「ヘッドぉ、俺も行ってきていいすか!?もう我慢できねぇ!!」
胡坐をかく黒ポンチョの男の傍に立つっている仮面の男が、その男の頭を見下ろしながら言った。
「ダメだ。お前らはここで待ってろ」
「さっきっからそればっか言ってるっすけど…、ヘッドぉ。だぁれも来る気配ねぇっすよ?」
ヘッドと呼ばれた男は、その言葉には何も返さずただ正面を…今、自分の駒と攻略組が戦闘を繰り広げている方へ視線を向けたまま動かない。
男は予感…いや、確信していた。
もうすぐか、はたまたまだ時間がかかるか。どちらかはわからないが、奴が必ず、自身の前に現れる事を。
そして、その確信めいた予感は直後、当たる事となる。
「おい!何だてめぇは!?」
「あ?」
怒声が聞こえてくる。ここからそう遠くはない。周りに立つ男たちは聞こえてきた声に顔を上げ、その方へと顔を向ける。
黒ポンチョの男は、周りが動揺に動く中、視線も動かさずただその方向を見続ける。
「がぁっ!?あ、足がぁっ!」
「て、てめぇ!とまりやが…ぐほぉっ!?」
「何だ…何だ!てめぇは!?」
視界の中で、時折、まるで漫画か何かの様に人が跳ね飛ばされているのが見える。さらに、悲鳴染みた怒声がだんだん近づいてくる。それはつまり、この事態を引き起こしている人物がこちらに近づいてきている。
「ま、待て!これ以上は…ぐえぇっ!」
「な、何が起こってるってんだ…」
再び聞こえてくる悲鳴。直後、黒ポンチョの男の傍らに立つ男が震える声で呟く。
その呟きを聞き流しながら、黒ポンチョの男は前に立つ男たちの間から覗いた、黒の浴衣を身に着け、その上から紺の羽織を羽織るプレイヤーを見つけ、真っ赤な唇を裂いて笑みを浮かべる。
「待ちくたびれたぜぇ…。幻影ぃ…」
「待たせたつもりはねぇし、待ってほしくもなかったわ。この場から消えてたら楽に済んでたのによ」
笑みを浮かべる男の顔を見て、目の前の浴衣を着た男が憂鬱そうな表情を浮かべる。
だがすぐに、目の前の男は表情を引き締めてこちらを見据えてくる。
「潰す」
そのつぶやきが聞こえた瞬間、思わず自分の口から笑いが零れた。
不気味な格好をしたプレイヤーに、守られているように囲まれて腰を下ろしている黒ポンチョの男。
その男こそ、殺人ギルド<ラフィンコフィン>のリーダーPoH。アインクラッドで蔓延する全ての犯罪の基。
遅かれ早かれ、自身と交わらざるを得なかっただろう敵。
「潰す、か…。そりゃぁ、こっちのセリフだぜぇ、幻影ぃ?」
ゆっくりと。戦闘が始まってからずっと、その場で座り続けていたPoHが、立ち上がる。
目深にフードを被っているせいで目は見えないが、狂喜に染まっている事は想像できる。その口元が、笑みの形に歪んでいるのがよく見えるから。
「てめぇは派手に暴れ回ったんだろうけどよぉ…、こちとらここで座りっぱなしで退屈だったんぜぇ?」
「んなの知るか。お前の都合なんかどうでもいいわ」
「ったく…、冷たいねぇ」
ケイと話しながら、立ち上がったPoHが今度は腰の鞘から剣を抜く。それが露わになった途端…、ケイ以外の、ラフコフメンバー達が息を呑んだ。
