いろはす・あらかると   作:白猫の左手袋

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比企谷八幡生誕祭2017の記念SS、第4話。後編の1です。
まだ続きます。



④ たまには、こんな記念日も悪くはない。

 

 

『雪ノ下』という楷書体の表札がしっかりと掲げられた扉の前に立ち、インターホンを押した。

 なんとなく、以前訪れた時は表札が出ていなかったことを思い出す。若い女子の一人暮らしではよくあることと聞くが、新たに表札を用意したのは心境の変化か、それとも家庭の事情が絡んでいるのか。どうにも細かいことが気になってしまう、僕の悪い癖!

 しばし待っていると、足音などは一切聞こえないままにガチャリとドアが開かれた。相変わらず防音がばっちりらしい。さすがオクションは違うな……。

 

「一色さん、比企谷くん、いらっしゃい」

 

 ひょっこり顔を出した雪ノ下は、髪の毛こそいつもと変わらず下ろしているが、服装がまさにザ・和服といったスタイルだった。

 藍紫の地に桜の花をいくつか配した着物と赤い長襦袢に身を包み、しっかりと締めた山吹の帯。そっと控えめに微笑む姿は、大和撫子といった感があり慎ましやかだ。持ち前の慎ましいお胸のおかげで、とっても和服が似合っているなとおもいます!

 

「……その、あまり見られると恥ずかしいのだけど」

「先輩、鼻の下伸びてます。びよーんって」

 

 困惑気味な視線と、しらーっと白い視線。

 慌てて咳払いして目を泳がせる。

 

「お、おう……。すまん」

 

 これはいったいどっちに対する謝罪なんだか。

 というか別に謝んなきゃいけないようなことしてないと思うんだけど、なんか罪悪感がぶくぶくと湧き上がってくるのはなんでだろう……。

 

「……とりあえず、あがって」

「おじゃましまーす」

 

 ぷいっと俺から顔を背けて、とてとてと玄関へと気軽に入っていく一色に置いていかれてしまい、しばし雪ノ下と向かい合うかたちになった。

 ……えーっと、これ俺も入っていいの? いや、いいんだろうけどさ。

 

「とりあえず入りなさい」

「お、おう」

 

 再度の許可を得て一歩また一歩と玄関へ立ち入ると、以前と同様ふわりとシャボンの香りが鼻に届いた。癒やしの香りだ。

 ちなみに確か雪ノ下はサボンのフレグランスを愛用していたはずだが、シャボンとサボンって音が似てるよね! どうでもいいけど。

 

「リビングで待ってて」

「了解」

 

 この家の間取りは3LDKで、廊下を進んだ一番奥にリビングがあったと思う。

 背後でカチャカチャと玄関を施錠する雪ノ下に言われ、そのリビングへ向かうべく廊下を歩く。ところで、先にあがった一色は何処へ消えてしまったのやら姿が見えないけど、どうしたのかしら。ここ人ん家だよ? いろはす?

 なんだかなぁ……と、どっかのラノベに出てくる冴えない[[rb:彼女 > ヒロイン]]のようなことを思いながら、廊下突き当りの扉をそっと開けた。

 その、瞬間。

 

「おわっ、なんだ!?」

 

 パン、パパパン、パン……、と乾いた音が前からも後ろからも鳴り響き、体中に何かもじゃっとしたものが絡みついて、一瞬パニックに陥る。

 続けざまに耳に届く、騒がしい声。

 

「ヒッキー! ちょっとはやいけどお誕生日おめでとー!」

「お兄ちゃんおめでとー!」

「おめでとうです先輩!」

「八幡おめでとう!」

「比企谷くん、おめでとう」

 

 一斉に声を上げているのに、台詞は全く揃っていなくてばらんばらん。

 しかし内容は全て同じもので。

 

「え……?」

 

 頭が追いつかず、状況把握に努めるべくゆっくりと周囲を見回す。

 去年と同じ薄桃色の浴衣に袖を通した由比ヶ浜が、無邪気に笑っている。

 いつの間にか母ちゃんにでも買ってもらっていたのか、黄色い浴衣で着飾った小町が、あざとくウインクをキメている。

 うっすら水色の下着が透けちゃってる夏服姿の一色が、にまにまと笑みを浮かべている。

 半袖にハーフパンツで肌の露出が眩しすぎる戸塚が、天使のような暖かい表情で見つめている。

 そして振り向けば、雪ノ下がいたずらっぽく微笑んでいる。

 ん? ……戸塚? 戸塚っ!?

