いろはす・あらかると   作:白猫の左手袋

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四話分割の最後になります。



葉山隼人に彼女ができたらしい。という噂。(終)

 肩を並べて、C-one前をのんびりと歩く。

 時間はもう二十一時をすっかり過ぎているが、外房線の高架に沿って千葉駅まで続く商店街は人通りが絶えない。居酒屋や大衆飲み屋、カラオケに、キャバクラなどの風俗店も多い土地柄、むしろ平日はこれからが本番といったところか。

 やがて国道14号のスクランブル交差点に差し掛かった時、きゅ、とブレザーの左袖が引っ張られた。目をやれば、ついいましがたまで楽しげにおしゃべりに興じていた一色が、唇をきゅっと閉じて俯いていた。

 それが意味するところを、わからない俺ではない。

 いままで()()側の立場になったことは数あれど、()()()側の立場になったことはないが、それでもこれから一色がやろうとしていることは容易に想像がつく。もう、勘違いだ自意識過剰だなんだと自分を誤魔化している場合ではないのだろう。

 しかし、なぜこのタイミングで……?

 いや、それはいい。それは問題ではない。

 俺が知っている一色いろはは、甘い砂糖の味を忘れさせるほどに辛いスパイスまみれ、そして触れてみるまでわからない面倒くさい素敵な何かをおまけにつけた、あざとく狡猾で、基本的な性格がちょっとアレな女の子だったはずだ。

 もしもそこからスパイスがなくなり、たっぷりの甘いお砂糖と、そして触れて知りつつある素敵な何かだけになってしまったとしたら。素直な心を知ってしまったら――、

 その時、俺は一色いろはに、どういう感情を抱くのだろうか。

 その時、俺はどう答えを出せばいいのだろうか。

 

「先輩」

 

 くいくいと、袖を引っ張ってくる。

 俯いていた顔を上げ、覚悟を決めたように力の篭った視線で、じっと俺の瞳を見据えてくる。

 

「行きたいところがあるので、もうちょっとだけ付き合ってもらってもいいですか?」

 

 時間はもう遅いが、かといって断るまでもない。

 頷いて返すと、一色はほっとしたように小さく息を吐くと、ふっと微笑んだ。

 

「あっちです」

 

 相変わらず飼い犬のリードか馬の手綱のように袖を引っ張られ、スクランブル交差点の右手前へと曲がる。千葉街道と佐倉街道の起終点区間でもある一方通行の道路で、千葉市民がよく『ナンパ通り』と呼んでいる商店街だ。この先には、先日閉館してしまった千葉ハルコ、中央公園、千葉神社などがあるのだが、もう時間も時間だからどこへ向かっているのかはとんと見当がつかない。

 ま、まさか栄町あたりのホテル街じゃないよね? やだ、困る! ……んなわけないが。

 そのまま、無言の一色に引かれて進む。

 カラ館やなりたけなどを横目に見ながら進み、大通りの中央公園交差点に出た。すぐ頭の上で、轟音を立てながら、県庁のほうへと千葉モノレールが走り去って行く。

 交差点を渡った場所が旧ハルコや中央公園だが、そちらへ行くつもりはないらしい。右手に曲がり、モノレールの下に流れる川沿いを歩いて、すぐ目の前にあるモノレール葭川公園駅構内へのエスカレーターに乗った。

 

「先輩って、千葉みなとから京葉線ですよね?」

「千葉から総武線だが……」

「じゃあ、千葉まで買いますね」

 

 俺の手を離すと、一色が自動券売機の前に立った。

 

「え、いや、自分で買うが……」

「わたしの用事に付き合ってもらってるんですから、わたしが払いますよ。……さっきの電車賃と喫茶店代のお返しには全然足りませんけど」

 

 言って、一色は100円玉を2枚つっこんで切符を買い、続けて一色はパスケースからSuicaを取り出してチャージをはじめた。

 それにしても……、なんでわざわざここから千葉駅までモノレールに乗るんだ?

