突っ込んできた狼に向かって、先陣を切ったのはケイだった。ケイは刀を握り締めながら、向かってくる狼へ駆け出していく。その際、ケイの握る刀の刀身から黄色いライトエフェクトが迸る。
重単発スキル<雷鳴>。ケイは自身を目に捉える狼が振るう爪を体を傾けて回避。そして、すれ違いざまに狼の胴体へと<雷鳴>を叩き込む。
ケイはスキル使用後にすぐに両足で踏ん張って立ち止まる。振り返って狼の頭上に表示されているHPバーを確認した。狼のHPバーは三本。その内の一番上の一本の約三割が削り取られている。
「っ、こいつ!」
ダメージの確認はできた。が、直後にケイは驚きに目を見開く。通常、ボスも含めてモンスターは自身に大きくダメージを与えたプレイヤーにヘイトを持ち、ヘイトを抱いた対象を優先的に襲う。しかし、この狼は違った。
自身の背後にいる、自身に大きなダメージを与えたケイに見向きもせず、前方のアスナ達に向かって駆けて行った。
「キリト君とテツオ君、ケイタ君は前衛に出て壁役をお願い!サチとダッカー君、ササマル君は私と一緒にスイッチの待機!」
狼の思いも寄らぬ行動で驚きつつも、アスナを動揺させるには至らなかった。アスナはすぐさま指示を出し、そしてその指示の通りにキリト達が動く。キリトとテツオ、ケイタがそれぞれの武器を手に前へと躍り出、襲い掛かる狼へ応戦する。一方のアスナ達はその場から一歩下がって、スイッチに備えて待機する。
そして、狼に無視され、置いてかれたケイは。
「待てこら」
キリト達に向かって爪を振り下ろさんとする狼の背後から斬りかかる。狼の前方でキリト達が、背後でケイがそれぞれのソードスキルを打ち込もうとする。だがその瞬間、その場で狼が跳躍し、空中へと逃れる。
「なっ!?」
避けられるとすれば、横へのステップしかないと考えていた。が、狼が選んだのは空中。それもかなりの跳躍力で、十メートルほど跳んだだろうか、空中にいる狼をケイ達が見上げる。
その瞬間、ケイはある事に気付く。
「っ!アスナ!」
ケイが気づいたのは狼が跳躍した角度だ。これまでのモンスター達からは見られなかったアルゴリズムのせいで気付くのが遅れてしまった。
放物線を描きながら、地上に視線を下ろしながら落下する狼の先には。スイッチに備えて待機するアスナ達が立っていた。サチにダッカー、ササマルが目を見開いて降りてくる狼を見上げている。
だが、一人。アスナだけは動揺することなく、次の一手を打つ備えをしていた。
アスナが握りレイピアがライトエフェクトを帯びる。直後、大きく口を開けて襲い掛かる狼に向かって、神速の突きが放たれた。法則性はない。しかし、狼の身体に六つのダメージエフェクトが刻み込まれた。
細剣スキル<クルーシフィクション>。神速の刺突六連撃が狼を捉えた。空中で大きく体勢を崩した狼は、アスナのスキルに命中したことによって勢いが削がれ、アスナ達の目の前で尻餅を突く形で地面に落ちる。
「サチ、ササマル君!スイッチ!」
そこで、アスナは後方へと下がる。そしてアスナの合図とともにサチとササマルが一歩前に出る。二人の両手で握る槍が、同時にライトエフェクトを帯びた。
槍刺突スキル<スキューラ>。同時に突き出されたサチとササマルの槍が狼の身体を貫通し、狼の動きをぴたりと止める。
「今よ!二人はそのまま狼の動きを止めてて!一斉攻撃!」
狼が自身の身体から槍を抜くためにもがこうとしたその前に、アスナが指示を出す。
同時に、ケイが、キリト達が、アスナが一斉に動きを止めた狼に向かって踏み出す。
これまでの攻撃により、狼のHPは、一本目のバーはすでに消滅しており、二本目もまたおよそ半分ほど削られている。アスナは、この一斉攻撃で一気に片を付けるつもりでいた。
「グルァアアアアアアアアアアアアア!!」
だが、このまま何事も無く戦闘が終わるほどこのゲーム、ソードアート・オンラインは甘くない。ましてや、HPバーが複数ある中ボスクラスのモンスターが相手なのだから、それは尚更だ。
突如、狼が壮絶な雄叫びを上げる。瞬間、ソードスキルを繰り出そうとモーションを取っていたケイ達が動けなくなり、それだけではなく体が後方に吹き飛ばされてしまう。