 

「と、戸塚ぁ!」

「あはは。八幡、紙だらけだよ」

 

 戸塚……天使様……! 尊い……!

 じゃなくて、頭や肩に絡みついたもじゃもじゃを手で取ってまじまじと見る。

 ピンクや水色、黄色、オレンジといった色とりどりの細く縮れた紙テープは、パーティグッズとしておなじみクラッカーのものだった。

 

「……あー、なんか説明ないまま一色に引っ張られてきたんだが、これってもしかしてアレか? その、俺の誕生日祝い的な……」

 

 それ以外には考えられないわけだが、つい確認してしまう。

 これはいわゆるところのサプライズ誕生日パーティ的な感じのやつだ。中学の頃、誕生日の放課後に突然クラスの生徒たちが一斉にはっぴばーすでーとぅーゆーとか歌いはじめて、一人感動していたら全然関係ないイケメン男子の誕生日だったオチで、帰宅して部屋に閉じこもってひとり泣いた例のあれだ。

 

「それ以外ないじゃん! むしろなんだと思ったし」

「ほらほらお兄ちゃん、主役はこっちこっち」

 

 情けない質問を由比ヶ浜に呆れられながら、小町に腕を引っ張られる。

 広いリビングの中央には、三人がけと一人がけのソファが大きなテーブルの周りを囲うように配置されていて、俺は左側に置かれた三人がけソファの真ん中に座らされた。

 テーブルの上には、まだ温かいのかほかほかと湯気の漂う料理がいくつも並び、コーヒーカップやグラスなども裏返して用意されている。

 ……俺、こんなに盛大に祝ってもらっちゃっていいのか?

 

「揃ったことだし、それじゃあ始めましょうか」

 

 小町、戸塚とそれぞれソファに着いたのを確認してから、雪ノ下と由比ヶ浜、一色の三人がリビング脇の小部屋へと消えてゆく。数秒の後、由比ヶ浜と一色の愛らしい歌声が聞こえた。

 

「「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」」

 

 二人は歌いながら、続いて雪ノ下が苦笑しながら、大きめのホールケーキを持って現れる。

 由比ヶ浜の手には、いかにも高級洋菓子店で売られていそうなチョコレートケーキ。

 一色の手には、淡いピンクで可愛らしいいちごクリームっぽいケーキ。

 雪ノ下の手には、輸送中に落下させた可能性大のちょっとぐちゃったショートケーキ。

 いずれにも火が灯って煌めく蝋燭が立っていて、いちごクリームっぽいケーキには一色が加えたのか手書きのメッセージチョコプレートが添えられていた。

 

「はっぴばーすでーでぃーあひっきー♪」

「はっぴばーすでーでぃーあせんぱーい♪」

 

 いや、そこの部分ぐらい歌詞合わせろよ。なんてついつい内心突っ込みながら、その光景を見る。

 

「「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」」

 

 やがて俺の目の前にケーキが並べられ、ぱちぱちと拍手が沸き上がった。

 なにこれ、やだ、恥ずかしい……。照れる……。

 

「ほーらお兄ちゃん、ふーっ!ってしなきゃ」

「八幡、ふーって」

 

 最後に蝋燭ふーっをしたのは小学校三年生くらいのときだったか。四年生くらいからはもう恥ずかしくて嫌がるようになったし、中学生ともなると誕生日ケーキがコンビニのカット済みショートケーキだったりしたから、こういう役はどうにもやりずらい。

 五人の注目を一身に浴びて幾分か緊張しつつ戸惑いつつ、ゆっくりと息を吸って、三つのケーキに向かって順ぐり吐き出す。

 一つ、一つ、また一つと蝋燭たちは静まり、やがて全てから火が消える。あとに残るのは小さくくすぶり立つ黒い煙。

 

「おめでとー!」

「おめでとですー!」

 

 再び拍手と再び祝いの言葉をで、部屋が一気に騒がしくなる。

 すごく、リア充っぽい光景だ。

 だからだろうか、いま目の前でこうして祝ってもらっているはずなのに、自分自身でそれを体感しているはずなのに、夢でも見ているだけのようで。……現実なんだという実感が、なかなか沸いてこない。