「へ、ヘッドが…剣を抜いた…」
「まじかよ…、やべぇな…」
彼らの顔に浮かぶのは、恐怖。総じて、同じグループにいる者に向けるような顔じゃない。
「それが、<友切包丁(メイトチョッパー)>ってやつか」
「あ?知ってんのか。まぁいいや。おら、てめぇら邪魔だ。すぐにここから消えろ」
PoHが抜いた剣、それは、包丁というべき形をした物。現実では馴染み深い代物ではあるが…、このアインクラッドでの、特にPoHが持ってるそれは刃が血の色で濁っており、見る者によっては吐き気を催すほどの不気味さを漂わせている。
<友切包丁>。PoHが持つその剣は、魔剣と呼ばれている、モンスターから稀に、それも限られた種類からドロップしないかなり希少で、他の武器とは比べ物にならない性能を持っている。
キリトが持つ、<エリュシデータ>と遜色ない性能を持っているだろう。
その<友切包丁>で、どんな目に遭ったのかはわからない。だが、PoHが消えろと口にした途端、周りにいたラフコフメンバー達が散り散りに逃げ出していった。
「これで邪魔者はいなくなった。…とことん、闘り合おうじゃねぇかぁ」
「ま、お前にだけ意識を向ければいいのは楽だわな。…部下を逃がした事、後悔すんなよ」
ケイは鞘に収めた刀の柄に手をかけて、PoHは<友切包丁>の先をケイに向ける。
「It’s show time.」
そんなPoHの言葉が合図となったかのように、ケイとPoHは全くの同時のタイミングで駆けだす。
ケイは鞘から刃を抜き放ち、PoHは<友切包丁>を持っている方の腕を回し、腰溜めに構えて振るう。
<抜刀術>の恩恵を受けたソードスキル<雷鳴>が、赤いライトエフェクトを纏った<友切包丁>の刃を捉える。
耳障りな金属音が鳴り響き、一瞬、二つの力が拮抗した直後。ケイは目を見開いた。
(な、んだ…。こいつ…!?)
<友切包丁>は、カテゴリで言えば短剣に分類される。つまり、本来なら力比べは刀を使うケイに分があるはずなのだ。
だが、それなのに、力で押し込まれているのはケイだった。
次第に体勢が後ろへと傾き、それと同時にPoHから伝わってくる力が増していく。
(まずい…!)
不安定な体勢で力比べを続けるわけにはいかない。このままでは押し切られ、ソードスキル強制中断の長い硬直時間に襲われてしまう。
そうなれば、ケイに待つのは…死のみ。
「ちぃっ!」
「おぉ?」
ソードスキルを保ったまま、ケイはライトエフェクトを灯した右足をPoHに向かって突き出す。
体術スキル<突蹴>は空を切ったが、PoHが身を翻した事によってケイは自由を得る。
ソードスキルはすぐに終了し、僅かな硬直時間の後にケイはすぐさまPoHから距離を取る。
「何だよ…今のは…!」
「くくっ…」
距離を取ったケイをPoHは追わなかった。その場で立ったまま、警戒するように睨んでくるケイを笑みを浮かべたまま見返す。
「てめぇの<抜刀術>や、ヒースクリフの<神聖剣>と同じだ。俺にも、ユニークスキルがあるのさ」
目を見開く。何を言ってる?ユニークスキルを…こいつが持っている?