 さっきのスクランブル交差点からだと、千葉駅まで歩くのと、ここ葭川公園駅まで歩くのではほとんど距離が変わらない。それに、仮にここから千葉駅まで交通機関を使うとしても、路線バスならワンコインエリアだからモノレールより安くて本数も多いし、なんなら最初から千葉中央駅から京成千葉線に乗ってもよかったのだ。

 なにかしらの意図があるのだろうが、それがわからん。 

 

「どうぞ」

「ああ、悪い……」

 

 葭川公園→200円区間、と書かれたオレンジ色の紙片を受け取り、先導するように歩く一色に続いて改札を抜けて、ホームへのエスカレーターを上る。

 プラットホームは人っ子一人おらず、寂しげな雰囲気が漂っていた。

 モノレールの千葉から県庁前の区間は、実質メインの区間となっている千葉みなと~千葉~穴川~都賀~千城台と結ぶ路線から盲腸状に飛び出た支線のようになっていて、本数もそれほど多くはないので、利用者がほとんどいないのだ。この時間はなおさららしい。

 地上から高く上がった場所にあるモノレール駅の独特な構造もあって、 残冬の冷たい潮風が吹き抜けていく。長い時間待たされるのは辛いところだが、ちょうどタイミングが良いことに、もうまもなく次の千葉みなと行きが到着するようだ。

 やがて、時刻表の時間通りに、県庁前のほうから二両編成のモノレールがやってきた。ここから千葉駅まで、四分間の空中散歩だ。

 

「誰も乗ってませんね」

「だな」

 

 乗り込んだ車内はまさにガラガラ。あたかも空気でも運んでいるかのようだった。

 椅子に座るとすぐにドアが閉まり、ゆっくりと動き出す。

 

「今日は、ありがとうございました」

 

 所作正しく、一色がこちらへ向かって頭を下げる。

 そのまま、俺の言葉を待たずに続けた。

 

「葉山先輩の噂――ですよね? 先輩がわたしの様子見に来てくれたのって」

「……気づいてたのか?」

「まあ、タイミングが良すぎですし」

 

 こちらが一色を見透かそうとする時、一色もまた俺を見透かしているのかもしれない。

 ……なんてな。いや、ニーチェとかケンケンとかそういうネタではなくて、俺よりも一色のほうが数段上手とでもいうか。

 

「それで、どうなんだよ……。その、ほれ」

 

 これじゃ、俺が何を言いたいのかさっぱりわからんだろう。

 俺自身、わかっていない。どんな声をかけるべきなのか、そもそも聞いてしまっていいことなのか。だから、濁したような変な言葉になってしまう。

 

「まあ、そうですねー……」

 

 それでも、一色は汲み取ってくれたらしい。

 一度言葉を切って、逡巡するように黙り込む。

 

 そして――、

 

()()先輩」

 

 はじめて、一色は俺の名を呼び――、

 

「わたし、大好きですよ。……先輩のことが」

 

 はっきりと、その言葉を口にした。

 

 ガツンと鈍器で後頭部をぶん殴られたかのような、強い衝撃。

 もう確信していたことだが、それでも実際に言葉で伝えられると、現実をなかなか受け入れられない。

 告白、されたんだよな。俺。

 大好きっていうのは、そういうことなんだよな。

 

「なので、気にしてないですよ。噂のこと」

「けど、お前……」

 

 葉山のことを追いかけようとしてたんじゃないのか――、と続く言葉は出なかった。言ってしまってはダメなのだろうと思ったから。

 一色がこれまでどんなことをどんなふうに考えてきたのは知らないが、いまここにいる一色は、俺のことが好きだと言っているのだ。その気持ちは尊重するべきであって、否定するような言葉を投げかける必要なんてない。

 

「先輩の言いたいこと、わかりますよ」

 

 一色が自虐的に笑って見せる。どこか、自分自身に対して呆れるように。

 

「つい最近まで、わかんなかったんですよ、自分でも。葉山先輩のことが好きなはずなのに、気づけば先輩に惹かれているわたしがいて、いつもいつも先輩のことばかり考えているわたしがいて。……けどそれって、要するに、先輩のことが大好きってことじゃないですか」