 これはもう、子供の時からこれまで育ってきた中で俺という人間の心や脳に刻まれてきた、どうしようもないくらいにひねくれた何かなのだろう。友達がいないのが当たり前で、人から嫌われ忌まわしく思われるのが当たり前で、家族以外の誰も俺と接してくれないのが当たり前で、いつもひとりぼっちでいるのが当たり前で。

 素直に喜んで、素直に笑って、素直にノリノリになって、みんなで一緒にバカ騒ぎをすればいいだけのはずなのに。

 どうしてか、もやもやとよくわからない感情が胸にくすぶり。

 どうしてか、気づけば鼻をすすってしまっていて。

 どうしてか、

      ――涙がこぼれそうになる。

 

「……比企谷くん。あなた、ろくでもないことを考えているでしょう」

 

 そんな俺に、雪ノ下が穏やかな声音でそっと語りかける。

 

「過去のあなたの人間関係がどうだったのかなんて、それは私たちには関係ないことよ」

「あたしたちにとってのヒッキーは、あたしたちと知り合う前のぼっちのヒッキーじゃなくて、いまのヒッキーだもん」

 

 続けて、由比ヶ浜も優しく微笑みながら言葉を伝えてくれた。

 

「だね。ぼくたちの好きな八幡は、いまここにいる八幡だもんね」

「お兄ちゃんが思っている以上に、みんなお兄ちゃんのこと大切にしてくれてるんだよ?」

「あなたには良いところも悪いところもある。けれど、それでも今のあなたは、私たちにとって本当に大切な、立派な親友よ。あなたと知り合うことができてよかったと、今なら言えるわ」

 

 言葉は戸塚、小町と引き継がれ、そして再び雪ノ下に継がれ。

 

「だから先輩も、そーんな情けない顔してびーびー泣いてないで、堂々とばーんって胸を張ってください。ちょっときもいいつもの笑顔で、ふひふひ笑ってください。気張らなくても気にしなくても、わたしたちはそれでいいんですから」

 

 最後に一色がそう締めて、全員がにっこりと笑う。

 邪気のない表情で、心から俺を信じ受け入れてくれるように。

 なら、俺だって。

 一人ひとりに対する想いに差はあれど、こいつらみんなを大切な存在だと思っているのは、俺だって同じなのだから。

 

「……誰がびーびー泣いてるっつうんだよ。それにふひふひ笑ってないし、勝手に誇張すんなよな。お前こそ胸張ってもぺったんこなくせに」

「んなっ!? セクハラですよそれー! ぺったんこじゃないですし一応これでもCカップありますし!」

「っ!? そ、そんな……あなただけは仲間だと思っていたのに……」

「わーっ! なんかゆきのんがダメージ受けてる!」

「雪乃さん大丈夫です! 小町Bカップですから!」

「……ふっ。小町さんまで、私を裏切るというのね」

「ゆきのんしっかりしてー!」

「な、なんか変なことになっちゃったね……」

 

 わいわいがやがや、やれなんだと場は騒がしくなり、俺のせいでしんみりとした雰囲気は一気に盛り上がっていく。

 この期に及んでも、まだ『ありがとう』と素直に言えない自分の残念な性格には呆れちゃってしょうがない。けど。

 たまには、こんな記念日も悪くはない。

 とにかく、ただただ、感謝だった。

 

 

               ×   ×   ×

 

 

 さて、仕切り直しだ。

 花火の打ち上げ開始までまだ少し時間があるので、それまではおしゃべりと料理を楽しみつつ過ごすことになった。

 一色がケーキナイフでケーキ三種を各々に切り分け、由比ヶ浜がフライドポテトやフライドチキンなどの食事各種を取り分け、雪ノ下が飲み物を注ぎ……と三人がきびきび動いてくれて、主役の俺と『客人』の小町、戸塚はそれをゆったりくつろぎながら眺めていた。

 この様子からして、どうやら今日のこのイベントは一色たち三人が企画してくれたっぽい。気になることがいっぱいあるし、あとでしっかりと問い詰めてやろう。

 

「はい。ではみなさんお食事とお飲み物は行き渡りましたかー?」

 

 俺のすぐ右隣の席を陣取った一色が、シャンパンに見立てたいろはすスパークリングれもんのグラスを掲げつつ挨拶をはじめる。いわゆる乾杯の音頭ってやつだ。

 

