかあいつ、逃げたのか!?」
騒めきは次第に、怒りを含んだものへと変わっていく。
「…ちっ」
その騒めきを聞いていたケイは小さく舌打ちする。
どうしてこう会議の本題からかけ離れていくんだ。今、大事なのはそれじゃないだろう?少なからず情報は提供されているじゃないか。
「今は…」
ケイが口を開こうとした時、背後から澄んだ綺麗な声が聞こえてきた。そしてその声は、騒めきに包まれた劇場でやけに素直に響いた。
「今は感謝以外の、何をするというの?」
「…お前」
ステージに立つプレイヤー達が静まり返る。そして、ケイと女性プレイヤーの周りに立った男達が…、頬を赤らめてケイと女性…いや、女性プレイヤーに色気を含んだ視線を向け始めた。
「お、女の子だ…」
「可愛いかな…?」
「スタイルは良さそうだ…」
「たかがネトゲ廃人だろ?期待するだけ無駄無駄」
(こ、こいつら…)
何と調子の良い事か。ついさっきまで苛立っていた空気はどこへやら、内心の助平心を隠しもせず女性プレイヤーを見つめている。
「…っ」
「俺の後ろで隠れてろ…」
背後に立つ女性プレイヤーの腕を、指でちょんちょんと叩く。途端、ぴくりと体を震わせる女性プレイヤーだったが、呟き通りにケイの背で縮こまって隠れる。
「その通りだ!」
女性プレイヤーへと向けていた色めいた視線から、ケイへと向ける嫉妬の籠った視線に替わる前にディアベルが声を上げた。
「俺達の敵はベータテスターじゃない。フロアボスだ!今はただ、この情報に感謝しよう」
ディアベルの一言で、ステージに集まったプレイヤーのボルテージが落ち着いていく。
「…よし、じゃあ早速実務の話を始めよう。まずはレイドの構成からだ」
「…はぁ」
ようやく攻略会議が始められる。これまでの横槍のせいで無駄な時間をかけた会議も、ようやく本題に入ることができる。
思わずため息を吐いたケイを余所に、ディアベルはその言葉を言い放った。
「とりあえず、みんな自由にパーティーを組んでくれ」
「…え」
少し間を空けてから、呆けた声を漏らすケイ。そしてその時には、どうしてそんなすぐに決められるんだと問いかけたくなるほど鮮やかに、ある程度のグループが出来上がっていた。
(…まずい、これはまずい)
内心で焦り、冷や汗を存分に流す。
ケイはこの世界でまだ知り合いと呼べる知り合いは、名前も知らない女性プレイヤー以外にいない。そして、その女性プレイヤーにもし誰かパーティーを組めるような知り合いがいたら…。
(…て、ことはないみたいだな)
振り返ってみると、彼女は自分の背後でまだ立ち尽していた。どうやら自分と同じようにあぶれたらしい。
けど、ここで率直にあぶれたのかと問いかけると、怒りを誘うのは目に見えているので。
「パーティー、組む?」
「…そっちから申請するなら、受けてあげないでもないわ」
ストレートに問うと、何とまんざらでもない回答が。それを聞いたケイは、僅かな驚きの間の後、早速パーティー申請を送る。直後、女性プレイヤーの目の前にケイが送ったパーティー申請のメッセージフォントが浮かび上がる。
少し緊張しながら、女性プレイヤーの指がどこに触れるかを見つめるケイ。
「…ほ」
女性プレイヤーの指は、イエスの欄をタップ。つまり、これでケイと女性プレイヤーのパーティーは成立したという事になる。
(…アスナ?)
