いろはす・あらかると   作:白猫の左手袋

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比企谷八幡生誕祭2017の記念SS、前編の2。
まだ何話か続きます。

(Pixivにも投稿しています)


② やっぱり女の子はちょっと強引なくらいのほうがいい。

 

 

 普段は自転車の俺だが、このクソ暑い中まで無駄に体力を消費したくはない。

 というわけで今日は電車通学。このまま一色と電車に乗って海浜幕張(かいひんまくはり)へ行くには都合がいい……のだが、花火大会の開始は一九時三〇分。時計をちらっと見てみれば、現在時刻は一六時半なので、まだ三時間ばかり時間がある。

 リア充な一色のこと、一旦別れてから浴衣にでも着替えて再びどっかで落ち合う感じの流れなのだろうかとも思ったが、どうやらそうではないご様子。一色は昇降口で靴を履き替えるために俺の腕を離すと、すぐにまた抱きついて、ぐいぐいと屋外へ連行していく。

 外暑いから、密着してるとすごく暑いし恥ずかしい……。

 これ、傍から見たら高校生カップルっぽく見えちゃうのかしら。一色、クラスとかの知り合いに見られたら変に誤解されちゃったりしない? 嘲笑われちゃうよ? 大丈夫なの……? っていうかいつまで俺の腕に抱きついてるつもりなの? まさか今日ずっと……!?

 ……なんてことを考えながら、通用門から学校を後にして、すぐ目の前の歩道にあるバス停で稲毛海岸(いなげかいがん)駅行を待つ。

 六分ほどして、白い車体に青いラインが涼しげな見た目の海浜交通バスがやってきた。

 ここで再び一色の腕が俺から離れた。くっついていれば恥ずかしくて、しかし離れるとそれはそれで寂しさのような何か妙なものも感じてしまって、どうにも落ち着かない。

 ぷしゅーと音を立てて開いた前ドアから車内に乗り込む。運賃の支払いはSuicaを使ってスイッ・ピッ・ディーとスピーディーな毎日。そのまま車内後方へ進んで二人がけ座席についた。窓上の吹き出し口から降りかかる冷風が、とても心地よい。

 一色は続いて隣りに座ると、ごく自然な素振りでぴったりと寄り添って、俺の肩に頭を乗せてくる。髪の毛が頬に触れてくすぐったい。

 ……どうやら今日は本当にずっとこうして密着するつもりらしい。

 俺が二人がけの座席に座ってると、女子高生は絶対隣には座らないものなのに……。

 

「……なあ、まだちょっと時間あると思うんだが、それまでどうするんだ?」

 

 あまり人との会話は得意ではない俺だが、こうも一色の態度が妙だと何かしら喋っていないと心が落ち着かない。

 ついさっき思った疑問を、とりあえず声に出しておく。

 

「とりあえず、花火の前に腹ごしらえしましょっか。先輩、何食べたいですか?」

「別になんでもいいけどよ、あんまり長い時間外をうろつくのは嫌だぞ。暑いし」

 

 とかなんとか言ってからふと思う。いつぞやのデートとやらで一色に何を食べたいか聞いた時、返ってきた言葉は『なんでもいいですよ』だった記憶……。

 いかん……。あの時『なんでもいいですよ』の返しを内心批判していた俺だったのに、なんと俺自身も同族だった事が判明。ごめんねいろはす!

 

「大丈夫ですよ。わたしも外は嫌ですし、屋内ですから」

 

 そう口にした一色は、忌々しそうに窓の外、青く晴れ渡った空をひと睨みする。

 意外だった。てっきり外でぱーっと遊ぶタイプなのかと。リア充だし、以前にも千葉をぶらぶらしたことあったし、たまに生徒会の買い出しついでで買い物とか付き合わされるし。

 

「なんかインドアっぽい発言だな」

「別にインドアってわけじゃないですけど……。ほら、夏じゃなければ外をぶらぶらするのも楽しいですけど、これだけ強く陽が照りつけてるといくら日焼け止め塗っても足りないですし……。困るんですよねー、ちょっとでも焼けちゃうと肌痛みますし、色黒くなっちゃうの嫌ですし」