「ちょっと今日は準備が急だったんで、プレゼントとかの用意が間に合わなくて先輩にはごめんなさいなんですけど、そのぶんおいしいお食事とおいしいケーキを用意しましたので、ぱーっとやってください! ぱーっと!」

 

 満面の笑みで口上を続ける一色は、とにかく活き活きとしすぎていてちょっとうざい。

 やあねぇこの子ったら。主役の俺の5000兆倍くらい楽しそうだわ。たぶん忘年会とかの幹事任せたらノリノリでやりそう。宴会芸とか。

 っていうか思ったんだが、いろはすがいろはす飲むとか共喰いかよ。まさかいろはす・千葉県産いろはすとかあったりするのん? まさかいろはすのエキス(意味深)入りなの? なにそれ飲みたい。いくらで買えますか!?

 

「ではでは、準備はよろしいですかー?」

 

 苦笑しつつ、予告に合わせて俺もグラスを掲げる。

 

「先輩の誕生日を――数日フライングですけど祝して! かんぱーい!」

「「かんぱーい!」」

 

 みんなでグラス同士をかち当てて、部屋に小気味よい音を響かせた。

 今日は初めての経験づくしだな……。どうしよう。楽しい!

 

「ん? 雪ノ下、お前はグラスん中炭酸じゃないのな」

「炭酸は苦手だから……。雰囲気だけ、ね」

 

 ただの水らしき無色透明な液体を見せた雪ノ下は、グラスを机に置くと紅茶を注いだカップに持ち替え、さっそく口をつけていた。

 んまあ、雪ノ下が炭酸ぐびぐび飲むイメージはねえな。一年ちょっと前まではファミレスのドリンクバーの使い方すら知らなかったような奴だし。

 一方その隣でガハマさんは、ビールを飲む新橋のリーマンよろしく、ぐびっと大きめにひとくちあおっていた。

 

「はー! おいしー!」

「……お前、うまそうに炭酸飲むのはいいけどよ、絶対ゲップすんなよ」

「し、しないし! っていうか女子にそういうこと言うとかほんとヒッキーデリカシーなさすぎ!」

 

 指摘に顔を真っ赤にして慌てて否定する由比ヶ浜だが、たぶん俺が言わなかったらあの調子でぐびぐびいって、そのうちげぷっとやってただろう。

 気をつけろよお前。女の子なんだから。

 

「けどそう言いますけど、結衣さん、たまに色々と無防備ですよ? 外とかじゃ気をつけてくださいねー?」

「う、うぅ。穴があったら入りたい……」

 

 年下にまで注意されてしまい、見事に小さく縮こまってしまった。

 ほー、『穴があったら入りたい』は知ってるんだな。えらいぞ由比ヶ浜。

 

「さてさて先輩」

「おん?」

 

 ちょいちょいと肩口を突かれて、一色へ顔を向ける。

 

「しゃべってばっかりじゃだめですよ。せっかく先輩のために用意したお食事なんですから、食べなきゃです」

「……ああ、そうだな」

 

 確かにそのとおりだ。せっかく用意してくれたのに、食べずにくっ(ちゃべ)ってたら意味がない。

 そしたらじゃあ、どれからいただいちゃおうかしらと、目の前の取り皿各種に視線を彷徨わせる。三種のケーキももちろん食いたいが、まずは食事からだな。

 大きめにざく切りされた皮なしのフライドポテトに、ナゲットのようなお手頃サイズのフライドチキン、ビーフシチューのような香りが豊かに漂うポットパイ。どれもこれもめちゃくちゃ美味そうで、見ているだけでも口内の唾液分泌が加速する。

 

「よし、いただきます」

 

 感謝の気持ちに手を合わせ、まずはポットパイからいただく。

 カップの上にかぶさったパイ生地をスプーンでさくっさくっと壊すと、うっすらと白い湯気が立つ。中に崩れ落ちた生地をシチューに浸けるようにして、ひとさじ掬う。

 ぱくりと。

 

「……おお」

 

 口の中で広がる赤ワインの香り。続けざま舌に感じるまろやかなコク。

 咀嚼すると、ほどよくシチューが染みた生地がさくさく音を立て、柔らかく煮込まれた豚肉がとろぉっと溶ける。香りも味も食感も、全てが素晴らしかった。

 

「フライドポテト、シチューに浸けて食べても美味しいはずよ」

 

 雪ノ下に言われて、箸でつまんだポテトをちょんと浸けてから口にする。

 きちんと油が切られていて、いわゆるところの外はカリカリ中はホクホクといった感じの、良い塩梅に揚がったポテトと、絡めたビーフシチューの相性はまさに抜群。絶品と言えよう。

 

「すごいな……。これ、そこらのレトルトなんかじゃねえよな。まさか高い料理屋にでも頼んだのか?」

 

 聞きながら顔を上げ気づく。

 ……なんで皆さん、そんな固唾を飲むように俺を見守ってるの? 毒味なの?