 

 言い切ると一転して、今度はどこまでも輝くような屈託のない笑顔に表情が変わってゆく。

 きっとこれが一色の素の姿で、そしてきっとこれが一色の本心なのだろう。仮面やあざとい振る舞いで『一色いろは』像を演じているのではなく、ありのままの。

 

「ふふっ。……わかりますか先輩。これはわたしからの宣戦布告ですよ? 先輩への有効な攻め方なんです」

「……え」

「わたしみたいな、こんなにかわいい後輩から『大好き』って言われて意識しない人なんて、葉山先輩くらいですよねー?」

 

 冗談めかしてけたけたと笑う。

 同じ笑顔というカテゴリーの中でも、いくつもの異なる表情を見せる一色は、確かにとても魅力的な女の子だろうと思う。

 意識だって、して当然だ。むしろ意識しない葉山がおかしい。あいつもあいつで、過去に色々なものを抱えているからこそなのだろうけど。

 

「だから……。いつか、先輩に口説いてもらえるように、先輩が欲しいって思える存在になれるように、がんばんなきゃなんです」

 

 そこまで一色に言わせて、ようやく一色が告白の場にモノレールの車内を選んだ理由がわかった気がした。

 ディスティニーランドの帰り、葉山に振られて落ち込んだ一色に付き添って乗ったのが、千城台行きの千葉モノレールだった。その車内で、一色は自らの想いを吐露したのだった。

 これはきっと、あのときの再現だ。

 それも単なる再現ではなく、一色の新たな決意表明として。

 

「……なんつうか、その。ありがとな」

 

 情けないことだが、俺が言えるのはこれだけだ。

 俺は最低なことをしているのではないかと考えると自分が嫌になる。これから一色がどんなに頑張ったところで、俺が一色の虜になるという保証はない。もちろん、見事に一色に落とされてしまう可能性もないとは言えない。

 だから実質的には、これは告白に対する返事の先延ばしに過ぎない。今朝噂で聞いたばかりの三浦と葉山の関係と同じだ。いつか一色を振らなければならないときが来るかもしれないし、俺が一色に告白をする未来だってあるのかもしれない。いずれにせよ、そのときまで一色を期待と不安が混ぜ込ぜになった複雑な状況に置くことになってしまうし、一色いろはという女の子を縛りつけることにもなってしまう。

 けれども。

 一色が俺に対して抱いている感情と全く同じものか、それとも全く別のものかはまだ分からないが、俺の中でも一色に対しての好意は少なからずある。それはもう、否定しようがないものだ。

 ほんとうに不甲斐ないし、情けないことだと思う。

 なのに、一色はそんな俺を好きになってくれたのだ。それは、すごく嬉しい。家族以外の存在からこうしてはっきりと好意を口にされたのは、生まれて初めての経験なのだから。

 だから、いつか必ず、きちんと向き合って、きちんと答えを出そう。俺のことを大切に想ってくれている、俺の大切な人たちのために。

 

「せーんぱい」

 

 一色は愛らしく呼ぶと、優しげに微笑みをかける。

 そして、その顔をずいと俺のすぐ耳元まで近づけ、そっと囁いた。

 

「本気で行きますから、覚悟……してくださいね?」

 

 

 

 

  了

 




四話分割、お付き合いいただきありがとうございました。
原作10.5巻や11巻からしばらく経った頃のおはなし……をイメージして書いたものでした。といっても11巻ラストシーン以降の奉仕部三人の関係がどうなったのかは誰もわかりませんから、そこらへんは丸々無視しちゃってますが。

さて、作中に出てくる八幡好みの某こってりらーめん屋さんですが、みなさんご存知のように閉店しちゃいました。移転のような形で幕張の武石に新店舗がオープン。
聖地巡礼的にはちょっと寂しさがあるかもしれませんが、幕張在住の比企谷くんには朗報ですね(?)


では、このへんで。
また次からはまた別の短編となります。

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