ここで、ケイはPoHに起きている異常な事態に気付く。それは、PoHのHPバーで起きていた。
ケイはまだPoHに攻撃を当てていない。小攻撃も、掠りすらもしていない。それにも関わらず、PoHのHPが僅かに減っている。
「俺のユニークスキル…<暗黒剣>はなぁ…」
PoHが唇の片端を吊り上げながら、一騎に距離を詰めてくる。
「くっ…」
ケイは姿勢を落とし、先程のような衝撃を想定して身構える。
「HPを犠牲にして、威力を増大させる!」
PoHが振り下ろす<友切包丁>を、刃の腹にもう一方の手を添えて押さえる。
体勢が地に整えられているおかげか、ソードスキルをPoHが使っていないおかげか、先程よりも押し込まれていない。
「HPを犠牲に…だと…!?」
PoHの言葉にケイは目を見開く。
HPを犠牲に攻撃力を上げる。言うのは簡単だ。だが、実際はそんな簡単なものではない。HPを犠牲にという事は、現実の命も削るという事だ。<暗黒剣>の効力は今も味わい身に染みている。
しかし、それに見合うどころじゃない。普通の人間ならば決して使わないと心に決めるだろう程のリスクが、<暗黒剣>にはある。
それでも、PoHは何の躊躇いもなく使用している。
「どんな神経してんだお前は…」
「はっ、褒めんなよ」
「褒めてねぇよくそが!」
ケイとPoHは同時に距離を取り、再び初めの時と同じように互いの刃にライトエフェクトを灯らせ、向かっていく。
刀上位五連撃スキル<豪嵐>
暗黒剣上位五連撃スキル<カオス・コネクト>
嵐纏う青の剣戟と、どこまでも黒く深い闇の剣戟がぶつかり合う。五連撃、五連撃と手数は互角。勝負をつけるのは、技の破壊力、もしくは速さ。
「くはっはは!」
「くっ…そ…!」
時折、体の位置を入れ替えながら互いに技を打ち込むケイとPoH。
スピードで勝っているのはケイだ。先手先手を取り、打ち合いを優位に運ぼうとしている。だがそれを覆す、PoHの…<暗黒剣>の威力。先手を取っているにもかかわらず、強引に打ち合いの流れを持っていこうとするPoHに、次第に押され始める。
「シャァアアアアアアアアアア!!」
「っ!」
四度の打ち合いを終え、互いのソードスキルの最後の一撃になる。PoHが互いの体勢により見下ろす形となったケイに向けて、<友切包丁>を振り下ろす。
それを目にした瞬間────ケイは、止めた。
それは、以前にキリトと行ったデュエルの決着をつけた時と同じ事。
脳だけでなく体全体で、システムアシストに抗って無理やりスキルの出を遅らせる。
「!?」
PoHの目が見開かれるのが見えた。システムに抗いながら、ケイはPoHが振り下ろす刃の軌跡を目で追い、体を翻して回避。直後、ケイはシステムへの抵抗を止め、全力を一撃に込め、PoHに向かって打ち込む。
<豪嵐>の最後の一撃。PoHの懐に潜り込み、防御も回避も不可能なタイミングでケイの一撃が吸い込まれていく。
勝った
この瞬間、ケイの頭の中でその一言が過った。PoHのスキルは未だ続いている。ここでこの一撃をもろに受ければ、大ダメージのみならずスキル強制中断による長い硬直時間がPoHを襲う。
硬直時間がPoHを襲えば、奴の武器を奪って捕らえることができる。
ケイは、この一手で勝てると疑わなかった。
(よしっ、いけ…!?)
瞬間、PoHの目がぎょろり、とケイの刃の先を追った。さらにPoHの体は回転し、手に握る<友切包丁>がケイが振るう刀に向かってくる。
(反応、しやがった…!)
PoHの胴体に吸い込まれていくケイの斬撃が、闇の斬撃に阻まれる。
互いの全力を以て打ち込んだ斬撃がぶつかり合った瞬間、辺り一帯に衝撃による風が吹き荒れた。
ケイの肩を覆っていた羽織が吹き飛ばされる。PoHが被っていたフードが脱げ、これまで見えなかった素顔が露わになる。
スキルのライトエフェクトはまだ消えない。力を込め続け、相手を打ち倒さんと踏ん張り続ける。その凄まじさが現れたように、ぶつかり合う二つの刃から、天に向かって閃光が打ち上がった。
「くっ…そがぁ…!」
「ちっ…」