「ああ、なるほどね。さすがだな」

 

 理由が分かれば確かに納得だ。リア充女子だからこそ、お肌の調子を保つのも大切なことなのだろう。一色がハンドクリームを塗り塗りしたりしてお手入れする姿は、部室でも見慣れた光景だ。

 

「何がさすがなのかちょっとわからないですけど、現代の女子高生なら誰だって日焼け対策とかボディケアとか気にしてますよ。妹さんもそうじゃないですか?」

「そう言われりゃあれだな。小町も母ちゃんにけっこう値段高い日焼け止めとかコスメとか買ってもらって愛用してるわ……」

 

 っていうかあれだな、うちは母ちゃんも親父も小町に甘すぎだろ。俺にはちょっとしかくれない小遣いも、小町は数倍貰ってるしね! ひどい、不公平!

 

「けっこう色々と努力してるんですよ、女の子って」

「親の金だけどな」

「それを言ったら、先輩のラノベだってお小遣いじゃないですか」

「まあな」

 

 実にごもっとも。

 よその高校ならバイトで稼いでいる連中もいるんだろうが、総武高では少数派。つまり、殆どの生徒はお小遣い暮らしだ。かく言う俺だって一年の頃に何度かバイトに手を出したことはあったが、長期継続して働いたことはないし。……何か事情があったわけじゃなくて、労働や人間関係が嫌でバックレちゃっただけなんだけどね!

 しかし、とはいえども、あたり前のことだがいくらでも無限に小遣いを貰えるわけじゃない。人にもよるだろうが、月に三千円やら一万円やらの中から、あれこれ我慢したり削ったりやりくりして欲しいものを手にするわけだ。男子の使いみちなんて飲食だのゲーセンだのとたかが知れているが、女子は色々と金がかかるだろうし、それなりに悩み悩んで欲しいものを買うのだろう。

 

「ってわけなので……。会場とかにも色々食べれるものありますから、腹ごしらえはお手頃なお店にしましょうね」

「ご配慮いただきこれ幸い」

 

 そのお小遣いへの努力の一つとして、俺は昼飯代として英世さんをもらってワンコイン程度の価格で済ませるという手法を日々実践している。なので、安いお店にしてくれるというのであれば素直にありがたい。

 ……ほら、一色のことだからちょっとお高いお店でディナーとか言い出すんじゃないかと。昼飯だけで千円以上しちゃうようなお店は困るし。

 

「どうせ先輩のことですから、ごはん代を多めにもらって安いもの食べて、余ったお金でラノベ買ったりとかしてるでしょ?」

「……えっなに、お前エスパーかよ」

「もう半年以上も近くで見てきましたもん。そのくらいわかりますよ」

 

 冗談めかして、一色はくすっと笑う。

 こんなことまでお見通しということらしい。こいつはしっかりと俺のことを見ているというのだ。

 まったくもって情けない。一色が俺と接してきた時間は、当然俺が一色と接してきた時間と全く同じはずのものだ。同じはずなのに、こちとらまだまだわからないことが色々とある。むしろわかっていることのほうが少ないのだろう。

 わかりたいだの、わかり合いたいだの、いつぞや俺は願ったことがあった。だが結局それは口先だけで、実際はこれほど近くに居てくれる後輩のことすらわかることができていない。

 情けなくて、歯がゆくて、それがとても悔しい。

 

 

               ×   ×   ×

 

 

 千葉市湾岸部と葛南(かつなん)地域湾岸部の生命線こと、『風が吹けば電車が止まる。但し最近はあまり止まらず徐行運転』でおなじみ京葉(けいよう)線。

 この京葉線は、お前それ本当に東京駅って名乗って良いのかよってくらい、山手線や新幹線のホームからはどちゃくそ離れた半分有楽町って感じの地下深くにある薄暗いホームを起点に、ディスティニーでおなじみ舞浜や、ららぽーと最寄りの南船橋、マリンスタジアムやメッセの海浜幕張を通って、外房線・内房線と接続する蘇我(そが)駅までを結んでいるJRの路線だ。銀色の車体に濃いピンクの帯を貼った一〇両編成の電車が走っている。