 一色を除く八つの瞳が、じーっと俺に集まっていた。ちなみに一色だけは面白そうににまにまと表情を崩している。お前ムカつくからマイナス1点。

 

「八幡、美味しい……かな?」

 

 緊張の面持ちで感想を求める戸塚を見て、思う。

 

「これ……。もしかして、戸塚が作ったのか?」

「う、うん。雪ノ下さんに教えてもらいながら、ぼくと小町ちゃんで……」

「美味い! 超美味いぞ戸塚! 最高だぞ戸塚っ! ありがとう!!」

 

 最高だ……。やっぱり戸塚は最高だ……!

 感激のあまり、このまま抱きついてしまいそうな勢いで感謝の意を伝える。むしろ勢い余りすぎて押し倒しちゃうまであるかもしれない。

 

「あの、お兄ちゃん。小町も作ったんだけど」

「ありがとよ。世界一素晴らしい妹だぞ小町は」

「うわー、扱いテキトーだなー」

「あ、あはは……。でも、八幡に美味しいって言ってもらえてよかった」

 

 緊張が解けたのか、戸塚は胸をほっと撫で下ろして微笑む。

 天使だ。やっぱり、戸塚は天使だ……。その表情とビーフシチューパイ、最高のプレゼントです!

 

「……ん? ってことは、これもしかして全部手作りなのか?」

 

 机の上に広がるケーキや食事。

 一見するだけだと、そこそこお高めのお店で売っているようでもあり、あるいはポテトに関しては冷凍食品をちゃちゃっと揚げただけのようでもある。しかしよくよく見れば、このポットパイに使っているティーカップは柄もデザインもバラバラだし、ケーキもどこか手作り感ある気がするのだ。

 俺の問いかけを、一色が頷いて肯定する。

 

「実はですね、みなさんで分担したんですよ。シチューを戸塚先輩と小町ちゃん、揚げ物とチョコレートケーキは雪ノ下先輩、そしてショートケーキは結衣先輩です」

 

 丁寧に指さし指さし説明され、なるほど納得。

 

「由比ヶ浜が……、どおりで」

「ちょ! ヒッキーなんか失礼なこと考えたっ!?」

 

 店から持ち帰る最中に落っこどしてしまったかのように崩れた、ちょっと残念なショートケーキ。クリームはべちょっているし、スポンジも潰れている。けれどもそれは、きっと由比ヶ浜が雪ノ下に怒られながら、頑張って頑張って形にしたものなのだ。

 雪ノ下が作り上げたという、高級洋菓子店で出してきそうな完璧すぎるチョコレートケーキと並んでしまうと天と地ほどの差があるし、みすぼらしくも思えてしまうが、心とやる気はたっぷりとこもっているのだ。

 

「いや、別に見た目はボロボロでもいいんじゃねえの。下手っぴでも下手っぴなりに形になってんだから、頑張った姿勢は十分伝わったよ」

 

 由比ヶ浜が最初に奉仕部へ訪れたあの日に、俺自身が言ってやったことだ。味や見た目が悪かろうと、頑張った姿勢が伝われば男心は揺れる――と。

 最初はジョイフル本田で売ってそうな木炭みたいな異物を作り上げてたのになぁ。めちゃくちゃ上達してんじゃんお前。それだけでもすげえよ。

 

「う、うん。ありがと」

 

 照れくさそうに、由比ヶ浜は俯く。

 ……だが、一応は念のために聞いておかねばならぬことはある。

 

「ちなみに食っても死なずに済むのか、それ」

「ひどっ!? 当たり前じゃんこれ食べ物だから!」

「いやだってお前、ケーキなんて作るのはじめてだろ。さすがになぁ」

 