アスナの目の前で、両手両足をロープで縛られ動きを封じられているジョニーブラックとザザが這い蹲っている。ケイがこの場から離れ、戦闘を開始したアスナ達だったが…、そのまま馬鹿正直に二対二で戦うはずもなく。当初は苦戦を強いられたものの、加勢に来た増援のおかげで比較的容易に拘束することができた。
そして攻略組対ラフィンコフィンの全面戦争も大詰めを迎えていた。奇襲を受け、さらに死を恐れず特攻してくるラフィンコフィンに面を喰らい、苦戦していた攻略組だったが戦いが長引けば当然のことで。数で勝る攻略組は、今この場にいるほとんどのラフコフメンバーを拘束した形になっている。
勿論、無傷ではない。ほとんどのプレイヤーがダメージを負い、中にはHPが注意域や危険域に達しているプレイヤーもいる。
死者も、出た。攻略組からも、ラフィンコフィン側からも。
「…はぁ」
「お疲れ、アスナ」
正直、幹部であるザザとジョニーブラックを拘束した以上、攻略組の勝利は約束されたに等しい。後はボスであるPoHがいるが、未だこの場に姿を現していない。
何を考えているのかわからない、不気味な男ではあるが…この戦場を見る限り、一発逆転となる一手があるとは考えにくい。
一息つくアスナに、キリトが声を掛けてくる。アスナはキリトの方に目だけを向けて一度頷く。
「これで終わり…かな」
「…そうだといいんだけど」
今度はアスナからキリトに声を掛ける。その声には、不安気な感情と願望が入り混じっていた。キリトもまた、アスナと同じように返事を返す。
勝利。そうとしか言いようのない光景が戦場で広がっている。だが、それでも、不安になってしまうのはラフィンコフィンという組織の不気味さ故か、まだ姿を見せないPoHという男の存在故か。
「キリト!アスナ!」
「サチ?」
その時だった。背後から二人を呼ぶ少女の声が聞こえてきたのは。振り返れば、そこにはこちらに駆け寄ってくるサチの姿があった。サチは二人の前で立ち止まると、僅かに乱れた息を整えてから口を開いた。
「あの…、ケイ君、こっちに来てない…よね?」
「え?来てないけど…、どうして?」
口を開いたサチが聞いてきたのは、ケイについてだった。ケイと別れてから姿は見てないと、アスナがサチに伝える。
すると、サチが表情を曇らせながら言った。
「ケイ君、急にどこかに行っちゃって…。『全部、終わらせてくる』って言って…」
「っ!」
「まさか…」
サチの言葉を聞いて、アスナとキリトの中である疑問が晴れる。その疑問とは、この状況になっても姿を見せないPoHの事だ。本来なら、ラフィンコフィンにとって不利な状況になる前に彼は姿を現すべきだった。
だが、何故か姿を見せない。それは何故か。
(姿を見せないんじゃない…。見せられないんだとしたら…!)
サチが言った、急にどこかへ行ったというケイ。そして、まだこの場に来ないPoH。
アスナとキリトの中で、ある確信が生まれる。
「サチ!ケイ君は…、ケイ君はどっちの方向に行った!?」
「え?えっと…、確か…」
アスナが両手でサチの肩を掴んで詰め寄りながら問いかける。アスナの、ただ事じゃないその表情に戸惑いながらも、サチがある方向に顔を向け、その方へ指を差そうとした、その時だった。
突如、どこからか轟音が鳴り響く。
「「「!!?」」」
アスナ、キリト、サチだけではない。この場にいる全てのプレイヤーが驚愕し、轟音が聞こえてきた方へと視線を向ける。
「な、何だ…あれは…」
呆然と呟いたのは誰か。アスナには分からない。だが、この場にいる誰もが同じ方向を、その光景を信じられない面持ちで眺めている事だけは何となくわかった。
アスナ達が向けている視線の先。そこには、天へと昇っていく凄まじい閃光が打ち上がっていた。
<暗黒剣>についていろいろ調べたのですが、原作は勿論Web版でも詳しく後悔されていなかったみたいです。
なので、<暗黒剣>について考察しているサイトも調べて、さらに私自身の勝手な想像も合わせて…。PoHが言ったような設定になりました。
正確には、【通常攻撃、ソードスキル共に<短剣>による攻撃の威力を増大させる。だが、<短剣>で相手に攻撃を当てる(防御された場合も含む。だが回避は含まない。)ごとに暗黒剣を使用するプレイヤーのHPが一定時間ごとに一定数減少する。】です。