 ちなみに京葉線は内陸側を通らないから、津田沼や千葉へ行く場合は注意が必要だ。あと、うっかり武蔵野線から直通してくるオレンジ帯の八両編成に乗っちゃうと、西船橋経由で知らないうちに埼玉や多摩のほうへ連れ去られて、十万石まんじゅうや押っぺし餅をひたすら食べさせられるハメになるからこれにも十分気をつけよう。

 さて、そんな京葉線に数ある駅の中でも、総武高最寄りの稲毛海岸は終点蘇我寄りの末端側にある。平日朝上り・夜下りのラッシュ時はもちろん混むが、日中や夕方の上りともなると都心から離れているがゆえ閑散としているのが常だ。

 にもかかわらず、稲毛海岸でバスから乗り継いだ快速東京行きの電車内は、いつもの週末よりも多くの家族連れや恋人たちで混雑していた。一つ行った検見川浜(けみがわはま)からもわんさか乗ってきてその賑わいは更に増し、さながら車内は民族大移動、ぷちラッシュ状態と化している。

 大きめのリュックを背負ってクーラーボックスを抱えるお父さんと、手ぶらで仲良さそうにおしゃべりに花を咲かせるお母さんと浴衣のロリっ子。

 この日を楽しみにしていたのであろう高齢のご婦人グループ。

 会社を早上がりしてきたと思わしき、スーツ姿のサラリーマングループ

 夏休みを謳歌している真っ最中の大学生っぽいグループに、中学生っぽいグループ。

 客層はてんでばらばらだが、皆一様に同じ目的地へ向かっているのだ。

 

「けっこうみんな早い時間から行くんですね」

「市民花火大会、毎年すげえ人出だからな。しかも今年は初めての海浜幕張開催で混雑の具合とか予想できないし、少しでも早く行って場所取りに走りたいってことだろ」

 

 花火大会の開始までまだまだ時間があるが、無料観覧エリアでいい場所を確保しようとするならこれでも遅いくらいなのかもしれない。

 きっとあの大荷物を持たされたお父さんは、より良い場所を求めてあちこち駆け巡ることになるのだろう。かわいそうに……。 

 

「恋人っぽい人もいっぱいですね」

 

 周囲の様子を見ながら、一色がぽつりと言う。

 言葉通り、雑多なグループの中にはいくつものカップルの姿がある。多くは浴衣姿だが、学校帰りにでもそのまま来たのか、制服姿の男女も何組か確認できる。 

 

「わたしたちも、そう見えますかね?」

 

 組んでいる腕にぎゅっと力を入れて身をより近くに寄せた一色は、何かを期待する色を含んだ瞳でじっと見つめてくる。

 まったく……。この子はどんな答えを求めているというのか。

 ボディタッチの範疇をとっくに超えた密着度に、驚くほど近い場所で見せるこんな表情。あざといとか小悪魔とかそういうレベルはとっくに超えていて、もうむしろ悪魔ともいえる。実に恐ろしい。

 並の男子なら一色の魅力に取り憑かれてうっかりころっと落ちちゃうかもしれないし、なんなら恋しない奴なんていないと断言してもいい。

 だが、俺はそうはならない。なってしまってはいけない。

 うっかりなんかじゃだめなのだ。勘違いや思い込みなんかではなく、きちんと知って、わからなければいけないのだ。相手の心を。そして自分の心も。

 

「……そんなの、俺にはわからんな」

 

 濁りに濁った答えだけ返しながら、なんとなく過去を思い起こす。 

 去年の大会の日、会場へ向かう電車の中。あれはたまたま電車の揺れによって起きた偶然だったが、今の一色と同じように、密着するほどの近い距離にあの子の顔があった。そしてあの時も、少し似たようなことを考えた。

 けれども、あくまで少し似ているだけ。俺の考え方はあの時とは違っていて、相手の人物も、関係性も、俺への接し方だって違う。

 

「その回答、女の子とのデートでそんなことやったら、一気に冷められて500くらい点数マイナスされますからね」

 