 脳裏にね? よぎっちゃうんだ……。口に入れた瞬間顔面蒼白になってぶっ倒れる俺の姿がね……。

 

「大丈夫だよお兄ちゃん、小町と雪乃さんでしっかりと監視……じゃなくて監督してたから、味だけは保証するよ」

「小町ちゃんもしんれつだ!?」

「えっと……由比ヶ浜さん、辛辣と痛烈が混ざってるよ」

「さいちゃんまで厳しい!? うわーん、ゆきのーん!」

 

 わいわいがやがやと、まるで一年前の奉仕部のように騒がしくなって、由比ヶ浜は雪ノ下に泣きついて。

 去年の夏休み以来、色々あったがためにしばらく遠ざかっていた賑やかしい光景が目の前に広がっているのだと考えると、目頭が熱くなるようで。

 いや、さすがにもう泣かないけどさ。死にたくなるから。

 

「……よかったですね」

 

 懐かしさに浸る俺に、一色は遠慮がちな声を掛けてくる。

 さっきのにやついた笑みではなく、ぬくもりを感じる優しげな色を湛えて。

 

「ああ」

 

 一色が言わんとすることがなんなのかは、いまいちわからない。だが、たぶん俺の思うところとそう差異はなかろう。

 肯定だけ返してやってから、さっきからずっと気になっていたことに話を切り替えることにする。

 

「ちなみに、そのピンクのあざといケーキは一色か?」

「なんですかあざといケーキって……。普通にいちごのレアチーズケーキですよ」

「うっわ、あざとっ」

「何がですかー!」

 

 むぅー! とあざとくぷっくり膨らんだふぐはすの頬、指でずびっと突きたい。まあやらんけどさ。

 

「けど、あれだな。さすが一色だな。お菓子作りにかけては天才的ってか」

 

 ジュレってやつなのか、赤桃色に鮮やかな透明の膜で表面がなめらかにコーティングされていて、上にはむにゅっと絞られた生クリームと『せんぱい誕生日おめです♡』と書かれたいちごホワイトチョコ製らしきプレートが飾られている。

 ジュレの下には淡いピンクのチーズケーキ部分がたっぷり分厚くあって、刻まれたいちごがところどころに埋まっているのが外周の部分からでも見えた。最も下の部分に、クッキー生地のような薄茶色の層も見える。

 雪ノ下のチョコケーキもそうだが、そこいらの女子高生が手作りしたようには思えない出来だ。

 

「ま、まあ、料理とかお菓子作りは得意ですから、このくらい当然です!」

 

 少しだけ頬を赤らめつつ、勝ち誇ったようにドヤ顔を見せる一色。

 この子ったら褒めるとすぐに調子に乗るんだから……。ころころ変わりまくる表情と態度に付き合うのはちょっとばかり疲れるが、不思議と楽しさもあるから赦してやろう。

 

「大変だっただろ。これ作るのに何時間くらいかかったんだ?」

 

 シチューをいただきつつ問いかけると、一色はぴんと立てた人差し指を口元に当てて、考える。

 あざとい仕草だが自然なようにも見えて、なんか妙にかわいいのが癪だな……。

 

「えーっと、クッキー生地の部分は昨日のうちに作ったんであれですけど、ケーキの部分は五、六時間ですかね? 一五時前くらいに完成したので」

「けっこう時間かかるのな」

「チーズケーキの部分が完全に冷えて固まるのを待ってから、上のジュレの部分を流し込んで冷やして固めて……って順番にやらないと、飾り付けできないんで」

「なるほどねぇ」

 

 ケーキ作りってものは、手が込んでいて大変なものらしい。めんどくさがりな俺じゃ到底作れんだろう。わざわざ俺のために作ってくれたっていうのは嬉しいことだが。

 しかし、ということなのであれば。

 

「ってことはお前さ、つまり――」

 

 本題を切り出そうとした瞬間、防音がしっかりとしたこのマンションでもはっきり聞こえるほどの音量で、ドンと爆発音が響き渡る。

 

「あ! 始まっちゃったじゃん!」

 

 慌てて由比ヶ浜はレースカーテンを開け放ち、雪ノ下がリビングの照明を落とす。

 かろうじて互いの顔やテーブル上の食事が見える程度に薄暗くなった部屋を、浜辺で打ち上がる大輪の輝きが色鮮やかに彩った。

 

 

 

 




後編の終へ続きます

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