「なっ…!?」
「何だ!?」
すぐに浮いた足を地面につけ直して踏ん張るケイ達だったが、そんなケイ達を強い風が襲う。その風は、ある所を中心にして円形に並ぶケイ達に吹きかかっていた。そして風の発生源は、先程叫び声を上げた、ケイ達に囲まれた中心に立つ狼。
「な、何だよこいつ…」
吹き荒れた風はすでに止み、ケイ達は改めてそれぞれの武器を握り締めて狼を見据えた。だが、狼の姿は先程まで目にしていたものから、明らかに変貌していた。
テツオが目を見開き、瞳を揺らしながら愕然と呟く。
ケイ達の前に姿を現した時の狼の姿は、まさに現実で抱いていたイメージとほぼ一緒だった。所々白が混じった、灰色の毛並みがケイ達への怒りで逆立っていた。しかし、今はどうだ。
強い風によって僅かに視線を切らしてしまった間に、狼の毛並みは真っ赤に燃え上がり、瞳もまた、それが抱いているであろう怒りを表すように赤に染まっている。
「グガァアアアアアアアアアアア!!!」
「っ、構えて!」
ケイ達の警戒が向けられる中、狼は天を仰ぎながら再び雄叫びを上げる。アスナがケイ達に更なる警戒を促した直後、顔を元の位置へと戻した狼が不意に視線を横に向けたと思うと、その方向へと駆け出していった。
「キリト!」
サチが、狼が駆けだした方にいる人物に向かって声を上げる。サチが口にした通り、狼が向かっていった先、それは、剣を握って構えるキリトだった。
「っ!」
変わったのは当然、姿だけではなかった。駆けるスピードが大きく飛躍している。そして恐らく、奴が誇る爪や牙の破壊力もまた、同じく比べ物にならないほど上がっているはずだ。
キリトは、向かってくる狼に対して手に握る剣を縦に構えた。今いる層を考えれば、十分すぎるほど安全圏を取っているレベルを誇るキリトだが、そのステータスはどちらかというと筋力値を中心に割り振っている。
狼の速さは、キリトの敏捷値を上回っていたのだ。
避けられないと判断したキリトは、防御の体勢を取った。先程も言ったが、キリトはステータスを筋力値中心に割り振っている。力比べならば、たとえステータスが上がった狼相手でもやれるという自信があったのだろう。
狼が首を横に傾けながら、顎を大きく開いてキリトが構える剣に向かって齧りかかる。
「え?」
その声は、誰のものだっただろう。少なくともケイのものではないが…、ケイ自身、あまりの事態に声を漏らしかけたのは事実。
狼の牙がキリトの剣の刀身にかかった、その瞬間の事だった。狼の牙が当たったその場所から、キリトの剣がギャリッ、と耳障りな音を立てながら折れた。
「「っ!!」」
それを見た直後、ケイとアスナが駆けだしたのは全くもって同時だった。ケイはキリトの背後に回り、片腕をキリトの身体に回して抱えて後退。アスナは威力の大きい単発スキルを使用して狼を吹き飛ばして、ケイとキリトから狼の距離を押し離す。
「大丈夫か、キリト!」
「あ、あぁ…。いや、大丈夫じゃない、かも」
狼から距離が離れたことを確認してからケイはキリトに声を掛ける。キリトの様子は、これまで見た事がないほど混乱しているようだった。それも当然だ。突然、自分が持っていた剣が、何の前触れもなく壊れたのだから。
本来、<剣が折れる>のは、その剣の耐久値がゼロになった時だけなのだが。
「キリト。そんなはずはないと思うが…、耐久値は十分だったんだろうな」
「…あぁ。今日のレベリングに向けて、昨日メンテナンスしたばかりだ。たった一度、攻撃を受けた程度で折れるはずはない」
やや落ち着きを取り戻し始めたキリトがケイの問いかけに答える。初めからそんなはずはないと考えてはいたが、やはりメンテナンスを怠ったという事はない様だ。それに、昨日にメンテナンスを行ったのだとすると、耐久値も十分残っていたはずだ。
(…<破壊の王の牙>)
ケイはアスナと共に、指示を受けながら狼と戦う月夜の黒猫団の面々を見ながら、ふとあのモンスターの名前を思い出した。
(何故、牙?あれは狼の姿をしている。なら、何で狼に関する名前にしなかったんだ?)