 一色は不満そうに表情を歪め、ふんと鼻を鳴らす。

 期待通りの答えなど、仮に思い当たったとしても俺にはできるはずがなかった。当然の減点である。それにしたって点数持って行かれすぎな気もするけど。

 

「ちなみにそれ、まさかと思うが何点満点だ?」

「もち100ですよ。100点満点からの減点方式です」

「って、それだと今の俺の持ち点マイナス400点になっちゃうんだけど」

 

 いまから頑張って500も加点してもらわねばならないらしい。

 いや別に満点取りたいってわけじゃないけどさ、せめて0点より上がいいです……。いつぞやみたいに10点とかさ、ちょっぴり甘い採点をお願いしたいなって思うの……。

 

「…………」

「ん? どうした?」

 

 突然会話に生まれた空白が気になって、一色の表情をうかがう。

 どういうわけか、ぼーっと呆けるようにして俺を見ていた。

 

「え……、あ、いえ。ちょっとした例え話というか今後の忠告のつもりで、今日のことを採点するつもりじゃなかったんですけど……」

 

 言われたことで気づく。

 一色は『女の子とのデートで』と前置きしていたわけで、つまり今後誰か女子とデートをするときにはそんなふざけたはぐらかしや態度はくれぐれもするなよと忠告してくれたわけだ。一方の俺は、一色が今日の俺に対して採点したのだと勝手に解釈して持ち点とか言っちゃったわけで。

 ……やだ、俺、なんか恥ずかしい。

 

「んふっ。先輩、わたしとデートしてるって認識でいてくれたんですね~」

 

 ご不満モードからころっと一転。一色はにまにまと笑みを浮かべて、俺の肩口に頬をすりすり擦り寄せじゃれつく。

 なにこれ、ほんとかわいいな。お前俺の彼女かよ……。

 こんなに可愛い彼女がいたらいいなーとか思っちゃったじゃないか。ちょっとだけだけど。

 

「べ、別にデートとか思ってないし……」

「実は先輩もほんとのところは、いまのわたしたちがカップルっぽく見えるとか思ってましたよねー?」

 

 うりうりーとか言いながら、俺の腕を抱いたまま指先で脇腹をちょんちょん突いてくる。

 かわいいが、ちょっとムカつくぞ。その『うりうりー』っていうの。

 

「ほれ、バカなこと言ってんな。そろそろ海浜幕張着くぞ」

「む? バカですと!? ひどいですよー」

 

 立腹をアピールするように頬をぷくっと膨らます一色だが、決して本気で怒っているわけではなくて、その実すごく楽げに心躍っているのは見ていてなんとなくわかる。 

 今日のお出かけを、過ごす時間を、純粋に楽しんでくれているのだろう。 

 俺は気を利かせて何か色々としてやれるようなデキる男ではないし、あらゆる求めに応じられるほど懐が広い人間でもない。けれども一色がこうして、楽しんで、期待して、求めてくれるのであれば。

 ちょっとくらいなら俺も、楽しんで、期待して、求めてもよいのではなかろうか。

 

 

               ×   ×   ×

 

 

 総武高校バス停を出てからちょうど二〇分。

 到着した海浜幕張の駅は、かなりの人数でごった返していた。

 いま俺たちが乗ってきた上り電車から降りた乗客だけではなく、ちょうど向かいのホームに到着していた下り電車からもぞろぞろと大量に降りてきていて、改札の処理能力がぎりぎりになっているのだろう。もしかすれば一本前の電車で来た客もまだ改札から出れていないかもしれない。そのくらいの状況だった。

 人波に飲まれるようにして階段を降りるだけでも一苦労で、数分かかってようやくなんとかラッチ外へ出る。花火会場は目の前のコンコースを左手に行った南側海沿いなのだが、この駅に不慣れな者も多数いるのか群衆は右往左往、半ば強制的に右手の北口へと流されてしまった。

 ところが、花火会場とは線路の高架を挟んだ逆側であるはずの北口バスロータリーも、見渡す限り人、人、人。常日頃、京成バスと幕張住民がドヤ顔で日本に誇る連節バスからもぞろぞろ降りてきていて、その人数は増えに増え続けている。