視界の左上にポップした、女性のアバター名と思われる名を心の中で復唱する。
アスナ
それは、このプレイヤーの名前。
「あ、あのぉ~…」
「ん?」
ケイとアスナのパーティーが成立し、とりあえず一人ぼっちのレイドでボス戦に臨むという危機を避けられて一息、という場面で二人は背後から声を掛けられた。
ケイとアスナが振り返ると、そこには体の線は細く、黒のコートと胸にアーマープレートを装備した、緊張が浮かんだ表情の少年が立っていた。
「あのさ…、俺、ちょっとあぶれちゃって…。パーティーに入れてほしいなぁ…なんて…」
「あぁ、俺はいいけど…。アスナは?」
「…私は別に」
「あ、ありがとう!」
承諾を得て、安堵の笑みを浮かべた少年がウィンドウを操作してパーティー申請を送ってくる。
ケイの目の前に現れたパーティー加入許可を求めるウィンドウ。当然、イエスの欄をケイはタップする。同じようにアスナもイエスの欄をタップし、これで三人のパーティーが成立した。
「キリト…?」
「あぁ。えっと…、ケイさん?」
「おう、あと、敬語はやめてくれ。見たところ同じくらいの歳だろうし」
「そっか、ならケイって呼び捨てにさせてもらうよ」
新たにパーティーに加入したキリトという少年と親睦を深める中、もう一人のパーティメンバーのアスナはこちらには興味なさげにそっぽを向いている。
「えっと、君は…アスナ、さん?」
「…アスナで良いわ。そっちの彼も呼び捨てにしてるし。許可もなしに」
「…」
ケイとアバター名を確認し合ったキリトは次にアスナに歩み寄る。どうやら、キリトとアスナはとりあえずは大丈夫のようだ。…アスナの最後の言葉は少し余計だとは思うが。
「君達は、三人パーティーかい?」
三人のアバター名の確認が終わった直後、ディアベルがこちらに歩み寄りながら声を掛けてきた。
「あぁ。他にプレイヤーは余ってなさそうだし…、三人で決まりだな」
「…申し訳ないっ!君達は取り巻きコボルド専門のサポートで納得いただけないだろうか…?」
「え?な、納得?」
彼の問いかけに頷いて返すと、ディアベルは勢いよく腰を折って頭を下げながら懇願するように言ってきた。ケイ達は頭を下げるディアベルを戸惑いを浮かべた目で見下ろす。
(あー、そうだよな。皆、自分でボスを倒したいって思うに決まってるからな…)
きっと、ボス戦の役割分担で一悶着あったのだろう。そしてそんな流れの中、一番誰もがやりたがらないだろう役目を、人数が少ないパーティーに頼みに来たということか。
「いや、フルレイドを組める人数は集まってないんだ。仕方ないさ。それに、取り巻き潰しだって重要な役割だしさ」
「そう言ってくれると助かるよ…」
パーティーを代表してキリトが一歩前に出て、ディアベルに了承の返事を返す。その答えを聞いたディアベルは頭を上げて、ホッと息を吐きながらお礼の言葉を口にする。
ケイ達のパーティーの役割が決まった所から、会議はさらに本格化していった。
ボスの名前から始まり、HP量に使う武器。それによって繰り出されるソードスキル。
ボスだけじゃない、その取り巻きの詳細もしっかり確認しながらパーティーの役割を決めていく。
「じゃあ、そんなところかな。ボス戦本番は明後日午後からだ。集合はここに朝八時。明日は休養にあてるもよし、各隊で連携の練習をするもよし、親睦を深めるもよしだ。自由にやってくれ。A隊の練習に参加したい隊はこのあと残って相談しよう。では、解散っ!」
最後にディアベルがボス戦の日時と集合時間、そのボス戦の日までは自由行動だということを報せて二時間にも及んだ攻略会議は終了した。
「んーっ、はぁっ。どうするキリト?A隊の練習に参加するか?」
「いや、俺達のパーティーの役割は取り巻き処理だし、他の隊と連携の練習をする必要はないだろ。それよりも、このパーティーの連携を…、あれ?」
「…あ?」
ケイとキリトがこの後、どうするかを話し合う中、アスナの姿が忽然と消えていることに気付く。二人が振り返ると、そこにはすでにステージの階段を上って帰路に着くアスナの姿が。
「待て待て」
「…なに?」
慌てて追いかけ、ケイはアスナの肩を掴んで立ち止まらせる。
「これからちょっと話し合いしよう。ボス戦までそう時間はないし、連携の練習しとかないと…」
「そんなの必要ないんじゃない?たかが取り巻き潰し。練習しなくても何とかなるでしょ」
…あれ?拗ねてる?