そこでふと思い浮かぶ疑問。あのモンスターの名前は、牙。だが、あのモンスターの姿はどう見ても狼を模している。
(キリトの剣が折れたのは、あの狼に噛みつかれて同時だった…。っ、まさか!)
モンスターの名称がどう見ても牙を強調している事、そしてキリトの剣が折れた原因となった狼の攻撃法。それを整理したケイが結論を出すまでそう時間はかからなかった。
「そいつの牙の攻撃を武器で受けるな!その牙は…っ」
導き出した結論を、狼と交戦を繰り広げるアスナ達に伝えようとした。だが、それを言い切る前に。狼の牙を受けるために掲げた、サチの槍が。狼の顎にかかり、柄からぽっきりと、先程のキリトの剣と同じように、呆気なく折れてしまった。
「サチっ」
「まっ、待て!キリト!」
武器が折れ、呆然とするサチに向かって追撃しようとする狼へと、キリトが行ってしまった。ケイは慌てて手を伸ばして止めようとするも、手は空を切り、キリトは丸腰のままサチの元へと行ってしまう。
「あのバカが…!」
ケイはキリトを追わず、アイテムストレージを開いて操作を始めた。サチのフォローには、キリトだけでなくアスナ達も向かっているため、サチがやられるという心配はない。だが、サチよりも今はキリトの方が心配だ。剣は折れ、今キリトは丸腰の状態。エクストラスキル<体術>を持っているとはいえ、熟練度がまだ不十分で太刀打ちできるほどあれは甘くない。
だからケイは、キリトの大きな力になるであろう、それでいてキリトの大きな枷になるかもしれない危険性も持つ諸刃の剣をアイテムストレージの中から探し出そうとしていた。
「はぁっ!」
「ぜぇぁあ!」
ケイがアイテムストレージを操作している時、ケイの予想通りに狼に武器を折られたサチのフォローは無事に済まされていた。サチと同じ槍使いであるササマルが狼を退け、ダッカーが追撃を与えて狼のHPを削ると共にさらにサチから距離を離す。
「はぁああああああああああ!!」
そして、丸腰のまま飛び出していったキリトが、体術水平蹴りスキル<水月>を加えて狼を更に大きく吹き飛ばした。
「あった!」
それと同時に、ケイもまたストレージから目当てのアイテムを取り出していた。オブジェクト化によって起こる光がケイの手元で収まっていくと同時に、そのアイテムの姿が露わになっていく。
それはどこまでも黒く塗りつぶされた剣だった。刀身も、柄も、全てが黒。その剣が完全にオブジェクト化されると同時、ケイの腕に途轍もない重量感が襲う。
「ぐっ…、とっ。キリトォ!」
刀を鞘へと戻し、両手で剣を持ち上げる。そしてケイは、大きく両腕を腰だめに引き絞って────
「受け取れやぁ!!」
力一杯、キリトに向かって放り投げた。
五十層のボス戦。最後はケイとヒースクリフが同時に攻撃を入れて止めを刺したのだが、LAボーナス自体はケイの元へ送られていた。だが、ケイがそのLAボーナスが何なのかを詳しく知ったのは、ボス戦が終わった次の日の事だった。
何故なら、ボス戦直後はアスナやキリト、風林火山の面々にエギルと共に祝勝会をやっていたから。それにボス戦の疲れもあり、祝勝会から帰って来てすぐに、装備も外すことなくベッドに倒れ込んで眠ってしまったのだ。
そういう理由があり、五十層ボス戦のLAボーナスの詳細を知ったのは後日になってしまったのだが…、ケイはそのアイテムのデータを見て大きく目を見開き、衝撃を受けた。
五十層時点での、最前線のどのプレイヤーが使っている武器の性能を完全に圧倒している。そしてそれ故の、装備に必要な要求筋力値もまた馬鹿げた数字にも驚いた。その剣の種類が片手直剣のため、ケイは装備という選択は選ばず、後にインゴットとして変換しようと考えたのだが。
もし、他の片手直剣使いにこの剣が渡っていたら。それはそのプレイヤーに、大きな力を与える事になっていただろう。
「え…」
「武器がねぇよりはマシだろ!装備は出来ないけど、盾ぐらいにはなる!」