 おい、たぶん去年の千葉みなとの数倍すげえぞこの混雑……。マリーンズの試合とメッセの大規模イベントと通勤ラッシュが重なったってこんなに人いねえぞ。

 

「す、すごいですね……。さすがに、これほど混んでるとは……」

「まだ開始まで二時間半もあるんだぞ。そんなに近場で花火が見たいのか……」

 

 面食いを通り越してむしろ呆れ果てるほどの状況に、二人揃ってげんなりする。

 家族連れやリア充たちの行動力には、とてもじゃないがついていけそうにない。

 

「毎年こんなに混んでましたっけ、市民花火」

「混んでたことは混んでたが……。今年はあれだろ、こっちに会場移ったから、浦安とか市川とか、葛西(かさい)のほうからも見に来る人がいるんじゃねえの」

「あー、少し都心に近くなりましたしね……」

 

 以前の千葉ポートパーク会場は千葉駅からもほど近い場所だから、千葉市民が出かけるにはそれなりに良い位置取りだった。だが、千葉市民以外に目を向ければ、行動圏内に収まるのはせいぜい船橋や市原、佐倉あたりまでで、それよりも遠方から来る人は多くはない。しかも房総方面は人口も少ない。

 しかし海浜幕張ともなると話は別だ。千葉市の中でも最も東京都心寄りのエリアにあって、しかも人口過密集地の習志野や船橋、浦安、市川、東京都江戸川区なども圏内に収まってしまう。つまりここにいる観客たちの半数くらいはたぶん非・千葉市民。

 そりゃ、混んで当然だわ。

 

「……どうする? しょうがねえし、帰るか?」

 

 大きすぎる集団に立ち向かう勇気も元気もさらさらない俺はすぐさま、諦めるという選択肢を一色に提示することにした。

 当然、聞いて一色は、今日何度目かもわからない不満を表してみせる。

 

「なんで来たばっかりなのに帰宅を提案するんですか」

「だって、人めちゃくちゃ多いし」

 

 なによりこの人出じゃ行動のしようがない。

 先にどこかで軽く腹ごしらえするという話だったが、この様子じゃどの店も入れんだろう。

 花火のほうだって、一色の言うところの穴場とやらが本当に見つかるかどうかわからんし、その穴場を探すまでにこの人混みを歩きまわらなければいけないのだと考えただけでも億劫だ。

 

「確かに予想よりずっと人が多かったのは、わたし的にもけっこうキツいですし、申し訳ないなって感じですけど……。とりま先輩的にどっか行きたいところとかないんですか? お店とか」

「そうだな、そこの5番のりばか7番のりばなんていいんじゃないか」

 

 北口バスロータリーに屯する京成バスや東洋バスの群に視線を向けて、俺はささやかな希望を伝える。

 

「うっわ、それ幕張駅行のバス乗り場じゃないですか! もう……。家に帰るっていう考えは一旦捨ててくださいよ。それとも、わたしも先輩のおうちに付いていっていいんですか?」

「え、それはやめて、勘弁して……。八幡困る……」

「そんなに嫌がられるとちょっとショックなんですけど……」

 

 唇をつんと尖らせた一色の視線は伏していて、少し罪悪感が湧き上がってきた。

 悪気はないんだ。だが家に一色を連れ帰ったりなんてして、うっかり小町や母ちゃんにでも見つかったら、絶対にいじられて大変なことになるに違いないんだよ……。

 

「……なら、ちょっとだけ遠回りになりますけど、人混みから遠ざかる感じで移動してみるのはどうですか? お食事はちょっとおあずけになっちゃいますけど」

 

 一色は言うだけ言うと、俺の反応を待たずしてぐいぐいと引っ張り始める。

 はぐれてしまわないようにか、あるいは別の感情からくるものか、しっかりと密着するよう絡み直された腕組みはちょっとばかり歩きづらさすら感じる。それでも一色は緩めることなく、半ば意地でも張るように力を込め続けていた。

 そんな姿を見て、ちょっとだけ、胸がちくりと痛んだ。

 

 




前編の3へ続きます。

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