肩を掴むケイの手を外して、すたすた立ち去っていくアスナの後姿を見ながらぽつりと思うケイ。
…やっぱり、拗ねてる。何かそんな空気が背中から溢れ出てる。
「仕方ないよ、三人しかいないんだから。スイッチでPOTローテするにも全然時間が足りないし…」
「「?」」
キリトが言葉を言い切る途中。ケイはキリトの方へ振り向き、アスナは立ち止まって振り返った。
「スイッチ…」
「ぽっとろーて…」
「「って、何?」」
「…えぇ~」
呆然としたキリトの視線がケイとアスナの間を行き来する。
「…よし、明日はパーティ戦闘についてレクチャーしよう。明日の…正午で良いか?トールバーナの北門集合で」
「俺はいいよ」
「わかった」
「なら決まりだ。えっと…じゃあ、これで解散…な」
キリトのその言葉を最後に、ケイ達パーティーは今日の所はここで解散する事になった。三人はそれぞれの帰路に着き、歩き出す。
「…」
「……」
「………」
「…………ねぇ」
「なに?」
「どうしてついてくるの?」
「いやだって、俺の拠点の方向もこっちだから…」
キリトは別の方向に歩き出したのだが、ケイとアスナは全く同じ方向、同じ道を歩いていたのだ。
ケイの前を歩くアスナが訝しみ、振り返って問いかけてくる。
「…まさかあなたもあの宿屋に?」
「宿屋?いや、俺は宿屋に泊まってないけど?」
「宿屋に泊まってない?…野宿?」
「いや、どうしてそうなる」
アスナの返答に苦笑を浮かべるケイ。そしてそれと同時に、アスナが少し勘違いをしている事もケイは悟る。
「なぁ。アスナはさ、INNの看板が出てる店しかチェックしなかったんだろ?」
「何言ってるの。INNは宿屋の意味でしょう?」
「やっぱり…」
恐らくアスナはMMORPGはこのSAOが初めてなのだろう。ならば、この勘違いも致し方なし、か。
「このゲーム、宿屋以外にもかなりいい条件で部屋を貸してくれる所があるみたいなんだ。ちなみに、俺の所は農家の二階で一晩八十コル。二部屋あってミルク飲み放題のおまけつき、ベッドもでかいし眺めも良いし、その上お風呂までついてて…通常の宿屋と比べたら圧倒てきぃ!?」
宿屋以外にも寝泊まりできる所が、それも通常の宿屋よりもかなり良い条件下で寝泊まりできる所があることを説明していたのだがその際中、突然眼前にアスナの顔がドアップで現れた。
ケイは思わず仰け反り、両手を伸ばして万歳の体勢を取る。
だが、そんなおかしな体勢をとるケイを無視して、アスナはケイの胸倉をつかんでグラグラ揺らし始める。
「あ、ちょ、やめ、あす、なさん」
「ねぇ!今言った事、本当!?ねぇ!!」
「なに、がで、しょう。ていう、かあの、ゆらすの、そろそろ、やめて、くれま、せんかね」
「あぁもう!」
言葉が途切れ途切れになってしまったが、アスナの耳には届いていたようだ。アスナはケイの胸倉から手を離し…、だが顔は近づけたまま口を開いた。
「あなたの借りてる部屋!お風呂あるって本当!?」
「…はい?」
ケイの口から呆けた声が漏れる。
二人の間の距離がかなり近い所為か、フードの中の、端正に整ったアスナの顔が覗く。そんな彼女の目が、輝いていたように見えたのは気のせいではないだろう。