ケイが放り投げた黒の剣が、キリトの両手に収まる。と、同時に、キリトの膝が僅かに沈む。
「なっ…!な、何だこれっ、重い…!」
「それ持って下がってろ!」
「く…っ」
丸腰のキリトを、これから戦力として数える訳にはいかない。ケイはあの黒の剣を武器としてではなく、盾として使わせるために投げ渡したのだ。キリトは一瞬、悔し気に顔を歪ませた後、ケイの言う通りに後退して狼から距離を取る。
それを見ながら、ケイは鞘に収めた刀の柄に手を添えながら、キリトを追いかけようとする狼に向かって疾駆する。
<抜刀術>による技の速度アップの恩恵を受けながら放たれる、神速の一撃。<雷鳴>が、間に割り込んできたケイを狙って振り下ろされる狼の右前脚を切り落とし、四散させる。
どうやら部位欠損の判定がある部位がこの狼には所々に存在しているらしい。何にしても、足の一つを欠損させたのはこちらにとってかなり優位に働くはずだ。
と、この時のケイはそう思っていた。
「ガァァ…、グルァア!!」
「!?」
切り飛ばされ、先を失った足を見つめていた狼が一度ケイを一瞥してから再び大きく跳躍した。ケイは目を見開き、跳躍した狼を見上げる。
(何で…!こいつ、他のモンスターとはアルゴリズムが違いすぎるだろ!)
戦闘が始まってすぐの時もそうだった。本来、大きなダメージを与えたプレイヤーに対してモンスターは強いヘイトを抱く。そしてヘイトが強いプレイヤーを狙って、モンスターは攻撃を仕掛ける。
が、この狼は違った。まるで、自分では敵わないと悟ったかのように、大きなダメージを与えたケイを避けて他のプレイヤーに襲い掛かっている。
跳躍した狼が降りていく先にいるのは、丸腰同然のキリト。
「キリト!」
サチが表情に恐怖を浮かべて呼びかけながら、キリトの元へ駆け寄ろうとする。が、サチもキリトと同じく武器を折られている。つまり、サチもまた丸腰の状態なのだ。サチに続いてギルドのメンバー全員が、アスナが、駆けだす。
アスナがサチの両肩を掴んで止めて、二人を追い越して他のメンバー達がキリトを助けに向かう。だが、ただ一人、ケイだけはその場に立ったまま、キリトに向かって口を開いて言葉を吐いた。
「キリト、その剣でそいつを斬れ!」
「っ…!」
すでに狼はキリトの眼前まで迫っていた。キリトができるのは、ケイの言う通しにする事のみだった。
キリトは剣の柄を両手で握り締め、まるで大剣を振る様に、大きく腰を捻って遠心力を利用しながら力一杯、刃を狼の顔面目掛けて振り下ろした。
このSAOでは、武器というのは装備しなければ意味がないというのが主流だ。しかしそれは、ほんの少しだけ本来の仕様とは異なる。かつてケイはある実験をした事があった。安全圏外でオブジェクト化したアイテムは、モンスターに対して影響があるのかという実験を。
結果は────影響は、あった。それだけでなく、筋力値が足りていれば、たとえ食べ物を投げつけるだけでも、ほんの少しではあるがモンスターにダメージを与えることができる事が判明した。
そしてその実験の結果は、アインクラッド全体で伝えられているあの説を覆す結論を導くことになる。
たとえ装備していない武器でも、オブジェクト化さえすればモンスターにダメージ判定を与えることができる、という結論へと。
「…え」
呆けた声を出したのは、剣を振るったキリトだった。
キリトが振り下ろした剣は、狼の額に命中し、そこからまるで豆腐を切るかの如く容易く狼を切り裂いていく。これまでの戦闘で二本のHPバーが消滅し、さらに三本目も注意域にまで達していた狼のHPは、そのキリトの斬撃一つで全て削られてしまう。
キリトに剣によって切り離された顔面から胴体の中心部辺りまでが、システムによって元に戻ろうとする。が、その前に。狼は光を発し、そしてポリゴン片となって四散していった。
ちょっと無理やりな説かなと思いましたがぶち込みました。もし、何か原作の設定と食い違いがあればメッセージで指摘をお願いします。